- 662 名前:日本@名無史さん [2020/10/20(火) 22:52:57.22 .net]
- >>431
>>奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を 280〜300年(±10〜20年)と推定しており、 卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。 箸墓被葬者は崇神陵墓でほぼ間違いがない行灯山古墳(布留1式)の前代。 崇神より大きな墓を造れた人物である。 いや崇神が自分の墓はこの人より小さな墓で結構と恐縮したほどの人物である。 山代の五塚原古墳、大阪交野の雷塚古墳は箸墓古墳と同型のミニチュアサイズと言われている。 時代も箸墓と同時代である。 崇神の前代、山城、交野、この3つのキーワードで箸墓被葬者は判明する。 それは崇神の叔父である神班物者(かみのものあかつひと)ことイカガノシコオである。 イカガノシコオは崇神の一世代前になり、 イカガノシコオの妻の真木姫は先代旧事本紀によれば山代県主の祖・長溝の娘とある。 またイカガノシコオと真木姫の子・タベノスクネは同じく先代旧事本紀によれば交野連と明記されている。 崇神の叔父である事、そしてその時代、肉親が山城や交野が地盤であるという地域性、 これらを考慮すれば、箸墓古墳被葬者はイカガノシコオ以外にはあるまい。
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