- 721 名前:XYZ [2007/08/18(土) 03:32:57 ID:6CqwxIew]
- (続)
ひとつその話にわたしはツッコミを入れますと、 > 国家的訓育的権威が、外部から与えられるものに対し、 は、それは「訓育」というよりも「教育」と表記されるべきでしょう。 国家というもの(の法律)により外部から物理的な強制力をともなって施される 教育こそが「教育」でして、教育用語としての「訓育」は、まさにその後の > 宗教法の場合、その抑制力は内面に生まれるものであるから、 > 自立の気風を損ないはしない。 にあるような、宗教倫理に基づく内面的な抑制心を育む教育の事を指します。 これは簡単に言いますと「しつけ」ですね。 つまり、この話は先ほどの話にも共通しますが、 現代社会では国家による強制的な教育によって“知(頭)”は育まれていましても、 “心”は育まれてはいないという事ですね。昔の社会ではこの“心”を育む為に、 各々の家庭において宗教倫理に基づく「しつけ」がしっかりと施されていたという事でしょう。 これは物理的な強制力(暴力)に基づくものではありません。 (※厳密な意味では、「しつけ」において「叱る」事が音の“暴力”に入るとも 思われますが、それはこの場合ではありません)
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