- 272 名前:日本@名無史さん [2020/10/19(月) 07:16:00.29 .net]
- >>233
>まあ、卑弥呼は高齢なのだから、すでに寿陵があって当然。 で、寿陵がすでにあったなら、卑弥呼が亡くなった翌年くらいには埋納できたのではないか。 そうすれば、築造が260年〜270年くらいとされる箸墓が卑弥呼の墓である線はなくなる。 まったく賛成。 卑弥呼が死んで作り始めたのはいわゆる「ハカドコロ」。 埋葬のための部分的な場所。 >一方、書紀では、箸墓はモモソ媛が亡くなった直後から造られたと書いてあるので、それなら相当な年数がかかり、 モモソ媛の死から10年くらいも埋納しない状態が続いたことが考えられ、実際にそんなことがあっただろうかと疑問を呼ぶ。 この書紀の記述は、倭人伝の卑弥呼の墓の築造記事を持って来て、モモソ媛=卑弥呼を臭わせたもののようにみえるので、 実際の箸墓築造とは異なる書紀の創作ではないかとするのが合理的だ 7世紀朝廷が魏志倭人伝を意識して改変したのは確実だろうね。 モモソヒメの墓としての箸墓古墳の記述も、取ってつけたような不自然さ。 卑弥呼の墓。の記事を大いに意識して書かれたものと推定する。 ということは7世紀朝廷も箸墓が卑弥呼の墓ではないことを知っていた。
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