- 430 名前:ニューノーマルの名無しさん [2021/08/03(火) 13:15:11.03 ID:baYrJ4Gm0.net]
- >>411
高句麗の好太王碑に刻まれている文字を読み解けば 以下のような文章がある 399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平壌に出向いた。ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。 400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。 404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた 日本が朝鮮半島を攻めたことが書かれている これが神功皇后の三韓征伐のことと解釈すると 神功皇后は卑弥呼よりも100年以上後の世で活躍したことになる
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