- 722 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/19(日) 04:19:42 ID:du0ExRUr]
- 約半々であった縄文人と弥生人
それでは、日本人の由来はどうだったのだろうか。結論から言えば、ミトコンドリアでははっきり、 縄文系と渡来系弥生人に別れなかった。それでも様々に推定されてはいるが、これが縄文系のミトコンドリア、 これが弥生系渡来人のミトコンドリアとは単純に別れなかったのだ。 この理由は中国を含む近隣の地域のミトコンドリアが多様であり、日本も多様だったからである。 ミトコンドリアは分岐して多様化した年代が古いので、縄文人と渡来人の区別がはっきり付かなかったのである。 しかし、多様化した年代が新しいY染色体は違った。縄文系と渡来系が、だいたいはっきり別れたのである。 そして、縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率は、だいたい半々であった。これは意外である。 (中堀豊『Y染色体から見た日本人』岩波書店,2005、あるいは、最新の研究 www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf を参照) Y染色体から見ると日本人の三分の一から半分は中国で大多数の系統(中国や東南アジアで多数を占めるO型と) であり、渡来系弥生人が持っていたと思われるタイプである。しかしもう半分は、ほとんどチベットにしかないD型と、 広く環太平洋に見られるC型の混合である。いわゆる縄文系である。D型とC型に別れるのは縄文系もやはり二種類に 分かれるという一部で言われていた説を、ある程度裏付ける結果である。フィンランド人や東シベリアのウラル語族に 多いN型も数%ある。このN型は遺伝的にはO型の兄弟ではあるが分岐年代は1万年以前であり、これらの民族は 北極近辺に集中している。もしかするとN型はO型に近くても「渡来人」系ではなくて、「縄文人」系なのかもしれない。 この結果からいえることは金属器と稲作を持ってきた弥生人が増えるのと併走して、なぜか縄文人の遺伝子も 爆発的に増えてきたのである。 ethol.zool.kyoto-u.ac.jp/kura/JapanEemp/FameleEmp/1-3.htm
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