- 219 名前:longinus_bouz mailto:カヲル@最後の方のシ者 [2016/07/21(木) 18:57:29.87 .net]
- >>43
> 邪馬台国の四等官は卑弥呼の時代と思われますが、その首席伊支馬は卑弥呼没後に即位した男王で// であるならば、魏志倭人伝にその様に記載されると思います。卑弥呼トヨたん間の男王は、彼女たちの親戚だと思う。 あるいは、トヨたんの実父が卑弥呼没後の男王なのかも知れません。 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王 國中遂定 このクダリは、卑弥呼の養女だったトヨたんを王とした、と解するのが一般的ですが、どうでしょうかねえ。 宗女というのは宗家の娘、とでも解する方がよいのでは。とすれば、父ないしは祖父は一族の長、という事になります。 卑弥呼一族の長が王に立ったが國中不服だった。以降の男系継承が予定されてしまうからだと思います。 卑弥呼というのは単なる呼称で、また、卑弥呼だけでは王とは限らない、と考えてみればどうでしょうか。 卑弥呼一族での卑弥呼というのは、斎宮的な位置にあり、別段、王ではなかったが、 桓霊の間の紛争を経て、斎宮的な卑弥呼が女王として共立された。 トヨたんもまた、魏に遣使した卑弥呼の死を受けて、斎宮的な卑弥呼の立場は引き継いだが、 王には卑弥呼一族の長が立ち、トヨたんは斎宮的な立場のままだった。 しかし男王では復た、國中不服だった。よって、復た斎宮的な卑弥呼を王とした。 宗家の娘で年十三のトヨたんを卑彌呼に立て、復た王に成したら、國中遂定まった。 立と成の二つの動詞があるので、目的語も二つ、斎宮的な卑弥呼と王、という事です。 以降の男系継承予定は取敢えず留保される結果となって妥結したのだと思う。 (続く)
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