- 1 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/04/10(金) 08:22:12.86 ID:DsafX8Bj.net]
- 昭和の時代を感じられるものをまだまだ語りましょう
文化、小物、世相とか…
- 301 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/07(火) 11:20:30.33 ID:J/A80Sdi.net]
- 昭和45年は特撮不作の年でした。
この年の夏休みはチャンピオンまつりには行かず、 東映まんがまつりで石森章太郎の「海底3万マイル」を観ました。 怪獣映画より面白かったです。 この頃既に石森章太郎は大御所でしたが、 まだ特撮の原作はやってませんでした。 万博にも2回行きましたが、 パビリオンの中を観るより外で並んでる時間の方がずっと長くて、 行ったのが2回とも夏休み中で、猛暑の中、夜の9時頃まで行列に並んでて 死にそうになりました。 行った後、2回とも扁桃腺を腫らして寝込みました。 でもアメリカ館で焼け焦げたアポロ司令船を見られたのはいい思い出です。 あんな小さな宇宙船で月まで行って帰ってきたアメリカ人はすごいと思います。 未だに自力で有人宇宙飛行ができない日本人には絶対真似できないと思います。
- 302 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/07(火) 13:02:09.23 ID:JrXxu1sn.net]
- >>301
おお〜、万博に根性で行かれましたか。しかもアメリカ館でアポロ司令船 をご覧になったとはすごいですな。さぞお疲れになったことでしょう。あの 時は人気パビリオンはすごい行列でしたね。小生はさすがに並ぶ元気はなく 日本館にちょこっと入っただけでした。でも太陽の塔の内部は観ましたよ。 生命の進化の展示がけっこう感動的でした。 この年は特撮ものは今ひとつでしたが、それでも海外作品の「謎の円盤 UFO」などは放送していましたね。サンダーバードの制作会社が作った 人間が演じる特撮作品で、登場メカがカッコよかったです。
- 303 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/07(火) 18:09:46.54 ID:JrXxu1sn.net]
- >>301
世紀の一大イベント、万国博覧会に2度も行かれたとはすごいですね。 万博関係の特撮作品といえば、ウルトラマンのゴモラは大阪万博に展示予定 (こんな大怪獣、生きたまま展示なんてムリ!)でしたし、仮面ライダーの 死神カメレオンの話は71年に会期が終わった万博跡エキスポランドで撮影され ています。 アメリカ館やソ連館は大人気で何時間も長蛇の列だったそうです。本当に お疲れさまでございました。万博会場が壊されそうになった映画は「ガメラ対 ジャイガー」だけでしたね。東映まんがまつりの「海底3万マイル」はSF ものアニメでした。火炎竜というメカ怪獣が出てきました。個人的には前年の 「空飛ぶゆうれい船」が思い出に残っています。石森氏は翌年の「仮面ライダー」 で一大ブームを巻き起こします。
- 304 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/07(火) 22:11:22.94 ID:vc9seQ1C.net]
- 私は万博へは母親、父親、叔父に連れられて都合三回行きました。
特に母親と行った時は待ち時間もそれぞれ数十分くらいでアメリカ館、三菱未来館、太陽の塔など人気の高いパビリオンに沢山入れました。 特撮がらみで書くと太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝特美。三菱未来館の映像も東宝だった筈ですよね? 今一つ不確かなので正確なことをご存じの方が居たらご教示下さい。
- 305 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/07(火) 22:15:03.28 ID:suSQpTzv.net]
- さて、本日7月7日は特撮の神様、円谷英二氏の誕生日です。七夕の日のお生まれ
なんですね。福島県須賀川市出身。氏の業績はゴジラやウルトラマンを生み出す など、日本特撮界においては本当に神様のような人でした。 そしてお亡くなりになったのが1970年の1月25日でした。奇しくも最後に手がけ られた仕事が、万博の三菱未来館のサークロマ撮影でした。このサークロマ撮影 のため徳島鳴門の渦潮をロケしさらに特撮プールに自ら入り演出。これがたたっ て体調を崩されたそうです。最後まで特撮映像にかける執念を感じます。 残念ながら小生はこの三菱未来館のサークロマ映像は観ていません。「日本の 自然と夢」をテーマに火山活動や未来の海底牧場など、迫力ある映像を360度 視界に映し出すのが「サークロマ映像方式」というものでした。当時大変な 話題となり、三菱未来館は最も人気のある企業パビリオンであったそうです。 音楽は伊福部昭氏。円谷英二氏最後の作品、観たかったですねえ・・・
- 306 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/07(火) 22:37:01.70 ID:suSQpTzv.net]
- >>304
万博に複数回行かれたそうでうらやましいかぎりです。 >待ち時間もそれぞれ数十分くらいで人気の高いパビリオンに沢山入れました それはラッキーでしたね。3月から9月までの開催でしたが、6月頃は比較的 空いていたそうです。 >太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝 特美。三菱未来館の映像も東宝 生命の樹のデザインは成田亨氏で間違いないようです。生命の樹の枝に 取り付けられた300体の模型製作は円谷プロという表記(「太陽の塔」のwiki) がありますね。三菱未来館の映像は田中友幸製作、円谷英二特技監督、中野昭慶 助監督、伊福部昭音楽、坂野義光監督の東宝特撮スタッフ製作でした。 当時会場でご覧になったのでしょうか?
- 307 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/08(水) 00:47:17.09 ID:you431ZD.net]
- >>305
三菱未来館のアトラクション映像の音楽はゴジラ対ガイガンのメインテーマとして 流用されているのも有名な話だね。 この映像は、、後にエキスポランドの天変地異やカタストロフを体験できる アトラクションに流用されていたように思う。 残念ながらアトラクションの名前を忘れたが このアトラクションは記憶では1970年代後半まであったもので、360度全周がスクリーンになっており 10人程度が座れる円形の大きなソファがバンクのついた回転する床に数基ついており 映像が始まると床とソファが動き・振動して風が館内を吹き荒れるといった臨場感のあるアトラクションだった。 記憶はおぼろだけど、三菱未来館の映像以外にも日本沈没の映像が流用されていたうように思う。
- 308 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/08(水) 02:52:26.48 ID:qeXqUAIP.net]
- >>307
色々情報ありがとうございます。エキスポランドのアトラクションにまで お詳しいとはすごいです。よく行かれてたのでしょうか。万博後がんばって 営業していましたが、事故などの影響で2009年に閉園しました。小生も1980 年代に行ったことがあるのですが、ダイダラザウルスがギシギシガタガタ 音を立ててたのが別の意味で怖かったです。アトラクションは覚えてない ですね。 「ゴジラ対ガイガン」(72年公開)の音楽はそれまでの伊福部音楽があれも これも詰め込まれていますね。三菱未来館の曲は「火山」か何かが流用され てるとか。壮大な曲だったイメージがあります。
- 309 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/08(水) 03:09:24.37 ID:qeXqUAIP.net]
- いや〜、みなさん、やはり万国博覧会の思い出は強烈なものがあるようですね。
あの行事って、東京オリンピックの次に日本が国の威信をかけて取り組んだ 一大イベントであった気がします。東京オリンピックの時は、戦後まだ日本が 外国に完全に認められていなかったのを、オリンピックを成功させたことにより 世界中に日本の国の力を示したというちょっぴり悲壮感のようなものがあった のですが、万博の場合はもう世界的なお祭りという感じで、日本の文化的な パワーを発揮しました。東宝や円谷プロの参加もさすがだと思います。 そんな中、円谷監督が現世から去って行かれ、我々特撮ファンにもショック であった1970年でした。今から思えば、この頃の日本がいちばん輝いてたように 感じますね。
- 310 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/08(水) 16:45:56.32 ID:dUP9a89e.net]
- あの時代の輝きの正体はいったいなんだったのでしょうかね。
月には有人ロケットを次から次へと飛ばし、テクノロジーは 年々進化して行くのがだれでも目に見えて実感出来てたから、 1980年代は月にムーンベースなるものが出来ると言われたら、 「もちろん、そりゃあ出来るさ」と単純に信じられた時代。 勿論、近いうちに日本製の月基地なるものがきっと出来ると、 いまでも考えてるが、その際は工事前に熊谷組だか大林組が 古式に乗っ取った正式なる地鎮祭を行なうものと確信する。
- 311 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/08(水) 22:49:41.16 ID:you431ZD.net]
- 1970年前の初めってのは万国博で「夢の21世紀」が疑似体験できた時代。
高度経済成長がまだ続いていて、日本の人々がまだ夢を見ることができた時代でもある。 これは1974年のオイルショックで突然終焉を迎えるわけだけれども。 そういう中で、世紀末も近くなって科学や経済が発達した夢の世界に対する負の現実 も特撮でも描かれるようになった。 それが公害問題を扱った1971年のゴジラ対ヘドラ、スペクトルマン。 そして、繁栄しきった日本が壊滅するという日本沈没。 1973年の日本沈没の映画公開(これは1974年のお正月映画でもある)の前の月には、 ノストラダムス大予言が発売されてこれもベストセラーに。 世紀末に向けての世界終末思想がここから広がって安直に「夢の21世紀」を信じられない ようになったのも1974年からぐらいだろうね。
- 312 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/08(水) 23:59:04.83 ID:iUo4yt+n.net]
- ディストピア的未来の萌芽は、60年代のニューウェーブSFにも見られたし、ペシミスティックな週末イメージのハシリとしては、ロメロのナイトオブザリビングデッド(地球最後の男でもいいけど)もあったな
それらがオカルトブームに結びついてひとつの完成されたイメージを持つに至ったのが1974年て感じ?
- 313 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 00:06:45.92 ID:L0rs8rWA.net]
- >>310
「1980年、すでに人類は地球防衛組織SHADO(シャドー)を結成していた。」 のオープニングナレーションで始まるのは「謎の円盤UFO」(70年放送) でしたね。ドラマ内では月にムーンベースが建造されていました。放送年 からたった10年後のことなのに、あの頃の僕らは明るい未来に対する夢と 希望を持って信じていました。それが最高に結実したのが70年の万博でした。 今から思えば本当にすごい時代だったんだと感じます。あの時代を経験した 僕らは今でも、あの頃を思い出すと胸が熱くなりますね。 >>311 万博以降の日本の情勢を簡潔にうまくまとめて下さってありがとうございます。 まさにそのとおりですよね。日本繁栄の影に公害問題などが出てきたのが71年頃 でした。これ以降、未来は明るいものではなくだんだん暗いものになっていきま した。そして世紀末に向かって世界終焉的な雰囲気が世の中にも出てきます。 特撮作品もそのような世界観が描かれるようになっていきました。
- 314 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 00:22:07.13 ID:SYYYH1df.net]
- >>312
1970年代の始めというのは色々な意味で 時代や世界を冷静に見つめ直すという気運が世界的にあったんじゃないかな? アメリカではベトナム戦争の長期化で厭戦ムードが高まり、体制批判のニューシネマが台頭。 ベトナム戦争は米ソの代理戦争でもあるわけで東西緊張も相変わらず背景にあり 日本にとっても対岸の火事という感覚ではなくなってきたと思う。 それはメディアの発達による世界情勢のリアルタイム化とか1970年のよど号事件、1972年のあさま山荘事件 等、暗い影を落とす事件が相次ぎ、日本人も意識改革を迫られた時代でもある。 日本でも一大イベントである万博をピークに、ポストエキスポの時代は未来に対してシニカルな感覚が 意識せずとも醸成されていった。 そこにノストラダムスの大予言や、日本沈没といった終末思想的世界観が日本人にもリアルに感じられたんだろう。 ゴジラシリーズで言っても、ヘドラに始まり、ガイガン、メガロ、メカゴジラの逆襲等はいずれにしたって 行きすぎた文明批判的なトーンがどこかにあるよね。
- 315 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 00:26:03.38 ID:L0rs8rWA.net]
- 万博以降に進む前に、1970年にちょっと記憶に残る特撮番組が。それは9月に
放送スタートした「ウルトラファイト」である。これを観たことがない人は ほとんどいないのではなかろうか。前期はウルトラマンおよびウルトラセブン の戦闘シーンを抜き出してプロレス風の実況を加えていたが、後期は同作の 登場キャラクター(セブンや怪獣など)を使って野外での着ぐるみによる 格闘を展開するというバラエティ色の強い番組となった。 とくに印象が強烈なのは後期の方で、くたびれた着ぐるみの怪獣がそこらの 野原に現れて対決するという、過去の特撮ファンが観たら「何じゃこれは?」 というような番組であった。放送開始当初こそマスコミから「円谷プロは 出がらしのお茶で商売をしている」とボロクソ言われたらしいが、怪獣作品 を観慣れていない児童にとっては人気番組となった。その結果、第2次怪獣 ブームを生み出す原動力となっていった番組だったのである。
- 316 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 00:36:44.76 ID:SYYYH1df.net]
- >>315
1969年〜1970年にかけての2年間は、新マンが1971年に始まるまで 子供達は、新作の特撮作品に飢えていた時代だったと思う。 しつこくウルトラQ〜セブンはリピート放送されていたという事実はある けど、あの頃は怪獣が出てくれば何でも良かったという感覚もあった。 自分もウルトラファイトは、むさぼるように飽きずに見ていたですw 特にアトラクのバルタンやイカルスは、1969年ぐらいにあったデパートの 怪獣ショーで見たのと同じものだったので、凄く親近感が沸いたのを覚えてますね。
- 317 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 00:54:37.58 ID:L0rs8rWA.net]
- >>316
ウルトラファイト、これはある意味すごい番組でしたねえ。オープニング 画面が2種類あって、白バックに赤と青のひび割れた文字ならマンとセブンの 本編戦闘場面の編集、炎バックの映像なら着ぐるみ同士の野外決闘でした。 あの脳天気なウエスタン調の音楽と山田二郎アナウンサーの軽快な実況が 忘れられません。アトラク用のくたびれた着ぐるみが何とも言えない味わい を出しておりました。新撮部にはウルトラセブンは出てきますがウルトラマ ンは出ません。これはナゼなんでしょう。サブタイトルがまた斬新で「やらず のウー」とか「怪獣餓鬼道」とかすごいものばっかし。
- 318 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/09(木) 01:00:15.39 ID:+5pbaPRj.net]
- 「ウルトラマンは僕たちに愛と正義を教えてくれた」
「地球の平和は俺たちの力で守って行かなければならない」 などという雰囲気から、70年代に入った頃からなんだか 世間の風潮が変わって行ったようです。 勧善懲悪、単純明快な映画やドラマが姿を消して、 ATG映画みたいな虚無的な思想が特撮ものの中まで入って来た。 この頃「あっしには関わりござんせん」みたいな流行言葉が出て、 体制に迎合しない個人主義や、アナーキストが幅を利かしてきた。
- 319 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 10:10:07.33 ID:wm3HzdI6.net]
- 1970年、それは「自分たちの価値観に合わないモノへは抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議あるのみ!」という時代の幕開を告げる年でした。
1970年10月に発行された小学館の『小学二年生』11月号の付録にあった「かいじゅうけっせんカード」に、「スペル星人」の説明として「ひばくせい人」という記述があり このカードを見た女子中学生が、東京都原爆被害者団体協議会の専門委員であった父・中島龍興(在韓被爆者問題市民会議代表)に相談し、父親は『小学二年生』編集部に抗議文を送付。 円谷プロ側の正式回答を待たずに朝日新聞が「被爆者を怪獣扱い」と一方的に報道したため、抗議運動は短期間のうちに広島・長崎の被団協などにも拡大。 他の新聞社なども同様に抗議団体の主張のみを大きく取り上げた追従記事を記載したので全国的な行動になって、円谷プロは1970年10月21日付けで謝罪の意を表し、スペル星人に関する資料を封印。 ブルーレィで復活の淡い期待も失望へと化しました。 どんどんテレビがつまらなくなっていくエポックの年でした。
- 320 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/09(木) 16:53:46.57 ID:C8TL2I79.net]
- なんか物いスレッドですねここ
- 321 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 20:13:28.00 ID:L0rs8rWA.net]
- >>318
そうですねー、世の中全体がなんか万博で頂点に達して燃え尽きちゃった 感じはありましたね。その後は公害とかそれまでの負の側面が一気に出て 来た感じで、TVや映画、文化的なものまで変わっていった気がします。 >>319 おお、あのスペル星人事件はこの年でしたか。あれはネーミングの呼称の 問題であって映像の内容には無関係だったのにね。これはけっこう大きな 社会問題として取り上げられた記憶があります。
- 322 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 23:30:40.59 ID:L0rs8rWA.net]
- みなさんの1970年、および70年代についての熱い思いが伝わりました。
やはりこの70年という年は特別な思い入れがある方が多いようですね。さて 万博終了後の70年代はどのような時代だったのか、どんな特撮作品が生まれ ていったのかこれから振り返ってみましょう。 まずは1971年(昭和46年)ですが、いよいよ第2次怪獣ブームが起こります。 この年の有名な特撮作品は、やはり何と言っても「仮面ライダー」(4月放映 開始)ですね。もはや歴史的な番組です。そして円谷プロの「帰ってきたウル トラマン」(4月)「宇宙猿人ゴリ」(1月)「シルバー仮面」(11月) 「ミラーマン」(12月)などが続々とスタートします。 わが家では昭和45年か46年頃にカラーテレビをやっとこさ買いました。最初は その映像の美しさに感激していた覚えがあります。白黒からカラーに変わった 時、科学時代の進歩を実感しましたね。新しい時代がやってきたという感じ でした。
- 323 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/09(木) 23:47:28.54 ID:SYYYH1df.net]
- >>322
我が家にカラーテレビがやって来たのは、忘れもしない1972年の2月の初めだった。 なぜそこまで憶えているかといえば、家で初めて見たカラーの特撮が 帰ってきたウルトラマンのコダイゴンの回だったから。 いやとにかく感動した。 ウルトラマンのシルバーと赤が眼にまぶしかった。 当時はだいぶカラーテレビは普及していたから、我が家は導入が比較的遅かったかもしれない。 たぶん72年にもなると 【カラー】 なんていうテロップはもうテレビの右下には出てなかったと思う。 いまの感覚で考えると、そのカラーテレビは18インチ程度のもので画面は小さいのだが ブラウン管なので筐体はずいぶんとデカかった。 テレビの天板の上に、レースの敷物を敷いて、その上に置物とか時計を置いていたのも憶えてる。 リモコンなんてものも勿論なくてチャンネルでガチャチャやってましたな。 でUHFの方はぐるぐると回す感じ。 NHKだけはVHFとUHFの両波でそれぞれ異なる放送をやっていて、刑事コロンボなんかは UFH波でよく見た印象が残ってます。
- 324 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/10(金) 00:17:01.30 ID:0azeo2JI.net]
- >>323
おお、カラーテレビの思い出ですな。詳細に覚えておられますね。たしかに 当時のテレビはスリムじゃなく、奥の方がけっこう大きかったです。チャンネル ガチャガチャでしたねえ。最初のリモコンはテレビのチャンネル部分が勝手に ガチャガチャ回るという不気味なものだったらしいです。もちろんそんなもの はまだなくて手動でした。 そういえば「カラー」テロップありましたね。たしか新聞の番組欄にも最初は 「カラー」って書いてありましたが、昭和40年代後半にはカラー番組がふえて 記載しなくなったはず。カラーテレビで最初に観た番組は何だったか覚えてない ですが「細うで繁盛記」などはカラーで観ましたね。特撮番組はあの頃何を観て たのかよく思い出せません。仮面ライダーは旧1号編から観てました。今でも 旧1号がいちばん好きです。
- 325 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/10(金) 01:02:21.96 ID:fwzK0wsk.net]
- タイガーマスクvsゴールデンマスク戦をカラーテレビで観戦してたちびっ子ハウスの子供たち。
ゴールデンマスクが発光しだして、みんな目をやられ、若月先生が 「カラーをしぼって白黒にしなさいっ」とルリ子さんに言うシーン 当時白黒テレビで見ていて、カラーで見たら本当にまぶしくて見ていられないんだろうか? と思った記憶あり。
- 326 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/10(金) 03:58:02.15 ID:0azeo2JI.net]
- >>325
「虎だ!虎だ! お前は虎になるのだ!」「タァ〜〜ッ!!」 あの当時、現在のような「伊達直人現象(タイガーマスク運動)」が起こる ようになろうとは想像もしませんでしたね。
- 327 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/10(金) 09:40:19.64 ID:0azeo2JI.net]
- 昭和46年頃のカラーテレビの普及率はおおよそ50%前後で、国民の約半分の
家庭はカラーだったがまだまだ白黒テレビで見ている人も多かった。 昭和46年頃はカラー放送に完全移行し始める時期で、ゴールデンタイムの番組 はほとんどがカラーになっていた。しかし当時のカラーテレビはまだまだ値段 が高くすぐに手を出せる物ではなかったようで、月賦や貯金をして意を決して カラーテレビを購入していたのが現実だった。わが家もそうだったかも知れない。 テレビが来てしばらくはみんなで「きれいな色やなあ」と言いながら観ていた のが思い出される。わが家のカラーテレビはソニー製の物で、とくに青色が きれいという定評があった。しかし下宿先の伯母さんの家はずっと白黒テレビ で、宇宙戦艦ヤマトも初回放映は白黒で観た。
- 328 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/10(金) 23:17:28.78 ID:0azeo2JI.net]
- 4月から始まった「仮面ライダー」を観ていた。全身が黒っぽくて昆虫のよう
な顔をしたちょっと異色のヒーローだった。改造人間という設定。お話も怪奇 調でちと不気味。しかしながらゾクゾクする妙な爽快感はあった・・・ この作品の基本線は等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快SF怪奇アクション ドラマ」であった。怪奇ドラマ的な演出ではあるが、颯爽とオートバイに乗って 「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや グロテスクな怪人の登場が特徴である。ショッカーという敵が妙にリアルだ。 最初は変わったヒーローだなと思って観ていたが、しばらくしたら急に眉の 濃いお兄さんが出なくなって新しい別のお兄さんが。そして腕を回すポーズ をしてベルトの風車を出し、飛び上がるとそこにはマスクの色や模様が違う 仮面ライダーが出てきた。あの時、観ていた僕らは????であった。この お兄さんはだれ? 最初の黒い仮面ライダーはどこへ行ったの? 当時の僕らは、藤岡氏のオートバイ事故の事情など全く知らなかった・・・
- 329 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/10(金) 23:42:46.82 ID:0azeo2JI.net]
- 「変身!」のかけ声と腕を回す変身ポーズで出現するのが新しい仮面ライダー
2号であった。こちらは大変明るくて変身するお兄さんもさわやか。全体の 雰囲気も明るくなった。作品の視聴率もアップして日本中に「変身」ブームが やって来たのだ・・・ だがしかし、しかしだ、僕らは忘れていなかった。あの黒い旧1号仮面ライダー を。あのライダーはどこへ行ったのか? 2号のお兄さんの話では外国に行った とのこと。ではまたいつか出てくるのか・・・? 黒い仮面ライダーへの思いを 残しながら、仮面ライダーは怒濤の勢いで日本を席巻していったのである。
- 330 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 00:36:21.38 ID:30G2Svkz.net]
- どこを目指してるの?
- 331 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 00:42:44.96 ID:L7xFnx+s.net]
- まだ人の胸に ぬくもりがあって
まだ海の色が コバルトの時代 を目指してるんだよ、明智くん。
- 332 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/11(土) 09:17:08.05 ID:lKcKqP9/.net]
- 怪獣が表紙になっていた高額な特集本は
夢とあこがれだった。
- 333 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 10:11:06.91 ID:cEgKyrni.net]
- 僕が初めて仮面ライダーを見たのはヤモゲラスの回からだった
スノーマンの時「諸君はこの青年を覚えているだろうか?」と聞かれても 「誰?」という感じだった だから僕の1号ライダーは一文字隼人
- 334 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/11(土) 10:12:31.15 ID:dP0fc8KP.net]
- うちもカラーテレビが来たのは昭和46年7月だった。その日に仮面ライダーがあり、
ヒトデンジャーの回だった。カラー調整ツマミをいじって、ヒトデンジャーの体色をいろいろ変化させて楽しんだのを 覚えている。
- 335 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 10:19:37.54 ID:t6P9Zawx.net]
- >>334
ああ、やった。やった。 今のハイテクなHDテレビだと映画見る時とかの総合的な調整をすることはたまにあるけど まず触る事ないからな。設定が狂っても面倒だ。 だけど昔のアナログカラーテレビは色調整が簡単にできたな。 あとテレビの裏側は、たいてい木でできていて、放熱用に穴が空いていて中が除けるようになっていた。 さすがに白黒テレビと違ってもうトランジスター化されていたけれど。 ちなみに家の初カラーテレビはソニーのトリニトロン。 タコの赤ちゃんのCMが懐かしい。
- 336 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 12:00:45.53 ID:ACwQrd6q.net]
- >>331
シーっ。 それは薄々感じていた。 ここだけの秘密にしておくんだワトソン君。
- 337 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 12:34:44.88 ID:L7xFnx+s.net]
- >>333
そうですね。あの当時は完全に藤岡弘、さんより佐々木剛さんの方が人気 でしたよね。2号ライダーになってから仮面ライダーの人気が急上昇したため、 当時旧1号ライダーは観てなかった人も多いだろうと思います。旧1号に思い 入れがあるのは少数派かも知れません。しかし2号になってから、ほんまに 作品カラーが明るくなりました。ライダー自身も体にラインが入って明るく なり、一文字隼人の性格も本郷猛よりずっと明るくちょっとコミカルに設定 された。主題歌も藤岡さんのシブい歌から子門さんのはっきり明瞭な歌に。 ライダーガールズも出てきて画面が華やかに。何よりもあの「変身ポーズ」 が出てきたことが最大のアピールポイントですね。変身ポーズは当時の子ども 誰もがマネしたものです。 しかしこれも全ては藤岡さんのバイク事故による降板から始まったできごとで した。もし当時、あのまま藤岡さんが続けてライダーを演じていたならあそこ まで有名作品にならなかったかも知れません。まさにケガの功名といいますか。 仮面ライダーはこのように奇跡的な主役交代によって人気がアップしました。 そして藤岡さんが再登場してダブルライダーが誕生した時、その人気が頂点 に達しました。
- 338 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 14:49:23.00 ID:cEgKyrni.net]
- ゾル大佐と戦うライダーがCMに入った時、チャンネルをガチャガチャまわして1分間だけこれ見てました
https://www.youtube.com/watch?v=ozxwzCgeL8w ヒロインは後のキャンディーズのスーちゃんです 舞台で見る特撮番組でしたが、怪獣の造形センスが素晴らしい ソフト化できないのが悔やまれて成りません
- 339 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 15:32:18.31 ID:L7xFnx+s.net]
- >>332
怪獣図鑑の種類の書籍ですね。昭和40年代から数多く出てました。当時は 写真資料が少なかったため、梶田達二ほかの絵師によって迫力あるイラスト が描かれたものが多かったです。その中にはテレビではなかった夢の対決も 描かれていました。またTVの俳優によるオリジナルドラマのソノシートも 付いているものがありました。あの頃は情報が少なく、それらの書籍は貴重 な情報源でしたが、時々「ほんまかいな」というような怪情報も書かれてい ましたね。ふらんす書房、現代芸術社などの出版社が懐かしい。 あの頃は少年マガジンなどの巻頭グラビアでも怪獣やヒーローが登場し、子 ども向けの本はほとんど怪獣たちに占拠されていたものです。
- 340 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 16:12:40.02 ID:lKcKqP9/.net]
- 週刊漫画雑誌も、別冊の月刊・季刊を発売していたぐらい、当時は月刊漫画雑誌は
人気があったな。しばらくすると週刊に駆逐されてしまったが。 月刊の魅力は、ふろくの多さ。雑誌の厚みが3倍にふくれあがるほど、付録満載だった。 ふろくがこぼれ落ちるので、雑誌を紐で縛って売っていた。
- 341 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/11(土) 16:54:13.31 ID:I8hBaJ9C.net]
- 冒険王は残ったけど、新たな月刊漫画誌コロコロコミックに駆逐されたな。
- 342 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/11(土) 17:48:24.38 ID:E5wZOa/P.net]
- 仮面ライダーといえば山本リンダも出てたな。
当時は「♪困っちゃうな」のカワイ子ちゃん歌手のイメージが生きてた時代。 あんまり有名役者が出る番組じゃないのでやや意外だった。 その後リンダは「ウララ〜ウララ〜」のセクシー路線に移行する。
- 343 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/11(土) 22:25:06.00 ID:lKcKqP9/.net]
- 昭和40年代の日本、
東京オリンピック、カラーテレビ、高速道路、東海道新幹線、 六本木ヒルズ、霞ヶ関ビル etc まだトーキョーが若者を魅了していたあの頃。
- 344 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/12(日) 00:11:26.17 ID:XEns3J7U.net]
- >>342
ライダーガールはいろんな子が出てましたね。個人的には高見エミリーが 好きだった。一文字はいつもライダーガールがいない場面で変身してたが、 ライダーガールは一文字や本郷の正体を知っていたのかどうか気になる。 野原ひろみ役の島田陽子さんはけっこう有名な女優さんだね。 ところで旧1号編に出てた緑川ルリ子役の真樹千恵子さんだけは本郷が日本 に帰って来てもいっしょにいる姿はついに見られなかった。彼女は本郷を 追って外国に旅立ったあとどうなったのだろう。すんごく気になる。
- 345 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/12(日) 02:47:08.24 ID:XEns3J7U.net]
- >>340
60年代の月刊漫画雑誌には「少年クラブ」「少女ブック」「少年ブック」 「ぼくら」「少年画報」「まんが王」「冒険王」などがありました。 附録はけっこう凝ったものが多く、少年画報の組み立てマグマ大使や ジェットモグラタンクは紙製とは思えないほどよくできていました。また 別冊附録漫画という形で本誌の続きなどが別冊になっていました。「ガメラ 対大魔獣ジャイガー」の別冊附録が劇場でプログラム代わりに売られてたの を買った記憶があります。(本誌は何の本だったのか忘却・・・) 週刊漫画雑誌の進出によってしだいにその姿を消し、最後まで残った冒険王 も83年4月に廃刊となりました。冒険王は74年に松本零士の宇宙戦艦ヤマトが 連載されており(月刊誌のため展開がTVについて行けず、異次元空間に 入ったと思ったら次号で最終回というムチャクチャな展開。後に単行本で 大量加筆)、その頃は買っていました。冒険王には仮面ライダーストロンガー や、アストロミュー5など珍しい特撮ものも載ってました。月刊漫画雑誌は 当時の特撮作品をよく取り上げていたと思います。
- 346 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/12(日) 11:53:55.07 ID:XEns3J7U.net]
- >>339
怪獣図鑑は朝日ソノラマのものが元祖かなと思いますが、たしか初版には ぬえ、鎌倉大むかで、青銅大魔人などTVには出てこない怪獣が載ってたので 後に差し替えられたと聞いた。青銅大魔人は蒙古の軍船が運んできたという 設定だが、いったいどのような構造で動かしてたのか謎だ。設定は面白い。 たしかソノシートにはこの青銅大魔人が出てくるものがあった。ソノシート のドラマはTVを離れた自由奔放なもので、バルタン星人がボスで集まった 宇宙怪獣と地球怪獣連合が対決するという壮大な話もあった。また、サンダ とガイラが暴れるのをゴジラとラドンが諫めに行くという話も。これらはぜし とも当時の着ぐるみで映像で観たかったものだ。 また書籍でなくソノシートを単品としてレコード店などでも売っていた。朝日 ソノラマのものが多かったと思う。だいたいは歌とドラマで構成されてるのが 多く、好き!すき!!魔女先生などは菊容子さんご本人が声の出演をされていて 貴重なものとなっている。
- 347 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/13(月) 12:40:29.25 ID:5KZr7tsx.net]
- 当時、怪獣図鑑は書店、ソノシートはレコード店で売ってたね。
怪獣図鑑は男の子はたいがいの子が持っていなすった。怪獣の解剖図を考案 したのはかの大伴昌司御大らしいが、その件で円谷プロとひともんちゃく あったと聞く。少年誌の怪獣グラビヤには必ず氏のイラストが載っていたもの だ。 ソノシートは当時、朝日ソノラマの仮面ライダー旧1号が表紙になってるものを 手にしたのだが結局買わず、ライダーとスペクトラマンがいっしょに入ってる方を 買ってしまった。旧1号のファンだったのになぜ買わなかったのか不思議でならない。 ドラマの声優がオリジナルでない時はどうも違和感があったなあ。 仮面ライダーはダブルライダーから新1号まで全部観た。ダブルライダー編で旧1号 は帰って来たのだが、真黒なマスクに真っ赤な目玉の桜島1号は、なんとなく往年の 旧1号とはイメーヂが違ってた。「え?これ旧1号なん?」っていう感じ。その後 新1号に変わって旧1号は完全に姿を消したのだが、やっぱりあの初期の旧1号が マスクの色や造型も味わい深いものがある。サイクロン号も初期の旧1号が乗ってた ものがいちばん好きだった。新サイクロンが出た時はデザインのしょぼさにえらく ガッカリしたのを覚えている。
- 348 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 04:26:56.83 ID:R39ExbKf.net]
- ♪荒野を渡る風 ひょうひょうと〜♪
個人的にはこの「ロンリー仮面ライダー」という歌は最高によいですね。 短い歌詞の中に、改造人間の哀しみや孤独、たとえ独りでも最後まで戦う という強い意志が内包された素晴らしい歌。 ♪されどわが友 わがふるさと♪ ふつうの人間だった頃の友人や故郷に 心を偲ばせてる、現在のつらい境遇が哀しくて涙が出てくる。ライダーソング の中で最高傑作やと思います。カラオケで歌うと泣けます。
- 349 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 12:53:36.05 ID:oqa5I5oc.net]
- 1971年7月に公開された久々の新作ゴジラ映画が「ゴジラ対ヘドラ」である。
時代背景として大きな社会問題であった公害問題を前面に打ち出し、特に 当時話題だった「四日市コンビナート工場煤煙」「田子の浦港ヘドロ公害」 を題材にしている。サイケデリック文化や若者のモラトリアムなど同時代の 様々な背景も色濃く盛り込まれている。 円谷英二も死去し当時の東宝特撮は壊滅的な状況だったが、田中友幸プロデュー サーの「もう一度ゴジラを考えよう」という意気込みで企画がスタートした。 本作では飛行形態となって逃げるヘドラを追ってゴジラが後ろ向きに空を飛ぶ というびっくり仰天のシーンが描かれ話題となった。監督である坂野義光と 中野昭慶の発案だが、これに対し田中友幸が猛反発。そのゴタゴタで撮影中止 寸前にまでなったとか。しかし本作はなんとか無事に公開されそこそこヒット した。東宝チャンピオンまつり作で同時上映は帰ってきたウルトラマン他。 このゴジヘドはとにかく異色作である。公害が生んだ奇怪な怪獣ヘドラのキャラ クターが圧倒的。ゴジラも目を潰され手は骨になるというこれまでにない一大ピンチ。 ゴジラが空を飛ぶシーンは当時の僕らはふつうに楽しく観た。館内は大爆笑であった。 公害という重いテーマの作品なのでこういう笑えるシーンも入れたんだろうと、 その時はそう思ってた。ラスト、ゴジラが公害を生み出した人間に向かってキッと にらみつけるシーンが印象深い。ヘドラの描写はとにかく怖く、途中で出てくる 魚人間など人間ドラマも時代を強烈に反映している。傑作である。
- 350 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 21:07:40.19 ID:UcvdG52n.net]
- 次回は魔人バンダーについて語ります。乞うご期待!
- 351 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 21:41:30.42 ID:R39ExbKf.net]
- >>350
正確には「魔神バンダー」ですぞ、明智くん。 この作品は1966年に制作されるも1969年1月になってやっと放映されたのだ。 フィルムが現存してないのかDVD未発売。拙者、二十面相がTVで見た記憶 は、顔を引っ込めたまま無言で前進するのを警官隊が発砲してるシーン。 最終回は特攻隊のごとく散ってゆくらしい。そこで同期の桜が流れる。 マーミットからリアルな40cmクラスのフィギュアが出てるよ。買ってくれたまえ、 明智くん。さばらだ。
- 352 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 21:51:44.55 ID:UcvdG52n.net]
- 次回はワニゴンとガマロンをお送りします。
- 353 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 21:55:14.54 ID:R39ExbKf.net]
- その話は昭和41年頃の話題で出たざんす。
- 354 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 22:02:38.56 ID:qBDn/Td+.net]
- 僕はワニゴンをバルゴンだと自分に言い聞かせながら作った記憶がある
- 355 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 22:15:30.20 ID:R39ExbKf.net]
- ぱっと見は、角や四つ足歩行ポーズなど似てないと言えないこともないとは
言えるかも知れない。本来バルゴンは四足歩行の怪獣だからワニゴンのよう に歩行させるのが妥当。しかし日東のバルゴンは二足歩行で立って歩く。 あれはガメラプラモと対決させるため無理やり立ちポーズにしたもの。四足 歩行じゃ立ち怪獣と戦わせられないから。ワニゴンの頭部をバルゴンに変え、 背中にトゲを付ければ四足歩行バルゴンのできあがり。当時そういう改造を した子どもたちもきっといたことだらう。
- 356 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/14(火) 22:29:05.55 ID:R39ExbKf.net]
- そもそもワニゴンという怪獣は何かのTV作品か映画に出てた怪獣だと当時
は信じてた。箱絵が実にリアルだったからね。日東オリヂナル怪獣だったと 知ったのはずいぶん後になってから。四足歩行怪獣は戦いには不向きだけど ジーコジーコとよく歩いた。製品は愛嬌のあるペットふうのイメージだ。 このオリヂナル怪獣で「大怪獣死闘 ワニゴン対ガマロン」という映画を 作ってほしかったなと思う。
- 357 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 01:04:19.23 ID:DjSN9dr3.net]
- >>356
「海底怪獣ワニゴン対地底怪獣ガマロン」というタイトルで実際に今から 15年前に映像化されているよ。 アマプロの作品で短編特撮作品だけどね。 当時日東プラモの復刻版の出店ブースで売ってたVHSビデオを手に入れて今でも持っている。 残念ながらもうビデオテープのデッキが無いので再生できないけど。
- 358 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 02:33:28.81 ID:lf6uBv2j.net]
- >>357
その映像は見たことないですが、プラモを使った対決ものかと思われ ます。 ワニゴンとガマロンが出てる映像を探して観てみました。プラモの直接対決 はやはり組み合えないので戦いにならないようです。このワニゴンはソフビ も出てたようで(これは最近の製品か?)、「ワニゴン対海底軍艦」という 作品もありました。日東オリジナル怪獣のワニゴンとガマロンはけっこう 有名な怪獣のようですね。ワニゴンあらためて見てみましたが、これをバル ゴンに改造するのはちょっと無理ですねえ。(>_<)
- 359 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 07:59:20.11 ID:CQCTgEhl.net]
- 箱
spectre-nebura.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/photo_53.jpg
- 360 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 08:44:06.17 ID:ISaW2LP8.net]
- ガマロンの箱を見て、小5の時学校に持っていったらクラスの女子で「がまぐちそ」と読んだ奴がいたことを思い出した
もちろんガチで
- 361 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 12:51:42.29 ID:d43OCFv1.net]
- >>359
画像どうも。これは再販時の箱ですね。初版の時はワニゴンの背景が もう少し多く入っていて、対岸の街の灯も見えます。再販は絵がややアップ になったということですね。この箱絵に忠実に着ぐるみが制作されれば、 けっこうリアルな怪獣になると思います。どこぞの会社で「大怪獣激闘 ワニゴンVSガマロン」という映画作ってくれないでしょうかねえ。
- 362 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 12:54:14.81 ID:d43OCFv1.net]
- ワニゴンとガマロンの話題になってますが、日東のオリジナル怪獣にはもう
一匹、ゴーゴンとかいう恐竜っぽいヤツがいたと思うのですが、これは買った ことがないのでよく覚えていません。
- 363 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 16:18:04.79 ID:JLbZn5i5.net]
- バルゴンの後ろ足がタイヤになっててゼンマイで走るプラモ持ってたような気がする
- 364 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 17:57:55.77 ID:YDbxGGXK.net]
- ドラゴンというのもいたな>日東のオリジナル怪獣
- 365 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/15(水) 23:01:11.04 ID:ISaW2LP8.net]
- 印象深いのはやっぱり水素の怪獣だな
jumbow.main.jp/5en/ecchi.jpg
- 366 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/16(木) 01:27:22.82 ID:cHKMthzA.net]
- 二足歩行のガメラ持ってたけど、
何か他怪獣と対決させる際向きを調整するためのサスマタみたいな棒が入ってた記憶がある。
- 367 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/16(木) 08:43:25.10 ID:nH4hNZr+.net]
- 次回は幻の大怪獣アゴンについての貴重なお話を伺います。
- 368 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/16(木) 08:57:54.52 ID:dfaWc/0p.net]
- アゴンはドグマに殺された
- 369 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/16(木) 17:09:39.15 ID:n8vpDCrl.net]
- 日東のオリジナル怪獣はワニゴン、ガマロン、ゴーゴン、ドラゴンの
4匹のようですね。ゴーゴンとドラゴンはいかにも恐竜っぽい姿形のヤツ でしたが小生はこの2匹は買った記憶がありませぬ。 >>366 そのサスマタみたいなのはコントロール棒といって、初期の頃だけ入ってた 部品のようです。これで尻尾を動かしてうまく対決するように向けるものです。 >>365 オリジナル怪獣ですね。個人的に印象深いオリジナル怪獣は森永トコちゃん キャラメルのおまけ「ワンダービュー」という、角度によって動くように見える 立体カードの怪獣です。ウルドラゴン、ジャングラー、リモゴン、ラジゴン、 アンゴラス、エレキドンなどがいました。 >>367 アゴンについては、着ぐるみの造型がアロンと同一人物であるということ、 アロンの着ぐるみはアゴンの改造ではないということしか知らないです。 映像は観たことがない。
- 370 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/16(木) 23:14:45.92 ID:2HOmm0yr.net]
- >>363
昔のプラモは今と違って、ディスプレイものは少なくほとんどが動かして 遊ぶものでした。その動力はゴム動力、ゼンマイ、モーター、はずみ車といろ いろ。怪獣プラモも飾るものではなく動かして遊ぶものという認識があって、 足がタイヤになろうと動けばいいというものでした。怪獣レーサーといって 怪獣がサイドカーみたいなのに乗ってるプラモ(怪獣レーサー・ペピラ)も 買った記憶があります。 あの頃のプラモで飾るものといえば刀とか兜、お城、楽器などのプラモがあり ました。男の子が作ってたプラモで多かったのが戦車、飛行機、軍艦でしたね。 戦車や軍艦はモーターで動かすものが多く、さすがに飛行機はディスプレイの が多かったですがプロペラにベビーモーターを仕込んだものも多く、中には モーターでプロペラを回して風圧で滑走させるというものもありましたね。 あの頃はとにかくリアルさよりも「動く」ということに重点が置かれてたもの が多かったと思います。今の時代はディテール重視のディスプレイものが多い ですね。
- 371 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/17(金) 22:40:13.85 ID:kylMaXyJ.net]
- >>368
そのアゴンは仮面の忍者赤影第3部・根来編に登場した怪獣ね。女忍者 虫寄せ風葉は忍法甲虫変化で笛(オカリナ)を使って大甲アゴンを操るくのいち である。アゴンは角から金縛り光線を放つ。アゴンは後に赤影に操られ大百足 怪獣ドグマと戦って倒される。風葉はドグマを操る女忍者・矢尻に見捨てられ、 赤影にドグマの弱点を告げた後抜け忍となる…?というのがアゴンの経緯。 このアゴン、見た目的には巨大カブト虫の背中に大きな角が生えているような 感じ。昆虫モチーフの代表的なヤツ。リアルなフィギュアも出ている。買った。 赤影では第3部から毎回怪獣が数多く登場するようになる。個人的には第4部の 魔風編に登場した「うぃっうぃっ!」という独特の鳴き声で鳴く岩石怪獣ががら が印象深い。アゴンと同じく、あとで赤影の味方となる。また鎧忍獣グロンも いいデザインである。 このように個性的な怪獣が数多く登場した赤影であったが、これらの怪獣たちは 放送当時でさえほとんど怪獣図鑑等で取り上げられることがなかった。現在 フィギュア化されているのもごく一部である。デザイン的にもユニークなヤツが 多いのに誠に残念な限りである。
- 372 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/17(金) 23:52:08.67 ID:jbkou7Cn.net]
- 鎧忍獣グロンを操っていた夜目蟲斎という忍者がユニークすぎる。
グロンを呼び戻し掌の中で小さくして「いいところへ行くんだ」と飲み込むシーン。 次にグロンを出す時はウンコと共にか?って疑問に思った。 影部落を襲撃した時、魔風忍群はなぜ6大怪獣で総攻撃しなかったのか? 里がピンチなのになぜ陽炎は黄金の仮面を巨大化させてグロンを秒殺しなかったのか? 赤影第四部の3大疑問である。 聞いてみたいが、伊上さんも倉田さんももうおられない。
- 373 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/18(土) 03:13:11.29 ID:BZ2lBRK2.net]
- >>372
固い鎧に身を包みヘンテコリンな奇声をあげて鎧虫怪獣グロンを操るのは 夜目蟲斎(よいのめ ちゅうさい)でした。演じるは大城泰氏。 普段はグロンを縮小化して体内に隠しているがグロン同様顎にある三日月型 の痣が弱点。青影に簡単にやられてましたね。あのヘンテコな奇声がなんとも 可笑しい。鎧怪獣グロンは第一回に出てきて飛騨の影一族の里を全滅させます。 球状に丸まって空を飛ぶとても頑丈なヤツです。今見ると黒光りする身体が重厚 で秀逸なデザインだと思います。エキスプロの造形も素晴らしいです。 最初からなぜ6大怪獣で総攻撃しなかったのかということですが、初めから全部 見せちゃったら視聴者の興味が薄れちゃうからではないでしょうか。話数をかせぐ ためにはやはり一体ずつ小出しにして、最後に6大怪獣勢揃いというパターンが 王道でしょうね。いきなり怪獣軍団で6匹出たらそれぞれの個性も描けませんし。 黄金の仮面の謎が第4部のいちばんの秘密ですからそれをいきなり見せちゃったら そのあとの展開が描きにくいですね。第4部全体の構成を考えれば黄金の仮面の謎 は最後まで明かさないというのが常套でしょう。シリーズとしての演出上の措置 であると思います。
- 374 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/18(土) 03:42:48.45 ID:BZ2lBRK2.net]
- 赤影で最も有名な怪獣といえば、やはり第1部金目教編の千年蝦蟇と金目像
であろうか。千年蝦蟇は前年の映画「怪竜大決戦」に登場する大蝦蟇から 角とトゲを抜いたもの。ただしオープニング場面で屋根を突き破って現れる 千年蝦蟇のシーンは怪竜大決戦の流用のため、チラッと角が映ってる。 当時「怪竜大決戦」を観て感動してたので「あの正義の味方の自雷也の蝦蟇 がなんでわるものになってるの?」と思ったものである。この赤影登場の 千年蝦蟇、赤影に刀で突かれたり崖から落とされたり徹底的にやられる。 観ていてちょっとかわいそう。前年は正義の怪獣だっただけによけいにそう いう気持ちで観てた。 金目像、これはもう誰が見ても「悪の大魔神」だね。金目教のシンボル的 存在で初めて動き出すシーンは大魔神が動き出すシーンに似ている。機械 仕掛けで幻妖斉が操縦してるのがユニークではある。らんらんと光る目が 効果的だ。この2体は何度も登場し金目教編のイメージを固める役割をした。 千年蝦蟇と金目像はともにリアルフィギュアが出ている。買ってね。
- 375 名前:どこの誰かは知らないけれど [2015/07/18(土) 19:52:14.30 ID:Zh4yS2wp.net]
- 怪獣ブームのさなかだったな、「快竜大決戦」を観に行ったよ。
東映お得意の時代劇ロマンに初めて触れてエキサイト! しかし、同時上映の「黄金バット」のほうがモノクロながら、 子供心にも妖しすぎて、今でもあのえげつない魅力は私の宝物です。 何十年も再観していないが、今観たらどうなんでしょうかね? dvdとかで出てる?
- 376 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/18(土) 19:59:22.14 ID:h9xpdT4d.net]
- tubedemita
- 377 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/18(土) 23:14:38.54 ID:BLfd8h44.net]
- 映画の実写版「黄金バット」といえば、ケロイドという名前の悪人が主役を食っていて、すごい存在感。
私はDVDで見直して、「今ならスペル星人なみに封印されるな」と思いましたね。 名は体を表す、というか本当に顔にケロイドがあるメイクなんです。でも、どこかで見た顔だなぁと。 ケロイドを演じたのは沼田 曜一。 そう、ウルトラQ「逆襲のガラモン」の回で、人間体の蝉人間をトラックに乗せた運転手さんです。 最後は警官のピストルで蝉人間を撃ってチルソニア遊星人の正体を暴いてしまうすごい人なんです。 沼田 曜一さんはマイティジャックでもQのボスを演じていた記憶があります。 彼のケロイドを見るだけでも、黄金バットを見返す価値はじゅうぶんあるでしょう。
- 378 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 00:46:51.76 ID:fmnk8FNY.net]
- 沼田曜一と云ったら、先ずは「地獄」だな
- 379 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 00:47:33.18 ID:OKfEcsF8.net]
- >>375
怪竜大決戦と黄金バット、なかなかすごい2本立てでしたね。東宝の怪獣 ものでは味わえない独特の世界観がありました。どっちもいまだに印象深い 作品であります。怪竜大決戦の雰囲気は翌年の赤影に、黄金バットは翌年の アニメ版に引き継がれました。大蝦蟇は千年蝦蟇としてちょこっと姿を変え て再登場。怪竜も途中のお話で出てきます。 両作品ともDVD、LDが出ています。とくにLDの方はBGMと台詞・効果 音がチャンネルで分離できるので、簡単にサントラ音楽集が作れます。どちら もサントラCDは出てないので貴重ですよ。ぜひご覧になって下さい。 >>377 ああ、ケロイドねえ。今の時代なればこのようなキャラクターは社会通念上 許されないものでしょう。昔はそういう時代であったのです。差別的な事象も 映画やTVで堂々と出していました。特撮作品はそういう時代の証言者である とも言えますね。
- 380 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 04:12:13.58 ID:OKfEcsF8.net]
- 1971年10月、小生の心を揺さぶる特撮作品が放送された。(実際は72年に再
放送で初めて観た)それは「好き! すき!! 魔女先生」である。石森章太郎氏 の少女向け劇画「千の目先生」を原作とするが、作品内容は全くの別物。 遠い宇宙の彼方から地球にやってきたヒロイン・月ひかるが東京の小学校に 赴任して児童たちと触れ合う学園ファンタジーものだった。初めてこの作品 を観た時、何ともいえない素敵な作品という感じだった。美人で優しい理想 的な女の先生が主人公で、その先生は実は宇宙人で超能力も使える・・・ 何ともワクワクする設定のお話であり、女性のヒロインが主人公である特撮 作品はそれまでなかったものであった。小生はたちまちこの月ひかる先生の ファンになってしまった。 またもうひとつ、主題歌と副主題歌の素晴らしさにも心を打たれた。とくに エンディングに流れた「月光の子守唄」はもう最高に素敵な歌だった。鈴を 転がすような美しい声のこの歌は誰が歌ってるの? 初めて聴く声の歌手だっ たのでレコードを買ってみると、堀江美都子・・・この歌こそアニメ歌手ミッチ と初めて出会った記念すべき歌であった。以来、ミッチの大ファンとなる。 石森氏の絵は何度も真似て描いてみた。この作品はそれまでの特撮作品にはない 素晴らしい魅力にあふれていた。
- 381 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 04:29:49.57 ID:OKfEcsF8.net]
- この好き!すき!!魔女先生であるが、最初の3か月間は原作と同じ学園もの
だったが1972年の年頭に内容を一新し、月ひかる先生がアンドロ仮面に変身して 悪者との対決をするというアクションヒロインものにスタイルを変更した。 この展開には観ていた小生もビックリ。 第14話にて上級平和監視員への昇進を認められ、アンドロ仮面への変身コンパ クトが渡される。コンパクトを掲げ「アンドロ仮面、ラーフ!」と叫ぶとコン パクトが開き変身できる。その後、怪人クモンデスが登場してからはもう完全に 仮面ライダーなどと同じ、アクション特撮作品となってしまったのである。 この路線変更は当初から予定されてたらしいが、個人的には前半の超能力学園 ものの雰囲気が好きだったのでちょっとショックだった。スポンサー側も路線 変更はあまり歓迎しなかったとも聞く。 最終回もクモンデスを倒し校長先生のお祝いの会をするところで終わっている が、願わくば満月の夜に子どもたちに見送られながら月に帰ってゆくという話 にしてほしかった。最後まで「かぐや姫先生」のイメージで通してほしかった と思う。
- 382 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 07:03:49.59 ID:hc3V0mfK.net]
- 魔女先生の人が殺されたのにはびっくりしたね
- 383 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/19(日) 10:31:43.05 ID:OKfEcsF8.net]
- >>382
まあその話題は当時世間を席巻しましたので、特撮ファンには悲しい有名な 出来事となりました。事件のことは先日の爆報フライデーでも取り上げてまし たが、全て仮名なので知らない人にはわけが分からなかったと思います。 菊さんはまだお若くてこれからますますご活躍される期待の星だったのに残念 です。魔女先生が代表作品ということになってしまいました。
- 384 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/20(月) 15:37:56.66 ID:Mv+EhaDq.net]
- 魔女先生は女の子向けの特撮作品を目指したようだが、男の子も結構ハマった。
ミニスカートでパンチラ見せたりセクシーな体操服などは明らかに男の子狙い。 ムーンライトリングで月の母船からエネルギーをチャージするシーンは実に 美しい。家では和服姿だったり、このように初期はかぐや姫のイメージを強く 出していた。アンドロ仮面への路線変更は、個人的には唐突すぎてなじめな かったし、初期の持っていた清楚で優しい雰囲気が消えてしまったのは残念。 当時、様々なグッズが発売されている。おしゃれセットや変身セット、ノート にジグソーパズル、絵本にソノシート、5円ブロマイドその他。この中で朝日 ソノラマのソノシートは石森先生直筆のイラスト(石森先生直接執筆の原作漫 画は存在しない)も貴重だが、ソノシートのドラマで菊容子さんご本人が出演 されている。貴重な資料である。このソノラマのソノシートは発行部数が少ない のかあまり見かけない。当時「少女フレンド」と「なかよし」に連載されたが、 なかよしの方は別府ちづ子の作画。最終回が原作と全く違ってて感動的である。 少女フレンドの方は見たことがないので誰が描いてるのか謎である。作品単体 の資料本やサントラCD、リアルフィギュアなど全く発売されてないので出して ほしいところですね。
- 385 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/20(月) 15:45:35.40 ID:Mv+EhaDq.net]
- >>384↑訂正
「最終回が原作と全く違ってて」→「最終回がTV版と全く違ってて」 ちなみに別府版の最終回は、愛する旗野先生のためにムーンライトリングも 超能力も故郷の星も全て捨てて、地球の一女性として生きていこうとする ひかる先生が描かれている。そのけなげさが心を打つ。最後のシーンは旗野 先生との結婚式の場面。TV版の最終回もこうしてほしかった。もちろん 子どもたちに見送られて月に帰ってゆく終わり方でもいい。
- 386 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/21(火) 23:13:47.46 ID:wjEVeCTc.net]
- 1971年の12月からスタートしたのが円谷プロ制作の「ミラーマン」である。
ミラーマンのイメージは「シャープで硬質なヒーロー」という印象であった。 体には赤い色がなく一見地味な感じであるが、御手洗博士を中心とする科学者 専門家チームのSGMの活躍を中心に、異次元人との混血児である主人公、 鏡京太郎の心の葛藤なども丁寧に描きヒーロー番組としてもリアルでダーク なムードのドラマが展開されている。 変身ポーズ「ミラー・スパーク!」は当時の子どもたちはみな鏡の前でやった のではなかろうか。鏡の表面に手をかざせばそのままスッと鏡の中に入って 行けるような、そんなイメージを僕らに与えてくれた。二次元の世界から来た ヒーローというのはウルトラマンとは違って異色であった。 当時、裏番組の「シルバー仮面」との視聴率競争の影響か、後半になるとSGM が戦闘集団化したりミラーマンがエネルギー爆弾を埋め込まれて時間制限が生ま れたり、前半とは大きく変容していった。個人的には初期のアイアンやマルチな どの未来っぽいデザインの怪獣が好きだった。最終回は、京太郎がみんなに別れ を告げて夕方の光の中、二次元の世界に帰ってゆくシーンが美しい。
- 387 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/22(水) 09:06:34.50 ID:YgaKjBDV.net]
- ファンコレ世代のコラムみたいやな
- 388 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/22(水) 12:58:51.91 ID:B7jdYVuR.net]
- おお、ファンコレねえ。一時代、一世を風靡したアニメ・特撮雑誌でしたな。
いくつか買いましたので当時よく読みました。当時は資料も少なくて貴重な 情報源でしたねえ。
- 389 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/22(水) 18:06:26.87 ID:B7jdYVuR.net]
- ファンコレでマイティジャックが出たのはよかったけど、魔女先生は出なくて
残念でしたッス。
- 390 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/23(木) 16:34:09.53 ID:TJsIDmVf.net]
- 個人的にはシルバー仮面って、当時はほとんど観てないのよねえ。後日ビデヲ
で第1話観たけど、まっ暗けっけで何も分からん。あれでは子どもは観ないよ ねえ。対してミラーマンの第1話は夜のビル街で鋼鉄竜アイアンとの戦い。 夜の大都会の雰囲気が出ててよかったな。インベーダーの透明な円盤のデザイ ンが非常に美しい。第1話ではミラーマンの目に電飾が入ってなくて暗かっ た。あれはなぜだらう。円谷ヒーローの特徴はまぶしいくらいの目の電飾 なんだけど。ミラーマンもあとで電飾が入るけどね。ミラーマンを演じた 石田信之氏が、重い病気で闘病中であると聞いた。大変だろうががんばっ てほしい。ヒーローは死んじゃいかん! がんばれ、ミラーマン!!
- 391 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/23(木) 22:42:50.09 ID:f+e4D5vB.net]
- これですね
ameblo.jp/ishidanobuyuki/entry-12053272385.html#cbox びっくりしました・・・・回復されることを祈るばかりです ミラーマンは怪獣より重力マシンとか好きでした 地球防衛軍秘密基地から販売されたフィギィアを買いもらして後悔しています
- 392 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 03:15:51.27 ID:gSQERjsS.net]
- >>391
鏡京太郎・石田さんは、今もがんというインベーダーと戦っておられるよう です。まだお若いので、ミラーマンの超能力パワーで何とか回復されることを 祈ります。サイン会のようなイベントがあれば会いに行って励ましてあげたい です。 地球防衛軍秘密基地はマニヤックなメカや怪獣を発売していますね。重力マシン が出ていたことは知りませんが、オークション等で探せばあるかもです。以前 ステルス工房のジャンボフェニックスを買ったことがありますが、それはもう 素晴らしいできばえでした。個人的にはインベーダーの宇宙船を出してほしい ですね。
- 393 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 04:23:04.99 ID:gSQERjsS.net]
- 71年放送のその他のドラマでは「美しきチャレンジャー」「ガッツジュン」
「ワン・ツウ・アタック」「刑事くん」「なんたって18歳」「ぼてじゃこ 物語」などがある。スポ根ものの実写作品がけっこう多い。美しきチャレン ジャーには森次さんも出ていた。ボウリングのスポ根ものは珍しい。 ぼてじゃこ物語はよく覚えているがガメラシリーズの本郷功次郎さんが出て いた。三田佳子さんの歌う主題歌が何気に名曲。この頃のドラマはみんな燃 えていた。紅白には小柳ルミ子、南沙織らが初登場。 そして71年も暮れてゆく・・・
- 394 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 12:56:38.10 ID:w7b8u7Y6.net]
- 1972年1月1日、土曜の午後6時5分であった。NHKで不思議なドラマが始まっ
た。ドアがギギギィときしんで開くと、真っ暗な部屋の中に椅子があり一人の 男が座っている。逆光で顔はよく見えない。その男は不思議な出来事を話す。 そして場面は中学校の理科室へ… 記念すべきNHK少年ドラマシリーズの第一作「タイム・トラベラー」はこう して始まった。いや〜、面白かったね。ちょっと怖いところもあったけど見事 なSF時間ものの傑作である。主人公の芳山和子役・島田淳子さんがこれまた 可愛らしい。謎の未来人、ケン・ソゴルの木下清さんも神秘的。この作品を 観て、これは歴史に残る一大傑作ドラマであると直感した。原作は筒井康隆氏 の「時をかける少女」であるが、このタイム・トラベラーはその世界観を完全 に離れている。タイムスリップものと少女の恋物語を微妙にからませて奇想天外 ながらもしっかりした物語に圧倒された。タイムリープの場面では顔がネガ反転 で真黒になったり不気味な場面もあるが、そういう怖さとSFの融合が素晴らしく こういう作品はそれまで観たことがなかったので新鮮だった。特徴はフィルムでは なくてVTR作品であったこと。これによってメリハリのきいた硬質な画面が 表現された。それが作品世界にうまくマッチしている。 この作品は大人気となり、その後の少年ドラマシリーズでもSF作品が数多く作ら れる発端となった。
- 395 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 13:54:52.31 ID:URFom6c1.net]
- この時代の浅野真弓は奇跡的に可愛かったね
ウルトラマン80の頃になるとそうでもないけど
- 396 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 17:51:07.93 ID:w7b8u7Y6.net]
- >>395
ああ、芸名になって浅野真弓さんに変わりましたね。タイム・トラベラー の時は本名の島田淳子さんでした。我々青少年(当時)にとっては島田さんは 可愛らしくてあこがれの存在でした。ドラマ内ではセーラー服で登場してた ので、僕ら同年代の学生にはより親近感がわいたのかも知れません。あの セーラー服姿は僕たちには強烈でした。それまで主人公がセーラー服のヒロ インなんていませんでしたから。男性には彼女は萌え〜だったと思います。 女性にはケン役の木下清さんが人気だったそうです。ドラマの内容はハード でしたが、ヒロインはほわっとした美少女でしたね。
- 397 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/24(金) 23:33:36.70 ID:gSQERjsS.net]
- このタイム・トラベラーはビデオ映像のためマスターテープが早々に消され
てしまい、再放送もビデオ化も不可能だった。しかし視聴者が最終回を録画 したテープが奇跡的に残っており、統一I型ビデオで録画されたこの最終回の 映像はNHKで修復され、2001年にDVDとして発売された。生きているうちには もう観られないと思っていたこのタイム・トラベラーが、最終回だけとはいえ 観ることができたのは素晴らしい出来事であった。なお、音声だけは全話発掘 されていてDVDに収録されている。音声だけを聴いていてもその映像が脳裏に よみがえるほど、当時は熱中して観ていた。最終回は和子とケンが戦時中に タイムトラベルし、間違ってやって来た掃除婦のおばさんを救おうとするの だが、おばさんは時間のエネルギーに押しつぶされてしまう。その場面、顔が 真っ黒にネガ反転し怖い映像であった。和子とケンの別れのシーンは切ない。 音楽テープも発見され(作曲:高井達雄)2006年にサントラCDが出たが残念 なことに音質が悪かった。あとは未発掘の映像が見つかることを願う。
- 398 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/25(土) 09:41:28.49 ID:ImHRmcqn.net]
- 「ケ〜〜〜〜ン!」
「芳山く〜〜〜〜ん!」 ”その時、和子は跳んだのです。時間の流れの中を。”
- 399 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/25(土) 23:52:33.68 ID:ImHRmcqn.net]
- 「続・タイムトラベラー」
タイム・トラベラーの好評を受けて続編が作られた。1972年11月より放送。 未来に戻っていたケン・ソゴルが、20世紀で行方不明になった27世紀の3人の 科学者を捜すため、再び芳山和子の前に現れる。3人の科学者を捜すケン・ ソゴルを芳山和子が助け、タイムトラベルをして科学者を探していく。今回は 脚本家、石山透の完全オリジナル。 芳山和子は高校生となり、ちょっぴり大人になった。もちろん前作でのケン との出来事は記憶に残っていない。これはタイム・トラベラーのルール。 続編ではケンとの淡い恋は描かれず、いなくなった未来の科学者を捜し出すこと に重点が置かれている。個人的に好きな話は第3話の「タマエとレリの秘密」 昭和32年の世界で少女といっしょに生きていこうとする未来人の悲しい運命が 描かれている。集団催眠効果で、普通の人にはないと思われている4号室に住んで いる未来人レムが哀しい存在。ラストに出てくる、時間のひずみを彷徨するさま よえるインド人が不可思議。この作品は映像が全く発掘されていない。音声 だけは全話残っている。誰か録画してないかな〜
- 400 名前:どこの誰かは知らないけれど mailto:sage [2015/07/26(日) 16:14:18.23 ID:1T2kxjfw.net]
- 「タイム・トラベラー」を初めとするNHK少年ドラマシリーズは、その後
数々のSF・ファンタジイ作品を生み出した。「暁はただ銀色」(73年) 「つぶやき岩の秘密」(73年)「夕ばえ作戦」(74年)「まぼろしのペンフレ ンド」(74年)「ユタとふしぎな仲間たち」(74年)「赤外音楽」(75年) 「なぞの転校生」(75年)「明日への追跡」(76年)「未来からの挑戦」(77年) 「幕末未来人」(77年)「その町を消せ」(78年)「七瀬ふたたび」(79年) 「星の牧場」(81年)などの作品が有名。これらの作品は円谷プロなどの ヒーローものとは全く違った作風で強烈に印象に残った。映像が消去されて しまい、現在では視聴でけない作品が多いのはまことに残念である。
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