- 188 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2016/04/20(水) 07:40:05.63 .net]
- >>142
崇神が三世紀後半に生まれたとすると、三世紀初期と言われる纏向の創設に 関わった先祖は、四世代くらい前の先祖ということになる。 4世代前は孝安天皇なんだが、彼に関しては非常に気になる系譜になっている。 父は孝昭天皇で后は尾張の祖で世襲足媛、彼には息子が二人おり、 長男 天足彦国押人命 次男 日本足彦国押人尊(大倭帯日子国押人命) 孝安天皇 孝安は兄の娘を嫁にしたことになっている。 名前からすると、兄が天下を治め、弟がヤマトを治める。 もっとも、この名前が後世に付けられたものかどうかは分からんが。 後継者である兄が若死にし、弟が後継者になるにあたって前王の娘を嫁にする。 天足彦国押人命には後継氏族が多いから、息子がいなかった訳じゃないが、 子どもでは一族を率いることが出来ないからだろうな。 倭国統一の時代(卑弥呼共立の時代)、卑弥呼が死んでトヨを共立した時代(開化?) 誰が王だったのかは分からんが、どちらにも丹波一族が登場するのが興味深い。 そして、景行(母は日葉酢媛)の時代には後継争いが起きていないらしく見える のもおもしろい。 日葉酢媛の墓と伝わる古墳があるが、この古墳は全国の古墳時代前期後半の有力者の 古墳の型状と一致するらしい。
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