- 1 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:17:07.56 0.net]
- 春秋戦国時代
itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1509694882 春秋戦国時代 2 itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1544653163 春秋戦国時代 3 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1581809665/
- 3 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:38:41.76 0.net]
- 春秋時代のまとめ
紀元前1046年、商王朝を滅ぼした周王朝は、王族や功臣に土地を与えて自治や世襲を許可する「封建制」を採用しました(西周)。 紀元前771年に異民族の侵略によって第12代・幽王(ゆうおう)が殺害され、西周はいったん滅びます。 しかし翌年、鄭の武公を中心とする有力諸侯によって新たに擁立された平王(へいおう)が洛邑に遷都し、周王朝を再興しました(東周)。 やがて諸侯は、王朝を補佐する「覇者」と呼ばれる立場を争い、各地で戦争を起こすようになりました。 当初は鄭を初めとする河南省の都市国家による争いでしたが、やがて東西南北の各地に大国が台頭します。 「春秋の五覇」と呼ばれる斉の桓公(かんこう)、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭(こうりょ)、越王勾践(えつおうこうせん)です。 紀元前546年、宋国の仲介で北の大国・晋と南の大国・楚が休戦協定を結ぶことで、一時平和が訪れました。 紀元前453年、大国・晋が韓・魏・趙の3国に分裂して、春秋時代は終わりました。
- 4 名前:世界@名無史さん [2021/01/31(日) 11:47:10.08 0.net]
- 戦国時代の概要
戦国時代になると、かつてのように「覇者」が中心となって周王朝を支えるといったことはもはやなくなり、 戦乱で勝ち残った「戦国七雄」と呼ばれる「秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓」がそれぞれ「王」を称して天下を争うようになりました。 当初は河南省の魏が主導的な立場にいましたが、やがて西の秦、南の楚、東の斉といった超大国が台頭しました。 紀元前247年、始皇帝と呼ばれることになる政(えいせい)が王に即位すると、秦はついに統一に向けて動き出します。 紀元前221年、最後に残っていた斉を滅ぼし、諸侯はすべて秦の元に統一、ここに長く続いた分裂の時代は終焉を迎えました。
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