- 1 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/04/10(金) 08:22:12.86 ID:DsafX8Bj.net]
- 昭和の時代を感じられるものをまだまだ語りましょう
文化、小物、世相とか…
- 101 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/25(月) 00:45:21.84 ID:cm5YJP42.net]
- と、月光仮面が出てきたので月光仮面の話題。
こないだボークスの月光仮面フィギュアを塗装したのですが、そこで困った のは「月光仮面のマント裏の色は何色?」ということでした。映画版月光仮面 のポスターでは赤色なのですが、これも映像はモノクロなのでよくわからず。 ちなみに宣弘社に置いてあった月光仮面フィギュアは黒で塗ってありました。 月光仮面のカラースチールはさすがに見たことがなく、赤なのか黒なのか 現在も謎です。昭和33年当時、月光仮面の撮影を見た方がおられましたら そのマントの色を教えて下さいませ。
- 102 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/25(月) 19:38:38.59 ID:gpZ9bjCJ.net]
- 昭和40年代前半以前の特撮番組はキャラクターグッズ版権で商品化展開する会社が
必ずしもスポンサーになっていないところが興味深い。 しかも一社提供が多かったようだ。 有名なのはウルトラの武田薬品、マグマ大使のロッテ、光速エスパーの東芝、ナショナルキッドの松下電器 といったところか。 昭和40年代前半は自分はまだ産まれてないのでわからないが、リアルタイムな放送中に 玩具以外でどれぐらいキャラクターグッズが出ていたのだろう? マグマ大使のロッテについてはお菓子にキャラシールがついていたようだが 武田やその他はノベルティ等でグッズがあったのかどうか? たしか光速エスパーについては東芝のマスコットキャラクター化していたように思う。 これは自分も昭和40年代後半でも、電気屋で見た記憶が実際にある。
- 103 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/25(月) 23:58:46.50 ID:cm5YJP42.net]
- マグマ大使については、ロッテからマグマ大使ガムが出てた。1個10円で
3枚入り。パッケージのイラストはけっこうリアルだった。この中のガムの いくつかに「当たり」券が入っていて、これをロッテに送るとマグマ大使・ パンチ人形がもらえた。これは抽選ではなく全員に当たるもの。 たしか種類はストップゴン、ドロックス、アロンがあったように思う。 ちなみに当たり券のイラストはマグマ大使、はずれ券はゴアであった。 小生も応募しパンチ人形をもらったことがある。マグマの角が折れやすく、 現在では美品で残ってるものは少ない模様。 このガム以外、マグマ大使のお菓子は記憶にない。 ウルトラマンの武田薬品だが、タケダは武田食品と武田薬品とグループ内の 違いはあるものの、薬よりは子どもがほしがるジュース「プラッシー」の 宣伝に力を入れていたと思う。ウルトラマンやセブンもプラッシーの宣材に 起用している。販促物のシールがあった。このプラッシーは当時飲んだことが あるがオレンジジュースに近い味だった。スーパーには置いてなく、米屋さん が販売してたと思う。ケースで頼むとウルトラセブンなどのコップがもらえた ようである。 ウルトラマンのお菓子は、シスコからチョコレートなどが出ていた。 光速エスパーは当時、東芝の企業キャラクターに使われており、番組が人気 放映を続けると同時に「光速エスパーの店頭人形」がナショナル坊やなどと いっしょに電気屋さんの店先などに飾られていた。貯金箱などもあった。 当時、プラモはイマイと日東科学から出ていた。 マスコットの糸に通して空中を飛行?するもの、ゼンマイ動力で歩行する もの、それとエスパーガン(エスパーの持ってる銃)の模型があった。 小生はどれも作った記憶がないが、近所の駄菓子屋に置いてあったのは 覚えている。 ナショナルキッドは、その名前からしてナショナルこと松下電器産業株式 会社が単独スポンサー。小生は見たことがないが、劇中でナショナルキッド が使用するエロルヤ光線銃がナショナルの懐中電灯と同じ形だったそうで ある。持ってる人は貴重品ですね。
- 104 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/26(火) 00:30:03.82 ID:KATV1C78.net]
- <ウルトラマンごっこ>
ウルトラマンが人気番組になると、子どもたちが集まればウルトラマンごっこ が始まる。劇中の「怪獣殿下」のように、当時はお面は売ってたのでウルトラ マン役、怪獣役、科特隊員役は相談ですぐ決まった。科特隊員役の子は、 駄菓子屋で売ってたチープな流星バッジを胸に付け、スーパーガンは銀玉鉄砲で 代用。問題なのは、ハヤタがウルトラマンに変身する際のベーターカプセルが 当時はまったく売ってなかったのである。プラモやソフビは怪獣とヒーロー のみで、かろうじてマルサンからスパイダーショットは発売されてたが、 スーパーガンや変身アイテムのベーターカプセルはどこからも出なかった。 おそらく変身アイテムにまで気が回らなかったのだろうと推測される。なんせ 当時は怪獣、怪獣、怪獣の時代やったから。 仕方ないので当時の僕らはペンライトで代用してた。シュワッチ! 個人的にこのベーターカプセルはとても気になるアイテムであったが、当時の 怪獣図鑑や雑誌のグラビアには全く紹介されなかった。映像を見て模型を 作ってみたが、うまくできなくてくやしい思いをしたものだ。第一、ボタンが 付いててそれを押してるということさえ知らなかった。 時は流れ現在、ベーターカプセルは空想ラボさんからプロップそのままの音も 光も出る素晴らしいできばえのものが発売されている。本当にいい時代に なったものだ。このベーターカプセル、あの頃の自分に届けてやりたい。
- 105 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/26(火) 04:24:03.10 ID:KATV1C78.net]
- <サンダーバード2号ごっこ>
これは当時、かなりの子どもたちがマネしてた。 サンダーバードでバージルが2号に搭乗する際、細い通路状の台に乗って 運ばれる。この時、頭を下にしてスーッと移動する場面がある。 これをまねて、すべり台の上で頭を下にして寝そべり、そのまますべり降りる のだ。ちょっとしたスリルもあり、男の子はよくやってたなー。 あ、すべり降りる前には「はいパパ、行ってきます!」と言うのを忘れんこと。(笑)
- 106 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/26(火) 12:32:37.40 ID:UyOvMGmK.net]
- <月光仮面ごっこ>
月光仮面のお面をつけるか、あるひは風呂敷を頭に巻き覆面をし、駄菓子屋で 買ったサングラスをかけ、腰には銀玉鉄砲の二丁拳銃。風呂敷マントをなびかせ ながらバイクならぬ自転車か三輪車に乗れば、それだけでみんな月光仮面になれた。 時代がちと古いので小生は月光仮面ごっこはやった記憶がないが、当時はみんな ヒーローになれたものだ。
- 107 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/26(火) 21:35:45.29 ID:CZmVt9xt.net]
- その時代にガムシャラに働いた今80代のお年寄りに話聞いたけど、景気良すぎて残業は毎日深夜2時まで、休日は多くてもひと月3日
衣食住は会社持ちだが平日は寮から出られず、たまの休日に電車に乗って隣街に映画観に行って、うな丼食って帰るのが最高の贅沢だったらしい どの会社もそんな感じなので特に疑問も持たず、ブラックなんて概念も無かったから、当時の経営者は楽だったろうな
- 108 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/26(火) 23:34:10.97 ID:KATV1C78.net]
- 昭和は遠くなりにけり。
昔の楽しみはやはり映画だった。映画館の数も今とは比べものにならないくらい 多かった。当時の映画館は今のように入れ替え制でなかったから、一度入ったら 一日中観てることもできた。同じ映画を何回も観ても不思議と飽きなかった。 それほど当時の特撮映画は熱気があり面白かったのだ。
- 109 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 04:48:09.24 ID:Z5VmObcN.net]
- 昔の映画館。
今の小綺麗な映画館とは違い、ゴミがいっぱい落ちてたり(もちろんきれいな 映画館もある)酒の匂いをプンプンさせたおっちゃんが映画の台詞に合せて 意味不明のことを叫んだり、飽きてきた子どもが前を走り回ったりあげくの はてには舞台に上がって遊び回り、前でラムネの瓶を割ったり豆怪獣無法地帯。 館内におしっこの匂いが充満してることがあったり、上映中やたらと「お呼び出し で〜す。○○さんいらっしゃいますか〜?」とうるさい呼び出しがかかったり。 上映中にフィルムが止まって燃え出したり、切れたりすることは日常茶飯事。 子ども向け映画の時に、なぜか予告は成人向け映画の裸のお姉ちゃんが。 観てる時隣に座ってるヤツが、もう何度も観てるのか次の場面をペチャクチャ 全部しゃべっていたり、「ガメラは足切られても生えてくるんだよ」とかいう わけの分からんデマ流したり。 まあこのように環境的には良いとはいえない映画館も多かったが、それでも 僕らはせっせと観に行っていた。シネスコ作品が上映される時、スクリーンが ウイーンと横幅が広がるのはなんか感動的だった。 当時の映画館は、良くも悪くも熱気あふれる異次元空間であった。
- 110 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 13:06:28.91 ID:sf99Srd/.net]
- プラモデルの話。第一次怪獣ブームで、怪獣たちのプラモがこぞって発売された。
その先駆的なものはやっぱりマルサンのゴジラである。発売時期忘れたが昭和40年 頃かなと。個人的には、唯一買えたマルサンの電動怪獣プラモだった。ほかの マルサン電動怪獣はなぜか買えなかった。というより、ウルトラQやウルトラ マンはほとんどリアルタイムで観れなかったから、その時はゴジラしか知ってる 怪獣がなかったのかもしれない。小生が買ってもらったのは茶色の成形色で、目が くり抜かれてるタイプのものだった。コードはリード線でなくエナメル線だった ような記憶が。 つづく。
- 111 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 17:56:57.51 ID:sf99Srd/.net]
- マルサンのゴジラは、バラゴンと同時に昭和39年の発売。箱絵はキングコング
対ゴジラのスチールを裏焼きして人着したもので、バックが真っ赤で大迫力で あった。時期によって茶色やグレーの成形色、目が抜けているものや抜けて いないもの、歯の形状違いなどのバリエーションがある。 小生が買ってもらったものはけっこう初期のものだったのか、足のローラーに 逆転防止のストッパーが付いていなかった。そのため、一生懸命手足は動かす もののほとんど前に進んでくれないというシロモノであった。 しかしながら、日本で初めての動く怪獣のプラモデルは大きなインパクトがあった。 まず何といってもカラー写真を使用した箱のすごさ。これは人目を引く。 ゴジラの体型はほどよくディフォルメされ、顔はキンゴジ似であった。子ども にはモーター部分の組み立てがちょっと難しいが、そういう所は親に手伝って もらう。当時は煙草を吸う父親が多く、金属部品をプラスチックに固定する際 には煙草の火で焼きつけてもらった。 このゴジラから、全ての怪獣プラモの時代が始まったのだ。
- 112 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 19:20:39.70 ID:vxRTrKUg.net]
- >>マルサンのゴジラ
オレ、無理して’親に買ってもらって作ったけどうまく完成しなかった。 自分はこういうモノには向いてないのか?と、長い間落ち込んだけど、 今から考えると、アレはかなり完成度の低い不親切な商品だったと思う。 確かに、箱絵のインパクトは強烈だったな。
- 113 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 21:58:54.42 ID:Z5VmObcN.net]
- >>112
やっぱり動力のモーター部分が難しいね。モーターの組み込みというのは 意外と微妙なもので、はめ込みがちょっとでもずれるとモーターの動力が ギアに伝わらなくなる。あのプラモは動力を足と手に伝える部分もけっこう 組み立てが難しい。かく言う私も父親に手伝ってもらってやっとこさ完成 した。やっぱし、日本でのモーター動力の怪獣プラモ第一号でしょ。改良 すべき部分はいっぱいあったと思うよ。うまくでけなくても落ち込むことなし。 だいたいやね、あの頃の動力プラモはかなり適当なものが多くて、うまく動か なくて当たり前、うまく動いたらもうけものぐらいの気持ちで作ってた。 ところでこのマルサンゴジラですが、ノスタルジックヒーローズから復刻版が 出てます。こっちの方は動力部分がすんごく進歩してて、誰が作ってもうまく 動くようになってます。ぜしリベンジしてみて下さい。
- 114 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 22:15:59.90 ID:Z5VmObcN.net]
- マルサンはゴジラとバラゴンを出したあと、ウルトラQとウルトラマンに出た
怪獣を模型化している。モーターライズで出てたのはゴメス、ペギラ、トドラ、 パゴス、カネゴン、ガラモン、ネロンガ、レッドキングなど。ウルトラマンや ジェットビートル、潜航艇も出てた。 小生は模型店でパゴスの箱を手に取って中を見たのは覚えているのだが、これを 買うことはなかった。今思い出しても惜しいことをしたな〜と思う。 結局、マルサン電動怪獣で買ってもらったのはゴジラだけ。残念至極である。 ちなみにこの金型であるが、一部を除き後に溶解処分されてしまったらしい。 それでは復刻発売のしようがなく、まことに残念としか言いようがない。 ところでマルサンゴジラ発売と同時期にミヤウチというメーカーから「コジラ」 というプラモもが出てた。ゴジラでなくコジラである。ミニラではない。 うす緑色の成型色で糸巻き車の原理で走るもの。このプラモが妙に懐かしい。
- 115 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/27(水) 22:35:59.14 ID:Z5VmObcN.net]
- マルサンは電動怪獣以外にもマスコットシリーズで前後貼り合わせの簡単な
怪獣プラモを出している。バルタン星人はこのシリーズで、そのプラモが 「科特隊宇宙へ」で実際の撮影に使われたことは有名ですね。このバルタン 星人は小生も買った。グレーの成型色でややずんぐりバルタンだったね。 その後キャプテンウルトラのシュピーゲル号などのメカや登場キャラクター、 ウルトラセブンのメカや登場キャラクターが発売された。ウルトラホーク1号 のモーター版は、アルファー号だけだとスイスイ走るがベータ号、ガンマ号を 乗っけると重くて走らなくなるのよね。シュピーゲル号モーター版はプロップと 見間違うほどの素晴らしいでけばえだったなあ。このプラモだけ今も家に残ってる。 当時サンダーバードの影響もあってか、特撮メカにもけっこう興味を覚えた。
- 116 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/28(木) 15:57:39.63 ID:BNwktutk.net]
- >>「長篇怪獣映画 ウルトラマン」
観た観た。 テレビの再編集版だったけど、大満足だったな。 金持ちのうちではなかったので「ウルトラマン」は白黒で観ていた。 だから、あの科特隊のオレンジ色の隊員服にはいたく感動した。 なにより大画面の迫力はすごい。怪獣映画は劇場で観るべし。 ただ16oのフィルムだもんだから、粒子が荒れているのがわかる。 同時上映の「キングコングの逆襲」と画質の違いが歴然。 しかし、あのざらざらの質感もなかなかリアルでよかったと感じた。 なんか、子供の頃は何でも受け入れて前向きな考えだったよな。 今はブルーレイだの4Kだのと高画質にこだわりすぎな気もする。 画質が良いことに超したことはないが、、、 「サンダ対ガイラ」の5分程度のダイジェストの8oフィルムを買ったとき、 嬉しくて、フィルムを持って明かりにすかして飽かずに眺めていたっけ、 そうか、フィルムはじかに手で扱えて見れるという存在感が魅力だった。
- 117 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/28(木) 18:46:20.32 ID:crNMCqaW.net]
- >>116
おお、当時ご覧になった方がいらっしゃいましたか。ウルトラマンを大画面 でカラーで観られるというのがあの作品のウリでしたからね。しかもキン逆 との画質の違いまで覚えておられるとは、すごく冷静にしっかりと観ておられ ますな。ウルトラマンはたしか本編は16mmで特撮場面は32mmだったと聞いたことが ありますが、最終的には16mmに落として納品してたそうなので特撮シ−ンが ちょこっとだけきれいのかも知れません。 それにしても、あの初代ウルトラマンのカラーは本当に鮮やかで美しいですね。 昔は昭和40年代後半まではほとんど白黒テレビで観ていたので、画質がどうとか そんなことは言いっこなしでした。見えていれば十分満足でしたし。 家庭での撮影には8ミリフィルムがよく使われてたようですが、わが家では とうとう買う機会はありませんでした。当時販売されてた特撮作品の8ミリ フィルムには、時々本編にはない貴重な映像が入ってることがあるそうです。
- 118 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/28(木) 19:39:11.72 ID:BNwktutk.net]
- >>「長篇怪獣映画 ウルトラマン」
意外だったのはベムラーを倒したのがウルトラマンでなく、科学特捜隊だったこと 編集で上手く繋いだのか?新たに撮り足したのか?いまだによくわからない。 何しろ約50年前に観たきりだが、我ながら画質の感じまでよく覚えていると感心する。 現在とくらべ極端に情報量が少なかった時代だからこそ、当時の子供たちの集中力は 異常に高かったのだろうと推察する。 カラーテレビの置いてある歯医者の待合室で観た「ウルトラマン」のボデイカラー 銀色とレッドのその鮮やかな色に感動し、そのイメージ映像はいまでもよく覚えている。
- 119 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/28(木) 21:10:54.62 ID:MXzllTq4.net]
- まさに昭和黄金期の特撮ファンによる証言と言えるな。
熱心な書き込み御苦労様でございます。 興味深く読ませてもらってます。
- 120 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/28(木) 23:39:21.67 ID:crNMCqaW.net]
- >>118
wiki解説によれば新規撮影部分はないとありますね。変更されたのは ナレーションのみで、あとはうまく編集してストーリーを変えたそうです。 しかし強敵ベムラーを科特隊の力で倒すとは科特隊も強くなったものだね。 本編での新撮はないが予告編ではフジ・アキコ隊員役の桜井浩子が私服姿で 通行人たちにインタビューする模様が新撮されたとあるけど、その映像は DVDに入ってるのかな・・・ 科学特捜隊メンバーのスチール特写も撮り下ろされているのだけど、たしか この時にはもう流星バッジがなくて流星タイピンで代用したと聞いた。 ネクタイ中央部の丸い危機感知ボタンも付いてないね。
- 121 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/29(金) 08:18:47.72 ID:RY5jduqP.net]
- 70年代でも家庭用ビデオなんて普通の家には無い時代だから劇場でテレビシリーズの1エピソードを
そのまま上映するというのでも意義のある事だったんだよね。 特撮チャンピオンまつりの6本立てとかで、テレビ版もプログラムに組み込まれていたが その中で子供の頃に凄く感動したのが、ゴジラ対ヘドラの併映だった 帰ってきたウルトラマンのグドン・ツインテール編の前後編を繋いで1本にして上映されたもの。 自分の家はまだ白黒だったし画面サイズも16インチ程度のものだったから 劇場の大画面で鮮やかなカラーで見るウルトラマンは、初見の如く凄く新鮮であり大迫力だった。 また作品自体がドラマも特撮も骨太な1時間弱のエピソードなので、テレビで見るのとは まったく別次元のレベルで劇場空間の中で作品に没頭したのをよく覚えている。 ツインテール編では新マンの代名詞とも言える夕陽をバックにした戦闘シーンのカラーも鮮烈だった。 当時の白黒ブラウン管画面でしか見た事が無かったそのシーンを劇場で食い入るように見た記憶は 強烈な印象となって今でも残っている。
- 122 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/29(金) 19:45:01.19 ID:6XrDdlPC.net]
- 昭和41年の「怪獣ブーム」というのは後年に後付けで命名されたワケで、
当時の子供達にはそんな感覚はモチロンないが、今振り返って考えると、 「怪獣」「特撮」など様々な要素がグッドタイミングで集中的に 濃縮されたあの時間は、奇跡のようなものだったということか。 そんな偶然のごとく訪れた奇跡などは長続きするはずもなく、 円谷英二の死と同時期のあっけないブームの終焉。 「もう怪獣映画も終りだな、、、」と寂しそうな顔で語った怪獣通の 友人の言葉が、今も印象深く心に残ってる。
- 123 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 04:56:08.92 ID:HZO876P1.net]
- >>121
「ゴジラ対ヘドラ」 すごい作品でしたね。劇場で観ました。個人的には こっちの方があんまし強烈やったものですから、併映の帰ってきたウルトラマン はあんまし覚えてないんです。スンマセン。 でも、ふだん白黒TVでしか見えなかった特撮作品がカラーの大画面で見えた 時の驚きと感動は大きいものでしょう。小生は「キャプテンウルトラ」の劇場 作品「バンデル巨人あらわる」のカラー大画面は印象的でした。
- 124 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 05:05:17.06 ID:HZO876P1.net]
- >>122
円谷英二氏の死去は大きな出来事であったと思いますが、それでも東宝の ゴジラやウルトラマンはその後も新しい作品が作られていきました。 たとえ怪獣ブームは終わっても特撮作品が消え去ることはありません。 怪獣は永遠に不滅である・・・と思いますね。
- 125 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 09:26:59.01 ID:wKeuQD5c.net]
- 東宝チャンピオンまつりは、自分にとって至福の時間だったな。
昭和後期の低予算ゴジラ映画よりも、初めて見る東宝特撮黄金期の リバイバルがメインになったプログラムの方が好きだった。 三大怪獣地球最大の決戦は東宝チャンピオンまつりで初めて見たんだけど あのキングギドラの大暴れのカタルシスは最高だった。 考えるとチャンピオンまつりは、メインの東宝特撮+3〜5本の併映作品が ついていて4時間前後の回転率の悪い上映形態だったんだけど 特に併映作品のテレビ作品の上映ではOPソングを皆で歌うとか、長丁場なので 飽きてきた子供がスクリーンの前を走り回るとか、そういうのを含めて その4時間前後が子供にはたまらなく楽しい時間だった。
- 126 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/30(土) 11:05:10.99 ID:WdgLujkt.net]
- 東宝チャンピオンまつり。
パンフレットはビニール袋にパックになって入っていて、ポスターやステッカーが封入されてたな。 劇場のロビーには5円ブロマイドが束ね売りされていた。
- 127 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 20:09:51.69 ID:3LHij5vn.net]
- いずれにしても、「東宝チャンピオンまつり」がなかったら
男の子だったオレが「エースをねらえ!」を観ることもなかったろう。 大画面で観た「エースをねらえ!」のあのオープニングのかっこよさ! あれが初見だったということだが、なんか劇場全体が盛り上がってた。
- 128 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 22:51:24.59 ID:HZO876P1.net]
- 東宝チャンピオンまつりは、東映まんがまつりを参考にして東宝が企画した
特撮作品の上映形式でしたね。69年の「オール怪獣大進撃」「コント55号 宇宙大冒険」「巨人の星」が最初らしい。 企画的にはヒットしたらしいが、ゴジラ作品の新作は超低予算のものになって しまったとか。その中でも71年の「ゴジラ対ヘドラ」のように一大傑作を 生み出したのは素晴らしい。いや〜、ヘドラはすごい作品ですよ。あの時代を 生きた者にとっては公害の恐怖は忘れられませぬ。ゴジラも目をつぶされ手は 骨になり、もう壮絶な戦いに息を呑んだ。唯一笑えたのはゴジラが後ろ向きに 空を飛ぶところ。あのシーン、プロデューサーは大反対だったそうだけど 現場サイドが押し切ったとか。ま、全体に重い作品なのでああいうシーンが ちょこっと入ってもいいでしょう。当時の劇場は大爆笑でしたが。
- 129 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/30(土) 23:05:48.92 ID:HZO876P1.net]
- 東宝チャンピオンまつりはいくつか観に行ったが、過去の東宝黄金期の
特撮映画がきれいな大画面で観られるのがよかった。まあ短縮再編集版では あったけど、あの頃はビデオなどなく家庭で手軽に特撮作品を観ることが できなかったため、貴重な機会であった。時間は短く編集されてるが、単に カットしただけではなくてBGMなども入れ替えている。 (このカットはオリジナルネガを裁断したため後に一騒動となるが) ミラーマンや帰ってきたウルトラマン、レインボーマンなどのTV作品が 大スクリーンで見えたのも貴重なものだったね。
- 130 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/30(土) 23:17:15.85 ID:wKeuQD5c.net]
- ゴジラ電撃大作戦(怪獣総進撃)の時は、併映が新作2本で
円谷プロに発注した「ダイゴロウ対ゴリアス」、宮崎駿の「パンダコパンダ」と奇跡のような3本立てだった。
- 131 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/31(日) 00:24:56.25 ID:3sS+arSH.net]
- >>130
「ゴジラ電撃大作戦」72年冬期の公開でしたね。時々オリジナル作品とは 題名を変えてるものがありますが、インパクトのある題名に変わっています。 怪獣総進撃は観てますが電撃の方は未見です。たぶんオリジナルよりもっと スピィーデーな展開になってるのでしょう。個人的にムーンライトSY−3号 はお気に入りのメカです。可変翼がカッコいい。そのデザインは後のアニメ 「ふしぎの海のナディア」に登場する発掘戦艦、ニューノーチラス号のデザイン に大きな影響を与えています。 「パンダ・コパンダ」はTVで観ましたが「ダイゴロウ対ゴリアス」は未見です。 面白かったんでしょうかね。謎の作品です。
- 132 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/31(日) 09:59:12.63 ID:WwYKDjnE.net]
- 「パンダ・コパンダ」「ダイゴロウ対ゴリアス」
「パンダ」に「子連れ狼の大五郎」など、ブームに頼ったあざとい企画だと 半分バカにしてみたら、内容は両方とも力の入った作品だったので感心した。 「ダイゴロウ対ゴリアス」は演出がウルトラシリーズの飯島監督だったから、 初期の円谷プロの雰囲気が良く出ていて、退屈しなくて楽しかった。 ただ「おおざっぱ」な作りの怪獣のキャラクターには愛着が湧かなかったな。
- 133 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/31(日) 11:50:33.17 ID:ly+9zHRV.net]
- >>40
遅レス入れるが 宇宙少年とか不思議な少年の作品が今は皆無だな。今は作れないのか 思いつくだけでも、パピィ、ソランに宇宙エース、ピピ、ジェッターなど 手塚プロに石森、藤子もその手の作品を出してた。 バビル二世が、この手の少年ヒーローでは最後だったかなと。 それ以降はリメイクはあっても新キャラが出ない。 リメイクするなら特撮実写を望みたい。 今ならCGで簡単に作れるよな。
- 134 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/31(日) 12:50:06.85 ID:xJGwFLx0.net]
- 広義ではDBとかワンピースとかもその中にくくられるかな
SF的近未来的なノリの話じゃないから反駁されると思うけど
- 135 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/31(日) 13:43:13.39 ID:eoY94RkN.net]
- >>133
日本テレビが実写ドラマ化するかもよw
- 136 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/31(日) 15:55:59.61 ID:7GJaYFI5.net]
- >>120
https://youtu.be/eQwhJ5q99zQ
- 137 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/05/31(日) 17:41:01.88 ID:NdGgTyIW.net]
- >>136
2番目のなんか60年代末あたりの上映かなと思ったら 「未知との遭遇・スターウォーズ」がどうたら言ってるから70年代末だな。 なんかテレビとは時間の流れが違う。 当時はビデオが普及してなかったから見たい客はそこそこいたろうけど。
- 138 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/05/31(日) 22:54:23.28 ID:3sS+arSH.net]
- >>133
少年が主人公の特撮・アニメ作品は昔は多かったね。実写なら古くは 少年ジェットやまぼろし探偵、少年探偵団などがあった。 40年代ならば光速エスパー、悪魔くんとか。マグマ大使やジャイアントロボも 主人公ではないが少年が中心の物語だった。 やはり視聴対象の子どもをヒーローにすることでより親近感をもってもらおう という措置だろう。 少年ではなく少女が主人公ならば、NHK少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」 とかいくつか存在する。最近は特撮ファンタジー路線の作品もないし、ウルトラや ライダー、戦隊もの以外の特撮作品も出してほしいね。
- 139 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/01(月) 12:58:57.05 ID:ck6MPSLH.net]
- 東宝チャンピオンまつりで覚えてるのは74年の「モスラ」「緯度0大作戦
海底大戦争」やね。 モスラは短くなってたがオープニングのBGMなどを変えてあった。劇場で 音声だけをカセットテープに録音してたら、ピーナッツの歌のいいところで 「○○さぁ〜ん、いらっしゃいますかぁ?」と呼び出しの声が。(笑) 緯度0は劇場で観たのは初めてやったが、海底ユートピアの風景が実にきれい やった。アルファー号もカッコよかったな。ねずみ男はカットされてた。 ニュープリントの映像は色がきれいだったな。
- 140 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/01(月) 13:08:50.76 ID:cpGvBseY.net]
- 私はキカイダー01のインクスミイカの話が印象に残ってるね。
万年筆を使うのがステータスシンボルだった時代。 あと着物に焦点が当たったキモノドクガの回とか、シャドウの買い占めでミカンがなくなる話とかも。 全部再放送というのが情けないけどね。
- 141 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/01(月) 14:33:24.23 ID:tTm4OSdW.net]
- キカイダーといえばNETの都市部の系列局では、午後8時に放送されていたが
当時としては子供番組なのに夜8時越えは画期的だった。 おそらくスペシャル番組以外でいわゆる子供番組がレギュラーで夜8時以降に放送されたのは このNETのキカイダー、永井豪アニメぐらいのものだろう。 昨今は深夜アニメや特撮はあるけど子供向けではないし、8時のゴールデンタイムというのもないな。
- 142 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/01(月) 18:16:09.36 ID:Co5VeIzH.net]
- 66年の「レインボー戦隊ロビン」が
途中まで夜8時台だったとか聞いた。 なんでも枠がとれなくて、 やっととれたのが8時台だったんだと。 「佐武と市捕物控」も途中まで夜9時台だったんだと。 もっともこれは大人を意識しての作品だから
- 143 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/01(月) 20:13:33.60 ID:eQR5Mx5G.net]
- 当時の裏番組は覚えてないが、
8時台のキカイダーやデビルマンは、 割とよく見れたので有り難かった。 キツいのは5時半台で、じいちゃんばあちゃんの大相撲とバッティングする時期は、 家庭内の雰囲気相当ヤバかったw
- 144 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/01(月) 20:23:15.09 ID:pZHVj08m.net]
- >>139
64年の間違いでは?と突っ込もうと調べたら74年にリバイバル やってるんですね。同時上映燃える男 長島茂雄 栄光の背番号3ですか。
- 145 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/02(火) 00:05:46.29 ID:HJtpbwwC.net]
- >>144
そうそう、私の嫌いな長島茂雄の映画が同時上映やったんよ。どうもね、 昔から巨人や長島は好かんねん。長嶋の時間は寝てた。モスラ始まると 目を覚ました。録音のラジカセは当時買ったばかり。百恵ちゃんの歌を 録音してたな〜 この映画74年の冬期の公開。上映後モスラの縦長ポスターもらってきた。
- 146 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/02(火) 02:55:00.98 ID:HJtpbwwC.net]
- ttp://www.47news.jp/CN/201506/CN2015060101002333.html
数々の東宝特撮映画に出演された俳優の小泉博(こいずみ・ひろし、 本名汪=ひろし)さんが5月31日午前2時20分、間質性肺炎のため東京都 港区の病院で死去しました。88歳。神奈川県出身でした。 「ゴジラの逆襲」「モスラ」「モスラ対ゴジラ」「地球最大の決戦」など多くの 作品に出演され、東宝特撮の歴史を作られた方でした。ソフトな語り口と 穏やかな雰囲気での博士役などが印象的でした。 また一人、昭和特撮に深い関わりを持つ方が旅立たれました。ご冥福をお祈り します。
- 147 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/02(火) 08:26:52.91 ID:m65c9Jit.net]
- テレビ放送についての昭和の出来事でよく覚えているのが、いわゆる腸捻転解消事件。
関西キー局のテレビ局と資本が入っている新聞社との提携を本来の形に戻したもの。 関西では元はTBS→朝日放送、NET→毎日放送だったので東京キー局の関係と逆だったんだよね。 特撮ものだけで見ると、当時はウルトラはもう終了していたので関西では影響なし ライダーも毎日放送製作だったので、そのまま毎日放送だった。 だけど東京キー局製作の他の番組は色々と大変だったな。 各番組やドラマで「次週より○×△は朝日放送でお楽しみに下さい。」とかテロップが出て 次週予告中も他局でやる、とテロップがでるのに続けて 新しくネット変更で移ってくる番組が新番組として紹介されるとか もう自局でやらないから次週予告自体カットされる場合もあって、見てる方も混乱したな。
- 148 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/02(火) 12:46:16.95 ID:LA04n/1Q.net]
- >>146
東宝特撮映画にはいつも出てる方だったね。ソフトな語り口で温厚そうな 人だった。モスラの中條博士役では、後のゴジラ東京SOSにも時を超えて 同じ役で出演された。 特撮映画には多く出演されたが特撮TV番組はウルトラQ、レインボーマン ぐらいで少なかった。まさに「映画の人」であった。 科学者役とかが多いが、理知的だけど温かみのある人だった。悪役は最も 似合わない人。今頃はモスラに乗って天国に飛んで行かれてるかな…
- 149 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/03(水) 03:30:33.41 ID:fcbU3AB3.net]
- 往年の特撮作品にゆかりの方が次々と旅立って行かれるな・・・
小泉さんは来年の復活ゴジラにぜしとも出てほしかったのに 宝田さんはお元気でがんばってほしい
- 150 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/05(金) 23:21:40.84 ID:MAmyWTb/.net]
- 昭和42年頃に戻ります。
あの頃は怪獣ブームであったが、イマイのサンダーバードを中心とするSF メカプラモブームでもあった。サンダーバードは1号から5号までがメイン メカで、それぞれのカラーリングが美しく子どもには分かりやすく魅力的 であった。 いちばんの人気はグリーンのカラーの2号。丸っこいデジャインで、コンテナ が分離できていろんなミニメカを搭載できるのが魅力的。ゼンマイやモーター、 コロ走行などいろんな種類のが出てた。当時の男の子はほとんど持ってたね。 近年発売されたタカラのフルアクション2号が、あの電動伸縮脚を再現してた のには驚いたね。当時のプラモではあれは再現できなかった。
- 151 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/05(金) 23:33:56.10 ID:MAmyWTb/.net]
- サンダーバード1号は、あの可変翼がカッコよかった もちろんプラモも
可変翼が展開できるようになっていたが、車輪が付いて地面を走るという 姿はちと不満であった。 3号は当時は50円のちっこいのしか発売されずやや欲求不満。ポロポー ションはよかったのだけど。4号はゼンマイで陸上を走ったが、水中航行は できなかった。感動的だったのは5号。モーターライズでスタンドの上を ゆっくり回転、ドームランプを点滅させながらアンテナを回転させてジージー と動くその姿は魅力的。当時の価格で¥600という豪華なプラモであった。
- 152 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/06(土) 00:26:40.02 ID:AAL3ACsL.net]
- そして1号〜5号を一つの大きな箱に詰め込んだのが「サンダーバード・
パノラマセット」 これは当時の子どもたちにとって夢のプラモであった。 これ一箱でサンダーバード主要メカが全部そろうのである。 その後、人気のメカだったジェットモグラタンク、電動2号にX(エックス) カーの「パノラマセットNO.2」も発売。小生が当時買ったのはこれである。 自転車の後ろにくくりつけて持って帰ってきた。この箱は小松崎茂作画の 大迫力のもので、今も実家にある。 その後、トレーシー島をプラモ化した「サンダーバード秘密基地」が大人気と なり、映画登場メカ「ゼロX号」の豪華なプラモも発売された。サンダーバード プラモは一大ブームを巻き起こしたのである。
- 153 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/06(土) 23:26:01.06 ID:AAL3ACsL.net]
- サンダーバードというのは国際救助隊、すなわち国家を超えた壮大な人類愛
の物語である。困っている人がいれば海でも山でも、宇宙にでも助けにゆく。 そして困難な状況に陥っても最後まであきらめず任務を果たす。特撮作品で これほど崇高な精神を表現した作品はほかにない。素晴らしい。 その熱い心は当時の子どもたちにも十分伝わっていたと思う。 こういう特撮作品が日本でも作られることを願う。
- 154 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/07(日) 08:36:27.68 ID:tBE3DlCb.net]
- >>152
当方1972年生まれですが 60年代的SFメカニックデザインには非常に魅かれます 金魚鉢ヘルメット+宇宙服のヒーローが光線銃で 宇宙モンスターに立ち向かうみたいな絵面もたまりません
- 155 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/07(日) 23:42:22.74 ID:jSUJT5RS.net]
- 60年代のSFメカは実に味わいがありますね。シンプルでストレートな
デザインのものが多く、カラーリングも美しい。この頃のは日本のものも 外国のものも秀逸なデザインのメカが多いですね。 日本の特撮メカもよろしいが、海外ものも印象深い。先に書いたサンダー バードのメカはどれも素晴らしい。また、タイムトンネルや宇宙大作戦の USSエンタープライズ号、原潜シービュー号などは今見ても魅力的。 SFメカデザインのイメージが変わったのはスター・ウォーズあたりから ではないでしょうか。
- 156 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/08(月) 12:59:33.72 ID:h2e13ml1.net]
- 昭和42年放送の宇宙特撮シリーズ「キャプテンウルトラ」
当時の時代を反映して、明るい未来の展望を描いた宇宙の物語であった。 実際の映像の宇宙も暗っぽい色でなくて青っぽかった。当時、宇宙って あんなに明るい青色なんだと思った少年少女も多かっただらう。ウルトラ という名前の通り当時はウルトラシリーズに入ってたが今では除外されてる やうだ。巨大化はせず等身大の人間が活躍する物語で、当初はバンデル星人、 後半は怪獣ぞくぞくシリーズになっていった。ウルトラマンの怪獣とはまた 違った魅力を持った怪獣だが(ガルバンのデザインなどは秀逸)、ウルトラマン でものすごい特撮を観ていたため、東映の怪獣はなんかちょっとちゃっちく 見えた。 この作品は舞台が宇宙なのれ地球の日常空間は全く描かれていない。そうゆう 意味では特殊な特撮作品といえようか。登場メカは未来感あふれるもので、当時 の僕らの未来へのあこがれを描いた作品であった。
- 157 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/08(月) 13:06:21.28 ID:h2e13ml1.net]
- キャプテンウルトラの登場メカで印象的なのは宇宙船シュピーゲル号。
シュピーゲルはドイツ語で鏡を意味するが、その名の通り平面を基本とした デザインだった。戦闘時、3機に分離して戦うD3作戦は見ごたえがあった。 当時、マルサンからプラモが出てていくつか買った。その中でもいちばん大きい モーターライズのものは、プロップと見間違うほどの素晴らしい出来ばえだった。 現在ではステルス雷工房から最高に美しいシュピーゲル号が出ている。 また、宇宙ステーションのシルバースターも未来的なフォルムでカッコよかった。
- 158 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/09(火) 03:01:49.61 ID:gGGwUk/u.net]
- >>109
今となってはワンダーランドにも思えますな
- 159 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/09(火) 03:25:35.66 ID:JkDczpRD.net]
- そうね。あの頃の映画館は昭和ワンダーランドであった。今のような座席指定
なぞなく、入れ替え制もなかったから居たければ1日中居てもよかった。 同じ映画を何度も観ているとストーリーを覚えてしまった。また同時上映も メイン興行以外ではいろんな作品と併映になってて、たしか「大怪獣ガメラ」 の併映が外国特撮作品の「魔法の剣」だったのを覚えている。たまに同時上映 が大人向けのつまんない作品の時があり、そういう時はヒマなのれ寝てた。 昭和41年の映画で大映の「大魔神」というのがあった。当時、この作品は 着ぐるみに人が入ってるとは信じられず、ほんまにこんな魔神がおるんだと 信じ込んでいたようである。それほどリアルな特撮だった。とくに大魔神の 眼のパワーが強烈で、当時はとにかく怖かった。3部作全てがこの年に制作、 公開されてるが、個人的には2作目の「大魔神怒る」が好きだった。あの モーゼの十戒のように水を割って登場する魔神はカッコいい。当時の夏休みの 絵日記に大魔神の絵が描かれていた。よほどインパクトがあったのだらう。 劇場で観たのは1作目と2作目で、逆襲は観に行っていない。なんでかは今と なっては分からない。
- 160 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/09(火) 20:03:40.94 ID:PrIKeMzi.net]
- >>138
70年代も結構ありましたね。少年探偵団BD7、バンキッド、ガンバロン・・・・何故かすべて長坂秀佳がメインライターです。
- 161 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/10(水) 00:04:37.56 ID:/aNhz03x.net]
- スンマセン、60年代の思いが強烈なのでなかなか70年代にたどり着けて
いません。 少年ものの元祖はやはり「少年探偵団」でしょか。♪ぼ、ぼ、ぼくらは 少年探偵団♪とゆう歌はあまりにも有名。 昔は男の子が何人か集まると必ず少年探偵団を結成していたものです。 団長を中心にして、学校のゆうれいを捕まえに行くとか色々やってました。 その世界観を拡大したのが映画「20世紀少年」シリーズでした。
- 162 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/10(水) 12:32:36.99 ID:TwoTPezD.net]
- 昭和41年頃。
ゴジラ、東宝怪獣のプラモはマルサンが電動のものを発売していたが、ガメラ 映画がシリーズ化されると日東からゼンマイのプラモが発売された。たしか ガメラとバルゴンが同時発売だったように思う。箱絵はマルサンにならってか、 人着のスチール写真で素晴らしく美しいものだった。ガメラはきれいな緑色に 塗られ、バルゴンは青空のブルーのもとで虹光線を出していた。しかも映画 (ガメラ対バルゴン)の美しい人着スチールはがきが入っていた。 マルサンのモーターライズに対抗してか、こちらは強力ゼンマイ。当時のゼン マイはかなり大きく、ねじを巻くのにも力がいった。価格的にはモーター版 よりも安価なためけっこう多くの友人が買っていた。金持ちッ子のマルサンに 対して庶民ッ子の日東という感じだった。怪獣同士対決できるようにするため、 部品の中にさすまたのような形のコントロール棒が入っており、これで怪獣の 尻尾を動かして戦わした。ゼンマイ怪獣同士の戦いは、ぶつかってどっちかが ひっくりこけるか、先にゼンマイが切れて止まった方の負け。相撲のような土俵 を描いて戦わせたこともあった。立ち怪獣同士はうまく組めるのだが、ワニゴン のような四足歩行の怪獣は戦わせるのが至難の業だった。シリーズはその後、 ギャオスやジャイガー、オリヂナル怪獣でワニゴンやガマロン、ゴーゴンなど が発売、日活のガッパもこのシリーズから出た。
- 163 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/10(水) 12:40:20.85 ID:TwoTPezD.net]
- 日東怪獣プラモは安かったのれ、めげてもまた買えたが、マルサンの電動のは
高価なので扱いも慎重だった。といっても、わが家のマルサンゴジラは最後は お風呂につけて遊ぶ水ゴジラになってしまったが。 友人がマルサンのトドラを買っていたが、置いてあったら妹にめがれたとこぼし ていた。兄弟姉妹のいる家は自分のものもいつ持って行かれたり壊されたりする か分からない。昔は熾烈な争いが繰り広げられていたのだ。
- 164 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/10(水) 17:52:46.22 ID:TwoTPezD.net]
- ゼンマイプラモは組み立てが簡単だったので当時の僕らにも作ることがでけた。
ただしたまにはゼンマイの不良品があり、小生が買ったガマロンのゼンマイは いきなりガチャガチャガチャとテープの早回しのように動いてしまうものだった。 修理しようもなく、あわれガマロンはごみ箱行きに。(以来ガマロンは買ってない) 昔のプラモはこのようにゼンマイが不良品だったりモーターが接触不良で動かな かったり、防水が不完全で潜水艦が沈みまくったりしていた。それでも、当時の 僕らは文句も言わず楽しくプラモを作っていた。あの当時、物は少なくて出来は イマイチであったけれど、それでも夢はあふれていた。
- 165 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/11(木) 04:42:17.98 ID:sjrE742i.net]
- 1966年(昭和41年)映画ゴジラシリーズの生みの親である円谷英二が設立した
「円谷特技プロダクション」がTBSで「ウルトラQ」を放映開始。 それまでは映画でしか見られなかった怪獣たちが、これを皮切りに毎週テレビに 登場することとなる。続く「マグマ大使」(フジテレビ)「ウルトラマン」 (TBS)の放映によって子供たちの間に「怪獣ブーム」と呼ばれる爆発的な 社会現象となったもので、当時はマスコミによって単に「怪獣ブーム」と 呼称されていた。後年、1971年頃から始まる怪獣ブーム(変身ブーム)と 区別するため、先の怪獣ブームを「第一次怪獣ブーム」と呼ぶ。 その当時作られた特撮作品はどれも高視聴率を獲得し大いにブームを過熱 させた。しかし当時は商品化ビジネスが確立しておらず特撮を用いた番組 製作に必要な莫大な製作費は制作プロダクションに高負担を強くこととなり ほとんどの作品は人気を得ながらも放映期間は長くはなかった。 このブームに「怪獣」という用語は子供たちだけでなく大人たちもこぞって 使う言葉となった。教育評論家の阿部進氏はブーム以降、自らを怪獣化して 「カバゴン」と名乗っていた。少年サンデーの「カバゴンのなやみ相談」は Hな相談が多くよく読んでいた。子供の教育に熱心な教育ママは「ママゴン」 という怪獣に。子供たちの遊びは忍者ごっこから「怪獣ごっこ」にとって代わ られていった。こんだけ多くの怪獣が出現した国は日本だけだったことだろう。
- 166 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/11(木) 05:04:58.69 ID:sjrE742i.net]
- 昭和40年頃の思い出だが、この頃テレビでは「宇宙人ピピ」や「とんま天狗」
「スパイキャッチャーJ3」などの特撮作品が放送され、映画では「大怪獣 ガメラ」が公開された。ガメラの原題は「火喰い亀 東京襲撃」であった。 この題名にならず本当によかった。(笑) 同じ年、東宝ではゴジラの 「怪獣大戦争」、「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」が公開。 ゴジラがシェーをするのが話題になり、恐怖の対象であったゴジラの姿は 影をひそめた。シェーの原点は「おそ松くん」のイヤミ。 この年は日本中が熱くなった東京オリンピックの翌年であり、市川崑監督の 「東京オリンピック」という映画が公開された。学校行事でこの映画を観る ことになり、学校から映画館のある駅前までぞろぞろとみんなで歩いていった のを覚えている。映画は特撮作品ではなかったが、スローモーションで外人 選手の顔を大写しにしたりぎょろっとした眼をアップにしたり、けっこう怖い 作品であった。マラソンのアベベが有名になり、学校で色黒で顔の長い生徒は あだ名が「アベベ」と呼ばれた。 翌年から始まる「ウルトラQ」や「ウルトラマン」のことはまだ知らなかったが、 この頃の日本はオリンピックで「世界の日本」の仲間入りをし、世の中全体が 活気にあふれ希望に燃えていたように思う。明るい未来への展望があった。
- 167 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/11(木) 05:38:22.25 ID:ItBU7TKg.net]
- >>147
腸捻転解消と云えばライダーとアップダウンクイズだったな 当時名古屋在住だったのでその2つがいきなり大人の事情wで名古屋テレビからCBCに変わって 子供心に「え?」って戸惑った記憶 >>148 小泉博さんは テレビだと「クイズグランプリ」 「金メダルへのターン」のイメージがある 放送当時も特撮ファン以外の視聴者には人気クイズ番組司会者としての知名度の方が高かったかも 金メダル〜はフジテレビと東宝制作だったから終了後そのまま同局のクイズ〜司会者にスライドした印象もある
- 168 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/11(木) 15:24:17.96 ID:bX8o2HxE.net]
- >>143
当時は8時だヨ全員集合が裏番組だった。 (荒井注がいた頃で加藤茶がちょっとだけよをやってた)
- 169 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/11(木) 16:39:23.98 ID:99wyjVVM.net]
- >>167
その腸捻転の際だったか、私の地域ではアップダウンクイズが新番組として始まったのですが、いきなり第600回と謳っていてビックリしたのを覚えています。 番組開始は昭和38年なんですね。
- 170 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/12(金) 12:46:52.42 ID:W/C4xnJ6.net]
- >>167
「金メダルへのターン」ありましたね。たしかオリンピックを目指しての 水泳ものでしたっけ。1970年の放送。飛び魚ターンとかいう空中をジャンプ して相手を追い越すという荒唐無稽な、柔道一直線ばりの必殺技が登場して ました。ゆえに特撮ヂャンルにも入れられてる作品。小泉さんはレギュラー なんですね。主題歌「プールに賭ける青春」が最初別の人で、途中から アニソンの女王堀江美都子に変わった。この歌はよくカラオケで歌う歌です。 この当時はスコポンものが流行った時代かな。
- 171 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/13(土) 09:58:30.58 ID:049y3nCZ.net]
- 1970年。昭和45年だね。この年は大阪で万国博覧会が開催された。今思えば、
この頃が戦後日本の絶頂期だった。万博は修学旅行で観に行った。岡本太郎 (パイラ星人デザインの芸術家ね)制作の太陽の塔が中央にそびえてた。 会場内はもう夢の世界。未来感覚あふれる展示が多かった。人気のアメリカ館 の月の石は見ることができず。すごい多くの人が来てたな〜 この年に公開された映画は「ガメラ対大魔獣ジャイガー」「トラ・トラ・トラ!」 など。ジャイガーは観に行ったが、なかなか面白い作品であった。途中でガメラ が血を吸われてピンチになるところがハラハラ。映画の中に万博の会場が登場し、 もう少しでジャイガーに壊されそうになるのらが破壊はされなかった。ホッ。 テレビでは「柔道一直線」、アニメでは「あしたのジョー」「キックの鬼」など スポーツものが多かった。柔道一直線では二段投げ、地獄車などどうやったら あんな技ができるんだというようなスーパー必殺技を特撮で見事に描いた。出演 の吉沢京子ちゃんは可愛かった。外国作品では「謎の円盤UFO」が放送。登場 メカがカッコよく、とくにスカイダイバーは好きでプラモも買った。 東京オリンピックから万博までは、本当に世の中が活気にあふれ明るい未来の 展望が描かれていた日本であった。
- 172 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/14(日) 01:02:16.52 ID:JCu+3pyE.net]
- ちょっと訂正。「柔道一直線」は1969年6月から1971年4月までの放送。
2年近く放送された人気作品。大ブームとなったスポ根ドラマの端緒と なったドラマであり、アクションシーンの特殊効果は後に一部の同じ スタッフで制作される「仮面ライダー」のアクションにつながることと なる。直也の戦う時のポーズはライダーに同様のポーズがよく出てくる。 近藤正臣がピアノの鍵盤の上に跳びあがって足で「ねこふんじゃった」を 演奏した場面は有名であった。 原作版とTV版でイメーヂが違ってるのは車周作。TVでは高松英郎さんが 演じ、えらくごっつい感じになっている。この作品を観て柔道の道を選んだ 柔道家はけっこう多いと聞く。個人的には最初の方で腹面をかぶった外人 柔道家が「ニッポンジュウドウ、ヨワ〜イ! サア、カカッテコ〜イ! ライナーナゲヲ ウケテミロ〜」というヘンな抑揚のセリフが印象深い。
- 173 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/14(日) 12:27:10.31 ID:JCu+3pyE.net]
- 昭和41年公開の特撮映画で、東映制作のものがあった。
12月公開の「怪竜大決戦」と「黄金バット」である。怪竜大決戦は、当時の 怪獣ブームに乗じて東映が制作した怪獣が出てくる映画であるが、時代劇で あった。当時、小生は怪獣大決戦と題名を間違えて観に行った。 若き日の松方弘樹氏が主人公児雷也を、そして敵役の大蛇丸には東映時代劇の 大御所、大友柳太朗さん。この大友さんが実に憎たらしい演技で凄みがあった。 最高の悪役。ヒロインの小川知子さんが美しい。 ラストで児雷也は大蟇に、大蛇丸は怪竜に変化して城の横で戦うのだが、この 場面の特撮が実に素晴らしい。瓦の1枚1枚まで丁寧に作られ、壊れ方が実に リアル。主君の仇を討つラストは感動的な場面。主題歌も実にいい。 この大蟇は、翌年の仮面の忍者赤影に流用された。 もう一本の「黄金バット」はアニメではなく実写。実写のバットはちとコワイ。 主題歌や音楽は翌年のアニメ版と同じ。バットを呼び出す美少女は高見エミリー さん。可愛かった。ふくろう男のようなナゾーがちょっと笑える。ナゾータワー はアニメ版のデザインとは違ってトゲトゲがいっぱい付いた灯台みたいな形。 なかなかマニヤックな2本立てであったが、実に面白い作品であった。 この年東映は海外との合作で「海底大戦争」という作品も公開しているが、こっち は未見である。
- 174 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/14(日) 20:05:52.31 ID:8MazFGCE.net]
- その3作品とも大好き。
当時、「東宝作品以外は二流」という偏見が子供心にあって、半分バカにして観てた。 ところが、面白かったんだなこれが! 「快竜大決戦」は東映お得意の時代劇ファンタジー、大友柳太朗もよかったが、 個人的には天津 敏さんの演じる結城大乗のばか殿様が大好きです。 片手に杯もう片方に女の子を抱いて「飲めや!唄え!」と、 絵に書いたような成金のキャバレー豪遊的な表現がおかしかったし、 最期の両手を合わせて命乞いポーズの情けなさも妙に魅力的でした。 こんな愛すべき悪役は今はいないなあ。 「黄金バット」モノクロだったけど、ケレンミたっぷりで、やたらかっこよかった。 後にテレビでカラーアニメ化されたけど、こちらはがっかりだった。 昭和初期か大正ロマンのカツドウヤの心意気みたいなものを感じさせる作品。 「海底大戦争」これは…まだ子供だった私にとって、 (女性の改造シーンで)エロチシズムを生まれて初めて感じさせる映画でした。 その後の東宝の「緯度0大作戦」に似たシーンがあったが、こちらは真面目人間の 本多監督だったので、エロはあまり感じなかった…
- 175 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 00:22:30.99 ID:kzjmVxxM.net]
- >>174
「怪竜大決戦」は豪華な配役でしたね。たしかにあの作品の天津敏さんは ちょっと情けない雰囲気のコミカルな悪役を演じています。この人がまさか 翌年の仮面の忍者赤影の甲賀幻妖斎だとは思えないですよね。いろんな イメージの悪役を演じられる人。名優でした。赤影のオープニングで屋根を 突き破って出てくる大蟇はこの作品の映像を使ってる。 「黄金バット」こないだボークスから出てたフィギュアを作りました。 やはりアニメ版でなく実写版のバットはちょっと怖い。LDの表紙には カラースチールが大きく載ってて塗装の参考になります。個人的にはアニメ 版も好きです。暗い闇の部分があったヒーローが完全に明るい正義の味方に なってるのが明快でいいかと。マリーちゃんも可愛いし。 「海底大戦争」には千葉真一さんが出てたかな。TVで一度観ましたが、 半漁人が不気味だった記憶があります。そういえば手術台や改造シーンが 出てきて怪奇ものっぽい雰囲気もありましたね。
- 176 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 01:12:22.46 ID:kzjmVxxM.net]
- 怪竜大決戦の主題歌「怪竜大決戦」と副主題歌「進め!自雷也」はいずれも
名曲だが、カラオケには未収録。入れてほしいねえ〜 この作品はサントラCDは出ていないが、LDはセリフや効果音と音楽が 分離できるので簡単にサントラ集が作れる。黄金バットも同じ。
- 177 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/15(月) 01:56:48.29 ID:4+4VOjW8.net]
- 実写の黄金バット、見たのはyoutubeが初めてだけど、
顔デカすぎるのはカッコ悪い。 そうせざるを得ないのだけど。
- 178 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 02:44:11.01 ID:kzjmVxxM.net]
- >>177
バットの中に入ってるのは「ミスター黄金バット」という謎の人。体が けっこう大きいのでそんなに頭が大きいとは思わないけれど。頭の大きさ よりも、カラースチールで見ると顔の部分だけが黄金でなくすす暗く、 しかも前歯が一本欠けているのが何とも不気味。 この作品にはキャプテンウルトラの中田博久さんも出てるのだが、ビルの 屋上で撮影してる時に強風が吹き、黄金バットが中田さんにどんと寄りかかっ てきてあやうく転落しそうになったというエピソードを語っている。
- 179 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/15(月) 11:44:13.72 ID:a3MTPpEz.net]
- 東映作品のキャプテンウルトラとマグマ大使は共にウルトラマンのライバルという
位置づけだが、もう一つ共通するものがある。 初期(前半)は新怪獣の出る頻度が高くなかったが後になって路線が改められたこと。
- 180 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 12:38:06.05 ID:O7Psau+F.net]
- まああのころは何でも怪獣、怪獣だったからね。怪獣さえ出てれば番組が
それなりに人気が出た。ウルトラQの頃から、怪獣をもっと出してほしい というスポンサー側の要望があったらしい。しかし怪獣をどんどん出せば 製作費もどんどんかさむわけで、あの頃は商品化のきちんとした取り決めも なかったために人気があってもどんどん赤字が膨らみ、で結局制作終了という パターンが多かったのは残念。しかし限られた時間と限られた予算であれほど のクオリチィの作品を生み出した当時の制作サイドは素晴らしい。あれは今の 時代では真似できない職人技。
- 181 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 12:49:32.09 ID:O7Psau+F.net]
- >>179
キャプテンウルトラは当時はウルトラシリーズの一つだった。マンからセブン への準備期間を埋めるべく東映が制作。まあヒーローが巨大化しないので作品 コンセプトがウルトラマンとは違ってるね。「宇宙特撮シリーズ」と銘打って いたがシリーズ化されることはなく一作で終わってしまったが、あのあと 「キャプテンウルトラエース」とかのシリーズができてたら面白かったかもしれん。 当時、ウルトラマンのライバルとみなされていたのはマグマ大使の方だが、マグマ の方が放送開始日がほんのちょっとだけ早かった。学校で子どもたちはマン派と マグマ派に分かれて放送の翌日にはどっちが強いか激論を交わしてたという。 しかし一体の怪獣をやっつけるのに4話も使ってたから、お話がちと間延びして いた感じはある。しかしウルトラ怪獣とはまた違ったユニークな怪獣が登場し人気 があった。小生が最高傑作の怪獣だと思うのはダコーダで、あの怪獣はデザインも 造型もすごいと思う。ウルトラ怪獣にあのようなイメージの怪獣はいない。 まあ一度でいいから、ウルトラマンとマグマ大使が戦う場面を観てみたかった。
- 182 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/15(月) 16:10:01.79 ID:8gocqjQe.net]
- クオリチィww
- 183 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 17:53:35.42 ID:O7Psau+F.net]
- ・ウルトラマン変身ごっこ
布団のガレキにうずまり、ベーターカプセルに見立てたペンライトに必死 で手を伸ばす ・ウルトラセブン変身ごっこ 駄菓子屋のサングラスを赤く塗り、布団の上に前面を下にして置き「じょわっ」 と言って倒れ込む ・ウルトラセブン・カプセル怪獣ごっこ 下っ端の友人を3人連れて歩き、いじめっ子がいたら「ミクラス、いけっ!」と 言って鉛筆のキャップをいじめっ子に投げつける。そしてミクラス少年が戦って いる間にスタコラ逃げる。 ・人間モドキごっこ 黒い布を頭からかぶり、首を横にふりながらしゃべる。ハフハフハフと笑う。 ・ミラーマンごっこ 鏡台の前で「ミラー・スパーク!」と言ってポーズをとり、そのまま鏡の中に 頭から突っ込む。
- 184 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 22:49:27.24 ID:kzjmVxxM.net]
- キャプテンウルトラでの青空のような明るい宇宙の描写だが、これについては
平山亨プロデューサーと特撮監督の矢島信男氏らスタッフとの間で「黒」か 「青」かで議論があったらしい。で、当時のテレビ画面の小ささやテレビ自体 の普及度がカラーよりも白黒が主体だったことなどを考慮して、白黒画面でも 発色が明るく出る「青」に決まったという。 現在のカラーテレビで観れば「宇宙はこんなに明るくないぞ」という印象を 持つかも知れぬが、やはり当時の時代ならではの事情があったのだ。特撮作品 はその制作当時の時代背景も考慮しながら観ないといけないね。
- 185 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 23:04:41.09 ID:kzjmVxxM.net]
- シュピーゲル号のデザインは日大の学生らによってなされたと聞く。若い
パワーによってあの素晴らしいデザインが生み出されたことは素晴らしい。 撮影用のミニチュア模型は郡司模型製作所によって製作。三機に分離・合体 するシュピーゲル号は「合体メカ」の元祖である。後のウルトラセブンの ウルトラホーク1号がそのコンセプトを引き継いでいる。 当時のマルサンのプラモ(大サイズ)ではこの三機に分離・合体ギミックが 忠実に再現されていて感動ものであった。わが家ではこのシュピーゲル号の プラモはいつものようにお風呂場遊び行きとなったのだが、単純な形状のため 壊れず、現在でも無事家宝として残っているのであった。
- 186 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 23:29:48.25 ID:kzjmVxxM.net]
- 同年、昭和42年の8月から放送された「光速エスパー」は、高熱や放射能を
遮断し飛行能力など、さまざまな特殊機能を持つ強化服を装着した少年が活躍 する特撮作品。主人公が超能力を持っているのではなく特殊スーツそのもの が超能力を持っているという、日本で「強化服」の概念を広めた先駆的な作品。 主人公が少年であることは、当時の僕らに憧れや親近感を抱かせた。 怪獣ブームまっただ中の作品であるが巨大怪獣は登場せずSF的なストーリー が多かった。また東芝のキャラクターとして電気店の店頭で人形などをよく 見かけたものだ。この作品ですごいのは、主人公のヒカル少年の両親は事故で 亡くなっており、エスパー星人が両親に化身しているのである。そしてヒカル の様々なピンチを超能力で救うのだ。ヒカルはそのことを知らない。この設定 がいつも視聴者をハラハラさせたものだ。最終回はちと意味不明のシュールな お話になっている。着化痔の「イー・エス・パー」のセリフは流行った。自宅 の玄関をイー・エス・パーと叫びながらスキップで走り出ていく子が多かった。
- 187 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/15(月) 23:31:49.40 ID:kzjmVxxM.net]
- 一字訂正 着化痔→着化時
- 188 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/16(火) 00:30:18.98 ID:jLA7IXVH.net]
- 昭和35年の「鉄人28号」の実写版。
アニメのかっこいい鉄人を知ってる人には愕然とするほどの何ともいえない 作品。しかし味わいはある。鉄人28号は着ぐるみで表現され、 身長2メートル程度の第6話までの樽型と第7話以降のドラム缶型の2種類が ある。前者は眼から後者は胸から怪光線を出す。どっちも、あの原作の かっこいい鉄人のイメーヂはみじんもない。 正直、動きはすさまじくのろくてちょっと蹴とばすと倒れそう。鳴き声は どう聴いても象の声。 あまりにも出来がお粗末であったせいか13話をもって打ち切られた。 しかし、このような試行錯誤の作品、たとえ失敗に終わろうともその後の 特撮作品に与えた影響は大きい。最近DVD化されている。観てね。
- 189 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/16(火) 13:08:57.96 ID:iXmZPvOS.net]
- マグマ大使のピープロ特撮は、円谷特撮とはまた違った味わいがあったね。
とくにアニメ合成を多用してるのはユニーク。怪獣アロンの造型にはうなる。 ゴアの大平透さんの演技は素晴らしい。キャラクターが生きている。マグマも 最初は素顔だったらしいが、仮面にして正解。山本直純氏の音楽がまた素晴ら しく印象深いが、音楽テープが現存せずサントラCDが出てないのは残念至極。 マグマはロケット人間だが、ロケットから人間体へ変形する場面の全身シーンが 観てみたい。
- 190 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/16(火) 16:17:12.99 ID:ng80AbH5.net]
- あまりに面白くて過去スレも探して一気読みしてしまった
現行スレのほうが昭和文化を感じられて、より面白いですわ
- 191 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/16(火) 17:32:41.23 ID:iXmZPvOS.net]
- 昭和ッチ!
- 192 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/16(火) 17:53:47.63 ID:iXmZPvOS.net]
- マグマ大使の音楽世界
作曲は山本直純氏。マグマ登場時の♪タ〜タタ〜カタ〜タ タ・タ・タ〜タ〜 タ〜ン♪という勇壮な曲、そしてゴア登場時の♪バァ〜アア〜ン、タ〜ラッタ タラララ〜♪という曲などは忘れることはできない。カニックスの回のラスト、 亡くなった原田老人にマグマが詫びる場面にかかる主題歌アレンジの曲は最高に よろしい。 マグマは音楽が豪華で、怪獣ごとに違う曲を作って録音していた。個人的に 好きなのはガレオンのテーマで♪タンタンタン、タンタンタン、タラララ〜 タラピラ〜♪という低音メインの曲は血沸き肉躍る。 またマグマの飛行音や足音、関節動く時の「カチャッ」という音、ロケット 体から人間体になる時のカシーンという音、ゴアの円盤のガガガという飛行音 など、マグマ大使の効果音は一度聴いたら忘れられないインパクトがあった。
- 193 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/16(火) 22:32:55.91 ID:ENUFb0oW.net]
- 小学二年生のとき、近所のおんなの子たちの訪問を受け、怪獣映画に誘われた。
「ひょっとしたらオレって結構モテるタイプなの?」と勘違いした。 「大怪獣ガメラ」が何十円かで観れるという。 昭和41年の春のことだから、再上映ということでの特別料金だったのだろう。 大画面で怪獣映画を観たのはこれが生まれて初めて!大興奮で観た。 とくに東京タワーが倒壊するときのスローモーション映像には心を奪われた。 そして、近日公開の「ガメラ対バルゴン」「大魔神」の総天然色の予告編! なるほど、これが格安特別企画の真の目的だったのだね。 今になって考えると、当時は女子でも怪獣に興味を持ってたものがいたろうが おんなの子達だけで怪獣映画を観に行くことなど、その頃の常識ではとうてい 考えられなかった。そこで当時、テレビの「ウルトラQ」にハマってはしゃぎ まくっていたオレが「だし」に使われたということらしい。 だしでもなんでも大歓迎、しかし、そんな幸運はそれっきりだった… 「ガメラ対バルゴン」「大魔神」、もちろん予告編に刺激され観に行ったさ、 次々と公開される特撮映画も…すでに怪獣ブームは始まっていたようだった。
- 194 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/17(水) 01:24:14.17 ID:4cWY6cVc.net]
- おっちゃん何歳?
- 195 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/17(水) 02:28:04.89 ID:PlFGeVsf.net]
- 同人誌とかに書いてた人かもな
- 196 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/17(水) 04:18:49.69 ID:H96y4tPq.net]
- >>193
女の子に怪獣映画に誘われるとは貴重な体験をされましたねえ。しかも 観た映画が「大怪獣ガメラ」とはすごい。拙者のとこでは女の子の怪獣ファン はいなかったですね。映画館で怪獣映画観に行ってる子どもはほとんどが男の 子。たまに家族で来てて妹やお姉ちゃんがいっしょについてきてるということ はあったやうだけど。 あの当時、男の子はヒーローや怪獣やプラモ、女の子はままごとやお人形 遊びというのが定番で、今の時代のように価値観が多様じゃなかったから、 何となく、みんながやってることを自分もやらなきゃという固定観念があった ように思うね。怪獣ファンの女の子も多分いただろうけどそれを堂々と言い出 せる勇気のある子はほとんどいなかったかも知れないですね。 拙者の場合、怪獣ファン、プラモを作ってる女の子は全く会ったことがない ねえ。
- 197 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/06/17(水) 04:23:49.66 ID:H96y4tPq.net]
- 怪獣ファンの女の子、いらっしゃいましたら思い出を語って下さいまし。
- 198 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/17(水) 06:04:45.55 ID:7mmZ0Fzw.net]
- 一人称の「拙者」が、とてもオタ臭くて気持ち悪い
- 199 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/17(水) 09:12:48.14 ID:+vhPEcta.net]
- >>198
そこが昭和のオタクっぽくていいんじゃない そんな事より話がすげー興味深い
- 200 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/06/17(水) 13:05:37.66 ID:4cWY6cVc.net]
- 何歳か教えてくれんのかいな?
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