- 341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/07/01(日) 17:03:20 ID:jVHk8Sq4]
- 東北で渡来系の影響を受けた人骨が出てくるようになるのは弥生中期頃。
しかし渡来系形質が最もピークに達したのは鎌倉時代から室町時代にかけて。 この頃の出土人骨がもっとも鼻骨が低く扁平な顔面を持つのである。 その後、逆に形質は徐々に戻り始め、中間型の現代日本人に至るのである。 お笑い骨屋のノータリン松下孝幸は山東省と青海省を掘って、例によって例の如く、 「 弥 生 人 骨 と 一 致 し た ! 」 と、やらかして、またしても無知な国民をダマしてくれたが、 賢者の諸君よ、そのページの写真をもう一度よーくご覧なさい。 彩陶や双耳壺が映っています。 弥生時代頃の青海省は斉家文化に属しておりまして、双耳壺(雙耳罐)や ?(カ)や鬲などの三足土器が大きな特徴なのですが、もちろんそんな 土器文化は弥生文化には一切伝わっていないのですよ。 www.chiculture.net/0102/html/d30/0102d30.html 金関に弥生人中国説を完全否定されるお笑い骨屋の松下 www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm
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