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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:05:22 ID:buAV4pyy]
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?
逃げ延びた秀忠の逆襲?
宇喜多執権体制?
三成ら五奉行主導政治?
毛利幕府成立?

395 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/19(日) 21:00:48 ID:SHm8SHwp]
家康が政権を握ったら農本主義的政治になるという人いるね。
俺もそう思う。
近世のころからある産業を考えると、有田焼、萩焼といった焼き物があるけれど、
家康が政治を握ったら、実用性より華麗さを追求した焼き物産業は、成立しなかったかもね。

>>393
五奉行までは合っていると思う。その下は知らん。

396 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 02:24:52 ID:FdazG3IR]
皆五大老の面子やら豊臣政権の基盤みたいな細かいことは学校で習っても忘れてるぞw
ここは「もし関ヶ原で東軍が勝ったら」という東軍厨隔離スレなんだからあまりマジになられても困る

397 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 08:47:25 ID:FyIIPxHW]
>>395
家康なら伴天連どころか南蛮貿易自体を制限するだろうって人もいるよね

398 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 10:14:15 ID:8g7fBWNY]
 まあそうだな。家康は、海外とか交易には興味薄そうだ品。
周囲を固めるのも視野の狭い田舎侍の家族主義経営
これでは南蛮貿易自体を制限するのもありかもな。
 でもそれだとなおさら交易ヤ商業に精通した
西国諸侯や上方商人に出遅れて国力に差がついてくるだろう。
 豊臣の代理に過ぎない家康が西国諸侯の交易を抑えるほどの権限をもてるとも
思えないし・・
関が原の状況からして、圧倒的勝利は難しいから和睦で勝利するのが関の山
であろうから
おそかれはやかれ関東徳川は時流に取り残されていってしまう結末に大差は
ないかと・・

399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/20(月) 12:05:30 ID:OEgQQKF/]
スペイン・ポルトガルといった南蛮諸国が没落し始めてたから、別の地域に貿易のターゲットを移すんじゃないか?
イギリスとかオランダとか…

400 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:29:25 ID:HLZ7Glfn]
漂着オランダ船の航海士を江戸に抑留した家康が?


401 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 14:58:18 ID:FdazG3IR]
ヨーステンいう南蛮人が関ヶ原後に漂着したらしいけど、
輝元の命令で積荷を奪って処刑したらしい
当時結構な問題になったそうだ

402 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:52:48 ID:ICqumv1I]
南蛮とは特別仲良くもなかったみたいね、家康。
アダムスを抑留したのは、大砲やその打ち手が欲しかったから、というのが第一の理由なんだろうけれど、
紅毛との通商の駒として使うつもりもあったのかな?
殺すよりマシとはいえ、抑留したら恨み買うだけなのにな。

……てことは、紅毛貿易に取り組むとしても、結局失敗。
いずれにせよ、西洋文明とは疎遠になるのは必至か。

403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:55:18 ID:8g7fBWNY]
>>401
処刑したっけ?捕虜として確保した後のことはよく知らんけど
存命してたという記憶がある。
揉めてたのは揉めてたよな、何が理由でヨーステンやアダムスいう色目人
で問題になったかは分からないけど。
 
>>399 そこまで積極的に貿易に手を出したかどうか・・
何せ、東海一の弓取りといえども保守的な風土で育った三河の百姓侍
 家康の天下の場合だと、
土地や富が人口の数パーセントの富豪地主に集まり、人口の大半は
水飲み百姓として子供すら人減らしとして間引きされたり売られたりと、
結構貧しい暮らしを強いられてというパターンになりそうだな。
交易も積極的でない以上、そういった貧しい農業国に陥ってたはず。
 さすがの東軍厨も家康が買って天下を取ったら、そんな具合になるという点では
ある程度一致してると思う。
どこぞの学者だかが、家康が天下を取った場合として
交易の制限と海外渡航の禁止、農業にしか視野のいかない政策
でシュミレートしたところ
300年経過しても人口3千万ほどのまま。秀吉の時分と大差ない状況になったそうな。





404 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 18:57:15 ID:8g7fBWNY]
豊臣の場合農業以外の商業交易が盛んだったし、海外への移住もあったし
都市部や様々な産業が発達していったから
土地が地主に集中しても、余剰人口の働き口や生活場所はありあまってたしな。


405 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/20(月) 20:38:51 ID:ICqumv1I]
たしか維新時の人口って、東南アジア居留邦人もいれると5千数百万人だったよね。
海外人口も考慮すると、徳川統治下での人口は、現実の二分の一強か…。

406 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/21(火) 23:56:34 ID:PCwgSEFx]
>>405
新大陸にも大勢渡っているから、その辺の統計を入れると
現実の5分の1弱くらいになる。
さらに日本語を商業用とか公用語として使用する連中を含めれば
10分の1くらい

407 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/22(水) 12:57:58 ID:LRnWK8SN]
しかし、豊臣政権下での徳川家の貶められ方は酷いな…
家康タネ無し説なんてのもあったし

408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/23(木) 22:17:47 ID:7zYgw4Ui]
伊達厨の漏れが来ましたよ。
だから、江戸の陣で騎馬鉄砲隊を率いた伊達軍勢。
これがあったから、豊臣の天下はあるんだろ?

409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/23(木) 22:41:52 ID:5jkkobdi]
ああ、二万の兵で大損害を負いながら三千にも満たない井伊隊を壊滅させたんだっけw

江戸の陣を終結させたのは関ヶ原でも活躍した石田の砲兵隊だろう。

410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 19:15:03 ID:v0nTXhnh]
>>407
秀頼公は豊国明神(秀吉)の御胤ジャないという説のほうが・・・

江戸の陣で活躍したので名の知られているのといえば
毛利勝永関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
長宗我部盛親(関が原でほとんど働き無かったので挽回の為)
後藤又兵衛基次(旧主黒田長政の放免を願って)
塙団右衛門直之(江戸川に入城した加藤嘉明と因縁ある主従)
木村長門守重成(豊臣旗本代表として)
細川五郎興秋(細川忠興の次男で勘当された父に変わり細川家を相続した)
小笠原権之丞(家康の七男で豊臣譜代)
明石掃部頭全登(宇喜多秀家に代わり宇喜多軍を率いた)
といった名のある武将連中が思い浮かぶ。

江戸城では名のある武将はいても
女(お江与の方や竹千代乳母の斎藤氏)が口出しするは
戦争の内容を知らない文官(本多正純とか)が跋扈してるは
裏切り者(豊臣方に内通する細川幽斎や藤堂高虎)がいるわ
で、どうにもらならかったようだし
真田信幸が「日本一の兵」といわれているものの・・
めぼしい兵はいないな。

411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/24(金) 22:01:59 ID:CbQpxtwo]
>410
確かに信幸は凄かったね。死して名を残すとはまさにこの事だよ。
最強の団結力と謳われた豊臣家臣団が若大御所放り出して逃げたって
言うくらいだからね。
東軍厨じゃないけどなんだか真田戦場跡に行ってみたくなったよ。
でもあそこ駐車場無かったよね。やっぱり佐助線で行った方が楽かな?


412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/26(日) 05:21:32 ID:mveutQs9]
>>411
あと一押し。
あの瞬間に結城秀康が現れたら、秀頼の首は取れた!

413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:30:23 ID:MjwKNH9J]
惜しかったね。
それはさて置き、伊達厨の漏れだが、
伊達家って実際は徳川と仲良くしてたよね?
なんで、豊臣政権で偉くなっちゃったの?



414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/27(月) 18:33:52 ID:B0/kdvlu]
土下座と胡麻擂りが得意だから

415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 18:48:31 ID:nmFdjXJt]
>>413
偉くなったといっても改易のあと許されて高家としてじゃん
官位だけww

416 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/27(月) 22:08:34 ID:nsxvIrT3]
そういえば、伊達邸に討ち入りしたのは何藩の浪士だっけ?

417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 00:19:55 ID:vqRqbDme]
>>416
確か神保相茂の家臣

418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 12:29:41 ID:B+wOVRgh]
>417
トン
もう忠臣蔵の季節だな

419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 12:52:45 ID:ahlfWz+7]
東軍が勝つわけないんだから。IFスレツマンネ。
豊臣300年の平和を作った豊国大明神様こそが最強。

420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 13:29:21 ID:Dyo4+1bg]
で、倒幕の中心になった会津藩と奥羽列藩を残してしまったことについてはどーよ?

421 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 14:05:40 ID:8q0DVxc6]
一応、結城朝勝も参陣してたんだけど

422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/28(火) 17:54:28 ID:ab2OiV8I]
 >>420
はっきりいえば潰して不穏な浪人を激増させるよりかは
減封して生き残らせてカツカツの暮らしをさせた方が
治安的にいい。

でも結果的には
どこぞの藩のように正月挨拶は「大阪征伐の儀はいかがいたしましょう」
と言わせてるような長ーい怨念も残したんだよね。


423 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/28(火) 21:11:12 ID:pBKGHps7]
>>422
伊達の怨念も凄まじかったらしいぞ
生き残りのためとはいえ、あの正直者の政宗が家臣の元領地にすがって、秀頼にゴマをする屈辱を味わったからな
三成の奥羽コントロールは評価されてるが、あれでは恨みを買うのも当然

悪いけど、東軍が勝ってれば家康はもっと調和を大事にしたよ。家康の人格からしてね



424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 00:06:03 ID:87Y9tfxU]
というかそもそも「数百年後の政治状況を見越せなかった事」を遡って
数百年前の施政を批判するのはちょっと無理があると思うぞ。

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:15:42 ID:H5Fl5UrL]
大名に対する政策とその弊害の因果関係がはっきりしているから、つい批判しているけれど、たしかにそうだね。
あの時点では、あの方法が「最良」といわずとも、かなりの良策だったんだろう。
「豊臣百年の計」という表現もあるけれど、(小規模の地域紛争があるとはいえ)実際のところ政権は300年続いたわけだし。


426 名前:425 mailto:sage [2006/11/29(水) 18:44:32 ID:H5Fl5UrL]
「計」をつかうなら「国家百年の計」という慣用表現か。
「豊臣の天下を百年とならしめるために云々」と言っていた。テレビで。

427 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 22:37:47 ID:Tjr5bxb/]
 豊臣の天下っていっても東国の上杉、西国の毛利を抜きにしては
語れない安定だがな。

西の毛利は関が原の後、輝元が「六分の一殿」とか「安芸の山名殿」
という風評がたって、禍を恐れて大老筆頭を三成に譲ったが
毛利一族の力は、その後も豊臣や国政を動かし続けたし
 奥羽の件についても上杉の存在がでかい。
景勝が「慶長元和の藤原秀衛」といわれるくらいに奥羽は上杉の
支配下におかれちゃった。

428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:20:37 ID:k/XbS1g5]
>>427
なあ立花宗茂はどうしたんだっけ?

429 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/29(水) 23:59:52 ID:Tjr5bxb/]
 立花宗茂・・・
久留米の毛利秀包が秀秋が大阪に出て行った後、筑後博多52万石
を預かって・・その後小早川の家督とともに継承した。
ゆえに秀包の久留米領をどかして筑後一国24万石になっている。
豊臣政権で新たに鎮西探題を設けた際に
これに就任している。
 ようは人材不足だった豊臣(ちゅうか三成)が外様でも信用できて
腕も立つ人材として白羽の矢が当たり九州の押さえになった。
なんせ肥前の鍋島も警戒必要だし
中国筋から豊後、伊予、筑前とくる毛利一門の背後を突く役割を担ってる。
奉行格というからご奉行と同列に政務を論じることも出来たという
重要な役割だ。


430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:05:06 ID:e5wFun/d]
奉行格と言ったら、
織田信包も確か豊臣政権の最高顧問的立場で列席してるよな

「織田の老犬様」の異名で親しまれて、
淀殿・秀頼親子はもちろん三成からの信頼も厚かったとか?

詳しい事おせーて下さい

431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:20:46 ID:DqjITGnN]
>>筑後博多52万石
ごめん筑前だったわww

中仙道の真田昌幸・信繁(幸村の異名があるな)も
大目付という役回りで同じく
毛利に対しても立花と同様の役回りを
上杉に対して担っている。
 真田はなぜだか忍者の管轄を手広くやってる。
東軍にいた柳生を助けて召抱えたりだとか伊賀を飛び地で獲得したりとか
徳川のとこにいた服部半蔵とかを召抱えたりとかしてるしな。
 裏真田とかいって剣術の得意な忍者を真田が扱ってるお話が
けっこうあるぞー
マンガだとカムイ外伝だとかあるし・・
映画だと深作欣二監督で中村錦之助とか松方弘樹とかでてた
「真田一族の陰謀」ってのがあった。

マンガで「子連れ狼」ってのがあるが、
もと公儀の高官だった拝なにがしとその幼い息子が
真田一族と争うというお話。
なお、現代版として週間マ●ガジンに“お●み松五郎”
てのがでている。
これは現代に続く拝一●の息子●五郎の末裔が
ヤンキーとして全国暴走族制覇とか学園支配を狙う真田十勇士と
激闘を繰り広げている。
バトルの後倒した相手を拝んでやるのが特徴。


432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:35:30 ID:DqjITGnN]
>>430
伊勢の津に15万石で復帰(だったよな確か)してる。
が・・
長男の信重とは折り合いが悪くWW、信重は関が原で東軍に属するという
言い訳無用の親子喧嘩をやらかしてあと・・・
家督は3男信則そして彼に息子がいなかったので織田の名跡は
4男信当の子孫に・・・

長男の助命嘆願と人材不足の豊臣家で大阪城の勤めを
請われて信包は家督も譲り剃髪して老犬斎と号しながらも
丹波柏原3万6千石を与えられ奉行格という破格の待遇で
迎えられてる。

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 00:46:00 ID:u/PwOkkg]
おがみ松五郎すごい好きだったけどそんな設定だったのか。
すっかり忘れてた。



434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 03:17:36 ID:HGiGV+wv]
何故秀頼は江戸の陣まで10年以上も徳川家を放置したのかって論議が
されてるようだけど、やっぱり淀君、千姫といった女衆の意向に
さしもの若関白も逆らえなかったというのがホントのトコらしいね。
実際江戸攻めの際、秀頼自身は秀忠・お江を城から救出し竹千代は
仏門に・・って前線の石田砲兵隊には指示を出してたらしいし。
・・・これはどうみても三成と左近の確信犯だな(笑)。
世間一般には秀頼って「非道関白」とか、ひどいのになると
「十五代関白将軍とならぶ凡庸人」みたいな言われ方をされてるけど
この事を考えると意外に秀頼って器量人だった気がする。
大体比較されてる十五代の豊臣秀喜にしたって大坂城を無血開場するなんて
「凡庸」どころか真の勇気が無いと出来ない英断だったろうし・・
とかく後世の評価というのは気まぐれなもんだと思うよ・・もっとも
秀喜の場合、長宗我部の所を脱藩した何とかっていう志士(名前忘れた・・
誰だっけ?)が実質的な立役者だったんだが・・それを差し引いてもね。
改めて秀頼や秀喜は再評価されてしかるべき武将だと思う。

ただし二人の評価と言っても「我亡き後、必ずイスパニア艦隊を持ってして
豊臣討伐を果たせ!」と遺言した伊達政宗と、300年後ホントにそれを実行
しちゃった伊達藩のスケールには到底及ばないが・・・
さすが「奥州(欧州)飛脚」の国だけの事はある(笑)。




435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/12/01(金) 19:55:20 ID:loCs6w7E]
>>434
維新の時に活躍した伊達と最上の実力は豊臣に隠しての
密貿易によるところが大きい。
 伊達家正室愛姫の子でありながら家督を継げなかった頼宗が
江戸の陣の恩賞と(は名ばかりの)蝦夷地のうち10万石
に飛ばされ、そこからアラスカ領有して金山発掘に成功したあたりで
 最上も北方入植によるシベリア開拓とロシアとの毛皮取引で
豊臣倒すくらいの力はできたろうね。




436 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/02(土) 21:20:36 ID:h1nZ5ek6]
>>407
それはいくらなんでも電波。
関ヶ原以前に6人も息子がいたのに。

437 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/02(土) 23:26:31 ID:OlkAmiOG]
そうだな。
種無しは秀吉だよ。
秀頼は、秀吉の子ではないというのが通説だし。

438 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/03(日) 00:58:36 ID:3gDlMxoD]
いや、腹の中にもう一人子供がいて男子だったらしいぞ。
どっちにしてもそんな子作りしか能が無い男だよ家康は。

439 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/03(日) 13:54:32 ID:ttTytib+]
それで関ヶ原で張り合ったんだから、立派といえば立派?
あの段階で豊臣に対抗できるのは徳川しかいないし。

440 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 14:51:29 ID:wf8Tk0Kj]
最上はずっと豊臣家をうらんでいたからね。
豊臣を倒したとき、千姫と義光の墓所に報告しに言った人も多いらしい。
北条家は1万石しかもってなかったくせに、ずっとうらんでいたのか市民まで動員して豊臣を襲撃する始末。
三成も頭はいいんだけど恨みを残さないことは考えなかったのかな?

441 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/04(月) 22:06:39 ID:bfOnubyB]
日本史における三大忠臣として名高いのは
楠木正成
豊臣秀吉
石田三成
というのはまあ妥当ではあるし

日本史の三大美女として
淀殿がはいっているのはまいいとしても・・

日本史における三大逆賊として
源頼朝
明智光秀
徳川家康
なのは豊臣史観に偏った人選な気がする。


442 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 22:28:33 ID:MX9b6EZW]
辛い幼少時代を送りながら天下人秀吉に見初められ幸せを手にした淀殿は今でも女性の憧れの的だしな

443 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/04(月) 23:41:57 ID:6RzcDRF+]
>>441
楠正成と石田三成はともかく、
豊臣秀吉は間違っても入らないだろ。
入れるなら(世間的に)大石内蔵助。



444 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:10:40 ID:LEGqSoXq]
>>443
誰すかそれ・・・・・? 

445 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 01:34:16 ID:/zYyHW8g]
忠臣内蔵助ってくらいだからな。

446 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 08:28:03 ID:Uj6CIk9A]
三成公は神様だしな。

447 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 09:00:21 ID:o1RzSeU4]
神さまは家康公だお

448 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 mailto:sage [2006/12/05(火) 11:45:12 ID:cawzqQBT]
>>443
戦前に出来た呼称だから今の概念とはあわないよな。
当時は天下人となっても頼朝なんかと違って将軍にならず
関白や太閤で通した秀吉は一応忠臣だったろうけど。

449 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [2006/12/05(火) 15:01:29 ID:VkGEmQrA]
それにしても役の後に出た大量の浪人達を日本人町の増強に充てた政策は巧いと思う。おかげで山田長政が南蛮に一大王国を樹立した。政策実行者は誰だっけ?






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