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春秋戦国時代 4



1 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:17:07.56 0.net]
春秋戦国時代

itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1509694882

春秋戦国時代 2

itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1544653163

春秋戦国時代 3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1581809665/

301 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/27(木) 16:11:01.93 0.net]
粗放農業は農産共同体を形成し易いよ稲作より
>>299
社会変動が起きる位経済活動が発達したのわ漢代入ってからじゃね?
一応七国に分かれてたし

302 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/27(木) 17:25:13.63 0.net]
>>300
原始共産制って農耕以前の狩猟採集社会が想定されてるんだが・・・

こういうマルクスのマの字も知らん低能が「ぼくのかんがえたまるくすしゅぎ」を妄想しては叩くのって何なの?
お前の妄想はママにでも聞いてもらえよ誰も興味ねーから

303 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 03:25:15.75 0.net]
>>298
士農工商って言葉自体が最近じゃ使われないのでは

304 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 07:41:57.15 0.net]
>>299
江戸時代の日本について士農工商と言ったのは、同時代にはほとんどなくて、主に明治以後の人が江戸時代をあしざまに言うための言葉という状態
というか、本来は朱子学の言葉で日本の江戸時代の社会とはぜんぜん違うんだよ

305 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 08:45:15.21 0.net]
士7%農22%工7%商7%農奴44%奴婢14%奴隷9%

306 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 18:07:21.77 0.net]
波動砲!エネルギー充填率120%!!

艦長!安全深度限界ですー!!
まだいける!あと20m潜れ!!

みたいな?

307 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 18:29:21.30 0.net]
春秋戦国時代にはさまざまな形の貨幣があったが、布銭(農具をかたどった銭)は
おもに中原地域で、刀銭はおもに燕や斉で、円銭は秦で用いられていたんだよな
ある意味多様性があって面白いともいえるが

308 名前:世界@名無史さん [2021/05/28(金) 18:49:00.80 0.net]
>>307
復古主義者の王モウは、前漢を滅ぼして古銭を復刻した

309 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 20:18:49.93 0.net]
宝貝が貨幣として用いられていたのはいつ頃ぐらいまでなんだろ?
海岸にいけば入手できる貨幣とかインフレデフレ凄まじい気がするけど



310 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/28(金) 22:16:47.51 0.net]
>>309
王莽の政策が破綻したのちは、貝貨が雲南以外で使われることはなかったらしい

311 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/29(土) 05:04:39.14 0.net]
>>305
徳川時代中期以降は農奴が奴隷奉公で都市へ奴婢として出荷される数が増加したよ

312 名前:世界@名無史さん [2021/05/31(月) 14:56:48.61 0.net]
江南では昔から巫術が盛んだったらしいけど、道教とはどう違うのかな?

313 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/31(月) 16:09:00.87 0.net]
鬼道ってヤツじゃね?
どんなのか知らんけど

314 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/31(月) 19:39:01.15 0.net]
江南の巫女は楽器を叩いて死人の魂を下ろし、死者に話をさせたらしい
さらに吉凶を占い、ときにはひでりや雨乞いのとき、犠牲として天に
捧げられる場合もあった
周の時代には手に茅を持って舞い、託宣をしたという

315 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/05/31(月) 20:42:40.94 0.net]
公孫衍って前314年に秦に攻められて敗走したあとの動向わかっているのでしょうか?
武王のもとで甘茂にどうこうとか、その後の伊闕の戦いでは魏の使者となり秦と和平したとか何とか書いてあるところがちらほらありますがあれ向寿や公孫奭とかという人と混同しているような…

316 名前:世界@名無史さん [2021/06/01(火) 06:44:53.44 0.net]
>>312
道教よりむしろ、儒教のルーツがそれ

孔子が「怪力乱神を語らず」とする以前の儒教はシャーマニズムだった

孔子の母も巫女だったと言われている

317 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 07:09:54.74 0.net]
違うよ
祖先神を祭る宗族制と政教一体だけど
既にシャマニズムでわ無いよ

318 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 07:42:31.64 0.net]
戦国時代中期以後、漢民族共通の祖先と考えられるようになった黄帝も、
風雨を支配する巫術者と考えられていた

しかし、中国の古代ではシャーマン=王だったにしても、為政者が儒教を民衆統治の
手段にしてから後、巫術者の行為はおおむね時の権力に対してアンチテーゼとして
働くため、史料に残される例がきわめて少ない

319 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 08:06:54.71 0.net]
>>315
史記張儀列伝では張儀死後に入秦したことになっているからね
個人的には武王〜昭王の初期は公孫なんとかがよく登場するので混同の可能性は相当あると思う

向寿「そろそろ誰が昭襄王の真の幼馴染か決めようではないか?」


紀年記事における公孫衍または犀首という名での登場は
たぶん魏世家の哀王九年が最後じゃないかな?(岸門に敗走したのが哀王五年、哀王十年に張儀卒)
その後も存命かもしれないけど魏または秦の将軍、宰相としての活動は確認できない気がする



320 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 10:42:26.11 0.net]
夏后少康の庶子の無余という人が会稽に封じられ、
土地の風習に従って入墨をし、
髪を切って村落をつくった
その子孫が越王勾践

321 名前:世界@名無史さん [2021/06/01(火) 11:32:56.04 0.net]
こじつけ伝説だろそんなん

322 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 15:46:00.79 0.net]
>こじつけ伝説だろ、そんなもん
いや、問題は何故こじつける必要があったか?そして、それを記録するだけの裏付けはあったのかどうか?
が、問題なんだろ
つまり、当時に二里頭文化の集団移民が実際にあって、それを夏の王族に仮託されたのか
そして、それを裏付ける文化的な連続性があったのかどうか

323 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 18:06:20.25 0.net]
たとえ当時なんらかの根拠があったとしても
今となっては匈奴≒夏の末裔みたく証明できないだろうしなんとも

初期越の有力者墓は中原型だった、という話も聞かないし

324 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 18:55:04.67 0.net]
>>319
ご丁寧に解答くださってありがとうございます!
古代特有の楽しく同時にもどかしい感じ…おとしどころ探さなくては

325 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 19:57:28.42 0.net]
呉太伯の父は古公亶父といい、周王朝の祖だが、
長男の太伯よりも末子を位に即けたいと願っていた
それを知った太伯は位を弟に譲るため、髪を切り、
入墨をする蛮族の風習をして会稽に行き、呉の始祖となったという
これもこじつけ伝説?

326 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 20:04:38.49 0.net]
>>324
いえいえ、張儀列伝と魏世家という基礎中の基礎の範囲でしか答えられず申し訳ない
一応魏将の記述が史記比豊富な竹書紀年に犀首がいないか探したこともあるのですがそれらしき人物はいませんでした
武王期以降になると宣太后一族他に関心が移ってしまい完全に勉強不足です(汗)

327 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/01(火) 21:40:39.51 0.net]
>>325
あのまま周に残っていたら殺されたのが李歴ではなく太伯だったんだろうか?

328 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/02(水) 11:38:01.29 0.net]
殷周時代の大都市、とりわけ王都は、王朝の滅亡とともに
放棄されるものであり、政治的な性格を強く帯びていた
しかし戦国時代になると、王朝の興亡に左右されない、
巨大な経済都市が出現する
なかでも大規模な城郭都市が生まれたのは、韓・魏・趙の地域

329 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/02(水) 14:38:04.45 0.net]
そんだけ都市の力が強くなったってことか
インフラとマンパワーが



330 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/02(水) 19:35:50.47 0.net]
戦国期には社会的・地域的な分業が相当な水準まで発展し、天然資源のみならず、
日常的な什器の流通も始まっていた
北海では馬や犬、南海では大鳥の羽・象牙・犀の角・青色の染料・丹砂、
東海では紫貝・葛製の布・魚・塩、西海では皮革やヤクの尾を産出した
中国の民はこれを交易で手に入れることができた

331 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 00:09:04.54 0.net]
>>330
それだけ色んな交易品があるのに調味料は塩と酢だけなのか

332 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 07:28:01.55 0.net]
戦国期だと魚醤,肉醤と味噌が普及前だけど有る感じ

333 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 14:22:03.76 0.net]
春秋戦国時代には、食客3000人を抱えるような人物も現れたけど、
それだけ社会が豊かになったということなのかな
ちなみに孟嘗君はいかもの食いで、他国からの逃亡者や罪人までも集めていた

334 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 15:05:50.21 0.net]
うがった見方だと、有能な人材は大国に取られてるからイカモノ人材しか集められなかったという説も

そんなイカモノ軍団を使いこなして活用したんだからすごいよな

335 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 15:16:59.55 0.net]
有能はイカモノでも有能だし
イカモノでも有能は有能でしょ

336 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 17:24:03.67 0.net]
犯罪者の活用といえば秦
秦末には軍が罪人だらけになっちゃった

337 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 22:30:50.62 0.net]
ヨーロッパの城郭都市の場合、門限が定められていたが、
中国の都市の場合はどうだったんだろう?

338 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/03(木) 23:33:44.82 0.net]
夜明けまでは城門を出入りできなかったからこそ、町を出られなかったからこそ、鶏の鳴き真似をする人材が活躍したんじゃね

339 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/04(金) 06:02:19.83 0.net]
鶏鳴もそうだし光武帝も門限過ぎて野宿した逸話がある
宋の開封なんかは不夜城として有名



340 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/04(金) 07:30:31.96 0.net]
日本の江戸城も門限が決まっていて、
それを過ぎると将軍といえども
みだりに入れてもらえなかった

341 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/04(金) 07:48:45.63 0.net]
つうか、江戸だと町全体がブロック状に区切られて柵で往来制限されててその門扉が夜間には閉じられて往来できなかったはず
その門のことは木戸とか城戸と呼んでたはず

342 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/04(金) 14:32:23.91 0.net]
日本では中国の都市のなかで、唐の長安だけがやたら有名で、
宋の開封では夜間の通行を禁じた唐代の坊制はとっくに
なくなっていたことなど、ほとんど知られていないな

343 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/04(金) 23:47:27.70 0.net]
文化は伝播するが現地に馴染みがあるわけじゃないからね
これは前近代中国に限らず現代の欧米に対しても言えるな
有名なのは代表的な都市だけ

344 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 10:58:03.98 0.net]
春秋戦国時代に諸子百家が盛んに活躍していたが、
そのなかには一人の秦国人もいなかった
やはり秦は文化的にも遅れていたのかな

345 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 11:33:20.45 0.net]
秦で活躍した人は複数いるのに秦出身って聞かんよね

346 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 11:55:44.05 0.net]
秦は法律が厳しくて高等遊民はできないしゆっくり学問もできなかった

一家に二人以上の男子がいれば必ず分家しなければならないとして
自作農の増加をはかり
五人組で農家を互いを監視させた

漢代になると余裕のある家の子が
ずっと学問して世評が高まり70歳でようやく官に招かれ
とか出てくる。孔明もニートだったし

347 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 12:15:01.81 0.net]
孔明ニートは誤読だな
あいつら、大土地所有者、大土地経営者らは領地経営が本業
君主に仕えるのは副業みたいなもんだぞ

348 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 12:38:19.68 0.net]
呉の4姓とか大土地所有者だけど先祖を見ると北から来たみたいだし
東晋の豪族もそういうの多いし
孔明の実家も華北で戦乱に押されて南に流れてきたみたいだし
太守のおじさん殺されてるし荊州に土地縁なさそうよね

349 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 12:53:24.99 0.net]
その辺の時代の大土地所有者って、異境に移動するときに領民を引き連れて移動することが多かったみたいだね

土地は移動先で手に入れて開拓して入植するのかな?
だから、孔明も異境である荊州で地主業、大土地経営をしてるわけだよ
自分自身も土地を耕したりしてるけど、それも本業じゃない



350 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 13:04:54.20 0.net]
袁紹も司馬懿も仕官に出てこないと殺されるから仕方なく仕官
本音では高等遊民していたかったようだ

351 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 13:28:28.16 0.net]
未だ未耕地有る時代だし
上古わ道徳を競い 中世わ智謀を逐い 当世わ総力を争う

352 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 15:47:56.22 0.net]
>>351
死ね

353 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 16:00:26.35 0.net]
>>350
司馬懿はわかるけど、袁紹もなの!?

354 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 16:45:37.93 0.net]
袁紹は董卓に脅されて仕官したんだっけ
袁紹が離反した腹いせに叔父が殺されてるな、たしか?

355 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 16:52:32.20 0.net]
朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い危険視していた。そのことを聞いた叔父の袁隗は、一族を滅ぼすつもりかと袁紹を叱ったという(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)。そのため、何進の掾(属官)に召されるとようやく官途に就くことにした

356 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 17:40:46.81 0.net]
>>354
訂正

董卓のときに仕官したわけではない
すまん。指摘のレスの意味も読み取れてなかったし……

357 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/05(土) 18:03:36.75 0.net]
秦の知恵者と言えば厳君かな

358 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 03:34:29.86 0.net]
史上活躍した人物となると、他の国と同じくまずは宗族ということになる
昭王期くらいまでは公子や公孫が政戦によく登場する
まあ出自が明らかな人間は殆どいないから公孫某でも秦出身確定にならんのが辛いとこだが

他にパッと思い浮かぶ出身地が書いてある有力者は・・・

白起:バリバリの秦地出身
王氏:秦の本拠地、関中東端出身
犀首:秦の周縁、魏との係争地域出身

あと蒙恬みたく先祖は他国者だけど本人は秦育ちな秦人(知らんけど)も割といるかもしれん

359 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 07:54:57.14 0.net]
どいつもこいつも実務的な人で私塾を建てて後進の育成になんて考えそうになさそうだ
お国柄終わりを全うできないってのも要素の1つかな



360 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 08:52:37.40 0.net]
私塾で後進の育成とか無いしな
基本はサロン

361 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 13:49:14.03 0.net]
王朝のその後を考えない利己主義者の集まりで、自分の能力を活かしたい人が来るから乱世には発展するけど後に続かない
始皇帝没後の帝国を見ているようにで面白い

趙高・李斯と陳平・周勃の差よ

362 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 16:13:33.53 0.net]
始皇帝に人を見る目が無かったというだけの気も

363 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 16:48:16.26 0.net]
豎5fc; 趙高 公子開方みたいな一見忠義面した輩わ質悪いから

364 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 17:02:48.55 0.net]
>>363
死ね

365 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 19:02:33.34 0.net]
>>359
>>361
秦は諸子百家に分類される人材を雇用しているけど、多くが便利な侵略案内人&権力強化のお供(寵臣)タイプで
史料を見る限り諸子百家的な文化を振興しよう、みたいなタイプの権力者は戦国末の呂不韋を待たなければいけないからなぁ

しかも孤立する甘茂説話の数々や、逐客令というワード、厳格な移動の制限から考えて
東方で流行る諸子百家ムーブを積極的に否定、拒絶する有力者&地元秦人は少なくなさそう

366 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/06(日) 19:34:38.51 0.net]
側近と寵臣は違うでしょ

367 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/07(月) 01:54:19.39 0.net]
側近は君主と親しい、つまり君寵を得ている人物、すなわち寵臣である場合が少なくないし
君主の信頼を背景に強大な政治権力を握る寵臣は側近出身であることが多いのでは?

368 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/07(月) 06:02:18.25 0.net]
寵臣は権力握って無い場合も多いよね

369 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/07(月) 07:09:09.32 0.net]
もちろん場合によりけり
寵臣政治する事もあればただの遊び相手でしかないこともある、それは側近も同じだけど



370 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/07(月) 19:18:47.13 0.net]
側近は近臣と手足となって働く信頼厚い体制幹部を指す場合がほとんどだけど
寵臣は要するにお気に入りなのでやや範囲が広いかな
上は君主個人の寵愛を頼りに強権を振るい改革を強行する歴史的人物から下は寝室で活躍する人まで

371 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/08(火) 14:41:37.49 0.net]
斉の国は山東省にあって海岸線が長いので、製塩や漁業には便利だが、
土地はアルカリ性が強く農業には適さなかった
管仲は製塩業、漁業のほか、養蚕、絹織物業を奨励するとともに、
土壌の改良につとめ、農業を盛んにし、また物資の流通、物価の安定を図った
これによって斉の国の経済は発展し、軍事力は強化された
こうして斉の国は春秋最初の覇者となる道を歩み始める

372 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/08(火) 16:41:39.94 0.net]
管仲というか、後世管仲に仮託された思想というか

373 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/08(火) 17:47:44.21 0.net]
製鉄忘れてる

374 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/08(火) 18:34:37.12 0.net]
>>371
春秋時代の斉は海岸まで支配してなかったのでは?

375 名前:世界@名無史さん [2021/06/08(火) 19:07:12.25 0.net]
春秋時代も終わり頃になると広く海岸を支配してたんじゃないかな
むろん管仲が生きていた比較的前期には当てはまらないけども

376 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/08(火) 22:41:13.67 0.net]
斉の桓公にとっては、北方の山戎や狄よりも、
南方の楚の国のほうがおそるべき敵だったとか

377 名前:世界@名無史さん [2021/06/12(土) 22:17:38.06 0.net]
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益がある上に、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えた

378 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 02:45:09.56 0.net]
冶金は元から先進地域の1つだし
農業は長江流域に典型の稲作だから
黄河流域の天水農法と違うよ

379 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 02:55:59.90 0.net]
ずっとあとの三国時代の呉でも旱魃が多く記録されてる

北に比べて人口が少なく
豊作が当たればでかいが、安定しなかったみたい

そんなわけで人狩りとか精出して



380 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 09:09:28.09 0.net]
稲作の方が畑作より安定してる
三国呉の領域の多くは戦国楚
江南で旱害が起き易いのわ丘陵地

381 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 10:31:51.69 0.net]
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する

382 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 14:03:57.60 0.net]
陸稲なんて栽培されて無い
はい論破

383 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 14:25:20.24 0.net]
この時代の南方は原住民による焼き畑農業がおおく、それに華北人が乗っかった
いきなり水田なんてないよ。まず原住民を追い払ってから開発

384 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 14:27:19.07 0.net]
考古学的には、日本では縄文時代から陸稲が栽培されていた形跡があり、水田稲作より起源が古い

385 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 16:38:20.50 0.net]
>>380
死ね

386 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 18:47:19.25 0.net]
>>384
現存の陸稲わ中世に分岐した物だし遺伝的多様性にも乏しい

387 名前:世界@名無史さん [2021/06/13(日) 19:39:20.17 0.net]
春秋戦国時代は中国の思想が急激に発展した時代だけどその要因はなんだったの?
三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代も同じ分裂時代だけど新しい思想は生まれなかったのはなぜ?

388 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 20:18:41.92 0.net]
>>380
戦国の呉は後の徐州あたりだよね、会稽あたりは呉の南がわ隣国の越だよね

すると戦国の呉の領域の大半は三国時代には魏の領土だよね

389 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 20:20:02.16 0.net]
>>382
陸稲は黄河文明の方のエリアで細々と作られてたぐらいで、長江文明の圏内では育てられてないよね



390 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 20:21:53.29 0.net]
>>383
そかな

原住民が稲作で入植した華人は小麦とかヒエアワメインなんでは?

391 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 20:26:18.20 0.net]
>>387
あたらしい思想は色々あったけど、だいたいは古い思想の外皮をかぶせられて新規性が見えにくい

三国時代になる前から、後漢の頃から色々とあたらしい思想は出まくってるよ

392 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 21:15:46.05 0.net]
>>386
死ね

393 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/06/13(日) 22:13:35.21 0.net]
前584年、晋では楚の力をそぐ手段として南方の呉に目をつけ、
申公巫臣を呉に派遣し、進歩した車戦法を教えさせた
これは呉王寿夢のときだったが、この時から呉は勃興し、
晋の目論見どおり、楚の一強敵となった

394 名前:世界@名無史さん [2021/07/09(金) 19:40:50.03 0.net]
中国の軍隊についてだけど、春秋時代になると、貴族だけでは軍事力不足なので、
平民による常備軍が編成されるようになったな
ただし彼らには武器自弁の義務はなく、代わりに「金」を徴収するようになった
そして戦国時代には貴族の子孫が増加したので、本国で生計を立てられない者たちが
同盟国で寄食するようになった
彼らは戦時には軍を率いるものの、平時にもどれば軍を解いて、主君に返上するのが
ふつうだった
将軍職も、周代に比べればもはや高貴な地位とはいえなくなった

395 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/10(土) 03:58:20.58 0.net]
貴族が増加したからというより
知識人層が形成されたから行政改革で
有能でない無能な世襲ゴミがポイーされた
楚や秦や燕の様な田舎わ相変わらずだったけど

396 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/10(土) 16:45:05.94 0.net]
>>395
死ね

397 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/27(火) 15:30:04.25 0.net]
呉越の長江流域や巴蜀の人達は日本の弥生人にもあたるそうだね

398 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/27(火) 17:42:08.95 0.net]
数万年前にアフリカから出てきた人たちは今の中国人にあたるそうだよ

399 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/28(水) 09:50:06.83 0.net]
巴蜀は違うけどな



400 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/07/28(水) 13:42:57.37 0.net]
秦の巴蜀併合までは長江文明と近い文化があった
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%87%E7%8E%8B_(%E7%A7%A6)

抜粋
また紀元前316年には秦の領域である関中の後ろに大きく広がる巴蜀(中国語版)を併合する(秦滅巴蜀の戦い(中国語版))。この地域には三星堆文化を元とした独自の文化を持った国が栄えており、

また、これらの人々(巴蜀、呉越)は後世に辰韓に移住した可能性がある

そしてこの頃に巴蜀に住んでいたと思われるイ族、ハニ族はDNA(YハプログループO1b2)、文化が弥生人に近い






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