- 522 名前:罰を求める方もいたようですが、違和感の感じることです。出発時に暴風雨という情報は客もガイドも認識は同じであり、
判断する権利はどちらもあったはずです。行動を共にしないと移動できないようなケースは別としてガイドに刑事罰を求めるなら、 ツアー客にも同様の問題はあるはずです。 3人のガイドは最終的に刑事事件や民事事件で罪になったり賠償を払ったというニュースはありませんが、ガイド達のミスは、この事故の原因、 本質ではなく、悪い組織のしわ寄せ現象の末端の結果であるため、もしガイドが起訴されたり、有罪などになったとしても全くの問題の本質では なかった的外れなトカゲの尻尾切り処分と思います。 おかしな状況で出発に同意しているのは全員同じです。ツアー旅行であっても、危険だと思うなら、「この時点でこのツアーから私は降ります」という 意志表示とサインでもすれば単独行動に変更する自由はいつでも可能なはずです。他にも避難小屋には人がいたのですから、 その人たちといっしょに降りる選択はあったはずです。 反対したり、ツアーから脱退する権限はガイドもツアー客も同等です。判断ミスというのは全員の問題でツアー客であっても意見を言うことくらいは出来、 「こんな日は出発出来ない!」「引き返すべきだ!」と言わないことからミスをしているのは客も同じです。それも言いにくさの構造から仕方ないことです。 事前にこの山を登っていないガイド二人にとって、これほど多重の悪条件が重なっていたことは、あとで様々な分析をしてわかることで、彼らには、 とにかくその日に降りなければならない多重の心理的圧力があったのです。低体温症などの知識も無く、その当時に後で言われるような 全体の問題で判断することは極めて難しいことです。実際に登っているサブガイドのほうがメインガイドだったら、吹きさらしの稜線が続くことを前提に判断して 多少違ったかも知れませんが、誰がどう判断するかというのも取り決めが曖昧ですから人間関係ゼロ状態からすると言いにくいです。 おそらく18人全員が暴風雨の中で登っても楽しくないし、出発したくない、ホンネではみな引き返したかったはずですが、 それが言えない人間関係の落とし穴です。企画自体がそういう構造的な欠陥をもたらしています。 [] - [ここ壊れてます]
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