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【長崎】元寇で沈んだとみられる船が原型をとどめた形で見つかる 発掘調査開始



1 名前:ちゅら ◆CHURa3Ewlc @ちゅら猫φ ★ mailto:sage [2012/06/20(水) 04:31:26.77 ID:???0]
鎌倉時代の元寇で沈んだとみられる船が原型をとどめた形で見つかった
長崎県松浦市の鷹島沖で、船の全容解明に向けた発掘調査が始まりました。

この発掘調査は、長崎県松浦市と琉球大学の調査チームが、18日から鷹島沖の海底で始めました。

鷹島沖の海底では去年10月、700年あまり前の鎌倉時代の元寇で沈んだとみられ
る船の一部が原型をとどめた形で見つかり、ことし3月、海底の遺跡としては全国で初めて
国の史跡に指定されました。

これまでの調査では、船底の背骨にあたるキールと呼ばれる部材の一部やその両側に並んだ
長さ1メートルから10メートルの板などが見つかっています。

今回の発掘調査で調査チームはキールの全長などを調べ、船の大きさや構造を推定するなど
全容の解明を進めることにしています。

調査チームに参加している琉球大学の池田榮史教授は「発掘調査によって情報を集め、
船の全体像を把握したい」と話しています。
発掘調査は今月28日まで続けられ、ことし10月にも再び行われる予定です。

※リンク先に動画あり
www3.nhk.or.jp/news/html/20120618/k10015912491000.html

675 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:29:17.70 ID:rChzJTjB0]
>>671
素直ってもんでもないけどな半ば強制的だから
当時の日本の人口からみても自由意志だけで一地域で数千以上の兵を駆り出すのは不可能
品行方正はID:c0jAmAuP0と間違えた悪い悪い


676 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:29:26.86 ID:R5me6JTL0]
九州の防人のお陰で今の日本が有るんだな。

677 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:29:39.05 ID:cOugD6kW0]
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-1.jpg

この絵巻は感動するな。
敵が来るのを、築いた石畳の上で武士達が待っているんだろう。
真ん中に「秀長」と書かれた赤鎧の騎馬がいるが、ぐぐったら、この絵巻の主人公なのね。

678 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:29:55.20 ID:ehwkWKnLO]
実際にボロ負けしたのは元軍で、圧勝したのは日本
それも台風が来る前から終始圧倒してる

実際、フツーに武士が強かっただけだ

679 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:29:55.64 ID:2rpyGCGVO]
>>672
義経さんが慣習無視して大活躍した話は有名だが

680 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:29:57.43 ID:6/rUCi6M0]
クビライは戦下手だからね
それに必死になったジャップはたいしたことない

681 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:30:12.50 ID:d1yhWLrHO]
>>665
百年戦争とか のんびりしたもんよ

向こうは傭兵雇って はいドンパチだからな
傭兵同士なあなあとしたもん
50人連れてきたら 100人の兵士連れ来ました100人分の金と飯をくれ
っで最後は戦死者50人でしたと報告
こんなんもあったりするし



682 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:30:59.49 ID:3qFZATQp0]
>>679
イメージなんかどうだっていいよ。そんな習慣があったなら
史料にどう出てくるのかが重要。

683 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:31:56.35 ID:ob8yUOwnP]
>>659
戦争のプロのヨーロッパの騎士団が、尽く羊飼いにやられちゃったのってことなのか。



684 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:32:49.58 ID:jlOVL4CpO]
>>649
文献を調べたが、二回とも台風ではないみたい。
○当時の暦(太陰暦)から、元の襲来は12月前後(11月末から12月上旬)
○深夜、突然に座礁し沈没した。また突風が起きたと言う記述はなかった。
○朝、気が付いたら破片と死体を残したまま、撤退した。

つまり台風はデマ。原因はおそらく突貫工事で作った軍艦の設計ミスと、あといい加減な工法が重なった。

作ったのは朝鮮人の船大工。

685 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:33:44.30 ID:JC2UPvdV0]
>>679
船の舵取りを殺したりしてたな。
まぁ、義経って、ぶっちゃけ武士の心が薄いからね。
それが、作戦を考えるにはいいほうに出るんだが、他の面では
悪い方向にしかいかないんだよね。
だから、部下もヤクザみたいなのばっかだし。

686 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:34:04.69 ID:ehwkWKnLO]
>>683
あれは主力が農民だったから
騎士は1/5だったし

全員武士な日本とは違うよ

687 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:34:44.52 ID:uI6mZPJ60]
当時の日本の農民はみんな普通に武器を持っていただろ
農民が農業しかしなくなったのなんて豊臣政権以降でしょう

688 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:35:41.93 ID:2rpyGCGVO]
>>682
今昔物語集巻二十五 源充と平良文と合戦せる語 第三

689 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:36:04.24 ID:JC2UPvdV0]
>>683
近代以前までは傭兵は弱い。まず、死なないことを考えて行動するから。


690 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:36:15.02 ID:rChzJTjB0]
>>673
何言ってんだよ上も黙認してるからできた行為に決まってんだろ?
仮に自軍の物盗んだら打ち首しかし相手のものは黙認
軍法なんてそんなもんだろ美化しすぎなんだよ

>>『八幡愚童訓』
>>672
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87


名乗り(なのり)とは、戦において武士が味方や敵に向かって自分の姓名・身分・家系などの素性、戦功、戦における自分の主張や正当性などを大声で告げること。
武士の作法として、名乗りが行われている間に攻撃することは良しとされなかった
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E4%B9%97%E3%82%8A

あのな日本は外敵から攻められる事がほぼなかったから何でもアリにはならなかったんだよ
当然何でもありのキチガイ集団の方が強いのは当たり前だろ
それをプロ集団とかいっちゃうからww
その結果他に比べて品行方正が日本の良いところでもあるし誇れる部分だが

691 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:36:37.35 ID:R5me6JTL0]
うちの近くに墓標があるんだけど、最近調べたら元寇で戦って戦死した人の墓だと解った。

ネットで調べたら、矢に塗られた毒がまわって亡くなったらしい。

692 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:37:30.23 ID:rFyTu+7s0]
>>680
>クビライは戦下手だからね

元の属国になった朝鮮人はよほどカスだったんだねw

693 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:37:39.70 ID:3qFZATQp0]
>>688
そりゃただの一騎打ちの逸話だろうが。俺が問題にしてるのは
名乗らないと卑怯という観念のこと言ってんだぞ。



694 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:37:47.41 ID:y7D2c6UT0]
>>681
イタリアでの戦争は、傭兵軍同士でそんなんがあったらしいね
ただ百年戦争とかはガチじゃね、ダプリン・ムーアとか徒歩兵が圧死とかしてるし
味方が密集しすぎて圧死とか、余り想像したくないな

695 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:37:58.50 ID:Dk7U0mGXO]
>>685
義経は幼少期はずっと寺で育ったし
寺を出てからは東北の田舎育ちだからな

たぶん言葉もかなり訛ってたはず

696 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:38:00.61 ID:uI6mZPJ60]
>>691
元の短弓は威力が弱いから毒を塗らないと役に立たなかったのだろうな

697 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:38:04.66 ID:jlOVL4CpO]
>>638
一夜にして沈没したから、遺体もそのまま海に流れたが正解。
陸上に遺体は、あまりないよ。

698 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:38:43.35 ID:ehwkWKnLO]
>>690

名乗りを邪魔された後は日本も普通に名乗りなんぞ止めて集団戦法取って圧勝してる訳だが

699 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:40:29.95 ID:c0jAmAuP0]
>>690
正規常備軍の軍人じゃ無いんだからそこまで管理把握してるわけ無いだろ。
参加した農民の名簿でも作ってると思ってんのか?
恩賞だって自己申告。自分から報告しに行かなければ何も貰えない。
軍隊が管理してくれてるなんて、現代の感覚で物考えてるな。

700 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:40:40.54 ID:rChzJTjB0]
>>698
何度も言ってるけど相手がアウェイで航路を遠距離してきたからだろ?
船は突貫で手抜き
あのなホームが強いのは当たり前なんだよ
もう少し考えて物言えよ

701 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:41:43.81 ID:3qFZATQp0]
>>690
それのどこが名乗らないのは卑怯、ってことの説明なんですかねえ?
もしかして根拠なかった?

702 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:42:32.70 ID:4DNzuEU70]
実際に戦っていたのは西国の武将だろ

703 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:43:16.17 ID:ZezIX4UaP]
>>683
ヨーロッパの騎士団は何よりも数が少なすぎるよ。
当時の東欧なんて動員600人程度のチュートン騎士団が強力な軍事勢力としてポーランドやリトアニアと
互角に渡り合っていたレベルの世界。



704 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:43:36.34 ID:rChzJTjB0]
>>699
お前もありえない事いってんな
戦争なんて大名、将軍の旗本以外正規軍でもなんでもないんだよ
そんなもんはどこの国でも同じ
無知が日本だけは違うとかいって美化すんなよ反吐がでんだよ
他よりましってだけな
略奪一切禁止見つけたら打ち首は可能
でもそんな事したら末端の兵士なんてついてこないから黙認
そんな当たり前の事も理解できないのか?
命に代えて参加してる意味考えろよ

705 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:43:55.79 ID:d1yhWLrHO]
>>683
その辺は ペストの流行 を調べると面白いよ

元がある国を攻め滅ぼしました
その土地の風土病をもって次は西に攻めました
どうにもこうにも落ちないわ
元側に疫病が流行るわでムカついた元軍は
投石器で 疫病で死んだ兵士を 要塞にほうり込みました…


706 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:44:01.73 ID:rFyTu+7s0]
ID:6/rUCi6M0
君さ、煽ることしかできない低能なんだから消えろよ
邪魔だからキムチ食って寝ろ

707 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:44:54.32 ID:JC2UPvdV0]
>>701
名乗らないのは卑怯じゃないな。名乗ってる最中に攻撃するのは
卑怯だが。

708 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:44:57.42 ID:x+CvbXHA0]
チョンとモンゴルが日本に侵略しようとしたんだっけか?
学校で習ったけど忘れてたは

709 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:45:03.95 ID:3qFZATQp0]
>>700
じゃあ「アウェイで航路を遠距離」してきた相手にホームでこんな目に遭う↓の国は何なんだ?

柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。"

710 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:45:19.31 ID:TrbN1DkcO]
みんな認めてるように敵の首都を一気にやっつけるというモンゴル軍の基本戦略は海を挟むとそもそも無理てことは分かった
日本相手に勝てるわけがなかったってことで日本側の武器や兵士、戦略がまあ悪いとは言えないまでもそれらがすべてだったとは言えない

711 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:45:19.75 ID:Y7d0aUJ60]
これは日帝が悪いな
韓国に謝罪するべき

712 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:45:48.51 ID:rChzJTjB0]
>>701
は?卑怯という概念があったから事前に名乗ってから戦ってたんだろ?
名乗りと言う作法が存在した。
頭大丈夫か?
文献にも書かれているのに根拠がないとか電波か?

713 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:46:04.13 ID:ehwkWKnLO]
>>700
別に地の利を活かした訳でもなければまだ元軍に兵站に問題が出る前の、上陸されてからの戦闘に
「ホームの強さ」なんぞ発揮されんぞ

それで元軍はボロ負けしてる訳でな



714 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:47:09.09 ID:T/n9kf+h0]
元寇のときにアムウェイなんかあったの?

715 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:47:22.23 ID:2rpyGCGVO]
>>700
まぁ防衛戦だったから勝利しても戦利品もなく財政が傾いて終わったけどな

716 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:47:55.09 ID:ZezIX4UaP]
>>697
いや、弘安の役の台風の後も元軍10万余人は陸にいて助かってるよ。
ただ船が沈んで逃げられなくなったから、その後に行われた武士の掃討戦で全滅した。
福岡周辺には元兵の死体を埋めた蒙古塚がいくつもある。

717 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:48:25.03 ID:QvQSYp8GO]
>>694
傭兵と言えばドイツのランツクネヒトって言い難い
言い難い上に何となく楽しそう、乱突くね人って感じで

718 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:48:34.06 ID:JC2UPvdV0]
>>712
戦場で名乗るのは、ちゃんと戦ったってことを証明するためだが。
でないと、恩賞もらえなくなるからな。
恩賞もらうのが、武士が戦場出る目標だから、軍功を証明するため
の名乗りを邪魔するのは卑怯。しかし、名乗らないのは卑怯ではな
く、単に変なやつ。

719 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:49:35.66 ID:rChzJTjB0]
>>709
www
朝鮮の国としての規模考えろよ?
近代になるまで日本も統治はできなかっただろ
朝鮮出兵の後中国進出もできなかった
それだけ航路を介した遠征、侵略はあの時代大変だったという結論
朝鮮が弱い国と何の関係があるんだよ

720 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:49:46.98 ID:6/rUCi6M0]
糞ジャップはモンゴル軍の中でも最弱の部隊をかろうじて撃退しただけでたいしたことない
糞以下

721 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:51:03.19 ID:d1yhWLrHO]
>>720
まぁ中身がチョンだったからな

722 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:52:35.13 ID:ehwkWKnLO]
>>720
南宋を滅ぼした元軍の最精鋭なんですが……

723 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:52:47.28 ID:rChzJTjB0]
>>713
素人のお前はそう考えるだろうけど一般的にはまともに取り合ってもらえないよ
武士が世界最強(笑)ならあの当時中国、元の代わりにアジア支配してるって

>>718
馬鹿だろお前
そんな余裕がある戦闘してたって事で甘いって事なんだよ
恩賞がでる大名クラスは顔でわかるし、身に着けてるものでも分かる
名乗らなければ恩賞もらえないとかギャグかますなって
そもそも国を奪われる奪われない戦争なんて恩賞以前の問題だからな



724 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:53:22.86 ID:YjNESrxj0]
日本の武士と言うのは軍事貴族だからな。
農民が武士になったように言う学説は古いかNHKの平の清盛。

武装にも金がかかる。
鎧は、簡単には通らない鉄の札を綴ったもの。
従って、矢が札の間や鎧の隙間を通らないと中々致命傷を与えられない。
原則組討で、隙間から相手を刺し殺した。
元軍は鎧もへな猪口。
弓もへな猪口。
機動力による兵の集散だけが取り得だから、場所を決めて闘ったら鎌倉武士の方が強かったろう。
文永の役は九州の一部戦力。
弘安の役は九州全軍。
鎌倉武士は山口県辺りまで行ったところで、元軍全滅。


725 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:53:58.88 ID:hOC3L5x80]
その頃の元は支那人の精神侵略が進んでどうしようもなく腐敗していたんだ。
撃退したからってあんまり自慢はならん。
本当の勝者は支那人や。

726 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:54:24.79 ID:UK25Vw+50]
蒙古人と手先の高麗人は皆殺しにして、
宋人は中国に送り返してあげたんだよね。

727 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:54:58.02 ID:ZezIX4UaP]
>>712
中世の文献にも奇襲や待ち伏せなど名乗りを上げない戦闘なんて大量にあるけど、だから卑怯などとは
書かれていない。
名乗らないから卑怯なんて書いた文献はないよ。
あと、実際に鎌倉武士が監修した蒙古襲来絵詞だと誰もモンゴル軍に名乗りを上げたりしていないぞ。

728 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:56:04.10 ID:jmcYZTYB0]

歴史の事実。

元寇をモンゴル国の日本侵略と思ってはいけない。
モンゴル、中国、朝鮮の連合による日本侵略だ。中国、朝鮮は日本侵略の謝罪を損害賠償をしろ。
1274年からの利子付きで。年利5%だ。738年の複利。
ざっと計算すると500兆円ほどだ。

中国と朝鮮は元寇など知らないと嘘をつく。モンゴルの力を削ごうとしてモンゴルに
日本を攻撃しようと持ちかけた。モンゴルは陸地で遊牧民だ。船や海鮮、渡海などは不得意だ。
日本侵略に乗り気でなかった。
だが、中国、朝鮮はモンゴルをそそのかした。そして、おんぼろの船を大量に作った。
日本の九州沿岸は常時春低気圧や夏秋の台風が来る事も教えなかった。
船は簡単に沈んだ。泳げないモンゴル人はたちまち溺れ死んだ。
また、日本人は農民だけで戦争を知らず弱い国民だと嘘を教えた。
のんきに九州に上陸したモンゴル兵はやたらと強い鎌倉武士に
コテンパンにやられた。

中国よ、朝鮮よ、元寇の謝罪と損害賠償をしろ。









729 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:56:27.63 ID:EDtSu0LY0]
日本側は、平原に引き込んで騎馬突撃で決戦して勝った
元は、その後は追撃されて船に退却
古文書だと そーなってる
調べてみそ

730 名前:カチカチ山の泥船か [2012/06/20(水) 14:56:39.81 ID:w6v8G78/O]
☆大東亜戦争中の昭和19年12月15〜16日と
昭和20年6月5日には、
米海軍第3艦隊の艦艇100隻以上が台風に遭遇して
大損害を受けていた史実がある。
太平洋にも「神風」は吹いたのだ。

しかしながら、元寇の時代よりも造船技術が進歩していたから、
敵艦隊壊滅、大勝利とはならなかった。

(^_^;)せめて台湾沖航空戦の戦果並の損害だったらな…



731 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:56:42.50 ID:XrUKS6OP0]
>>705
これが生物テロの始まりだった……のか?

732 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:56:53.34 ID:ehwkWKnLO]
>>723

自分で「渡洋侵略は大変だ」と言っておきながら「武士が最強ならアジア支配が出来るはず」とか

お前は頭がおかしいのか?

733 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:57:44.49 ID:ZezIX4UaP]
>>723
でも、実際に戦ったらモンゴル軍は鎌倉武士に手も足も出なかったんだぜ。
元時代の中国の文献は日本強さに対する恐怖に満ちてる。



734 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:57:44.60 ID:7zOTDHawP]
一回目の船ならMade in Koreaだし、勝手に自壊して沈んだんだろうw

735 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 14:59:36.00 ID:XrUKS6OP0]
>>734
いんや、ヒデヨシの陰謀だ

736 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 14:59:45.42 ID:6/rUCi6M0]
欧州に攻め込んだ精強1軍と
ジャップに攻め入った2軍以下と一緒にするなよ

737 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:00:20.78 ID:JC2UPvdV0]
>>723
少なくとも、名乗らないのは卑怯じゃないな。
さっきから、歴史を知らないの露呈しまくりだが。
それに、鎌倉武士も、名乗っても無駄だと思ったら、あっさり戦術変更
しているしな。

738 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:00:26.85 ID:jmcYZTYB0]
>>728

海鮮?  海戦な。

739 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:00:28.47 ID:c0jAmAuP0]
>>704
おまえのレスを抽出してみたが、思想が偏って固まってるな。
階級対立とか信じてるタイプか。

740 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:02:08.62 ID:4/5nm6Q90]
>>733
すでに北宋の頃には欧陽修の日本刀歌とかあったし、明代には倭寇が活躍していたしで、なんか「厄介な国」って思われていたかもねえw

741 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:02:30.20 ID:ehwkWKnLO]
>>736
欧州に行ったのが2軍だろ
日本に攻め込んだのは南宋を滅ぼした最精鋭だ

742 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:03:44.05 ID:rChzJTjB0]
>>727
お前も無駄に引っ張るな
>中世の文献にも奇襲や待ち伏せなど名乗りを上げない戦闘なんて大量にあるけど
お前さ、当時の日本がろくな戦争してなかった事さえ知らないわけ?

保元の乱で為朝が夜討ちを進言してもそれは卑怯だからといって却下される時代
そもそも名乗れる時間がある戦争だった、それがどういう意味かぐらい理解もできないのかよ
八幡愚童訓に元相手に名乗り上げて一人で突っ込んで一人として帰ってくるものなしって書かれてんだろ

>>732
比類なき軍事力なら航路のリスクを抜きにしても遠征できるだから
しかし実際は成功しなかった
そもそもあのデカい大陸で通用するわけないだろ
お前みたいな無知は物知らないから尺土がないんだよ
ただ単に一つの事柄でしか考えられない



743 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:03:45.80 ID:8011LVLz0]
平底の川船の方かな?



744 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:03:53.24 ID:ob8yUOwnP]
事後処理は、賠償とか停戦協定とか結ばなかったの?

745 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:03:56.23 ID:JYaC27Qs0]
>>675
積極的に参加するのも多かったよ。それほど豊かな時代じゃないからね。子沢山だし多くの農民は出稼ぎしないといけなかった。
当時の農民の視点では戦に参加するのはわりと普通のことだったんだよ。特に若者には出世の機会だからね。

勿論、全員が全員好き好んで参加したわけでもないが、当時の農民は弁当持って戦を観戦してたくらいなもんでな。
自分の持ってる平和な時代の観点だけじゃ歴史は語れないよ。

746 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:04:31.79 ID:jlOVL4CpO]
有史以来、対外戦争で一度も勝利の栄冠を手にした事がない国、朝鮮。
哀れだね。

747 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:04:36.01 ID:6/rUCi6M0]
元軍の弓はジャップより飛距離も威力も上回っていた
ジャップは原始時代のカス弓

748 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:05:07.77 ID:ZezIX4UaP]
「渡洋侵略は大変だ」とか言ってる人に、いいこと教えてあげる。
モンゴル軍は中国本土でも海を渡って襲来する日本人に歯が立ちませんでした。

日本側の史料:『太平記』
「結局此賊徒数千艘の船をそろえて、元朝高麗の津々泊々に押寄せて明州福州の財宝を奪い取り、
官舎寺院を焼き払いける間、元朝三韓の吏民是を防ぎかねて、浦近き国々数十箇国皆栖む人々もなく
荒れにけり。」

モンゴル帝国側の史料:『論倭』
「今の倭奴は昔の倭奴とは同じではない。むかしは「至弱」と雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。
いわんや今は険を恃んで、その強さはまさにむかしの十倍に当たる。さきに慶元より航海して来り、
艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。(中略)その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たさなければ、
城郭を燔ゼツして居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。」

749 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:05:41.82 ID:y7D2c6UT0]
>>730
征途だとその隙を突いて武蔵が沖縄沖の米艦隊に特攻してたなー

750 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:06:36.36 ID:miLasIiS0]
海に囲まれていて良かった。陸続きならもっと面倒なことあったろね

751 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:07:17.45 ID:PzhnSKKCO]
>>76
その番組、俺も「監視」してたから覚えてる。

ありゃ総務省から厳重注意か行政指導がいっても不思議じゃない売国偏向放送だった。
録画した連中も居るだろうから、未来永劫に売国の物証として犬HKは叩かれ続けるだろうよ。

752 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:07:18.51 ID:jmcYZTYB0]
モンゴルは遊牧民。騎馬戦、陸戦が得意。
日本と戦う為には、不得意な海戦をしないといけない。
その前に、モンゴル人は船、軍艦など作れない。
それがモンゴル元寇の敗因。
モンゴルと日本が行く続きなら日本は敗戦していた。

また、
北の遊牧民は寒さに強く、夏の暑さに弱い。
暑くて湿度の高い日本に来てモンゴル軍はへとへと。
戦う前にへばっていた。

歴史の真実。




753 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:07:22.56 ID:ehwkWKnLO]
>>742

何を言ってるのかサッパリ分からん
日本語で書け



754 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:08:16.19 ID:y7D2c6UT0]
>>731
テロっつーか化学兵器の走りだな
べつにモンゴル軍に限った話じゃないけど

755 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:08:18.09 ID:rChzJTjB0]
>>737
そんな恥かく必要ないと思うんだがな
www.uraken.net/rekishi/reki-nihon003.html
www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/yoshitune06.htm
有名どころでは義経の行為が当時卑怯とされていた
ちゃんと文献にも残って上で紹介されているからみてこい
当時の日本の合戦がどんだけほっこりしてたかも知らない無知

756 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:08:53.99 ID:5E/oLNOn0]
>>747
チョンは出てくるなよ、面倒なんだよ
おまえらの祖先は肥桶で戦ったんだろw

757 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:10:43.16 ID:rChzJTjB0]
>>753
お前日本語読めないだけだろ?相当馬鹿な異国人だなお前

>>745
平和ボケしてんのはお前らだろ?
戦争をイベントかなんかと勘違いしてんのか知ら成んけど
乱取りも知らないで戦争がとかいってんだから

758 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:11:30.27 ID:ehwkWKnLO]
>>752
元軍は陸戦で負けてる上に、ベトナムへは侵略してそれなりに戦ったじゃないか
第一、九州の緯度なんぞ南京より高いぞ

759 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:11:45.65 ID:jmcYZTYB0]

歴史の事実

モンゴル軍は朝鮮、中国のそそのかされて中国製のおんぼろ船に乗り
日本侵略に向かった。
だが、陸地人、遊牧民のモンゴル人は皆船酔いしてへとへと。
戦争などできる状態ではなかった。
かくして、モンゴル軍は日本軍に完敗。

やがてモンゴル、元は軍事力、財政が衰弱して崩壊。
まさに中国、朝鮮の思う壺。




760 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:12:16.42 ID:IwGrN8Um0]
弓の話が出てるけど、元はなんで中国の弩弓使わなかったんかね?
三国志時代からあるでしょ。
弩弓使われてたらさすがに日本の長弓より射程も威力も上でしょ。

761 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:14:14.05 ID:y7D2c6UT0]
>>752
海戦は苦手だったから、南宋攻略のときも南宋の降兵や船乗りを使ってた訳で
日本侵攻の主力が南宋兵なのもそういうこと
あと日本の地形は山岳地が多く、また平野も沼沢地だらけなんで騎兵の集団運用には適していない
また気候からして放牧に適した地も少ない
だから、地続きでもどうなってたかは分からないと思われ

762 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:15:28.10 ID:ZezIX4UaP]
>>742
八幡愚童訓は神社関係者が書いた宗教書。
蒙古襲来絵詞は実際に元寇の戦闘に参加した武士の残した記録。
武士の戦術について、どちらが正確な史料かは子供でも分かること。
蒙古襲来絵詞で武士は名乗りも上げずに集団戦法で戦ってる以上、当時の武士にはそれが普通の戦術だった。
実際にモンゴル軍に圧勝してるしな。

763 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:16:04.42 ID:ehwkWKnLO]
>>757

あのな

渡洋侵略に失敗したのは元であって、日本はそもそも渡洋侵略なんぞやってないんだから、失敗もクソも無い

大陸で通用するはずがない」というお前の主張には何の根拠も無い
「大陸の武力が日本には全く通用しなかった」根拠はあるが、逆は無い訳



764 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:16:09.38 ID:JC2UPvdV0]
>>755
「名乗らないと卑怯」なんて証明にもなってないが。
単に義経のやり方がゲリラ戦法で嫌われたってだけだろうに。
確かに、義経は「非戦闘員」とされていた水夫を殺すとか、イレギュラーな
行為ばっかするからな。


765 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:18:21.38 ID:ZgsPf3BK0]
オゴディが死ななければバトゥは引き返さなかったし
西欧州は全滅しただろうな
ジブラルタルを越えて北アフリカを地中海沿いに戻り
ムワッヒド朝、アイユーブ朝が滅亡すれば北アフリカまでモンゴル帝国だったろう

766 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:18:21.40 ID:yVQtd39X0]
この話題ってキチを集めるの?

767 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:18:23.38 ID:bESbL5u10]
ジンギスカンが源義経だったら…
責任取らせられんな…

768 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:18:38.96 ID:CtRMjoJP0]
>>130
中国人は普通の民、鎌倉の武士はガキの頃から稽古をしてた戦闘民族

一緒に語るなよ無能

769 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:18:57.01 ID:ehwkWKnLO]
>>760

使ってたぞ
それでも日本の方が上だっただけの話だ

770 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:19:36.03 ID:JYaC27Qs0]
>>757
戦争に参加したくないって観点が今の視点だって事だよ。貧しくて食えないより余程いい、そういう時代もあったんだ。
知ったかしてればいい気分かもしれないけど、無理やり連れてこられた奴が一転、乱取りに励んだとでも思ってるわけでもないだろ。

771 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:20:14.81 ID:EF8xTuaR0]
>>760
弩を使ってないという記述はどこにもないだろ
ただ絵巻には描かれていないだけ
南宋兵を駆り出して使ってるし装備してるはずだ

772 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:21:23.14 ID:3qFZATQp0]
>>755
お前は自分が提示したソースを読んでないのか?

www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/yoshitune06.htm

 そして問題は、文献(「平家物語」「源平盛衰記」など軍記物語や天台宗座主慈円が著した「愚管抄」、
鎌倉幕府編纂の「吾妻鏡」など)には義経の戦いが汚いと非難した形跡が見られないことです
(私もできうる範囲で確認しました)。
当時の人たちには、義経の戦い方が違反だという意識はなかったと思われます。
 義経を非難するのは当時の武士たちではなく、武士を美化する現代人です。特に歴史学者や
研究家からの評価は低いようです。
 ある日本史の書籍には「名乗りを上げて、一騎打ちをするのが合戦のルールである。それを平然と
破るような、恥を知らぬ奴がなぜ人気者なのか」などと酷評されています。
 武士道はフェアプレイ精神、武士の戦いは正々堂々の一騎討ちである、という誤解・俗説が
疑うことなく信じられています。

773 名前:名無しさん@13周年 mailto:sage [2012/06/20(水) 15:21:29.81 ID:rChzJTjB0]
>>762
君さ史料って当人に不都合は事は書かないって常識的な事さえ理解できてないならレスしてこなくていいよ
そんで平安時代の戦闘がどうだったか上で詳しく書いてあっただろ?
あんなちんたらな戦争している集団がプロ集団とかwww


>>763
は?朝鮮出兵で結局帰還してきただろ
どのような理由であれ結果的に失敗
お前のとんでも論に付き合っても時間の無駄だが無知が適当か事書いてんなよほんと



774 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:21:47.16 ID:6/rUCi6M0]
あほな南人とカスジャップはお似合いだよな
元寇はカス同士の戦い
主力は欧州だから

775 名前:名無しさん@13周年 [2012/06/20(水) 15:22:27.33 ID:AiC9HHQM0]
元寇の船は宋船と高麗船があるけど
これはどっちだろうな
宋船の方がだいぶでかかったらしいけど






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