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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:05:22 ID:buAV4pyy]
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?
逃げ延びた秀忠の逆襲?
宇喜多執権体制?
三成ら五奉行主導政治?
毛利幕府成立?

2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:08:30 ID:buAV4pyy]
うわ〜っ!
スレタイ間違えた!西軍が勝っていたら?やった

3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:21:13 ID:iHlcYHCS]
おまえが天下人

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:佐賀 [2006/10/20(金) 12:25:47 ID:5kJiplbM]
西軍が勝って、やっとミリタリーバランスが均衡するのでは?

5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:31:44 ID:HjYeAXQN]
1のバカタレ

6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 12:33:39 ID:bWDVvue8]
よし、妄想するか。もし東軍が勝っていたら
首謀者の石田治部、小西行長、恵瓊は六条川原で斬首大谷刑部は討死、宇喜多は逃亡のち八丈島に流罪
西軍の所領はことごとく没収され、毛利は防長20万石に削封、長曾我部・立花らは改易、島津は安堵
豊臣の直轄領から東軍へ恩賞を与えてしまい、豊臣は河内65万石の大名に転落
そして徳川は征夷大将軍に任じられて幕府を開き、その12年後に方広寺の鐘に家康を呪う文字があると
言い掛かりをつけて豊臣方の大坂城を二度に渡って攻撃し滅亡させると思う。

ちょっと飛躍しすぎたかな?東軍が勝利するifならこんなもんでしょ

7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:59:09 ID:2RS+plRh]
>>6
どうだろう。そもそも東軍が勝つという前提が難しい。
西軍は上方と大阪城を抑えていたわけだし当初こそ東軍は岐阜城を落したり
勢いがあったが大垣城から西軍を誘い出すまでが限界で
関が原の布陣では西軍に先手を取られたじゃないか。
あの関が原では早期撤退すべきだったのを、何を血迷ったか
家康は本陣を繰り出し、あげくのはては静観していた小早川秀秋に
攻撃しかけて東軍壊滅のきっかけまでつくったではないか・・

8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 13:04:11 ID:SDyZr+06]
これは目の付け所が斬新なスレですね

9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 13:04:43 ID:SDyZr+06]
これは目の付け所が斬新なスレですね

10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 13:11:04 ID:9DQTzJrR]
東軍厨必死やなw
三成は家康以外の大老4人、浅野長政以外の奉行衆3人を味方に付けてたわけやで
更に京、大坂を押さえて豊臣家や朝廷もしっかり掌握してた
この時点で家康には大義名分も何もあらへん
そもそも家康みたいな石高だけがでかい関東の田舎大名が天下を狙えるわけあらへん
小田原征伐の北条家みたいに滅ぼされるのが落ちや
後ネットで関東弁使うのは止めろや
きちんと標準語くらい喋れんのかw



11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 13:12:53 ID:hD6yyas4]
まあ、島津隊の総突撃で戦況が一変したからな。
もしも大淀様が先陣を切って西軍を率いてなかったらどうなってたか。
近衛牛車隊のまさかの参戦もよかったよね。
まあ、賊康は哀れってことで。

12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 13:38:07 ID:2RS+plRh]
>>10
しょうがないだろ。どうせ漏れは田舎者
やはり江戸夏の陣の開戦理由が悪辣なだけに徳川への同情をよんでるんだろうな。
こんなスレが立つって言うことは。

豊臣家が徳川に方広寺の造営工事させときながら
鐘の銘文「君臣豊楽」 「国家安康」
を豊臣の名を切って逆にして呪い、家康の世を齎そうとするものだって
いいがかりはひどすぎる。
あのせいで鐘の銘文でいいがかりつけた安国寺恵瓊と
大老・石田三成との人気は悪いからねー。

昔ドラマの『関が原』ってのがあったが
加藤剛が謀略で徳川を追い詰める三成を
森繁が徳川家康の悲惨な末路を熱演してたし
あれで徳川スキーになった香具師多いんでないの?

 他にも司馬遼太郎が徹底した徳川贔屓の小説『関が原』『城塞』で
天下に野心無くただ太閤秀吉の遺命を守ろうとした家康を
三成が謀略で追い詰め戦争に追い込んでいく様が、これでもかってーくらいに
悪辣に書いてたしな。

13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 13:43:23 ID:9DQTzJrR]
まあわいも豊臣の言い掛かりに対して必死で抗議した本多正信は好きやけど・・・
けどあれはそもそも江戸城を立ち退かなかった秀忠が悪いんやで
豊臣家は徳川に仙台60万石を用意してたのにな
時勢が読めない江君の言うことを聞いたばっかりに

14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 13:50:27 ID:6zRgO/FU]
このスレは伸びる

15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:01:54 ID:7i7svUc1]
上杉軍の判断が良かった。

16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 14:04:19 ID:2RS+plRh]
仙台60万石
そういや伊達政宗の前の領地だったな、そこ。
直江が伊達の領地安堵を約束して西軍に協力させたのに
戦後処分で南部津軽に転封になっちまったという悲惨な結果だったんだよな。
約束どおり不戦をしたってのに石高4分の1の15万石まで減らされたという・・

17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:05:26 ID:WWLG7QEu]
いまごろ江戸が首都になってたんじゃないのwww


18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:20:11 ID:bWDVvue8]
>>7
>あげくのはては静観していた小早川秀秋に
>攻撃しかけて東軍壊滅のきっかけまでつくったではないか・・
そうそうそこなんだよね。あの時家康は小早川に対して発砲したけど
実弾は込められてなかったという説がある。ここからは俺の妄想だが、小早川は家康との間に
寝返りの密約を交わしていたのではないだろうか?

>>10
あの時東軍が勝っていたら今ごろ標準語は江戸ことばだよちきしょうめwww

>>11
島津が突撃して本多忠勝隊が孤立して敵中突破したよな。
「本多の退き口」だっけ?

19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:26:32 ID:bWDVvue8]
>>13
っていうか 江 君 (ゴウギミ)ってwwwwwww

20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 14:26:58 ID:0ZGa0ZZE]
>>18
僅か五百の手勢で敵中突破カコイイ
たしか義弘はその時の怪我が元で死んでるんだよな。



21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:40:51 ID:9DQTzJrR]
また本多厨かw
本多の敵中突破なんて講談やねんけどな
実際は旗を巻いて目立たないように宇喜多勢の脇をすり抜けようとした本多勢を義弘が目ざとく見つけ上げただけ
それに死んだのは義弘本人じゃなく影武者である甥の豊久やろ
結局関東まで逃げ帰って娘の嫁ぎ先の真田に命乞いしたへたれ武将に過ぎへん>忠勝
むしろ忠勝を処刑しようとした三成に「戦も辞さぬ」と啖呵を切った真田は男前やで

22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 14:55:20 ID:bWDVvue8]
おまいら面白すぎwwwww

家康が捕らえられて六条川原に連行されるとき家康は「鯛を食べたい」と言ったらしいが
このエピソードの続きを知ってる人がいたら教えてくれないか?
俺にはここまでしか思い付かな(ゴホンゴホン)思い出せない

23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 15:33:21 ID:tMyzu4qh]
淀殿の政治手腕は見事の一言につきる
徳川や本多と対等に渡り合った日本が誇る女傑だよ
お江は最悪の悪女だったけど

24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 16:37:18 ID:bWDVvue8]
織田がつき
羽柴がこねし天下餅
座りしままに食らうは・・・・・・?

25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 16:57:05 ID:Uubxv76c]
しかし、あれだな
結果負けはしたものの
江戸の陣で見せた、山ノ内一豊の勇姿は本物だよな

山ノ内一勇士しかり、山ノ内丸しかり・・やっぱ山ノ内一豊が最強だよな

26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 18:16:29 ID:2RS+plRh]
>>18
それはない。小早川秀秋といえば豊臣秀吉の養子で、その才覚から
小早川隆景に請われて小早川家の養子に入ったと(小早川家の公式書類には記載してる)
言われる才将だぞ。関が原の勝利は松尾山にありといわれ
戦後は秀頼を補佐して成人までの間は関白を務めた人物
 何が哀しくて関白という頂天を放棄して狸親父の子分にならねばならんのか?

>>22
敗者への情けとして振舞われた鯛の天ぷらで腹を壊して
護送中に脱糞ではなかったか?


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/20(金) 19:09:29 ID:hD6yyas4]
>>23
お江はたとえ徳川が天下をとったとしても評価低そうw
何かお家騒動起こしそうな匂いがプンプンするんだよな
誰だっけ?土井なんちゃらっていう若造といかがわしい噂が絶えなかったらしいし

織田有楽斎は巧く立ち回ったよな
江戸城にお江の叔父として入城してたけど大坂にも情報垂れ流してさ
いざ開戦って時に当たり前のように城を立ち退いてるからな。
まあ、あのくらいの数寄者になるとどっちが勝とうがどうでもいいんだろうな。

28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 02:35:13 ID:h/dJ0wEA]
>>12
それにしても司馬の秀吉評は酷すぎるわ
「日本人の民族的性格が肥大化され、奇形化された」とか
「日本人が嘗て美徳として持っていた謙虚さを失い、傲慢になったのは豊臣家の責任が大きい」とか
「それらは秀吉自身の個人的性格から出ているところが濃い」とか滅茶苦茶
こんな電波作家が未だに人気あるなんてどうかしてるでホンマ

29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 03:58:46 ID:OAaDR4Xi]
>>17
それはないだろうな。
確かに関東の市場はよく整備されてはいたが
やはり日本の首都は御所がある京以外からは離れられない、経済の要衝でもある。
歴史がそれを証明している。

30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 09:28:50 ID:r7iL4UOA]
>17
江戸が首都になっていたら、広大な関東平野がすべてが都市圏だから、
バブルのころの地上げはなかったかも。狭い大阪平野や京都を首都圏
にしたおかげで全部地上げ、もう昔からの住民は住んでいないでしょ。

何よりも大阪大学と東京大学の立場が逆になっていたかも。
あっ、関関同立、日東駒専の立場も逆か。



31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/21(土) 11:22:48 ID:kDDiI2eO]
やっぱり、早よ、終わったなぁ…。
このスレ…

32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/21(土) 14:31:10 ID:DGG54AOi]
いくら自身があるからって3倍の大軍に突っ込むなんて
ま、案の定、宇喜多に袋叩きにされたけど

33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 14:42:28 ID:z6ukGctS]
市松か・・・

34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 17:26:47 ID:uuj/tizq]
>>30
おいおい。
現代ですら数十万規模の都市が点在してる程度の関東平野に首都だなんて、
よく妄想できるなwww
日本の首都は畿内しかありえないだろ。江戸なんかに幕府作っても仕方ねーって。
もし東軍が勝ってても畿内に乗り込んできてただろーな。

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 20:50:31 ID:C9dsi/3D]
東軍オタがよく言う吉川広家公が不戦の約束を反古にしなければ勝てたっていう妄言だけど
本当に不戦の約束をしていたのか?
広家公がそんな口約束を簡単にするとは思えないんだが


36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/21(土) 22:40:59 ID:ot+p9Juf]
 東軍厨がいうには太閤秀吉の形見分けで石田三成が吉川を無視したとかいう
非常に根拠薄弱な点を誇大解釈して
石田三成と吉川広家は敵対していたと解釈してる。
 それと実際に約束したが相手は黒田長政だったという説がある。
仲は良かったそうだし・・でも、これもどうだかなー
長政がそんな如水ほどの謀才があったとも思えん。

実際吉川広家公は関が原で退却する徳川軍はじめ東軍を殲滅させる
大功労者で、関東征伐の先陣も承ってるし・・そんな軽率な人物じゃないだろ。

 実際のところ家康狸は西軍総大将となった毛利輝元の覚悟と
統率力を甘く見ていたんだろうな。
長政との口約束で不戦の約束をさせりゃ十分だとね。

37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 22:41:30 ID:IvAUZI41]
だいたい何処にどのくらいが展開してるかなんて解らないだろ
東軍だか何だから知らんけど、あの位置まで入って来られてるんだから慎重になるよ

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 22:47:51 ID:aHfPm/x3]
それだけ吉川広家の智謀が優れてたって事でしょ?偽りの不戦を信じ込ませるくらいに。

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 22:54:02 ID:ot+p9Juf]
 しかし返す返すも不思議なのは
なぜ豊臣家は20万石に減封した徳川家を
わざわざ方広寺の一件で故意に挑発して
潰したのかだ。
 なんせあの江戸なんかに全国津々浦々の大名諸侯豪傑武将が勢ぞろい
数十万以上の大軍勢で、あの貧相な城を包囲して
しかも和睦して堀を埋め立てるというセコイ手で
ようやく陥落させたわけだが
大老・三成は本当に戦下手だよな。
実際関が原はよく勝てたといいたいな。

40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 22:55:23 ID:h/dJ0wEA]
まあ実際に広家が不戦の約束をしてたとしてもそんなの信じる方がアホやろ>家康
毛利は西軍の総大将、戦わずに負けたら良くて改易、悪ければ一族全員六条河原で撫で斬りやぞ
そんな裏切り行為をまともな感覚を持った人間がするわけないわなw



41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 23:07:53 ID:ot+p9Juf]
>>40
でも黒田長政は本気で信じていたようだが?
逸話では顔を赤らめて「金吾(秀秋公の蔑称)と吉川は許すまじ」
と逆切れしてたというからな。

 ちなみに長政は命は助かったが
どこにも奉公も仕官も出来ず、乞食にまで身を落としたそうだ。
黒田家に使えてた後藤又兵衛基次はが黒田家存続と長政助命を条件に
三成の臣となり、後に豊臣家の直参大名として12万石を拝領したそうな。
器量の違いはここまででるなW

42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 23:11:48 ID:aHfPm/x3]
あの親父の息子とは思えないよな。

43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sageこのスレワロタw [2006/10/21(土) 23:20:29 ID:z6ukGctS]
戦国初心者ですが、質問です。
関ヶ原に勝った西軍は、総大将毛利派と首謀者石田派そして関白小早川派に別れて争わなかったんですか?
歴史まったくわからないのでよろしくです!

44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 23:34:25 ID:h/dJ0wEA]
小早川秀秋は関ヶ原後数年して謎の急死を遂げるんだな
秀頼が成人して邪魔になったから三成に消されたとみる説が有力
徳川家の祟りだという噂もあるけどこっちはホンマかどうかわからん

45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/21(土) 23:36:06 ID:hUpOwUzZ]
忠勝の奮戦は今でも語り草になってるけどさ、
各地に残る家康や忠勝の生存伝説もあながち嘘だとは言えないだろ。
東軍オタでは無いが、
忠勝の首実検で本人かどうか判断が出来なかったとする人も多いわけだし。




46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/21(土) 23:54:36 ID:3KC14gkz]
おまえら真田昌幸の事忘れるなよ!真田が徳川秀忠捕虜にして江戸に迫ったからこそ
江戸の攻略が上手くいったんではないか。
真田は信玄の再来とまで言われて甲斐信濃に真田流軍学の活躍は楠木以上の物にだぞ
真田は豊臣に警戒されつつも甲斐信濃に100万石の礎を作ったんじゃないか。

47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/21(土) 23:56:44 ID:3KC14gkz]
真田が小兵で馬鹿殿秀忠の大軍を打ち破ったのは何度もドラマ化してるしな。
まさに日本一の兵だよな

48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 00:05:07 ID:ot+p9Juf]
 市松(福島正則)は戦後八丈島に送られて関が原武将の中では
最も長生きしたそうだが
彼の逸話で有名なものがアル。
八丈島に酒好きの大老宇喜多秀家の酒を積んだ船が座礁し
その中の樽をひとつ正則が所望したそうだが、
後にこれを知った秀家は、その船乗りを呼んで
「酒好きに悪い奴はいない。よくやった褒めて取らす」と
言葉を賜ったそうな。
その後八丈島には宇喜多公から正則宛に酒樽が送られるようになったそうな。

49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 00:05:14 ID:usWpkhu+]
にも関わらず。。鳥居は。。

50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:age [2006/10/22(日) 00:29:05 ID:BnzOjDGa]
大谷隊を壊滅寸前まで追い込んだが、最期は小早川の側面攻撃にあえなく
自害に追い込まれた虎様は無念。

その後小早川秀秋は謎の死を遂げたが、これは藤堂高虎の呪いによって殺されたのだ・・・

一方、大谷吉継は高虎を称えて、藤堂家の家臣を末代まで面倒見たという。



51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:age [2006/10/22(日) 00:36:59 ID:BnzOjDGa]
島左近と激闘の末に敗れた黒田長政。

長政は大津城の門前で晒されたところ、登城中だった宇喜多秀家は、
「自害もせぬとは!恥を知れ!」と罵倒し唾を吹いた。

しかし、石田三成は、長政に
「勝敗は時の運。黒田殿はよく戦いなさった・・・」
と健闘を称え、自身の陣羽織を被せてやった。

しかし、三成が豊臣家文治派を裏でまとめあげ、吉川・小早川を懐柔した張本人であることは
誰も知らない。

52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:age [2006/10/22(日) 00:44:59 ID:BnzOjDGa]
東西両軍に分かれて戦った真田親子

真田昌幸・幸村は長男・信幸の助命を嘆願する。
敗軍に属した者を容赦なく斬る石田三成だったが、
真田昌幸の「信濃40万石を返還してでも・・・」の言葉にこころ動かされついに助命を受け入れた。

それから数年後の「江戸冬の陣」で豊臣軍をおおいに苦戦させるのは、
紛れもなく、生かしてしまったこの男である。



53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 00:50:49 ID:qN6iPxnF]
>>52
ああ、劣勢だった西軍に身を投じて(諸説はあるが、俺はどうも当時の状況を考えたら西軍は劣勢だったと考えてる)
抜群の軍功があった大谷吉継が幸村公の岳父だったってだけで、真田信幸の助命を願い出て
「助命嘆願が聞き入れられなかったら豊臣勢と一戦つかまつる」って言って周囲を唖然とさせたんだったよな。


54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 01:15:33 ID:ehmV0N/G]
>>53
真田昌幸と石田三成も親類だぞ。
>>劣勢だった西軍
ああなんとなく納得できるな。でもなきゃ病身でまともな戦働きが無理そうだった
大谷吉継が越前100万石なんて大封になるわきゃ無い罠。
いくら三成タソの心の友だったとはいえ
東軍厨に言わせれば、東軍が勝ってたら加賀百万石のはずだった
と騒ぐ某北陸県民が多いが・・これもどうだか
徳川も前田ごときに100万石もやらんやろ。
 西軍に献身的な働きを見せた義将吉継と三成の信頼と友情あったればこそ
大谷100万石はあったと見る。

55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 02:07:38 ID:BJpPg7ym]
島家が最終的には岡崎5万国ってのは納得いかんな。
まあ倅の代の不祥事ではあるが

56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 02:58:01 ID:GYnRVqdz]
このスレ、なかなかスリリングなテーマだな。

>>55
左近のせがれって、冗談で「謀反するじょ〜」って言って、それで潰されたってやつ?
島家って、潰されていたと、勘違いしていた。
ん? 別人か? だれかフォロー頼む。

西軍が劣勢とか言っているやつもいるが、西軍圧倒的。
東海道沿いの諸将の寝返り・日和見続出で、東軍が関が原に着いただけでも立派だよ。
掛川城を早まって家康に渡した一豊は、呆然としたろうな。
ってか、そう発言させた堀尾の智略に恐れ入る。

57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 04:05:57 ID:ocILO2fA]
す、すげえ… このスレは歴史に残るで

58 名前:56 mailto:sage [2006/10/22(日) 04:13:30 ID:GYnRVqdz]
掛川城云々の補足。
山内が掛川城を徳川に提供しなかったら、慎重居士の家康は、
関東から出てこなかったのは明白。
おそらく小田原あたりに留まり続けただろう。
他人に城を提供させて家康を油断させ、本拠地から関が原までおびき出したのが
光成−堀尾ラインの成功。

59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 04:52:58 ID:BJpPg7ym]
謀臣梶尾の知略も見事だがやはり大老石田光秀だろ
日本の曹孟徳と呼ばれる知略こそが語られるべきだろう
上杉の陽動から始まる壮大な戦略に軍を分けた徳川別動隊を足止めさせ
各個撃破の軍を鶴翼の包囲下に置き繊滅
こんな壮大な戦略みたことない、人気ないのが疑問だわ

60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 05:18:38 ID:ixu9b1zs]
このタイトルを見てなんて間の抜けたタイトルなんだ?と思った。

このスレをクリックしたら、

「や〜い、騙されちゃったんですね!
歴史の知らないオタクは去ってください。ば〜か!」

ってAAを期待していた。

ごく普通のスレだったので、100倍がっかりした。実話。






61 名前:ななしさん [2006/10/22(日) 05:24:13 ID:IbIxv6b0]
西軍が勝っていたら毛利家が第2期室町幕府のような脆弱政権を
作ってたんじゃないかな
また世は乱れ戦争ばかり起きてたかもね

62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 07:33:13 ID:iUsk0ycg]
空気よめ

63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 09:49:06 ID:84u8xr0j]
>>61
いや、実際そうなったから。
ただ、関が原合戦後も、秀頼の生きている間は
名目上は豊臣家の天下だったってことはお忘れなく。

64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 10:18:01 ID:UhQdPhAd]
でもまぁそうやって長く乱れてくれたからこそ今の俺たちが何百年分も
戦国を楽しめるって事だしな。同時代人じゃないから気楽なものさ。

関ヶ原で終わってたら政宗なんか「生まれるのが10年遅かった」とか
言われてたに違いない。

65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 11:28:35 ID:ehmV0N/G]
 >>61>>63
そうなって原因は豊臣政権の飽きない海外進出政策だろ。
秀吉の文禄慶長の役でやめときゃいいのに・・今度は
不足する恩賞の代わりに「異地切り取り自由」のお墨付きまで
三成が出した為だな。
大陸沿岸から東南アジアからインドまで進出していく状態が続いて
世界中に植民地が出来たはいいけど人材が流出しまくって
本国では豊臣家とか、ろくな人材いなくなって海外出遅れ組みの諸侯が覇権争いしだしたんだろ。

秀吉没後の豊臣政権も人材は独立大名にしていた性で家中にろくな人材がいなくて
家康につけ込まれが・・同じ失敗何度も繰り返すかねー。


66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 11:40:52 ID:8YcXwVtp]
結局、日本人としてアイデンティティを確立する前に世界に散ったのがまずかった。
海外組も軍閥化や半独立、海外諸侯同士の宗教戦争など、もうぐちゃぐちゃ。
秀頼は秀頼でなにもしないから、五奉行派の独走を許しちゃうし。
ぶっちゃけ、家康が政権を取っていたら、と思うよ。

67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 11:54:02 ID:ehmV0N/G]
秀頼の後半生では天下は乱れてたしね。
大老筆頭の毛利は、はなから日本の内輪は無視して輝元晩年には
「戦争は他の連中に任せておけ。幸運な毛利よ、汝は結婚せよ」
て言葉を残してるな。
で海外諸侯との婚姻で領土拡大、おまえはハプスブルグ家かと。

68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 11:56:40 ID:vH9vzSYo]
>>66
海外進出の結果、東アジアの揉め事には必ず巻き込まれてきたからね。
国内外で戦争が絶えなかったし、日本人意識が育たなかったのは悔やまれる。
インド人の謝罪と賠償要求にもいい加減うんざりだし。

ありえない話だけど、もし300年くらい引きこもり外交してたら、
今の日本も少しは豊かな国になってたりしてね。

69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 11:58:47 ID:c62fGDxH]
拡散も何も鎖国をすべきだったのは明白。あの時代貿易で
日本が輸出してたのは奴隷と銀だけで単に資本流出してただけ。
もうけたのは大商人と大名ぐらいで下々は悲惨だった。
毛利はそのうまい汁にしがみついて、国家戦略は皆無。

毛利の合議政権でなく、早く強力な中央政権ができるべきだった。
もしを語れば切りが無いが徳川政権ならば植民地の憂き目を見ずに
済んだ可能性が高いし、うまく行けば先進国になれたかもしれない。

70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 12:05:48 ID:UhQdPhAd]
でもまぁこうやってネットに繋いで昼間っから2ch出来てる時点で
さほど現代の日本を悲観する気にもならないんだよなぁ。

逆にあの時海外に拡散したお陰で華僑と日系は世界中どこにでも
居るって状況になったわけだし。



71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 12:06:34 ID:c62fGDxH]
まだ金、銀がとれている間はみんなが言う通り東アジア進出も
できたが、取り尽くした後の悲惨な近代を忘れてるんじゃないか。

まだ鎖国をしようとした明の方がましだよ。今漸く成長してるからな。

それに引き替え日本はアフリカ並だぜ。どうするんだよ今から。

72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 12:12:22 ID:ehmV0N/G]
>>69
 一応新大陸とか海外に日本が建国したり独立した国は発展して
先進国の仲間入りしたりしてるから
日本も先進国になれたかもしれない可能性はあるな。
 でも日本は昔からろくな資源もないしねー徳川でも大差ないかもしれん。
狭い日本に閉じ込められてたぶん外交音痴になってた可能性も高い。

現実といえば九州や琉球あげくは蝦夷地まで北海道として独立してしまったし・・
琉球の“百万両の夜景とか”九州の魔都博多とかのメガロポリスを見てると
 日本本国だけNIESにもなれない発展途上国なんていう
笑えない状況だしね。


73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 12:21:04 ID:WNOs2IJ3]
必死な徳川ヲタが来てから急に糞スレになったな

74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 12:21:35 ID:84u8xr0j]
>>72
九州は日本連邦構成地域。強い自治権が認められているだけ。
小学校からやり直せ。

しかし、Ifだけで近代以降の現象を論ずるのは無茶。
近世までの話しか議論対象にならんと思われ。


75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 12:29:21 ID:QfKG3NjH]
でも結局豊臣幕府は維新の時伊達と山内と最上の連合軍に滅ぼされちゃったからね・・・
関が原で取り潰しておけばよかったのに。
薩摩や長州の人間はまだ仙台の人を嫌ってるらしいからね・・・

76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 12:42:00 ID:c62fGDxH]
別に徳川はどうでもいいが、ifを語るにしても都合の悪いところは
全部無視はひど過ぎる。って思っただけだが。

毛利オタには都合の悪い指摘があれば糞スレと感じるのは
仕方の無いことだろうけどな。

77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 13:01:24 ID:84u8xr0j]
>>76
いや、言いたいことはわかる。
ただ話を近現代までもってくると、スレの性格が変わってしまうかと。
また豊臣・毛利は朝敵だとひたすら叫び続けるやつが出てきかねない。
そんな荒らしがくる恐れがあるので、下げ進行が井伊と思う。

>>75
土壇場の土壇場で肥前が維新側についたのが笑える。
豊臣(ってか実権を握っていた毛利)のためには、肥前も潰すべきだった。
鍋島は、家康にも通じていたって話もあったみたいだし、口実にはなると思う。
いや、俺、本当に鍋島家来の末だから、残されてよかったんだが。

78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/22(日) 13:03:25 ID:c62fGDxH]
第一、毛利では合議政権になるのはその通りで、合議政権では
強力な全国的な政策は難しいし、毛利は貿易で利益を得ていた
事を考えれば鎖国の可能性は低い。
後はその当時の貿易がどんなものかってだけの話で徳川は
殆ど関係ない。

79 名前:77 mailto:sage [2006/10/22(日) 13:03:52 ID:84u8xr0j]
誤:下げ進行が井伊と思う。
正:下げ進行が良いと思う。

俺のパソの変換、変なバイアスがかかっているな…。

80 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 13:27:24 ID:16aGEryb]
>>73
同意



81 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 14:00:21 ID:SvcFbFMA]
>>79
ああ、井伊直政か。俺も好きだよ。
島津鉄砲隊に蜂の巣にされても家康のせがれを逃げさせたんだったよな。
そのせがれが樺太に渡ったったって伝説があるよな。

82 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 15:42:28 ID:TTIpF5XJ]
>>81
樺太に行ったのは、江戸の陣の後だがな。
実際には蝦夷地で病死したって噂。

家康が死に、徳川四天王も代替わりしたあとの徳川が、
豊臣とやって勝てるわけが無い。
どうしても生き延びたいんだったら、素直に秀忠は隠岐に転封されるべきだった。
事実上島流しだとお江に反対されようとも。

>>73 >>80
「もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら」だから、
徳川びいき気味になるのは仕方ないので、勘弁してほしい。

83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 18:25:12 ID:6KWXdATE]
三成が伏見の徳川屋敷に逃げてきた時に殺しておかなかったのが家康の最大の失敗ですよね。
敵でも自分を頼ってきた人間は助けるというのは優しい家康らしい話で好きなんですけど。
ここで三成を殺さなかったことが本当に悔やまれますよね。
後の歴史を知っているから言える後知恵ですけど。

84 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 18:41:38 ID:TTIpF5XJ]
↓これで江戸の陣は乗り切れる?

慶長14年、関ヶ原の勝者秀頼は天下統一の仕上げとして徳川に戦を仕掛ける
故・右大臣家康が縄張りをするも完成の日はこなかった居城江戸城
そこにはかっての栄光を取り戻すため、秀忠のため多くの浪人、武将が集まっていた
かっては掛川6万石の主 山内一豊
西軍を田辺城に釘付けにした幽斎の子 細川忠興
秀忠の兄・結城秀康の息子 結城忠直
小早川家では1万6千石を拝領した男 稲葉正成
信義のため1千石の捨扶持をなげうち馳せ参じた 真田信之
徳川家臣筆頭井伊直勝の弟 井伊直孝
家光の乳母の義理の孫、弱冠17の美男子 堀田正盛
かれら七将の他、本多忠次、大久保忠教等の歴戦の強者達
しかし、江戸城の最高権力者は秀忠の妻・江とその取り巻き達であり、七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。真に徳川の為に戦うは、井伊、堀田、結城くらいか…
その時、浪人で溢れかえる江戸城の人だかりを掻き分けて本丸に向かう男が一人
全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した
その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、細川殿の策を取れば勝てようものを……」
歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、家康の遺児、秀忠に期待したものだが、もはや望むべくもない…そんな時だった
――バタン!!
ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」
叫んだのは若き家光の忠臣、堀田正盛
しかし、彼の後ろの江や秀忠、いや、彼らだけでなく細川や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「父上……」
結城忠直がようやくといった感じで放った言葉に、正盛を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「結城宰相秀康、徳川家の御危機を聞き、八丈島より  泳  い  で  参  っ  た  !!!」
家康の外様の家来、いやそれ以上の疎外を受け育ち、一時は豊臣秀吉の猶子であった男が再び徳川の為に戦うため帰った来た…


85 名前:84 mailto:sage [2006/10/22(日) 18:43:44 ID:TTIpF5XJ]
一箇所、関係無い奴の名前が混じっているな…。

86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 18:46:01 ID:EFmxNV/i]
井伊の赤備え、所詮は猿真似だな。

後に、真田が家康の本陣を粉砕した際に、
赤備えの真の実力を見せ付けてましたね。

87 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:08:01 ID:GsgyiblB]
>>84
いつか誰か書くと思ってたw
結城秀康かwwwwwww
適役wwwwwwwwwww

88 名前:84 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:12:45 ID:TTIpF5XJ]
>>87サンクス
実はこの文章(の配役)を、半日考えていた。
せっかくの休日が…。

89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:20:34 ID:SvcFbFMA]
>>84
それ、仮想戦記・関が原東軍勝利シリーズの『大坂の陣宇喜多秀家公大遠泳大坂御入城』の場面の改変だね


90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:20:43 ID:GsgyiblB]
>>88
しかし史実(このスレ内の史実ではなくリアルの史実)では大阪冬の陣の前に死んでるからなあ
キチガイ忠直卿と猪武者秀康父子の奮戦が実現してれば面白かっただろうな・・・
ぜひ続きを書いてくれ!



91 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:31:46 ID:UhQdPhAd]
>>83
マジレスすると、逃げ込んだのは伏見城内の自分の屋敷というのが現在優勢。


関ヶ原前に関しては史実通りで良いんだよな?
それとも徳川信者を装うネタレスだったのか……線引きが良く分からん。

92 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 19:36:27 ID:GsgyiblB]
(関ヶ原で桃配山の家康本陣から松尾山の金吾に鉄砲を撃ちかけるまでは史実と同じでいいと思うよ。)

93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:10:00 ID:jP12D1k5]
2007年のクリスマスは、サンタクロースの大井競馬場での騎乗のため
中止となります。また、それに伴いましてクリスマスイヴやプレゼント交換会
も中止となります。ご了承下さい
2chart.fc2web.com/2chart/2007kurichuusi.html
また、昨年お伝えしましたように、2006年のクリスマスも中止です。
2chart.fc2web.com/2chart/2006kurisumasuchuushi.html

毎年、各所でこのような楽しいクリスマスの風景が見られましたが
自粛でお願いします。
2chart.fc2web.com/2chart/tanosiikurisumsu.html

94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:21:18 ID:BJpPg7ym]
徳川事変後の新五大老と封地ってどれくらいだったっけ?

95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:26:59 ID:GsgyiblB]
関白が小早川改め豊臣秀秋
毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家が領地を増やし
前田利長は家康との関係があって減封の上に5大老から外され・・・
あれ?新しく増えた二人の大老って誰だっけ?

96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:37:48 ID:IOfWhwEk]
佐竹

97 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:39:35 ID:BJpPg7ym]
筆頭大老の石田三成は当然解るんだけどもう一人がね

98 名前:84 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:44:47 ID:TTIpF5XJ]
>>90
だーかーらー、小説と史実の区別はしようね(笑)。
しかも架空戦記物でしょ。

私の知っている史実では、秀康はちょうどそのころ八丈島で行方不明になっているが、あくまで生死は不明。
そもそも死亡説のひとつは梅毒説で、もうひとつは暗殺説だけど、
八丈島で梅毒にかかる機会はあるのかな?と。(当然すでに流行している可能性もあるが)
もうひとつの暗殺説は、秀忠がすでに流罪となった結城家当主を暗殺する必要があるのか?と。
よって、両説を含む死亡説は不確実。
一緒に流された黒田長政ほどではないにしろ、
秀康もそれなりに生きていると思いたい。

それはともかく、励ましの言葉、ありがとう。
仕事があるし、資料も集めなきゃなんないので、書けるにしても一週間はかかるだろう。
ってか、あのクオリティーで書く自信ない…。

功名が辻、来週、一豊は掛川城の提供を宣言してしまうよ。
馬鹿だなあ、これで毛利や石田への言い訳ができなくなるのに。

99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:50:06 ID:UhQdPhAd]
梅毒は罹病してから十年以上生きる事もあるから梅毒説にも特に問題はないと思うのだが。

100 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:54:17 ID:TTIpF5XJ]
>>99
そうなのか…。やっぱり死んだのかな。



101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:54:39 ID:BJpPg7ym]
ああ、山内は大河のここ迄の流れで秀吉の時代から試されてきたのに
最後の最後で判断に過ったよね。
もっとも壮絶な最後で講壇師の影響か人気も高いし
もし東軍が勝ったらこの人は大河の主役は張れないだろう。
ある意味よかったのかね。
(あと言ってみたらネタスレだからガチガチでなくてもいいさ。面白かったんで続き待ってる)

102 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 20:57:05 ID:BJpPg7ym]
↑は>>98

103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 21:28:44 ID:UhQdPhAd]
いや、論としての合理性に問題がないだけで、逆に言えば
梅毒にかかりながら30年以上生きた例もあるし、
(それで如水の有岡城の一件も実は梅毒の初期症状説がある)
梅毒での死を装って島外に逃れた、て話があったんじゃなかったっけ?

104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/22(日) 21:57:48 ID:TTIpF5XJ]
>梅毒での死を装って島外に逃れた、て話
を採用しておきましょう。

で、関ヶ原で東西に分かれた九鬼親子の息子の方って、江戸の陣に参戦したっけ?
Wikiにはあまり詳しく書いていないから、よくわからん。
いくらIf小説だからって、あまり史実を無視するわけにもいかないから、
知っているがいたら、教えて。

105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 00:53:28 ID:jYkZnFFK]
>>104
ばっかお前
「鬼九鬼の海上封鎖」って言って
その後の海軍の教科書に載るくらい有名なエピソード作ったろ。

106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 01:22:35 ID:DjrUeASg]
>>105
すまん、文意が伝わりにくかったかもしれん。
海上封鎖やったのは、豊臣方の、嘉隆四男・主殿助だよね。
俺が聞きたかったのは、関ヶ原では東軍についた守隆の方。
江戸湾をあっさり弟に良いようにされて、そのままで黙っていたのかと思って。
てか、そもそも生きているのかな。

107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 02:49:47 ID:rcAZUavT]
こうゆう現実と妄想の境目に存在するスレが好き

108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/23(月) 03:12:00 ID:mq3MFKsR]
>>106
幽閉先の下田から遁走して江戸城に入っている。
しかし、隠居所から親兄弟に宛てたあの情けないぼやき手紙からは考えられないような奮戦ぶりだったぞ。
圧倒的寡兵でありながら、結局海上決戦では関西方と互角に戦い、浦賀水道を死守し江戸湾に一隻たりとも立ち入らせなかった。
まあ短期戦を諦めた大坂方の海上封鎖を、結局は突破できなかったけどね。

109 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 10:20:13 ID:DtFOu55W]
>>94
五大老には徳川と前田を外し
毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家の残留に加え石田三成、小西行長
奉行には浅野を外し安国寺恵瓊
三成はともかくなぜこの2名がこの役職についたかは不明
そのため東軍厨が妄想の東軍戦勝関が原では
必ず石田三成、小西行長、安国寺恵瓊を切腹処分にしている。

 封地については
毛利輝元は大老の筆頭になるのは辞退し加増もなし
上杉景勝が越後一国と山形の一部を加増され150万石
石田三成は近江一国80万石ほど

 ただ毛利の場合、実戦闘に参加した吉川広家、毛利元康、毛利秀元
と輝元が推薦した宍戸、熊谷といった家臣合わせて10名近くが
新たな封地を頂戴して独立大名になっているので
実質毛利一門で100万石以上の加増になっている。
 逆に上杉は加増したが直江を独立大名にして米沢を失っている。



110 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 10:24:01 ID:DtFOu55W]
(↑こんなもんでいいでしょ。)
宇喜多秀家は漏れも詳しく知らない。

ところで>>98
八丈島にいったのは結城秀康と福島正則だろう。
福島正則が漂着してきた宇喜多の酒樽を頂戴した逸話は有名
黒田長政は黒田家廃嫡の上追放処分だろ。



111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 10:52:20 ID:6ycUiLSp]
小西行長が大老になったのは堺陰謀?説に賛成かな。

配下の水軍、堺の経済力、キリシタンとしてのネットワークを背景に
当時本土における対外貿易関係を仕切ってたのは確かなんだし。
三成は例外として一人石高や地位に劣ってるからそれ以外に理由を
見つけないと苦しい。

後は個人的に五大老内のバランスとりの意味もあったかと思うけど。
元々宇喜多家に仕えてたんじゃないかと言われてるから、
毛利(+一門)、上杉(+直江)+三成?、宇喜多+小西て感じで。

宇喜多は加増されたといえ、前田が減封されて五大老外れた上に
歴史浅いから一門や類縁も少なくて発言力低くなってたから。

112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 11:57:00 ID:BT++0loJ]
>>96
佐竹は関ヶ原の戦闘自体には参戦してないんで無かった?
当主の義宣と先代の義重が対立したせいで、一応西軍だけど結局動かなかったはず。
義宣自身は上杉景勝や石田三成と親交深かったし、石田三成襲撃事件のときの義理も
あったからか加増を受けたけど、文字通りの恩賞ってわけじゃなかったらしいぞ。

佐竹って関ヶ原後にかなり加増されて100万石(細かい数字は知らん)越えてたけど、
アレは常陸の大大名として、奥羽とか関東の勢力を牽制させる意味合いが強い。
特に奥羽は関ヶ原で消耗してないから、まだまだ不穏な勢力が残ってたし。
佐竹は奥羽の抑えと、関東の後背から睨みを効かす役割をまとめて押し付けられた形だ。
まぁ重要な役だけど負担はどえらいし、かなり貧乏くじだな。
江戸の陣の時なんて、奥羽から江戸城を目指す軍相手に孤軍奮闘する羽目になったし。
それなのに江戸の陣の後はまったく加増されてない。

結局、佐竹義宣は三成らに信用されてた一方で、体良く使い潰された感じだな。
実際、佐竹義和みたいな名君を輩出したりで1700年代には実高200万石(かなり誇張だが)
といわれたりもしたけど、莫大な借財のせいで内情はカツカツだったらしいし。

113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 12:19:04 ID:BT++0loJ]
>>112訂正
×実際、佐竹義和みたいな名君を輩出したりで1700年代には実高200万石(かなり誇張だが)
といわれたりもしたけど、莫大な借財のせいで内情はカツカツだったらしいし。
○実際、1700年代には実高200万石(かなり誇張だが)といわれたり、佐竹義和みたいな名君を
輩出したりもしたけど、初期の莫大な借財のせいで内情はカツカツだったらしいし。

114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 12:22:20 ID:3Fr9R/Iu]
佐竹は関ヶ原の後に江戸駐留組にちょっかいだして小遣い稼ぎしてるよ
大大名になっても伸びしろがなかったのは、場所が関東だからとしか言いようがない
湊は無いし、経済文化の中心地は京畿だし、どうしようもない

115 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 13:23:10 ID:fD5NuB0W]
>>110
すまん、まちがっていた。
>>48にもあるとおり、
八丈島に流されたのは、結城秀康と福島正則だね。
スマソ。

しかし宇喜田は情に厚いな。
もし東軍が勝って、宇喜田が遠流にでもなったら、
正則も同様に酒を送るような友誼をしめすかな。

116 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 14:27:00 ID:fD5NuB0W]
>>115
しかも 宇喜田 でなく 宇喜多 だな。
シンデクル。

117 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 20:13:27 ID:jTPJLQCX]
福島正則もどこかそういう所あったらしいからやってたかもな。ところで正則と秀康の八丈島での仲はどうだったんだろうな。

118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/23(月) 21:42:05 ID:N0TVJKia]
梅毒仲間で島中に梅毒を移した。

119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 21:43:29 ID:fD5NuB0W]
正則と秀康は仲良かったって聞いた記憶はあるのだが、
関ヶ原合戦より前のことなのか、東軍キチの言う関ヶ原合戦の東軍勝利後のIFの話なのか、
俺の頭の中ではっきりしない。
関ヶ原合戦前から仲がいいのなら、八丈島でも仲良しだったと予想されるが。

>>111
そうか、小西の存在も忘れていた。
商業と政治の両面に口出しできる小西家がいなくなったら、
戦火にあわずに発展した堺の経済も停滞していたかも。


120 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 21:44:26 ID:fD5NuB0W]
>>118
ひでぇ…。



121 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 21:52:37 ID:DtFOu55W]
ここはsage進行だぞ。
それはともかく・・>>118
結城秀康といえば
梅毒で鼻が壊死して木で型を作ってたといったな。
江戸城に泳いで入城した際にはティンポコも木で型を作ってたのが
極端にでかすぎて、衆目を浴び、恥ずかしがった秀康が
自分の名を問われた際に「ウタマロだ」と偽称したから
その後極端にでかいティンポコを指してウタマロというようになった
という俗説があって、それが秀康の江戸入りが単なる
伝説に過ぎないといわれる理由だそうな。

122 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/23(月) 22:02:21 ID:DtFOu55W]
ごめん、ちとマジレスだが、

 >>1−5を見るにこのスレのタイトルは「もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら」
ではなく「もしも、関ヶ原で西軍が勝っていたら」だったようだな。
でもそのタイトルだと同じ内容のスレが大量にアルしな。
タイトルを間違った >>1・・よりも、上手く誘導した>>6−7の功績かな。
ここまで面白スレになっているのって

123 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 22:08:30 ID:fD5NuB0W]
私も思うが、>>6とそれをうまく受けた>>7は偉大だな。
さすが、きちんと歴史を知っているって感じがする。

で、>>84の続きではなく、その前を作ってみた。
五行目以降は、(実際のところ江戸城入城の伝説もあるようだが)完全にIFね。
仕事の最中、こんなことばかり考えていた…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
私も思うが、>>6とそれをうまく受けた>>7は偉大だな。
さすが、きちんと歴史を知っているって感じがする。

で、>>84の続きではなく、その前を作ってみた。
五行目以降は、(実際のところ江戸城入城の伝説もあるようだが)完全にIFね。
仕事の最中、こんなことばかり考えていた…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
関ヶ原の合戦に破れた結城秀康と福島正則は、八丈島に流された。
八丈島へは時折、宇喜多家の船が立寄り、正則への酒と、心尽くしの品を置いていくこともあった。
猛将同士気が合ったのか、一掬の酒も一片の肴も、正則は秀康と分かち合った。
慶長19年・晩秋の船は、正則に酒だけでなく驚くべき情報をももたらした。
徳川家あやうし、と。
正則にこの事実を告げられた秀康はためらうことなく言い放った。
「江戸へ行く!」
正則はこの言葉を聞いた瞬間、己もまた江戸へ行くことを決めた。
  豊臣家への忠誠も義なら、友を助けるのもまた義。
  まして今の豊臣家の意志は、憎き三成の意思。
  されば、命を捨てに行く友に殉じるべし。

その翌日、秀康は以前から患っていた梅毒で死に、遺骸は直ちに荼毘に付された。
己の葬儀を掘建て小屋の中から見つめる秀康と、正則は、八丈島からの脱出を話し合った。
島には見張りもいる。目立つ船はつかえない。泳ぐしかない。
二人のいくさ人は腰の大小すら外し、闇に隠れて海の中に飛び込んだ。
海流に逆らい二人は泳ぎ続けた。疲れ果てた秀康が眠ると正則がかかえ、正則が眠ると秀康がだいた。
島伝いに泳ぎ泳いで幾日経ったか、夕闇の浦賀に近づくと、かがり火を焚く多くの軍船が漂っていた。
ひらめく旗の印は、九曜、三つ巴、丸に上…。
そして安宅舟には、五七の桐!
豊臣の紋を懐かしんだ正則は、上ずった声で絞り出すように言った。
「夜の静けさには、我々の泳ぐ水音も聞きとめられよう。
かといって昼を待っても、明るい日の下ではたちまちに見つかるであろう。
さればそれがしが、注意を引く。その間に秀康殿は船の間を泳いで抜けられよ」
正則は船団から離れた一艘の小早に乗り込み、疲れきったはずの体で数人の兵士を瞬時にたたき伏せ、海に投げ込んだ。
「今の水の音で、敵共はこちらに気づいた。早く行かれよ。
それがしが江戸へ行っても将兵はまとまらぬが、秀康殿が行けばまとまる。」
秀康は何もいえぬまま泳ぐしかなかった。
正則は小早に残された銃を放ち、大音声を轟かせた。
「侍従羽柴正則朝臣ここにあり! わしを亡き太閤殿下のもとへ送るものはおらぬか」
捕縛ようと小早に乗り込む武者を、正則は奪った刀で薙ぎ、突き、切り裂いた。
多くの兵が倒れ、やがて挑む敵も現れなくなった。
遠巻きにする安宅船から鉄砲が掃射された。正則は掃射を三度までうけてようやく倒れた。
倒れ伏した正則の顔をあらためようと雑兵が小早に乗り込むと、小早の中にはくるぶしの深さまで血が溜まっていた……。


124 名前:123 mailto:sage [2006/10/23(月) 22:09:37 ID:fD5NuB0W]
出だしが重複しているが、気にせんでくれ…。

125 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 10:03:19 ID:YJNnTGW5]
それにしても高台院様も不憫だったよな
大淀様に亡き太閤殿下正室の座を追われ
宇喜多家預かりの身になるとは…


126 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 13:08:39 ID:MDzhvE6g]
ああ、自分に子供ができなかったのを棚にあげて淀様に楯突いたあの裏切り者か
亡くなったとはいえこいつが豊臣を裏切ったから子飼いの将も流れた
最低の裏切りもの。

127 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 15:33:57 ID:mZXWpz/i]
でも、その「子飼いの将」がもし残っていたら、三成と争って、
結局、漁夫の利を得た毛利が完全に政権を奪っちゃうって落ちになったんじゃないの?
逆に「子飼いの将」らが東軍についているおかげで、もし東軍勝利で家康が権力を握ることになっても、
福島、加藤が牽制して、家康も豊臣をつぶすわけには行かなかっただろう。
家中を分けたことで、どちらの結果でも豊臣の安泰につながる(可能性がある)ので、
そういう意味では功労者。

…ひょっとすると家康は、ねね様を正室にして、秀頼の義理の義理の父親になり
実権を掌握したかも。

128 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 16:13:34 ID:154jjJs2]
高台院はむしろ三成と懇意だった説もあるから、豊臣内部での政権闘争って線もあると思うぞ。

129 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 16:23:21 ID:mZXWpz/i]
>>128
いまいち言いたいことがわからんのだが、
三成と毛利の対立によって、三成に近い高台院が幽閉されたってこと?

130 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 16:53:09 ID:154jjJs2]
>>128
うん、そう。

実はこれに関連して昔から一つ疑問があってさ、三成の三女、辰姫の事。
そもそもあの石田三成を父に持ち、秀吉正室高台院の養女になった女性が
北の果て津軽藩に嫁すのはちょっとおかしいと思わないか?
恐らく彼女は本来もっと上位の家へ嫁す予定だったんじゃないかと思うんだ。

当時権勢を誇った石田三成の実娘を、関白を複数人輩出した豊臣の姓を持ち
本人も従一位を授かった高台院の養女にして送り込む先といえば……
宮中に入れる準備だったとしてもおかしくはない。

それをさすがに豊臣の他派閥は黙過できなかったんじゃないかな、と。



131 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 16:58:14 ID:mZXWpz/i]
ねねが近江人の三成と仲が良いというのはぴんと来なかったが(というか考えもしなかったが)、
確かに毛利なんかに比べれば、ずっと近い関係にあっておかしくないな。


132 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 19:18:55 ID:8AMq26NK]
ねねは成人後の加藤、福島らとは意外と疎遠だったって聞く
ところで三成の娘を養女にしたのは何でなんだ?
単に三成と懇意だったからなのか、大淀派の三成を取り込むための政略的なものなのか

133 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 20:04:50 ID:JiL9rL5W]
三成淀殿のことめっさ嫌ってただろ・・・・・・
淀殿が妹の嫁ぎ先の徳川についたんだからさ
西軍が勝って、高台院さまが淀殿放逐したのに、皆何言ってんのさ

134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 20:30:48 ID:154jjJs2]
そこらへんちょっと曖昧なんだよね。
淀殿が一時大坂を追い出されたのも事実、高台院が最終的に宇喜多に行ったのも事実。

その理由に関して、戻った淀殿との権力闘争に負けたとか、秀吉と自分が可愛がってた
養女豪姫と猶子秀家の所へ自分から大坂に嫌気がさして出て行ったとか諸説あるわけで。

135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 20:39:06 ID:8AMq26NK]
大淀派ってなんだ俺orz
そか。
秀頼が、石田三成か大野治長が淀殿と密通して生ませた子とかって俗説があったりするから
それなりに親しかったのかと思ってた。
言われてみれば三成は、淀殿が秀頼の母として政治に口出しするの嫌ってたって聞いた希ガス。
勘違いだったらしい。

136 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 20:46:53 ID:mZXWpz/i]
>>134
追い出されたのか、自主的なのかというのは分からないが、
とにかく互いの顔を見たくなかったんだな。

秀家あたりは、近くに義ママがきてうれしかったりするのか?

137 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 21:03:46 ID:O+REVKgN]
皆! スレタイ見てみ!

138 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/24(火) 21:08:11 ID:yu/XdRmX]
東軍が勝っていたら高台院は長生きしただろう

139 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 21:08:20 ID:CSU8wCe7]
そりゃ東軍が勝ってたら茶々は大坂城の主に納まったかも知れないけど
西軍が勝って毛利宇喜多上杉体制になっちゃんだから茶々なんて用なしさ
実際戦後の領地配分だって大老たちが決めてるだろ

140 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 21:12:48 ID:mZXWpz/i]
だから家康ねねの、熟年夫婦が誕生するんだよ。



141 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 22:33:50 ID:mGzC+MzJ]
 淀殿が大阪追放になったのは建前の上では、秀吉の遺言に従って
秀頼の御台所を家康の孫千姫にしようとしたせい。
 あまりに政治音痴だったわけだな。空気読めよ淀
実は東軍に愛人の大野治長がいたので東軍に肩入れしたのがばれた為
とも、それを口実にして煩い淀を一時的に隔離したとも。
 
 高台院が最終的に宇喜多にいった。それは多分宇喜多の京都屋敷でしょ。
寺と屋敷の往復生活だったと聞く。
なぜにこんなことをしたのか理由は不明だが、秀吉正室の彼女が宇喜多の
後ろ盾だと明確にしておくことで秀家の立場を応援したんだと思う。

重成は豊臣秀頼の小姓として大坂城にいたが、小姓仲間で津軽為信の嫡男であった津軽信建の案

142 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 22:37:35 ID:mGzC+MzJ]
↑ごめん・・最期の一行は間違いです。



143 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/24(火) 23:11:54 ID:yu/XdRmX]
徳川秀康は家康が生きていたらかえって冷遇されていたかもな
豊臣朝臣を名乗ることも、徳川氏を名乗ることも許されず
結城秀康のまま一生を終えていたかも

144 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 23:13:29 ID:mGzC+MzJ]
 ところで豊臣一家についてだが
豊臣秀頼には
正室との間に嫡子、これが豊臣秀仁

身分の低い?侍女なにがしとの間に庶子が一人
この方が幼名国松 豊臣秀文

で最期に娘が一人 清子 
彼女は晩年に天秀尼として女人救済の寺を建立したことで著名

で秀仁様は愛妻家か恐妻家かしらないが正室一人だけで
生まれたお子様も愛子という娘がひとり
このせいで女性関白容認論議というのが
当時の政権首脳部で激論となっている。
また、そのせいで秀仁は世に名高い悪法生類憐みの令を発布している。

で秀文のほうは奈良に所領を賜り、なぜか豊臣の姓を緩されず
豊篠家の姓を名乗っている。彼の正室は三成の孫娘
 こちらも生まれたの娘ばかりでやっと男子を誕生したが
この男子に豊臣関白家を継がせるかで揉めたのは
結構有名な話。
秀吉−秀秋−秀頼−秀仁に続く五代関白をどう決めるかで
有栖川宮家から豊臣家に養子をして存続を図るように
主張する連中が揉めている。

最期の清子だが黒田・・・じゃなかったw前田利常に嫁いでいる。
前田清子ね。


こうしてざざっと見ると・・万が一徳川家が勝利していたら
あそこは子沢山なだけに、世継ぎの男子が生まれずに
五代目を有栖川宮家から養子にしようとか
男子出生祈願のために生類憐みの令なんて悪法もでなかったろうから

その点では西軍が勝ってよかったのやら・・

145 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 23:17:36 ID:mGzC+MzJ]
  ・・これでいいのかな(少々タイムリーすぎるか悪のりしすぎたか)?
豊臣一家の構図これでよかっったかな?
漏れも詳しくないので詳しい方の意見欲しい。

146 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/24(火) 23:23:04 ID:MXiRwePC]
来年の大河ドラマは久々に小西行長だったな。楽しみ。ただ主役が気に入らん。
亀梨ってジャニタレかよ。関ジャニの関東訛りで主役が務まるとは思えん。


147 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 10:42:47 ID:7XppGqT0]
大河ドラマねえ・・・
今年は変に家康を律儀の人に仕立てて、変なことになっているからなあ

148 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 16:29:45 ID:e1xY8O8v]
>>147
東軍が勝ってれば正しい評価として扱われてたかもしれないぞ?
家康の評価は後年の豊臣マンセーなゴマすり国学者や講談のせいで
イメージ定着しちゃってて、どこまで捏造かわけわからんところもあるからな。
まぁそれにしても今年の家康のキャラは無理やりだと思うが。
キャスティングのせいか?ヤツが脚本に注文つけた可能性もある。

149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 17:44:23 ID:Hy2vQSU/]
 大河といえば山岡荘八原作の大河ドラマ『石田三成』は
極端に言えば義に厚い忠義の三成像として褒めすぎのきらいがあったな。
>>148
 秀吉死去のあと家康が大阪城西の丸にもう一つの天守閣つくったり
勝手な縁組して前田利家と喧嘩になったりしたのは事実のようだから
いくらなんでも、その辺のことを全部スルーして家康は律儀と評価するのもねー。

150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 19:20:45 ID:n8wxy1oU]
大河つながりで。
11月から葵・徳川三代、時代劇専門チャンネルにて。
あわれなる徳川家の行く末に、涙しましょう。

>>143
家康は、関ヶ原から数年でぽっくり逝ったからね。
家康が生きていたら、多分忠輝も冷遇されっぱなしのままに滅亡。
…って、秀康、徳川姓はどうか知らんが、豊臣姓までは名乗ってないだろ、まず間違いなく。
ネタ?



151 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 21:26:06 ID:Y1Fvz1j7]
武家においては5姓の中で豊源平藤橘の序列順だから

152 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/25(水) 21:40:55 ID:dg0OJ9gi]
うーん。あの状況で東軍が勝つなんて、中山道の秀忠隊が
開戦前に到着する意外に考えられんよ。
実際、真田親子がいたから無理なんだろうね。
本多正信ってあの時に捕らえられて、家康を扇動したって
嘘みたいな理由で斬首されるけど、さすがにあれは無いよな。

153 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 00:02:30 ID:pLO8pePi]
しかし負け組庶民には人気があるよな家康は。
判官贔屓ってやつかな。

154 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/26(木) 00:24:36 ID:CTRC9tpW]
忍耐、苦労の人のイメージで売ってたからな
関ケ原で勝っていたら家康の評価も一変したろう


155 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/26(木) 00:28:33 ID:WHX/uPTy]
処刑直前に、柿は痰の毒だからって断る話は、
健康マニアたる家康らしいエピソードだよな。

156 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/26(木) 00:42:06 ID:fDywx5Nc]
でも死因は天ぷらの食中毒ってのが、またご愛嬌だよな

それも斬首される河原でのバカ食いだからな・・

157 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 11:18:16 ID:0LMRetc9]
家康って斬首されそうになった?
封地は削られているけれど家は残っているし、軟禁状態でのストレス死な印象もっていたけど。
なんにしても食中毒がきっかけで死んだのは間違いないんだろうけれどね。

158 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 12:08:35 ID:VlzklI5A]
あれだろ? 有名な家康影武者説。

159 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 12:21:39 ID:ISvsN5Bg]
家康は斬首されてる・・・ただ存命説もあって
 三成死没後の豊臣政権に出入りし暗躍した南光坊天海は家康であるという
説が強い。彼が豊国明神に祭った灯篭とかの碑文には
羽柴三河守と刻まれてるのは有名な話だ。
あと江戸の豊国明神を建立したが、ここには桐ではなく葵の紋が使用され
てるのも、その説を証明している。


160 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 12:58:32 ID:jCnhlY28]
最近は天海を出家した家康の名前にして普通に出してる時代小説とかもあるからな。
存命説が確定したって学説は知らんが、まぁそれで面白ければおkか。
義経=チンギスハン説よりはましだしw



161 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 14:52:12 ID:0LMRetc9]
しかし……首まで切られて、なんで徳川家はのこったんだ?

162 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 14:56:25 ID:T/0UquDv]
ノヴァ・イスパニアに逃れたって説もあるけどなぁ
ホントのとこどうなんだろ?

163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 15:14:48 ID:VlzklI5A]
>>161
単純に「250万石いきなり潰したらどうなるか」考えれば良いんじゃないかと。

164 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 15:40:31 ID:0LMRetc9]
戦場で捕らえられたといわれているんだっけ?
でもなきゃ、首ちょんぱは無理っぽ。

165 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 16:18:24 ID:VlzklI5A]
そのはず。

あるいは関東へ逃れる所を真田信繁が捕らえて切ったという説もある。
捕らえて渡せば大功になる所を、表に出すと取引で生き残る可能性を考え
後の禍根を立つためにあえて曖昧なままその場で始末をつけた、て話。

少なくとも公の面では冷酷官吏だった石田三成が真田関連の始末(信幸や
その岳父本多忠勝の件)では奇妙なほど真田側の赦免願を通してるのは
上田城戦だけじゃなくこの件も絡んでるんじゃないかと言われてる。

そのせいか東軍勝利のifだと大坂の陣では今一歩の所で家康を逃してしまう
場面を用意する作者も多いよな。

166 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 16:34:02 ID:0LMRetc9]
>あるいは関東へ逃れる所を真田信繁が捕らえて切ったという説もある。

これが京へ送られてさらし首ってことか。
しかし家康処遇に関する史料は、なぜこんなにばらばらなんだろう。
小説では無いが、影武者説って言うのが真実味を帯びてくる?

しかし、幸村がやったとすると、秀忠は、はやばやと切り上げずに
むしろ上田城に張り付く、またはあえて関ヶ原にすすんでいれば、
家康は生き残ったという可能性もある。
が、とろとろしていたら、関東に帰る前に袋叩きか…。
歴史のすべてを知っている立場でも、振る舞いに迷うところだな。

ベストシナリオはどれだろう。

167 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 16:57:16 ID:0LMRetc9]
しかし、幸村がやったとすると
じゃなくて
しかし、信繁がやったとすると
の間違い

168 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 17:12:41 ID:93b8NQy9]
教科書では本能寺の変は明智と家康の共謀ってことになってるが真偽は分からん。

家康は意外といい奴だったかもな。でないと逃亡説が真実だったとしても、
協力者なしには逃げられないだろうし、そもそも東軍にあれだけの兵力を揃えられんだろ。

ちと判官びいきかな。

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:10:19 ID:0LMRetc9]
>>168
本能寺云々は、豊臣史観ってやつだな。

でだ。本題だ。
東軍がかったら、どうなったか。
大きく分けると、
1、毛利を中心とした西軍の巻き返し
2、豊臣秀頼のもと、家康による執権政治
3、家康による政権簒奪
だろうか。
勝ち方にもよるし、なんともいえないけれど。

170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:34:40 ID:T/0UquDv]
謙信と並んで律義者の代名詞の家康だよ?3はねーよ



171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:55:20 ID:ISvsN5Bg]
 家康は関が原の敗北後逃走中に捕縛されて六条河原で処刑されている。
が、公式文書には徳川家康ではなく世良田二郎三郎元康なる名前で記載されており
これが影武者徳川家康であるといわれる理由だとか・・

>>169 漏れは1だと思う。徳川家康といえば蒲生氏郷に天下を見る器じゃない
ケチと酷評されてたからな・・恩賞出し渋って東軍諸侯にも離反され
追い落とされて戦国乱世というのが妥当かと。
歴史家は家康率いる東軍が勝っていたら戦国乱世が続き
天下泰平な豊臣の世は訪れなかったという見方で一致してる。

172 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 20:11:58 ID:0LMRetc9]
うーん、色々考えてみたけれど、家康の思い通りに行ったとして、家康による執権政治、なのかな?
律儀っていうのもそうだが、組織のナンバー1よりナンバー2の方が安全そうだし、家康の性格にあっていると思う。
豊臣の嫡流が絶えたら、鎌倉幕府を参考にして、摂関家の人物や親王を戴いて、完全に傀儡にしてもいいんだし。

173 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/27(金) 01:00:43 ID:N+zkxr2K]
そういや江戸夏の陣で自害した秀忠の生存説もあるよね。
確か忠勝が逃がして、島流しになる前に正則が逃げてた黒田領
にいたって話。

もっとも、後年はアル中になって煙たがられてたらしいがw

あと秀忠の息子は島原の代官だかで、善政敷いてた天草時貞
って人らしい。

174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:17:40 ID:qUhh+pri]
花の様なる秀忠様を、鬼の様なる黒田が連れて、引きも引いたり筑前へ
ってやつね。

本当に生きていても、大勢に何の影響も無いだろうがな。


175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:37:08 ID:rttSb7on]
ごめん、ド忘れしたんだけど姫路宰相って誰だっけ?

176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:41:06 ID:inK75Drw]
たしか立花宗茂だったような
まあ、すぐに改易されるんだけどな

177 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:46:46 ID:qUhh+pri]
宗茂って、東軍についていたら(なおかつ勝ったら)、
秀康あたりと気が合って、五奉行クラスにはなっていたような気がする。


178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:age [2006/10/28(土) 08:09:12 ID:hZwp3gGj]
宇喜多大納言秀家様が
関白になられるそうな

179 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 12:51:39 ID:IWLPsJ0Y]
宇喜多といえば現在でも宇喜多財閥で有名だけど石田公爵家ってどうなっちゃったの?

180 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 14:01:03 ID:qUhh+pri]
石田「侯」爵家な。
よくしらんけど、二次大戦後の財産税でほとんど傾いたんじゃない?
最大90パーセントの税率だってよ。



181 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 16:25:22 ID:yPH5RRO+]
宇喜多財閥は解体されて宇喜多グループになったんじゃなかったっけ

182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 18:29:04 ID:/mXzYU7p]
そうか、財閥解体後は「財閥」と呼ばずに「グループ」と呼ぶのか。
マジで勉強になった。

183 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 19:26:43 ID:YNLVemCq]
>>178
 それは当時の俗説だったような。
当時は「石田様には及びもせぬがせめてなりたや関白に」と歌われる
三成全盛の時代だったから。
関白になって秀頼に政治への関心が無かったせいか
関白秀頼に太閤三成ありといわれてる。
 
 処刑直前に鯛の天ぷらを振舞った三成が用意したタイは目白鯛だったといわれ
三成は祝いの席には必ず目白鯛をだした。
あと三成の館の庭には大きな池が用意され高価な鯉が泳いで、これをよく
来客に自慢していたそうな。

ここから「目白の闇関白」といえば影の最高権力者やキングメーカーへの呼び名
となり、権力者は三成にならって屋敷には鯉を泳がせるのがステータスとなった。




184 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 19:43:34 ID:sEvLGe2g]
三成は鯉の刺身の食いすぎで寄生虫にやられて死んだんだっけな

185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 01:06:15 ID:Wa/a91GY]
このスレの住人は、東軍が勝つ可能性なんて考えたくも無い、
豊臣派ばっかなのか?

俺は、東軍が勝ったら、家康は世界に先駆けて共産主義国家を設立したと思うぜ。
朝廷からは将軍に任命されて、
家来が家康を呼ぶときは、「われらの同士にして偉大なる家康大将軍さま」ってよぶの。


186 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 01:09:14 ID:hFHKdlaB]
>>185
俺は根っからの東軍派だ。
律義者の家康だから東軍が勝っても豊臣家は残りそうな気がするんだよな。
秀吉子飼いの将も健在な訳だしな。
ただ統治者としての家康の能力は未知数。

187 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 03:47:48 ID:74P/dEmQ]
>>186
関東入りを調べて貰えればわかるけど結構なものだよ。
前年まで敵国だった北条領を上手く切り盛りしつつ発展させてる。
ただ、家康の関東での功績は全部直江兼続の手柄になっちゃってるけどね。

188 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 10:02:32 ID:rQY7L0vz]
西軍が勝ったおかげで、合議型政権だったけど、どうなんだろうね。
毛利は部下は優秀だけど、大将が優柔不断。
石田は頭が切れるけど、石高少ないし、敵が多いし。
上杉、前田は天下取りの野望がなかったし。
どこか一つでも真面目に天下取りを目指していたら面白かったかも。

東軍が負けたことで多くの武士が海外に逃亡。
いまだに東南アジアでは、武士のよろいと言えば、赤が標準だと思っているらしい。



189 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 11:11:26 ID:dILkd55o]
>>186の言うように豊臣が残るとすれば、やはり京都が政治の中心地かな。
古来、京を守る軍勢は負ける、という例も多し、家康は京には定着しないと思う。
その代わり、岡崎・浜松あたりを取り上げて、そこに本拠を移すんじゃないかな。
地元だし、京に比較的近いし。


190 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/29(日) 21:24:31 ID:t6IAag6d]
家康は三河の時代から「三奉行」制を敷いたり、
関東入りのときには伊奈忠次のような能吏を登用したりしている。
家康の政治家としての能力は武将としての力量を上回ってるよ。

ただ、家族的結合の強い譜代の三河武士が家臣に多いのも事実。
その処断を誤れば秀吉政権とたいして変わらなかったかもしれない



191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 22:58:56 ID:JdCWAV0x]
家康を甘く見ないほうがいいのでは?
彼の模範としたのは鎌倉幕府だぞ?
鎌倉幕府の執権北条氏みたいに徳川が執権となって
豊臣家を謀殺してしまうのは目に見えてる気がする。
 あの狸は結構したたか、実の息子殺すくらいだぞ。

 ただあの家康は全国の仕置きは無理なのは自明だろ。
今でいう農本主義っていうのか
米とか田畑のことには精通していても、商業とか興味ないと思うので
西国とか到底治めきれないと思う。
家康の代は何とかなっても苦労知らずな秀忠か、その子の代には
毛利とか島津や小西とかの連中が商業資本や朝廷と結託して
時代錯誤な徳川を追い落とすようになると思うな。

192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 01:21:25 ID:QYvHAPNE]
秀康、代わりに頑張れ。反徳川はみんな打ち殺せ。
忠輝、おまえも頑張れ。反徳川はみんな叩き潰せ。

193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 01:29:43 ID:E1biS4yn]
>>191
タヌキはしたたかですか。
どうもアンチ西軍という訳ではないですが豊臣家の実権支配を明確にする為に
立ち上がり破れ滅んだという鮮烈なイメージが頭にあって
どうしても家康は律義者って意識が脳内補完されがちでしてね。


194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/30(月) 04:00:40 ID:tnibKoJm]
そろそろ豊臣史観から抜け出してもいい頃だな

195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 08:41:07 ID:EgDM0xQp]
東軍が勝ってたら、徳川氏の本拠地の江戸が発展しただろう。
今頃、100万人を超える大都市になってたかも。

196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 09:49:03 ID:bD49R1dw]
>>195
江戸市もこのたび浜松市とともにめでたく政令指定都市になりましたが

197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 12:21:27 ID:CpuuKXe2]
江戸が大規模都市になってたかもって関東人は夢見すぎだろ
あんな京から遠い僻地に今以上の人が住み着くとは思えないんだけど

198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 16:54:20 ID:8tTYPQe7]
関ヶ原のIFネタは、関東人は夢見ちゃうからね。
いくら関東入り以後それなりに発展し始めていたとはいえ
当時政治の中枢を移すだけのキャパシティは江戸には無かったんじゃないか?
田中角栄が日本の首都を新潟に移すって言い出すようなもんだと思うぞ。
もし当時の関東に十分なキャパシティがあったなら、関ヶ原以後関東に入封した大名は
後々あんなに苦労しなかったと思う。

199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:07:40 ID:dei1J8hm]
>>198
関東が首都圏になると、京洛から江戸にいたる旧徳川系の地域が
東海道メガロポリスとかになっていたかもね。
そのほうが太平洋に面していた分利便性はよかったかもしれない、
関東なら広いしね。

 でも現実にはいまだに
会津越後から京洛にいたる旧上杉系と前田系の北陸道地域から
 そのまま宇喜多 毛利系の地域である中国筋から北九州にわたる
北越―山陽メガロポリスになってるわけで
大きな影響を及ぼしたのかもな関が原ってのは。

200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:09:53 ID:HaJLMER+]
確かに田んぼしかない静岡にも、大都市が形成されたかも。



201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:35:25 ID:WxQi+2yA]
関東平野の広大な農地のおかげで我が国は食物自給率100%を優に超える米輸出国だからな
あれが農地じゃなくて人口ぎっしりのメガロポリスだったら日本人は何を食えばいいのか
想像するだに恐ろしい

202 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 19:48:56 ID:HaJLMER+]
>>食料自給率100%
米と一部の農作物だけ。

203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:13:26 ID:rzeAhYqU]
オレ、山形生まれなんだけど、上杉が最上を追い出して越後と羽前
を治めてくれたからすげー良いよ。
京からは遠いが、今じゃ東北一の大都市だぜ。
もし東軍が勝ってても、最上は陰湿だからすぐ改易か取り潰し
だったろうな。
さらに北の横手に押し込められた最上ざまーみろw

204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:17:22 ID:RlSVySat]
横手は小野寺だろ

205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 21:46:37 ID:rzeAhYqU]
>>204
結局取り潰されて、後から小野寺入ったんだよ。
関ヶ原直後は最上。

で、子孫はお情けで大坂の旗本。確か五千石だったかな。
三男の山野辺家は上杉で一万石貰って山野辺城主させられてた。

206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:23:27 ID:RlSVySat]
元から横手の小野寺は何処に行った?

207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:35:08 ID:1C6RIS+T]
小野寺は最上憎しで西軍についたから
旧結城領に加増転封になったんだっけ

208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 23:17:40 ID:MVfTJpr+]
お前ら記憶が曖昧になってきてるぞw

209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 00:22:08 ID:ebiPd9Uj]
上杉は旧徳川領に移封。
ま、関ヶ原直後ではなく、徳川滅亡後にだけどね。

210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 01:38:40 ID:ghMn90Eq]
で、会津には加藤清正が入ったと
体よく追い出したな、ホント



211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:22:21 ID:2hYR5n+8]
清正も関ヶ原後はどうなる事かと思ったが
一説には三成に土下座までして許しを請い、会津35万石に返り咲きだからすげえもんだ
江戸の陣での働きもかなりのもんだったけどな

212 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:48:26 ID:eMYBnSWJ]
関ヶ原で浪人になって唯一大名に返り咲いた武将なんだよな>加藤清正

213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:21:22 ID:ZAmPea35]
意外に伊達政宗が天下取ったかも
江戸夏の陣では真田を叩きのめし、三成をけっ散らかして秀頼に自害覚悟させたほどだし。
まあ後藤と薄田に討たれてしまったが・・・
やっぱり野心がないから駄目か? 親父の輝宗は野心家だったんだけどな

214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:38:20 ID:+Ame8dEh]
>>212
似たような立場だった市松は改易後島流しだし
関ヶ原で東軍として出陣していなかったのも大きかったのかな
会津もうまく統治してたみたいだし、凄い人だよね

215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 10:18:20 ID:OH5l2/Po]
>>209
上杉は関東には移っていないぞ。
上杉は関東管領の職責の追認と関東の総取次になったんだ。
 佐渡もあり越後羽前で実高200万石といわれ
日本海交易も盛んで旨みのある場所を
わざわざ移るわけ無いよ。
関東移封は当初は宇喜多が希望していた。が京洛の防備の観点から
宇喜多が加賀に移って120万石
当初関が原において東軍だった為、減封されていた前田を
江戸の陣の戦功と合わせて江戸120万石に据えた。
ただ関東の小大名は全て上杉の軍令下に入るので、その辺は
関が原の東軍参加の影響が後々まで残した禍根だな。

216 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 12:36:40 ID:wr132lDs]
おまいら意外に憶え違いが多いですね・・・学校でちゃんと日本史履修したか?w

217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 14:07:44 ID:Sro662/t]
まあ、高校ではここまで細かくはやらないからな。
資料集なんかには微妙に載っているけれど。

>>213
関ヶ原以後、豊臣と徳川を除けば、伊達と前田が二巨頭。
伊達は米沢や他の領地を得て、いくらか関東に近づくだろう。
徳川はおそらく本拠を尾張〜駿河に移すだろうから、関東は手薄に。
ここまでは多分確実。
家康の死後、伊達が前田と結ぶか、徳川を君側の奸に仕立て上げるのに成功すれば、
関東領有→東海を上るのも可能になると思う。

218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:07:07 ID:OH5l2/Po]

>>217
どうだろうね。前田は関が原に参戦できないわけだし、母親人質にしてる段階で
徳川に対する巨頭なりえない。伊達に至っては上杉と和睦し南部を攻めてる。
これは関が原の勃発前からの行動だから東軍が勝っていても
伊達は潰されたんで無いの?

>>216
そもそも関が原がマニアックなんだから仕方ないわなw
学研の「異説関が原」でちょっと2ちゃんねらーの歴オタに
注目されただけだしなwww
本能寺の変でならイフの歴史も成り立つが
関が原は「西軍が勝つべくして勝った戦」東軍の勝つ要素が低すぎる。
万一東軍が勝っても、豊臣恩顧と家康はギクシャクしてたようだし
まして家康とその周辺は商業とか上方に疎い田舎侍ばっかだw
まず天下を治めること不可能
蒲生氏郷が家康はケチと看破したように恩賞ケチってブーイングの末に
失脚したのは確実だろう。
そして戦国が続いて西欧列強の植民地がオチだろうな。
大概関が原で歴史に詳しいものがイフを語れば
東軍が勝ったら日本は戦国で疲弊した末に西欧の植民地ってのが
お決まりのパターンだ。

学研の「異説関が原」のように
家康が三国志のトウタク、秀康がリョフの役どころとなったのと
同様の結末を辿ってってのはちょっと笑えるが・・
淀殿を二人を離反させるチョウセンにするのは無理ありすぎだろうww

219 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:24:52 ID:betcpCJB]
関ヶ原で東軍が勝ってたら、東軍の逆転劇とかで大注目されたのかな?
確かに東軍が勝てば面白いことは面白いが、現実的に難しいんだよな
後世には「布陣の段階で勝負は付いていた面白みの無い戦」とか言われるし
戦国時代の幕切れとしてはちょっと物足りない感じはある
だからIFを考える人もいるんだろうが

220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:49:34 ID:OH5l2/Po]
戦国時代の幕切れは
ずばり江戸の陣でしょう。

徳川家に改修を命じた方広寺の鐘銘に「国家安康」「君臣豊楽」
を豊臣の姓を切って逆にして呪い奸臣家康の名を祝うものと
安国寺恵瓊長老の難癖同然の横槍が入り
方広寺の鐘銘問題で、なぜか本多正純と秀忠嫡子竹千代の乳母お福を
別に大阪に下向させる。しかも本多を応対した片桐且元が
厳しい叱責を、お福を応対した大蔵卿局が甘い対応をしただけで
本多正純は内応した裏切り者扱いされ追い出され・・開戦。

 江戸城では家康の正統と三成こそ君側の奸ゆえ討つという檄文を
かつての東軍諸侯に送ったが
前田、黒田、藤堂、浅野、最上、堀尾・・いずれもこれを拒絶
参加したのは関が原で国を失った浪人大名(有名どころで黒田長政)と
西軍に遺恨を持つ無数の浪人が集まった。
総勢10万弱



221 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:02:00 ID:OH5l2/Po]
大老筆頭石田三成は、このとき大阪城で一人哄笑していたと
いわれる。
 ただちに江戸征討の命がだされ東軍奥羽の諸侯が動員した
総勢18万続いて西国大名の10万が江戸城を包囲
その軍は、毛利、小早川、吉川、上杉、前田、佐竹、島津、浅野
石田、小西、増田、長束、九鬼、宇喜多、長宗我部、蜂須賀、堀尾・・
といった諸侯と片桐且元や大野といった秀頼直参の旗本譜代といった
全日本の兵力の精髄が結集、総兵力は30万をくだらないといわれてる。
 
しかも、この江戸の陣には徳川家からも参加してる。
大名からは家康の子徳川忠輝 豊臣家旗本として結城秀康の子忠直、あとひとり
宇喜多公の陪臣といえば明石全登と小笠原権之丞のキリシタンコンビ
この二人は陪臣ながら10万石の領地と官位を賜っているのだが
実は小笠原は家康の子供だったりする。



222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:14:40 ID:OH5l2/Po]
武将としても島左近、真田信繁(幸村)、明石全登・守重、毛利勝永
塙団右衛門、木村重成、薄田隼人、速水甲斐、黒田長政、島左近等
伊達政宗、最上義光など古今の名将猛者が一堂に会してる。
一説には結城秀康と、福島正則も泳いで江戸入城したという。

伊達家も成実が後見で秀宗が家督を相続して存続
最上も上杉家に臣下の礼を取った義康が相続
政宗と義光は黒田長政同様、御家と無関係の浪人として奉公
禁止の沙汰と追放処分を受けていたが、これも入城してる。
この戦こそ戦国の幕切れにふさわしいと思う。

223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:30:59 ID:ZAmPea35]
>>219
ちょっと難しいような
豊臣譜代の西軍大名が根こそぎ寝返るか日和るかすれば別だろうけど
現実的じゃないと思う。
引き分けに持ち込むのが精々じゃないかな。
まーそうなったら伊達とか黒田とか島津とか悪巧みして戦国に逆戻りしそうだけど・・・

ところで武断派率いての負けっぷりとか先行して猪呼ばわりされてるけど家康って本当に猪だったのかな?
小牧で戦略的に負けたりしてるせいで戦しか脳がないみたいに言われてるけど
実際悪賢い古狸とも言われてたんだよね?

224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:41:23 ID:WjokflaC]
金吾が裏切ってたら東軍は勝ってた・・・ってありえんか。
数少ない豊臣一門であり、関ヶ原直後に関白になってる忠臣だもんな。
関ヶ原の後わずか2年後に心労で死んだが関白は激務だったんだろう
まさに豊臣のために働いた若武者だな。

225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:51:46 ID:rnjQi+4m]
>>222
江戸の陣でわざわざ兄信幸ではなく信繁を上げるのか……
武蔵戦記から始まる一連の流れが誇張含みとしてもやはり立役者の一人だと思うがな。
信繁も出来は良いんだが性格か生まれた時期かいかんせん父と兄に食われた感があるから。

しかし江戸の陣と言えば三成は場内に真田が入ったと聞いて昌幸の遺策ではないかと関ヶ原
同様腹を壊したという逸話があったよな?
既に三年前に亡くなっているにも関わらずこれだから、案外本当に上杉辺りと組んで何か画策
してたんじゃないぁ、妄想だけど。

226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:59:05 ID:OH5l2/Po]
>>225
しまつたーっ「真田日本一の兵ぞ」といわれた立役者の信幸忘れてターッ
一番肝心な将ではないか・・・欝だ_| ̄|○

227 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:18 ID:WjokflaC]
このスレの人たちが、他の考察スレに比べてうっかりしすぎな件wwwww

228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:29 ID:Sro662/t]
>>220-222
解説お疲れ。
しかし文章が錯綜気味で、よくわからん。
特に>>222のところで、篭城組と攻城組がごっちゃになっとるな。気をつけよう。

229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:12:27 ID:betcpCJB]
>>227
ちょいと範囲が広いからな。他スレはもう少し限定してるとこが多い
日本全国の多くの大名が関わってるからえらい複雑になるし、あんまり
メジャーじゃないとこも語ってるからねぇ
それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
みんな、間違いを見つけてもやさしく訂正してあげようwww

230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:16:57 ID:betcpCJB]
>>229
○それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
×それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると勘違いも混ざるのは致し方ない
にしといて
そういう俺も随分前に大間違いして突っ込まれたさ〜orz



231 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:20:32 ID:rnjQi+4m]
元々ifネタ妄想スレだし気楽に書き込める雰囲気作りにわざと間違えてる人とか
便乗してる愉快犯も居る気がする。
まぁどうせ2chなんてID変われば別な人なんだし、恥ずかしい事なんてないさ。

232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:29:17 ID:2hYR5n+8]
このあたりは黒船来航のときに資料とか全部焼かれちゃったからな
多少食い違いがあるのもしょうがねえ

233 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:51:13 ID:Sro662/t]
そうだな。
まして負けた側の記録となると、全部、とはいかずとも本当に数少ない。
二次記録となってしまうが、このころの史料でお勧めなのは、「武功夜話拾遺」。
最近、民明文庫になったから、読んどくといい。

234 名前:233 mailto:sage [2006/10/31(火) 20:29:29 ID:Sro662/t]
間違えた。「新武功夜話」だった。
「武功夜話拾遺」は別のもの。

ちなみに、今、俺の頭の中に
「でっち上げようとした割には、すんなり語句が頭に浮かぶのでおかしいと思った、と白状せよ」
という怪しげな電波が届いている。

235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:07:03 ID:+49EBhPo]
大河ドラマ「嫌われ山内の一生」もいよいよクライマックスか

236 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:47:18 ID:29XbPW0u]
最近山内一豊とか伊達政宗とか負け組のドラマ化多いよね
秀家とか義弘とかドラマ化されたことないし

237 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:59:15 ID:xBqjM/0x]
オマイら日本の標準語は大阪弁やなかったか?

238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:18:10 ID:saWbxiOT]
関東お笑いブームとかで関東弁はかっこええみたいな風潮もあるし
ネットだと関東弁使いたがる厨はようおるよなwww

あとは単純に田舎者なんかもしれへん

239 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:19:37 ID:/VchNHJn]
俺は東軍オタが高じていっつも関東弁使ってる。
よくウザがられるけどね。

240 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:41:26 ID:z94Mk/Ff]
わざわざPCの変換を打ち直して関東弁を書いてるこの苦労が分かるかーっ
関東弁じゃ未だに、たまにヘンな変換されるんだぞwww



241 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 01:20:02 ID:GTpNU2BC]
生粋の大阪弁と標準語の使い分けでけへんヤシ多いで
ちなみに標準語の場合「できひん」と京都ことばをつかうから

242 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 12:25:39 ID:z94Mk/Ff]
ま、ここは東軍が勝っていたらってスレなんだから、関東弁がデフォでいいんじゃね?
実際に東軍が勝ってても、関東弁が標準語になることは無いと思うが。

243 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:09 ID:4vVBy9aO]
 関が原で東軍が勝利できたと主張する輩は、どういう根拠で
勝てたといえるのか?と思うときがある。 
 
 徳川家康は五大老筆頭として天下の政務を太閤秀吉自らに委託されているのを
よいことに、勝手な縁組や難癖つけて征伐敢行とか
大阪城西の丸にはもう一つ天守閣造営
どうみても主家乗っ取りを企む君側の奸にしか見えない。
 朝鮮出兵にも出ていないことから朝鮮出兵は家康が豊家消耗を
狙って秀吉公に吹き込んだという話は教科書にも載ってる有名な話だし
関白秀次に冤罪を、秀長や千利休の死も家康がやったというのは
豊家や諸侯の日記や資料に載っており普通の歴史ドラマの定番。
きっかけの上杉征伐は家康の思いつきによる急な行動なのは歴然だし
西軍決起後は東軍の背後を狙う立場になった上杉は、徳川に協力すべき
最上は腰砕けで屈服、伊達は勝手に和睦したりと到底役に立ってもいない。
 しかも他の東軍諸侯を信用できず関東に篭ったまま清洲の東軍諸侯に
先端を開けというばかりの臆病ぶり。
 しかも家康が実際に戦闘を指揮したのは関が原からだが
徳川は秀忠の率いる主力は遅刻で参加できずw
家康といえば小早川に発砲して西軍総攻撃と東軍壊滅のきっかけを
つくっただけという戦下手っぷりだ。
 それでいて東軍で真っ先に逃亡したのは家康だしさ。



244 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:50 ID:Xlcx7llP]
東軍が勝った世界から来た者だけど、
家康は江戸に幕府を開いて250年続いたよ
豊臣は滅亡した

245 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:19:12 ID:4vVBy9aO]
西軍といえば19万石の身代で250万石の大老家康に挑む
義士・三成の義挙で立ち上がり豊臣政権の4大老4奉行が参加
大阪と京洛の上方をがっちり抑え、西国の錚々たる諸侯が
賛同、天下三兵法と謳われる直江兼続、島左近、真田昌幸がそろって
帷幕に加わり、東と西から家康を挟み撃ちという壮大な戦略を実現
兵站財務の天才の石田三成、増田、長束が名を連ね戦中戦後の政権運営にも
兵站他にも支障ない。
決戦の舞台となった関が原でも見事に布陣の段階で勝利は約束されていた。
 西軍敗北の前提条件も名文も理由も皆無じゃないか。

西軍は打倒家康で結束してたのに比べて
東軍は勝手な天下取りを夢想した伊達や如水の無軌道ぶりや
豊臣忠義の福島と徳川に通じる裏切りの黒田長政、藤堂高虎
事態静観の中立的な堀尾、中村、山之内といった
ばらばらの寄り合い所帯だし

史料や残っている手紙からでは西軍諸侯で内応や裏切りが皆無だったのと
比較しても伊達や東軍からの内応や情報漏洩は山のようにあるわけだ。


246 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:24:55 ID:4vVBy9aO]
>>244
 うーん・・東軍が勝ってた場合
戦国乱世が再発してたというのが予想できるところ。
せいぜい家康一代の天下だろう。
250年も続くとも思えん。

247 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:40:15 ID:aLCtYd1s]
後を継ぐのがアホの秀忠だもんな
関ヶ原で負けたのもこいつの援軍が間に合わなかったせいだし、
江戸の陣で惨めな最期を遂げたし、期待できないな

248 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:56:09 ID:RTbOn5oT]
東軍が勝ったらどうなるか、というのは、勝ち形によってまったく変わると思うから難しいな。
たとえば
「西軍の将兵が平氏のような腰抜け、東軍の将兵が荒くれた坂東武者だからあの布陣、兵力でも勝てた」
というんだった、そのまま勢いで東軍(の誰か)が天下を取れると思う。
実際にはそんなことないけれど。

>>244
豊臣をつぶして長期間天下を取るなんて…。
親王を関白か征夷大将軍にでもして執権になったのかい?
あるいは天皇家の外戚にでもなったのかい?
外国の力を借りたのかい?
アメリカと戦争して勝ったりするのかい?
やはり近代科学よりも錬金術の方が発達しているのかい?

249 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:59:54 ID:SR5uapn0]
秀忠はそんなに出来悪くはないぞ、減封後の領国経営の手腕はなかなか見事だった。
軍事面でアホなのはもう上田と江戸の件だけで十二分に分かるけどな……。

ていうかむしろ関ヶ原と江戸の陣という戦国時代でも五指に入る華やかな戦場で二度も
醜態をさらすはめになったのが可哀想とすら思う…・・・世の中得手不得手があろうものを。
家康がもうちょっと我慢して秀忠に譲ってれば、案外しっかりきりもりして国力を蓄え、
二、三代後には豊臣の乗っ取りくらいできたかもしれないのに。
家康には頼りなく見えちゃったんだろうかなぁ。

250 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:16:44 ID:GTpNU2BC]
二代目はボンクラなのが多い。親父の築いたものを食い潰す。
秀忠もだが、石田重成だって似たようなもの。




251 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 21:21:52 ID:RTbOn5oT]
でも最終的には、家康にたいしたものを残してもらっていないからなあ、秀忠は。
そういう意味では、重家や重成と並べるのはかわいそう。
残されたものがおおければ、249の言うような別の顔を見せたかもしれない。
(よろしくない片鱗は見せていたけれど)

252 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:51:41 ID:h+WCh3TW]
江戸の役敗北の最大の責任者は
於江与君だよな
同じ姉妹でも慎ましやかで聡明な淀の方とは対照的。
いくら亭主がボンクラとはいえ
女が戦の采配を揮っちゃ勝てないよ

253 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 22:29:29 ID:QvJOjK9/]
江与君もだが、竹千代の乳母の斎藤氏の責任も大だろ。
この2人が主導権争いに明け暮れた所為で江戸方は大混乱。
むしろその状況で浪人衆はよく戦ったよ。

と、江戸方贔屓の俺が言ってみる。

254 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage バーボンかと思ったw [2006/11/01(水) 23:37:26 ID:FDWEeoDr]
おまいらスゴい詳しいね。
最近関ヶ原辺りの時代背景に興味を持ち始めたんだけど、オススメの文献や小説を教えてくれないか?

255 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:19:50 ID:iamMBXO6]
>>254
影武者徳川家康をオススメする。
これは東軍が勝利していたらと言う世界を斬新な切り口で
考察した小説。
 まあ分かりやすく言えば、家康を暗殺して西軍勝利を確実にせんと
あせった三成が家康を暗殺した為に、戦下手な本人から
政戦両面に才のあった影武者が活躍してしまい東軍が勝利してしまった
という世界。
 当時の俗説だった
小早川秀秋の裏切りや吉川毛利の不戦の密約疑惑ももっともらしく
描かれている。
 
 がラストの家康が東照宮という神社で神として祭られているという段になると
ちょっと徳川贔屓が過ぎる気がしないでもない。
いくら神君秀吉の嫡子秀頼公に仇なした奸臣として墓の造営も禁止され
後に遺体を掘り起こして鞭打ちして曝したという扱いへの同情が
あったとはいえ・・・・・。

 

256 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:36:43 ID:qgLwcN0D]
司馬遼太郎の関ヶ原もなかなかだぞ
まあ司馬の家康びいきがすぎるけどな
三成とか左近は大悪人みたいに書かれてる

257 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:44:00 ID:iamMBXO6]
史実のように毛利、上杉、宇喜多、前田、小西や石田の連立政権
合議型公儀だったからこそ、まがりなりにも天下は平和になったが
 この本の言うように東軍が勝っていたら生き残るのは
大老徳川による独裁政権だから、逆に纏まりはなくなり天下は
麻の如くに乱れるだろう。
豊臣恩顧は健在、前田は手が出せない。伊達は長期戦の間に巨大化してるだろうし
上杉も越後最上は併呑してるだろうから容易に手が出せなくなってるのは確実。
毛利も本土が無傷しかも大阪城を抑えている。西軍が敗戦しても毛利が
すんなり大阪を出るはずも無い。せいぜい家康は伏見で政治を見るくらいだ。
西国諸侯も無事、黒田が巨大化してる・・
こんな状況で家康が勝っても、家康独裁ということは徳川への協力者も
皆無ということだから、なおさら孤立無援になって
徳川は失脚、天下は混乱であろう。
 徳川の天下で世が治まったというラストは、やはり小説でしかないんだがね。

258 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 20:57:59 ID:7gBYPgG6]
家康の孫で日本全国をぶらついてる爺さんの話しらない?

259 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:16:50 ID:9LA0q/d7]
>>258
講談かなんかで人気の出た創作だよね。

今の子は知らないだろうな。いや、パチキのあいだでは大変な人気だそうだ。

260 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:35:35 ID:yJ1RMaE1]
さあ?
自分は聞いたことが無いな
江戸の陣の後秀忠の息子が長崎に落ち延びて天草某になったとか言う伝承は有名だが



261 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:50:17 ID:iDzaSH6E]
>>258
260が知らんのも無理ない。
モデルらしいモデルすらいない、完全な架空の人物だからね。
その爺さんどころか、爺さんの父(つまり家康の息子)とされるやつも、存在しないから。

262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 01:57:22 ID:o5ZajyRW]
関が原西軍勝利後、豊臣政権の特別職『大目付」を秀頼公より拝命した石田三成は、名を『石田大成」

と改称。豊臣政権の検事総長になって、徳川征伐と徳川100万石に減封を画し

たが、いまだ、その願いは、加藤清正、福島正則らによってはばまれている。

が、加藤清正は、寝返りの遅すぎ、福島も見物に転換のため、それぞれ、9万石

となる。石田三成の処刑願いが、毛利輝元に一括され、助命減封となった。

そのかわり、石田三成は、『豊臣家」のため、豊臣が危ないときはいつでも、徳川

征伐に立ち上がることができるようになった。徳川家康は、引退させられ、

秀忠は『豊臣家の朝廷工作で失脚」『結城秀康が二代目の徳川を継ぐことに

なった、」秀康は豊臣秀吉が,一心に寵愛した人物で、秀吉公に信服。秀頼

とも近い。むここに豊臣傀儡の徳川が誕生。次第に、徳川の本来の土着性の

団結力、勢力は弱められ、あと、20年もたてば、今の半分の100万石に

なるであろう。秀康が徳川二代目である限り、豊臣は安泰。政権を維持できる。

石田は終生、豊臣の検事総長として、行く末は、大老職をも拝命するであろう。

よかったね。豊臣が勝って。これで、日本は欧米と肩を並べて、大陸進出、植民地

を得ることができ、『民族自決」の時代に大陸進出をするという、時代おくれをせず

いち早く、現地民族を日本に併合。西欧と仲良く、支那を分割でき、日本も自存自立

できた。よかった。よかった。豊臣勝って、本当によかったね。

263 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 05:09:38 ID:8hQr0Tmu]
石田側の約束では

小早川秀秋が西軍勢につけば

小早川秀秋は関白になれていた。

264 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 06:20:29 ID:mKNRONuK]
金吾は実際に関白に就任してるじゃないですか。わずか二年間だけど。

265 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 07:01:20 ID:1hNAfVG1]
よかった、よかった。
……検事総長って!?

266 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:03:11 ID:kxIQYvuk]
小早川秀秋が死んでなければどうなってたんだろう?
三成が責任もって暗殺したって説もあるが
生きてれば豊臣にとっても結構面倒なことになってたんジャマイカ

267 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:22:55 ID:EqpxFoTR]
しかし織田秀信も損だよなぁ。
戦後、三成に「もう少し岐阜で足止めしてたら濃尾二国の国持ち」
と皮肉られ、故地である福島正則旧領の尾張半国だもんなぁ。
しかも正室が徳川家光の伯母ということで相当警戒されてみたい。
江戸の陣でも大阪城留守居役だし。
その中で所領を守りきったことはやはり名君だと思う。

268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:36:38 ID:oifAJYM9]
>>265
>>262が言っているのは学研の歴史群像新書でかたられているイフ物の
ひとつだ。史実じゃない。

 改姓と改名したのは小早川秀秋のほうだ。
小早川は関白就任時に姓を豊臣と改め名前も2年後に秀詮としている。
歴史ゲームでもその段階になると秀秋の名前変わってるから知ってる香具師は
知っているw
このせいで2年後で死んだという説が出てるが実際は秀頼成人まで生きてる。
子供もいる。本願寺大谷派の大谷家は秀秋の血筋だしな。
これは東軍厨でも詳しい香具師は知っていてこっそり筋書きに入れてる。

269 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:43:38 ID:oifAJYM9]
大目付を秀頼公より拝命したのも真田昌幸だ。

徳川家は100万石も許されてない。30万石程度で江戸で秀忠が家督を継いでいる。
秀康は八丈島いきになっている(理由詳細は不明)。
彼の子供達は江戸の陣後も三河岡崎10万石で徳川の社稷を守った家康最期の子
忠輝のもとで細々と続いているのは>>6-261までの経緯で推察つくだろう。


270 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 18:05:53 ID:kxIQYvuk]
>>268
そうだったのか
俺はてっきり金吾は死んだものと・・・
豊臣秀詮と同一人物だったとは

>>267
まーうまくやってても、濃尾二国はもらえなかったんじゃないか?
位置的にあそこを二国まとめて与えるのは微妙な気がする



271 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 19:42:05 ID:KcwQDTwM]
新しい設定が出来たの?

272 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:10:45 ID:oifAJYM9]
>>271
マジレスすまんが・・秀秋が秀詮に改名したのと秀秋に隠し子がいて
現在まで家系が存続しているのだけはマジだったりする。
詳しくググれば、でてくるんでないか?
てわけでこのネタスレでも使用したの。

273 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:32:39 ID:e4dydHv6]
石田大成は、家康を倒さねば豊臣家があぶない。といってただ、

一人立ち上がって、西国大名を説き伏せ、関が原にて家康を敗北

に追い込んだ「名将」である。彼が立ち上がらなければ、真田昌

幸も上杉を攻めていた。真田昌幸には、秀忠3万8000を

信州にて、釘づけ、ついに関が原に到着下のは、西軍勝利後の

家康逃亡後のこと。この釘付けの巧により、豊臣秀頼公より、

奉行職を拝命しておる。

274 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:44:21 ID:e4dydHv6]
西軍は、やっとのことで、家康を敗北、逃亡

させたが、当面、豊臣政権を維持できるに精一杯。

江戸の陣は、結城秀康、徳川二代目就任ご、

10年経ってからじゃ。なにしろ、すでに豊臣政権

のカサのもと、徳川家康は大名の人事権を完全ににぎって

おった。それを排除、江戸に送り返し、引退させただけ

でも豊臣家としては大手柄。天下の人事権は、毛利輝元、

宇喜田秀家、上杉景勝、されに新たに、大谷形部のこ、

大谷大学、豊臣四大老が合議にて行う。石田大成は

一定の大名人事権に、干渉できる、『大目付」では

あるので。豊臣家を危うくする人材の登与は干渉権

が与えられた。後は石田の能力次第、石田はもっと

頭を低くして、諸侯に使えるとの「わび」にて

石田嫌いの諸侯も一時の落ち着きと安堵をえたのだった。

275 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 23:58:46 ID:lgq/tdCb]
>>274
妄想劇場はいいよ。ここは「もし東軍が勝っていたら」スレだから、
東軍が勝っていた場合のおまいの予想を書けよ

276 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 00:28:40 ID:Rr/tTzwa]
東軍が関が原でもし、勝っていたら、日本は、

世界から取り残され、後の侵略の災いとなっていたであろう。

徳阿羅の乞食坊主が神となり、日本は混乱に告ぐ混乱で、

世界の進歩に三百年はおくれたであろう。妄想はよしとして、

豊臣が勝ったおかげで、満州は今でも日本の傀儡国家だ。

大慶油田は、わが国の石油供給の長年の生命線になってきた。

豊臣勝ってほんとうによかった。よかった。よかった。

277 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 02:56:35 ID:1d4OdW/S]
石田壱成は三成の何代目だっけ?

278 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 03:19:50 ID:9CF60yil]
おじいちゃんだろ

279 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 08:49:22 ID:vMHkaZFA]
石田家は十代で一成→二成→三成→(省略)→十成→一成と一周するから、
壱成は三成から数えて18代目の当主だな
もっとも一じゃなくて壱を使ってることから分かるとおり分家だが

280 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 10:10:27 ID:i9lEkaLj]
分家じゃなくて妾腹だろ



281 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 10:30:41 ID:O8behcsI]
純一の妾腹だな

282 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 23:55:11 ID:AX3wldIG]
石田純一は三成の子孫なのか?

こりゃ、驚いた。

283 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 00:37:29 ID:seH11omG]
>>282
セレブだからねー

284 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 02:36:52 ID:zTmROy1Z]
>>279
すさまじい事実に気づいたな。

285 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 11:30:47 ID:zKRejw2N]
>>268
小早川は家康の悪霊に悩まされて狂い死にしたんじゃなかったっけ? 何でも関ヶ原の時に、東軍に裏切る密約を交わしていたのを破ったからだとか。

286 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 17:06:05 ID:zTmROy1Z]
まあ、中年といわれる時期までは生きているからなあ。
悩んで死ぬんなら、もっと早く死んでいるだろうし、ただのデマだと思う。
殿中などで悩み苦しんでいる姿を見られているとかいう話があれば信じる気にもなるけど。

287 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 00:03:24 ID:YnITLIYx]
そういや宇喜多のお家騒動で出奔した奴らってどうなったんだ?
関ヶ原では東軍に加わってたらしいが

しかし家康も騒動煽ったりしたわりには詰めが甘かったよな
弱体化狙ったらしいけど不穏分子排除で秀家には思いっきり追い風になった
自爆したといわれても仕方ないよ

288 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 00:43:10 ID:VjOIyUl1]
糞関西人ども乙www
結局維新で勝ったのは俺ら福島人www
いまだに総理大臣率ナンバー1だからwww
何か山口のジジイとかババアに恨まれてるみたいだけど気にしないwww

289 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 14:12:29 ID:ESHs+FbH]
維新ってなにが対立したんだ?
豊臣は幕府開いてないからあくまで天皇の代理の立場で統治をしてたから
天皇をないがしろにしてたわけでもないし、開国はずっと続いてたし
契機は何だ
現代と比べて考えても、豊臣時代との間に国体に関わる重大な違いが思いつかないんだが
まさか自由民権運動のことじゃなかろう

290 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 14:46:53 ID:ESHs+FbH]
すまん、日本史の授業で近代史のあたり寝てたから
維新って言われてもいまいち細かいところよく分からんのだ



291 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 15:38:54 ID:C50RHIfm]
維新っても豊臣秀喜が関白職を辞任しただけだからねぇ

292 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:35:05 ID:JB1JJFuy]
ここは違う世界の話なのか?
俺の生きてる世界では、普通に東軍勝ってるし、徳川幕府は300年弱続いた。
江戸はすごく発展して、今は天皇陛下も住んでて、都になってる。
まあ、天皇陛下が移るにあたって、江戸から東京って名前に変わってるけど。
人口が1000万人を超える世界有数の都市だよ。

293 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:36:37 ID:rrfeibZl]
>>292
そういう妄想の何が楽しいの?

294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:39:44 ID:JB1JJFuy]
妄想じゃないよ。
事実だよ。

295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:43:41 ID:En+G4gw2]
おいおい、小学校から歴史をやりなおせ、な?
大体、幕府なんて代物が300年続くか?
続いたとしても鎌倉や室町のように内戦が絶えない代物になることは簡単に予想がつくぞ。
あと、天皇が京都から動くなんてありえない。

296 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:52:38 ID:JB1JJFuy]
それだけ家康の統治能力がすごいてことだよ。
だから会社の経営者とかに家康は人気がある。

あと、天皇陛下は平城京から平安京に移ったりしてるでしょ。
それと同じだよ。



297 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 21:55:52 ID:tHBtLFu6]
畿内から出たことは無いだろ。
その妄想は、秀吉が「天子には明に移っていただく」って言ったのに近いぞ。

298 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:25:02 ID:xCIam0Ik]
>>219>>294
ちょっとまて・東軍が勝利して天下が太平になるなんぞ
このスレで散々否定されているぞ。よくて家康一代の天下・・
というか東軍に勝ち目すらないわけで・・
ネーミングもな東京なんてwwまるで明かそこらの都市名のようじゃないかw
東の京都という意味合いで東京都とかネーミングするならなんとなく分かるがね。
そうなっても
おそらくは東西の経済人口格差の是正の為の二つの首都とかいうやつで
伊勢神宮の遷宮のように1年か何年かで京都と東京都を主上が
動座なされるという形式になるだろう。
江戸が単独首都になるなんぞありえんよwww


299 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:28:10 ID:xCIam0Ik]
あと>>296
>>それだけ家康の統治能力がすごいてことだよ
ちょっとまて確かに蒲生にケチ川とバカにされるだけのケチッぷりからして
節約面ではあれだが、逆にけち過ぎて人材が集まらず、ケチ特有の不信で味方の人望も
失って結局関が原の敗戦で大敗した
反面教師でしかないはずだが?



300 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:29:12 ID:JB1JJFuy]
畿内から出たことあるじゃん。
大津京とか。

徳川幕府が治めてた時代(江戸時代と呼ばれている)は日本史上最も平和だった。
だから、文化的にすごく豊かになったし、江戸はすごく発展した。
やっぱり家康はすごい。
あと、2代目の秀忠もなかなかよかった。




301 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:32:26 ID:JB1JJFuy]
とにかく家康はすごいから。
じゃあ俺は忙しいからこれで。

302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:56:23 ID:En+G4gw2]
なんなんだ、この電波?
東軍厨もここまで来るとあれだな。

303 名前:297 mailto:sage [2006/11/07(火) 00:00:59 ID:tHBtLFu6]
ここまで愉快なやつは珍しいな。

しかし大津京があったか…。
kityに普通に間違いを指摘されると悔しいな。

304 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 02:36:52 ID:ZWVgeYyN]
なんで幕府が治めて平和になって、文化的な発展やら都市の発展やらが起こるんだ?
幕府って、所詮基本は戦時体制だろうに
戦国時代の気風が残ったままってのも危険だし、なしくずしで家康が天下を簒奪したんじゃ
収まりがつかんだろう
日本中が富国強兵の嵐になりそうだが

つか文化的に豊かになったって、武士がまがりなりにも文化的な発展に
貢献したと言える時代なんて安土桃山ぐらいだぞ
幕府をおいたって言う江戸で文化が発展するなんて不可能だと思うが

305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 18:01:03 ID:e3TuKHKi]
西軍が勝ったとか妄想はやめろよw
畿内人のコンプレックスもそこまで行くと恥ずかしいよw
石田は斬首、宇喜多は島流し、上杉毛利は30万石に減封、豊臣は60万石に格下げ。
これが真実。どう足掻いても歴史は変わらんだろ。

まあ、あの後、どこでどうなったかは忘れたけど南部様が征夷大将軍に任命されて日本は一揆文化が花開いたよね。
さ、俺も週末は接待一揆だ!

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 18:10:04 ID:QnEBFxdJ]
>>305
脳内一揆、乙

307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 19:11:00 ID:7Z0kdClq]
>>305
>石田は斬首、宇喜多は島流し、上杉毛利は30万石に減封、豊臣は60万石に格下げ。

初めの3者はともかく、なんで豊臣が60万石になるんだ。
家康だって豊臣のために戦っていたのは間違いないだろ。
せめて理由ぐらい何か考えてみ。

ちなみに、徳川幕府ってのは、本当にあり得るかもしれない。

関ヶ原から十余年。大阪城にて。
秀頼「今度こそ朝鮮や明を攻めようぜ。」
秀忠(もし生きていたら家康)「無理っす、勘弁してください。」
秀頼「じゃあ、琉球やアイヌで我慢してやる。お前、大将になれ。」
主命により、徳川家が文字通りの征夷大将軍に就任。
外征後もそのまま警察機構を担当するとか。
だったら、武力が不要となった豊臣関白家を中心に、公家文化が復興。

……でも江戸が東の京なんてことはないな。
当然遷都もない、せいぜいが行幸するぐらいだろ。

308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 20:40:54 ID:e3TuKHKi]
>>307
はぁ?徳川幕府?いつ俺が徳川の狸が幕府を開くと言った?南部様が幕府を開いたんだよ。
舐めてんのか?土一揆起こすぞゴラァ!

豊臣が60万石に格下げは南部様が分捕ったからだお。
豊臣の大老として自分の家臣に豊臣の領土を分け与えたんだよ。
だから畿内はほとんど南部領。三日月の兎も呆れる一揆熱。これだよ。

309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 21:02:23 ID:7Z0kdClq]
>>308
確かにあんたは言って無いな。
「徳川の狸が幕府を開くと言った」のは>>292
まあ、タイミング遅れのレスで引用もせずに書き込んだから、勘違いされても仕方ない。すまねぇ。

で南部は、やっぱり津軽を滅ぼすの?

310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 21:31:26 ID:KvXiTPMg]
仙台の一つ目小僧に悪戦苦闘していた南部がどうやって幕府を・・?

それと>>305>>308
このスレの主旨は「もしも関が原で東軍が勝っていたら?」だ。
>>西軍が勝ったとか妄想はやめろよw
この言動が、おもいっきり横道にそれている件について・・




311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 22:14:30 ID:7Z0kdClq]
東軍が勝った場合を想像しているうちに、自分で本気にしてしまったんだな…。


312 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 23:16:48 ID:e3TuKHKi]
>>311
そうなんだよ…。>>310さんスマソ。
だってよぉ、うちの岩手県いいことねぇからさ。もし関ヶ原で家康が勝ったらうちもその恩恵を賜ることが出来るかもしれないだろ?
関東が田舎だって言ってるけどよぉ、その関東にまで東北は馬鹿にされてるんだよぉ。
石田が何してくれたってんだよ!豊臣が何してくれたんだ?何もしてくれないだろ?
もし家康が勝ったら関東が日本の中心になって東北は関東の直近の地域になってただろうからさぁ・・・。
南部さまは伊達に馬鹿にされるは津軽にゃ裏切られるわ、いいとこねぇんだよぉ。
東北の主な産業は出稼ぎだからなぁ。これじゃあ植民地だよぉ。



313 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 00:36:29 ID:poB3tUoo]
同じ東北でも、山形と福島以外は酷い有様だからな…。
上手く立ち回った仙台と津軽はそこそこ発展してるが。

314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 01:27:02 ID:XWApI9RH]
上手く立ち回ったのは秋田だろ
関ヶ原前の行動は灰色なのに、事後は見事に白と言い切ったからな
伊達と津軽は取りつぶしになるのを回避しただけで、発展なんてレベルじゃないぞ

315 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 16:16:25 ID:xXytZ913]
もっと遊ぼうよ。せっかくのスレガ台無し。

豊臣が勝ったのは事実だから、徳川が

幕府を開いたら、どうなったか、なんて

妄想はやめようよ。

316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:04:15 ID:5KklyhGt]
いや、スレタイは関ヶ原で東軍が勝っていたら、なんだが
徳川が幕府を開いたらって妄想も、あながちスレタイからは外れてないような

317 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:41:59 ID:AfIGr5hW]
話は代わるけど
>>210-214の会津加藤家を継いだ保科正之って伝承だと秀忠の隠し子なんだよね

みなもと太郎の漫画で知ったんだけど

318 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:59:31 ID:3rJGJRRZ]
>>317
会津加藤家を継いだんじゃなくて家老かなんかだろ保科正之。
清正にはちゃんと子供がいたよ。

319 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 18:05:26 ID:Xu1IbQkE]
不肖の息子がね…。

320 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 20:52:16 ID:f0ere92D]
>>316
仮に徳川が勝ったとして、将軍になんかなるか?
鎌倉・室町幕府の将軍家を見ろよ。



321 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 21:28:50 ID:NS+71aab]
徳川がもし勝っていたら、おそらく三河が首都になってたかもしれんで。
関東からは出て行くやろ

322 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 21:37:49 ID:h1aU1Rc0]
東軍が勝ったなら、家康は将軍になったかもしれない。
でも、秀頼が成人した時に政権を返したと思う。
律義だし、秀吉との約束を破るわけがないからな。

323 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 21:38:19 ID:3rJGJRRZ]
>>320
 江戸に幕府を開いて江戸幕府(ちょっと笑えるネーミングだ)というのが
東軍厨の定番ですが?
東軍が勝ってたら豊臣家は関白にして、自分は室町での鎌倉公方とかのように
東国を預かる征夷大将軍になってだなー幕府ってーのもありかと思う。
>>321
それはないと思うよ。駿河のような気がする。
結構すごしやすく、東海の要衝であり、
家康が育ったのあそこだし、三河は逆に古い連中が多くて
やりにくいだろ?

324 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 15:59:01 ID:Ai3lfZIF]
>>323
ナンバー2が実権をもつというのが、日本史の常だしね。
家康なら、それを選ぶだろう。
律儀という名声も、権力も、両方手に入れることができる。

325 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 19:25:50 ID:uVJirHuz]
江戸に律儀に居を構える必要はないでしょ。
普通に考えたら守りが堅い小田原に移すんじゃないの?

326 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 20:01:13 ID:Ai3lfZIF]
仮想敵国がどこか、にもよるね。
もし敵が北にいるなら小田原、西にいるなら箱根以東と思う。

327 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 22:45:51 ID:pajD3B1Q]
仮想敵国といっても、東軍が勝ったら家康と正面切って争えるのは居なくなるぞ
西軍大名の領地召し上げて徳川とその譜代の石高がかなり増加するだろうし
東軍についた伊達とかが百万石超えたりするかもしれんが
徳川と対等以上に争えるのは豊臣家だけになるんじゃないのか?
あとは不満を持つ大名の連合かな

328 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/09(木) 23:31:17 ID:GcAvnp34]
秀頼は、さすが、真田幸村が「りりしきお姿」

と言うだけあって大将の器成り。

約束を渋り、豊臣をつぶそうとした家康に

大阪の陣にて、伊達政宗の寝返りにて、

逆転勝利。江戸の陣にて、ついに徳川滅亡。

329 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 00:31:43 ID:AcoMidCA]
大坂の陣?
何を言ってるんだ?

330 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 03:12:11 ID:+iWrorh+]
関ヶ原で東軍が勝利した場合、家康は次に豊臣家を滅ぼすんじゃないかというifでしょ
まあ生涯律儀者で通してきて、太閤殿下に信頼された家康が
主君殺しをするなんてのはちょっと想像つかないが
そうなったら福島両加藤黒田みたいな豊臣恩顧の大名が黙っちゃ居ないよ



331 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/10(金) 03:37:32 ID:NbKM3KXe]
律儀だけで乱世を生き延びられたと思っている平和ボケが来た。
ソ連の傀儡だった社会主義体制が崩れて17年も経つのにまだ奴らの洗脳が残っているとは。

332 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 04:39:17 ID:td0tkI5N]
>>331
そんなIFを言っても仕方ない歴史を見て
生涯果てる迄に律儀にも忠臣であり続けた家康が
主家を滅ぼすとする方が難しいという事だ
歴史的裏付けもなく破天荒なifを認めるなら
例えば本能寺の秀吉黒幕説や
秀秋公内通説なども認めなければならなくなる
どうせ東軍勝利のスレにしてもせめて前後の史実には
合わせて考察したい。

333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 15:50:15 ID:YUyqmB5u]
本当に律儀ならば、秀頼が兵を挙げた時点で江戸に蟄居謹慎するだろ。
のこのこ関ヶ原まで上ってきて戦ってる時点で政権簒奪の意思有りと見るべきだよ。
まあ、石田も毛利も宇喜多も少し後ろめたい気持ちはあっただろうな。
家康も豊臣の大老として出陣したんだからさ。
家康の立場からすれば豊臣の大老として出征したのに何で自分が討たれなきゃならんのだ?って感じだろうし。
それに、賊だろうと朝敵だろうとやっぱり自力救済の観点から自分の身は自分で守らなきゃならんだろうし
家康が豊臣方と戦ったのも止むを得ないと見るべきかな?こんなこと言うと徳川厨と言われるのがオチだけど。
それにしても赤備えの井伊が真っ先に裏切ったのはうけたな。やっぱりアイツは外様だって話だよ。


334 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:02:39 ID:2OTVaJlx]
あれは旧武田家臣団が造反したんじゃなかったっけ?

部下にあたりがきつくて人切り兵部とか呼ばれたほどだから
うべなるかなという気はするが。

335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:03:01 ID:Zaj40cUL]
仮に東軍が勝ったとしたら、当然正則や清正などは大加増だな。
まぁ、遠国だろうが。

その場合、こいつら危険だと思うんだよ。
難癖つけられて改易されるか、最悪の場合暗殺なども考えられる。

そうやって徐々に豊家の力を削いでいきそうだな。
律儀な家康と愚鈍な秀忠がそこまでやれるか分からんが。

336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:25:39 ID:CDfjLC2t]
>>335
それはないw
豊臣恩顧として政治的に太いパイプを持つ両名は加増・懐柔されて
重く扱われるんじゃないのか?それに稚拙な推測だけど
新生豊臣政権の五大老として同格にあがることも考えられる。
まあその場合は筆頭大老は家康だろうから同格ではないが。

337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 20:01:11 ID:Zaj40cUL]
>>336
うん。それが一番ありえそうな感じだね。

338 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 20:14:28 ID:7bUpYe+/]
>>334
そうそう。
家康は親心で歴戦の猛者の赤備えを直政の配下につけたんだろうけど、
直政はそれに驕っちゃったんだよな。
本来なら敬うべき人生の先達たちをゴミのように扱うという愚挙に出た。
配下に不満が溜るのも当然だな。
井伊直政は家康の籠臣だから、下手に反抗できないし。
で、その不満が家康にとっては最悪なタイミングで爆発した訳だ。

家康もつくづく運がないな。
部下を大切に扱ったといわれる大久保忠世に赤備えを預けてれば
面白かったんじゃないかなと自分は思う。

339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 21:14:08 ID:ifq1LsSQ]
でも忠隣だぞ。関ケ原時は。

340 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:09:32 ID:RIo6h0NT]
神君である家康公が関ヶ原で負けるわけないだろw
お前ら妄想は程々にしておけよwWwWWWwwWWWww



341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:23:16 ID:4HN5f7/I]
無双のやりすぎ

342 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:47:46 ID:QtI1g01P]
>>340>>341
スレの空気読め。

343 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:51:57 ID:TDbX4YlQ]
>>340
可哀想に…
ほかの東軍ファンほど史料を知らないから
こんなことしか言えないんだな。
全く可哀想に…

344 名前:341 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:54:11 ID:4HN5f7/I]
>>342
読んでるレスのつもりだったが…。

345 名前:342 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:57:44 ID:QtI1g01P]
ごめん>>341
>>340の浮いた発言の後だったので・・ごっちゃになってしまったよ。

346 名前:341 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:00:20 ID:4HN5f7/I]
いえいえ。案外340も、突っ込み期待な気もする。

347 名前:342 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:04:01 ID:QtI1g01P]
 それはともかく>>340のいってる神君とはなんぞや?
家康のこといってるのかな?
あの律儀だけが売りの田舎大名が神として祭られるなど
ありえなさすぎなのだが。

348 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:05:32 ID:4HN5f7/I]
>>339
たしか、忠憐が部下をてなづけているのは、謀反をたくらむ意思があったから、という小説をみたことがある。
例の東軍勝利話の派生ものだけどね。

349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:08:29 ID:SKH5icEL]
>>347
無双ってゲームだと家康でプレーして関が原で勝つこともできる。
そうするとエンディングで家康が神君として300年の太平の世が・・・
となる。だから>>341が無双のやりすぎと突っ込んだ。

350 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:13:49 ID:4HN5f7/I]
そういうことです。



351 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:17:11 ID:X63f+rE1]
>342
無双の最新作やってないのか?
なんだか知らないが、東軍武将のシナリオがえらく強化されてる
最近東軍厨の社員増えたのかな
東軍武将キャラの何人かは、クリアすると家康が天下取るし
家康モードだとなんちゃら大権現とかって駿府のあたりに奉られる
厨全開のシナリオでかなりぶっ飛んでるんだが、>>340はその辺りの突っ込み期待レスかと

352 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:25:08 ID:RIo6h0NT]
お前ら家康公が東照大権現として祭られてることも知らないのかよw
小学校から歴史の勉強やりなおせよwwWWwwWw
ゲームの中の話じゃなくて、本当のことだよ。
家康公は関八州の守り神となってる。
やっぱり家康はすげー。


353 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:30:04 ID:8N5iwFPq]
これが東軍厨か

354 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:54:58 ID:HNST1VCg]
下は、某ページからのコピペだけど、東軍厨って、この「勝ち組」と似たようなものかもな。

[1:ハワイの勝ち組]
昭和30年(1955年)の秋に私は海上保安大学の練習船でハワイに遠洋航海に行きましたが、
その当時ハワイに住む日系人の間には日本の敗戦を未だに信じない勝ち組と、
敗戦の事実を率直に認める負け組のグループがありました。


[2:ブラジルの勝ち組、負け組]
ハワイは日本に近いせいか勝ち組、負け組による大規模な抗争事件は起きませんでしたが、
日本から遠く離れ地球の裏側にあるブラジルの日本人社会では、
太平洋戦争に敗れ無条件降伏をしたのは、日本ではなくアメリカでした。
そしてこれを認めない者は、非国民とされました。

355 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:55:59 ID:UbrhHrzD]
東照大権現って、ネーミングセンス無さ杉w
大体、関東には鶴ヶ丘八幡宮があるだろ?

356 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 00:07:45 ID:sDh6EVE3]
待て待て、関東を守護する武将といったら板違いだが忘れちゃいけない方が居るだろう。
家康よりよほど霊験あらたかそうだぞ?

357 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 00:27:44 ID:L6i69AAF]
ああ、将門公。
関ヶ原で負けたのは、そのたたりかな。

358 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 01:20:02 ID:Bgnjpoup]
平の将門は関が原では、徳川家康に勝たせたかったであろう。

なぜなら、源氏,兵士問わず、東国を首都にしようとしていた

徳川家康、平将門も、宮廷を裏切ってでも『東国」を首府にして

統治しようとしていた。平将門は、『逆賊」ではない。

いつも、相手にいくさを挑まれ、また、館を襲われ、また、

不意撃ちをされ、焼き討ちをされ、やむなく,立ち上がり、

正義の勝利を重ねる途中で、東国の、各郡司を攻略するしか

生きていく方法がなかったのだ。平将門ほど、民衆に慕われた

貴族はなかった。其の点、{田原淘汰」は一瞬のすき、将門が

兵を引いた瞬間を捉えて、宮廷より、{将門討伐}の命を受け、

挙兵した。最後まで、将門の勝利は動かなかったのだが、

平将門勝利今、一歩、田原の淘汰まで、あと50Mというとこで、

風向きが突然変わり、将門の馬が立ち往生、その瞬間に逆に

淘汰の矢で、将門は頭を射抜かれてしまった。

家康は、将門のうらみを「豊臣の公戦」として

西軍に勝利した。つまり、天皇にかったわけだ。

将門の恨みはなんと、500年近くの年月を得て

晴らされたのだ。そういう意味で、家康と将門は

源氏,平氏の違いはあるが、友達ということがいえる。

359 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 01:20:57 ID:Bgnjpoup]
平の将門は関が原では、徳川家康に勝たせたかったであろう。

なぜなら、源氏,兵士問わず、東国を首都にしようとしていた

徳川家康、平将門も、宮廷を裏切ってでも『東国」を首府にして

統治しようとしていた。平将門は、『逆賊」ではない。

いつも、相手にいくさを挑まれ、また、館を襲われ、また、

不意撃ちをされ、焼き討ちをされ、やむなく,立ち上がり、

正義の勝利を重ねる途中で、東国の、各郡司を攻略するしか

生きていく方法がなかったのだ。平将門ほど、民衆に慕われた

貴族はなかった。其の点、{田原淘汰」は一瞬のすき、将門が

兵を引いた瞬間を捉えて、宮廷より、{将門討伐}の命を受け、

挙兵した。最後まで、将門の勝利は動かなかったのだが、

平将門勝利今、一歩、田原の淘汰まで、あと50Mというとこで、

風向きが突然変わり、将門の馬が立ち往生、その瞬間に逆に

淘汰の矢で、将門は頭を射抜かれてしまった。

家康は、将門のうらみを「豊臣の公戦」として

西軍に勝利した。つまり、天皇にかったわけだ。

将門の恨みはなんと、500年近くの年月を得て

晴らされたのだ。そういう意味で、家康と将門は

源氏,平氏の違いはあるが、友達ということがいえる。

360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 01:50:41 ID:L6i69AAF]
そっか、どっちも関東勢で、無理難題をふっかける京都勢力と戦うという点では一致しているか。
将門公には、きっちり三成を呪って欲しかったな。



361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 04:29:33 ID:rzMdhQU+]
テレビで「暴れん坊関白」観る度、正直複雑な心境になる。
キノケン演じる豊田新之助(シンさん)のキャラクターがまたとても魅力的なだけに
・・余計に滅びた徳川の悲哀が引き立つというか・・単純に勧善懲悪を楽しめばいいんだけど
つい戦国ヲタの悲しい性でいろんな妄想をしちゃうよね。
マジレスすまん。











362 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 05:53:17 ID:W0PiFzCN]
キノケンって最初なんの事かわからなかった。
木下健かw

363 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 07:29:18 ID:EQhuXRgv]
>>362
常識だろ。
あまりテレビとか見ないの?

364 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 07:53:15 ID:W0PiFzCN]
>>363
うんあまり見ない。
そういえば何年か前に流行ってた「キノケンタンゴ2」、役柄とかと全然違うんで思いもよらなかったが歌ってたのって木下健なの?

365 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 08:30:16 ID:EQhuXRgv]
そう。
てか、役柄と違わなくね?

366 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 14:35:10 ID:popZVpWA]
でも関ヶ原後に江戸に本拠を家康が置いていたら、
江戸も今は大きな町なんだろうな。
小田原ジャイアンツとか川越ライオンズじゃなくて、
江戸ジャイアンツだったりね。
平成の大合併で、豊島市と江戸市が合併で、
むさし市なんて間抜けな名前になったけど(笑)。

367 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 15:17:25 ID:n2JGAdCt]
 上記で、何が理由で維新が起きたのかの発言があったな。
あの時点の事情は難しく、又スレ違いなので詳細は避けるが
要約すると
鉄道敷設に関しての闘争だ。
欧州は英国で敷設されつつあった蒸気機関車の鉄道を
ノウハウのある英国が日本に敷設しようとしたのがきっかけ。
 石田大老が強引に鉄道敷設を近江を中継地とすることで
利権を一手にしようとしたのも問題あったな。
安政の大欲とか弾圧事件もあって、結局維新となった。

 清水 義範氏の著書「鎖国ニッポン」は関が原で東軍が勝っていたら
という設定で、こっちは家康が江戸幕府を開き豊臣を結局滅ぼし
300年近く太平を築くが交易を禁止し鎖国した為
時代の流れに取り残され蒸気船の黒船来航で一気に維新にいたる
という流れであった。

368 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 22:57:01 ID:N+WO/t86]
この前の大河見て気になったんだけど、何で東軍が勝ったんだ?
しかも、明日は石田大老の切腹だし・・・。

369 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 00:27:56 ID:zMPD50QJ]
このスレすげぇよ、秀逸だ。

370 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 00:43:51 ID:W1nN3dOe]
>>368
NHKが視聴率に走った結果。
大河ドラマ板でも叩かれていたよ。

>>367
「鎖国ニッポン」というか、東軍勝利→徳川将軍家 って流れの話は、
豊毛時代後期には成立していたらしいよ。
関ヶ原で東軍だった(元)大名家のいくつかに1820年ぐらいの写本があるから。
現在有名な明治期の小説・講談の下敷きはそれ。



371 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 21:43:49 ID:T4cxFpOo]
いや、おまいら我らが政宗公のお陰で西軍が勝てたんだぞ。
直江が取り繕って豊臣家でいい位置とって、
江戸の陣で勝てたのも政宗のお陰。

てか、東軍勝ったら直江と伊達が黙ってなくね?
だって関ヶ原は直江の挙兵があってこそでしょ?
石田との共謀だったんだから。
そしたら直江は伊達と一緒に挙兵すると思う。

372 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 23:41:48 ID:uvHcCXqi]
政宗厨ktkr
政宗は東軍の南部の一気扇動してたんですぅ、だから西軍何ですぅとか弁解状おくった奴だろ。
上杉の白石城を攻め落として、最上に援軍派遣しておいて良くいうぜw

373 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:31:35 ID:jelVhzYG]
もし東軍が勝っていたら・・・俺たち歴史好きをくすぐらずにはおかない、
もはや普遍のテーマと言っていいね。まあ一般人からは奇人扱いだけど(笑)。
自分が思うに、もし東軍勝利であったなら・・仮にも三国一の忠義者と謳われ
六条河原であの「家康死すとも豊家は死せず!」の名言を残した家康の事だ、
又違った形で豊臣政権の基盤を磐石なモノにしてくれた・・と敢えて信じたい。
家康は後世でこそ自分の器を勘違いした田舎大名という評価になっているが、
戦犯として監禁された折に薬草と擦りこぎ道具を所望し、悠然と薬を煎じて
いたという。爆笑しながらその姿を眺める門番に「人の一生とは重き荷物を
背負うて道を行くが如し。じゃが体が弱ってはその荷物も持てんじゃろうが!」
と言い放ち、さらなる爆笑を誘った下りなどはまさに尋常でない胆力というか
家康再評価の必要があるんじゃないのかな。
後年、西洋の軍人が関が原の布陣を見て「何故東軍が負けたのか?」と驚いた
というが、確かに紙一重の差で東軍にとって不運な出来事が多すぎたよね。
家康にしてもまさか松尾山に放った大砲を秀秋本人が喰らい爆死するなんて
想像もしてなかっただろうし、細川・藤堂の裏切りも同様だったはず。
(もっとも二人の変節はキャラからいって想像の範疇だったかもしれないけど)
いずれにせよ東軍が勝っていた可能性は充分あったわけだし
一度空想戦記みたいな形でそれを映画化してほしい(願)!
余談になるが再来年の大河がまた「忠臣蔵」に決まったらしい。
・・・がいい加減飽きたよ(同じ思いの人もいるんじゃないかな?)
関が原後に秀秋の兄を立て復興を図った小早川家が、三成の「実は家康と
通じていた寝転武士である!」という讒言のもと御家断絶を余儀なくされる。
がその百年後、密かに主君の名誉回復を伺っていた陪臣の子孫達が
大老石田六成を討ち果たす時を越えた仇討ち劇・・・確かにこういう
ストーリーが日本人好みなのはわかるんだが手垢が付きすぎ。
これやる位だったらもうそろそろ「大河ドラマ 義に生きた男徳川家康!」
・・・解禁してもいいんじゃないか?











374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:37:04 ID:WptgGBGW]
2chで関ヶ原で東軍が勝つにはってスレがたったことある?
探したけど意外にも見つけられなかった
やっぱりあの布陣じゃ無理なのか・・・

375 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:43:28 ID:WptgGBGW]
>>373
おおお???
東軍の布陣、勝てる要素あったのか?
と思ったら、後の関白秀秋公が死んでいる・・・ネタかorz

376 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:45:40 ID:8dqUM7KV]
秀忠の本隊を待って決戦に持ち込めば、野戦の得意な家康のことだし勝ちを拾える可能性はあるが
もたもたしてるうちに関東に上杉がなだれ込んできたりしたら目も当てられんし、
秀頼公ご出陣でもあろうもんなら戦う前から東軍総崩れみたいなもんだし
やっぱり負けるべくして負けたんだろ
上杉に釣られて上方をお留守にした時点でもうアウト

377 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 01:12:52 ID:WptgGBGW]
>>376
やっぱねぇ
本隊無しでの最終決戦ってのがまず頭オカシイしな
だから秀忠は親父殺しと陰口を叩かれる
しかしこのスレでも最初のほうで少し議論されてたし、東軍厨あれだけいるのに専スレ無いんだな

378 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 11:55:17 ID:Se2jPwje]
東軍厨の妄言はIFとかそんな次元じゃないからなあ
秀秋と広家が内通してたなんて真顔で言う連中だぞ?
負けたのは奴らのせいとか言い出してるからまともな議論ができるわけもない


379 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 14:01:18 ID:YfCdcC6L]
>>378
え、ここってそういう困った君たちの隔離スレじゃなかったっけ?

380 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 19:23:46 ID:QBoyal18]
>379
後ろ、後ろ〜



381 名前:6 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:01:15 ID:2J8Csm3m]
こんばんわ>>6です
つかなんじゃこりゃwww√ ̄\∧√Уγ¬√Wwwwwwww
おまいらおもしろすぎなんじゃああああああwwwwwwwwwwwww

ということで戦国初心者の俺様に関ヶ原後の歴史の流れを教えてくださいw

382 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:29:27 ID:d1wV2dL+]
>>381
貴殿と漏れとの掛け合いが、きっかけで、こういう展開になったんだよ。
まさかみんなが、ここまで乗ってくるとは思いもよらずってとこですね。
とマジレスしている漏れは、このスレの>>7だったりする。
 このスレの>>1にも意見を聞いてみたいところだな。


>>関ヶ原後の歴史の流れを

はっきり、申して、いまだ未知の部分が多いんですわ。これが・・・
 (というか、全部いっぺんに決めてしまっては逆に面白くないんでというのが本音)


383 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:37:04 ID:d1wV2dL+]
>>378
 まあ、仮にでも秀秋と広家が内通してたとしよう。
でも関が原の布陣を見たら、いっぺんで気持ちは変わるな。
恩賞も魅力的だし。
 多少世話になったとはいえ田舎モノの家康の下につくより
自分が関白として豊臣の頂点に立てるチャンスを棒に振る
バカはいませんよ。
関が原で勝利の後
秀秋公は関白として天下を・・
広家公ははれて毛利の陪臣から直参大名に格上げ石高も倍増
だしね。


384 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 01:34:40 ID:GhD2Z0Wc]
>>382
>>関ヶ原後の歴史の流れを
>はっきり、申して、いまだ未知の部分が多いんですわ。これが・・・
そろそろ地域別、または大名家別に判明している部分を整理したいね
関ヶ原後の資料はとても少ない

385 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 06:14:04 ID:LAJaglgU]
西軍
総大将 毛利輝元
首謀者の石田三成
輝元の従兄弟の吉川
秀吉の甥の小早川
三成の親友の大谷吉継
豊臣政権で優遇された上杉
義勇兵で集った島津義弘
その他、豊臣恩顧大名

東軍
総大将 徳川家康
馬鹿息子秀忠
好き勝手暴れて信用できない伊達・黒田父
変節漢藤堂
頭が足りない福島・加藤
甥に見捨てられた最上

なんかやる前から結果見えてたような面子だな
当時の人間はそんなこと思ってなかっただろうけど

386 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 22:08:39 ID:b8gvC4p+]
とりあえず東北地方の纏め。但し記憶が曖昧なので補足よろ。

【青森】
津軽地方:津軽
下北地方:南部
(互いを牽制させる)

【秋田】
海沿い:秋田
横手:最上(後に改易)→小野寺
湯沢:片倉(加増移封と言う名の分断策)

【岩手】
全域:天領及び小藩多数

【山形】
内陸:上杉(直江)
庄内南部:大宝寺
庄内北部:小野寺(横手に移封後は大宝寺)

【宮城】
全域:伊達(但し白石一帯は分家が治める別藩とされる)

【福島】
会津:上杉
その他:東軍武将や日和見武将達による小藩多数

新潟は言わずもがな上杉。茨城も佐竹が安堵だったはず。

387 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/15(水) 01:16:02 ID:OZY7Ox6u]
佐竹については>>112-114あたりに詳しい
他に>>221に記述有り

388 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:12:00 ID:eyRby4qZ]
>>375
家康の陣をもう少し後方にしておけば、毛利に背後を付かれることは無かった。
この点さえ抑えておけば、
西軍大将格の石田や宇喜多の軍勢は最前線に露出していたんだから、
加藤や福島がもう少し気合入れていれば、勝てたと思うんだけどな。


389 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:34:24 ID:Fr3cI2dK]
>>388
 あの布陣では多少の変更では勝ち目は薄いだろうね。
伊達に関が原の合戦は「勝つべくして勝った戦」などといわれていない。
>>384>>386
あの時分は
盆栽政策と称される大名鉢植えの時期だからちょっと総括が難しい。
 徳川打倒の功労者といえる上杉にしてから直江は関東鎮撫に借り出され
景勝は奥羽平定に借り出され、
西軍総大将の毛利輝元は大阪詰、輝元代理の秀元は関東鎮撫に借り出され
吉川は秀秋とともに九州鎮撫に借り出され
といってみんな本土を留守にして全国支配体制の再構築と安定に尽力
していた。
 又江戸の陣で大規模な転封と論功行賞が行なわれてるし・・

390 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:41:30 ID:t5kOagm8]
不勉強で申し訳ないんだが、関が原で敗北した家康は斬首されたんだっけ?
江戸の陣の大将は確か秀忠だったよな。



391 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:53:29 ID:Fr3cI2dK]
>>390
上のほうに出てるが家康は斬首(というか切腹という説もある)。
ただ生存伝説で家康は豊臣家で暗躍した南光坊天海だともいわれている。

 人質として忠輝が大阪に行くことで徳川は存続した。
忠輝は秀頼と同年代で気があったらしく奉行ともなり岡崎10万石で大名として
徳川を再興している。家康の息子で大名として残ったのは忠輝だけ。
ゆえに東軍厨の妄想徳川勝利絵巻では忠輝は家康の息子でただひとり
改易される運命に描かれてる。

ただ秀康はあらぬ濡れ衣で八丈島行きになっている。
彼の息子が結城と松平として尾家存続している事を見るに
秀康を遠島にしたのは、江戸の陣で秀康が江戸城に入ることを
恐れた隔離であったという説が正しいだろう。

392 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:59:24 ID:huXzFDLw]
秀康は秀頼、三成とも懇意だったから、納得尽くで取引したって説もあるな。
本人父親とは折り合い悪かったみたいだし、秀忠じゃ不甲斐ないと思ってた
徳川の武闘派連中に担ぎ出されるのを嫌がったって話もあるし。

393 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 20:10:19 ID:Fr3cI2dK]
政権構成は
【豊臣氏長者】豊臣秀頼
【関白太政大臣】豊臣秀秋
【五大老】
石田三成
毛利輝元
上杉景勝
宇喜多秀家
小西行長

【五奉行】
増田長盛
長束正家
前田玄以
安国寺恵瓊

三成が抜けた穴には三成の推挙で親しい田中吉政がはいってる。
これまた東軍厨の妄想徳川勝利絵巻では敗走した三成を捕縛する
役回りになってる。

あと
【大目付】真田昌幸
【秦者番】
いわゆる豊家直轄軍として旗本八万騎を編成したが、その指揮官としての
秦者番に1万石として直参昇格した島左近をあてた。


 とおもう。違っていたら訂正よろしく。


394 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/18(土) 09:58:26 ID:yBU7oW/+]
保守

395 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/19(日) 21:00:48 ID:SHm8SHwp]
家康が政権を握ったら農本主義的政治になるという人いるね。
俺もそう思う。
近世のころからある産業を考えると、有田焼、萩焼といった焼き物があるけれど、
家康が政治を握ったら、実用性より華麗さを追求した焼き物産業は、成立しなかったかもね。

>>393
五奉行までは合っていると思う。その下は知らん。

396 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 02:24:52 ID:FdazG3IR]
皆五大老の面子やら豊臣政権の基盤みたいな細かいことは学校で習っても忘れてるぞw
ここは「もし関ヶ原で東軍が勝ったら」という東軍厨隔離スレなんだからあまりマジになられても困る

397 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 08:47:25 ID:FyIIPxHW]
>>395
家康なら伴天連どころか南蛮貿易自体を制限するだろうって人もいるよね

398 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 10:14:15 ID:8g7fBWNY]
 まあそうだな。家康は、海外とか交易には興味薄そうだ品。
周囲を固めるのも視野の狭い田舎侍の家族主義経営
これでは南蛮貿易自体を制限するのもありかもな。
 でもそれだとなおさら交易ヤ商業に精通した
西国諸侯や上方商人に出遅れて国力に差がついてくるだろう。
 豊臣の代理に過ぎない家康が西国諸侯の交易を抑えるほどの権限をもてるとも
思えないし・・
関が原の状況からして、圧倒的勝利は難しいから和睦で勝利するのが関の山
であろうから
おそかれはやかれ関東徳川は時流に取り残されていってしまう結末に大差は
ないかと・・

399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 12:05:30 ID:OEgQQKF/]
スペイン・ポルトガルといった南蛮諸国が没落し始めてたから、別の地域に貿易のターゲットを移すんじゃないか?
イギリスとかオランダとか…

400 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:29:25 ID:HLZ7Glfn]
漂着オランダ船の航海士を江戸に抑留した家康が?




401 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:58:18 ID:FdazG3IR]
ヨーステンいう南蛮人が関ヶ原後に漂着したらしいけど、
輝元の命令で積荷を奪って処刑したらしい
当時結構な問題になったそうだ

402 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:52:48 ID:ICqumv1I]
南蛮とは特別仲良くもなかったみたいね、家康。
アダムスを抑留したのは、大砲やその打ち手が欲しかったから、というのが第一の理由なんだろうけれど、
紅毛との通商の駒として使うつもりもあったのかな?
殺すよりマシとはいえ、抑留したら恨み買うだけなのにな。

……てことは、紅毛貿易に取り組むとしても、結局失敗。
いずれにせよ、西洋文明とは疎遠になるのは必至か。

403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:55:18 ID:8g7fBWNY]
>>401
処刑したっけ?捕虜として確保した後のことはよく知らんけど
存命してたという記憶がある。
揉めてたのは揉めてたよな、何が理由でヨーステンやアダムスいう色目人
で問題になったかは分からないけど。
 
>>399 そこまで積極的に貿易に手を出したかどうか・・
何せ、東海一の弓取りといえども保守的な風土で育った三河の百姓侍
 家康の天下の場合だと、
土地や富が人口の数パーセントの富豪地主に集まり、人口の大半は
水飲み百姓として子供すら人減らしとして間引きされたり売られたりと、
結構貧しい暮らしを強いられてというパターンになりそうだな。
交易も積極的でない以上、そういった貧しい農業国に陥ってたはず。
 さすがの東軍厨も家康が買って天下を取ったら、そんな具合になるという点では
ある程度一致してると思う。
どこぞの学者だかが、家康が天下を取った場合として
交易の制限と海外渡航の禁止、農業にしか視野のいかない政策
でシュミレートしたところ
300年経過しても人口3千万ほどのまま。秀吉の時分と大差ない状況になったそうな。



404 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:57:15 ID:8g7fBWNY]
豊臣の場合農業以外の商業交易が盛んだったし、海外への移住もあったし
都市部や様々な産業が発達していったから
土地が地主に集中しても、余剰人口の働き口や生活場所はありあまってたしな。


405 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 20:38:51 ID:ICqumv1I]
たしか維新時の人口って、東南アジア居留邦人もいれると5千数百万人だったよね。
海外人口も考慮すると、徳川統治下での人口は、現実の二分の一強か…。

406 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/21(火) 23:56:34 ID:PCwgSEFx]
>>405
新大陸にも大勢渡っているから、その辺の統計を入れると
現実の5分の1弱くらいになる。
さらに日本語を商業用とか公用語として使用する連中を含めれば
10分の1くらい

407 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/22(水) 12:57:58 ID:LRnWK8SN]
しかし、豊臣政権下での徳川家の貶められ方は酷いな…
家康タネ無し説なんてのもあったし

408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/23(木) 22:17:47 ID:7zYgw4Ui]
伊達厨の漏れが来ましたよ。
だから、江戸の陣で騎馬鉄砲隊を率いた伊達軍勢。
これがあったから、豊臣の天下はあるんだろ?

409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/23(木) 22:41:52 ID:5jkkobdi]
ああ、二万の兵で大損害を負いながら三千にも満たない井伊隊を壊滅させたんだっけw

江戸の陣を終結させたのは関ヶ原でも活躍した石田の砲兵隊だろう。

410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 19:15:03 ID:v0nTXhnh]
>>407
秀頼公は豊国明神(秀吉)の御胤ジャないという説のほうが・・・

江戸の陣で活躍したので名の知られているのといえば
毛利勝永関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
長宗我部盛親(関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
後藤又兵衛基次(旧主黒田長政の放免を願って)
塙団右衛門直之(江戸川に入城した加藤嘉明と因縁ある主従)
木村長門守重成(豊臣旗本代表として)
細川五郎興秋(細川忠興の次男で勘当された父に変わり細川家を相続した)
小笠原権之丞(家康の七男で豊臣譜代)
明石掃部頭全登(宇喜多秀家に代わり宇喜多軍を率いた)
といった名のある武将連中が思い浮かぶ。

江戸城では名のある武将はいても
女(お江与の方や竹千代乳母の斎藤氏)が口出しするは
戦争の内容を知らない文官(本多正純とか)が跋扈してるは
裏切り者(豊臣方に内通する細川幽斎や藤堂高虎)がいるわ
で、どうにもらならかったようだし
真田信幸が「日本一の兵」といわれているものの・・
めぼしい兵はいないな。



411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 22:01:59 ID:CbQpxtwo]
>410
確かに信幸は凄かったね。死して名を残すとはまさにこの事だよ。
最強の団結力と謳われた豊臣家臣団が若大御所放り出して逃げたって
言うくらいだからね。
東軍厨じゃないけどなんだか真田戦場跡に行ってみたくなったよ。
でもあそこ駐車場無かったよね。やっぱり佐助線で行った方が楽かな?


412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/26(日) 05:21:32 ID:mveutQs9]
>>411
あと一押し。
あの瞬間に結城秀康が現れたら、秀頼の首は取れた!

413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:30:23 ID:MjwKNH9J]
惜しかったね。
それはさて置き、伊達厨の漏れだが、
伊達家って実際は徳川と仲良くしてたよね?
なんで、豊臣政権で偉くなっちゃったの?

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:33:52 ID:B0/kdvlu]
土下座と胡麻擂りが得意だから

415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 18:48:31 ID:nmFdjXJt]
>>413
偉くなったといっても改易のあと許されて高家としてじゃん
官位だけww

416 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 22:08:34 ID:nsxvIrT3]
そういえば、伊達邸に討ち入りしたのは何藩の浪士だっけ?

417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 00:19:55 ID:vqRqbDme]
>>416
確か神保相茂の家臣

418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 12:29:41 ID:B+wOVRgh]
>417
トン
もう忠臣蔵の季節だな

419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 12:52:45 ID:ahlfWz+7]
東軍が勝つわけないんだから。IFスレツマンネ。
豊臣300年の平和を作った豊国大明神様こそが最強。

420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 13:29:21 ID:Dyo4+1bg]
で、倒幕の中心になった会津藩と奥羽列藩を残してしまったことについてはどーよ?



421 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 14:05:40 ID:8q0DVxc6]
一応、結城朝勝も参陣してたんだけど

422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 17:54:28 ID:ab2OiV8I]
 >>420
はっきりいえば潰して不穏な浪人を激増させるよりかは
減封して生き残らせてカツカツの暮らしをさせた方が
治安的にいい。

でも結果的には
どこぞの藩のように正月挨拶は「大阪征伐の儀はいかがいたしましょう」
と言わせてるような長ーい怨念も残したんだよね。


423 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 21:11:12 ID:pBKGHps7]
>>422
伊達の怨念も凄まじかったらしいぞ
生き残りのためとはいえ、あの正直者の政宗が家臣の元領地にすがって、秀頼にゴマをする屈辱を味わったからな
三成の奥羽コントロールは評価されてるが、あれでは恨みを買うのも当然

悪いけど、東軍が勝ってれば家康はもっと調和を大事にしたよ。家康の人格からしてね

424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 00:06:03 ID:87Y9tfxU]
というかそもそも「数百年後の政治状況を見越せなかった事」を遡って
数百年前の施政を批判するのはちょっと無理があると思うぞ。

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:15:42 ID:H5Fl5UrL]
大名に対する政策とその弊害の因果関係がはっきりしているから、つい批判しているけれど、たしかにそうだね。
あの時点では、あの方法が「最良」といわずとも、かなりの良策だったんだろう。
「豊臣百年の計」という表現もあるけれど、(小規模の地域紛争があるとはいえ)実際のところ政権は300年続いたわけだし。


426 名前:425 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:44:32 ID:H5Fl5UrL]
「計」をつかうなら「国家百年の計」という慣用表現か。
「豊臣の天下を百年とならしめるために云々」と言っていた。テレビで。

427 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 22:37:47 ID:Tjr5bxb/]
 豊臣の天下っていっても東国の上杉、西国の毛利を抜きにしては
語れない安定だがな。

西の毛利は関が原の後、輝元が「六分の一殿」とか「安芸の山名殿」
という風評がたって、禍を恐れて大老筆頭を三成に譲ったが
毛利一族の力は、その後も豊臣や国政を動かし続けたし
 奥羽の件についても上杉の存在がでかい。
景勝が「慶長元和の藤原秀衛」といわれるくらいに奥羽は上杉の
支配下におかれちゃった。

428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:20:37 ID:k/XbS1g5]
>>427
なあ立花宗茂はどうしたんだっけ?

429 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:59:52 ID:Tjr5bxb/]
 立花宗茂・・・
久留米の毛利秀包が秀秋が大阪に出て行った後、筑後博多52万石
を預かって・・その後小早川の家督とともに継承した。
ゆえに秀包の久留米領をどかして筑後一国24万石になっている。
豊臣政権で新たに鎮西探題を設けた際に
これに就任している。
 ようは人材不足だった豊臣(ちゅうか三成)が外様でも信用できて
腕も立つ人材として白羽の矢が当たり九州の押さえになった。
なんせ肥前の鍋島も警戒必要だし
中国筋から豊後、伊予、筑前とくる毛利一門の背後を突く役割を担ってる。
奉行格というからご奉行と同列に政務を論じることも出来たという
重要な役割だ。


430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:05:06 ID:e5wFun/d]
奉行格と言ったら、
織田信包も確か豊臣政権の最高顧問的立場で列席してるよな

「織田の老犬様」の異名で親しまれて、
淀殿・秀頼親子はもちろん三成からの信頼も厚かったとか?

詳しい事おせーて下さい



431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:20:46 ID:DqjITGnN]
>>筑後博多52万石
ごめん筑前だったわww

中仙道の真田昌幸・信繁(幸村の異名があるな)も
大目付という役回りで同じく
毛利に対しても立花と同様の役回りを
上杉に対して担っている。
 真田はなぜだか忍者の管轄を手広くやってる。
東軍にいた柳生を助けて召抱えたりだとか伊賀を飛び地で獲得したりとか
徳川のとこにいた服部半蔵とかを召抱えたりとかしてるしな。
 裏真田とかいって剣術の得意な忍者を真田が扱ってるお話が
けっこうあるぞー
マンガだとカムイ外伝だとかあるし・・
映画だと深作欣二監督で中村錦之助とか松方弘樹とかでてた
「真田一族の陰謀」ってのがあった。

マンガで「子連れ狼」ってのがあるが、
もと公儀の高官だった拝なにがしとその幼い息子が
真田一族と争うというお話。
なお、現代版として週間マ●ガジンに“お●み松五郎”
てのがでている。
これは現代に続く拝一●の息子●五郎の末裔が
ヤンキーとして全国暴走族制覇とか学園支配を狙う真田十勇士と
激闘を繰り広げている。
バトルの後倒した相手を拝んでやるのが特徴。


432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:35:30 ID:DqjITGnN]
>>430
伊勢の津に15万石で復帰(だったよな確か)してる。
が・・
長男の信重とは折り合いが悪くWW、信重は関が原で東軍に属するという
言い訳無用の親子喧嘩をやらかしてあと・・・
家督は3男信則そして彼に息子がいなかったので織田の名跡は
4男信当の子孫に・・・

長男の助命嘆願と人材不足の豊臣家で大阪城の勤めを
請われて信包は家督も譲り剃髪して老犬斎と号しながらも
丹波柏原3万6千石を与えられ奉行格という破格の待遇で
迎えられてる。

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:46:00 ID:u/PwOkkg]
おがみ松五郎すごい好きだったけどそんな設定だったのか。
すっかり忘れてた。

434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 03:17:36 ID:HGiGV+wv]
何故秀頼は江戸の陣まで10年以上も徳川家を放置したのかって論議が
されてるようだけど、やっぱり淀君、千姫といった女衆の意向に
さしもの若関白も逆らえなかったというのがホントのトコらしいね。
実際江戸攻めの際、秀頼自身は秀忠・お江を城から救出し竹千代は
仏門に・・って前線の石田砲兵隊には指示を出してたらしいし。
・・・これはどうみても三成と左近の確信犯だな(笑)。
世間一般には秀頼って「非道関白」とか、ひどいのになると
「十五代関白将軍とならぶ凡庸人」みたいな言われ方をされてるけど
この事を考えると意外に秀頼って器量人だった気がする。
大体比較されてる十五代の豊臣秀喜にしたって大坂城を無血開場するなんて
「凡庸」どころか真の勇気が無いと出来ない英断だったろうし・・
とかく後世の評価というのは気まぐれなもんだと思うよ・・もっとも
秀喜の場合、長宗我部の所を脱藩した何とかっていう志士(名前忘れた・・
誰だっけ?)が実質的な立役者だったんだが・・それを差し引いてもね。
改めて秀頼や秀喜は再評価されてしかるべき武将だと思う。

ただし二人の評価と言っても「我亡き後、必ずイスパニア艦隊を持ってして
豊臣討伐を果たせ!」と遺言した伊達政宗と、300年後ホントにそれを実行
しちゃった伊達藩のスケールには到底及ばないが・・・
さすが「奥州(欧州)飛脚」の国だけの事はある(笑)。




435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/12/01(金) 19:55:20 ID:loCs6w7E]
>>434
維新の時に活躍した伊達と最上の実力は豊臣に隠しての
密貿易によるところが大きい。
 伊達家正室愛姫の子でありながら家督を継げなかった頼宗が
江戸の陣の恩賞と(は名ばかりの)蝦夷地のうち10万石
に飛ばされ、そこからアラスカ領有して金山発掘に成功したあたりで
 最上も北方入植によるシベリア開拓とロシアとの毛皮取引で
豊臣倒すくらいの力はできたろうね。




436 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/02(土) 21:20:36 ID:h1nZ5ek6]
>>407
それはいくらなんでも電波。
関ヶ原以前に6人も息子がいたのに。

437 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/02(土) 23:26:31 ID:OlkAmiOG]
そうだな。
種無しは秀吉だよ。
秀頼は、秀吉の子ではないというのが通説だし。

438 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/03(日) 00:58:36 ID:3gDlMxoD]
いや、腹の中にもう一人子供がいて男子だったらしいぞ。
どっちにしてもそんな子作りしか能が無い男だよ家康は。

439 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/03(日) 13:54:32 ID:ttTytib+]
それで関ヶ原で張り合ったんだから、立派といえば立派?
あの段階で豊臣に対抗できるのは徳川しかいないし。

440 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 14:51:29 ID:wf8Tk0Kj]
最上はずっと豊臣家をうらんでいたからね。
豊臣を倒したとき、千姫と義光の墓所に報告しに言った人も多いらしい。
北条家は1万石しかもってなかったくせに、ずっとうらんでいたのか市民まで動員して豊臣を襲撃する始末。
三成も頭はいいんだけど恨みを残さないことは考えなかったのかな?



441 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/04(月) 22:06:39 ID:bfOnubyB]
日本史における三大忠臣として名高いのは
楠木正成
豊臣秀吉
石田三成
というのはまあ妥当ではあるし

日本史の三大美女として
淀殿がはいっているのはまいいとしても・・

日本史における三大逆賊として
源頼朝
明智光秀
徳川家康
なのは豊臣史観に偏った人選な気がする。


442 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 22:28:33 ID:MX9b6EZW]
辛い幼少時代を送りながら天下人秀吉に見初められ幸せを手にした淀殿は今でも女性の憧れの的だしな

443 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 23:41:57 ID:6RzcDRF+]
>>441
楠正成と石田三成はともかく、
豊臣秀吉は間違っても入らないだろ。
入れるなら(世間的に)大石内蔵助。

444 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:10:40 ID:LEGqSoXq]
>>443
誰すかそれ・・・・・? 

445 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:34:16 ID:/zYyHW8g]
忠臣内蔵助ってくらいだからな。

446 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 08:28:03 ID:Uj6CIk9A]
三成公は神様だしな。

447 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 09:00:21 ID:o1RzSeU4]
神さまは家康公だお

448 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 11:45:12 ID:cawzqQBT]
>>443
戦前に出来た呼称だから今の概念とはあわないよな。
当時は天下人となっても頼朝なんかと違って将軍にならず
関白や太閤で通した秀吉は一応忠臣だったろうけど。

449 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/05(火) 15:01:29 ID:VkGEmQrA]
それにしても役の後に出た大量の浪人達を日本人町の増強に充てた政策は巧いと思う。おかげで山田長政が南蛮に一大王国を樹立した。政策実行者は誰だっけ?






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