- 858 名前:白馬青牛 [2007/09/20(木) 00:04:28 ID:Hi/Q+chJ]
- >>855
以下森浩一氏の見解です。 miles.kubota.co.jp/urban/pdf/16/pdf/16_2.pdf B縄文遺跡と土器の文化≪縄文時代の狩猟≫ 「弥生前期と中期の集落から出る石鏃の方が、縄文遺跡から出る石鏃より ほるかに量が多いのである。弥生集落から出るおびただしい石鏃が戦争で 使われていたのであれば問題ないが、もし狩猟に使っていたとすれば、 縄文集落での狩猟の規模は弥生期の狩猟にくらべて、それほど大きくない ということになる。」 ≪縄文時代の生業とは何か≫ 「だいたい世界各地の土器文化は、農耕社会の必要の中で生まれている。 こうした世界の一般的傾向から考えるとわが国の縄文時代は、本当に 狩猟・漁撈の文化であったのかという大きな問題が出てくる。特に 長野県あたりでは、縄文時代中期に農耕をやっていたということが提唱 されて」長いので要約しますと、アワや芋類から山麓や丘陵地の焼畑が 考えられます。下の方の文で、河内は古墳期になると馬飼育集団、主として 百済系集団が集中して来るようになります。
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