[表示 : 全て 最新50 1-99 101- 201- 301- 401- 501- 601- 701- 801- 901- 2chのread.cgiへ]
Update time : 01/29 15:51 / Filesize : 492 KB / Number-of Response : 979
[このスレッドの書き込みを削除する]
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧] [類似スレッド一覧]


↑キャッシュ検索、類似スレ動作を修正しました、ご迷惑をお掛けしました

【YAP】日本人とチベット人は同祖【GM】



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2005/06/03(金) 00:23:54 ID:0o/sM63K]
YAP+遺伝子をもっているのは東アジアでは日本人とチベット人だけ
GM血液型遺伝子もそっくり

YAP
recon.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040907115249.jpg

GM
www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

701 名前:白馬青牛 [2007/08/16(木) 22:41:03 ID:N6EY7nll]
>>697
山東省や江南の江蘇省の大?(モン)口文化の方が古いでしょう。
島国の日本は、起源の国ではなく、大陸や半島の文化を受容した国です。
漢人商人にとって、奴隷民の倭人などに最大の交易品を与えるレベルに
あったとも思えませんし、文化要素が他の文化に移っても、移って来た
文化は、在来文化から様々な干渉(インターフェアレンス)を受け、
変形されるか、機能せん状況となりえます。
例えば、高句麗人が多く移住した信濃や関東でも、高句麗の積石塚が
あっても、牛車文化が無い。弥生期に渡来形質の墓に甕棺があっても、
土器や楼船等の大型船も無く欠落部分は出ます。
漢人商才云うより、生口(奴隷)を輸出した(列島に住んだ)倭人の
文化レベルの方が問題でしょう。

702 名前:白馬青牛 [2007/08/16(木) 23:29:50 ID:N6EY7nll]
>>699
オアシス民は、砂漠化すると他地域に移住し、新しいオアシス都市を
作りますし、地域環境から移動性の強い農商民です。厳密に農耕民と
遊牧民と二元論でのみ解釈出来ん部分もあります。14世紀人の
イブン=ハルドゥーン氏も『歴史序説』で、同じ農耕民でも「農産物も
畜産物も、薬味(スパイス)も果物も、豊富で生活の豊かな地域の住民は、
概して心の愚かな、身体の貧弱な人間である。薬味も良質の小麦にも
恵まれているマグリブ(現チュニジア共和国、チュニス生まれの、
イブン=ハルドゥーンの出身地)の住民と、バターも無く、もろこしと
オリーブ油を主食にしているスペインの住民とを比較した場合、
スペインの住民の方が知的にも鋭敏で、身体も敏捷であり、
知識の受容性にも優れている。」
「薬味とくにバターは保健上良くないとか、肉を食べ過ぎると
有害とか、云われる反面、駱駝の乳と肉で生活している人も、辛抱強く、
忍耐力があり、都市の住民を違い身体の健全」とも、云われます。
矛盾しとるように見えますが、要は質素、簡素な生活から生まれる
自己抑制、自制心のことです。

703 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 00:27:38 ID:+DueJSye]
続きですが、>>600のサイトの2・イブン・ハルドゥーン氏の「誰にも
支配されない自由」と云うことです。「幼いときから技術や諸学問や
宗教儀礼などの教育を施そうとする支配体制に依存している人々も、
勇敢なる精神を失う。彼らは敵対行為に対して自らを守ることが
出来ない。これは読書に没頭し、教師や宗教指導者に師事して勉学し、
あるいは権威と厳粛の支配する集まりで教育に従事する学生学者の
場合である。教育教授を通じて得られる技術[の対象〕に過ぎなくなって
しまい、公権威に対する恭順が人々の性格にまでなってからは、
彼らの自立的な勇気ある気風は弱まってしまった。
国家的訓育的権威が、外部から与えられるものに対し、宗教法の場合、
その抑制力は内面に生まれるものであるから、自立の気風を損ないは
しない。砂漠の住民(遊牧民)は政府や教育、感化といった諸々の権力から
隔たっているので、このような状態になることはめったに無い。」
>>700
「ブータン探訪」は面白かった。自我よりもコミニュティにおける自己の
抑制にある。縁も個人的自我より、共同体全体の理解の問題でもある。

704 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 00:51:36 ID:ZYtlIqyA]
>>701
風習としての抜歯の始まりを大?(モン)口文化に100歩譲るとしても、
家畜の飼育から土器の器種器形に至るまで、その他の大?(モン)口文化
の主要文化や文物が何も伝わってはおりませんよ。

やはり日本の風習としての抜歯が中国から直接伝えられたものだとは
全く考えられませんね。

朝鮮半島では抜歯の形跡のある人骨の出土がないという事なん
ですが、まだ見つかっていないだけで、やはり半島経由だろうと
いう事にしておく事にしますよ。

伝来した文物のその後の変化は分かりますが、伝来当初の文物の
原型は遺物としてちゃんと残るのですよ。

朝鮮半島には中国から持ち込まれた鉛釉陶の出土が楽浪郡設置以後の
BC1C頃からあるのに日本にはそれが3Cになっても一切ない。

信濃には無いというだけで牛車は高句麗人が来た7Cにやはり
日本に伝わっていますし、甕棺という器種の立派な土器を作って
おきながら、中国土器の焼成技術も伝えない、その他の器種器形も
一切伝えない、出土もない、そんな狐に包まれた様な話に誰が
賛同するんですか。

それで漢人商人たちは3C当時の中国の最大の交易品であった鉛釉陶を
商品とせずにいったい何を商品としていたというのですか?

705 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 00:59:17 ID:QqQSb94i]
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129

DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、
なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw

706 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 18:09:56 ID:ZYtlIqyA]
抜歯は世界中の原始社会で見られるが、日本では先土器時代から行われ、
風習としては4000年前頃に仙台湾周辺で始まる。


抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに
行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。現在でも
アフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に残っています。
www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-64.html

原始・古代の世界中に、抜歯風習はあったという。ことに長く続いたのが、アフリカ、
中国、日本だとされてますね。中でも目立ったのが、縄文・弥生の日本列島。
www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub12..html

歯を抜いたり、歯を削り歯を飾る風習は、日本だけでなく中国、台湾、
アジア、オーストラリア、アフリカにもみられた。
www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/wa_bassi/index.htm

707 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 18:10:36 ID:ZYtlIqyA]
佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは
縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に
東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に
広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした
抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、
子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が
亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが
あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。
www.jona.or.jp/~ichiyomi/rekisi/index4.html

708 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:02:50 ID:ZYtlIqyA]
確認しておこう。

日本における抜歯の開始は先土器時代からで中国に端を
発するものではない。

風習としての抜歯も約四千年前頃から始まっており、大?(モン)口
文化の時代とは合致しない上に、そんも始まった場所も中国との
玄関口である九州ではなく、東北地方の仙台湾周辺である事から
考えてみても、日本の風習としての抜歯は日本独自に出現したもの
と考えられる。

問題は弥生前期に登場した上顎左右の側切歯を抜く大陸系の抜歯型式
なのだが、遺跡からは中国土器や中国金属器などの当時の中国の文物が全く
見当たらない上に、この抜歯型式の朝鮮半島からの報告も無い。

ここから考えられるのは以下の2つ。

@やはり朝鮮半島経由で伝わったが、朝鮮半島からはその人骨が
単に見つかっていないだけ。

A中国からこの抜歯型式が伝わっていた北方アジアの蛮族が
朝鮮半島には定着せずに日本までやって来て間接的に伝わった。

709 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:24:41 ID:0FwOUTW+]
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129

DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、
なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw



710 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:58:18 ID:ZYtlIqyA]
>>709
アナタ、ニホンジンニシテハ、クロイデスネ〜

アナタ、ニホンジンニシテハ、ハナガ、ツブレテ、ヒロガッテイマスネ〜

アナタ、ニホンジンニシテハ、クチガ、ツキダシテイマスネ〜

アナタ、ニホンジンヨリ、タイワンジンニ、ニテイマスネ〜

アナタ、セローイデスネ〜

アナタ、セロイセローイデスネ〜

アナタ、セロイセロイセローイデスネ〜

アナタ、セロイセロイセロイセローイデスネ〜

アナタ、セロイセロイセロイセロイセローイデスネ〜

711 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 21:55:23 ID:81hZgcFl]
↑ 710の顔および人種的特徴。
  @顔は大きく、扁平 かつ短頭。 A頬骨が非常に高い
  B顎は後方にへこみ、えらは張る。
  C鼻は低く、小鼻は大きい。鼻根部は甚だしく低い。
  D眼は小さく、一重で、蒙古襞が強い。 
  E耳は小さく、耳たぶはない。
  F歯は大きく、出っ歯気味である。 
  G体色は淡色だが黄色がかる。
  H直毛で髪は硬い。
  I体毛は非常に薄い。J筋肉の発達は弱い。
  新モンゴロイドの特徴をすべて備え、一般的にいって醜男。

712 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 22:28:01 ID:26vVwC9v]
半分以上あてはまらないなw

俺はよく福山雅治とか稲垣吾郎に似ていると女性軍から言われるよw

茶色広鼻でウンコそのもののタイワン工作類人猿くんw

713 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 23:09:17 ID:81hZgcFl]
↑ 不細工なやつは嘘つきでもある。
  しかし、掲示板に書くのは君みたいな醜男でも自由だよ。
  君の唯一の楽しみを奪ったのがいけなかった。
  妄想の世界にどっぷりと浸ってくれ。
  最後に一点だけ、君の醜男の遺伝子だけは日本列島には残さないで
  くれ。頼む。

714 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:12:17 ID:+DueJSye]
>>704
家畜飼育は、牛・豚等アムールのポリツエ文化まで伝わっていますが、
日本の弥生期は、現在豚が確認出来る程度です。伝播された土地によって
在来文化の要素から欠落部分が出ます。じゃけえ、信濃等東国は、牛車も
無く、家畜飼育文化が西日本以上に欠落したことを云うたんですが。
犂文化も西日本までです。宮本常一氏の「(東日本は)つまり(馬)乗る
ことも下手、車や犂にひかせることも下手。ところが西日本のほうに
行きますと、こちらでは牛に犂をひかせている。これはいまの岐阜県あたり
まで、ひじょうに古い時代から犂をつけてひかせているのです。
騎馬民族の末裔というのは、そのあたりまで分布しているのです。
乗馬技術がそれから東へはひろがっていったでしょうが、いわゆる騎馬民族
は、それから東へ容易にひろがっていかなかったのではないか。」
宮本氏の騎馬民族と云われるのは家畜飼育文化要素のことです。
高句麗人が東日本に多く移住しても、文化全体が伝わった訳でも無く、
アムールのポリツエ文化人の家畜飼育文化に比べ、日本列島が家畜飼育に
乏しいので、沿海州からの人の移動が無かったと云えんのと同じです。

715 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:52:29 ID:+DueJSye]
>>704
ほいで、中国の最大の交易品が陶器云う根拠はどがあなもんですか?
織物の方が需要が高いと思うんですが。
>>706-707
シベリア等の北方民族に抜歯はあったんですか?2番目に挙げたサイトの
下野氏の「渡来人が、縄文人の抜歯を真似た、とは考えられないよね。
独自にその風習を持った、大陸系の民族が、日本海岸に上陸した。としか
考えようがない。そして事実、同じ形質を備え、しかも抜歯の跡のある
頭蓋骨が中国の山東省からでも見つかっている。これは当然、つながって
いるよ、土井ヶ浜に。(以下省略)」は無視ですか?
春成秀爾氏の4000年前の抜歯が仙台付近の例を挙げてないですが?
春成氏の縄文晩期の中部日本の習俗とされとるんじゃなかったか。
>>708
あんた自身が確認出来ていません。つまり空理空論の自爆で笑いましたよ。

716 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:59:01 ID:+DueJSye]
>>711
Bのえらは張る。と云うことは、縄文系のえらの張った形質と混血し、
>>710氏は、古モンゴロイド要素もある云うことか。面白いのう。

717 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/18(土) 01:56:04 ID:cfCHVpDi]
>>715
こちらもそれ以上の抜歯の情報がないものですから、あくまで
推測の域を出ない訳ですよ。

それにポリツェ文化が何世紀頃から何世紀頃までという時代区分が全く
分かりませんので是非教えていただきたい。
ただポリツェ文化は鉄器文化という事ですので弥生時代開始よりも
相当後の文化だという事だけは分かりますよ。

それと伝来した文物はその後の変化したり消滅したりという事は
分かりますが、伝来当初の文物の原型は遺物として残ると先述しましたよ。
牛車は東国には及ばなかったけれども、日本にしっかり伝わっています。

騎馬民族が出たとたんにコミックになってしまいますのであまりコメント
しませんが、馬型埴輪と須恵器の登場が一致するところやそのころの文献に
秦氏しか登場しないところから見ても騎馬民族の正体は秦氏の事でしょう。

718 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/18(土) 02:03:17 ID:cfCHVpDi]
楽浪・帯方漢人の末裔であった秦氏が漢人式の騎馬文化に、のちに
伝わってきた扶余の満州式の騎馬文化が融合した当時の朝鮮半島の
騎馬文化を持ち込んだだけでしょう。

高句麗人を東日本に強制移住後、ほどなく東日本に須恵器が登場
してきますし、ポリツェ文化に家畜文化があっても家畜文化が伝わる
前に人が移動してきてしまえば家畜文化が伝わる訳もないのです。

中国の最大の交易品が陶器という根拠はその後本格的に始まる中国との
貿易での最大の交易品が青磁や白磁などの中国陶磁器だったからですよ。

それに別に一方的な渡来のみでなく、いわゆる遣隋使・遣唐使スタイルで
こちらから訪問滞在しても抜歯形式くらい享受できる訳ですし、抜歯の跡の
ある頭蓋骨が中国の山東省から見つかっていると言っても、その他アジアの
莫大な地域のほとんどが発掘調査されていないというのが現状でして、
あくまで参考程度までにしかならない一材料に過ぎないというのが正直な
ところでしょう。

719 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/18(土) 02:11:40 ID:l6SLRr46]
支石墓も胡散臭い中国絡みだなw
北廻り、南回り系があるらしいw



720 名前:XYZ [2007/08/18(土) 03:26:49 ID:6CqwxIew]
>>702-703
いいえ、わたしはその話が矛盾しているとは感じていません。
むしろ、わたしは大いに納得しています。全くその通りでしょう。
要するに“感性”が大事、ということですね。バターでしょうが肉でしょうが
摂り過ぎが良くないというだけでして、それらを日々の生活の中でどのくらい摂取するかは、
それらを摂取する一人ひとりの感性(この場合“感覚”とも表現されるでしょうか)に依ります。
この点で、その話の中の当時恵まれてはいなかった「スペインの住民」達などは優れていて、
恵まれていない中でもそれなりにバランスのとれた食生活をする“感性”が備わっていた
ということでしょう。
また、肉体的にも“物”に恵まれていない環境(社会)のほうが、“身体”を使っての
労働(行動)が多く、それにより身体が鍛えられ、且つ行動が怠惰になりません。
一方で、現在の日本などの社会では“情報(教養)”も“(科学)技術”も人々に
普及してはいますが、肝心の“感性”や“身体”が悪く(鈍く)あるいは弱くなっています
が為に、往々にしてそれらが正しい“行動”に結びついてはいません。
といいますよりも、害になっていると言ってもよいかもしれません…。
(続)

721 名前:XYZ [2007/08/18(土) 03:32:57 ID:6CqwxIew]
(続)
ひとつその話にわたしはツッコミを入れますと、
> 国家的訓育的権威が、外部から与えられるものに対し、
は、それは「訓育」というよりも「教育」と表記されるべきでしょう。
国家というもの(の法律)により外部から物理的な強制力をともなって施される
教育こそが「教育」でして、教育用語としての「訓育」は、まさにその後の
> 宗教法の場合、その抑制力は内面に生まれるものであるから、
> 自立の気風を損ないはしない。
にあるような、宗教倫理に基づく内面的な抑制心を育む教育の事を指します。
これは簡単に言いますと「しつけ」ですね。
つまり、この話は先ほどの話にも共通しますが、
現代社会では国家による強制的な教育によって“知(頭)”は育まれていましても、
“心”は育まれてはいないという事ですね。昔の社会ではこの“心”を育む為に、
各々の家庭において宗教倫理に基づく「しつけ」がしっかりと施されていたという事でしょう。
これは物理的な強制力(暴力)に基づくものではありません。
(※厳密な意味では、「しつけ」において「叱る」事が音の“暴力”に入るとも
思われますが、それはこの場合ではありません)

722 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/19(日) 04:19:42 ID:du0ExRUr]
約半々であった縄文人と弥生人

 それでは、日本人の由来はどうだったのだろうか。結論から言えば、ミトコンドリアでははっきり、
縄文系と渡来系弥生人に別れなかった。それでも様々に推定されてはいるが、これが縄文系のミトコンドリア、
これが弥生系渡来人のミトコンドリアとは単純に別れなかったのだ。

 この理由は中国を含む近隣の地域のミトコンドリアが多様であり、日本も多様だったからである。
ミトコンドリアは分岐して多様化した年代が古いので、縄文人と渡来人の区別がはっきり付かなかったのである。

 しかし、多様化した年代が新しいY染色体は違った。縄文系と渡来系が、だいたいはっきり別れたのである。
そして、縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率は、だいたい半々であった。これは意外である。
(中堀豊『Y染色体から見た日本人』岩波書店,2005、あるいは、最新の研究 www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf を参照)

 Y染色体から見ると日本人の三分の一から半分は中国で大多数の系統(中国や東南アジアで多数を占めるO型と)
であり、渡来系弥生人が持っていたと思われるタイプである。しかしもう半分は、ほとんどチベットにしかないD型と、
広く環太平洋に見られるC型の混合である。いわゆる縄文系である。D型とC型に別れるのは縄文系もやはり二種類に
分かれるという一部で言われていた説を、ある程度裏付ける結果である。フィンランド人や東シベリアのウラル語族に
多いN型も数%ある。このN型は遺伝的にはO型の兄弟ではあるが分岐年代は1万年以前であり、これらの民族は
北極近辺に集中している。もしかするとN型はO型に近くても「渡来人」系ではなくて、「縄文人」系なのかもしれない。

 この結果からいえることは金属器と稲作を持ってきた弥生人が増えるのと併走して、なぜか縄文人の遺伝子も
爆発的に増えてきたのである。

ethol.zool.kyoto-u.ac.jp/kura/JapanEemp/FameleEmp/1-3.htm

723 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/19(日) 04:22:50 ID:boM8EZ9L]
>>721(訂正)
文中、かぎ括弧付きの
「教育」→「教授」
に訂正させてもらいます。

724 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/19(日) 04:32:30 ID:boM8EZ9L]
紛らわしくてすみません。

725 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/19(日) 22:32:29 ID:arx7NXm7]
 白馬青牛様、えらが張るのは、朝鮮半島からアムール川領域の新モンゴ
ロイドとイヌイットの最も顕著な特徴です。縄文系も顎が発達しますが、
形態は大きく異なり、縄文系はえらの発達より、顎のおとがいが発達し、
俗に言うあご割れの状態になります。日本列島にYAP+の遺伝子もたらし
た縄文人の末裔を形態的に見分けるなら、おとがいを見るのが手っ取り早
いでしょう。



726 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/20(月) 21:21:20 ID:bfxNobWM]
>>725
>えらが張るのは、朝鮮半島からアムール川領域の新モンゴロイドと
>イヌイットの最も顕著な特徴



で、これらのソースは?




727 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/20(月) 21:42:16 ID:FcDh+Ejh]
>>726
片桐はいり





728 名前:白馬青牛 [2007/08/20(月) 22:31:30 ID:VoT6usJ0]
>>717
抜歯地域の習俗地域から南方の可能性が強いよ。
ポリツェ文化(BC1000年〜AD3〜4世紀、アムール川南部と
朝鮮北東部に広まった初期鉄器文化で、前ウリル文化と後の靺鞨文化との
間になる。)は、経済活動は狩猟・漁撈と供に、住居址からキビなどの
農耕穀物と、豚が多いですが、牛・馬の骨も現れ家畜飼育民でもあります。
弥生文化とポリツェ文化は、土器の類似、有肩石斧などが指摘されて
います。弥生時代開始も、出来るだけ年代を古くしたいとするんは、
あんたが参考にされた、江南渡来説派の国立民俗博物館教授の
春成秀爾氏あたりじゃないんですか。
伝来当初の原型が残る云う根拠は何ですか?
牛車も西日本までで、東日本では未だありませんし、犂文化も西日本が
中心です。東西日本を政治国家的な要素で同一視しても、文化領域区分で
は意味をなしません。騎馬民族がコミック云う意味は何ですか?
そのころの文献云うても4〜6世紀に我が国に文献もありませんよ。

729 名前:白馬青牛 [2007/08/20(月) 23:11:01 ID:VoT6usJ0]
>>718
秦氏が、楽浪・帯方の漢人の末裔か、楽浪に移住したチベット・ビルマ系の
秦人の末裔か諸説ありますが、土木技術に巧みなところは、チベット・
ビルマ系の秦人の要素が強いと思いますし、秦氏が聖武天皇の騎馬護衛兵で
平安期も随身の家柄という武人的要素もあります。秦氏の騎馬・武人的
要素は秦韓よりも4世紀以降の北方民族の南下にあったとも思われます。
その秦氏以上に騎馬要素の強い同じく朝廷の騎馬護衛をした東西文氏、
特に東漢氏は、神牛伝説や、新沢千塚古墳の鮮卑慕容部的要素、金飾、
歩揺の類似、慕容氏の名は歩揺から出たと『晋書』にありますが、慕容部は
青海にも移住してモンゴル系土族の祖先にもなりました。そうすると、
漢氏・秦氏もYAP+の多い地域の青海省と日本にも移住したと云う
面白い現象となります。>>722の縄文人だけでYAP+とは云えん
訳じゃし、(宝来氏のDNAでは65%以上は弥生以降の渡来系とされ、
形質人類学でも7割以上は渡来系。その点YAPは、HLAやDNAより
精度が低くアジア北部と南部の人種分類も出来ん。)今後の成果次第と
云うことか。




730 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 00:02:37 ID:VoT6usJ0]
>>718
陶器云う後の時代を云われても、絹は出土品に残り憎いので無視ですか。
出土品で残るのはごく一部ですよ。消費するもんなんか余り残りません。
>>721
『歴史序説』森本公誠訳、では「訓育」です。公権威に恭順する限り、
「教受」より「訓育」の方が良いと思います。個人の信仰、自己抑制は
自己の内面ですから「訓育」適当で無いと思うのです。生活の「躾」は、
遊牧民の方が厳しいですね。よその家へ行って、腹が減ったと言うな。
逆に人が訪ねてきたら、自分の糧が無くとも客人に食べ物を与えるとか、
市場などで、人前でものを食うのは農耕民のやることで我々がやっては
いかん等。日本人の習慣も、つい最近までは歩きながら物を食べる行為は
恥でしたが、最近では恥を知らん行動を取る人達が増えてます。
ファースト・フードを歩きながら食べるアメリカ風に染まったんでしょう。

731 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:14:22 ID:h5P0HVCt]
大?(モン)口文化の頃に江蘇省あたりの人骨が高顔扁平に急変するんですよ。
だから抜歯は北方の可能性も高いですよ。それ以前に北方の発掘調査を
日本はほとんどしてないですから報告自体も無くて何とも言えませんが。

それとポリツェ文化情報ありがとうございました。
ただポリツェ文化は開始当初から鉄器使用や家畜飼育はしていたのでしょうか?

それと逆に伝来当初の原型が遺物として残らないものなんてあるんですかね?
牛車も犂も東国まで及ばなかったがちゃんと日本に伝わっているではないですか。

それと、また騎馬民族ですか・・・

例えば弥生人が北方からだという証拠の一つに言葉の一致点が多い事が
あげられるんですが、では、騎馬民族の言葉の一つくらい馬具などに
残っているでしょうから一つ教えていただけませんでしょうか?

732 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:15:03 ID:h5P0HVCt]

その前に私から一つ、例えば、幼いという意味の「おぼこ」とか「おぼこい」
って関西方言、広島にもあるでしょう?

オホーツクヤクートも幼い事を「obo」って言うんですよね。

それとその頃の事が書かれた文献とはもちろん日本書紀の事ですが、
仲哀天皇が秦氏を呼んだという話はあっても騎馬民族が来たとか
いう話はあるんでしょうか?

それと秦氏がチベットだとか北方民族だとか言ってるけど、
騎馬文化に高句麗などの北方の影響はあったでしょうが、青牛氏は
兵馬俑をご存知なんだろうか・・・

733 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:26:43 ID:h5P0HVCt]
それと宝来ミトコンドリアは調査サンプルに北方のサンプルが一つも
ないんですよ。

大昔から北方民族が流入し続けた中国と朝鮮。

なのに中国と朝鮮のミトコンドリアには北方のミトコンドリアが一つも無い
おかしさ。

全部、中国と朝鮮のミトコンドリアになっています。

734 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:36:34 ID:96RzHPd4]
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129

DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、
なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw

735 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 00:52:55 ID:kSc59Hpv]
>>725
えらが張るんが、朝鮮半島からアムール川流域とイヌイットの最も顕著な
特徴?後ろから歩いても、えらが張っとるんが解るんは中国南部や台湾人の
方が多いんじゃないですか(顎の細い逆三角形型もおりますが)。
韓国人と沖縄人を較べても、顔が横に広がった形質が多いんは、沖縄人の方
ですし。まあ、北方顔と南方顔の違いは、ある程度区別出来ると思います。
www.recordchina.co.jp/category.php?type=6
少数民族で北方系から南方系と様々な民族の女性が出てますが、
下の方に出ておるモン・クメール系ワ族や、その下のチベット系ラフ族は
南方系のエキゾチックな美女です。チベット系でも四川やチベットや
ブータンは北方顔が多いですが、四川の一部や雲南では南方顔が増えます。
その下のツングース系オロチョン族の女性は四角っぽいシベリアや
モンゴルにも多い北方顔です。
ワ族の左隣のチベット系イ族女性もやや南方系ですか。その左隣の満洲族の
女性、真ん中の下から数えて5番目にも満洲族の踊りでも、女性が出て
ますが、狭顔の北方顔、ベルツ博士の云われる日本の上流階級の顔で、
一般に最も日本人に近い顔でもあります。他に韓国の女性も上の方に出て
ますが、エキゾチックな美女南方系ワ族の女性の方がエラが張っています。

736 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 01:54:03 ID:kSc59Hpv]
>>731-732
シベリアや内蒙古の紅山文化に抜歯があれば、北方経由も考えられますが、
殷の北方、南方混合文化より南ですから北方起源の可能性は薄いでしょう。
ロシアのデレヴャンコ先生は、紀元前1000年紀の後半には鉄器使用していた
とされます。家畜飼育はポリツェ文化の前のウリル文化の段階で
ありました。
弥生人の言語など到底解明出来ませんし、そがあな証拠もありません。
高句麗語と古代日本語の数詞等類似点はありますが、その高句麗語も
全体的に解明されていません。騎馬民族と云うても、同一言語の集団で
はありませんし、馬具の言葉は解りません。
トルコ系のヤクート語はそうですか。隣人のブリヤート語obokは、氏族。
obuは満州語で分け前。意味が違って来ます。広島じゃあ、「おぼこい」
云いません。日本書紀は後世のものですよ。しかも、伝承や記述など、
モチーフなど地域間の比較対称になりますが、文献に書いてあるから
真実じゃ云うたら電波になります。秦は元来西戎遊牧民でしょう。
秦の兵馬俑は今年も広島の美術舘で拝見しましたが、何か。

737 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 04:32:31 ID:96RzHPd4]
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129

DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、
なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw

738 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/22(水) 16:01:00 ID:Dl2uAaDx]
>>730
いいえ、漢字で訓育の「訓」の意味こそ内的規範、つまり倫理や道徳をおしえるという
意味でして、教授・教育の「教」の意味こそ人間が公権威というものを“つくり出し”た
上で、知識や技芸をおしえるという意味です。躾(この字は国字)は訓育の俗称です。
すみません、度々込み入った話になりまして。ただ、わたしは教育に関しましては
強い関心とこだわりがあるのです。信念といいますか信条といいますか…。
まぁ、わたしはあなたとは本質的な解釈に違いは無いと思います。
ついでですが、「食べ歩き」はアメリカの影響かもしれませんが、ファストフード文化は
世界中でも日本は最も進行していた(いる)部類の国なのかもしれませんよ!
寿司、そば、天ぷら、牛丼、たこ焼き(この二つは最近ですね)……などなど。
食べ方も、わたしは日本人ほど速い人々は他にはいないのではないかと思うくらい
皆さん速いですし(特に若い世代の男性)…。
こうした習慣も“豊かで貧しい”社会の表れなのでしょうね…。(嘆)

739 名前:白馬青牛 [2007/08/22(水) 23:07:58 ID:y4gKnHny]
>>738
漢字で「訓」の意味なら、「説き導く」や「戒め」の意味もありますが、
「したがう」と云う意味もあります。
「訓育」となると、内的規範より外部からの「知」の感化の要素が強いと
思います。「躾」は日本語ですが、所属する共同体のモラル、日常生活の
あり方を教える形態じゃと思うんですが。まあ細部の言葉の意味より、
本質的にどう考えるかが重要です。
江戸期のファースト・フード文化は、現代のジャンク・フード文化と
違うと思うのですが、確かに短時間で調理出来る日本食の一面ですね。
わし自身蕎麦は好きですが、シャコの鮨ネタは、水分が無く、素材を
殺しておるようで好みません。全体的に鮨より、素材を生かした刺身の方が
好きです。食事時間が短いのも、軍隊の非常時が常の状態は別として、
ゆっくり味わい喰う方が良いでしょう。しかし日本食自体、短時間で食える
要素が強い面があります。中国人は戦場でも冷や飯を食べず、温かく飯を
炊いて食べる習慣が戦前ありました。現在は中国でも日本料理の影響で
冷や飯の鮨、寿司を食べるようですが。



740 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/22(水) 23:13:21 ID:Cg7Co/g2]
魚を生で食べる文化はやっぱ魚肉が腐らないシベリアだろうな。

741 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/22(水) 23:37:20 ID:gpMcHGPJ]
なれ鮨なども含めて東南アジアや雲南省と日本共通の文化です

742 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 00:09:25 ID:YPXW3u+3]
>>738
そう云えば、戦前広島県の呉では、日本の海軍上層部(佐官級)の
子息達は、弁当に冷や飯は喰わんかったようです。女中さんが昼前に
温かい弁当を持って来ます。「支那人みたいなのう。」冷や飯を
喰う人達は揶揄したそうです。庶民が貧窮し芋しか無い時でも
温かい飯ですから、生活格差はひどかったですね。
陸軍の将校も兵も同じ釜の飯を喰うんと違い、海軍は万事英国風で
上層部と末端の人達と食事メニューが違いますし。現在の自衛隊でも
受け継がれておるようです。
英国風と悪口を云いましたが、英国上層部が学ぶパブリック・スクールは、
当時、十分な食事は一日一回だけで粗食に耐えることも重要でした。
知性は低く見られ、風呂の水は冷たく寮は寒い。それが人格を陶冶し、
紳士を作るものとされてましたが、日本では上層部は贅六で駄目ですね。
感心な処を英国から学んでない。贅沢は敵と庶民に押し付けるだけです。
日本軍の兵や下士官が優秀で上層将校が無能なんもその例です。
昔から一部の教師が自ら規範を持ち生徒を導いた例もありますが、
全体的に日本の教育は優秀(エリート)な粗悪品の大量生産が伝統で、
日本の近代化以降の負の遺産ですね。

743 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 00:57:55 ID:YPXW3u+3]
>>740-741
魚を生で食べる文化は、ツングース系ホジェン(ナナイ)族から
アムール諸民族、イヌイットの場合は海獣も含む満州、シベリア〜
日本、北アメリカまでの北方文化で魚を醗酵し食す文化は温かい
東南アジア系が一般的であるが、醗酵文化は北方にもある。
www.lbri.go.jp/omia/16/16-2.html#1
滋賀県近江のエリが<中国大陸から来たエリ>に、大陸起源で農耕民云々は
別として高句麗系移民によって、「塩と蒸し米=御飯で漬物とし、醗酵
させたもので、」「黄河以南、特に揚子江周辺あるいは以南では気温が
高いために同様な作り方をしても「シオカラ」ないし魚醤油状になり■の
ような魚体形のまま醗酵魚にはなりません。」
<エリの原型と変容>に、「大陸東北部の遼寧省で、戦前、
迷封(ミィフオン)漁業という琵琶湖のエリとまったく同原理の漁法が
確認されていました。遼寧省の、その昔高句麗のあった地域で行われて
いたのです。」後にも大陸南部の広東省の「棚箔」等と原理が違うことが
書いてあるが、日本の漁労文化の比重は南方系よりも北方系の比重が強い。
捕鯨も江南〜東南アジアで無く、東北アジアに顕著であるし。


744 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/23(木) 20:40:48 ID:vmZRNwW/]
エラは普通、中国人の形質として有名なのであって、朝鮮人の形質だとか
見聞したのは私も2chが初めてですね。

観光で現地の朝鮮人たちの顔を観察していて、朝鮮人で目立った形質は
頬骨の飛び出た、やや扁平な広顔で輪郭が角張っていて絶壁頭が多い事
でしょう。

やはりアジア人も北上するに従い我々日本人の顔に似てきますね。
オロチョンの顔は西日本人によく見る顔ですよ。

それと毎度、ポリツェ文化情報をありがとうございます。
弥生人はポリツェ文化人ではないにしろ、ポリツェ文化人とはかなり近い
間柄の人類集団でしょうね。ポリツェ文化での鉄器登場を考えると
弥生開始に鉄器がないのも納得できるし、弥生人は犬を連れてきたとも
聞いていますよ。

745 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/23(木) 20:41:28 ID:vmZRNwW/]
しかし、騎馬民族の持ち込んだ言葉が一つも分からないというのは
どうも納得いきませんな。

納得はいかないけれども、ただ、これ以上、追求もしませんよ。
ため息しか出ませんから。

文献に書いてある事が全部真実だというならただの電波ですが、
一級資料とあろう文献が全部作り話だというのもただの電波ですよ。
何か書き残すべき出来事があったからこそ、真実なり虚構なり、
その出来事をきっかけにして書かれている訳ですから。

ただ、文献に全く触れられてもいない、虚構さえ出てこない、そんな
とりとめもない話、どのくらい信憑性があるというのでしょう。

秦の始皇帝のシンボルは鼎。元来中原人でしょう。
ただ秦は西戎遊牧民の影響も受けているというなら話は分かります。

それと魚の生食文化と醗酵文化、非常に参考になりましたよTHX

746 名前:XYZ [2007/08/23(木) 22:13:38 ID:QPLOSd9p]
>>739,>>742-743
いや〜、スレの本題には直接関係無い話でしょうが、実に面白いですね。
そしてあなた本当に物知りですね! プロの人かな…?
ところで、そうですか、支那の人は戦場におきましてもご飯をしっかり温めて
食べていたのですね? わたしが以前見たTV番組では、支那には「真不同」という
言葉があるそうでして、気候の暑い夏場におきましてもスペインやイタリアの料理にある
“ガスパチョ”のような冷たいスープなどは体の事を考え、摂らないのだそうです。
それだけ、体を労わる精神とある意味での‘美味しさ’を求める習慣があったのかも
しれません。
わたしは日本食も好きですが、基本的には火を通した料理のほうが好きですから
外国の料理の方が美味しいと思う時はしばしばあります。わたしは日本食は見た目が
整然としていて見る分には良いのですが、味はイマイチというものも多いと思います。
また、生モノや調理が手軽なものも多く、その点で味覚を追求する精神にも欠けている
ようにもわたしには思われます。勿論そうではないものありますが。
丁度これは、西洋におけますブリトゥンの料理に通じる所があるのではないでしょうか?
よくブリトゥン料理も、西洋料理の中では簡素であまり美味しくないというように
言う人々がいますしね。どちらもその地域においての地理的・歴史的な情勢や
経済的・社会的な環境が似ているからなのでしょうかね…?

747 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/23(木) 22:27:42 ID:QPLOSd9p]
>>746(訂正)
 情勢 ⇔ 環境 
のほうが良いかもしれませんね。

748 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 23:46:32 ID:6pnKfYxY]
>>744-745
エラの張った形質は、古モンゴロイドの遺伝子的には北方のアイヌ系や
遺伝子的には南方系の中国南部以南の傾向ですから、嫌韓厨の工作活動で
しょう。朝鮮人は広顔と云うより中顔傾向にあります。
朝鮮半島でも北部と南部では容貌が違うんは、日本列島でも西日本と
東日本が違うようなもんです。西日本に、エヴェンキ的広顔容貌が東日本
より多いと思いますが、西日本は、概ね満洲的狭顔の方が多いと思います。
モンゴルや満洲・アムールでも北上するほどエヴェンキ的広顔が増えます。
ポリツェ文化人の?婁は「其人形夫餘」と容貌は夫餘あるいは高句麗人に
似ておったんでしょうが、アムールと渡来系弥生人との類似は、
石田肇氏の云われる顔面平坦度以外確認出来ません。
騎馬民族の言葉でも、トルコ系の馬(at)と、モンゴル・漢・満洲・朝鮮
・日本のm音とは違います。文献は為政者にとって都合の悪いことは
書きませんし、書き残すより隠す作業でしょう。中原人と云われても、
周人は西方から渡来したオアシス系麦栽培の農牧民でしょう。
中原人の戦車文化も西方オリジンで、中原文化自体混合文化です。
秦は初期には異民族視された甘粛省渭水上流の遊牧民じゃないですか。

749 名前:白馬青牛 [2007/08/24(金) 00:33:15 ID:7NexROor]
>>746
いいえ、物知りではありませんし、隠蔽を得意とするプロ学界の人間では
ありません。中国人は冷や飯を食べませんし、台湾でも弁当を温めて
食べるようです。
そうですか。火を通した料理の方が文明的とは云えますが、わし自身は
素材の味を活かした簡素な日本料理の方が好きです。
まあ、瀬戸内地方の人間は、日本海の魚は大味で駄目じゃとか、
太平洋に至っては鮪を高級とする味を知らん云々など、素材に拘る面が
あります。
わしは、魚や獣肉類でも刺身か塩焼きが好きで、野菜と一緒に味付けし
炒めたり煮たりの料理は毎度食べると飽きます。日本料理が、まずいと
評判のブリトン、英国料理と同じとは思いませんが、素朴な料理と云う
意味においては共通性もあるでしょうが、海産物の豊富さは日本でしょう。
アイルランド人も海草を喰えば、飢えて新大陸や豪州に多くの移住者を
出すこともなかったと思うのですが。ただし、ウエィルズ人は海苔を食べる
文化があるようで、同じケルト系でもゲール人とブリトン人は多少違う
ようですね。ブリトン人はフランス(ガリア人)や特に同国の
ブルターニュ地方との関連が強いせいでしょうか。



750 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 11:09:04 ID:sSZTlRmq]
>>742 白馬青牛さん、御暑うございます。
「178年 中国 後漢書によると、鮮卑王 檀石塊(だんせっかい)が倭人国を襲い、
倭人を捕らえる」
homepage2.nifty.com/amanokuni/wani.htm
「107年 是年 倭の国王 師升ら、後漢に生口160人をおくり謁見を求める」これを
倭国が楽浪から洛陽に至る河川・海岸域を確保していたから、倭人が半島を通過中の
段階であったとも倭人が半島を通過中の段階であったともともいえますが、
もう一つには烏桓、蒙古語ukhaghan(賢),unagan(奴隷)をもって倭人とした。
この倭人が「後漢時代に中国寄りに移動してその北辺防衛部隊となり,後漢末の
混乱期に大同団結し袁紹に通じたが,207年(建安12)曹操に撃破され四散した。」
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A1%93  
これが近江、烏丸半島
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E4%B8%B8%E5%8D%8A%E5%B3%B6
和邇川
agua.jpn.org/biwa/wani.html
こうした方面を経由大和に入り、大和朝廷の重臣となり、後には和邇部君手等を
出したのではないかと思いますが、どうでしょうか。 
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%8F%A5%E9%83%A8%E5%90%9B%E6%89%8B 

751 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 11:16:37 ID:sSZTlRmq]
帥升に同行した琵琶湖漁民の末裔が大陸で鮮卑・檀石槐に抑留され、漁業技術を
奪われたということと、烏桓亡命が一緒になったということもありえましょうか。つまり、
亡命者と引揚者の集団というか。

752 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 12:08:01 ID:sSZTlRmq]
「再び大地を踏んだ山幸彦は、3年前の兄の仕打ちに対する報復として海神から授かっ
た呪文を使い、兄の国をたちまち貧乏にしてしまった。これに怒った海幸彦は山幸彦の
国へと攻めかかるが、山幸彦は兄を塩満玉によって溺れさせ、兄が命乞いをすると塩
乾玉の力で助けたという。これによって海幸彦は山幸彦へと服従を誓わされて、山幸彦
はめでたく支配者となった。一般に、海の民隼人(ハヤト)の筑紫朝廷への屈服を表す
神話といわれている。 やがて妻の豊玉姫命が臨月を迎え、お産のために夫のもとを訪
れた。いよいよ出産が迫ったときに、豊玉姫命は夫に「決してお産をする姿を見ないでく
ださいね。」と言い置いて産屋へと入った。しかし山幸彦も好奇心いっぱいの若者。そん
なことを言われて黙っていられるはずがない。彼がこっそりと産屋を覗くと、そこには身
をもがく八尋(ヤヒロ:一尋=180p)のワニの姿があった。出産後にこのことを知った豊
玉姫命はこれを恥じ、夫を恨んで我が子を置いて海へと帰っていった。」
www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html
www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-10.html
これは朝廷の起源を黙示するのではないかとおむのですが。

753 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/24(金) 23:54:44 ID:bRvKPWbV]
>>748
嫌韓厨と言うよりもあれは在日台湾人の工作員だともう明言しておきますよ。
彼らのおかげで私の積年の朝鮮人嫌いも逆に吹き飛んだわけですが。

アムールと渡来系弥生人との頭蓋の類似は石田肇の他に故埴原和郎の
Qモード調査なんかもありまして、これは形質研究者には必見ものです。

そういう為政者による工作文献もありましょうが、そんなものはごく一部
に過ぎず、ほとんどが事実を書き残しただけのものでしょう。
騎馬民族の襲来と定着という極めて大きな出来事を完全に隠蔽する必要が
どこにあるんでしょうか。おまけに伝承もないのでは話になりませんよ。
ならば、フン族やゲルマン人やヴァイキングの征服はどうして隠蔽されていないのか。

商周文化が中央アジアの商人から小麦文化や馬車文化など西方文化の
影響も受けていた文化だと言うなら話は分かりますが、商周文化人は
三足土器人ですよ。西方のように小麦粉を焼いて食べていたのではなく、
麦も米も穀類は全て三足土器で蒸して食べていたのですよ。
異民族があってもやはり中心は土着系のようですね。

754 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/25(土) 00:02:37 ID:IUPME1bW]
前にも台湾でそんな事件があったよ。
こっちは変態台湾兄弟が5歳の女の子にチンチンを強制挿入。

169 :美麗島の名無桑:2007/07/12(木) 13:20:36
【輪姦】梅毒兄弟 輪姦5歳女童 逼童母在旁觀獸行「大伯的鳥鳥好臭」
「乾?、大伯用尿尿的地方,插進我尿尿的地方。」
梅毒兄弟 五歳の女の子を輪姦 母親を犯行の一部始終を見させる
「おじさんのチンチンは臭い」「おじさん達はおしっこのトコロを私
のおしっこのトコロに入れた」
1-apple.com.tw/apple/index.cfm?Fuseaction=Article&Sec_ID=5&ShowDate=20070711&NewsType=twapple&Loc=TP&Art_ID=3633314





755 名前:白馬青牛 [2007/08/25(土) 01:18:42 ID:zuMHvvDP]
>>750
残暑厳しゅうございます。『後漢書』鮮卑伝に、光和元年(178)
檀石槐が、倭人国を撃ち千余家を得、従して秦水のほとりに住まわせ、
魚を捕らせて食糧を捕助した話ですね。三上次男氏は、倭人は?
(穢、ワイ)と同質で北東アジアの水辺居住民族の総称とされます。
穢が日本海側に対し倭が黄海側ですか。
倭人が食糧を提供する集団で、武闘集団の要素は薄いと思うのですが。
また和邇氏になったかどうか解りません。

756 名前:白馬青牛 [2007/08/25(土) 02:21:16 ID:zuMHvvDP]
>>753
ちんみに、石田肇氏は、顔面平坦度からは、渡来系が現代の
アムールの集団に近いということで、現代日本人はシベリアの人達よりも、
北中国人を含む中央アジア(中部)の集団に近いとされる。
埴原和郎氏は新石器時代のシベリアと縄文人との比較でシベリアに近いと
されとるゆえ、新モンゴロイドならシベリアでも華北でも近いことに
なります。
唐王室も鮮卑系ですが、隴西の李氏と漢人ぶって、出自を隠してますし、
日本も、徳川氏を始め近世の大名なんか寛永系図の捏造だらけです。
朝鮮も、李王朝もそうです。東アジアが隠蔽と捏造が好きなんは、今も
伝統としとります。
三足土器は、イラン・西アジアにもあります。中原の先史文化は、
土器・戦車等含め概ね、西方オリジンでしょう。

757 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 08:42:46 ID:SamBOFkN]
>>755
白馬青牛さんにシロコゴロフのツングース湖南省出身論を御教示いただいたことが
あるのですが、倭についてもその出自を長江中流域とする説があるやに聞きます。
また、戦国時代の長江下流域からは倭人同様の人骨が出土するということもあり、
三苗を含め幾度もの民族の北上があったのでしょうね。

758 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 09:48:27 ID:SamBOFkN]
>>755
>倭人は(穢、ワイ)と同質で北東アジアの水辺居住民族の総称
homepage3.nifty.com/alacarte/nanchuka12-chugokukodaibunmei.htm
↑これを見ると確かに倭人とは普遍的であり、遺伝、形質的に何らかの民族に
特定されるものではなく、生業的に水辺居住するものという意とも考えられますね。

759 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:27:39 ID:SamBOFkN]
言語学的に言うと、
「約 2,500年前に,身体語(※)や植物関係の語彙,数詞(注記 3),代名詞がビルマ系
諸語からもたらされて「日本祖語」が成立した。 中国の長江下流域(江南)に広く住んで
いたビルマ系語族を主とする人たちが水田稲作文化を携えてやってきたため。 彼等は
人口的には必ずしも多くなかったが,文化的・政治的な先進性のゆえに一時支配層を
形成した可能性がある。」「ビルマ系のロロ語が,日本語と,それほどまでに強くはな
いが,偶然以上の関係を示す。(ビルマ系の諸言語はとくに身体語などにおいて,日本
語と強い関係を示す)」
www.sun-inet.or.jp/~ryr58037/kr_orig.htm
ロロをイー族というが、
「イー族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖
でもあるといわれる。イー族は、南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきて
おり、現在では、雲南に最も多く居住している。
精霊信仰を行い、Bimawという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。」
「雲南北西部に住むイー族の多くは、複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イー(貴族)
と白イー(平民)に分けられていた。白イーと他民族は奴隷として扱われたが、高位の
奴隷は自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取る
こともあった。」
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E6%97%8F
ところが、これがYAP+なのであります。



760 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:29:34 ID:SamBOFkN]
Yi族を含む少数民族のYAP+率についての中国調査結果は
YAP+ Tibetan (36.0%), Naxi (37.5% and 25.5%), Zhuang (21.3%), Jingpo (12.5%), Miao (11.8%), Dai (11.4%, 10.0%, 3.3% and 2.0%), Yi (8.0%), Bai of Yunnan (6.7% and 6.0%),
Mongol of Inner Mongolia (4.3%), Tujia of Hunan (2.6%), Yao (2.2%) and Nu (1.8%)
219.238.6.200/article?code=01YC0226&jccode=06
YAP+ Zang 36.7%, Tu 23.8%, Yi 18.4%, Pumi 11.3%, Tajik 7.4%, Bai 6.7%, Jino 5.1%,
Shandong Han 4%, Mulao 2.7%, and Maonan 1.3%.
lib.bioinfo.pl/meid:7662

761 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:33:47 ID:SamBOFkN]
で、韓国語、日本語の基本的文法はアルタイ型で、両国語は細部においても文法的
には一致している。つまり、どこかでアルタイ語の統治権下にあった。私はそれを遼西・
綏遠であろうと想定します。あるいは、楽浪かもしれない。

762 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 11:45:51 ID:SamBOFkN]
倭人伝では生殺与奪の権をもつ大夫、「自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。」「下戸
與大人相逢道路、逡巡入草。傳辭説事、或蹲或跪、兩手據地、爲之恭敬。對應聲
曰噫、比如然諾。」「其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。」生殺与奪の権の行使
「其行來渡海詣中國、恒使一人、不梳頭、不去蟻蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人
、如喪人。 名之爲持衰。若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病、遭暴害、
便欲殺之、謂其持衰不謹。」奴隷制度によって生まれる、生口、「所獻男生口四人・
女生口六人・斑布二匹二、以到。」・・・これが「雲南北西部に住むイー族の多くは、
複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イー(貴族)と白イー(平民)に分けられていた。
白イーと他民族は奴隷として扱われたが、高位の奴隷は自分の土地を耕すことを
許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。」・・・なんとなく
これに似ている。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E6%97%8F

763 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 11:49:14 ID:SamBOFkN]
このYAP+は韓国をスキップして日本に入っており、イー族の例から上戸、下戸が
同族であり、異民族の征服によるものでないに留意する必要がある。

764 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/25(土) 20:31:11 ID:uwLQwwOM]
>>756
故埴原のQモード調査では、金隈遺跡など弥生前期の渡来人骨に一番近い
のはオロチ、ウルチ、ネギタルなどの現代のアムールあたりのツンギーデ
集団で現代朝鮮人骨とは全く異なっているのですが、なぜか現代日本人骨は
現代朝鮮人骨に極めて近くなっています。

おそらく、縄文時代の日本の古モンゴロイドや旧石器時代の華北や朝鮮半島の
古シニーデなど古い形質を持った人類集団が、北方アジアの北方モンゴロイド
集団と混成するといずれも似たような北方モンゴロイド的形質を帯びた形質に
変わるのではないかと考えていますよ。

それと出自を隠している事が分かったのはさらに昔の侵入なり征服なり
戦なり、それらによる王朝交代など、隠し通せない重大な出来事の記録が
方々に残っているからでしょう。

それと三足土器は西アジアよりも華北の方が登場が早いようですので、
交易を通して華北から西アジアに伝わっていった可能性の方が高いのでは
ないでしょうか。

765 名前:白馬青牛 [2007/08/26(日) 00:14:09 ID:OuCdo/0u]
>>757-758
シロコゴルフ氏はツングースの華中起源説で湖北以北です。
長江下流域が長江中流域と違い新モンゴロイド型の人骨が出土するだけで、
渡来系倭人との類似は山東等北部の方でしょう。苗族は南下してますが、
北上はしてないでしょう。
倭人が後世の倭寇のように、エスニック集団で人種概念じゃないですね。
九州の渡来系も在来縄文系も、朝鮮半島の水辺民も倭人です。
>>759
安本美典氏の、ビルマ系江南語は何でしょうか。江南にチベット・
ビルマ語を使うた民族も挙げておられん。架空を想定されても云う感が
あります。村山七郎氏の日本語と高句麗語では、山=高句麗tat、
日本語taka、海=高句麗語name、日本語namiになってます。
水は、高句麗語、me、日本語mi、女真語も、mi、満州語mukeとされます。
どうも江南&国粋派の安本氏は、架空の計量言語学に思えるんですが。

766 名前:白馬青牛 [2007/08/26(日) 01:20:01 ID:OuCdo/0u]
>>759-763
イ族は、黒イ(烏蕃)による白イ(白蕃)らを奴隷化した異民族支配です。
www.gesanmedo.or.jp/uli224.html
「烏蕃は、四川省西部から雲南省の山岳地帯に南進した騎馬遊牧民族で、
現在の黒イやナシ(Naxi)族の先祖に該当すると考えられているチベット系
集団の総称である。一方白蕃は、祖先がタイ系水稲耕作民であったと推定
され、早くから雲南省のいくつかの盆地に定住した。」
「奴隷階層のなかには、白イのほかに、たとえばタイ系の民族や
ミャオ(苗)族、漢族なども含まれることになった。」と、人種構成も
だいぶ違います。奴隷になった漢人は『イ族区横断記』曽昭?、1941年
でも出て来ます。その書で奴隷について、「奴隷は自由や独立の思想を
知らず、帝政ロシアの農奴に近い。ロシアの農奴は地主の土地つきで、
土地と供に売られたが、イ族の奴隷は、自分の土地を持っていても、主人が
勝手に売却できる。」当時の漢人でも驚く上下の断絶した奴隷社会でした。
まあ昔の西洋でも封建時代、領主にとって領民は私有物扱いでしたし、
「封建領主として当然の権利だ」とドイツのヘッセン伯の開き直りでした。
習俗も黒イのターバン、女性のプリーツ・スカート、他に未婚女性の
髪形は、カム(東部)チベット人に似ておりますが、白イは、女性の服装も
膝下ぐらい上着にズボンと違いがあります。

767 名前:白馬青牛 [2007/08/26(日) 02:05:10 ID:OuCdo/0u]
>>764
埴原和郎氏のQ相関係数では、現代日本人5集団の近畿地方人と中部、
新潟、千葉、東北の間に朝鮮人(戦前の北朝鮮の人骨データ)が入って
います。現代日本人5集団の中で、近畿地方のみ北朝鮮人より北方民族と
いう結果です。
華北人は、日本や朝鮮の縄文系よりはるかに北方民族でしょう。
中国歴代王朝出自も漢人系は、漢、宋、明以外は、ほぼ北方民族ですし、
春秋戦国時代の秦や中山のみならず、燕も解りませんし、周も殷も北方民族
要素があります。
三足等の土器は、西アジアの方が古いでしょう。
homepage2.mifty.com/yoshi_home/Miyoshi.html
彩文三足土器(BC3500)が出ております。中国華夏の彩陶も、
西アジア起源であるとアンダーソンやラコペリーの説が有力です。

768 名前:月光仮面 [2007/08/26(日) 09:03:51 ID:j3yhSGTZ]
白馬青牛さん
>>765-766 奴隷制度、非常に勉強になりました。
www.gesanmedo.or.jp/uli231.html
このPrimiのYAP+率(72.3%)は東アジア最大であるとされ↓
219.238.6.200/article?code=01YC0226&jccode=06
BC4世紀に青海西蔵高原を横断山脈に南下とされるが↓
en.wikipedia.org/wiki/Primi
ナシ族にも奴隷制度は残り↓更に又
www.gesanmedo.or.jp/uli237.html (ナシ)
>>765 イ族にもということですね。
www.gesanmedo.or.jp/uli224.html (イ)
「烏蕃は、四川省西部から雲南省の山岳地帯に南進した騎馬遊牧民族」との説は
ぺマ↓
www.gesanmedo.or.jp/uli244.html (ぺマ)
これは呼称からしても騎馬民族と思えますし、この写真の女性等はタタールに近いと
思いますが。
www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg

769 名前:月光仮面 [2007/08/26(日) 10:55:00 ID:j3yhSGTZ]
タタールといえばこの程度↓
www3.ocn.ne.jp/~kaiga/kuramusukoi_20re.jpg
ぺマ族の www.haruo-suwa.jp/photo/chousa1/kamen1.jpg
こうした仮面は夏時代のアルタイ・オークニェフ文化にあるし、「駁馬国 」Boma
というサカ族と対立した種族で日本の檜皮・校倉造りに住んでいた民族ではないか
と思われますね。駁馬の毛皮はスサノオがアマテラス工房に投げたとして糾弾され
たがタタールの葬送儀礼です。日本人にはフィンランド型のNというYDNAも残ってい
るし、ぺマ族の女性に似た人もいないでもない気がします。



770 名前:月光仮面 [2007/08/26(日) 11:04:27 ID:j3yhSGTZ]
夏時代のタクラマカン小河墓遺跡ではやはり墓碑はぺマ族同様男女別であり、
特に女性の柱にはぺマ族女性の墓の7旗と似て、7本の切れ目が付けてるが
これはクルドのヤズダン・エズィード教と似ているし、同族結婚は同じ。
男性の9本の旗はエジプトとの関係があるのかもしれません。

771 名前:XYZ [2007/08/26(日) 12:20:26 ID:L2wmmEEu]
いや〜、月光仮面さんと白馬青牛さんの話は面白いのですが、
参照ペイジを含め、読むのが大変ですね。
予備知識の無いわたしのような素人はまずついていけません。(悔)
あ、しかしお二人共気にしないでくださいよ。まぁそんな事もないでしょうけれど。
こうした話こそ学問板という感じでわたしは嬉しいです!

772 名前:XYZ [2007/08/26(日) 12:22:53 ID:L2wmmEEu]
>>749
「隠蔽を得意とする」とは何ですか色々なご経験がありそうですね…。(^^;
「アイルランド人も海草喰えば」とは面白い考えですね! たしかにそうした習慣が
ありましたら、“じゃがいも飢饉”も自国で乗り越える事が出来たのかもしれませんね。
ここでわたしは一つあなたに尋ねたいのですが、英国やアイルランドの料理には
日本料理のように海産物は豊富ではないのですか? 島国でしたらそうした点が似ていても
おかしくはないでしょうに…。豊富ではないのはなぜなのでしょう?
それと、>>742の英国と日本の比較の話、わたしには大変興味深かったです。
わたしはその旧日本軍の兵や下士官がどれほど優秀だったかは疑問に思いますが、
現在でも形だけは欧米の模倣をし中身はまるで違うという点におきましては、
わたしも日頃からつくづくそう思っています。その最大の理由のひとつは、
そのパブリック・スクールの例もそうですが、わたしはまず生活に宗教が根ざしているか
いないかが大きいのだと思います。西洋には必ずといってよいほど、生活全般に
キリスト教の精神が受け継がれていますよね? その点、日本はそうしたものが
非常に希薄であったりもします。この差が大きいのでしょう。
まぁこれも最近のアメリカやブリトゥンのなどの“経済大国”では、日本と同様に
薄れつつあるようですがね…。

773 名前:XYZ [2007/08/26(日) 12:39:44 ID:L2wmmEEu]
>>763
月光仮面さん、お初です。
唐突ですが、あなたは「下戸」の発生地はどこだと思っていますか?
また、現在のシベリア先住民族全般のアルコール耐性について、あなたは
詳しく知っていますか? もしそうでしたら、是非それを教えてもらえませんか?

>>白馬青牛さん
同上です。
尋ねてばかりですみません。しかしよろしく願います。

774 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/26(日) 15:20:17 ID:7rR6c8CY]
www.jbv.jp/player_woman.html
チョン顔ワン顔JAPワロスwwwwww



775 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/26(日) 15:41:14 ID:OH8T1UF7]
>>767
華北人は新石器時代の初頭までは確実に低顔で立体的な頭蓋の
集団であったのが新石器時代が終わる頃までには高顔扁平な頭蓋の
集団に変化しています。

中国のみならず、ツンギーデであるトルコ系が主に支配した
デリー・スルタン朝以降のインド、同じくトルコ系が支配した
セルジューク朝以降のトルコなど、長期に亘った異民族征服王朝は
ざらにありますが、支配層はいつも僅かですから、インドなら
インディーデやインドネラニーデ、トルコならトゥラニーデと
土着の被支配層の人種にはほとんどが変化を与えていません。

主に北方民族による中国の異民族征服王朝も同じような原理で
土着の被支配層の人種を根底から変えてしまう程には至らず、
形質的な影響を与える程度のものだったと思いますね。

華北の土着人口の圧倒的な多さも北方からのツンギーデ的な影響を
小さくした一因なのでしょうが、ツンギーデ的影響の強さは
一重まぶたの比率から見て、朝鮮人>日本人>華北人でしょう。

燕も周も殷も支配層はさておき、灰陶鬲を使う土着系が圧倒的でしょう。

確かに彩文土器(彩陶)は定説通り西アジア起源でしょう。
しかし、三足土器は黄河流域に早くも7000年前頃には登場してきます。
www.kaen-kaido.com/r_contents/manabu_event_frm04_2.html

明日からタイの某島に飛んで少し遅めのヴァカンスを取ってきますゆえ、
しばしの間、お休みを頂戴したく存じます。

776 名前:月光仮面 [2007/08/26(日) 16:36:19 ID:j3yhSGTZ]
>>773
陳寿の下戸でなく homepage1.nifty.com/koutarou/insyuryou.jpg
homepage1.nifty.com/koutarou/insyuidenshi.html はさっぱりですね。
この研究は日本が最先端のようで、「現在のシベリア先住民族全般のアルコール耐性」
などに現地で調査が進むのは先の先でしょう。
おそらくわれらの先祖は未来を透視し、「呑んだら乗るな、飲ませるな」の遺伝子操作
を行ったのかなー。

777 名前:白馬青牛 [2007/08/26(日) 23:03:43 ID:OuCdo/0u]
>>769
駮馬(トルコ語のala、alaqの音訳か?)は、「人の容貌は多く結骨と
似ているが、言語はたがいに通じない。」と、『新唐書』にありますね。
結骨(ハカス・キルギス)は、「髪赤く、瞳は緑色」と白人種じゃった
ようです。現在の中央アジアのキルギス人はモンゴロイド要素が強い
ですが、オークニェボ文化(前2千年頃、南シベリアのハカス地方の文化。
ムグル・サルゴンの岩壁画に描かれたマスクが特徴)人の末裔ハカス人は
コーカソイド(白人種)要素もあるそうです。またスキタイ騎馬民族文化の
動物闘争文は、前漢時代、雲南省のテン族の石寨山遺跡にもありますね。
白馬族はテイ族で、テイ族は五胡時代、征服王朝として、成漢や前秦を
建国し、前秦は華北全域を一時支配したほどですから、昔はかなり勢力を
持っておったでしょう。

778 名前:白馬青牛 [2007/08/26(日) 23:44:45 ID:OuCdo/0u]
>>770
墓碑の柱まで調べたことはないので、非常によい参考になります。
それと、五胡の中から鮮卑族が華北を統一し、北魏を経て隋、唐と
北朝政権になるんですが、鮮卑族は青海省でYAP+の多い土族の祖先と
なりましたが、鮮卑族の末裔と云えば、シボ族がおります。
www.recordchina.co.jp/group/g410.html
言語は、「満州語ーツングース語族の満州分支に属する。」
歴史に、「シボ族の人たちは鮮卑人の子孫。」4世紀前後に南下し、
北朝政権を作ったことと、「一部の鮮卑人たちは東北地方で生存し続けて、
今日のシボ族となった。」清朝時代に屯田兵として、新疆ウイグル自治区の
イリ地区に移住したことも出てます。
文化で、「シボ族の人たちは、狩猟と漁労によって生計を立ててきた。
新疆に移住したシボ族の人たちは水稲の栽培を主とし、牧畜業も兼ねて
いる。」と、水稲までするとは驚きですが、元来、狩猟・漁労の民は
水稲栽培に拒否感が薄いのかも知れません。

779 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 00:34:52 ID:1HwuP9bw]
>>772
英国やアイルランド等西洋の魚は、ニシン・タラ・鮭が中心で、
普通タコは食べません。地中海地方へ行くとタコを食べるのですが。
英国は、フイッシュ・アンド・チップスを食する人達ですから。
英国は、タンパク源の比重を海産物より、陸上からも補給する牧畜の
乳製品もありますし、家畜飼育に乏しい日本とは違います。逆に日本は
牧畜よりも、漁労に求めたとも云えます。また英国を含む西洋の歴史的
森林の減少は生活としての狩猟も成立しずらいですし、牧畜の比重を
重んじたんでしょう。
それと乳製品、乳腐の変わりに豆腐を利用した東アジアの特徴もあります。
華北の漢人も牧畜民ですが、乳文化がありません。満洲ツングース
(エヴェンキは馴鹿の乳を利用します。)朝鮮、日本の乳文化に乏しい。
大豆文化地域はそうです。



780 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 01:34:38 ID:1HwuP9bw]
>>772
旧日本軍の兵や下士官が優秀であったことは、ソ連軍ジューコフ将軍も
云うております。まあ下士官でも、戦功による抜擢された立派な人達と
違い、下士官根性と云う言葉のよう、幹部への盲目服従、上に諂い、
下に倣岸卑劣な要領マンも多かったことも事実です。
ヴィクトリア朝の英国紳士にはキリスト教のみでなく、異端のマニ教の
影響(8世紀末ウイグルの国教で知られる。物質は悪である。
救済を得る為には、徹底した禁欲が必要とする)もあるようです。
日本でも戦前までは、広島や北陸などの自己抑制の強い浄土真宗地域は、
生活に宗教が根ざしておったでしょう。
日本でも地域によって違います。まあ、現代は先進国を中心に薄れてます。

781 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 02:17:33 ID:1HwuP9bw]
>>773
月光仮面さんが、答えられたよう、シベリア系諸民族のアルコール耐性は
現地調査が十分ではありません。わし自身は、日本の下戸地域に住んで
おりながら、酒が大好きですから困ったもんです。
>>775
寒冷化気候変動期の人口移動は多かったでしょう。岡田英弘氏の4世紀
前後の五胡から北朝時代の華北の人口減少から漢民族の絶滅は大げさと
しても、西洋もゲルマンを始め民族移動期です。日本も形質的に渡来系が
増えます。
日本人の半分以上は4世紀の寒冷化以降の人達が移住して日本人が成立した
んじゃと思います。人種の根底を変えてますよ。
ツンギーテとシニーデに明確な区分などありません。ロシア系学者は顔面
平坦度を強調しエヴェンキをバイカル型、モンゴル、華北、朝鮮、日本は
中央アジア型に推定します。どの形質を強調するかは研究者による違いの
問題です。あなたがどんなデータか知りませんが、一重瞼からの分類のみ
強調されるようですが。耳垢の頻度からは、華北が一番北方民族です。
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/132.html

782 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 02:41:07 ID:1HwuP9bw]
>>775
中国側の土器の年代が正しいかどうか解りませんが、(現在中国でも、
日本でも出来るだけ年代を古く設定しようという、強引な手段なら
ゴット・ハンド)も、あるでしょう。
黒淘文化から三足土器は普及します。黄河文明は基本的に西方のオアシス
都市文化の延長で発達したと思います。アンダーソン説に近いのですが。
www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kodai/38-china1.html

783 名前:月光仮面 [2007/08/27(月) 09:59:50 ID:qBEDa/pe]
>>777 言葉としての駮馬は爾雅にあり、駮は斑であり、パミール周辺イラン系の
トーテムである雪豹に通じます。
「人の容貌は多く結骨と似ているが、言語はたがいに通じない。」と、『新唐書』にある
通り、駮馬、結骨(ハカス・キルギス)いずれかがウグロフィン、イランのいずれかの
言語であった可能性がありますね。
故ロシア反体制派歴史学者ブミリョフによれば「髪赤く、瞳は緑色」である白人種
としてはイェニセイ上流域のキルギス、バイカル周辺の丁霊(イェニセイの
オスチャク-羯族を含む)、ロプノール天山北麓の烏孫、サヤンアルタイ北麓の駁馬が
あるが、駁馬は「遊牧、針葉樹林山間居住を好み、桧皮葺、校倉(ペトログリフでは
千木をもつ)住居を建築し、駁馬のみを養い(騎乗用ではなく搾乳用)、よって駁馬と
呼ばれる(斑の毛皮を生産していた可能性も考えられる)。」
斑の毛皮を天照大神に献上し、熊野に籠もる須佐之男命そのものです。
須佐之男命は気多の神を越前に迎ええているがこれは羯族のことと考えられます。
須佐之男命は駁馬、發、穢系統でしょう。

784 名前:月光仮面 [2007/08/27(月) 10:03:19 ID:qBEDa/pe]
>>778
逆に、清朝にキルギスが黒龍江省夫餘に移住させえられていますね。スワップ
といったものでしょうか。

785 名前:月光仮面 [2007/08/27(月) 10:30:16 ID:qBEDa/pe]
グミリョーフ(ミスタイプ失礼)氏は、旧石器時代に欧州人とは分岐したコーカソイド、
南シベリア長頭系丁霊、北支短頭型狄が実際に存在したと主張。丁霊の子孫は
イェニセイキルギスだが、紀元2000年紀に南方からのモンゴル人、北方からの
ウゴル人の混血を受けた。その子孫戎テイは紀元1000年紀に東部西蔵人に部分的に
同化され、混血してタングートを形成。ステップ丁霊はフンに入り、それに西欧人形質、
高い鼻、豊かなあごひげ、を与え、ステップのテイ、烏孫、テツロクはウイグル汗国崩
壊後9-12世紀にモンゴルに同化されたと述べています。

786 名前:月光仮面 [2007/08/27(月) 14:07:42 ID:qBEDa/pe]
>>778
シボ族は満州、朝鮮、日本のYAP-、つまり、羌系でなく、また、華北のものでも
www.recordchina.co.jp/imgout.php?m=2&img=cfp382105452.jpg
ない、最も縄文人、琉球人に距離的に近いもののようですね。アルタイ語を
最も早く話すようになるのはこのグループかもしれません。

787 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 22:53:45 ID:1HwuP9bw]
>>783-785
後趙を建てた五胡の羯(ケツ)族も白人種じゃったようで、烏孫も
「髪赤く、眼は青く、容貌猿の如し」で白人種のようです。駮馬は「山に
おることを好む。馬を使って田を耕す。畜馬に乗らず、乳酪製品を食料と
し、好んで結骨と戦う。」と騎馬習俗に乏しい定住性の強い牧民でしょう。
黒龍江省は、1952年において455人のキルギス人が住んでましたね。
五胡のテイ族は、羌(キョウ)族が西戎とされておるんと違い、
夷として取り扱われています。現在のイ族も、かって夷人、西南夷と
云われてました。生活習俗が東アジアに近い定住民じゃったからでしょう。

788 名前:白馬青牛 [2007/08/27(月) 23:35:01 ID:1HwuP9bw]
>>786
シボ族は、北方新モンゴロイドで、縄文人や琉球人と違うと思います。
シボ族の女子大生は、新疆の紫外線で日焼けしてますが、容貌は>>778
のシボ族の青年のよう、高顔狭顔型も多いんじゃないですか。
もちろんシボ族にもバイカル型もおりますが。
日本列島では、>>781の、耳垢の頻度や歯のサイズ等、表面に現れる
遺伝標識は、渡来系の多い本土日本人と縄文系在来民の影響の強いアイヌ、
琉球とはかなり違います。
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
■混血の進行で、高顔が弥生期北九州〜山陰の限定された地域に存在した
のに対し、古墳期はほぼ全国的に北方新モンゴロイド化が進行したよう
です。中部瀬戸内は、西北九州弥生人や南九州古墳人と同じく縄文系です。
佐伯部等縄文系の多い土地柄ですし。広島県の北部は四隅突出墳の
北方系新モンゴロイド人骨と違い、新モンゴロイド化されてません。
記述の東征伝説も信憑性に乏しいことにもなります。ただし、その後、
瀬戸内中部は新モンゴロイド化が進行し、東日本より北方系になった
訳です。近畿や朝鮮で賤視された集団の移民が多かったんですかね。

789 名前:月光仮面 [2007/08/28(火) 08:24:05 ID:WijuHB84]
>>788
>容貌は>>778 のシボ族の青年のよう、高顔狭顔型も多いんじゃないですか。
これですね↓
www.recordchina.co.jp/imgout.php?m=2&img=cfp138621.jpg
昨夜のテレビで、名古屋のホテルマンがリトワニアで馬鹿受けしているのをやって
いました。
日本人の典型と思い込まれているんでしょうね。バットが振れるだけでプロ野球選手に
なれるような国のようですが。




790 名前:月光仮面 [2007/08/29(水) 11:45:10 ID:WjUhaaru]
>>714
ポリツェとは粛慎「中国,先秦時代の古典に見える東北境外の民族。〈東夷〉の一つで,
中国の威徳を慕って来朝し,特産品の現矢石女(こしせきど)(人参木の枝で作った矢に
石のやじりをつけたもの)を献上したことが記されているが実体は不明。3世紀,魏・晋期
以降になると,今の吉林・黒竜江両省から沿海州方面に居住した漢代の
怯婁(ゆうろう),南北朝期の勿吉(こつきつ),隋・唐期の靺鞨(まつかつ),宋以降の女真
をその後裔とする考えが行われた。《日本書紀》に見える粛慎(みしはせ)は,東北・
北海道地方の異民族を呼んだもの。」の後身、U婁(ゆうろう)でる・・・というのがロシア
の解釈のようですね。

791 名前:月光仮面 [2007/08/29(水) 11:48:13 ID:WjUhaaru]
本土決戦は米軍の前に粛慎があったということになりますか。

792 名前:月光仮面 [2007/08/29(水) 13:33:45 ID:WjUhaaru]
「日本書紀には、7世紀に阿倍比羅夫が遠征航海の途上、大河の河口で蝦夷と粛慎の
交戦を知り、付近の島で粛慎と戦ったと記されている。その大河を石狩川とし、粛慎を
オホーツク人とするのは、分布域と航海能力からいって無理がない解釈だが、確証は
ない。」とありますね。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AF%E6%96%87%E5%8C%96

793 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/29(水) 14:03:36 ID:769XsERK]
チベット人と日本人の話に戻せよ

ツングース(朝鮮族やエヴェンキ族)の話なんか聞きたくもない

794 名前:白馬青牛 [2007/08/29(水) 23:24:18 ID:n4IPJpDM]
>>790-792
加藤九祚氏によると、V・メドヴェジェフ氏は靺鞨と女真の考古学的特徴に
ついて、「靺鞨の土器は全部手作りで、種類が少ない。女真のものは、
手作りもあるが、大部分はロクロ製で、形式も多様である。蓋つき土器は、
女真にはあるが靺鞨ではまったく見られない。女真も靺鞨も農耕と牧畜が
ともに行われたが女真では漁労の痕跡が多い。靺鞨にはチュルクの影響が
強く、女真文化は現地のポリツェ文化を受けついでいる。」そうです。
ポリツェ文花の粛慎・?婁と北方のエヴェンキ要素もある靺鞨と多少
違いがあるようです。
粛慎と蝦夷は同族としてませんし、オホーツク文化人の可能性は強いと
思います。
>>793
普通朝鮮人はツングース語じゃないが、広い意味では朝鮮人・日本人も
ツングース系じゃ。チベット人と朝鮮人・日本人はHLAでも近接な
関係で人種的に近く、無視出来んと思うが。
チベット系の羌(キョウ)族もツングース系貊族も長城地帯から東西、
西戎と東夷に分かれた。と云えよう。西南部に東夷的なチベット系の夷
(テイ)族がおり、東に西戎的な(モンゴルーツングース系か?)山戎が
おるんも面白い。

795 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/29(水) 23:49:57 ID:lcG4ghRs]
>>794
>チベット人と朝鮮人・日本人
朝鮮人を並べんなよ、汚らわしい。
チベットと日本を語るスレで
朝鮮人を語るなら他の多くの民族のことも
語るべきだろ。白馬青牛よ、なぜ朝鮮人を並べて
混ぜる?汚らしいし、臭いんだよ。

796 名前:月光仮面 [2007/08/30(木) 11:48:22 ID:LRnuDNj2]
>>794
粛慎(ウリル)は BC1000-BC400年 鉄器使用。BC6-5世紀アムール中流にユウロウ
(ポリツェ)、4世紀ユウロウ終末。その後はタラカン文化漁労狩猟冶金BC5-AD4世紀。
AD3-4世紀靺鞨文化(バイカル東部、遼寧起源)。9世紀アムール川靺鞨が女真と名
乗る。1115年松花江、アムール女真が金帝国建国。つまり、BC400年頃粛慎 は
ユウロウ(ポリツェ)に追われ、アムールを北上、「《日本書紀》欽明紀に佐渡島に
粛慎人が船できたとの記事があり,また斉明紀には阿倍比羅夫が粛慎と戦ったとの
記事がある。中国では東北境外の異民族を粛慎(しゆくしん)と呼んだので,同系とみる
説もあるが,日本の最北部に居住する蝦夷(えみし)の一部,またはアイヌをさすとの説
などがある。 」この頃には樺太にいたんじゃないでしょうか。


797 名前:XYZ [2007/08/30(木) 17:40:01 ID:KYEuhBWC]
>>779
なるほど。ありがとうございました。
あまりスレチな話を展開するのも良くないかと思われますので、わたしもほどほどで
切り上げようと思いますが、ブリトゥンのほうは牧畜文化があったとはいえ、
なぜに日本と同じくらいの漁労文化が発達しなかったのでしょうかね…? しかも
わたしは一般に気候が寒冷な海域のほうが水産資源は豊富だと聞いた事があるのですよ。
乳製品や陸上の動物で蛋白源は十分だったからなのでしょうかね…。う〜ん…。
ところで、その支那北部の牧畜民に乳文化が無いという話はわたしは初耳です。
わたしはてっきり世界中のどの牧畜民も皆乳文化を持っているのかと思っていましたが、
そのような牧畜民もいるのですね〜。なるほど、大豆文化地域ですね。
それにしましても「大豆」は栄養的に本当にすごい植物のようですね。しかし
これも他の食物と同様に“摂り過ぎ”は良くないのだそうです…。 でも、感謝! (^^)

798 名前:XYZ [2007/08/30(木) 18:31:36 ID:KYEuhBWC]
>>776>>781
お二人とも返答ありがとうございました。
月光仮面さん、ギャグですかそれは…。(^^; べつにいわゆる上戸の人々でありましても、
“脳”に関しましては、誰でもお酒を飲んだ分相応に影響があるそうですよ。
ですから飲酒運転は絶対にしてはいけない事であると。
ところで、そうですか、シベリアの人々の事はまだ研究途上なのですね。
しかし>>776の貼付ペイジには、とりあえずシベリアの人々は古モンゴロイド系の
人々と同様に下戸の少ない範疇に含まれていますよね。また、一説によりますと、
下戸は支那の人々が起源だとも言われているそうですね。ここでわたしは一つ
仮説として、文明化した農耕民族内の“近親交配”がその要因ではないかと思っている
のですが、どうでしょうか…?
おまけですが白馬青牛さん、わたしも幸か不幸か、アルコールは全くOKな体質でして、
わたしも飲むのは大好きです! ですが周囲の人々と違うところは食後によく飲む
というところです。(^^)

799 名前:白馬青牛 [2007/08/30(木) 22:45:04 ID:F8BzUvPs]
>>795
チベット・朝鮮・日本が人種的に近いけえしょうがない。
朝鮮人は臭いたァ思わんが。腋臭も少ないんじゃないか。
韓国や在日の女性も臭わんよ。
朝鮮の腋臭率の資料は知らんが、>>781の耳垢の乾型湿型の分布と近いん
じゃないか。金関丈夫氏は、足立太郎氏の統計で日本人の腋臭者
(10,5%、)は、少なく、九州の鹿児島(3,6%)福岡(6,4%)
に較べ、天草島(16,9%)は多い。琉球北部(28,9%)中部
(27,4%)よりも南方(与那国島35,1%)に多い。大陸の、
華北人(2,9%〜3,2%)しかない。台湾の高砂族は(48,8%)
台湾本島人の客家系(42,7%)で多いが、福建系は(22,%)
少ない。逆に体臭がある方が昂奮し肉感をそそる面もあるが。



800 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/30(木) 23:39:20 ID:wGRyDNHU]
韓国人・朝鮮人のエラ
bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pcamera&nid=51543






[ 続きを読む ] / [ 携帯版 ]

前100 次100 最新50 [ このスレをブックマーク! 携帯に送る ] 2chのread.cgiへ
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧](;´∀`)<492KB

read.cgi ver5.27 [feat.BBS2 +1.6] / e.0.2 (02/09/03) / eucaly.net products.
担当:undef