- 1 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:17:07.56 0.net]
- 春秋戦国時代
itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1509694882 春秋戦国時代 2 itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1544653163 春秋戦国時代 3 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1581809665/
- 2 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:18:32.10 0.net]
- 春秋時代における、中原情勢推移の一例
B.C.722年5月 鄭で共叔段が反乱。 B.C.722年 共叔段の子、公孫滑が衛に亡命したため、鄭が衛を攻撃。 B.C.721年 鄭が再び衛を攻撃。 B.C.720年8月 宋の穆公が薨去し、公子馮が鄭に亡命。 B.C.719年夏 衛・宋・陳・蔡の四ヵ国が鄭の東門を包囲。 B.C.719年秋 四ヵ国が再び鄭を攻撃。 B.C.718年4月 鄭が衛に報復攻撃。 B.C.718年4月 衛が南燕軍を率いて鄭を攻撃するが敗北。 B.C.718年9月 が鄭と連合し宋を攻撃。 B.C.718年 宋が報復し鄭の長葛を包囲。 B.C.717年秋 宋が長葛を占領 B.C.716年7月 宋と鄭が宿で講和 B.C.715年春 斉が宋と衛を垂の犬丘で非公式に会談させた。 B.C.715年7月 宋・衛両国が鄭と和平を結ぶ。 ↑こんな調子で、延々と何百年もつづく。 フクザツすぎて、頭に入るわけがない。 近代ヨーロッパのほうが、まだマシだ。
- 3 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:38:41.76 0.net]
- 春秋時代のまとめ
紀元前1046年、商王朝を滅ぼした周王朝は、王族や功臣に土地を与えて自治や世襲を許可する「封建制」を採用しました(西周)。 紀元前771年に異民族の侵略によって第12代・幽王(ゆうおう)が殺害され、西周はいったん滅びます。 しかし翌年、鄭の武公を中心とする有力諸侯によって新たに擁立された平王(へいおう)が洛邑に遷都し、周王朝を再興しました(東周)。 やがて諸侯は、王朝を補佐する「覇者」と呼ばれる立場を争い、各地で戦争を起こすようになりました。 当初は鄭を初めとする河南省の都市国家による争いでしたが、やがて東西南北の各地に大国が台頭します。 「春秋の五覇」と呼ばれる斉の桓公(かんこう)、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭(こうりょ)、越王勾践(えつおうこうせん)です。 紀元前546年、宋国の仲介で北の大国・晋と南の大国・楚が休戦協定を結ぶことで、一時平和が訪れました。 紀元前453年、大国・晋が韓・魏・趙の3国に分裂して、春秋時代は終わりました。
- 4 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:47:10.08 0.net]
- 戦国時代の概要
戦国時代になると、かつてのように「覇者」が中心となって周王朝を支えるといったことはもはやなくなり、 戦乱で勝ち残った「戦国七雄」と呼ばれる「秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓」がそれぞれ「王」を称して天下を争うようになりました。 当初は河南省の魏が主導的な立場にいましたが、やがて西の秦、南の楚、東の斉といった超大国が台頭しました。 紀元前247年、始皇帝と呼ばれることになる政(えいせい)が王に即位すると、秦はついに統一に向けて動き出します。 紀元前221年、最後に残っていた斉を滅ぼし、諸侯はすべて秦の元に統一、ここに長く続いた分裂の時代は終焉を迎えました。
- 5 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:48:24.34 0.net]
- >>3-4 はコピペに見えるけど、スレ立て人による「まとめ」ですので(笑)
- 6 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/01/31(日) 14:48:00.10 0.net]
- 楚は中原に勢力を拡張し、その文物を積極的に受け入れようとしたが、
周室を推戴しようという考えはまったくもたなかった
- 7 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/01/31(日) 23:06:26.79 0.net]
- >>4
衛「始皇帝が全て統一?」
- 8 名前:世界@名無史さん [2021/02/01(月) 15:25:00.75 0.net]
- まあ、始皇帝が即位した時点でほぼ勝負はついてたわな
コピペした文を加工したものだが、改良の余地がまだまだある
- 9 名前:田単 [2021/02/03(水) 08:13:53.63 0.net]
- >>1乙です
そういや宮城谷氏がまたこの時代で小説書いてますね 今、この時代をテーマに描く人はこの人しかいませんねえ 北方氏には書いて欲しくないですしw
- 10 名前:世界@名無史さん [2021/02/03(水) 09:41:53.88 0.net]
- 「キングダム」の漫画が大ヒットしたが、小説にブームは及んでないか
- 11 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 14:37:18.21 0.net]
- 春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするためのものだったから、洪水はしばしば隣国に 流れ込んで大災害をもたらした そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた やはり中国はいつかは統一される運命にあったのだと思う
- 12 名前:世界@名無史さん [2021/02/03(水) 14:51:03.44 0.net]
- 漢代ともなれば、食生活に塩は書かせないし、鉄製農具なしでは農耕生活も考えられない
全国的な商業ネットワークが必要だった 匈奴の脅威に対抗するためにも、中原諸国同士で争ってる場合じゃなかった
- 13 名前:世界@名無史さん [2021/02/03(水) 14:51:44.80 0.net]
- やはり、それだけ必要になったから統一の機運が高まるわけで
- 14 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 17:27:22.31 0.net]
- >>12
中国みたいな広大な大陸国家では、塩は嗜好品じゃなくて必需品では? 普段から肉食ってる貴族はともかく、植物食メインの庶民は塩食わないと死ぬぞ
- 15 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 18:08:49.24 0.net]
- 各地域の経済は互いに依存しあう度合いが強まっていた
ところが各国の都市が用いる貨幣は非常に複雑であり、 各国の度量衡もそれぞれ違っていた また各国は国境に関所を設け、出入国する商人に税をかけて抑制していた やっぱり統一したほうが効率がいいよな
- 16 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 18:27:02.63 0.net]
- 大商人の李斯が邯鄲で秦の王子の1人をバックアップして秦王につけたことが統一のきっかけとも言えるんだよな
(その王の子が後の始皇帝)
- 17 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 18:32:59.11 0.net]
- 中国の庶民食といえば腊肉(塩漬け豚肉)
これを作るのには大量の塩が必要でありそれゆえ塩は漢武帝の頃から国家の専売とされた 稲作だけ伝わった日本が特殊なだけで中国韓国や東南アジアでは稲作と養豚はほぼツーセットで広まっている
- 18 名前:世界@名無史さん [2021/02/03(水) 18:57:19.53 0.net]
- 李斯ではなく呂不韋だね
- 19 名前:世界@名無史さん [2021/02/03(水) 18:59:28.65 0.net]
- 桑原隲蔵の『中国人間に於ける食人肉の風習』を読むと子路はやっぱりただの文の表現ではなく実際に食べられたんだろうね悲しい
- 20 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 19:17:31.40 0.net]
- >>18
すまん、今気づいて訂正に来たわ その前にすでに指摘されてた
- 21 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/03(水) 22:20:51.33 0.net]
- 中国の国土は広大だが、塩の産地は沿海部といくつかの内陸地に限られている
このため歴代の王朝は、塩の生産と販売を統制して、生産費の何十倍もの価格で 人民に売りつけ、それを重要な財政基盤としていた
- 22 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 06:13:21.68 0.net]
- >>19
孔子は肉くえなくなったほどだからね 有名どころでは彭越が劉邦に塩漬け肉にされ、諸侯にふるまわれた 彭越は人を見る目がないわ 呂雉を頼るとは 子路にしろ、自らの言葉が災いをもたらした
- 23 名前:世界@名無史さん [2021/02/04(木) 06:48:31.68 0.net]
- 商とか周の時代の人は、どうやって塩分を補給してたんだろうな
まあ、「商の都から来る人が、商人の語源になりました」っていうくらいだから、商王朝も塩の流通ネットワークの中心にいたんだろうけどな 中国が本当の意味でバラバラになりにくい大きな要因の1つだろう
- 24 名前:世界@名無史さん [2021/02/04(木) 06:55:18.71 0.net]
- 漢代になると、塩に加えて鉄が必需品に加わった
乾燥化が進む硬い黄土高原の大地で農耕を続けていくには、鉄製農具が不可欠だった
- 25 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 09:07:10.11 0.net]
- 山西省南部には太古から有名な塩池があるが、戦国時代に倚頓という男がここで
製塩業を営んで巨万の富を築いた また趙の都、邯鄲の郭縦という男は、当時のトップ産業である製鉄業を始めたところ、 大当たりに当たってたちまち王者に等しい財産を築いたという おそらく農具を大量に鋳造したのだろう
- 26 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 12:13:56.10 0.net]
- >>24
鉄の普及が始まったのは戦国時代初頭か春秋時代末だろ 戦国時代後半ぐらいから必需品になってると思うけど
- 27 名前:世界@名無史さん [2021/02/04(木) 12:33:59.93 0.net]
- 武器は青銅だったが、農具は鉄製
武器より先に農具で鉄が普及したのが中国文明の特徴
- 28 名前:世界@名無史さん [2021/02/04(木) 14:25:48.19 0.net]
- 黄土高原の土は、地下に立派な住居を造れるほどカチンコチンに硬い。
毛沢東も習近平も、そんな地下住居で暮らしたことがある それくらい硬い黄土を耕作する農民も大変だ。 後の時代になるほど華北の乾燥化が進んで農耕に適さない地となり、食糧の供給を南部に依存するようになった ただし、黄土は雨が降ると脆い
- 29 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 14:51:03.82 0.net]
- 華北の開発は漢代において、ほぼ限界に達したと考えられる
- 30 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 15:07:39.63 0.net]
- >>27
脆くて武器に使いにくい鉄が主流だったから、武器としても利用できる新しい鉄の普及は遅かったのではなかったか
- 31 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 18:25:21.79 0.net]
- >>16
> 大商人の李斯が邯鄲で秦の王子の1人をバックアップして秦王につけたことが統一のきっかけとも言えるんだよな > (その王の子が後の始皇帝) 『奇貨居くべし』の商人は 李斯ではなく呂不韋
- 32 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 19:47:41.02 0.net]
- 鉄製武器の登場は西ヨーロッパではドーリア人侵入以降の古代暗黒時代(紀元前12世紀)頃だから
一方中国は前漢代に入ってからなので1000年遅れ 逆にヨーロッパでは鉄製農具の普及は中世農業革命以降だが中国では紀元前6世紀の春秋時代なので 1500年ほど進んでいる
- 33 名前:世界@名無史さん [2021/02/04(木) 20:36:22.74 0.net]
- >>30
中近東や西洋の鉄は鍛造だったが、中国の鉄は鋳物だった 脆いので武器には向かない
- 34 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 20:42:26.39 0.net]
- そんな武器に向かない鋳物に何の利点があるのかというと、型に流し込んで同じモノをたくさん作るのに適している
だから、漢の農民はみんな国営企業から供給された同じ農具を使ってた。 社会主義国の集団農場みたいだった
- 35 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/04(木) 22:27:46.05 0.net]
- 漢代の耕地面積は約3780万ヘクタールで、2000年前に、日本の耕地面積の約七倍に
達していたらしい またその収穫量は約30億石、目方に換算すると約3300万トンとされる
- 36 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/05(金) 08:05:56.14 0.net]
- 高炉で鋼を量産して武器用は鍛打で脱炭
- 37 名前:世界@名無史さん [2021/02/05(金) 10:50:26.79 0.net]
- 漢の武帝は、匈奴と戦うための戦費をまかなうため、塩・鉄・酒を国家専売にした
- 38 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/05(金) 12:07:02.35 0.net]
- 漢の対匈奴作戦は、徹底的な物量作戦であり、人海戦術だった
しかも国内から匈奴討伐の前進基地まで兵糧一石を送るには60石以上の食糧を 必要としたという また国境線に配置した数十万の兵士の食糧を支給するために、中央の食糧倉庫が 空になったこともあったという
- 39 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/15(月) 12:46:06.01 0.net]
- 靖郭君田嬰はかなりの屑
- 40 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/17(水) 03:28:30.29 0.net]
- 晋が趙魏韓と三分さえしてなければ、秦の中華統一なんてできなかったとおもう
にしても、魏と韓の国境線のすごいこと、渦巻き巻いてるし こんな国境線が、歴史でほかにも存在するとはとても思えない どうしてああなった
- 41 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/17(水) 13:11:41.25 0.net]
- 韓が鄭を、魏が衛を滅ぼしたからじゃね
- 42 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/17(水) 17:16:38.34 0.net]
- 衛は滅ぼしてない
- 43 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/17(水) 17:31:42.86 0.net]
- >>40
春秋時代の三晋は所有する奉邑が晋国内にバラバラと点在してる 特に韓は当初は黄河以北の韓原にあった拠を州、平陽、新鄭と移り変わって 徐々に黄河の南岸へと拠点を大きく変えてる それに晋公室から下賜された邑とは別に時代が下るに淘汰されてった 祁氏や羊舌氏や知氏等の旧領を他の貴族と共に分け取りしてった経緯もある 韓が黄河の南北に跨って瓢箪の様な国土になってったのはそういう事情も あるんだろう
- 44 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/18(木) 14:39:14.98 0.net]
- 晋内部に三晋ってのが出来て、それが一般化してしまった時点で避けられない命運だったな
斉→田氏斉みたいに国ごと変わった方がマシだったのかもしれん
- 45 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 01:27:20.06 0.net]
- そもそも晋が一つの国であった、というのが割と幻想な気もする
戦国時代ですら都市国家連合としての性質を非常に色濃く残してた三晋諸都市が 春秋時代に国として一つにまとまれて居たのかは相当割り引いて考える必要がある それに晋の覇権の端緒となった晋の文公やその先代献公も 同じ史記の情報同士で矛盾とも思える状況がいくつかあるもんで 司馬遷の時代には既にそういう話として伝わってたのかもしれないが 晋という国は史書に示される歴史的な事件が結構怪しい可能性があるね
- 46 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 03:33:23.97 0.net]
- 桓叔家による乗っ取りから献公の公族討滅で晋侯に権力が集中した
だからこそ文公が即位までにあれだけごたついても覇者になれた 六卿の時代になると新しく所領を得た卿達はその土地からバックアップを受けるために色々と特権を認めることになる 斉の陳氏がやってたみたいに小さい升で取って大きい升で与えるなんてこともやってたかもしれない そうして都市が潤うとやがては領主を凌ぐ力を持つようになる 周王の持っていた権力が一都市にまで降りてくるってのはすごく面白いことだけど国としてはどんどんバラバラになっていくね
- 47 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 08:19:51.00 0.net]
- そもそも、文字が諸国に普及して文書行政がおこなわれるようになったのは春秋時代末か戦国時代ごろなんだろ
なら、税額をきっちり決めるとかもできなかったのでは その時代の統治なんて、冊封体制と大差ないような気がする
- 48 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 09:32:45.78 0.net]
- >>45
春秋時代の晋は貴族とりわけ卿位にある氏族は時代が下るほどもう半独立の諸侯に 近い存在っぽいね 貴族の所有する邑って各々の宰領で経営してるもんだけど、後期に度々みかける 晋内部の貴族間の闘争なんかもう君主の介入無しで殆ど私闘に近いし これは晋に限らんといえば限らんのだけど 戦国時代になると三晋地域の諸都市は経済的に発展した独立性の強い都市が多くて 各都市の経済活動や兵器・貨幣の製造なんかも国が一元的に管理しきれていなかった なんていうのは書籍ではみかけるね
- 49 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 09:33:12.46 0.net]
- >>46
gdgdしても覇者になれたのは騎兵戦力の優位があると思われる 恵公と文公の母は狄の有力氏族の族長の娘姉妹だったし 献公の愛人になった驪姫とその弟は戎の出身 献公の代での結婚政策は周辺に存在する遊牧系民族の取り込みを示唆してる 文公が狄に亡命中に赤狄の娘を娶ったというのも、この遊牧系との結託だよね 晋の覇権の正体ってのは遊牧民達による中原への浸透の側面が相当ある
- 50 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 09:54:54.98 0.net]
- 晋は献侯の辺りから史実に出てきて宮崎市貞は遊牧系が唐叔の家系図に繋げたんじゃないかって言ってる
- 51 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 12:14:03.14 0.net]
- >>47 のつづき
冊封でないなら、寄親寄子制みたいなのとか、与力制みたいなのかも いずれにせよ、春秋時代の時点では諸侯は領内の諸貴族に対して強い支配力を持ったことなど最初から無かったのではないかと 徐々に独立色を強めたのではなくて、最初からあの程度と思う
- 52 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/19(金) 15:41:48.90 0.net]
- >>50
その論は他の家も西周時代の情報がかなり欠損気味なこと考えると乱暴な気もする 特に封建から建国初期の晋なんて周王室の影みたいなもんだから西周崩壊で周に残された記録がかなり吹っ飛んだろうし 武公による本家乗っ取りで晋側も色々失ったろうし 怪しくはあるけど証拠がない感じ
- 53 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/20(土) 18:02:55.20 0.net]
- >>51
あるいは惣領制みたいな族的結合がメインだったとか
- 54 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/21(日) 15:07:02.81 0.net]
- それを前提に考えると商鞅の政策って部族制を盛大に解体するものだったし
秦が戦国時代に強国化するのもよくわかるな
- 55 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/22(月) 08:59:15.73 0.net]
- 秦が相対的に強国化した理由は、よくわかるような、よくわからないような
一般的に族連合的な支配体制は他邦でも似たような時期に解体、専制的な体制に移行していったとされるので決定的な要因とは言い切れない
- 56 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/22(月) 12:17:11.48 0.net]
- 少し文明かが遅れてたことで中原の先進思想家による改革が徹底できた、中央集権化の度合いが少し高めだったってとこでは?
あと、主要な係争地から離れた空白地帯の蜀を制圧してから躍進したっぽい
- 57 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/23(火) 04:42:05.61 0.net]
- 西辺にあり係争地から離れている
確かに地政学的にそもそも優位だったということがまず考えられる 秦は春秋から強国で、また周という関中から出て成功した先例もあるのだから 秦の主な交戦国である魏(特に大梁進出後)が 常に二正面、三正面に備えなければいけない立地であったのと対照的
- 58 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/23(火) 07:53:13.05 0.net]
- >>55
晋はより分裂して分権化した状態が固定化しちゃったし 楚は呉起の改革が無かった事にされたと言う点を考えると 史記の史観では秦の集権体制と他国の分権体制の比較になってると思うけど
- 59 名前:世界@名無史さん [2021/02/23(火) 20:04:28.71 0.net]
- 仰る通り秦と楚の明暗は一に懐王、二に変法くらいの勢いで大体説明されてるけど
他の五雄についてはそれほど明確な解説はないからなー 強い君主の驕りや名臣の進退等の一般論が主で、呉起による集権化の否定に相当する決定的な描写がない
- 60 名前:世界@名無史さん [2021/02/23(火) 20:28:15.90 0.net]
- そもそも、中央に周王室があり、その周囲を斉楚秦晋の東南西北4大国が取り巻いているという状況が、いかにも中国人好みの「五行説」にハマりすぎている
本当にこんな体制だったのか、なんか怪しい
- 61 名前:世界@名無史さん [2021/02/23(火) 20:30:59.64 0.net]
- あと一歩で、智氏が晋を乗っ取って、田氏斉みたいになるところだったのにな
趙襄子の外交力で局面をひっくり返された
- 62 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/23(火) 20:32:02.99 0.net]
- >>60
いやそもそも秦楚は夷狄扱いだったし一次史料に出てくる諸侯を疑うのか?
- 63 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 01:56:19.86 0.net]
- 周代や春秋時代の一次史料なんて存在しないだろ
編纂物は二次史料だし
- 64 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 02:42:39.45 0.net]
- 金石文はこの時代の歴史研究の重要史料
- 65 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 09:21:04.18 0.net]
- 楚とかいう他の戦国六国を足し合わせたレベルの広大な領域を征服、統合した超大国
戦国楚は、「呉起殺さなかったら天下取ってた」「無能」とか言われるけど 呉起改革の過大評価、楚の政治体制の過小評価な気がしてならない
- 66 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 12:12:04.61 0.net]
- 面積は広いけど、国力は知れてるんだよな。人口密度が低い
あと、もとの中心地域だった荊州あたりと、呉越の旧領と、二ヶ所の中心地域を持つようになってからは国論統一できなかったのではないか。末期には荊州を取られて中心がひとつになったから国力結集できただろうけどさ
- 67 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 13:50:53.30 0.net]
- 密度は低いが兵力は秦に次ぐほど大きいだろう楚って
春秋時代から体制が殆ど変化してなかったって意味では随一っぽいけど
- 68 名前:世界@名無史さん [2021/02/24(水) 14:17:02.64 0.net]
- この時代の長江下流は、広大な湿地帯で亜熱帯のジャングル
全身に刺青した土人たちの世界
- 69 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 15:01:25.63 0.net]
- 越は滅亡してから3つに分裂して自治してたから楚はほとんど支配してなかったんだろう
戦国に入ってからは奢侈に溺れてドロドロに腐敗した貴族政治で見る影もない
- 70 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 19:59:39.93 0.net]
- 越地は懐王代に入ってから攻め潰して併合の流れっぽいし実際は戦力に入ってないだろうね
東方に戦力を割かねばならんしむしろマイナスっぽい 戦国楚の遠心力が強そうな地勢で集権強行するといずれ爆散して暴君扱いされる未来しか見えない 近世の神聖ローマ皇帝が強権で全国的な支配実現するぐらい無理そう(暴論)
- 71 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 20:12:05.40 0.net]
- 懐王の頃だと荊州あたりはなくなって旧呉が中心じゃなかったか
つまり東遷後では?
- 72 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 22:07:54.84 0.net]
- この時代は象は普通にいたんだよね
- 73 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/24(水) 22:23:49.38 0.net]
- 象形文字だしね
- 74 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/25(木) 00:39:59.10 0.net]
- >>71
懐王期はまだ越を攻略中なので旧呉が中心はちょっと無理があるかと、東方(淮水流域)ならわかるけど 荊州北部を失陥するのは懐王の最末期で中部南部は次代の頃襄王期まで保持している、つまり東漸前
- 75 名前:世界@名無史さん [2021/02/25(木) 06:54:28.40 0.net]
- この時代は、長江下流はまだジャングルで、楚といったら淮水なんだよな
楚の首都も、「西楚の覇王」といってた頃の項羽の都もこのあたりにあった
- 76 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/25(木) 08:58:23.24 0.net]
- 春秋戦国の楚が開拓していったフロンティアが秦末楚漢の楚という感じですね
北東に基盤を構築した懐王期以前の楚 秦に敗れるも東に移って持ち堪えた頃襄王とその後継者たち 東漸後の楚を率いて強勢を誇った春申君 彼らの努力が巡り巡って秦を倒したと言えなくもないかもしれない
- 77 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/25(木) 19:06:30.51 0.net]
- 劉邦の評価が低すぎる
叩き上げの歴戦の軍人で勝利をおさめて皇帝にまでなれたのになぜか無能大徳で成り上がったことに 春秋戦国時代にも匹敵する人物はいないでしょうに
- 78 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/02/25(木) 22:01:59.88 0.net]
- 低すぎるというか極端って感じかな
まあ実像がわかり難くキャラ化しちゃってる古代人の評価が極端化するのはしゃーないと思うけど
- 79 名前:世界@名無史さん [2021/03/13(土) 07:07:12.29 0.net]
- 武帝のほうが英雄っぽい扱いになってるな
- 80 名前:世界@名無史さん [2021/03/13(土) 12:45:53.23 0.net]
- >>55
>>59 あまり言われないけど国家予算のかなりの割合を賄賂に使ったことだって説も 実際に数十兆円の賄賂で諸国の重臣を買収すればね 日本ではばれて捕まるの怖し、はした金の賄賂は受け取らないことが多いけど ちょっとしたことをやってくれるなら一億円あげると言われたらやる奴は多いだろう
- 81 名前:世界@名無史さん [2021/03/13(土) 12:47:57.48 0.net]
- >>33
>>34 ちゃんとしたものは少ししか作れないし値段も異常に高くなってしまう 本物の豆腐が売れず、安い豆腐が流通しているように 一部の名犬が欲しい人しか高い犬は買ってくれないように
- 82 名前:世界@名無史さん mailto:age [2021/03/13(土) 12:50:02.91 0.net]
- >>60
斉も殷側だった説もあるし 殷の主力が東の人方を攻めるために主力がいない時に 味方のはずの周が騙し討ちで攻撃して本国を落としただけだからね その力も他の諸侯より圧倒的に上ではないしね
- 83 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/13(土) 19:21:54.30 0.net]
- そりゃ生まれながら高貴な身分の武帝と文字も禄に理解できない高祖では比較すること自体、意味がない
なりふり構わず自分が助かろうとするし、他人が赤面するような、みっともない事を言ったりしたり当たり前 匈奴に臣下の礼でおめおめ生き残ろうとするのも納得 こんな些細な事を人物評価に加えるのが、適切かどうかは分からない
- 84 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/13(土) 19:22:51.12 0.net]
- ↑
すまん スレチ
- 85 名前:世界@名無史さん [2021/03/14(日) 14:20:44.86 0.net]
- 越の繁栄の基盤は通商だったらしい
越は水上交通に長けていたので、東南部の山間地域に産する物産を、 黄河流域に搬出することで勢力拡大した その通商ルートを確保するために、長江の下流域にあった呉と争い、 臥薪嘗胆・呉越同舟などの成句を残すほどの宿敵関係にあった
- 86 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/19(金) 05:51:20.92 0.net]
- 呉は、独身税みたいな税を独身者の親に課してたと言うのはほんと?
- 87 名前:世界@名無史さん [2021/03/21(日) 17:09:28.12 0.net]
- >>86
何で読んだの?
- 88 名前:世界@名無史さん [2021/03/21(日) 17:20:45.56 0.net]
- >>85
そうなんだろうなあ 当時の浙江省は、マングローブの生い茂る亜熱帯の湿原で農業どころじゃなかったはず 山間部の産品を主力に、水運で繁栄していたというのは納得できる
- 89 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/21(日) 18:30:56.57 0.net]
- 呉越同舟の呉らしい。
孫子の孫武がいた呉だね。
- 90 名前:s mailto:k [2021/03/21(日) 19:52:27.72 0.net]
- 南方民族全体の総称にも「越」族という呼称を使うが、
越国が支配していたから越族という呼称が生まれたのか、 越族が建国したから越国という国名になったのかどっちなんだろう
- 91 名前:世界@名無史さん [2021/03/21(日) 19:56:22.09 0.net]
- 後者じゃね
古代は南蛮だったんじゃないかな
- 92 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/21(日) 20:06:20.66 0.net]
- でも越って単一民族でもないし単一部族でもない、たくさんの部族の集まりだろ
百越とか言われるように。
- 93 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/21(日) 20:42:50.05 0.net]
- 人種的にはインドシナ系がルーツなのかな
- 94 名前:世界@名無史さん mailto:age [2021/03/21(日) 21:40:19.10 0.net]
- >>90
当時の記録で越としか読んでいないし 越族でも越国でもあるんじゃないというより 国と言えるようなのがインジョウからみたいだし 越も呉もwoみたいな発音でぶっちゃけ同族に近いらしい
- 95 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/23(火) 14:55:00.65 0.net]
- 漢の宮廷では、「越人が互いに攻撃しあうのは彼らの常であり、またしばしば
寝返りをする」といわれていた
- 96 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/23(火) 15:07:56.48 0.net]
- >>88
何を主食にしてたんだろ? ヤムイモタロイモ甘くないバナナとかだろうか?
- 97 名前:世界@名無史さん [2021/03/25(木) 11:16:38.47 0.net]
- >>96
その辺は推測するしかないでしょうなあ おそらく、「南洋の土人」みたいな人たちだっただろう
- 98 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/25(木) 18:46:15.71 0.net]
- 越では、夏の暑熱の時節には、嘔吐や下痢、霍乱の病気が続出したとか
林の中にはマムシや猛獣が多い
- 99 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/25(木) 21:17:49.00 0.net]
- Do you have poison?
Yes I ハブ
- 100 名前:世界@名無史さん mailto:gae [2021/03/26(金) 04:24:30.74 0.net]
- >>96
米かな?
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