- 262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 01:57:22 ID:o5ZajyRW]
- 関が原西軍勝利後、豊臣政権の特別職『大目付」を秀頼公より拝命した石田三成は、名を『石田大成」
と改称。豊臣政権の検事総長になって、徳川征伐と徳川100万石に減封を画し たが、いまだ、その願いは、加藤清正、福島正則らによってはばまれている。 が、加藤清正は、寝返りの遅すぎ、福島も見物に転換のため、それぞれ、9万石 となる。石田三成の処刑願いが、毛利輝元に一括され、助命減封となった。 そのかわり、石田三成は、『豊臣家」のため、豊臣が危ないときはいつでも、徳川 征伐に立ち上がることができるようになった。徳川家康は、引退させられ、 秀忠は『豊臣家の朝廷工作で失脚」『結城秀康が二代目の徳川を継ぐことに なった、」秀康は豊臣秀吉が,一心に寵愛した人物で、秀吉公に信服。秀頼 とも近い。むここに豊臣傀儡の徳川が誕生。次第に、徳川の本来の土着性の 団結力、勢力は弱められ、あと、20年もたてば、今の半分の100万石に なるであろう。秀康が徳川二代目である限り、豊臣は安泰。政権を維持できる。 石田は終生、豊臣の検事総長として、行く末は、大老職をも拝命するであろう。 よかったね。豊臣が勝って。これで、日本は欧米と肩を並べて、大陸進出、植民地 を得ることができ、『民族自決」の時代に大陸進出をするという、時代おくれをせず いち早く、現地民族を日本に併合。西欧と仲良く、支那を分割でき、日本も自存自立 できた。よかった。よかった。豊臣勝って、本当によかったね。
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