- 142 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2016/02/05(金) 17:09:24.14 .net]
- 古事記の干支は正しいんじゃないかね。
親子関係が正しいと仮定して、記録に残る正確だろうといわれる最古の天皇、 舒明天皇の出生年593年から一代25〜27年として逆算していくと、それほど 矛盾は生じない。崇神天皇は三世紀半ばの出生になり、まあ微妙なところだけどな。 崇神天皇を「ハツクニシラススメラミコト」と言ってるんだから、それより 以前は大王ではなかったということになる。 崇神は、トヨの後、266年にトヨらしき朝貢の記事があるからそれより後だろうな。 神武について詳細な記録がある。また、2〜9代の婚姻関係も詳しい。 にも関わらずヒミコの記述がない。トヨもないから、少なくとも崇神の親ではないのだろうな。 同じ一族(遠い親戚)ではあるが、親やじじばばではない存在。 爺さんのいとことか、親かじいさんの妻のうちの崇神の直系ではない人とか。 >孝昭の代から皇后の出自が変わるとはどういうことだろうか? このあたりから国家統一の流れが出来て、豪族たちが広域に姻戚になろうと するんじゃないかなあ。もしくは、この時に談合が成立し都を作り、江戸屋敷の ように都の周辺に豪族の屋敷が出来て相互に嫁取りをした。 纏向を囲むように、各地の地名があるんだよな。
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