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春秋戦国時代 4



1 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:17:07.56 0.net]
春秋戦国時代

itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1509694882

春秋戦国時代 2

itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1544653163

春秋戦国時代 3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1581809665/

101 名前:世界@名無史さん [2021/03/26(金) 07:36:50.83 0.net]
稲作はすでに行われていたはずだが、主流ではなかったんじゃないか?

普通に熱帯のジャングルのイメージで良いのでは

102 名前:世界@名無史さん [2021/03/26(金) 10:29:43.57 0.net]
史料の記録が乏しすぎる

103 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/26(金) 14:46:49.65 0.net]
黍なんかは主食だった様だな

104 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/26(金) 18:38:11.11 0.net]
司馬遷は『史記』で、江南について、
「稲を飯にし、魚を羹にする。……果物屋や瓜類、魚介類は商人をまたずとも
十分自足している」
と書いている

105 名前:世界@名無史さん [2021/03/28(日) 07:49:03.75 0.net]
ということはやはり、コメが主食だった?

106 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/28(日) 11:02:55.01 0.net]
俺はオコメよりオメコのほうが・・・

107 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/29(月) 22:36:23.39 0.net]
>>68
>全身に刺青した土人たちの世界
全身に入れ墨したぐらいで土人なら我が国の推古天皇や聖徳太子も土人だな

隋書倭国伝
男女多黥臂、點面文身

男女の多くは腕から顔、身体にいたるまで入れ墨を施している。

108 名前:世界@名無史さん [2021/03/30(火) 04:36:06.22 0.net]
>>107
古代だと中国の南部、日本、東南アジアにかけて皆そうだ

109 名前:世界@名無史さん [2021/03/30(火) 18:18:10.03 0.net]
>>105
当たり前じゃん
江南で稲作始まったの10000年前だし



110 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 18:20:11.94 0.net]
戦国時代に入ると鉄製の武器が普及し、歩兵戦が中心となり、
次いで騎馬戦が導入され、犠牲者の数が格段に増えたな
秦と趙が戦った長平の戦役では、降伏した趙の兵卒40万人が
一挙に穴埋めにされ、総勢45万人が殺された

111 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 18:23:29.94 0.net]
>>110
都市国家的な国民皆兵を領域国家のスケールでやらかしてる感じの数字だな

112 名前:世界@名無史さん [2021/03/30(火) 19:04:31.22 0.net]
>>110
秦軍の武器は青銅製ではないか?

113 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 19:25:35.10 0.net]
武器は後漢辺りまで青銅製のが多いくらいだったはずだよな

むしろ鉄器の普及は武器よりは農具に金属器が使えるようになったことで
耕作や開墾が楽になった事に恩恵があったはず

114 名前:世界@名無史さん [2021/03/30(火) 19:28:25.34 0.net]
騎馬の導入で追撃戦とか包囲戦が格段にしやすくなったんだろうね

115 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 19:40:08.27 0.net]
>>109
でも、初期の稲作は面積あたりの収穫量が桁違いに低かったんだぞ
現代の水田より、何十分の一ほどとされている

116 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 22:05:28.95 0.net]
>>115
生産量を増やすには1つは土地を掘り起こす農具特に鉄器の普及(おそらく祭具や武器より普及は後年)
もう一つが地味を豊かにする肥料‥豆類の普及と人なり家畜なりの出すものを効率よく集めること

豆は家畜特に馬の飼育に必要不可欠だし調味料としても保存食としても重要な食物
この辺も急速に整備されたのかな?

117 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 22:31:15.01 0.net]
>>116
各種遺跡の発掘で出土した花粉から森林が消失して平地が広がった事がわかってるから
肥料とか使わないで開拓、植民を繰り返して効率悪く生産量を増やしてったんだと思われ

肥料に関する記述って古代の文献だと全然見た事ないんだよな

118 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/30(火) 23:56:31.81 0.net]
初期の水田は湿田、沼地のかたちそのままで田地の形状すら整備できてない
てか、おそらくは整備する必要を感じてなかったと思われる。依存度が低かったから片手間ぐらいだった、とかだろうかね?

栽培に向いた性質、収穫しやすい性質、収穫量の多くなる性質などを選別して品種改良するより前だし、
どれほど収穫が低かったかは測定困難ではないかと

119 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 08:46:51.54 0.net]
>>113
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢軍は鉄器



120 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/31(水) 11:12:01.84 0.net]
>>119
漢代でも遺跡から出て来る武器は鉄器よりは青銅器のが多めの模様
俺も教科書的に漢代は鉄器やろwwwと思ってたから結構びっくりした

121 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/31(水) 11:18:59.13 0.net]
面白いのが鋼鉄製すらも既に戦国時代には登場していたってことだな
なのに銅と錫をいい具合で混ぜないと耐久性に問題の出ちゃう青銅もかなり後まで武器になってる

122 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 11:40:04.84 0.net]
自分はよく国立博物館に行くけど、「漢の文化」っていったら真っ先に連想するのは青銅器だな

123 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 11:41:11.94 0.net]
鋳鉄は、型に流し込んで同じモノを大量生産するのに向いている

だから、漢代には農具として普及した

124 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/31(水) 12:11:25.11 0.net]
青銅器の方が作るのは大変そうに思うが、鉄器は加熱が大変なのかな?

125 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 12:25:11.76 0.net]
>>124
青銅は、ずっと低い温度で溶かせる

126 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 12:28:40.67 0.net]
古代人にとって、鉄を溶かすほどの高温にするのは簡単なことではなく、大量には作れない

中国は人口が多いから、型に流し込んで同じモノを大量に作ることが好まれたようだ

それが、青銅や鋳鉄が多用された理由かもしれない

127 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 12:31:47.38 0.net]
ヒッタイトでは鍛造した鍛鉄が主流

古代中国では鋳物の鋳鉄が主流だった

128 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/03/31(水) 13:20:20.34 0.net]
>>127
墓の副葬品なんかだと鍛造の鋼鉄が出土してるから
量産品は鋳鉄、一品物とかは鍛鉄みたいな使い分けがあったっぽい

129 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 14:05:59.38 0.net]
>>120
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢遺跡から出る武器の大半は鉄器
2000年前だと鉄器の残存はかなり厳しい条件にも拘らず鉄器
前漢の青銅剣は儀礼用以外に全く使われて無い



130 名前:世界@名無史さん [2021/03/31(水) 14:09:10.27 0.net]
>>128
鍛造は前漢末期に普及した
それと無関係に鍛鉄は腐食が進み難く鋳鉄は腐食が早い

131 名前:世界@名無史さん [2021/04/02(金) 06:41:55.53 0.net]
古代中国っていうと、巨大な青銅器の甕が真っ先に思い浮かぶ

なんで、あんなにデカいんだろうな?

132 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/02(金) 09:26:15.81 0.net]
日本列島では、銅鐸がやたら巨大化したよな

133 名前:世界@名無史さん [2021/04/02(金) 09:45:07.57 0.net]
やっぱり、祭祀用なんだろうな

134 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/03(土) 13:25:47.17 0.net]
権威の象徴はデカければデカい程有意義だしね

135 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 05:20:39.54 0.net]
呉や越とか治水できてないだろあの当時は、
稲作有っても 原始的な陸稲とかだろうな

春秋戦国時代に書かれた儒教の書物 《周礼(しゅらい)》では、
この時代の 五穀は 麻・黍(しょ)・稷(しょく)・麦・豆とあるが、
だいたいが 中原の方で 寒冷・冷涼な大陸性気候の作物が書かれてる。

しかしながら、書物ではなく、
遺跡とかの 稲のプラントオパールの分布は
縄文時代 (約1万2,000年前〜2,500年前)には 日本(九州とか)に伝わっていて、
稲作の歴史は 『実は 日本から大陸側に伝わったのではないか?』と言う説もある。
日本の方が 稲のプラントオパールの分布は古い

inoues.net/museum/kaboto_nn05.jpg

呉や越の稲作は 河川付近の限定的な作付の可能性が高いと思う

136 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 05:43:13.19 0.net]
呉や越の地方に近い、
タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる ミャオ族が、
山岳地帯に住んで トウモロコシや陸稲を栽培している、
ミャオ族は 古くは 河川や湖畔の近くに住んでいたが
ある時期から土地を追われて 山奥の山岳地帯に放浪した民と言われている。

呉や越の亡国の民ではないかと思う。

137 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 08:32:48.84 0.net]
土器も稲も、日本の遺跡のほうが大陸より古いんだよな

古墳も半島より日本のほうが古くて、圧倒的に規模がデカい

138 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 08:49:11.57 0.net]
>>135
IQ70くらいしか無さそう病院で診断して貰え

139 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 09:19:01.98 0.net]
そもそも根本的な問題として、稲は熱帯性の作物なんだよな

寒くて雨が降らない朝鮮から、暑くて雨が多い日本に「稲作が伝わりました」というのは論理的におかしい

しかも、水稲耕作の遺跡は、朝鮮より日本のほうが古い



140 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 09:21:08.76 0.net]
同じ熱帯性である唐辛子は、東南アジア→日本→朝鮮と伝播している

141 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 10:05:03.18 0.net]
水田遺跡は韓国のオクキョン遺跡のほうが日本最古の板付遺跡より古いけどな
また農具も半島南部と日本は共通しているが江南とは共通していない

142 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 10:20:26.58 0.net]
>>135
起源的には陸稲より水稲栽培のほうが古い
原始的な陸稲栽培なんてものは存在しない

143 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 10:37:21.50 0.net]
古代で、半島→日本、日本→半島と新技術・新製品などが伝わる時間は、せいぜい1年くらい?

144 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 11:35:03.51 0.net]
>>139
違うよ
温帯〜亜熱帯気候の作物
農具も長江下流域の物と日本の物わ共通

145 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 11:57:35.53 0.net]
>>139
朝鮮半島の南部なら水稲はできるんだろう

146 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 12:01:01.44 0.net]
朝鮮半島南部で
北アジアの農耕文化と江南の稲作文化が合体して
それが日本に渡来したみたいな感じ?

147 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 12:20:54.07 0.net]
かつては朝鮮北部→朝鮮南部→九州北部と考えられていたけど
現在では朝鮮北部より朝鮮南部と九州北部の農耕文化のほうが早く成立したことが明らかとなりこの説は否定されている

現在では蔚山広域市のオクキョンにある日忽然と水稲文化をもつ集団が現れ
九州北部へと次いで半島北西部へと水稲をもたらしたことになる
この集団がどこから来たのか現在でもはっきりとしたことは分かっていない

148 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 12:40:29.38 0.net]
船使って移動してるなら朝鮮半島の南にいきなり到着してもおかしくはないからな
朝鮮には陸路で伝わったと決めつけるのはよくないよ

149 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 12:49:46.58 0.net]
海路沿いに中国から来たのなら普通は半島南西のはずだろ?
ところがオクキョン遺跡は半島南東部の蔚山にある
そこから九州北部の板付遺跡や半島南西部のオクキョン遺跡へと波及している



150 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 12:51:58.39 0.net]
×半島南西部のオクキョン遺跡→半島北西部の松菊里遺跡

151 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 13:11:33.27 0.net]
半島南部は、倭国の領土だったと言う説もあるし、倭国の5世紀前半の高句麗攻めも広開土王碑に残っているから、我々が思う以上に半島と倭国との往き来は頻繁にあったんじゃないの?

152 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 13:20:50.81 0.net]
>>151
説というか三国志魏書東夷伝で半島北部の帯方郡
半島中部の三韓(馬韓弁韓辰韓)
その南に倭人の国あって国境を接してる

というモロな記述があって半島南部は倭人の直接的な支配領域だったことが書いてある
所謂任那日本府の存在なんかもあるから唐が半島に進出するまで
半島は倭人の勢力圏だったことが推定される

岡田英弘は帯方郡の設置理由そのものが倭人との交易であり
倭人が漢や魏に直接出向いた時は、その帯方郡が機能していないため
これまで取引していた倭人が直接朝廷に出向いただけだ、という説を提唱していたな

153 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 13:38:45.90 0.net]
今でも、人口的には日本は1億2333万人(2021年1月)で、韓国5130万人(2021年)、北朝鮮2588万人(2021年)合わせての、1.56倍なので、昔から倭国は大国だと思われていたのだろうな。

154 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 15:11:55.46 0.net]
そりゃそうだ

魚と米が取れるのが、古代においては豊かな地

倭国は中国江南とならぶ東アジアで最良のエリアだ

155 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 18:45:36.45 0.net]
倭人が繁殖して縄文人の人口をあっという間に追い抜いた
古墳時代には倭人のほうがずっと優勢だったようだ

156 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 19:03:38.20 0.net]
>>155
DNAから倭人は縄文人の子孫だってちゃんとわかってるよ

ただ半島や大陸経由で渡来系が2000年間持続的に入り込んだ結果
縄文人と現代人の遺伝子にある程度差異はあるけどね

157 名前:世界@名無史さん [2021/04/04(日) 19:07:24.81 0.net]
縄文人の直系子孫は
蝦夷、アイヌ、国栖、
クマソ、隼人あたりだな
日本人は渡来系にすこし縄文系をブレンドしている

158 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 19:13:23.41 0.net]
>>157
アイヌはオホーツク系の民族に縄文人が征服された存在
蝦夷は謎、九州の諸民族は縄文系に東南アジアからの南方系が混ざってる

グレートジャーニーの吹き溜まりは伊達じゃない

159 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 20:04:42.20 0.net]
>>154
面積あたりの生育重量という意味では漁業の生産力は畜産より一桁以上低いぞ

海洋国ならともかく内陸河川での漁獲は、山林よりはましだが耕地に及ばない

ただ、移動しやすいことで広範囲から資源を集める余地があるだけ



160 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 21:14:02.20 0.net]
アイヌは、北海道の先住民族ではないみたいだね。
サハリンアイヌがオホーツク倭人を追い出して、北海道を乗っ取ったらしいけど、先住民族の定義が難解なのかな。

161 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 21:17:10.55 0.net]
東南アジアからの南方系?
台湾から南に行ってわざわざ日本に来たんか?

162 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/04(日) 23:32:58.44 0.net]
ポリネシアのほうからも来てるけど=東南アジアから来てないとはならないでしょ

163 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/05(月) 10:08:36.57 0.net]
南島諸語の比較言語研究によると台湾高地種族の言語が一番古い。そこから南下して東はポリネシア、イースター島まで、南はニュージーランドまで、西はアフリカのマダガスカルまではるばる拡散した。それを思えば、沖縄や日本本土なんてほんのご近所にすぎない。

164 名前:世界@名無史さん [2021/04/07(水) 23:31:37.89 0.net]
海に出て、海流に乗れば割りとすぐに着く

165 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/08(木) 01:00:44.48 0.net]
女禍の伝説とか海洋民族の話に近いのかな?
そちらでは女性が動物と結婚して産まれた男児と結婚して子孫繁栄する事が多いんだっけ
いつ頃から伏儀っていう兄にして夫が現れて場合によっては女禍を三皇から除外(単なる伏儀の妹にして嫁)って扱いになったんだろ?

166 名前:世界@名無史さん [2021/04/14(水) 17:58:35.56 0.net]
【春秋時代】

前771年 周の幽王、殺害される
前770年 周の平王、洛邑へ遷都
前651年 斉の桓公、会盟して覇者となる
前639年 宋の襄公、会盟して覇者となる
前632年 晋の文公、会盟して覇者となる
前624年 秦の穆公、晋を破る
前546年 宋の仲介で楚・晋の停戦協定
前506年 呉が楚の都を陥落
前496年 越王勾践が即位、呉を攻撃
前494年 呉が越を破る
前482年 呉王夫差、会盟して覇者となる
前479年 孔子が死去
前473年 呉王夫差が自害、呉滅亡
前465年 越王勾践が死去
前451年 晋が分裂し、韓魏趙が独立
前426年 周王朝が東西に分裂
前403年 韓魏趙が諸侯となる

167 名前:世界@名無史さん [2021/04/14(水) 18:08:02.63 0.net]
【戦国時代】

前388年 斉の田和がクーデター
前376年 晋が滅亡
前341年 斉の孫ピンが、馬陵で魏のホウ涓を倒す。
前333年 蘇秦が「合従策」に成功する
前318年 楚燕趙魏韓が函谷関で秦に敗北
前316年 秦が蜀を滅ぼす。
前311年 張儀が「連衡策」に成功する
前284年 燕の楽毅の連合軍が斉に侵攻
前278年 秦の白起が楚の都を陥落させる
前270年 趙の趙奢が閼与で秦魏を撃破
前264年 秦が西周を滅ぼす
前260年 秦の白起が長平で趙に圧勝
前259年 秦王・始皇帝生まれる
前255年 秦が東周を滅ぼす
前247年 魏の信陵君の連合軍が秦を撃破
前241年 楚の春申君の連合軍が秦に敗退
前238年 秦の宰相・呂不韋が失脚
前233年 李斯が韓非を暗殺
前227年 燕による秦王暗殺未遂
前226年 燕の都が陥落
前225年 秦が魏を滅ぼす。
前223年 秦の王翦が楚を滅ぼす
前222年 秦が燕を滅ぼす。
前221年 秦が斉を滅ぼし、天下統一

168 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/14(水) 18:21:58.34 0.net]
きちっとしている!

169 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/14(水) 18:39:19.99 0.net]
呉と越は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えたのだとか



170 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/14(水) 19:15:46.23 0.net]
>>167
衛「あの…」

171 名前:山野野衾 [2021/04/14(水) 21:28:15.82 0.net]
『太平広記』を読んでいたら面白い話があったので、ここでいいものか迷ったのですが抄訳を。
唐の時代、見鬼を能くする英禅師という僧侶がいたが、ある時寺主の慧蘭禅師に言った。
「秦の荘襄王と従者二百人余りが飢えて晩餐を求めておりますので、ご用意を願います。」
やがて時間になると荘襄王と貴賤様々な従者が現れたが、食べ方ががっついていた。
荘襄王「八十年ぶりの食事です。生前はまだ仏法がないのでたいした功徳を積めず、囚人の解放
や鰥寡孤独への施与ぐらいしか功徳がなかったので福徳が薄く、罪を贖い切れていないのです。」
これで四十年はもつと言い、荘襄王は周囲の人間を示して言った。
荘襄王「この者が陳軫です。虚偽の罪に苦しんでおります。そしてこの二人が白起と王翦で、殺人
が多過ぎた罪で苦しんでおり、未だ解放されておりません。」
英禅師「なぜもっと生者に食を要求されぬのか。」
荘襄王「私も貴人であり、濫りに祟りをなすような真似は致しかねます。」
去り際に言った。
荘襄王「城門の外に弟子の墓があります。呂不韋の墓とされていますが、誤りです。」
英禅師「あれは赤眉の乱であばかれたそうじゃが。」
荘襄王「賊が荒らしたのは上っ面。深部に財宝があるので差し上げましょう。」
英禅師「いや、わしは出家じゃ。それには及ばぬ。」

172 名前:山野野衾 [2021/04/14(水) 21:31:16.04 0.net]
荘襄王は礼を言って去ったということですが、後世のイメージを察して楽しめました。
流石に始皇帝では罪が重過ぎると思われたものでしょうか。
『太平広記』には、他に歴史上の人物同士が数世紀を隔てて出会うような話があります。
過去の歴史好きにとっては夢の展開であったことでしょう。

173 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/15(木) 07:33:34.71 0.net]
遊牧民が北部中国の辺境地帯にもちこんだ物資は、まず第一に家畜だった
馬の獲得は辺境都市を都市国家に成長させ、都市国家の中から殷、周、秦などの
王朝が出て、他の都市とその周辺の農耕地帯を支配下に入れた
これが北部中国に統一国家が、南部よりも早く出現した理由

南部は辺境がなく、都市が育たず、馬が手に入らないために、
北部の軍事力に対抗するすべがなかった

174 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/15(木) 21:28:47.93 0.net]
>>167

わかりやすい

175 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/16(金) 12:47:42.66 0.net]
家畜は農耕社会の方が先なんですが

176 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/19(月) 16:44:04.55 0.net]
馬が辺境を国家にするって論理がよくわからんな
別に馬が都市の必要条件ってわけじゃあるまいし

177 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/20(火) 00:25:22.47 0.net]
馬肉美味いからなあ

「ちょっと国家でも作ったろか」という気も起こるやろ

178 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/20(火) 01:56:41.75 0.net]
>>171
物知り荘襄王カワイイ

なぜ活動期間が陳軫や白起と被る昭襄王ではなく荘襄王なのか?

1.昭襄王と混同or誤字(先秦あるある)
2.困窮してそう(妻子の境遇から連想)
3.呂不韋って言いたかった
4.即位時に親族、重臣を手厚く遇し、罪人を赦したから
5.まともな秦王は荘襄王くらいという認識だった

理由があるとすればこの辺りか…

179 名前:世界@名無史さん [2021/04/20(火) 21:30:39.03 0.net]
>>176
移動手段を得てはじめて広い土地を支配できるということでは



180 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/20(火) 21:35:41.83 0.net]
移動の早い遅いよりも、情報伝達手段の整備の方が重要では

文字無しでは都市国家単位の朝貢関係より以上の緊密な支配は無理だろ

181 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/20(火) 21:35:57.48 0.net]
インカ帝国「馬肉美味いよな!」

182 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/20(火) 21:36:40.38 0.net]
情報伝達手段でもあるからな。
当時、携帯電話があれば、当時より広大な領域を把握できそう。

183 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/21(水) 19:38:57.50 0.net]
携帯電話があって、タワーとかのインフラが何故か保全されてる状況なら戦争のあり方からかわるよな

184 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/21(水) 20:24:43.73 0.net]
>>182
まあ、広域行政ができたとしても遠隔地まで物資を運ぶ手段が整ってなかったら広域国家で徴税とかできないしなあ

185 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/21(水) 21:02:02.97 0.net]
羊を肉と毛とチーズ以外に輸送の動力源として繁殖しようぅて動きは無かったのかな?遊牧民って
単純育て増やすだけなら馬より用意だろうけど

186 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/21(水) 21:30:01.33 0.net]
>>179
馬なし文字なしでも4000キロの領域を駅伝制による道路網で支配したインカ帝国があるからなあ
馬ありきは結果であって原因とはいいきれない

187 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/22(木) 01:52:44.16 0.net]
羊に頼りたくなるほど輸送に余裕がないわけではないからな
移動はあくまで牧草を求めてのものだし数多いと管理も大変だから司馬炎がやってた以上の使い道はないのかねぇ

188 名前:世界@名無史さん [2021/04/22(木) 19:41:38.17 0.net]
>>186
徒歩で支配してたんだろうか?
文字は縄か?

189 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/22(木) 21:06:46.26 0.net]
羊車って単語があるってことは一応そういう使い方もあったのかな?



190 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/22(木) 21:28:52.32 0.net]
インカに舟運はなかったのか?

191 名前:世界@名無史さん [2021/04/23(金) 09:20:57.20 0.net]
夏王朝がタイ系だったというのは本当ですか?
そして殷王朝は北狄(森林地帯の狩猟民)出身で、山西高原から南下してきたとか

192 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/23(金) 21:07:41.13 0.net]
何一つ合って無いよ
知能障害だね病院行って

193 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/24(土) 00:05:04.35 0.net]
>>191
正しい

194 名前:世界@名無史さん [2021/04/28(水) 18:43:24.27 0.net]
呉はむかし周の王族の一人が東南の地に来て建てた国と自称していたが、
断髪に文身という蛮族の風俗からみて、それはただの伝説の可能性が高い

195 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/29(木) 01:21:55.92 0.net]
多分伝説だろうけど
文明人が僻地へ入植すると文化を維持出来無く成って原始的な生活に退行するのわ
地理や時代を問わず普遍的に見られる現象らしいよ

196 名前:世界@名無史さん [2021/04/29(木) 06:27:47.22 0.net]
>>194
『史記』に記されているように、呉の開祖、太伯・虞仲が自ら
現地の習俗を取り入れたという説明で、それが史実であっても
何ら問題ないでしょう。

197 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/29(木) 11:42:29.00 0.net]
この時代の長江下流域ってどの程度南下してきた中原出身の集団がいたんだろうね
オーストロネシア系がマジョリティっぽいが
客家はもう定住していたのかな

198 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/29(木) 12:54:18.24 0.net]
呉越はオーストロネシア語じゃ無いよ

199 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/29(木) 18:19:22.16 0.net]
越は夏王朝の子孫と自称していた
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、
農業にも適しており、中原の進歩した生産技術が伝わると、
たちまち繁栄を迎えた



200 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2021/04/29(木) 19:05:05.06 0.net]
史記の記述ですら、けっこうフィクション比率が高いみたいだし、それ以外の典籍はそれ以上のフィクション率だ
基本、話半分で理解しといて、考古学とか他系統の研究をペースにするべき






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