- 626 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2019/03/17(日) 20:35:28.85 ID:OVrHv9LY0.net]
- 蕎麦というのはどうしても華やかさに欠ける。
嫌いではないが、地味という言葉がこれほど当てはまる食べ物はない。 食感もぼそぼそとして、舌触りもお世辞にもいいとは言えない。 まさにうどんから華をとって食感を悪くさせた下位互換が蕎麦といっていいのではないか。 味も特筆すべきところも何もなく、ただ風味だけは蕎麦粉を強調して これが蕎麦食いの好き好きになるらしいが、どうもその感覚はついていけない。 まずどうしてここまで宗教染みた蕎麦食いを誕生したかの由来を考えことが必要であろう。 そもそも蕎麦の原点は小麦粉が手に入らない界隈にいる人々が どうにかして食べ物を得られないかを模索して蕎麦粉を目につけたことにある。 やがて貧困層の一定地域で流行った蕎麦がやがて江戸にも出回るようになる。 そこで江戸町人たちはその蕎麦になぜか惹かれた。 それは華やかな世界にいた人にとっては新鮮だった。 着物を質屋に売って節制していくことを美意識とするような蕎麦に心を打たれ、 判官びいきの江戸っ子は「これが粋だ」と悦に浸って食べたのだ。 これが熱狂的な蕎麦食いを生み出し現在も至ってるのでは、と推測している。 今も蕎麦食いは自慢げに食べることからもそのアイデンティティは受け継がれている。
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