- 4 名前:743 mailto:sage [2015/09/07(月) 00:04:49.48 .net]
- スレ立てお疲れ様です
神武天皇〜欠史八代の天皇の実在性が認め難いのは陵墓の存在の不確実性と系譜の不確かさだと思いますが、 開化天皇より前は古墳時代では無く、可視的な陵を見いだせない為だと思います。 神武天皇の岳父である事代主と関係性の深い鴨都波1号墳は弥生時代の方形周溝墓から古墳時代前期の方墳に至る墓域でした。 その墓域は地中深く埋没いていた事などから、可視的に見いだせない、或いは現天皇陵とされた中に存在するのかも知れません。 神武天皇・綏靖天皇・安寧天皇に后妃を入れたのが葛城の事代主でありながら、4代懿徳天皇までの陵墓が畝傍山周辺にある事など、日本書紀に現れない要因があるのかも(欠史八代ですが)。 また、系譜においても初代神武天皇〜13代成務天皇までの父子継承となっている点ですが、 16代仁徳天皇から系譜が正確性をを帯びてくる点などから、天皇の名はわかっていたが系譜に関する伝承が失われていた為、父子継承としたのではと考えていますが。 特に仁徳天皇以降においては、天皇空位の期間が頻発しますが、古代に行く程、天皇崩御すぐに即位の傾向となります。 例外は神武天皇崩御後に綏靖天皇が異母兄のタギシミミを討った説話くらいでしょうか。 また推古天皇、皇極・斉明天皇、持統天皇、元明天皇。元正天皇など女帝による中継ぎとしての即位は飯豊皇女、神功皇后にもあてはまりそうで、 卑弥呼、トヨも倭国の乱に伴う中継ぎの即位だった可能性もあると思います。
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