- 112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/23(月) 11:57:00 ID:BT++0loJ]
- >>96
佐竹は関ヶ原の戦闘自体には参戦してないんで無かった? 当主の義宣と先代の義重が対立したせいで、一応西軍だけど結局動かなかったはず。 義宣自身は上杉景勝や石田三成と親交深かったし、石田三成襲撃事件のときの義理も あったからか加増を受けたけど、文字通りの恩賞ってわけじゃなかったらしいぞ。 佐竹って関ヶ原後にかなり加増されて100万石(細かい数字は知らん)越えてたけど、 アレは常陸の大大名として、奥羽とか関東の勢力を牽制させる意味合いが強い。 特に奥羽は関ヶ原で消耗してないから、まだまだ不穏な勢力が残ってたし。 佐竹は奥羽の抑えと、関東の後背から睨みを効かす役割をまとめて押し付けられた形だ。 まぁ重要な役だけど負担はどえらいし、かなり貧乏くじだな。 江戸の陣の時なんて、奥羽から江戸城を目指す軍相手に孤軍奮闘する羽目になったし。 それなのに江戸の陣の後はまったく加増されてない。 結局、佐竹義宣は三成らに信用されてた一方で、体良く使い潰された感じだな。 実際、佐竹義和みたいな名君を輩出したりで1700年代には実高200万石(かなり誇張だが) といわれたりもしたけど、莫大な借財のせいで内情はカツカツだったらしいし。
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