- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2005/06/03(金) 00:23:54 ID:0o/sM63K]
- YAP+遺伝子をもっているのは東アジアでは日本人とチベット人だけ
GM血液型遺伝子もそっくり YAP recon.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040907115249.jpg GM www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
- 558 名前:月光仮面 [2007/07/29(日) 10:33:32 ID:1QT79z9H]
- >>554
白馬青牛さん、こんにちは! 半農半牧民という範疇ではハラフ、ウバイド期のザグロス・タウラス山系で移動性遊牧 慣習が発生し、遠くはモンゴリア東端にまで伸び、この過程においてYAP+と、クルド系 (ユダヤ教になるエズィード、ヤジダン教)の接触があり、クルド系は韓国においては狛人 として多少残ったが、日本ではYAP+しかのこらなかったのではないかと思っています。 夏の時代にはタイのバンチャン、二里頭、殷商時代には三星堆、殷、周の時代には カラスク、オルドス、遼東、戦国時代に楽浪という風に移動したのではないでしょうか。
- 559 名前:月光仮面 [2007/07/29(日) 10:51:16 ID:1QT79z9H]
- 山岳と移動遊牧が結びつき、黒曜石、自然銅、隕石、色石の収集、搬送、交易が一体
化する。後にはこれが平地における土器生産と融合し青銅、そして発熱の工夫、冶金に おける畜産ノウハウの適用により鉄の使用への発展して行くのであり、弥生末の日本 列島にはこうしたノマドのじわじわとした浸透が起こった。lしかし、彼らはまたしても 山地を歩き始めるのだと思います。京都、奈良の立地選択の背後にあるのはこうした 移動性山岳遊牧民時代からの習性があるのでしょう。又それは平家の落人の里の ような所に入り込む特性にも現れますが、アルタイ山麓に到達するサカ族はこうした 山間の地に千木を持つ檜皮ぶきの住居を構ええたようです。
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