- 154 名前:日本@名無史さん [2015/08/04(火) 14:13:59.23 .net]
- >>102
武内宿禰は、問題ないと思うけどね。 日本書紀の年代は明らかに延長されているが、古事記の崇神の没年318年を当てはめればね。 5代の天皇に仕えた。 爺さんの世代の景行に青年に入る頃に仕え、長寿だったから孫の世代に当たる 仁徳に晩年に仕えた。 成務は景行の子供だが、仲哀の親であるヤマトタケルと結構年が離れている。 仮に景行の生年が302年とすると、 ヤマトタケル325年 成務 337年 仲哀 347年 応神 349年 仁徳 371年 応神没年(古事記 394年)の後仁徳治世の数年仕えたとすれば、60数歳まで 生きていればいい。 (生年は、正妃の第一子、第二子は20代早々に生まれているとして、成務は ヤマトタケルの12歳違いとする) 子供が少ない天皇は早死し、多いのはそこそこ長命(50歳前後) 長らく18歳で成年式であり、数えで18満17歳で成人し同時に嫁取りの伝統。 同母から生まれた兄弟は2歳の差があるとする。 雄略は431年の生まれで、489年の没
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