- 1 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/18(木) 07:03:02 ID:n9bD81s7]
- 仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。 主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。 皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。 初心者にはやさしく接してあげてください。 良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。 明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。 無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。 *「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。 尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。
- 201 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 16:11:24 ID:1dIoK2jw]
- >>186
>(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。) それでは、「煩悩『即』菩提」の語義から完全に離れている。「煩悩即菩提」とは、「煩悩が『そのままで』菩提」ということ。両者間に、両者の同一性をいさかかでも変容・否定する観念を介入させたら、「即」の意 味が破壊されてしまう。 「煩悩がそのまま菩提」であって、何が困るw?煩悩こそ、人間の真の姿(法)ではないか。それが悟れ なくては、悟り(菩提)とはいえない。 >>186以前の幾つかの解釈は、「煩悩即菩提」の誤解、若しくは、その命題を「変容・否定」するための、意 図的な意味の歪曲である。 「色即是空・空即是色」では、そのような「誤解」を生じさせないなめに、わざわざ、「色不異空・空不異色」と、念を入れて付け加えている。
- 202 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 16:24:31 ID:U/6A4raN]
- >>195
>小乗仏教に興味があるのですが 日本は、大乗仏教の国ですよ。あなたは、どこの国の人?
- 203 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 16:40:16 ID:fP3oAmdZ]
-
>>195 様からの 小乗仏教(根本仏経)について ! お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた 根本仏典(小乗仏教)の 増一阿含経 善聚品 の 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) の 五根 の 定根 に ついて ! 定(瞑想状態)に 入る 修行を 積んで 滅尽定 よりも さらに 深い 定に 入ると 自分の 前世も 他人の 前世も 分かる 様になる! 人が 死んでから どこに どの様になって 生まれて 行くのか 来世についても 分かる様になる! 滅尽定 よりも さらに 深い 定根の 修行によって その様な 力が 得られる! ↑ と言う事で 御座います! お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた 根本仏典(小乗仏教)においては 輪廻について はっきりと 明言されているので 御座います!
- 204 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 16:48:21 ID:fi1HwPGj]
- >>203
「お釈迦様本人の説法」など、どこにも無いよ。すべて弟子や後世の人々が、 それぞれの考えで書いたもの。 何を勘違いしてるのw。
- 205 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI [2010/03/22(月) 16:48:47 ID:9ciD9QKe]
- >>201
我流の妄想をまき散らすのではなく、仏教初心者のうちには、先人からの出典を明瞭にし、文 脈に沿って議論したいものだ。 同じ言葉でも、複数の出典に基づけば、それぞれ違うことを言っていることも多いが、少なく ともその内の一つにでも忠実に議論した方が、我流の議論より真実に近い。 熟語だけを切り出してくれば、なんとでも言える。我流の妄想議論を主張するのは、その先で ありたい。
- 206 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 17:19:12 ID:IIy44cL0]
- ったく・・・ orz
縁起馬鹿の登場を待った方がいいんだが、ちょっとだけ。 >>195 「仏典解題事典」(春秋社)という本がある。(手許にあるのは’91年二版8刷) ここの「発智論」の項の参考文献には 「阿毘達磨論の研究/木村泰賢」「有部阿毘達磨論の研究/渡辺楳雄」とある。 次の「大毘婆娑論」の項には〈発智論の註釈であり・・云々〉とあるので、この二論はセットなんだろう。 ここの参考文献は発智論より多い。 で、「倶舎論」は「大毘婆娑論」がベースらしい。 もし、どこかで目を通せるなら、この事典のP116〜119から、 めぼしい著者を選んで、論書名とセットでciniiなりINBUDSなりで出てきたものを探すとか・・。 検索する時、論書名だけでなく、気になる術語も併せてやると絞り込めるし。 一般販売書では何かあるのかな・・。 で、良さ気なのが幾つか見つかったら、また、ここなり中論スレなりで縁起馬鹿一代を呼んでみるといいw 色々言われてるが、彼の選別・評は信頼できるよ。 つーか、(“取り組む”ってあるから、どっかの学部生・院生かと思うけど) 上の解題事典は持ってて損はないよ。(古いから新しい研究成果は知り得ないけどw) で、そういう環境なら、最初からきっちり良書を取捨選択するより、 自分の気になる術語や文句をキーワードに、幾つも論文漁ってみるのも糧になると思うよ。 つーか、そこまではっきりしてるなら、既に幾つか(教授に?)紹介されてたり、目星はついてるんじゃないの? ※けど、だったら「小乗」とは言わないか・・・w
- 207 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 17:21:04 ID:IIy44cL0]
- ったく・・・・・・ orz
>>201 >意図的な意味の歪曲である 歪曲じゃなくて転換だよw (意味が転換されていてこそ成立するのが心経であろうよw) で、(ここからが重要なことだがw)、 【そのままの意味、字句通りの読みをされては困るから】 【補足(説明)がされている(註釈が多く為されている)】んだよ。 で、「五蘊即是空」「空即是五蘊」は、【一方が、「性質として」他方の在り様の説明になってるから】だ。 また、梵文(=原典)では「yad rUpaM sA zUnyatA , yA zUnyatA tad rUpaM」と、 【(「yad ○○,tad ××」→「○○のような、そのような××」】という形で 『この色は空なる性質のものであり云々』という意味が表現されているわけだ。 さらには、玄奘訳に欠けている第一段目には「色性是空、空性是色」(rUpaM zUnyatA , zUnyatA eva rUpaM)とある。 *(同格による並列であり、evaが加えられることで>>193のような複雑な手続きではないが、 単純イコールでないことは、zUnya(空)に「-tA(性)」が付されていること、 3段に分けて(言い方を変えて)繰り返されていること、そして、他の経典との照合から明らかだろ? ちなみに梵文は三段全て-tA付だw) 他の異訳、異本どれも三段で述べられており、玄奘訳だけが一段目を欠いている。 岩波文庫版の註(P26〜28)くらい読んどけw そして、>>184-185を承けるなら、 ≪一切が空性なる故に、【縁起するもの故に】、【その意味で!】、色と言われるものもまた夢幻泡影の如く空(性)なるものである≫ という形で、【「縁起」「空」という一味のものとして】、初めて素直なイコールで結ぶことが出来るんじゃないかい? ワシはここまで。 あとは縁起馬鹿の添削待ちw
- 208 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 17:25:12 ID:fP3oAmdZ]
-
>>204 様から! 「お釈迦様本人の説法など、どこにも無いよ。すべて弟子や後世の人々が、 それぞれの考えで書いたもの。」 ↑ 大変 ご迷惑を お掛けして 大変 失礼 致しました! お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 根本仏典(小乗経典)の → アーガマ 阿含経 ← に 訂正して お詫び 申し上げます! ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%AB%E7%B5%8C ↑ アーガマ 阿含経 について !
- 209 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 17:48:22 ID:FV06tOpx]
- >>205
その「超大昔の」出典に、妄想や誤りがないと、どうして言えるのかね。 大昔には、現代のような完備した辞書や文法書は、恐らくは一冊もなかったのだよ。 どぅやって翻訳したのだろうね。恐らくは、間違いだらけだったと思うよ。 現代の翻訳さえ、二ヶ国語に完全に精通した者から見れば、間違いだらけであるw。
- 210 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 18:09:23 ID:fP3oAmdZ]
-
>>203 の 続き ! >>195 様からの 小乗仏教(根本仏経)について ! お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 一番初期の 仏教経典(小乗経典)の 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) の 五根 の 慧根 に ついて ! 慧根とは 正しい 智慧を持つ為の 修行である! この場合の 智慧は 四諦の法門 四諦の理を 悟る智慧である! 四諦とは 苦・集・滅・道の 事である! 第六 表面意識で 理解して 定(瞑想状態)に 入って 第六 表面意識よりも 深い状態の意識に 四諦(苦・集・滅・道)の 悟りを 体得させる! それが 慧根である!
- 211 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/22(月) 18:32:19 ID:jy3NfW81]
- >>198
?どの、お久しぶりです。 では、仏教における断見・常見について述べさせて頂きます。 これは仏教においては無記となってますね。 じゃあ、何故無記なのか?これには理由がございます。 人間が生誕し、その後において結果として死を迎える。 というような・・・そもそも時系列的な結果においての 「人間の死」というふうには捉えておらないのが仏教の根本義です。 (これは正法眼蔵にも、それらの記述はございます) そうしますと人間の死を起点としまして、断見・常見がそもそも論理矛盾になりますね。 論理矛盾になるから、答えようがない。 これが無記の説明です。 人間の「生死」ってのは、そもそも一如の法門である仏教においては 迷いの象徴ですよね。 その迷いの象徴たる生死において、その後に断見か?常見か? これで迷っておったら、到底涅槃には逝けんですよ。 涅槃ってとこは断見も常見も全くなきの如実知見なんですから。 「如」ってのは、つまり生も死も一如の「如」ですからね。 つまり人間、目の黒いうちに有余涅槃に到達するのが一番宜しいかと思います。 これが「不死」ですね。 一度死んだら、もう、断見も常見もないんですよ。 (人間、二度は死なない) こういうことで、あろうかと思います。
- 212 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 18:38:52 ID:IIy44cL0]
- >>209
アホがw その >現代のような完備した辞書や文法書 は >「超大昔の」出典 の研究の成果なんだよ。 >>210 いい加減、スレチだからやめろ。
- 213 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 18:51:23 ID:fP3oAmdZ]
-
>>211 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. さま! → レス ← 有り難う御座います! 何時もの事ながら 大変 勉強になります! 有り難う御座います! そして ↓ 「お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 一番初期の 仏教経典(小乗経典)の → アーガマ 阿含経 ← 」 に ↑ 訂正して お詫び 申し上げます!
- 214 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 19:02:43 ID:fP3oAmdZ]
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>>212 様から! 「いい加減、スレチだからやめろ。」 ↑ → レス ← 有り難う御座います! あれれ? お経の 説明するのが 「 スレッド 違い! 」 なのですか? → レス ← 宜しく お願い 申し上げます!
- 215 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 19:07:55 ID:rJ2Gn4/7]
- >>212
>その >現代のような完備した辞書や文法書 は >「超大昔の」出典 の研究の成果なんだよ。 違う。言葉の正確な意味、特にそのニュアンスは、現在、それを話し言葉で使っている人にしか わからない。現代語の辞書でも、出版された時点で、もう古くなっている。 古語の「正確な意味」など、把握するのは無理。せいぜい、推測に過ぎない。
- 216 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 19:10:19 ID:WruGzVz7]
-
それにしても、仏教とは仏すなわち覚りから還減された教えだろう。 大乗仏教のコアは釈迦一仏ではなく、だれでも分け隔てなく悟りに至り得る、ということだろう。 それぞれの顔に差異があるように、悟りの内容に差異がある、 つまり異なった仏説があるのはおかしいのか? 悟って仏となったものは捉われから開放されても、修行内容や性格が異なるから そこから観得る風景(俗世)が異なっても凡人としては当然だとおもわれるのだが・・・
- 217 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 19:36:20 ID:fP3oAmdZ]
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>>216 様から! 「それぞれの顔に差異があるように、悟りの内容に差異がある、修行内容や性格が異なるから そこから観得る風景(俗世)が異なっても良いのでしょ?」 ↑ 中阿含経などに説かれた 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)は 色々と 性格が 異なる人でも 修行 出来るように 様々な 修行法が有ります! 1).四念住(四念処) 四種の観想 2).四正断(四正勤) 四つの努力 3).四神足(四如意足) 四つの自在力 4).五根 五つの能力 5).五力 五つの行動力 6).七覚支 存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法 7).八正道 ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81 ↑ 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) について !
- 218 名前:? mailto:sage [2010/03/22(月) 20:19:21 ID:fP3oAmdZ]
-
>>217 の 続き ! お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 一番初期の 仏教経典(小乗経典)の 雑阿含経 応説経 の 中で 「たとえ 私(釈尊)の 弟子だとしても 三十七道品 ↓ (四念処 四正勤 四如意足 五根 五力 七覚支 八正道) を 修行しない者は 輪廻の輪を 断ち切る事は 出来ない のである! ( ↑ 彼の 比丘は 終に 漏尽 解脱を 得ること 能はず!) 」 と お釈迦様は はっきりと 明言されているようで 御座います!
- 219 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 20:39:18 ID:IIy44cL0]
- >>214
いちびるのも大概にしとけよ?糞が・・。 196〜199までは、一応(コテに対する)問いかけということで大目に見てやろう。 200も、便乗質問ということで良しとしよう。 *ただ、これ、全部【1レスに収まる】内容・分量だからな。 読み難い書き方も止めた方がいい。 「読み難い」という理由で、(更には、ふざけてるレス・おちょくったレスと判断されて)、 スルーする奴も多い筈だ。私も君のレスに回答するつもりはない。ふざけてレスをしてると判断してるから。 217も、216への横レスということで許容しよう。補足レスとして成立している。
- 220 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 20:40:36 ID:IIy44cL0]
- >>214
さて、問題は以下だ。 203・210は、既に『自ら阿含経について言及済み』なのだから、195へのレスアンカーは不要だ。 195氏をダシに使ってるようで、不愉快な印象を受けた。 なぜ195へのアンカーが要る?その内容だけ書き込めば済むことだ。 *尤も、誰からも問われていず、また誰に対しての答えでもなく、殆ど関連のない内容、 という書き込みの無意味さを少しは自覚しろ。机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。 *更には、195では(その文脈から)「小乗仏教」という呼称で「部派仏教」「有部(の論書)」を指していると思われるのに、 自分のレス内では「根本仏教」と括弧書きする姑息さ。反吐が出る。 文脈も、【まるで195氏が】【根本仏教を指して小乗仏教と言った】かのような作文の仕方。 実にイヤラシイ・・。 レスアンカーが付いているので印象操作としては更に悪質だ。 218も、217を一応受けてはいるが、まったく無関係の内容にシフトしている。 *輪廻の話題なぞ出ていない。 せめて、216に絡めて、《個々に適した教えが説かれたのであり、 この経(のこの台詞)は、輪廻を前提とし信じる者へ説かれています》 とでもすればまだ可愛げがあるものを・・・。 で、 214>お経の説明するのが 現時点で誰も要求してないし、誰も必要としていない。それを垂れ流すようなら、 何とも思わない感性ならば、上記3者と同様の悪質さに変わるぞ。
- 221 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 20:41:50 ID:IIy44cL0]
- >>214
君のレスが不真面目なものに見える理由は以下。 ・無駄な改行、無駄なスペース、無駄な矢印、無駄な言葉が多い。 →ふざけていると見られても仕方ない。 ・「問われていないこと、質問でないこと、関連しないこと」は、単発レスでなく延々と継続させる気配がある。 →しつこいと、上記3者と同類と見做されても仕方ない。 ・無意味なレスアンカーの意図も不可解。関連する内容ならまだしも、無関係な内容をアンカーするのはなぜ? →アンカーを付けることで「質問スレに適ったレス」的なイメージを演出したいのか? ※今回なぞ、195氏に失礼と思わないのか?あまつさえ勝手に捻じ曲げといて・・。 てか、まさか、まさか、「一在家」じゃねーだろうな? 内容や問いかけ方、主張の仕方、言い回し・絡み方、・・・ なんか、急に臭ってきた・・・ orz
- 222 名前:216 mailto:sage [2010/03/22(月) 21:09:16 ID:WruGzVz7]
- >>217>>218
>三十七道品 それって修行法のことでしょ。 それぞれの悟りからの言語化である仏説に差異があるのはおかしいのか?ということです。
- 223 名前:216 mailto:sage [2010/03/22(月) 21:14:55 ID:WruGzVz7]
- >>217>>218
>お釈迦様は はっきりと 明言されているようで 御座います! それに、なんでお釈迦様の明言だとあなたは断定されるのですか? 単に書いてあるから、だけですか?
- 224 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 21:51:39 ID:0ixs9aRf]
- >>165
次に「煩悩即菩提」です。 攝大乘論釋論 (No. 1596 世親造 笈多譯 行矩譯 ) in Vol. 31 T1596_.31.0316a13: 以惑至惑盡 佛具一切智 T1596_.31.0316a14: 煩惱即菩提 生死寂滅體 T1596_.31.0316a15: 有大方便故 如來不思議 これは>>186 でセブンが国訳を引用してくれたように、 完全に悟った一切智を得た仏にとって「煩悩は悟りである」という文脈です。 『大乗荘厳経論』で説かれる「煩悩即菩提」とは、空性という法界では、 煩悩や菩提といった仮設はなく、平等であるという意味です。 www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html いずれにしろ、世俗の現状肯定ではなく、勝義の文脈です。
- 225 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 21:55:37 ID:0ixs9aRf]
- >>188
国訳ですよ。任した。 www.archive.org/stream/shwashinshkokuya35tokyuoft#page/n6/mode/2up
- 226 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 22:06:03 ID:0ixs9aRf]
- >>195
>>206 でセブンが解説してくれてますが、木村先生のその本と『小乗仏教思想論』は必読ですね。 あとは岩波講座東洋思想『インド仏教1』の榎本文雄、加藤純章 水野弘元先生の諸論文と国訳一切経の解説、 平川彰先生のアビダルマ関係の諸論文あたりを読んだら、 以下あたりから実際に読んでみるのがいいと思います。 木村先生と水野先生だけ読んで以下に入るのもありかもしれません。 www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html 必要でしたら、梵蔵も読んでください。 どんな文献があるかは、『梵語仏典の研究』論書編や カール・ポッターのアビダルマ巻が書誌学的に便利だと思います。
- 227 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 22:11:39 ID:0ixs9aRf]
- >>207
相手にしなきゃいいのに。 www28.atwiki.jp/buddha/pages/24.html 今西順吉先生と村上真完先生の論文も読むといいよ。
- 228 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 22:35:55 ID:IIy44cL0]
- >>222
そうか、逆だったか・・。 すまん、斜め読みだった・・orz | |゚) | >>224 私的読下しだよ・・。 合ってるかどうかは、さほど自信はない・・・w | |゚) | >>225 いやいや・・・ 何を任されればいいんだ・・・?w つか、何で俺?www | |゚) ・・・・・・ | (とりあえず、単純イコールでないこととだけは判ったw) | |彡サッ |
- 229 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 22:37:20 ID:iYGm+32V]
- >>224
>いずれにしろ、世俗の現状肯定ではなく、勝義の文脈です。 意味全く不明。「世俗的なことにもとづいて」説明してください。
- 230 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 22:37:23 ID:IIy44cL0]
- >>227
仕事早いなw 乙
- 231 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 22:45:55 ID:IIy44cL0]
- >>229
歌舞伎の書割を横から見ると一枚の板に見えるが(勝義)、 正面から見ると松の大樹越しに富士山を眺望するようなもの(世俗(諦))、 ってことだ。 これで解らなきゃ、猫に蹴られて氏んじまえw
- 232 名前:血祭り魔王 [2010/03/22(月) 22:47:51 ID:FHN6nTzi]
- 相変わらず、すぐ非実用な知識自慢レベルに落ちるなあ、
妄念読解文献クン=縁起一代クンの病気の威光だなあw、 最近、唯識の三昧に結構勝手に入るw 利益あったのはワシだけらしいw 次は、南方仏教修道レベルでしつけをしてやるかw
- 233 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 22:55:38 ID:inRQgBbM]
- >>224
>完全に悟った一切智を得た仏にとって「煩悩は悟りである」という文脈です。 これも意味不明。「完全に悟った仏」にとっては、煩悩はもはや関係ないはずだろ。 ここは、一般向けのスレだから、「通常人にも解る言葉」で説明してくれ。 それから、「中村先生」「水野先生」など、他人の「借り物」の見解ではなく、 君自身の独自の見解はないのかね。
- 234 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:00:49 ID:vaD6i1NQ]
- >>231
アホですか。歌舞伎とは、前から見るものですよ。横から見たら、歌舞伎など 解らない。そもそも、歌舞伎にならないw。初めからナンセンス。基地外ですか。
- 235 名前:血祭り魔王 [2010/03/22(月) 23:02:10 ID:FHN6nTzi]
- 233の隠居、マジで褒めちゃいそうw
実用的でない知識だけだからなw 妄念読解文献クン=縁起一代クン達は。 隠居の書き込みが説得力がありそうに見えるw まあ、単に連中が非実用な知識レベルで垂れ流すだけだからなw
- 236 名前:血祭り魔王 [2010/03/22(月) 23:12:08 ID:FHN6nTzi]
- しかし、笑えるなあw
妄念読解文献クン=縁起一代クン達よりも、 異常な隠居の書き込みの方がまともに見えるw 非実用な知識レベルで垂れ流す限り、 異常な隠居の書き込みの説得力ありそうだw まあ、隠居の妄想は、 日常重視、事実認識を重んじる南方仏教、チベット密教を知らないことw オウムは帰依する相手はシバ神と麻原、 これを唱えているw ヒンズーのシバ神なんて、日常重視、事実認識を重んじる必要なしw 隠居と同じw まあこのスレの非実用な知識レベルで垂れ流す連中も 日常重視、事実認識を重んじる必要なしw
- 237 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 23:17:58 ID:WruGzVz7]
- >>233
>「通常人にも解る言葉」 軽薄カウチポテトが馬鹿笑いできるレベルの言葉のことか? 行動しなければ、感じられないことばがある。 行動して泥の中でのたうちまわったあげくの、血反吐のことばを出せ。 おまえは実際にどういう行動をした? 言ってみろ。 通常人とは誰のことだ?自己中な自分のことか? そんな御都合主義の像があるのか?
- 238 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:21:51 ID:0ixs9aRf]
- >>228
ちょっとそこまでできないから >>229 すいません。生命教には答える気がないので、 もし、生命教でないなら、「生命教ではないけど」と一言書いてください。 もし、生命教なら、質問しないでね。生命教や机、大王イカに答える気はないので。 >>230 まあ、雑な仕事だけど、チベットは読めるから。
- 239 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:22:28 ID:YvPzxdX+]
- >>224
先日から、セブン氏からもお願いしている、中論24:10の、「世俗的なことに もとずかなくては、第一義は説示し得ない」の原文を挙げていただくようお願い します。セブン氏の回答を検証したい。 それから、あなたの「煩悩即菩提」の説明は、大乗仏教徒や大乗学者一般の解釈 ですか。そんな解釈では、外には出せない、即ち、日本の仏教徒の前では語れない のでは。信徒は呆れて逃げ出しますよw。佛教は、釈迦の精神的オナニーの 話ではないはずですよ。
- 240 名前:238は妄念読解文献クン=縁起一代クン [2010/03/22(月) 23:26:35 ID:FHN6nTzi]
- 238妄念読解文献クン=縁起一代クンは高飛車、俺は偉いぞ妄想激しいですなあw
知識が増えると高飛車、俺は偉いぞ妄想が激しくなるそうですなw
- 241 名前:238は妄念読解文献クン=縁起一代クン [2010/03/22(月) 23:28:23 ID:FHN6nTzi]
- 224妄念読解文献クン=縁起一代クンは修道ゼロ、
知識が増えると高飛車、俺は偉いぞ妄想だけですから 回答不能でしょうw
- 242 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 23:30:53 ID:IIy44cL0]
- >>234
アホですか。歌舞伎を横(≒舞台袖)から見るのが仏教ですよ。前から見たら、仕掛けが 解らない。そもそも、仕掛けに気付き、知るのが仏教ですw。夢中にならずに見るのです。 正面からどっぷり夢中にならないようにするのです。初めから座る位置が違う。欲望マンセーですか。 >>239 ツッコめなくなると、「日本の仏教は・・・」とか「一般向け」とか「通常人」とか言い出すw 市井の坊さん達も、程度の差こそあれ「ちゃんと学び、(観察し)考察し、頷いてきた」人達は、 このベクトルをベースにしてるよ。言葉や語り口は違ってもね。 【君が何にも知らないだけ】さ。 野次しか入れない精霊大王も、こんな御隠居に似てきたんじゃないか? りょんが、がっかりするんじゃないか?w つか、以前は一目置いてたけど、精霊大王もハッタリ&釣りなんじゃないかって気がしてきたよw
- 243 名前:238は妄念読解文献クン=縁起一代クン [2010/03/22(月) 23:34:16 ID:FHN6nTzi]
- 242へ、
231の説明は難しいぞw 君もハッタリかもよw 今日は怠けの日だw。 難しい内容を質問箱スレでやる神経の異常さ、のみの指摘の、怠けの日w
- 244 名前:238は妄念読解文献クン=縁起一代クン [2010/03/22(月) 23:36:38 ID:FHN6nTzi]
- 難しい内容を質問箱スレでやる神経は
大乗仏教の立場なら、菩提心が疑われるなあw 衆生済度よりも、知識自慢オナニー選択というのもなあw
- 245 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/22(月) 23:37:52 ID:IIy44cL0]
- >>243
だったら、君が議論スレ建ててくれよw >>141
- 246 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:38:09 ID:29u9sMjj]
- >>238
生命教って、あなたも専ら生命で仏典読んでるのだから、立派な生命教では ないのですか。あなたは、生命捨てて、仏典読めますか。宗教やれますか。 釈尊も例外ではありませんね。 あなたのサイト見たが、文章が全く理解不能。そもそも論理がない。 チベット語などやる前に、日本語と人間としての論理を学んだらどうですか。 それに、あなたのサイトに「イエス」が出てくるのは何故?あなたは、仏教と キリスト教の「掛け持ち」なのですか。異常な感じを受けました。
- 247 名前:ご隠居ウィルスバスター [2010/03/22(月) 23:41:45 ID:FHN6nTzi]
- たとえば、パソコンは電気で動くから、パソコンは電気の原理そのものなのか?
人間は生命で生存しているなら、人間は生命原理ならば。 隠居説の異常性。
- 248 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:47:18 ID:0ixs9aRf]
- >>247
ただの屁理屈屋なんだから、読むだけ無駄。 認識もおかしいかもしれない。 見えるはずのないイエスを見てるとことか、大丈夫か?と思う。
- 249 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/22(月) 23:57:36 ID:8dERLqhj]
- >>242
歌舞伎を前から見ないで、専ら横から覗き込むのを、「基地外」という のだよ。 「欲望マンセー」などというが、「欲望」は、すべての人間に通用する 「法」である。「自分の解脱」のために、生活を離れた修行に現を抜かす 君たちの姿こそ、「欲望の塊」ではないのかね。 小乗仏教は、開祖盲信、経典盲信のカルトという私の予言は見事に的中 した。釈迦がそのカルトの教祖であることは、ダニヤの章からだけでも、 あまりにも明らか。 小乗は、やはり私の10年前の予言通り、キリスト教と全く同じく、開 祖の精神病の感染の結果としての「具象性を欠く精神性の異常肥大」と いう精神病の症状に過ぎない。
- 250 名前:195 [2010/03/23(火) 05:43:58 ID:V81Hs/+j]
- >>200
自分は枝末分裂以後の部派仏教時代における説一切有部について聞きたかったのです。 紛らわしい聞き方をして申しわけございませんでした。 >>206 ありがとうございます。 「仏典解題事典」(春秋社)をとりあえず手に入れて、自分でいろいろ調べてみようと思います。 以前は父に指導していただいていたのですが、自分はこの春から大学生になりますので、 それに向けて先生方に失礼がないように予備知識を入れておこうと思い質問させていただきました。 今回、小乗という呼称を使わしていただきましたが、 現在では部派仏教や宗派仏教やアビダルマ仏教という呼称が正しいものだとは知りませんでした。 気分を害されたのなら申しわけございませんでした。 >>226 大変素晴らしいサイトを教えてくださってありがとうございます。 こんな便利なものがある事を自分は今までしりませんでした。 教えていただいた『小乗仏教思想論』と木村先生と水野先生を読んで 國譯一切経に取りかかってみようと思います。 自分はサンスクリットもチベットも触ったことすらなくまったく読むことができませんのですが、 集中的に学習したらどのくらいである程度読めるようになりますでしょうか?
- 251 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 05:49:06 ID:w0vn8e5v]
- >>207
>「色性是空、空性是色」 中国語では、「色性是空、空性是色」も「色即是空、空即是色」も、意味は全く同じ。後者のほうが、 引き締まった訳文である、「是」とは、英語の"is"に相当する動詞。「我是日本人(wo shi riben ren) (私は日本人です)」。「即(ji)」も、その文語体の強調形の動詞(「とりもなおさず・・である」 「ほかでもなく・・である」の意味。「就是」ともいう)。 「性」付けたのは、「色(という性質)」「空(という性質)」の意味で、「色」「空」と特段の意味 の相違はない。 「色(性)」と「是空」とが同格などと考えているのなら、それは語学的に誤り。同格ではなく、 叙述文である。 従って、「煩悩即菩提」は、「煩悩とは、とりもなおさず菩提である」の意味。ややこしく考える 必要は、全くない。
- 252 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 06:12:52 ID:h5dHbi69]
- >>250
うわ〜、今春から学部一年ですか。頼もしい。 セブンが紹介してくれた『阿毘達磨論の研究』が最も主要です。 仏教文献学専攻でしたら、まずはサンスクリットに2年ほど沈潜して、 その後でパーリ、チベットをやるのが王道でしょう。 サンスクリットは難しいです。 以下左メニューのリンクと www28.atwiki.jp/buddha/ 以下がサンスクリット、パーリの学習に役立つと思います。 www.manduuka.net/sanskrit/index.htm がんばってください。
- 253 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 07:30:00 ID:m88L/O1g]
- >>242セブン氏
>アホですか。歌舞伎を横(≒舞台袖)から見るのが仏教ですよ。 紙の表が色で、裏が空の、貴殿の書込みからは少し進歩したようだが・・・ やはり譬えが悪い。 空とは側面から観るのではない。 観点そのものがないということだよ。 つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。 これが空性。 これは妄想ではない。 >机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。>>220 「妄想」について、少し勉強するように。 カァ〜〜〜ツ!!!
- 254 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 08:02:59 ID:kLXFVGL6]
- >>253
>空とは側面から観るのではない。 >観点そのものがないということだよ。 >つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。 >これが空性。 零点。やり直し。
- 255 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 18:22:28 ID:Z4T5QsSY]
-
世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 究極の真理(勝義諦)に到達しないならば、ニルヴァーナ(涅槃)を体得(証得)することはできない。
- 256 名前:1/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:31:01 ID:vEdVWnTJ]
- >>251
都合の悪い部分はいつもスルーだなw >>207では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw ほっとこうかと思ったが、初学者が覗いてるんで一言二言入れとく。 *(見返してみたら、mは連声でのアヌスヴァーラのようなんで脳内処理宜しく。) >「色(性)」と「是空」とが同格などと考えているのなら ワシの書き方が曖昧だったせいもあるが「中性・主格・単数」と「中性・主格・単数」が併記され、 慣例として前の語が主語、後ろの語が述語として読むからだよ。 同格と言ったのは、どちらも「主格(Nominative)」という意味だ。 勿論、後ろの語を主語として読み(訳し)前の語を述語として読む(訳す)こともあり得る。 (ここら辺は翻訳の際のテクニック、修辞法の範疇だが・・・) また、前後の(或いは複数の)語の「どれか一つがメインの主語で他は形容詞として読む(訳す)」 ということもある。またそれは主格のみに限らない。(パーリの例ですまんがw) 「namo tassa bhagavato arahato sammA-sambuddhassa」も、namo以外は為格(Dative)の併記だ。 namo(礼拝・帰敬・帰依→礼する・帰依する)が述語扱いであり動詞として扱う。(名詞として訳しても構わない)。 この意味での同格だよ。 語学的に誤りだぁ? 笑わせんなw *ちなみに、「色不異空、空不異色」は「rUpAn na pRthak zUnyatA , zUnyatAyA na pRthak rUpam」 だが、語形変化を追いきれず、一句目rUpAm,-nが強語幹なのかAcc.pl.なのか、 二句目zUnyatAyAがどの形なのか解らんので、保留。 (Sktは複雑で嫌いだ・・w) (意味としては「前者は後者と別のものではない」となる筈だが・・。 ※御隠居が歓喜しそうだなwww >>193を百億回読み直しとけw) ※また、ここでも>>184-185(或いは>>224)の視線が重要となる。
- 257 名前:2a/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:33:29 ID:vEdVWnTJ]
- >>251
>「性」付けたのは・・・云々 アホですかw 翻訳元で既に区別されてるんだよ。で、「色性(rUpa-tA)」などと言われていない。 この差異(→「色(五蘊)」を「性質」としていない!)は重要だよw 「色(rUpa)」はあくまでも「色(rUpa)」だ。 そして、単に「zUnya」でなく「zUnyatA」である意味も・・・。 異訳に「性」が付いてるのは、「同格の併記だから、後者が性(質)を指すので“合わせて”「性」を付したものと推測される。 その意味では【これら異訳(「色性是空、空性是色」「色空、空性見色」)は該当箇所を君の言うように読んだ】ということになる。 (※敦煌出土の異本は一段目が「rUpaM 【 zUnyaM 】 , zUnyatA eva rUpaM」らしいw この辺も触れられてるかも。) (※玄奘の意図がどこにあったかは、縁起馬鹿が@Wikiに挙げてくれたURLの論文で触れられてるかもしれない。 一段目の曖昧さ・ブレ故に削ったのかもしれん。) (※つか、(専門的である必要はないけど)、心経云々するなら、せめて岩波文庫くらい目を通しとけよ・・・ orz ) 君は異訳の一つ(普遍智蔵般若波羅蜜多心経/法月訳)を支持するわけだな。 もう一方(智慧輪訳)はどう位置付けるんだい? 更には玄奘が削った意図は? ま、「性」の付加同様、どうせ「全部同じことを言っている。3段だろうが1段だろうが一緒」と言いそうだが・・・w *雑記: 羅什訳、良さそうだね。施護訳も詳細だな。(大正蔵経の心経7種:TextNo.250〜257)
- 258 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 18:33:30 ID:dDiPefB9]
- >>255
>世俗の表現(言語習慣) 「原文」には、そのような「限定された表現」がありますか。原文を挙げて ください。 平川彰氏の訳文では、「世俗的なことにもとづかなくては」となっており、 「言語習慣」に限定されてはいません。
- 259 名前:2b/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:37:19 ID:vEdVWnTJ]
- 話がズレた。(或る意味ROM者の為の)本題。
陸上競技で「走り」という言い方をすることがある。野球やゴルフで「スイング」と言う時がある。 今、「動き」を例にすることになるが、後者を『バットを振ること』と言い換えて拾ってみる。 ある引退選手が会見でこう発言したとする。 「【(私にとって)】《バットを振ること》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。 また或る選手は言った。 「【(私にとって)】《キャッチャーミットへ投げ込むこと》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。 これも、「即」で接続することが可能な事例だ。これが「動き」でなくとも「性質」「所有要素」であっても同じだ。 単純接続が無意味なことが解っていただけるだろうか・・。 手順を踏んで初めてイコールだということが解っていただけるだろうか・・。 参:>>193 ※また、だから、五蘊一括だけでなく、五蘊一々が個別に述べられる。そして再び「一切空」へと繋がってゆく。
- 260 名前:3/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:39:47 ID:vEdVWnTJ]
- >>253
その方向性で言うなら、或いはそのように文中の要素を即物的に捉えるなら、 「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。) (以前の《一枚の紙》の時もそうだ。頓珍漢な評をしおって・・・。 てめぇこそ「喝!」だw) ブラウン管の三色融合、モニターのドットや電光掲示板の点滅、ムクドリや鯵の群れ、 或いは量子論の視線を持ってくる者もいるだろう。 だが、それら全て、何を用い、どのように譬えても、 そこで説明の為に必要な《「最小単位としての」「(個物の)実在・存在」を拾い上げる》なら、 「空(空性)」の解説とならない。それらを超えた、もう一つ先のことだから・・。 だから、譬喩表現に於いては「捨象という作業、前提、約束」が必須なんだよ。 それは、「空(空性)」に限らず、何を譬えるにしても一緒だ。 上記のような譬えをした時、 やれ「鯵は云々」「ブラウン管という“場”が云々」「ドットが云々」「個々の電灯が云々」「原子・粒子が云々」 などと言い出したら、そこで話は終りだ。(別スレだったか、以前の蝋燭の譬えも同じだ。) 「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。 >>御隠居 (※>>255は、狙って待ってたかのようなレスだなw 原文は知らんw)
- 261 名前:4/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:40:53 ID:vEdVWnTJ]
- >>249>>253
御隠居も机も、喩え話への無理解には驚愕するばかりだ・・・w (反論・横槍の為に敢えて「拾い上げてる」ということなのかもしれないが・・・。) 本来なら「捨象する要素」だが、100歩譲って拾い上げて言えば、 「歌舞伎を正面から見る」ということは「世俗の愉しみに(欲望に)耽溺する」ということだ。 そしてそれを、「出家し、違う視線で見る」ということが「舞台袖から見る」ということとしてもいい。 で、御隠居は、前者を至上の、絶対的価値とし、後者を間違った姿勢として完全に切り捨てるので、 「決して交わらない平行線」だと評した。(だから縁起馬鹿はスルーの態度を固めたのだろうw) Snダニヤの章(の読み方)も全く同じだ。 また、その本来捨象すべき要素を拾い上げて、机的に(決して>>253ではないぞw)言えば、 「正面から見ながら、〈見ている景色が板に描かれたものである〉ことに気付く、知る、頷く」 のが仏教的姿勢だよ。 気付く為の手段(360度廻って見るとか横へ回って見るとか)はさておき・・。 ※(ぐるっと周回してみるのが漸、正面から見据えたままが頓と言ってもいいかもしれんが・・・w 或いは横から見るのが論や註釈或いは経中の詳説、正面からのみ見るのが禅、 という言い方も出来るか・・w が、いずれにしろ譬え話の域を逸脱している。) 単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、 ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www
- 262 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 18:44:34 ID:/m1cfZaN]
- >>218
>修行しない者は 輪廻の輪を 断ち切る事は 出来ない のである! 読みにくいレスですw どうせ誰かさんの自演でしょw では、何千年も経ったのですから、その<修行の成果>とやらを 万人に分かるように証明して下さい。証明出来ないことなら誰でも 言いたい放題です。悪く言うと<詐欺>と同じ手口w 死人に誰もお目にかかったことが無いのと同じく輪廻の輪を断ち切った人 にも誰も今までお目にかかったことがありません。 オウムのアサハラが最終解脱したと自己申告で喚いてましたが・・w その結果は万人にもよ〜く分かりました(笑
- 263 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 18:47:14 ID:vEdVWnTJ]
- しまった・・・orz
>>256後者「中性・主格・単数」の“中性”は“女性”(女性名詞)の間違い。 推敲したつもりだったが、コピペしたままだった・・・。 Sktできる人は、他にも添削宜しく・・・。 申し訳ない・・・orz
- 264 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 19:07:45 ID:m88L/O1g]
- >>260
>「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。) 釈尊の出家当時というのは、バラモン教の影響で瞑想に耽っていたんだろう? ところがそういった経験においての究極的に逝くつくと、事物においては断定することは不可能だ。 ということに気づいてくる。 これが中道となる訳だけど、 言語化不能ってのは、言語は断定するからだよ。 これを暗黙の了承においての・・・・ >「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。 ここ↑に繋がる。 しかし第一義は「断定不可」だよ。それを世俗言語慣習に従ったとしても 「断定不可」は全く変わらない。 これを理論体系付けたのが龍樹でして、 中論は一貫して断定的なものは記してない。 無記は断定できない象徴となっておりますが、それをもっと突っ込むと、 そもそも主客とは何ぞや?ってことになり、 その主客対立における、妄想とか輪廻転生とか、そういった類が想起する訳はない。
- 265 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 19:21:16 ID:td5ED2vN]
- >>246
>あなたは、生命捨てて、仏典読めますか。宗教やれますか。 釈尊も例外ではありませんね。 >>249 >「欲望マンセー」などというが、「欲望」は、すべての人間に通用する 「法」である。「自分の解脱」のために、生活を離れた修行に現を抜かす 君たちの姿こそ、「欲望の塊」ではないのかね。 さ〜すが〜!!頭脳明晰〜!!(・∀・)ノ 立場が違っても国が違っても、誰もが生きていることは例外無く ■ <生命からの意図!> (・∀・)ノ 文句のつけようがありませ〜ん!!万〜全で〜す!! ■「色即是空、空即是色」■ ↑ も凜として美しい響きで感じいいねン〜(・∀・)ノ
- 266 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 19:23:11 ID:m88L/O1g]
- >>261
>単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、 >ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www いやいや、私は「貴殿は進歩した」と褒めておるんですけどw 紙の表裏よりは、譬えとしたらイイですよ。 貴殿のスタンスは分かってますから(笑 つまり、「仏教は世俗諦で語ちる」ってことなんでしょ? 貴殿の文章は興味深く読ませさて頂いております。
- 267 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 19:26:28 ID:Z4T5QsSY]
- >>258
>原文を挙げてください。 あのな、龍樹の中論24-10からの引用だとは書いていない。 俺の文言だ。 中論24-10が俺の文言に似ているだけであって、とくに2行目は龍樹の文言にはない。 こーゆーのって増広ってゆー奴もいるが、そーではない。 だから>>255そのものが原文だ。 「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、 当然だろう。
- 268 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:27:28 ID:DJ+X/w/2]
- >>256
>>>207では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw 詳細な論考多謝だが、私は専ら「『中国語』としての訳文」の話をしている。 パーリやサンスクリットは「死語」であり、「死語」をいくらやっても、現実 生活にはクソの役にもたたないw。死語を教えて飯を食ってる人もいるけどねw。 なお、古代においては現代のような語彙論も文法論も全くなかったのだから、 それらの点からいくら突っ込んでもあまり意味はないのではないか。あくまで、 現代人としての論理で、意味を合理的に推測する以外には方法はない。辞書も 文法書も無かった当時の翻訳者にとって酷ですよ。彼等の翻訳は「間違いだらけ」 だったと考えていてよい。現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者から みると、無数の間違いが見出されるのだから。 「即物的」と言われるが、少なくとも人類は、即物的であったからこそ、現在まで 生存していることを、片時も忘れてはならない。人間の心身は、生存に不必要な ものは、知覚しない、思考しないようにプログラムされているのです。ありと あらゆるものを知覚できたり、思考できたりすると、人間は間違いなく狂い死に しますよw。歌舞伎を横から見る者も出てくるw。 たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的。話者が、自分でも、ストレート に話せるほどには自分の思考対象を理解してはいない、まとめ得てはいないから、 たとえ話をするのです。聖書の多数のたとえ話が、その好例。従って、あらゆる 突込みが可能になり、解釈についての混乱を招くのです。
- 269 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:41:58 ID:h5dHbi69]
- こんなパーニニも知らない、ドキュンと話しても無駄だって。
- 270 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:51:50 ID:NT+Zckvg]
- >>267
>「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、 >当然だろう。 竜樹ともあろう者が、そんな「当然のこと」をわざわざ言う訳がない。 あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。 あなたの「究極の真理(勝義諦)」なるものは、一体どうやって「検証」したのかね。 「検証」できないものは、「真理」とは言わない。単なる「妄想」に過ぎない。
- 271 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:19:19 ID:vEdVWnTJ]
- >>268
自分がどれだけおかしなことを言ってるか判らんらしいなw 1 2 3 インド 中国 日本 ○ → □ → □ 「もともとは○ですよ」という話だよ。 君は○の心経を無視して□の心経を支持するわけだ。 (それは、『〈(君の好きなw)日本の〉心経でもないんだけどね・・w) だが、□は○をベースにしてるわけさ。だから、違いがあるなら、「そこで改変・変化があった」ということだ。 □と共通の視線■を前提にし、絶対視するなら、そりゃ「□は素晴らしい!」となるだろうよw そしてさらに、あろうことか、■が原初(1)だとまで言いかねない勢い。 (他の事は、そう言っているよな?w 自分の勝手な妄想を竜樹起源だと・・・w) だから、色も形も違うぞと言っている。仮に大きな・重大な改変・変化があったにせよ、それを1へ持ってくるな。 「変化の後の□を(■と共通する故に評価する」と普通に宣言すれば済むことだ。 最初は1・2・3通しての心経の話だったよな?君は、「2から」の話に限定はしていなかったよな? 区別してなかったよな? だから、「1の段階はこうですよ」「色は白ですよ」と提示した。 で、1としての○が提示されたら、今度は2からの話だと?(色は黒だと?) 笑わせんなw >私は専ら「『中国語』としての【訳文】」の話をしている だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と? もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww それを、≪自分勝手な妄想で読む≫と批判されてるんだよ。 しかも、解釈すら自己流となれば、「妄想」と言わずに何と形容ができようか・・・。
- 272 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:20:24 ID:vEdVWnTJ]
- >>268
さらには、 >彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい と来たもんだw ハア?(゚д゚)? 「彼等」って誰よ?www 今回のケースでは漢訳者しかいないわけだが・・。 「《君が支持する漢訳心経》が間違いだらけ」ってこと?w (とんでもない自爆だなw) まさか、いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね? まさか、まさか、Skt本を翻訳と称してるんじゃないだろうな・・? まさかね・・。いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね? >「即物的」と言われるが・・・・・・云々 あのな・・・(^^; そういうことじゃなくて、長部第2沙門果経に、こういう譬えがある。 「マンゴーについて問われながら、ラブジャについて説明したり、〜〜」と。 今風に言えば「リンゴについて問われながら、バナナについて説明したり、〜〜」という感じだ。 この時の譬えの意味は『《問われたこととは別のこと》を説明して、結局《問いには答えていない》』 ということだ。(誰かさんが思い浮かばないか?www) ここで、『同じ植物だ』とか、『リンゴというのはコレコレこのようなもので、 バナナとはこのようなものだから譬えにならない』と言うよなものだ。 ここでは『違う植物である』という点だけが譬えとして利用されてるんだよ。 それを「リンゴは云々、バナナは云々」という態度を「即物的(読み)」と評したんだよ。 解る? 君の>>249はこの典型なんだよ。 最後の段一行目の指摘だけが、原理的にはその通りなわけさ。 これに関しては何も言わんよw (ただ、同時代人として、常識と一般教養ある成人男子として、【これまでの対話の流れに】あずかる者として、 共有できる枠組みと要素の選択だと思ったんだがね・・。 甘かったようだ・・・w)
- 273 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:22:36 ID:vEdVWnTJ]
- >>266
あのな・・・(^^; 一枚の紙の譬えを出した時の文脈(スレの流れ)を憶えてるか? 《肉体(或いは現に存在する自己)の尊重》という絡みじゃなかったか? だから、あの場面ではあの譬えでいいんだよ。 で、今回はその側面がないんで「書割」でいいんだよ。 (ついでに言えば歌舞伎でなくても書割でなくてもいいw) 君も御隠居と同じく、 >たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的 だから、 譬え話は無意味という考えかい? それとも、捨象すべき要素は「捨象してください」、 使用すべき要素は「捨象しないでください」「この点を使用してください」と断り書きしろと? それじゃ譬えとする意味が無いwww そのまま冗長に述べ連ねるのと変わりない。 解る?
- 274 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:59:12 ID:Z4T5QsSY]
- >>270
>あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。 矛盾と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。 >一体どうやって「検証」したのかね。 時空際断において何をせよというのかな? 這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw
- 275 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 23:16:16 ID:vEdVWnTJ]
- もう一言添えておこう。
心経で述べられているのは「色即是空、空即是色」だけじゃない。 「受想行識亦復如是」とあるように、 「受即是空、空即是受」「想即是空、空即是想」「行即是空、空即是行」「識即是空、空即是識」、 すなわち『五蘊即是空、空即是五蘊』だよ。
- 276 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 23:58:56 ID:z1LioXE2]
- >>274
>時空際断において何をせよというのかな? >這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw ゴキブリだって、食べ物の場所をその五感でちゃんと検証しているぞ。 検証もしないで「究極の真理(勝義諦)」などと意味不明な妄言を吐く君らは、 ゴキブリ以下w。ゴキブリに生き方を学べ。
- 277 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 00:13:01 ID:E332scS5]
- >>271
>だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と? >もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww 一生懸命言ってくれてることはよく分るが、何かが抜けてはいないか。 大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈 できれば、それでよいのでは。それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性が あるのかね。その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。
- 278 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 08:07:01 ID:kOlrgwh3]
- >>267 ゴキブリ隠居
>意味不明な妄言 意味不明と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。 存在に捉われている愚かなおまえには、龍樹をも誤読する。 時空際断においては本質なるものがありえないゆえに、 検証自体がありえないのだ。 『しかるに、“如来は存在する”という深い執着に捉われている人(ゴキブリ隠居おまえだ)は、 ニルヴァーナに入った(入滅した)如来については“如来は存在しない”と考えて妄想する。』(中論22-13) 『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、 あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は正立しないのである。』(同22-14) 『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。 如来は本質をもたない(無自性の)ものである。 この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16) 真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実のブッダ>にほかならない。 世界は本質をもたない。 ゆえに言語論理(名称と形態)によってサンスカーラ「世界」をつくるのである。 ゴキブリ隠居は愚か過ぎる。
- 279 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 08:10:27 ID:kOlrgwh3]
- 訂正
・× 存在に捉われている愚かなおまえには 〇 存在に捉われている愚かなおまえは ・× 思考は正立しないのである。』(同22-14) 〇 思考は成立しないのである。』(同22-14)
- 280 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 08:13:15 ID:kOlrgwh3]
- 訂正 またゴメン
× 本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16) 〇 本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16)
- 281 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 08:39:10 ID:f5Ud/kFF]
- わろた。そんなヤツ相手にすんな。
- 282 名前:195 [2010/03/24(水) 09:02:11 ID:cVcbcZhl]
- >>252
了解しました。 『阿毘達磨論の研究』から読んでみようと思います。 紹介してくださったサイトを見ながら1.2回生でしっかりサンスクリットを勉強していこうと思います。 いろいろご教授していだだきまして、本当にありがとうございました。
- 283 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 10:45:36 ID:4SH9dfgh]
- >>277
自分の言っている無茶苦茶さに気付けないようなんで、解り易くしてやるよw > 大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、 →自分が引用し、参照し、参考にしている漢訳仏典が「間違いだらけ」なら、 →次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない場合がある》ので、 《それは参考にならない。間違っている》。 →次の項を参考にすれば、《「間違っている」とは「自分の考えに合致しないこと」》。 > 「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈できれば、それでよいのでは。 →その文章が《論理的・合理的に解釈可能ならば》【それでよい】。 (*【それでよい】とはどういうことか? おそらく《自分の考えに合致する》ということと推測しておく。) →《「論理的・合理的に解釈可能である」ということは、「自分の考えに合致する」ということ》。 > それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性があるのかね。 →原典、つまり最初の内容・意図がどのようなものであるかは関係が無い。 →次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。 →上の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。 > その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。 →原典の内容は《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。 →二つ目の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。 《【それでよい】というのが、どういうことなのか》が鍵となるわけだが、 よーするに、この4行は、≪まず、絶対的基準として「自分の考え」があり≫、 ≪「自分の考えに合致するもの」は正しく≫≪「自分の考えに合致するもの」が仏教である≫という主旨だ。 まず、自分の考えありき。それに合わせて取捨選択をする。歴史的伝承や註釈・検証・研究なぞ無視。 これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいやら・・・w 都合の悪い部分はいつも通りスルーだし・・・w
- 284 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 11:02:52 ID:4SH9dfgh]
- ついでに触れとくか・・。
>>268 >彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい。 >現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者からみると、 >無数の間違いが見出されるのだから。 これを、漢訳仏典に対しても言われていることと解釈するなら、 (それは、自分が依拠する「色即是空、空即是色」にも当てはまるわけだがw)、 ≪【自分の考えに合致する形で】論理的合理的に解釈できるものだけを採用する≫ ということだ。 原典だとか翻訳(漢訳)だとか解説だとかは無関係。 それはつまり、 ≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。 ≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが仏教である≫。 ということだ。 これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいのやら・・・w
- 285 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 11:24:30 ID:f5Ud/kFF]
- >>283
長い! 要する妄想があって、それに合うネタを述べてるだけ。 その妄想に合わなくなってくると、誤訳だの古代人の妄想だとのという。 誤訳だの古代人の妄想だと思うならネタにすんな。 でも、妄想語っても誰も相手にしないから、 権威あるネタを求める。そのネタも誤解と指摘される。 屁理屈捏ねる。 こんなヤツ、相手にするだけ無駄。 「現代人の論理」じゃなくて「おれちゃんの論理」に合えは、それでいいだけだろう。 「おれちゃんの論理」がただの支離滅裂な妄想に他なら成らないことが、 多くの人に指摘されてるわけだ。 これは仏教の是非とかそんなもんでなく、言葉を使用する最低のルールとか、 倫理、モラルを逸脱してるってこと。
- 286 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 11:32:01 ID:4SH9dfgh]
- >>285
評するだけじゃなく、彼の実際の発言・文言から炙り出してみようと思ったからさ。 現に返答の数や量、触れる部分は激減しているw (ゲームで敵キャラのHPを削ってるような感じだw) さて、どこまで取り繕い続けられるか楽しみだ。
- 287 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:06:12 ID:qozN1b6Q]
- >>284
>≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。 それは釈迦のこと。彼は「正しい」という言葉を8回も続けて使ったがw、その 「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。 君たちは、歌舞伎は横から見ても、開祖や経典は真正面からだけしか見ること が出来ない。開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね。 君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違も ないことに気付け。すべての宗教における「開祖、教祖、経典マンセー」は 全く同じ。恐らく、オウムと同様、絶対に気付けないだろう。それが宗教によ る「マインドコントロール」というものだ。これは、「具象を離れた根拠皆無 な精神性」、換言すれば「狂気」の植え付けから生じている。すべての宗教に 通じる最大の「病理」である。
- 288 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:25:39 ID:u9bk087e]
- >>278
>真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実の >ブッダ>にほかならない。 それがまさに「入滅後の如来の存在を信じる」という妄想。「本質」と「本性」 とは、どう違うのか。それを「経験する」とは、どういうことか。すべてが、 妄想の典型ではないか。
- 289 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 13:26:22 ID:4SH9dfgh]
- >>287
>それは釈迦のこと いやいやw 他人のことをどうこう言う前に、自分の姿を見つめてみることも大切だと思うよ。 仮に、お釈迦さんがそうだったとしても、 (そんなことないのは、ちょっと仏典読めば解ることだが、読んでないなら仕方ないか・・w) 『自分はどうなんですか?』 これには一度も言及してませんね?w >その「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。 いやいやいやw 仏典のそこかしこに散らばってるじゃないですかw ≪「お釈迦さんが示した根拠」と「貴方が依拠する根拠及び貴方のスタンス」とが、交わらない平行線なだけ≫ だと何度も言ってるじゃないですかw つまり、「貴方の主張は仏教ではない」ということです。 仏典を引用するのはやめたらどうですか?勿論、龍樹もですw まるで、 ≪仏典から神智学に合致する部分だけを拾い上げ、神智学に合致する部分だけを仏教だと宣言した≫ 誰かさんそっくりですなw ≪仏典から俺様に合致する部分だけを拾い上げ、俺様に合致する部分だけを仏教だとする≫、 そっくりですね・・。 >君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違もないことに気付け いやいやいやいやw 君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw >開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね 原典批判的研究という言葉を知りませんでしたか?w で、反論の言葉が枯渇すると、最後は「病理認定」、とw おそまつだな・・w
- 290 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:37:13 ID:e6+adCk8]
- >>289
君のその書き込み自体で、「マインドコントロール」の実態が完全に記述 されている。「釈迦」を「麻原」と変えても、全く同じ。 「批判的研究」というが、「釈迦自身」はいささかでも批判できていない。 それでは「批判的」とはいえないよw。
- 291 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:44:46 ID:f5Ud/kFF]
- >>286
無駄、無駄。痒いものは放っとけば、その内治まる。
- 292 名前:278 1/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:21:35 ID:kOlrgwh3]
- >>288 ゴキブリ隠居
>すべてが、妄想の典型ではないか。 *世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。(>>255) *『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、 あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は成立しないのである。』(同22-14) 『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。 如来は本質をもたない(無自性の)ものである。 この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16) 言語論理(世俗諦:分別知)を尊重しつつも、位相が異なる非言語論理(勝義諦:無分別智)を 直覚できないゴキブリ隠居の分別執着主義は醜く愚かである。
- 293 名前:278 2/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:24:15 ID:kOlrgwh3]
- >>288 ゴキブリ隠居
なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか? たんなるトラの威を借りる権威主義であって、当て馬にしか過ぎないのだろう。 論理破綻のゴキブリ隠居はつぎのトラの皮を捜すことになるだろうw 『二つの真理(二諦)にもとずいて、もろもろのブッダの法(教え)は説示された。 (その二つの真理とは)世俗の(煩悩に)覆われた立場での世間(で)の理解としての真理(世俗諦)と、 究極の立場からみられた最高に意義あるものとしての真理(勝義諦)である。』(中論24-8) 『この二つの真理(二諦)の区別を知らない人々(ゴキブリ隠居おまえもだ)は、 ブッダのおそえにおける深遠な真理を知ることがない。』(同24-9) 『ここにおいて、われわれは答えていう。 −汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、空そのもの、空を説く効用、および空の意義を知らない。 故に汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、このような無益な論争をするのである。』(同24-7) これが龍樹のゴキブリ隠居への批判解答だ。
- 294 名前:278 2/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:27:45 ID:kOlrgwh3]
- 訂正
× ブッダのおそえにおける深遠な真理 〇 ブッダの教えにおける深遠な真理
- 295 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 15:50:23 ID:UuukStV+]
- >>293
>なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか? 釈迦とは異なり、竜樹には論理矛盾が見当たらない。竜樹は、口が上手いからw、 釈迦にゴマすってるが、批判すべきところは、的確に批判している。 釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、 無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。
- 296 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 19:22:35 ID:+Bs1VS8R]
- >>289
>君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw 生命は、考察・検討・崇拝の対象になるようなチンケなものではない。 生命は、人間が対象化できない唯一の存在。考察・検討・崇拝も、生命の機能に過ぎない のだから、それらの行為主体と対象とが同一では、ナンセンスであり、行為は初めから 成立しない。 生命とは、ただ、「今ここにある」だけ。宗教を含む、人間のすべての営みの根源である。
- 297 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 21:03:02 ID:Ek5okofZ]
- 生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。
あくまで「君の生命教」つまり隠居教をさして言っている。 ……そんなことはわかっていてとりあえずからかっているだけなのだろうが不毛だ。 それこそ人生の貴重な時間をもっと有意義な方向に使うべきだと思う。 こんなことを「いくらやっても、現実生活にはクソの役にもたたないw。」
- 298 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:08:25 ID:PP0EPYFl]
- しかし、中論屁理屈好き君たちは病気だなあw
質問箱スレの意義よりも遠いw なんちゅうか。理屈の正当性ゲームだなあw まあ、普通、まともな大乗仏教徒なら、実用性を加味できるはずだが、 まったく実用性ゼロw まあ中観派及び大品般若経の実用的解説できる奴はこのスレにはいなさそうだw また南方仏教を実用的に解説できるのはなさそうだしw 次元が低いw まあ隠居のたまにマグレに閃く書き込みは妥当性ある時があるから、たまらんわw しかし大品般若経の実用的解説をやる場合、シンドイわあw 曹洞宗の方が気楽やわ。 もし、まじめに中観派を実用的解説するなら、臨済宗張りのスリルがあるわあw 臨済宗の方が身についている方だから楽だけどなw
- 299 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:12:32 ID:4SH9dfgh]
- >>290
いやいやいやいやw 『自分の姿はどうですか?』と聞いてるんですが・・w また、(縁起馬鹿はこの方向を嫌がるがw)、 ・人間としての釈尊像の考察も為されてますが?(貴方の評価した奈良さんもその一人だがw) ・幼少年期・青年期の苦悩が、(教えに)影響を与えている、とも言われますが? ・入滅後の一比丘の発言が事実に基づいているなら、 厳しい(≒口やかましい)叱責も多かった、と推測されますが? ・求道の者には厳しかったにしても、正当な批判・指摘にはきちんと対処する、 【世間の常識を尊重する姿勢】も見られますが? ・変化球のような答えも多かったろうと推測されますが?(最後にはちゃんとミットに収まりますけどねw) また、少なくとも私は、 ・お釈迦さんには、青年時代、鬱の傾向があったろうと推測しますが? ・三世に跨る輪廻は、生物学的側面と整合性が弱い、と考えてますが? ・舎利弗や阿難の方が、より柔軟な説法をしていただろう、 お釈迦さんは、どちらかといえば頑固で厳格なほうだったろう、と推測してますが? *(どちらが良いかは別にして。) ・現存仏典は、原初のおしえそのものではない、と考えてますが? ・原初の教えは(≒お釈迦さんのスタンスは)ヒンドゥ文化の影響を色濃く受けている、と考えてますが? ・教えの多くは、当時の価値観に準拠していると考えてますが? ・出家遊行生活は、当時の文化・社会が許容していたから成立した、と考えてますが? ・積極的に勧誘し、コミュニティの確立を図った、と考えてますが? ・コミュニティの維持・存続、及び社会的評価の為のイメージ戦略として 有力者への教化に積極的だった(≒計算高いw)、と考えてますが?
- 300 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 22:12:44 ID:ZYHrqw/e]
- >>297
>生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。 宗教は、皆、そう思っている。生命に最大の価値を認める宗教は「皆無」で ある。すべての宗教は、生命以外の「架空の観念」に最大の価値を認める。 だから、宗教には、人間同士の殺し合いと争いが絶えないのである。内紛が 最も多いのも、宗教団体である。 宗教以外の人間の営みは、すべて、究極的には、「生命の維持」の方向に向け られている。宗教だけは、「人間」の営みとして、異常極まりない倒錯と病理 である。すべての創唱宗教が、開祖の精神障害の感染の結果だからである。
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