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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:05:22 ID:buAV4pyy]
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?
逃げ延びた秀忠の逆襲?
宇喜多執権体制?
三成ら五奉行主導政治?
毛利幕府成立?

193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 01:29:43 ID:E1biS4yn]
>>191
タヌキはしたたかですか。
どうもアンチ西軍という訳ではないですが豊臣家の実権支配を明確にする為に
立ち上がり破れ滅んだという鮮烈なイメージが頭にあって
どうしても家康は律義者って意識が脳内補完されがちでしてね。


194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/30(月) 04:00:40 ID:tnibKoJm]
そろそろ豊臣史観から抜け出してもいい頃だな

195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 08:41:07 ID:EgDM0xQp]
東軍が勝ってたら、徳川氏の本拠地の江戸が発展しただろう。
今頃、100万人を超える大都市になってたかも。

196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 09:49:03 ID:bD49R1dw]
>>195
江戸市もこのたび浜松市とともにめでたく政令指定都市になりましたが

197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 12:21:27 ID:CpuuKXe2]
江戸が大規模都市になってたかもって関東人は夢見すぎだろ
あんな京から遠い僻地に今以上の人が住み着くとは思えないんだけど

198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 16:54:20 ID:8tTYPQe7]
関ヶ原のIFネタは、関東人は夢見ちゃうからね。
いくら関東入り以後それなりに発展し始めていたとはいえ
当時政治の中枢を移すだけのキャパシティは江戸には無かったんじゃないか?
田中角栄が日本の首都を新潟に移すって言い出すようなもんだと思うぞ。
もし当時の関東に十分なキャパシティがあったなら、関ヶ原以後関東に入封した大名は
後々あんなに苦労しなかったと思う。

199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:07:40 ID:dei1J8hm]
>>198
関東が首都圏になると、京洛から江戸にいたる旧徳川系の地域が
東海道メガロポリスとかになっていたかもね。
そのほうが太平洋に面していた分利便性はよかったかもしれない、
関東なら広いしね。

 でも現実にはいまだに
会津越後から京洛にいたる旧上杉系と前田系の北陸道地域から
 そのまま宇喜多 毛利系の地域である中国筋から北九州にわたる
北越―山陽メガロポリスになってるわけで
大きな影響を及ぼしたのかもな関が原ってのは。

200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:09:53 ID:HaJLMER+]
確かに田んぼしかない静岡にも、大都市が形成されたかも。

201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:35:25 ID:WxQi+2yA]
関東平野の広大な農地のおかげで我が国は食物自給率100%を優に超える米輸出国だからな
あれが農地じゃなくて人口ぎっしりのメガロポリスだったら日本人は何を食えばいいのか
想像するだに恐ろしい



202 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 19:48:56 ID:HaJLMER+]
>>食料自給率100%
米と一部の農作物だけ。

203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:13:26 ID:rzeAhYqU]
オレ、山形生まれなんだけど、上杉が最上を追い出して越後と羽前
を治めてくれたからすげー良いよ。
京からは遠いが、今じゃ東北一の大都市だぜ。
もし東軍が勝ってても、最上は陰湿だからすぐ改易か取り潰し
だったろうな。
さらに北の横手に押し込められた最上ざまーみろw

204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:17:22 ID:RlSVySat]
横手は小野寺だろ

205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 21:46:37 ID:rzeAhYqU]
>>204
結局取り潰されて、後から小野寺入ったんだよ。
関ヶ原直後は最上。

で、子孫はお情けで大坂の旗本。確か五千石だったかな。
三男の山野辺家は上杉で一万石貰って山野辺城主させられてた。

206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:23:27 ID:RlSVySat]
元から横手の小野寺は何処に行った?

207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:35:08 ID:1C6RIS+T]
小野寺は最上憎しで西軍についたから
旧結城領に加増転封になったんだっけ

208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 23:17:40 ID:MVfTJpr+]
お前ら記憶が曖昧になってきてるぞw

209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 00:22:08 ID:ebiPd9Uj]
上杉は旧徳川領に移封。
ま、関ヶ原直後ではなく、徳川滅亡後にだけどね。

210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 01:38:40 ID:ghMn90Eq]
で、会津には加藤清正が入ったと
体よく追い出したな、ホント

211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:22:21 ID:2hYR5n+8]
清正も関ヶ原後はどうなる事かと思ったが
一説には三成に土下座までして許しを請い、会津35万石に返り咲きだからすげえもんだ
江戸の陣での働きもかなりのもんだったけどな



212 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:48:26 ID:eMYBnSWJ]
関ヶ原で浪人になって唯一大名に返り咲いた武将なんだよな>加藤清正

213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:21:22 ID:ZAmPea35]
意外に伊達政宗が天下取ったかも
江戸夏の陣では真田を叩きのめし、三成をけっ散らかして秀頼に自害覚悟させたほどだし。
まあ後藤と薄田に討たれてしまったが・・・
やっぱり野心がないから駄目か? 親父の輝宗は野心家だったんだけどな

214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:38:20 ID:+Ame8dEh]
>>212
似たような立場だった市松は改易後島流しだし
関ヶ原で東軍として出陣していなかったのも大きかったのかな
会津もうまく統治してたみたいだし、凄い人だよね

215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 10:18:20 ID:OH5l2/Po]
>>209
上杉は関東には移っていないぞ。
上杉は関東管領の職責の追認と関東の総取次になったんだ。
 佐渡もあり越後羽前で実高200万石といわれ
日本海交易も盛んで旨みのある場所を
わざわざ移るわけ無いよ。
関東移封は当初は宇喜多が希望していた。が京洛の防備の観点から
宇喜多が加賀に移って120万石
当初関が原において東軍だった為、減封されていた前田を
江戸の陣の戦功と合わせて江戸120万石に据えた。
ただ関東の小大名は全て上杉の軍令下に入るので、その辺は
関が原の東軍参加の影響が後々まで残した禍根だな。

216 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 12:36:40 ID:wr132lDs]
おまいら意外に憶え違いが多いですね・・・学校でちゃんと日本史履修したか?w

217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 14:07:44 ID:Sro662/t]
まあ、高校ではここまで細かくはやらないからな。
資料集なんかには微妙に載っているけれど。

>>213
関ヶ原以後、豊臣と徳川を除けば、伊達と前田が二巨頭。
伊達は米沢や他の領地を得て、いくらか関東に近づくだろう。
徳川はおそらく本拠を尾張〜駿河に移すだろうから、関東は手薄に。
ここまでは多分確実。
家康の死後、伊達が前田と結ぶか、徳川を君側の奸に仕立て上げるのに成功すれば、
関東領有→東海を上るのも可能になると思う。

218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:07:07 ID:OH5l2/Po]

>>217
どうだろうね。前田は関が原に参戦できないわけだし、母親人質にしてる段階で
徳川に対する巨頭なりえない。伊達に至っては上杉と和睦し南部を攻めてる。
これは関が原の勃発前からの行動だから東軍が勝っていても
伊達は潰されたんで無いの?

>>216
そもそも関が原がマニアックなんだから仕方ないわなw
学研の「異説関が原」でちょっと2ちゃんねらーの歴オタに
注目されただけだしなwww
本能寺の変でならイフの歴史も成り立つが
関が原は「西軍が勝つべくして勝った戦」東軍の勝つ要素が低すぎる。
万一東軍が勝っても、豊臣恩顧と家康はギクシャクしてたようだし
まして家康とその周辺は商業とか上方に疎い田舎侍ばっかだw
まず天下を治めること不可能
蒲生氏郷が家康はケチと看破したように恩賞ケチってブーイングの末に
失脚したのは確実だろう。
そして戦国が続いて西欧列強の植民地がオチだろうな。
大概関が原で歴史に詳しいものがイフを語れば
東軍が勝ったら日本は戦国で疲弊した末に西欧の植民地ってのが
お決まりのパターンだ。

学研の「異説関が原」のように
家康が三国志のトウタク、秀康がリョフの役どころとなったのと
同様の結末を辿ってってのはちょっと笑えるが・・
淀殿を二人を離反させるチョウセンにするのは無理ありすぎだろうww

219 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:24:52 ID:betcpCJB]
関ヶ原で東軍が勝ってたら、東軍の逆転劇とかで大注目されたのかな?
確かに東軍が勝てば面白いことは面白いが、現実的に難しいんだよな
後世には「布陣の段階で勝負は付いていた面白みの無い戦」とか言われるし
戦国時代の幕切れとしてはちょっと物足りない感じはある
だからIFを考える人もいるんだろうが

220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:49:34 ID:OH5l2/Po]
戦国時代の幕切れは
ずばり江戸の陣でしょう。

徳川家に改修を命じた方広寺の鐘銘に「国家安康」「君臣豊楽」
を豊臣の姓を切って逆にして呪い奸臣家康の名を祝うものと
安国寺恵瓊長老の難癖同然の横槍が入り
方広寺の鐘銘問題で、なぜか本多正純と秀忠嫡子竹千代の乳母お福を
別に大阪に下向させる。しかも本多を応対した片桐且元が
厳しい叱責を、お福を応対した大蔵卿局が甘い対応をしただけで
本多正純は内応した裏切り者扱いされ追い出され・・開戦。

 江戸城では家康の正統と三成こそ君側の奸ゆえ討つという檄文を
かつての東軍諸侯に送ったが
前田、黒田、藤堂、浅野、最上、堀尾・・いずれもこれを拒絶
参加したのは関が原で国を失った浪人大名(有名どころで黒田長政)と
西軍に遺恨を持つ無数の浪人が集まった。
総勢10万弱

221 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:02:00 ID:OH5l2/Po]
大老筆頭石田三成は、このとき大阪城で一人哄笑していたと
いわれる。
 ただちに江戸征討の命がだされ東軍奥羽の諸侯が動員した
総勢18万続いて西国大名の10万が江戸城を包囲
その軍は、毛利、小早川、吉川、上杉、前田、佐竹、島津、浅野
石田、小西、増田、長束、九鬼、宇喜多、長宗我部、蜂須賀、堀尾・・
といった諸侯と片桐且元や大野といった秀頼直参の旗本譜代といった
全日本の兵力の精髄が結集、総兵力は30万をくだらないといわれてる。
 
しかも、この江戸の陣には徳川家からも参加してる。
大名からは家康の子徳川忠輝 豊臣家旗本として結城秀康の子忠直、あとひとり
宇喜多公の陪臣といえば明石全登と小笠原権之丞のキリシタンコンビ
この二人は陪臣ながら10万石の領地と官位を賜っているのだが
実は小笠原は家康の子供だったりする。





222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:14:40 ID:OH5l2/Po]
武将としても島左近、真田信繁(幸村)、明石全登・守重、毛利勝永
塙団右衛門、木村重成、薄田隼人、速水甲斐、黒田長政、島左近等
伊達政宗、最上義光など古今の名将猛者が一堂に会してる。
一説には結城秀康と、福島正則も泳いで江戸入城したという。

伊達家も成実が後見で秀宗が家督を相続して存続
最上も上杉家に臣下の礼を取った義康が相続
政宗と義光は黒田長政同様、御家と無関係の浪人として奉公
禁止の沙汰と追放処分を受けていたが、これも入城してる。
この戦こそ戦国の幕切れにふさわしいと思う。

223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:30:59 ID:ZAmPea35]
>>219
ちょっと難しいような
豊臣譜代の西軍大名が根こそぎ寝返るか日和るかすれば別だろうけど
現実的じゃないと思う。
引き分けに持ち込むのが精々じゃないかな。
まーそうなったら伊達とか黒田とか島津とか悪巧みして戦国に逆戻りしそうだけど・・・

ところで武断派率いての負けっぷりとか先行して猪呼ばわりされてるけど家康って本当に猪だったのかな?
小牧で戦略的に負けたりしてるせいで戦しか脳がないみたいに言われてるけど
実際悪賢い古狸とも言われてたんだよね?

224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:41:23 ID:WjokflaC]
金吾が裏切ってたら東軍は勝ってた・・・ってありえんか。
数少ない豊臣一門であり、関ヶ原直後に関白になってる忠臣だもんな。
関ヶ原の後わずか2年後に心労で死んだが関白は激務だったんだろう
まさに豊臣のために働いた若武者だな。

225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:51:46 ID:rnjQi+4m]
>>222
江戸の陣でわざわざ兄信幸ではなく信繁を上げるのか……
武蔵戦記から始まる一連の流れが誇張含みとしてもやはり立役者の一人だと思うがな。
信繁も出来は良いんだが性格か生まれた時期かいかんせん父と兄に食われた感があるから。

しかし江戸の陣と言えば三成は場内に真田が入ったと聞いて昌幸の遺策ではないかと関ヶ原
同様腹を壊したという逸話があったよな?
既に三年前に亡くなっているにも関わらずこれだから、案外本当に上杉辺りと組んで何か画策
してたんじゃないぁ、妄想だけど。

226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:59:05 ID:OH5l2/Po]
>>225
しまつたーっ「真田日本一の兵ぞ」といわれた立役者の信幸忘れてターッ
一番肝心な将ではないか・・・欝だ_| ̄|○

227 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:18 ID:WjokflaC]
このスレの人たちが、他の考察スレに比べてうっかりしすぎな件wwwww

228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:29 ID:Sro662/t]
>>220-222
解説お疲れ。
しかし文章が錯綜気味で、よくわからん。
特に>>222のところで、篭城組と攻城組がごっちゃになっとるな。気をつけよう。

229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:12:27 ID:betcpCJB]
>>227
ちょいと範囲が広いからな。他スレはもう少し限定してるとこが多い
日本全国の多くの大名が関わってるからえらい複雑になるし、あんまり
メジャーじゃないとこも語ってるからねぇ
それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
みんな、間違いを見つけてもやさしく訂正してあげようwww

230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:16:57 ID:betcpCJB]
>>229
○それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
×それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると勘違いも混ざるのは致し方ない
にしといて
そういう俺も随分前に大間違いして突っ込まれたさ〜orz

231 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:20:32 ID:rnjQi+4m]
元々ifネタ妄想スレだし気楽に書き込める雰囲気作りにわざと間違えてる人とか
便乗してる愉快犯も居る気がする。
まぁどうせ2chなんてID変われば別な人なんだし、恥ずかしい事なんてないさ。



232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:29:17 ID:2hYR5n+8]
このあたりは黒船来航のときに資料とか全部焼かれちゃったからな
多少食い違いがあるのもしょうがねえ

233 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:51:13 ID:Sro662/t]
そうだな。
まして負けた側の記録となると、全部、とはいかずとも本当に数少ない。
二次記録となってしまうが、このころの史料でお勧めなのは、「武功夜話拾遺」。
最近、民明文庫になったから、読んどくといい。

234 名前:233 mailto:sage [2006/10/31(火) 20:29:29 ID:Sro662/t]
間違えた。「新武功夜話」だった。
「武功夜話拾遺」は別のもの。

ちなみに、今、俺の頭の中に
「でっち上げようとした割には、すんなり語句が頭に浮かぶのでおかしいと思った、と白状せよ」
という怪しげな電波が届いている。

235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:07:03 ID:+49EBhPo]
大河ドラマ「嫌われ山内の一生」もいよいよクライマックスか

236 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:47:18 ID:29XbPW0u]
最近山内一豊とか伊達政宗とか負け組のドラマ化多いよね
秀家とか義弘とかドラマ化されたことないし

237 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:59:15 ID:xBqjM/0x]
オマイら日本の標準語は大阪弁やなかったか?

238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:18:10 ID:saWbxiOT]
関東お笑いブームとかで関東弁はかっこええみたいな風潮もあるし
ネットだと関東弁使いたがる厨はようおるよなwww

あとは単純に田舎者なんかもしれへん

239 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:19:37 ID:/VchNHJn]
俺は東軍オタが高じていっつも関東弁使ってる。
よくウザがられるけどね。

240 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:41:26 ID:z94Mk/Ff]
わざわざPCの変換を打ち直して関東弁を書いてるこの苦労が分かるかーっ
関東弁じゃ未だに、たまにヘンな変換されるんだぞwww

241 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 01:20:02 ID:GTpNU2BC]
生粋の大阪弁と標準語の使い分けでけへんヤシ多いで
ちなみに標準語の場合「できひん」と京都ことばをつかうから



242 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 12:25:39 ID:z94Mk/Ff]
ま、ここは東軍が勝っていたらってスレなんだから、関東弁がデフォでいいんじゃね?
実際に東軍が勝ってても、関東弁が標準語になることは無いと思うが。

243 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:09 ID:4vVBy9aO]
 関が原で東軍が勝利できたと主張する輩は、どういう根拠で
勝てたといえるのか?と思うときがある。 
 
 徳川家康は五大老筆頭として天下の政務を太閤秀吉自らに委託されているのを
よいことに、勝手な縁組や難癖つけて征伐敢行とか
大阪城西の丸にはもう一つ天守閣造営
どうみても主家乗っ取りを企む君側の奸にしか見えない。
 朝鮮出兵にも出ていないことから朝鮮出兵は家康が豊家消耗を
狙って秀吉公に吹き込んだという話は教科書にも載ってる有名な話だし
関白秀次に冤罪を、秀長や千利休の死も家康がやったというのは
豊家や諸侯の日記や資料に載っており普通の歴史ドラマの定番。
きっかけの上杉征伐は家康の思いつきによる急な行動なのは歴然だし
西軍決起後は東軍の背後を狙う立場になった上杉は、徳川に協力すべき
最上は腰砕けで屈服、伊達は勝手に和睦したりと到底役に立ってもいない。
 しかも他の東軍諸侯を信用できず関東に篭ったまま清洲の東軍諸侯に
先端を開けというばかりの臆病ぶり。
 しかも家康が実際に戦闘を指揮したのは関が原からだが
徳川は秀忠の率いる主力は遅刻で参加できずw
家康といえば小早川に発砲して西軍総攻撃と東軍壊滅のきっかけを
つくっただけという戦下手っぷりだ。
 それでいて東軍で真っ先に逃亡したのは家康だしさ。



244 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:50 ID:Xlcx7llP]
東軍が勝った世界から来た者だけど、
家康は江戸に幕府を開いて250年続いたよ
豊臣は滅亡した

245 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:19:12 ID:4vVBy9aO]
西軍といえば19万石の身代で250万石の大老家康に挑む
義士・三成の義挙で立ち上がり豊臣政権の4大老4奉行が参加
大阪と京洛の上方をがっちり抑え、西国の錚々たる諸侯が
賛同、天下三兵法と謳われる直江兼続、島左近、真田昌幸がそろって
帷幕に加わり、東と西から家康を挟み撃ちという壮大な戦略を実現
兵站財務の天才の石田三成、増田、長束が名を連ね戦中戦後の政権運営にも
兵站他にも支障ない。
決戦の舞台となった関が原でも見事に布陣の段階で勝利は約束されていた。
 西軍敗北の前提条件も名文も理由も皆無じゃないか。

西軍は打倒家康で結束してたのに比べて
東軍は勝手な天下取りを夢想した伊達や如水の無軌道ぶりや
豊臣忠義の福島と徳川に通じる裏切りの黒田長政、藤堂高虎
事態静観の中立的な堀尾、中村、山之内といった
ばらばらの寄り合い所帯だし

史料や残っている手紙からでは西軍諸侯で内応や裏切りが皆無だったのと
比較しても伊達や東軍からの内応や情報漏洩は山のようにあるわけだ。


246 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:24:55 ID:4vVBy9aO]
>>244
 うーん・・東軍が勝ってた場合
戦国乱世が再発してたというのが予想できるところ。
せいぜい家康一代の天下だろう。
250年も続くとも思えん。

247 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:40:15 ID:aLCtYd1s]
後を継ぐのがアホの秀忠だもんな
関ヶ原で負けたのもこいつの援軍が間に合わなかったせいだし、
江戸の陣で惨めな最期を遂げたし、期待できないな

248 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:56:09 ID:RTbOn5oT]
東軍が勝ったらどうなるか、というのは、勝ち形によってまったく変わると思うから難しいな。
たとえば
「西軍の将兵が平氏のような腰抜け、東軍の将兵が荒くれた坂東武者だからあの布陣、兵力でも勝てた」
というんだった、そのまま勢いで東軍(の誰か)が天下を取れると思う。
実際にはそんなことないけれど。

>>244
豊臣をつぶして長期間天下を取るなんて…。
親王を関白か征夷大将軍にでもして執権になったのかい?
あるいは天皇家の外戚にでもなったのかい?
外国の力を借りたのかい?
アメリカと戦争して勝ったりするのかい?
やはり近代科学よりも錬金術の方が発達しているのかい?

249 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:59:54 ID:SR5uapn0]
秀忠はそんなに出来悪くはないぞ、減封後の領国経営の手腕はなかなか見事だった。
軍事面でアホなのはもう上田と江戸の件だけで十二分に分かるけどな……。

ていうかむしろ関ヶ原と江戸の陣という戦国時代でも五指に入る華やかな戦場で二度も
醜態をさらすはめになったのが可哀想とすら思う…・・・世の中得手不得手があろうものを。
家康がもうちょっと我慢して秀忠に譲ってれば、案外しっかりきりもりして国力を蓄え、
二、三代後には豊臣の乗っ取りくらいできたかもしれないのに。
家康には頼りなく見えちゃったんだろうかなぁ。

250 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:16:44 ID:GTpNU2BC]
二代目はボンクラなのが多い。親父の築いたものを食い潰す。
秀忠もだが、石田重成だって似たようなもの。


251 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 21:21:52 ID:RTbOn5oT]
でも最終的には、家康にたいしたものを残してもらっていないからなあ、秀忠は。
そういう意味では、重家や重成と並べるのはかわいそう。
残されたものがおおければ、249の言うような別の顔を見せたかもしれない。
(よろしくない片鱗は見せていたけれど)



252 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:51:41 ID:h+WCh3TW]
江戸の役敗北の最大の責任者は
於江与君だよな
同じ姉妹でも慎ましやかで聡明な淀の方とは対照的。
いくら亭主がボンクラとはいえ
女が戦の采配を揮っちゃ勝てないよ

253 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 22:29:29 ID:QvJOjK9/]
江与君もだが、竹千代の乳母の斎藤氏の責任も大だろ。
この2人が主導権争いに明け暮れた所為で江戸方は大混乱。
むしろその状況で浪人衆はよく戦ったよ。

と、江戸方贔屓の俺が言ってみる。

254 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage バーボンかと思ったw [2006/11/01(水) 23:37:26 ID:FDWEeoDr]
おまいらスゴい詳しいね。
最近関ヶ原辺りの時代背景に興味を持ち始めたんだけど、オススメの文献や小説を教えてくれないか?

255 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:19:50 ID:iamMBXO6]
>>254
影武者徳川家康をオススメする。
これは東軍が勝利していたらと言う世界を斬新な切り口で
考察した小説。
 まあ分かりやすく言えば、家康を暗殺して西軍勝利を確実にせんと
あせった三成が家康を暗殺した為に、戦下手な本人から
政戦両面に才のあった影武者が活躍してしまい東軍が勝利してしまった
という世界。
 当時の俗説だった
小早川秀秋の裏切りや吉川毛利の不戦の密約疑惑ももっともらしく
描かれている。
 
 がラストの家康が東照宮という神社で神として祭られているという段になると
ちょっと徳川贔屓が過ぎる気がしないでもない。
いくら神君秀吉の嫡子秀頼公に仇なした奸臣として墓の造営も禁止され
後に遺体を掘り起こして鞭打ちして曝したという扱いへの同情が
あったとはいえ・・・・・。

 

256 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:36:43 ID:qgLwcN0D]
司馬遼太郎の関ヶ原もなかなかだぞ
まあ司馬の家康びいきがすぎるけどな
三成とか左近は大悪人みたいに書かれてる

257 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:44:00 ID:iamMBXO6]
史実のように毛利、上杉、宇喜多、前田、小西や石田の連立政権
合議型公儀だったからこそ、まがりなりにも天下は平和になったが
 この本の言うように東軍が勝っていたら生き残るのは
大老徳川による独裁政権だから、逆に纏まりはなくなり天下は
麻の如くに乱れるだろう。
豊臣恩顧は健在、前田は手が出せない。伊達は長期戦の間に巨大化してるだろうし
上杉も越後最上は併呑してるだろうから容易に手が出せなくなってるのは確実。
毛利も本土が無傷しかも大阪城を抑えている。西軍が敗戦しても毛利が
すんなり大阪を出るはずも無い。せいぜい家康は伏見で政治を見るくらいだ。
西国諸侯も無事、黒田が巨大化してる・・
こんな状況で家康が勝っても、家康独裁ということは徳川への協力者も
皆無ということだから、なおさら孤立無援になって
徳川は失脚、天下は混乱であろう。
 徳川の天下で世が治まったというラストは、やはり小説でしかないんだがね。

258 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 20:57:59 ID:7gBYPgG6]
家康の孫で日本全国をぶらついてる爺さんの話しらない?

259 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:16:50 ID:9LA0q/d7]
>>258
講談かなんかで人気の出た創作だよね。

今の子は知らないだろうな。いや、パチキのあいだでは大変な人気だそうだ。

260 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:35:35 ID:yJ1RMaE1]
さあ?
自分は聞いたことが無いな
江戸の陣の後秀忠の息子が長崎に落ち延びて天草某になったとか言う伝承は有名だが

261 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:50:17 ID:iDzaSH6E]
>>258
260が知らんのも無理ない。
モデルらしいモデルすらいない、完全な架空の人物だからね。
その爺さんどころか、爺さんの父(つまり家康の息子)とされるやつも、存在しないから。



262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 01:57:22 ID:o5ZajyRW]
関が原西軍勝利後、豊臣政権の特別職『大目付」を秀頼公より拝命した石田三成は、名を『石田大成」

と改称。豊臣政権の検事総長になって、徳川征伐と徳川100万石に減封を画し

たが、いまだ、その願いは、加藤清正、福島正則らによってはばまれている。

が、加藤清正は、寝返りの遅すぎ、福島も見物に転換のため、それぞれ、9万石

となる。石田三成の処刑願いが、毛利輝元に一括され、助命減封となった。

そのかわり、石田三成は、『豊臣家」のため、豊臣が危ないときはいつでも、徳川

征伐に立ち上がることができるようになった。徳川家康は、引退させられ、

秀忠は『豊臣家の朝廷工作で失脚」『結城秀康が二代目の徳川を継ぐことに

なった、」秀康は豊臣秀吉が,一心に寵愛した人物で、秀吉公に信服。秀頼

とも近い。むここに豊臣傀儡の徳川が誕生。次第に、徳川の本来の土着性の

団結力、勢力は弱められ、あと、20年もたてば、今の半分の100万石に

なるであろう。秀康が徳川二代目である限り、豊臣は安泰。政権を維持できる。

石田は終生、豊臣の検事総長として、行く末は、大老職をも拝命するであろう。

よかったね。豊臣が勝って。これで、日本は欧米と肩を並べて、大陸進出、植民地

を得ることができ、『民族自決」の時代に大陸進出をするという、時代おくれをせず

いち早く、現地民族を日本に併合。西欧と仲良く、支那を分割でき、日本も自存自立

できた。よかった。よかった。豊臣勝って、本当によかったね。

263 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 05:09:38 ID:8hQr0Tmu]
石田側の約束では

小早川秀秋が西軍勢につけば

小早川秀秋は関白になれていた。

264 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 06:20:29 ID:mKNRONuK]
金吾は実際に関白に就任してるじゃないですか。わずか二年間だけど。

265 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 07:01:20 ID:1hNAfVG1]
よかった、よかった。
……検事総長って!?

266 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:03:11 ID:kxIQYvuk]
小早川秀秋が死んでなければどうなってたんだろう?
三成が責任もって暗殺したって説もあるが
生きてれば豊臣にとっても結構面倒なことになってたんジャマイカ

267 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:22:55 ID:EqpxFoTR]
しかし織田秀信も損だよなぁ。
戦後、三成に「もう少し岐阜で足止めしてたら濃尾二国の国持ち」
と皮肉られ、故地である福島正則旧領の尾張半国だもんなぁ。
しかも正室が徳川家光の伯母ということで相当警戒されてみたい。
江戸の陣でも大阪城留守居役だし。
その中で所領を守りきったことはやはり名君だと思う。

268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:36:38 ID:oifAJYM9]
>>265
>>262が言っているのは学研の歴史群像新書でかたられているイフ物の
ひとつだ。史実じゃない。

 改姓と改名したのは小早川秀秋のほうだ。
小早川は関白就任時に姓を豊臣と改め名前も2年後に秀詮としている。
歴史ゲームでもその段階になると秀秋の名前変わってるから知ってる香具師は
知っているw
このせいで2年後で死んだという説が出てるが実際は秀頼成人まで生きてる。
子供もいる。本願寺大谷派の大谷家は秀秋の血筋だしな。
これは東軍厨でも詳しい香具師は知っていてこっそり筋書きに入れてる。

269 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:43:38 ID:oifAJYM9]
大目付を秀頼公より拝命したのも真田昌幸だ。

徳川家は100万石も許されてない。30万石程度で江戸で秀忠が家督を継いでいる。
秀康は八丈島いきになっている(理由詳細は不明)。
彼の子供達は江戸の陣後も三河岡崎10万石で徳川の社稷を守った家康最期の子
忠輝のもとで細々と続いているのは>>6-261までの経緯で推察つくだろう。


270 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 18:05:53 ID:kxIQYvuk]
>>268
そうだったのか
俺はてっきり金吾は死んだものと・・・
豊臣秀詮と同一人物だったとは

>>267
まーうまくやってても、濃尾二国はもらえなかったんじゃないか?
位置的にあそこを二国まとめて与えるのは微妙な気がする

271 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 19:42:05 ID:KcwQDTwM]
新しい設定が出来たの?



272 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:10:45 ID:oifAJYM9]
>>271
マジレスすまんが・・秀秋が秀詮に改名したのと秀秋に隠し子がいて
現在まで家系が存続しているのだけはマジだったりする。
詳しくググれば、でてくるんでないか?
てわけでこのネタスレでも使用したの。

273 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:32:39 ID:e4dydHv6]
石田大成は、家康を倒さねば豊臣家があぶない。といってただ、

一人立ち上がって、西国大名を説き伏せ、関が原にて家康を敗北

に追い込んだ「名将」である。彼が立ち上がらなければ、真田昌

幸も上杉を攻めていた。真田昌幸には、秀忠3万8000を

信州にて、釘づけ、ついに関が原に到着下のは、西軍勝利後の

家康逃亡後のこと。この釘付けの巧により、豊臣秀頼公より、

奉行職を拝命しておる。

274 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 20:44:21 ID:e4dydHv6]
西軍は、やっとのことで、家康を敗北、逃亡

させたが、当面、豊臣政権を維持できるに精一杯。

江戸の陣は、結城秀康、徳川二代目就任ご、

10年経ってからじゃ。なにしろ、すでに豊臣政権

のカサのもと、徳川家康は大名の人事権を完全ににぎって

おった。それを排除、江戸に送り返し、引退させただけ

でも豊臣家としては大手柄。天下の人事権は、毛利輝元、

宇喜田秀家、上杉景勝、されに新たに、大谷形部のこ、

大谷大学、豊臣四大老が合議にて行う。石田大成は

一定の大名人事権に、干渉できる、『大目付」では

あるので。豊臣家を危うくする人材の登与は干渉権

が与えられた。後は石田の能力次第、石田はもっと

頭を低くして、諸侯に使えるとの「わび」にて

石田嫌いの諸侯も一時の落ち着きと安堵をえたのだった。

275 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 23:58:46 ID:lgq/tdCb]
>>274
妄想劇場はいいよ。ここは「もし東軍が勝っていたら」スレだから、
東軍が勝っていた場合のおまいの予想を書けよ

276 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 00:28:40 ID:Rr/tTzwa]
東軍が関が原でもし、勝っていたら、日本は、

世界から取り残され、後の侵略の災いとなっていたであろう。

徳阿羅の乞食坊主が神となり、日本は混乱に告ぐ混乱で、

世界の進歩に三百年はおくれたであろう。妄想はよしとして、

豊臣が勝ったおかげで、満州は今でも日本の傀儡国家だ。

大慶油田は、わが国の石油供給の長年の生命線になってきた。

豊臣勝ってほんとうによかった。よかった。よかった。

277 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 02:56:35 ID:1d4OdW/S]
石田壱成は三成の何代目だっけ?

278 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 03:19:50 ID:9CF60yil]
おじいちゃんだろ

279 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 08:49:22 ID:vMHkaZFA]
石田家は十代で一成→二成→三成→(省略)→十成→一成と一周するから、
壱成は三成から数えて18代目の当主だな
もっとも一じゃなくて壱を使ってることから分かるとおり分家だが

280 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 10:10:27 ID:i9lEkaLj]
分家じゃなくて妾腹だろ

281 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/04(土) 10:30:41 ID:O8behcsI]
純一の妾腹だな



282 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/04(土) 23:55:11 ID:AX3wldIG]
石田純一は三成の子孫なのか?

こりゃ、驚いた。

283 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 00:37:29 ID:seH11omG]
>>282
セレブだからねー

284 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 02:36:52 ID:zTmROy1Z]
>>279
すさまじい事実に気づいたな。

285 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 11:30:47 ID:zKRejw2N]
>>268
小早川は家康の悪霊に悩まされて狂い死にしたんじゃなかったっけ? 何でも関ヶ原の時に、東軍に裏切る密約を交わしていたのを破ったからだとか。

286 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/05(日) 17:06:05 ID:zTmROy1Z]
まあ、中年といわれる時期までは生きているからなあ。
悩んで死ぬんなら、もっと早く死んでいるだろうし、ただのデマだと思う。
殿中などで悩み苦しんでいる姿を見られているとかいう話があれば信じる気にもなるけど。

287 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 00:03:24 ID:YnITLIYx]
そういや宇喜多のお家騒動で出奔した奴らってどうなったんだ?
関ヶ原では東軍に加わってたらしいが

しかし家康も騒動煽ったりしたわりには詰めが甘かったよな
弱体化狙ったらしいけど不穏分子排除で秀家には思いっきり追い風になった
自爆したといわれても仕方ないよ

288 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 00:43:10 ID:VjOIyUl1]
糞関西人ども乙www
結局維新で勝ったのは俺ら福島人www
いまだに総理大臣率ナンバー1だからwww
何か山口のジジイとかババアに恨まれてるみたいだけど気にしないwww

289 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 14:12:29 ID:ESHs+FbH]
維新ってなにが対立したんだ?
豊臣は幕府開いてないからあくまで天皇の代理の立場で統治をしてたから
天皇をないがしろにしてたわけでもないし、開国はずっと続いてたし
契機は何だ
現代と比べて考えても、豊臣時代との間に国体に関わる重大な違いが思いつかないんだが
まさか自由民権運動のことじゃなかろう

290 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 14:46:53 ID:ESHs+FbH]
すまん、日本史の授業で近代史のあたり寝てたから
維新って言われてもいまいち細かいところよく分からんのだ

291 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 15:38:54 ID:C50RHIfm]
維新っても豊臣秀喜が関白職を辞任しただけだからねぇ



292 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:35:05 ID:JB1JJFuy]
ここは違う世界の話なのか?
俺の生きてる世界では、普通に東軍勝ってるし、徳川幕府は300年弱続いた。
江戸はすごく発展して、今は天皇陛下も住んでて、都になってる。
まあ、天皇陛下が移るにあたって、江戸から東京って名前に変わってるけど。
人口が1000万人を超える世界有数の都市だよ。

293 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:36:37 ID:rrfeibZl]
>>292
そういう妄想の何が楽しいの?

294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:39:44 ID:JB1JJFuy]
妄想じゃないよ。
事実だよ。

295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:43:41 ID:En+G4gw2]
おいおい、小学校から歴史をやりなおせ、な?
大体、幕府なんて代物が300年続くか?
続いたとしても鎌倉や室町のように内戦が絶えない代物になることは簡単に予想がつくぞ。
あと、天皇が京都から動くなんてありえない。

296 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 20:52:38 ID:JB1JJFuy]
それだけ家康の統治能力がすごいてことだよ。
だから会社の経営者とかに家康は人気がある。

あと、天皇陛下は平城京から平安京に移ったりしてるでしょ。
それと同じだよ。



297 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 21:55:52 ID:tHBtLFu6]
畿内から出たことは無いだろ。
その妄想は、秀吉が「天子には明に移っていただく」って言ったのに近いぞ。

298 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:25:02 ID:xCIam0Ik]
>>219>>294
ちょっとまて・東軍が勝利して天下が太平になるなんぞ
このスレで散々否定されているぞ。よくて家康一代の天下・・
というか東軍に勝ち目すらないわけで・・
ネーミングもな東京なんてwwまるで明かそこらの都市名のようじゃないかw
東の京都という意味合いで東京都とかネーミングするならなんとなく分かるがね。
そうなっても
おそらくは東西の経済人口格差の是正の為の二つの首都とかいうやつで
伊勢神宮の遷宮のように1年か何年かで京都と東京都を主上が
動座なされるという形式になるだろう。
江戸が単独首都になるなんぞありえんよwww


299 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:28:10 ID:xCIam0Ik]
あと>>296
>>それだけ家康の統治能力がすごいてことだよ
ちょっとまて確かに蒲生にケチ川とバカにされるだけのケチッぷりからして
節約面ではあれだが、逆にけち過ぎて人材が集まらず、ケチ特有の不信で味方の人望も
失って結局関が原の敗戦で大敗した
反面教師でしかないはずだが?



300 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:29:12 ID:JB1JJFuy]
畿内から出たことあるじゃん。
大津京とか。

徳川幕府が治めてた時代(江戸時代と呼ばれている)は日本史上最も平和だった。
だから、文化的にすごく豊かになったし、江戸はすごく発展した。
やっぱり家康はすごい。
あと、2代目の秀忠もなかなかよかった。


301 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:32:26 ID:JB1JJFuy]
とにかく家康はすごいから。
じゃあ俺は忙しいからこれで。



302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/06(月) 22:56:23 ID:En+G4gw2]
なんなんだ、この電波?
東軍厨もここまで来るとあれだな。

303 名前:297 mailto:sage [2006/11/07(火) 00:00:59 ID:tHBtLFu6]
ここまで愉快なやつは珍しいな。

しかし大津京があったか…。
kityに普通に間違いを指摘されると悔しいな。

304 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 02:36:52 ID:ZWVgeYyN]
なんで幕府が治めて平和になって、文化的な発展やら都市の発展やらが起こるんだ?
幕府って、所詮基本は戦時体制だろうに
戦国時代の気風が残ったままってのも危険だし、なしくずしで家康が天下を簒奪したんじゃ
収まりがつかんだろう
日本中が富国強兵の嵐になりそうだが

つか文化的に豊かになったって、武士がまがりなりにも文化的な発展に
貢献したと言える時代なんて安土桃山ぐらいだぞ
幕府をおいたって言う江戸で文化が発展するなんて不可能だと思うが

305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 18:01:03 ID:e3TuKHKi]
西軍が勝ったとか妄想はやめろよw
畿内人のコンプレックスもそこまで行くと恥ずかしいよw
石田は斬首、宇喜多は島流し、上杉毛利は30万石に減封、豊臣は60万石に格下げ。
これが真実。どう足掻いても歴史は変わらんだろ。

まあ、あの後、どこでどうなったかは忘れたけど南部様が征夷大将軍に任命されて日本は一揆文化が花開いたよね。
さ、俺も週末は接待一揆だ!

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 18:10:04 ID:QnEBFxdJ]
>>305
脳内一揆、乙

307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 19:11:00 ID:7Z0kdClq]
>>305
>石田は斬首、宇喜多は島流し、上杉毛利は30万石に減封、豊臣は60万石に格下げ。

初めの3者はともかく、なんで豊臣が60万石になるんだ。
家康だって豊臣のために戦っていたのは間違いないだろ。
せめて理由ぐらい何か考えてみ。

ちなみに、徳川幕府ってのは、本当にあり得るかもしれない。

関ヶ原から十余年。大阪城にて。
秀頼「今度こそ朝鮮や明を攻めようぜ。」
秀忠(もし生きていたら家康)「無理っす、勘弁してください。」
秀頼「じゃあ、琉球やアイヌで我慢してやる。お前、大将になれ。」
主命により、徳川家が文字通りの征夷大将軍に就任。
外征後もそのまま警察機構を担当するとか。
だったら、武力が不要となった豊臣関白家を中心に、公家文化が復興。

……でも江戸が東の京なんてことはないな。
当然遷都もない、せいぜいが行幸するぐらいだろ。

308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 20:40:54 ID:e3TuKHKi]
>>307
はぁ?徳川幕府?いつ俺が徳川の狸が幕府を開くと言った?南部様が幕府を開いたんだよ。
舐めてんのか?土一揆起こすぞゴラァ!

豊臣が60万石に格下げは南部様が分捕ったからだお。
豊臣の大老として自分の家臣に豊臣の領土を分け与えたんだよ。
だから畿内はほとんど南部領。三日月の兎も呆れる一揆熱。これだよ。

309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 21:02:23 ID:7Z0kdClq]
>>308
確かにあんたは言って無いな。
「徳川の狸が幕府を開くと言った」のは>>292
まあ、タイミング遅れのレスで引用もせずに書き込んだから、勘違いされても仕方ない。すまねぇ。

で南部は、やっぱり津軽を滅ぼすの?

310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 21:31:26 ID:KvXiTPMg]
仙台の一つ目小僧に悪戦苦闘していた南部がどうやって幕府を・・?

それと>>305>>308
このスレの主旨は「もしも関が原で東軍が勝っていたら?」だ。
>>西軍が勝ったとか妄想はやめろよw
この言動が、おもいっきり横道にそれている件について・・


311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 22:14:30 ID:7Z0kdClq]
東軍が勝った場合を想像しているうちに、自分で本気にしてしまったんだな…。




312 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/07(火) 23:16:48 ID:e3TuKHKi]
>>311
そうなんだよ…。>>310さんスマソ。
だってよぉ、うちの岩手県いいことねぇからさ。もし関ヶ原で家康が勝ったらうちもその恩恵を賜ることが出来るかもしれないだろ?
関東が田舎だって言ってるけどよぉ、その関東にまで東北は馬鹿にされてるんだよぉ。
石田が何してくれたってんだよ!豊臣が何してくれたんだ?何もしてくれないだろ?
もし家康が勝ったら関東が日本の中心になって東北は関東の直近の地域になってただろうからさぁ・・・。
南部さまは伊達に馬鹿にされるは津軽にゃ裏切られるわ、いいとこねぇんだよぉ。
東北の主な産業は出稼ぎだからなぁ。これじゃあ植民地だよぉ。



313 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 00:36:29 ID:poB3tUoo]
同じ東北でも、山形と福島以外は酷い有様だからな…。
上手く立ち回った仙台と津軽はそこそこ発展してるが。

314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 01:27:02 ID:XWApI9RH]
上手く立ち回ったのは秋田だろ
関ヶ原前の行動は灰色なのに、事後は見事に白と言い切ったからな
伊達と津軽は取りつぶしになるのを回避しただけで、発展なんてレベルじゃないぞ

315 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 16:16:25 ID:xXytZ913]
もっと遊ぼうよ。せっかくのスレガ台無し。

豊臣が勝ったのは事実だから、徳川が

幕府を開いたら、どうなったか、なんて

妄想はやめようよ。

316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:04:15 ID:5KklyhGt]
いや、スレタイは関ヶ原で東軍が勝っていたら、なんだが
徳川が幕府を開いたらって妄想も、あながちスレタイからは外れてないような

317 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:41:59 ID:AfIGr5hW]
話は代わるけど
>>210-214の会津加藤家を継いだ保科正之って伝承だと秀忠の隠し子なんだよね

みなもと太郎の漫画で知ったんだけど

318 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 17:59:31 ID:3rJGJRRZ]
>>317
会津加藤家を継いだんじゃなくて家老かなんかだろ保科正之。
清正にはちゃんと子供がいたよ。

319 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 18:05:26 ID:Xu1IbQkE]
不肖の息子がね…。

320 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 20:52:16 ID:f0ere92D]
>>316
仮に徳川が勝ったとして、将軍になんかなるか?
鎌倉・室町幕府の将軍家を見ろよ。

321 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 21:28:50 ID:NS+71aab]
徳川がもし勝っていたら、おそらく三河が首都になってたかもしれんで。
関東からは出て行くやろ



322 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/08(水) 21:37:49 ID:h1aU1Rc0]
東軍が勝ったなら、家康は将軍になったかもしれない。
でも、秀頼が成人した時に政権を返したと思う。
律義だし、秀吉との約束を破るわけがないからな。

323 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/08(水) 21:38:19 ID:3rJGJRRZ]
>>320
 江戸に幕府を開いて江戸幕府(ちょっと笑えるネーミングだ)というのが
東軍厨の定番ですが?
東軍が勝ってたら豊臣家は関白にして、自分は室町での鎌倉公方とかのように
東国を預かる征夷大将軍になってだなー幕府ってーのもありかと思う。
>>321
それはないと思うよ。駿河のような気がする。
結構すごしやすく、東海の要衝であり、
家康が育ったのあそこだし、三河は逆に古い連中が多くて
やりにくいだろ?

324 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 15:59:01 ID:Ai3lfZIF]
>>323
ナンバー2が実権をもつというのが、日本史の常だしね。
家康なら、それを選ぶだろう。
律儀という名声も、権力も、両方手に入れることができる。

325 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 19:25:50 ID:uVJirHuz]
江戸に律儀に居を構える必要はないでしょ。
普通に考えたら守りが堅い小田原に移すんじゃないの?

326 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 20:01:13 ID:Ai3lfZIF]
仮想敵国がどこか、にもよるね。
もし敵が北にいるなら小田原、西にいるなら箱根以東と思う。

327 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/09(木) 22:45:51 ID:pajD3B1Q]
仮想敵国といっても、東軍が勝ったら家康と正面切って争えるのは居なくなるぞ
西軍大名の領地召し上げて徳川とその譜代の石高がかなり増加するだろうし
東軍についた伊達とかが百万石超えたりするかもしれんが
徳川と対等以上に争えるのは豊臣家だけになるんじゃないのか?
あとは不満を持つ大名の連合かな

328 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/09(木) 23:31:17 ID:GcAvnp34]
秀頼は、さすが、真田幸村が「りりしきお姿」

と言うだけあって大将の器成り。

約束を渋り、豊臣をつぶそうとした家康に

大阪の陣にて、伊達政宗の寝返りにて、

逆転勝利。江戸の陣にて、ついに徳川滅亡。

329 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 00:31:43 ID:AcoMidCA]
大坂の陣?
何を言ってるんだ?

330 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 03:12:11 ID:+iWrorh+]
関ヶ原で東軍が勝利した場合、家康は次に豊臣家を滅ぼすんじゃないかというifでしょ
まあ生涯律儀者で通してきて、太閤殿下に信頼された家康が
主君殺しをするなんてのはちょっと想像つかないが
そうなったら福島両加藤黒田みたいな豊臣恩顧の大名が黙っちゃ居ないよ

331 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/10(金) 03:37:32 ID:NbKM3KXe]
律儀だけで乱世を生き延びられたと思っている平和ボケが来た。
ソ連の傀儡だった社会主義体制が崩れて17年も経つのにまだ奴らの洗脳が残っているとは。



332 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 04:39:17 ID:td0tkI5N]
>>331
そんなIFを言っても仕方ない歴史を見て
生涯果てる迄に律儀にも忠臣であり続けた家康が
主家を滅ぼすとする方が難しいという事だ
歴史的裏付けもなく破天荒なifを認めるなら
例えば本能寺の秀吉黒幕説や
秀秋公内通説なども認めなければならなくなる
どうせ東軍勝利のスレにしてもせめて前後の史実には
合わせて考察したい。

333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 15:50:15 ID:YUyqmB5u]
本当に律儀ならば、秀頼が兵を挙げた時点で江戸に蟄居謹慎するだろ。
のこのこ関ヶ原まで上ってきて戦ってる時点で政権簒奪の意思有りと見るべきだよ。
まあ、石田も毛利も宇喜多も少し後ろめたい気持ちはあっただろうな。
家康も豊臣の大老として出陣したんだからさ。
家康の立場からすれば豊臣の大老として出征したのに何で自分が討たれなきゃならんのだ?って感じだろうし。
それに、賊だろうと朝敵だろうとやっぱり自力救済の観点から自分の身は自分で守らなきゃならんだろうし
家康が豊臣方と戦ったのも止むを得ないと見るべきかな?こんなこと言うと徳川厨と言われるのがオチだけど。
それにしても赤備えの井伊が真っ先に裏切ったのはうけたな。やっぱりアイツは外様だって話だよ。


334 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:02:39 ID:2OTVaJlx]
あれは旧武田家臣団が造反したんじゃなかったっけ?

部下にあたりがきつくて人切り兵部とか呼ばれたほどだから
うべなるかなという気はするが。

335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:03:01 ID:Zaj40cUL]
仮に東軍が勝ったとしたら、当然正則や清正などは大加増だな。
まぁ、遠国だろうが。

その場合、こいつら危険だと思うんだよ。
難癖つけられて改易されるか、最悪の場合暗殺なども考えられる。

そうやって徐々に豊家の力を削いでいきそうだな。
律儀な家康と愚鈍な秀忠がそこまでやれるか分からんが。

336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 16:25:39 ID:CDfjLC2t]
>>335
それはないw
豊臣恩顧として政治的に太いパイプを持つ両名は加増・懐柔されて
重く扱われるんじゃないのか?それに稚拙な推測だけど
新生豊臣政権の五大老として同格にあがることも考えられる。
まあその場合は筆頭大老は家康だろうから同格ではないが。

337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 20:01:11 ID:Zaj40cUL]
>>336
うん。それが一番ありえそうな感じだね。

338 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 20:14:28 ID:7bUpYe+/]
>>334
そうそう。
家康は親心で歴戦の猛者の赤備えを直政の配下につけたんだろうけど、
直政はそれに驕っちゃったんだよな。
本来なら敬うべき人生の先達たちをゴミのように扱うという愚挙に出た。
配下に不満が溜るのも当然だな。
井伊直政は家康の籠臣だから、下手に反抗できないし。
で、その不満が家康にとっては最悪なタイミングで爆発した訳だ。

家康もつくづく運がないな。
部下を大切に扱ったといわれる大久保忠世に赤備えを預けてれば
面白かったんじゃないかなと自分は思う。

339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 21:14:08 ID:ifq1LsSQ]
でも忠隣だぞ。関ケ原時は。

340 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:09:32 ID:RIo6h0NT]
神君である家康公が関ヶ原で負けるわけないだろw
お前ら妄想は程々にしておけよwWwWWWwwWWWww

341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:23:16 ID:4HN5f7/I]
無双のやりすぎ



342 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:47:46 ID:QtI1g01P]
>>340>>341
スレの空気読め。

343 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:51:57 ID:TDbX4YlQ]
>>340
可哀想に…
ほかの東軍ファンほど史料を知らないから
こんなことしか言えないんだな。
全く可哀想に…

344 名前:341 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:54:11 ID:4HN5f7/I]
>>342
読んでるレスのつもりだったが…。

345 名前:342 mailto:sage [2006/11/10(金) 22:57:44 ID:QtI1g01P]
ごめん>>341
>>340の浮いた発言の後だったので・・ごっちゃになってしまったよ。

346 名前:341 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:00:20 ID:4HN5f7/I]
いえいえ。案外340も、突っ込み期待な気もする。

347 名前:342 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:04:01 ID:QtI1g01P]
 それはともかく>>340のいってる神君とはなんぞや?
家康のこといってるのかな?
あの律儀だけが売りの田舎大名が神として祭られるなど
ありえなさすぎなのだが。

348 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:05:32 ID:4HN5f7/I]
>>339
たしか、忠憐が部下をてなづけているのは、謀反をたくらむ意思があったから、という小説をみたことがある。
例の東軍勝利話の派生ものだけどね。

349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:08:29 ID:SKH5icEL]
>>347
無双ってゲームだと家康でプレーして関が原で勝つこともできる。
そうするとエンディングで家康が神君として300年の太平の世が・・・
となる。だから>>341が無双のやりすぎと突っ込んだ。

350 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:13:49 ID:4HN5f7/I]
そういうことです。

351 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:17:11 ID:X63f+rE1]
>342
無双の最新作やってないのか?
なんだか知らないが、東軍武将のシナリオがえらく強化されてる
最近東軍厨の社員増えたのかな
東軍武将キャラの何人かは、クリアすると家康が天下取るし
家康モードだとなんちゃら大権現とかって駿府のあたりに奉られる
厨全開のシナリオでかなりぶっ飛んでるんだが、>>340はその辺りの突っ込み期待レスかと



352 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:25:08 ID:RIo6h0NT]
お前ら家康公が東照大権現として祭られてることも知らないのかよw
小学校から歴史の勉強やりなおせよwwWWwwWw
ゲームの中の話じゃなくて、本当のことだよ。
家康公は関八州の守り神となってる。
やっぱり家康はすげー。


353 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:30:04 ID:8N5iwFPq]
これが東軍厨か

354 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:54:58 ID:HNST1VCg]
下は、某ページからのコピペだけど、東軍厨って、この「勝ち組」と似たようなものかもな。

[1:ハワイの勝ち組]
昭和30年(1955年)の秋に私は海上保安大学の練習船でハワイに遠洋航海に行きましたが、
その当時ハワイに住む日系人の間には日本の敗戦を未だに信じない勝ち組と、
敗戦の事実を率直に認める負け組のグループがありました。


[2:ブラジルの勝ち組、負け組]
ハワイは日本に近いせいか勝ち組、負け組による大規模な抗争事件は起きませんでしたが、
日本から遠く離れ地球の裏側にあるブラジルの日本人社会では、
太平洋戦争に敗れ無条件降伏をしたのは、日本ではなくアメリカでした。
そしてこれを認めない者は、非国民とされました。

355 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/10(金) 23:55:59 ID:UbrhHrzD]
東照大権現って、ネーミングセンス無さ杉w
大体、関東には鶴ヶ丘八幡宮があるだろ?

356 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 00:07:45 ID:sDh6EVE3]
待て待て、関東を守護する武将といったら板違いだが忘れちゃいけない方が居るだろう。
家康よりよほど霊験あらたかそうだぞ?

357 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 00:27:44 ID:L6i69AAF]
ああ、将門公。
関ヶ原で負けたのは、そのたたりかな。

358 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 01:20:02 ID:Bgnjpoup]
平の将門は関が原では、徳川家康に勝たせたかったであろう。

なぜなら、源氏,兵士問わず、東国を首都にしようとしていた

徳川家康、平将門も、宮廷を裏切ってでも『東国」を首府にして

統治しようとしていた。平将門は、『逆賊」ではない。

いつも、相手にいくさを挑まれ、また、館を襲われ、また、

不意撃ちをされ、焼き討ちをされ、やむなく,立ち上がり、

正義の勝利を重ねる途中で、東国の、各郡司を攻略するしか

生きていく方法がなかったのだ。平将門ほど、民衆に慕われた

貴族はなかった。其の点、{田原淘汰」は一瞬のすき、将門が

兵を引いた瞬間を捉えて、宮廷より、{将門討伐}の命を受け、

挙兵した。最後まで、将門の勝利は動かなかったのだが、

平将門勝利今、一歩、田原の淘汰まで、あと50Mというとこで、

風向きが突然変わり、将門の馬が立ち往生、その瞬間に逆に

淘汰の矢で、将門は頭を射抜かれてしまった。

家康は、将門のうらみを「豊臣の公戦」として

西軍に勝利した。つまり、天皇にかったわけだ。

将門の恨みはなんと、500年近くの年月を得て

晴らされたのだ。そういう意味で、家康と将門は

源氏,平氏の違いはあるが、友達ということがいえる。

359 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 01:20:57 ID:Bgnjpoup]
平の将門は関が原では、徳川家康に勝たせたかったであろう。

なぜなら、源氏,兵士問わず、東国を首都にしようとしていた

徳川家康、平将門も、宮廷を裏切ってでも『東国」を首府にして

統治しようとしていた。平将門は、『逆賊」ではない。

いつも、相手にいくさを挑まれ、また、館を襲われ、また、

不意撃ちをされ、焼き討ちをされ、やむなく,立ち上がり、

正義の勝利を重ねる途中で、東国の、各郡司を攻略するしか

生きていく方法がなかったのだ。平将門ほど、民衆に慕われた

貴族はなかった。其の点、{田原淘汰」は一瞬のすき、将門が

兵を引いた瞬間を捉えて、宮廷より、{将門討伐}の命を受け、

挙兵した。最後まで、将門の勝利は動かなかったのだが、

平将門勝利今、一歩、田原の淘汰まで、あと50Mというとこで、

風向きが突然変わり、将門の馬が立ち往生、その瞬間に逆に

淘汰の矢で、将門は頭を射抜かれてしまった。

家康は、将門のうらみを「豊臣の公戦」として

西軍に勝利した。つまり、天皇にかったわけだ。

将門の恨みはなんと、500年近くの年月を得て

晴らされたのだ。そういう意味で、家康と将門は

源氏,平氏の違いはあるが、友達ということがいえる。

360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 01:50:41 ID:L6i69AAF]
そっか、どっちも関東勢で、無理難題をふっかける京都勢力と戦うという点では一致しているか。
将門公には、きっちり三成を呪って欲しかったな。

361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 04:29:33 ID:rzMdhQU+]
テレビで「暴れん坊関白」観る度、正直複雑な心境になる。
キノケン演じる豊田新之助(シンさん)のキャラクターがまたとても魅力的なだけに
・・余計に滅びた徳川の悲哀が引き立つというか・・単純に勧善懲悪を楽しめばいいんだけど
つい戦国ヲタの悲しい性でいろんな妄想をしちゃうよね。
マジレスすまん。













362 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 05:53:17 ID:W0PiFzCN]
キノケンって最初なんの事かわからなかった。
木下健かw

363 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 07:29:18 ID:EQhuXRgv]
>>362
常識だろ。
あまりテレビとか見ないの?

364 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 07:53:15 ID:W0PiFzCN]
>>363
うんあまり見ない。
そういえば何年か前に流行ってた「キノケンタンゴ2」、役柄とかと全然違うんで思いもよらなかったが歌ってたのって木下健なの?

365 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 08:30:16 ID:EQhuXRgv]
そう。
てか、役柄と違わなくね?

366 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/11(土) 14:35:10 ID:popZVpWA]
でも関ヶ原後に江戸に本拠を家康が置いていたら、
江戸も今は大きな町なんだろうな。
小田原ジャイアンツとか川越ライオンズじゃなくて、
江戸ジャイアンツだったりね。
平成の大合併で、豊島市と江戸市が合併で、
むさし市なんて間抜けな名前になったけど(笑)。

367 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 15:17:25 ID:n2JGAdCt]
 上記で、何が理由で維新が起きたのかの発言があったな。
あの時点の事情は難しく、又スレ違いなので詳細は避けるが
要約すると
鉄道敷設に関しての闘争だ。
欧州は英国で敷設されつつあった蒸気機関車の鉄道を
ノウハウのある英国が日本に敷設しようとしたのがきっかけ。
 石田大老が強引に鉄道敷設を近江を中継地とすることで
利権を一手にしようとしたのも問題あったな。
安政の大欲とか弾圧事件もあって、結局維新となった。

 清水 義範氏の著書「鎖国ニッポン」は関が原で東軍が勝っていたら
という設定で、こっちは家康が江戸幕府を開き豊臣を結局滅ぼし
300年近く太平を築くが交易を禁止し鎖国した為
時代の流れに取り残され蒸気船の黒船来航で一気に維新にいたる
という流れであった。

368 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/11(土) 22:57:01 ID:N+WO/t86]
この前の大河見て気になったんだけど、何で東軍が勝ったんだ?
しかも、明日は石田大老の切腹だし・・・。

369 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 00:27:56 ID:zMPD50QJ]
このスレすげぇよ、秀逸だ。

370 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 00:43:51 ID:W1nN3dOe]
>>368
NHKが視聴率に走った結果。
大河ドラマ板でも叩かれていたよ。

>>367
「鎖国ニッポン」というか、東軍勝利→徳川将軍家 って流れの話は、
豊毛時代後期には成立していたらしいよ。
関ヶ原で東軍だった(元)大名家のいくつかに1820年ぐらいの写本があるから。
現在有名な明治期の小説・講談の下敷きはそれ。

371 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 21:43:49 ID:T4cxFpOo]
いや、おまいら我らが政宗公のお陰で西軍が勝てたんだぞ。
直江が取り繕って豊臣家でいい位置とって、
江戸の陣で勝てたのも政宗のお陰。

てか、東軍勝ったら直江と伊達が黙ってなくね?
だって関ヶ原は直江の挙兵があってこそでしょ?
石田との共謀だったんだから。
そしたら直江は伊達と一緒に挙兵すると思う。



372 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/12(日) 23:41:48 ID:uvHcCXqi]
政宗厨ktkr
政宗は東軍の南部の一気扇動してたんですぅ、だから西軍何ですぅとか弁解状おくった奴だろ。
上杉の白石城を攻め落として、最上に援軍派遣しておいて良くいうぜw

373 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:31:35 ID:jelVhzYG]
もし東軍が勝っていたら・・・俺たち歴史好きをくすぐらずにはおかない、
もはや普遍のテーマと言っていいね。まあ一般人からは奇人扱いだけど(笑)。
自分が思うに、もし東軍勝利であったなら・・仮にも三国一の忠義者と謳われ
六条河原であの「家康死すとも豊家は死せず!」の名言を残した家康の事だ、
又違った形で豊臣政権の基盤を磐石なモノにしてくれた・・と敢えて信じたい。
家康は後世でこそ自分の器を勘違いした田舎大名という評価になっているが、
戦犯として監禁された折に薬草と擦りこぎ道具を所望し、悠然と薬を煎じて
いたという。爆笑しながらその姿を眺める門番に「人の一生とは重き荷物を
背負うて道を行くが如し。じゃが体が弱ってはその荷物も持てんじゃろうが!」
と言い放ち、さらなる爆笑を誘った下りなどはまさに尋常でない胆力というか
家康再評価の必要があるんじゃないのかな。
後年、西洋の軍人が関が原の布陣を見て「何故東軍が負けたのか?」と驚いた
というが、確かに紙一重の差で東軍にとって不運な出来事が多すぎたよね。
家康にしてもまさか松尾山に放った大砲を秀秋本人が喰らい爆死するなんて
想像もしてなかっただろうし、細川・藤堂の裏切りも同様だったはず。
(もっとも二人の変節はキャラからいって想像の範疇だったかもしれないけど)
いずれにせよ東軍が勝っていた可能性は充分あったわけだし
一度空想戦記みたいな形でそれを映画化してほしい(願)!
余談になるが再来年の大河がまた「忠臣蔵」に決まったらしい。
・・・がいい加減飽きたよ(同じ思いの人もいるんじゃないかな?)
関が原後に秀秋の兄を立て復興を図った小早川家が、三成の「実は家康と
通じていた寝転武士である!」という讒言のもと御家断絶を余儀なくされる。
がその百年後、密かに主君の名誉回復を伺っていた陪臣の子孫達が
大老石田六成を討ち果たす時を越えた仇討ち劇・・・確かにこういう
ストーリーが日本人好みなのはわかるんだが手垢が付きすぎ。
これやる位だったらもうそろそろ「大河ドラマ 義に生きた男徳川家康!」
・・・解禁してもいいんじゃないか?











374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:37:04 ID:WptgGBGW]
2chで関ヶ原で東軍が勝つにはってスレがたったことある?
探したけど意外にも見つけられなかった
やっぱりあの布陣じゃ無理なのか・・・

375 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:43:28 ID:WptgGBGW]
>>373
おおお???
東軍の布陣、勝てる要素あったのか?
と思ったら、後の関白秀秋公が死んでいる・・・ネタかorz

376 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 00:45:40 ID:8dqUM7KV]
秀忠の本隊を待って決戦に持ち込めば、野戦の得意な家康のことだし勝ちを拾える可能性はあるが
もたもたしてるうちに関東に上杉がなだれ込んできたりしたら目も当てられんし、
秀頼公ご出陣でもあろうもんなら戦う前から東軍総崩れみたいなもんだし
やっぱり負けるべくして負けたんだろ
上杉に釣られて上方をお留守にした時点でもうアウト

377 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 01:12:52 ID:WptgGBGW]
>>376
やっぱねぇ
本隊無しでの最終決戦ってのがまず頭オカシイしな
だから秀忠は親父殺しと陰口を叩かれる
しかしこのスレでも最初のほうで少し議論されてたし、東軍厨あれだけいるのに専スレ無いんだな

378 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 11:55:17 ID:Se2jPwje]
東軍厨の妄言はIFとかそんな次元じゃないからなあ
秀秋と広家が内通してたなんて真顔で言う連中だぞ?
負けたのは奴らのせいとか言い出してるからまともな議論ができるわけもない


379 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 14:01:18 ID:YfCdcC6L]
>>378
え、ここってそういう困った君たちの隔離スレじゃなかったっけ?

380 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 19:23:46 ID:QBoyal18]
>379
後ろ、後ろ〜

381 名前:6 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:01:15 ID:2J8Csm3m]
こんばんわ>>6です
つかなんじゃこりゃwww√ ̄\∧√Уγ¬√Wwwwwwww
おまいらおもしろすぎなんじゃああああああwwwwwwwwwwwww

ということで戦国初心者の俺様に関ヶ原後の歴史の流れを教えてくださいw



382 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:29:27 ID:d1wV2dL+]
>>381
貴殿と漏れとの掛け合いが、きっかけで、こういう展開になったんだよ。
まさかみんなが、ここまで乗ってくるとは思いもよらずってとこですね。
とマジレスしている漏れは、このスレの>>7だったりする。
 このスレの>>1にも意見を聞いてみたいところだな。


>>関ヶ原後の歴史の流れを

はっきり、申して、いまだ未知の部分が多いんですわ。これが・・・
 (というか、全部いっぺんに決めてしまっては逆に面白くないんでというのが本音)


383 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/13(月) 22:37:04 ID:d1wV2dL+]
>>378
 まあ、仮にでも秀秋と広家が内通してたとしよう。
でも関が原の布陣を見たら、いっぺんで気持ちは変わるな。
恩賞も魅力的だし。
 多少世話になったとはいえ田舎モノの家康の下につくより
自分が関白として豊臣の頂点に立てるチャンスを棒に振る
バカはいませんよ。
関が原で勝利の後
秀秋公は関白として天下を・・
広家公ははれて毛利の陪臣から直参大名に格上げ石高も倍増
だしね。


384 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 01:34:40 ID:GhD2Z0Wc]
>>382
>>関ヶ原後の歴史の流れを
>はっきり、申して、いまだ未知の部分が多いんですわ。これが・・・
そろそろ地域別、または大名家別に判明している部分を整理したいね
関ヶ原後の資料はとても少ない

385 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 06:14:04 ID:LAJaglgU]
西軍
総大将 毛利輝元
首謀者の石田三成
輝元の従兄弟の吉川
秀吉の甥の小早川
三成の親友の大谷吉継
豊臣政権で優遇された上杉
義勇兵で集った島津義弘
その他、豊臣恩顧大名

東軍
総大将 徳川家康
馬鹿息子秀忠
好き勝手暴れて信用できない伊達・黒田父
変節漢藤堂
頭が足りない福島・加藤
甥に見捨てられた最上

なんかやる前から結果見えてたような面子だな
当時の人間はそんなこと思ってなかっただろうけど

386 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/14(火) 22:08:39 ID:b8gvC4p+]
とりあえず東北地方の纏め。但し記憶が曖昧なので補足よろ。

【青森】
津軽地方:津軽
下北地方:南部
(互いを牽制させる)

【秋田】
海沿い:秋田
横手:最上(後に改易)→小野寺
湯沢:片倉(加増移封と言う名の分断策)

【岩手】
全域:天領及び小藩多数

【山形】
内陸:上杉(直江)
庄内南部:大宝寺
庄内北部:小野寺(横手に移封後は大宝寺)

【宮城】
全域:伊達(但し白石一帯は分家が治める別藩とされる)

【福島】
会津:上杉
その他:東軍武将や日和見武将達による小藩多数

新潟は言わずもがな上杉。茨城も佐竹が安堵だったはず。

387 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/15(水) 01:16:02 ID:OZY7Ox6u]
佐竹については>>112-114あたりに詳しい
他に>>221に記述有り

388 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:12:00 ID:eyRby4qZ]
>>375
家康の陣をもう少し後方にしておけば、毛利に背後を付かれることは無かった。
この点さえ抑えておけば、
西軍大将格の石田や宇喜多の軍勢は最前線に露出していたんだから、
加藤や福島がもう少し気合入れていれば、勝てたと思うんだけどな。


389 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:34:24 ID:Fr3cI2dK]
>>388
 あの布陣では多少の変更では勝ち目は薄いだろうね。
伊達に関が原の合戦は「勝つべくして勝った戦」などといわれていない。
>>384>>386
あの時分は
盆栽政策と称される大名鉢植えの時期だからちょっと総括が難しい。
 徳川打倒の功労者といえる上杉にしてから直江は関東鎮撫に借り出され
景勝は奥羽平定に借り出され、
西軍総大将の毛利輝元は大阪詰、輝元代理の秀元は関東鎮撫に借り出され
吉川は秀秋とともに九州鎮撫に借り出され
といってみんな本土を留守にして全国支配体制の再構築と安定に尽力
していた。
 又江戸の陣で大規模な転封と論功行賞が行なわれてるし・・

390 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:41:30 ID:t5kOagm8]
不勉強で申し訳ないんだが、関が原で敗北した家康は斬首されたんだっけ?
江戸の陣の大将は確か秀忠だったよな。

391 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:53:29 ID:Fr3cI2dK]
>>390
上のほうに出てるが家康は斬首(というか切腹という説もある)。
ただ生存伝説で家康は豊臣家で暗躍した南光坊天海だともいわれている。

 人質として忠輝が大阪に行くことで徳川は存続した。
忠輝は秀頼と同年代で気があったらしく奉行ともなり岡崎10万石で大名として
徳川を再興している。家康の息子で大名として残ったのは忠輝だけ。
ゆえに東軍厨の妄想徳川勝利絵巻では忠輝は家康の息子でただひとり
改易される運命に描かれてる。

ただ秀康はあらぬ濡れ衣で八丈島行きになっている。
彼の息子が結城と松平として尾家存続している事を見るに
秀康を遠島にしたのは、江戸の陣で秀康が江戸城に入ることを
恐れた隔離であったという説が正しいだろう。



392 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 19:59:24 ID:huXzFDLw]
秀康は秀頼、三成とも懇意だったから、納得尽くで取引したって説もあるな。
本人父親とは折り合い悪かったみたいだし、秀忠じゃ不甲斐ないと思ってた
徳川の武闘派連中に担ぎ出されるのを嫌がったって話もあるし。

393 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/16(木) 20:10:19 ID:Fr3cI2dK]
政権構成は
【豊臣氏長者】豊臣秀頼
【関白太政大臣】豊臣秀秋
【五大老】
石田三成
毛利輝元
上杉景勝
宇喜多秀家
小西行長

【五奉行】
増田長盛
長束正家
前田玄以
安国寺恵瓊

三成が抜けた穴には三成の推挙で親しい田中吉政がはいってる。
これまた東軍厨の妄想徳川勝利絵巻では敗走した三成を捕縛する
役回りになってる。

あと
【大目付】真田昌幸
【秦者番】
いわゆる豊家直轄軍として旗本八万騎を編成したが、その指揮官としての
秦者番に1万石として直参昇格した島左近をあてた。


 とおもう。違っていたら訂正よろしく。


394 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/18(土) 09:58:26 ID:yBU7oW/+]
保守

395 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/19(日) 21:00:48 ID:SHm8SHwp]
家康が政権を握ったら農本主義的政治になるという人いるね。
俺もそう思う。
近世のころからある産業を考えると、有田焼、萩焼といった焼き物があるけれど、
家康が政治を握ったら、実用性より華麗さを追求した焼き物産業は、成立しなかったかもね。

>>393
五奉行までは合っていると思う。その下は知らん。

396 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 02:24:52 ID:FdazG3IR]
皆五大老の面子やら豊臣政権の基盤みたいな細かいことは学校で習っても忘れてるぞw
ここは「もし関ヶ原で東軍が勝ったら」という東軍厨隔離スレなんだからあまりマジになられても困る

397 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 08:47:25 ID:FyIIPxHW]
>>395
家康なら伴天連どころか南蛮貿易自体を制限するだろうって人もいるよね

398 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 10:14:15 ID:8g7fBWNY]
 まあそうだな。家康は、海外とか交易には興味薄そうだ品。
周囲を固めるのも視野の狭い田舎侍の家族主義経営
これでは南蛮貿易自体を制限するのもありかもな。
 でもそれだとなおさら交易ヤ商業に精通した
西国諸侯や上方商人に出遅れて国力に差がついてくるだろう。
 豊臣の代理に過ぎない家康が西国諸侯の交易を抑えるほどの権限をもてるとも
思えないし・・
関が原の状況からして、圧倒的勝利は難しいから和睦で勝利するのが関の山
であろうから
おそかれはやかれ関東徳川は時流に取り残されていってしまう結末に大差は
ないかと・・

399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 12:05:30 ID:OEgQQKF/]
スペイン・ポルトガルといった南蛮諸国が没落し始めてたから、別の地域に貿易のターゲットを移すんじゃないか?
イギリスとかオランダとか…

400 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:29:25 ID:HLZ7Glfn]
漂着オランダ船の航海士を江戸に抑留した家康が?


401 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:58:18 ID:FdazG3IR]
ヨーステンいう南蛮人が関ヶ原後に漂着したらしいけど、
輝元の命令で積荷を奪って処刑したらしい
当時結構な問題になったそうだ



402 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:52:48 ID:ICqumv1I]
南蛮とは特別仲良くもなかったみたいね、家康。
アダムスを抑留したのは、大砲やその打ち手が欲しかったから、というのが第一の理由なんだろうけれど、
紅毛との通商の駒として使うつもりもあったのかな?
殺すよりマシとはいえ、抑留したら恨み買うだけなのにな。

……てことは、紅毛貿易に取り組むとしても、結局失敗。
いずれにせよ、西洋文明とは疎遠になるのは必至か。

403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:55:18 ID:8g7fBWNY]
>>401
処刑したっけ?捕虜として確保した後のことはよく知らんけど
存命してたという記憶がある。
揉めてたのは揉めてたよな、何が理由でヨーステンやアダムスいう色目人
で問題になったかは分からないけど。
 
>>399 そこまで積極的に貿易に手を出したかどうか・・
何せ、東海一の弓取りといえども保守的な風土で育った三河の百姓侍
 家康の天下の場合だと、
土地や富が人口の数パーセントの富豪地主に集まり、人口の大半は
水飲み百姓として子供すら人減らしとして間引きされたり売られたりと、
結構貧しい暮らしを強いられてというパターンになりそうだな。
交易も積極的でない以上、そういった貧しい農業国に陥ってたはず。
 さすがの東軍厨も家康が買って天下を取ったら、そんな具合になるという点では
ある程度一致してると思う。
どこぞの学者だかが、家康が天下を取った場合として
交易の制限と海外渡航の禁止、農業にしか視野のいかない政策
でシュミレートしたところ
300年経過しても人口3千万ほどのまま。秀吉の時分と大差ない状況になったそうな。



404 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:57:15 ID:8g7fBWNY]
豊臣の場合農業以外の商業交易が盛んだったし、海外への移住もあったし
都市部や様々な産業が発達していったから
土地が地主に集中しても、余剰人口の働き口や生活場所はありあまってたしな。


405 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 20:38:51 ID:ICqumv1I]
たしか維新時の人口って、東南アジア居留邦人もいれると5千数百万人だったよね。
海外人口も考慮すると、徳川統治下での人口は、現実の二分の一強か…。

406 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/21(火) 23:56:34 ID:PCwgSEFx]
>>405
新大陸にも大勢渡っているから、その辺の統計を入れると
現実の5分の1弱くらいになる。
さらに日本語を商業用とか公用語として使用する連中を含めれば
10分の1くらい

407 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/22(水) 12:57:58 ID:LRnWK8SN]
しかし、豊臣政権下での徳川家の貶められ方は酷いな…
家康タネ無し説なんてのもあったし

408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/23(木) 22:17:47 ID:7zYgw4Ui]
伊達厨の漏れが来ましたよ。
だから、江戸の陣で騎馬鉄砲隊を率いた伊達軍勢。
これがあったから、豊臣の天下はあるんだろ?

409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/23(木) 22:41:52 ID:5jkkobdi]
ああ、二万の兵で大損害を負いながら三千にも満たない井伊隊を壊滅させたんだっけw

江戸の陣を終結させたのは関ヶ原でも活躍した石田の砲兵隊だろう。

410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 19:15:03 ID:v0nTXhnh]
>>407
秀頼公は豊国明神(秀吉)の御胤ジャないという説のほうが・・・

江戸の陣で活躍したので名の知られているのといえば
毛利勝永関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
長宗我部盛親(関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
後藤又兵衛基次(旧主黒田長政の放免を願って)
塙団右衛門直之(江戸川に入城した加藤嘉明と因縁ある主従)
木村長門守重成(豊臣旗本代表として)
細川五郎興秋(細川忠興の次男で勘当された父に変わり細川家を相続した)
小笠原権之丞(家康の七男で豊臣譜代)
明石掃部頭全登(宇喜多秀家に代わり宇喜多軍を率いた)
といった名のある武将連中が思い浮かぶ。

江戸城では名のある武将はいても
女(お江与の方や竹千代乳母の斎藤氏)が口出しするは
戦争の内容を知らない文官(本多正純とか)が跋扈してるは
裏切り者(豊臣方に内通する細川幽斎や藤堂高虎)がいるわ
で、どうにもらならかったようだし
真田信幸が「日本一の兵」といわれているものの・・
めぼしい兵はいないな。

411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 22:01:59 ID:CbQpxtwo]
>410
確かに信幸は凄かったね。死して名を残すとはまさにこの事だよ。
最強の団結力と謳われた豊臣家臣団が若大御所放り出して逃げたって
言うくらいだからね。
東軍厨じゃないけどなんだか真田戦場跡に行ってみたくなったよ。
でもあそこ駐車場無かったよね。やっぱり佐助線で行った方が楽かな?




412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/26(日) 05:21:32 ID:mveutQs9]
>>411
あと一押し。
あの瞬間に結城秀康が現れたら、秀頼の首は取れた!

413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:30:23 ID:MjwKNH9J]
惜しかったね。
それはさて置き、伊達厨の漏れだが、
伊達家って実際は徳川と仲良くしてたよね?
なんで、豊臣政権で偉くなっちゃったの?

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:33:52 ID:B0/kdvlu]
土下座と胡麻擂りが得意だから

415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 18:48:31 ID:nmFdjXJt]
>>413
偉くなったといっても改易のあと許されて高家としてじゃん
官位だけww

416 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 22:08:34 ID:nsxvIrT3]
そういえば、伊達邸に討ち入りしたのは何藩の浪士だっけ?

417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 00:19:55 ID:vqRqbDme]
>>416
確か神保相茂の家臣

418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 12:29:41 ID:B+wOVRgh]
>417
トン
もう忠臣蔵の季節だな

419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 12:52:45 ID:ahlfWz+7]
東軍が勝つわけないんだから。IFスレツマンネ。
豊臣300年の平和を作った豊国大明神様こそが最強。

420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 13:29:21 ID:Dyo4+1bg]
で、倒幕の中心になった会津藩と奥羽列藩を残してしまったことについてはどーよ?

421 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 14:05:40 ID:8q0DVxc6]
一応、結城朝勝も参陣してたんだけど



422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 17:54:28 ID:ab2OiV8I]
 >>420
はっきりいえば潰して不穏な浪人を激増させるよりかは
減封して生き残らせてカツカツの暮らしをさせた方が
治安的にいい。

でも結果的には
どこぞの藩のように正月挨拶は「大阪征伐の儀はいかがいたしましょう」
と言わせてるような長ーい怨念も残したんだよね。


423 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 21:11:12 ID:pBKGHps7]
>>422
伊達の怨念も凄まじかったらしいぞ
生き残りのためとはいえ、あの正直者の政宗が家臣の元領地にすがって、秀頼にゴマをする屈辱を味わったからな
三成の奥羽コントロールは評価されてるが、あれでは恨みを買うのも当然

悪いけど、東軍が勝ってれば家康はもっと調和を大事にしたよ。家康の人格からしてね

424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 00:06:03 ID:87Y9tfxU]
というかそもそも「数百年後の政治状況を見越せなかった事」を遡って
数百年前の施政を批判するのはちょっと無理があると思うぞ。

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:15:42 ID:H5Fl5UrL]
大名に対する政策とその弊害の因果関係がはっきりしているから、つい批判しているけれど、たしかにそうだね。
あの時点では、あの方法が「最良」といわずとも、かなりの良策だったんだろう。
「豊臣百年の計」という表現もあるけれど、(小規模の地域紛争があるとはいえ)実際のところ政権は300年続いたわけだし。


426 名前:425 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:44:32 ID:H5Fl5UrL]
「計」をつかうなら「国家百年の計」という慣用表現か。
「豊臣の天下を百年とならしめるために云々」と言っていた。テレビで。

427 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 22:37:47 ID:Tjr5bxb/]
 豊臣の天下っていっても東国の上杉、西国の毛利を抜きにしては
語れない安定だがな。

西の毛利は関が原の後、輝元が「六分の一殿」とか「安芸の山名殿」
という風評がたって、禍を恐れて大老筆頭を三成に譲ったが
毛利一族の力は、その後も豊臣や国政を動かし続けたし
 奥羽の件についても上杉の存在がでかい。
景勝が「慶長元和の藤原秀衛」といわれるくらいに奥羽は上杉の
支配下におかれちゃった。

428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:20:37 ID:k/XbS1g5]
>>427
なあ立花宗茂はどうしたんだっけ?

429 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:59:52 ID:Tjr5bxb/]
 立花宗茂・・・
久留米の毛利秀包が秀秋が大阪に出て行った後、筑後博多52万石
を預かって・・その後小早川の家督とともに継承した。
ゆえに秀包の久留米領をどかして筑後一国24万石になっている。
豊臣政権で新たに鎮西探題を設けた際に
これに就任している。
 ようは人材不足だった豊臣(ちゅうか三成)が外様でも信用できて
腕も立つ人材として白羽の矢が当たり九州の押さえになった。
なんせ肥前の鍋島も警戒必要だし
中国筋から豊後、伊予、筑前とくる毛利一門の背後を突く役割を担ってる。
奉行格というからご奉行と同列に政務を論じることも出来たという
重要な役割だ。


430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:05:06 ID:e5wFun/d]
奉行格と言ったら、
織田信包も確か豊臣政権の最高顧問的立場で列席してるよな

「織田の老犬様」の異名で親しまれて、
淀殿・秀頼親子はもちろん三成からの信頼も厚かったとか?

詳しい事おせーて下さい

431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:20:46 ID:DqjITGnN]
>>筑後博多52万石
ごめん筑前だったわww

中仙道の真田昌幸・信繁(幸村の異名があるな)も
大目付という役回りで同じく
毛利に対しても立花と同様の役回りを
上杉に対して担っている。
 真田はなぜだか忍者の管轄を手広くやってる。
東軍にいた柳生を助けて召抱えたりだとか伊賀を飛び地で獲得したりとか
徳川のとこにいた服部半蔵とかを召抱えたりとかしてるしな。
 裏真田とかいって剣術の得意な忍者を真田が扱ってるお話が
けっこうあるぞー
マンガだとカムイ外伝だとかあるし・・
映画だと深作欣二監督で中村錦之助とか松方弘樹とかでてた
「真田一族の陰謀」ってのがあった。

マンガで「子連れ狼」ってのがあるが、
もと公儀の高官だった拝なにがしとその幼い息子が
真田一族と争うというお話。
なお、現代版として週間マ●ガジンに“お●み松五郎”
てのがでている。
これは現代に続く拝一●の息子●五郎の末裔が
ヤンキーとして全国暴走族制覇とか学園支配を狙う真田十勇士と
激闘を繰り広げている。
バトルの後倒した相手を拝んでやるのが特徴。




432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:35:30 ID:DqjITGnN]
>>430
伊勢の津に15万石で復帰(だったよな確か)してる。
が・・
長男の信重とは折り合いが悪くWW、信重は関が原で東軍に属するという
言い訳無用の親子喧嘩をやらかしてあと・・・
家督は3男信則そして彼に息子がいなかったので織田の名跡は
4男信当の子孫に・・・

長男の助命嘆願と人材不足の豊臣家で大阪城の勤めを
請われて信包は家督も譲り剃髪して老犬斎と号しながらも
丹波柏原3万6千石を与えられ奉行格という破格の待遇で
迎えられてる。

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:46:00 ID:u/PwOkkg]
おがみ松五郎すごい好きだったけどそんな設定だったのか。
すっかり忘れてた。

434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 03:17:36 ID:HGiGV+wv]
何故秀頼は江戸の陣まで10年以上も徳川家を放置したのかって論議が
されてるようだけど、やっぱり淀君、千姫といった女衆の意向に
さしもの若関白も逆らえなかったというのがホントのトコらしいね。
実際江戸攻めの際、秀頼自身は秀忠・お江を城から救出し竹千代は
仏門に・・って前線の石田砲兵隊には指示を出してたらしいし。
・・・これはどうみても三成と左近の確信犯だな(笑)。
世間一般には秀頼って「非道関白」とか、ひどいのになると
「十五代関白将軍とならぶ凡庸人」みたいな言われ方をされてるけど
この事を考えると意外に秀頼って器量人だった気がする。
大体比較されてる十五代の豊臣秀喜にしたって大坂城を無血開場するなんて
「凡庸」どころか真の勇気が無いと出来ない英断だったろうし・・
とかく後世の評価というのは気まぐれなもんだと思うよ・・もっとも
秀喜の場合、長宗我部の所を脱藩した何とかっていう志士(名前忘れた・・
誰だっけ?)が実質的な立役者だったんだが・・それを差し引いてもね。
改めて秀頼や秀喜は再評価されてしかるべき武将だと思う。

ただし二人の評価と言っても「我亡き後、必ずイスパニア艦隊を持ってして
豊臣討伐を果たせ!」と遺言した伊達政宗と、300年後ホントにそれを実行
しちゃった伊達藩のスケールには到底及ばないが・・・
さすが「奥州(欧州)飛脚」の国だけの事はある(笑)。




435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/12/01(金) 19:55:20 ID:loCs6w7E]
>>434
維新の時に活躍した伊達と最上の実力は豊臣に隠しての
密貿易によるところが大きい。
 伊達家正室愛姫の子でありながら家督を継げなかった頼宗が
江戸の陣の恩賞と(は名ばかりの)蝦夷地のうち10万石
に飛ばされ、そこからアラスカ領有して金山発掘に成功したあたりで
 最上も北方入植によるシベリア開拓とロシアとの毛皮取引で
豊臣倒すくらいの力はできたろうね。




436 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/02(土) 21:20:36 ID:h1nZ5ek6]
>>407
それはいくらなんでも電波。
関ヶ原以前に6人も息子がいたのに。

437 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/02(土) 23:26:31 ID:OlkAmiOG]
そうだな。
種無しは秀吉だよ。
秀頼は、秀吉の子ではないというのが通説だし。

438 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/03(日) 00:58:36 ID:3gDlMxoD]
いや、腹の中にもう一人子供がいて男子だったらしいぞ。
どっちにしてもそんな子作りしか能が無い男だよ家康は。

439 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/03(日) 13:54:32 ID:ttTytib+]
それで関ヶ原で張り合ったんだから、立派といえば立派?
あの段階で豊臣に対抗できるのは徳川しかいないし。

440 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 14:51:29 ID:wf8Tk0Kj]
最上はずっと豊臣家をうらんでいたからね。
豊臣を倒したとき、千姫と義光の墓所に報告しに言った人も多いらしい。
北条家は1万石しかもってなかったくせに、ずっとうらんでいたのか市民まで動員して豊臣を襲撃する始末。
三成も頭はいいんだけど恨みを残さないことは考えなかったのかな?

441 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/04(月) 22:06:39 ID:bfOnubyB]
日本史における三大忠臣として名高いのは
楠木正成
豊臣秀吉
石田三成
というのはまあ妥当ではあるし

日本史の三大美女として
淀殿がはいっているのはまいいとしても・・

日本史における三大逆賊として
源頼朝
明智光秀
徳川家康
なのは豊臣史観に偏った人選な気がする。




442 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 22:28:33 ID:MX9b6EZW]
辛い幼少時代を送りながら天下人秀吉に見初められ幸せを手にした淀殿は今でも女性の憧れの的だしな

443 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 23:41:57 ID:6RzcDRF+]
>>441
楠正成と石田三成はともかく、
豊臣秀吉は間違っても入らないだろ。
入れるなら(世間的に)大石内蔵助。

444 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:10:40 ID:LEGqSoXq]
>>443
誰すかそれ・・・・・? 

445 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:34:16 ID:/zYyHW8g]
忠臣内蔵助ってくらいだからな。

446 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 08:28:03 ID:Uj6CIk9A]
三成公は神様だしな。

447 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 09:00:21 ID:o1RzSeU4]
神さまは家康公だお

448 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 11:45:12 ID:cawzqQBT]
>>443
戦前に出来た呼称だから今の概念とはあわないよな。
当時は天下人となっても頼朝なんかと違って将軍にならず
関白や太閤で通した秀吉は一応忠臣だったろうけど。

449 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/05(火) 15:01:29 ID:VkGEmQrA]
それにしても役の後に出た大量の浪人達を日本人町の増強に充てた政策は巧いと思う。おかげで山田長政が南蛮に一大王国を樹立した。政策実行者は誰だっけ?






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