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凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part35



1 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/05/17(水) 23:12:48.06 .net]
荒れないためのルールを作っておきます。

・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
 両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。

・中世の城スレッドなどの他のスレッドへレスするか
 当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。

・他のスレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えて、レスする当人の自由な選択を
 スレッドの住人間相互に尊重すること。

・落とし格子に関する議論をスルーしたりして妨害するのは禁止です。

以上のルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
また、上記ルールを否定、批判するのも荒らし行為といたします。

前スレ

凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part34
mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1479478757/

201 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/03(木) 22:44:40.31 .net]
古墳時代の豪族居館には濠があるでよ

202 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/03(木) 22:46:14.54 .net]
>200は自分ちはウサギ小屋なので戸締まりしない人なのかな。

203 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/03(木) 23:05:51.46 .net]
っていうか>>200は何度同じ事を書き込むんだ。
自分が以前何を書いたのかも覚えていないのかなぁ…

ちなみに、俺ん家の堀は塀の内側にある、もちろん防犯のため。
以前コレを書いたのに、未だに堀が内側にあるのは外敵を想定しないと言い張るんだ。

204 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/03(木) 23:10:33.43 .net]
>>201
群馬の三ツ寺遺跡のこと言ってるんだろうけどあれは当時の豪族居館にしては特異的な構造してるだよ。
全体を囲む堀と雉城と甕門はここと北谷遺跡しか見つかってない。
斑鳩宮や飛鳥京遺跡の大王や大豪族の館すら防御遺構はない。

日本書紀や古事記には稲を積んで防戦した記録は見えるけど攻城戦の記述は全くないし、
どうせ藁ぶき板壁の掘立て小屋しかないんだからその程度で充分だったんじゃない。

205 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/03(木) 23:22:20.92 .net]
先に結論ありきで、自分の妄想に固執断定するのは、有史という言葉も知らない誰かさんと同一人物だと思われちゃうから控えめにね。

206 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/04(金) 18:16:24.01 .net]
最近では鎌倉時代の武家屋敷もほとんどは、土塁も堀ないってことがわかってきてる
どうせ戦争になったら山に逃げるんだから、わざわざそんなもん作らんだろう
楠木正成も赤坂に籠る時、自分で自分の館燃やしてるし

207 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/04(金) 20:34:39.53 .net]
板葺宮とかダセえよな
板材の屋根とか雨漏りするだろうが
百済から瓦博士を連れてきてたんだから、そいつらに瓦作らせろよ

208 名前:日本@名無史さん [2017/08/05(土) 07:43:54.86 .net]
>>206
そういえば、教科書に「鎌倉武士の館」って掲載されていたよなぁ

209 名前:日本@名無史さん [2017/08/05(土) 13:26:38.42 .net]
武士であっても誰であっても、立派に屋敷を建てるなら既存建築様式の寝殿造を簡素化して流用した。jk



210 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/05(土) 13:45:08.99 .net]
それってこれのことだろ
加治氏館な
www.hello-school.net/haroreki007004.jpg

よく教科書には武家造りの典型例とされてるけど実は堀や土塁で囲まれた武家館は当時としてはレアケース

小和田哲男の「戦国の城」にはいまは堀は同時に用水地としても使われていたとか古い説が載っているんだが
同書に当時の様子がわかる史料として挙がっている粉河寺縁起、法然上人行状絵図、男衾三郎絵詞、一遍上人絵伝に描かれてる館にはそんなものはない

211 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/05(土) 14:16:26.63 .net]
で合戦になると山上りと言って山城に籠るわけだが当時の絵巻物見ると城と言っても柵と掻盾を並べた程度のただの陣地
tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/10/20/b12102001.jpg

戦国末期になると居住空間をもった山城も現れるけど
大半の中世山城はこの程度だっただろうと思われる

発掘に際して曲輪内から無数の人が数人入れる程度の穴が見つかることがあって
寝起きはその中に入って上に筵をかぶせてしてたらしい

212 名前:日本@名無史さん [2017/08/06(日) 01:09:48.71 .net]
なんかガキの頃に作ったダンボールの基地みたいだな

213 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 02:35:50.43 .net]
織豊期間中にどれだけ凄まじい勢いで築城技術が進歩したか分かるな
つうかそれ以前がショボすぎるだけなんだが
中国や朝鮮から建築技術が伝わっても寺社勢力が独占して世俗には流れてこなかったのが痛い

214 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 03:20:58.75 .net]
弥生時代の環濠集落
www.rekishi.jpn.com/_src/203/89a195l82cc96ed90b68ac28d8a8fw978e81i91e592cb88e290d581j20061.jpg
blog-imgs-48.fc2.com/c/i/c/cicadan/2011100201433671c.jpg

かつては防御性集落の一種と考えらていたが、見ればわかる通り堀が内側にしか作れていないので
これでは攻め手のほうが有利になってしまう
blog-imgs-37.fc2.com/c/i/c/cicadan/200911230355150a6.jpg

現代ではむしろ集落の成員を外に逃がさないようにするためとか色々な説があるがよくわかっていない

一方同時期に存在したのが高地性集落
避難用集落だとか見張り用だとか色々な説があるがよくわかっていないが農作に不適な山地にあるため外敵の存在を意識していたことは間違いない

一世紀頃は瀬戸内海沿岸を中心に作られていたが三世紀頃には北陸地方、東海地方に主体が移り古墳時代には廃れる
yamatonokuni.up.n.seesaa.net/yamatonokuni/image/kouchisei_bc50~ad100.gif?d=a1
yamatonokuni.up.n.seesaa.net/yamatonokuni/image/kouchisei_ad100~ad200.gif?d=a2
yamatonokuni.up.n.seesaa.net/yamatonokuni/image/kouchisei_ad200~ad300.gif?d=a1

215 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 03:42:34.19 .net]
古墳時代に入ると環濠集落というか密集集落自体そのものが見られなくなり散居形態が一般的となる
www.city.shiojiri.lg.jp/tanoshimu/bunkazai/hiraideiseki/hiraideiseki.images/kof2.JPG

豪族居館
www.uraken.net/rekishi/japan/jap05m.jpg

かつてはこれがスタンダードだと思われていたが防御遺構が明確に確認できるケースは実はかなり珍しい
大半の豪族の館は土塁も堀も櫓もない場合がほとんどである

法円坂遺跡の倉庫群 難波屯倉と推定されている
blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/EOS_6394_1.jpg

天皇や豪族はこうした屯倉や田荘を各地に造り「売田」を行うことで私腹を肥やしていった
「売田」とは小作農に田地や稲を割り振り小作料を取り上げることで後世の出挙によく似ている
屯倉や田荘は所有者が王族か豪族かの違いで見ての通りただの倉庫である
堀も土塁も何もないが防衛にあたってはワンちゃんをつかっていたらしい事実、犬養部と呼ばれるブリーダー業を専門にした部民もいた

中国のように遊牧民の侵入や朝鮮半島のように国家間の戦争もほとんどなかった当時の倭ではワンコを走らせる程度でも十分だったのだろう

216 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 05:04:43.07 .net]
>>215
いちばん下、大阪歴史博物館に行った時についでに見たわ

217 名前:日本@名無史さん [2017/08/06(日) 08:59:29.47 .net]
 見た感想を述べなさい

218 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 14:28:32.16 .net]
天下普請で築城した場合、城の構造や仕掛けが筒抜けなんだけど、
問題なかったのかな?

219 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 17:25:01.80 .net]
持ち場毎に分割されたから、全体像は掴み難いかと



220 名前:日本@名無史さん [2017/08/06(日) 18:11:46.75 .net]
豊臣大坂城の構造なんて家康は熟知してただろうけど、
冬の陣では落とせなかっただろ

221 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 22:51:39.94 .net]
>>217
屋根がでかくね?
しかも形が変だし

222 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/06(日) 22:55:12.69 .net]
西股総生「戦国の軍隊」を最近読んだ

普請は軍役の一部だそうだな

「城を築け」と命じられたら大工・職人・人夫・材料を自分で自腹で用意して
自分で城を設計して築いて、完成した状態で主君に引き渡さなければならない

かなり大変なんじゃない?

223 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 00:21:07.74 .net]
朝鮮式山城と水城
https://2.bp.blogspot.com/-OxT_KePYfz4/WQNC-W1CS0I/AAAAAAAAd9Q/7hgg1nehkC8wdDEssJTLTsMONZFzKA0KgCLcB/s1600/P2040089%2B%25282%2529.jpg

日本書紀によると百済人の憶礼福留と四比福夫が築城を監督したらしい
それまでの日本の建築物とは一線を画する壮絶な規模であり、版築土塁や石壁もさることながら倉庫の一つ一つまで礎石や瓦を使うという手の入れようである
周辺の山城を城壁で連結して平地の市街地や政庁を守る構造は、二人の故国である百済の王都泗沘城と全く同じ構造
www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/images/h19a/0113-06.jpg

滅ぼされた故郷とまったく同じものを造って唐、新羅軍を待ち受けようとはまったく粋なことをなさる
幸い仲間割れが起こって連合軍が攻め来ることはなかったが


御所ヶ谷神護石
www.heichiku.net/wp-content/uploads/2009/12/e28332c5da811a670c0a093c76b04d8e1.jpg
www.hb.pei.jp/shiro/buzen/goshogatani-kogoishi/nawabarizu_b.jpg

神護石とはかつて神域だったという俗説から生まれた名称で構造は朝鮮式山城と同じ
違いは日本書紀にのってるかのってないかの違いだけである
現在では唐尺が使われていること及び出土した柱根や土器の解析から築城年代は朝鮮式山城と同様7世紀半ば以降ということがわかっている

この神護石にしてもそうだが日本で築かれた古代山城は規模こそ本場と劣らないものの山奥に造り過ぎて戦略的な意味を為さない、
水沢を城内に取り囲めてないため籠城してもすぐ干からびる、城壁を適当に引きすぎて完周しない、など稚拙な面が目立つ

224 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 00:34:12.78 .net]
払田柵
www45.tok2.com/home/todo94/photogallery/thumbnail2007/hottanosaku-minamimon2.JPG

柵は古代百済語の城の音を当てて払田柵(ほったのき)と読む
実は朝鮮式山城より起源は古く最古の渟足柵、磐舟柵は大化年間に造れている
音こそ百済語であるものの単純に木材もしくは土壁で囲んだだけの城は朝鮮半島で多分例がなく恐らく日本固有にして初の本格的な明確な防御施設である

西日本に造られた山城と比べるおっそろしく規模がショボいが衝車や投石機もない攻城兵器など持たない蝦夷相手にはこれで充分だったのだろう
東北地方ではその後も後三年の役まで現役だったのだが奥州藤原の100年の天下の間にすっかり忘れられてしまった

225 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 14:55:59.12 .net]
西股総生はなあ「軍事史研究家」にありがちなんだけど現代人の発想や価値観を過去に投影してるところがな

226 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 19:05:23.54 .net]
このスレでも、戦争になっても絶対燃えない破壊されない塀前提で
塀の内側に堀があるから攻撃泡が有利になるとか言っちゃってる子いるじゃん
どんな超金属で強固な構造物だよw

227 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 21:17:22.73 .net]
>>226
??

228 名前:日本@名無史さん [2017/08/07(月) 21:24:12.94 .net]
>>225
あの方は、未だに『杉山城問題』に拘泥してるしねw

229 名前:日本@名無史さん [2017/08/07(月) 21:42:20.77 .net]
集落の周りに柵回らしてるから防御施設だって安直に考えてる時点で現代人の視点なんだよなぁ



230 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 21:44:36.12 .net]
と、都市部に住んでいて野生動物と遭遇した経験のない現代っ子が(ry

231 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 21:54:06.21 .net]
吉野ヶ里遺跡の真ん中にある楼閣も魏志倭人伝から連想したもので
あれが本当に楼閣状の構造してたとかどうかは実は根拠ない
祭礼の場で実際にはトーテムが並んでたとか言われてたり本当は何のための場所かははっきりしてない

法円坂の復元倉庫も屋根が変な形してるって話が上がってるけど、あれも家型埴輪が写実的に作れてる前提なので本当にあんな形だったかはわからん

232 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 21:58:46.48 .net]
>>230
それ内側にしか堀が内ことの説明に全然なってないんだよな
土塁の外側のほうが地勢が高くなってることも

233 名前:日本@名無史さん [2017/08/07(月) 22:05:34.47 .net]
それより、泡が気になる
"方"の誤変換なのか"側"のタイプミスなのか

234 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/07(月) 22:20:55.23 .net]
攻撃方(かた)を"ほう"って読むと思ってて泡と変換されちゃったとか?

235 名前:日本@名無史さん [2017/08/07(月) 22:33:28.20 .net]
読み方を間違って覚えてたとはさすがに思いたくないので、手っ取り早く変換するために"ほう"を使ったのか、あるいは側を打つつもりが"g"の打鍵が弱かったのかな?と

236 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 00:08:04.34 .net]
城めぐりのアプリは良いのかな?

237 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 06:16:42.70 .net]
戦争のためならば冷徹な合理主義の考えで防御施設を作らなければならない
ところが、戦争ではなくて宗教的な事とか何か他のことを考えて弥生時代の柵が作られていたとなると合理主義では解釈できない
弥生時代に濠や柵のある遺跡は少数派であること
柵で囲った中に何かがあった痕跡が無いものがあること
こう言った事から、一般的には戦争を考えなくてよい時代にわざわざ何かの意図をもって柵や濠を作ったのかと思える
作った動機もわからないのだからムズカしい

238 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 09:39:32.07 .net]
発掘で何かよく分からないものが出たらとりあえず「何らかの儀礼のためと考えられる」としとけばいい、って書いてた考古学者がいたなあ・・・

239 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 10:14:27.11 .net]
儀礼というものは部外者が見れば、何が何だかわからないものだ



240 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 10:35:45.43 .net]
「何らかの儀礼のため」と書いておけば何か分かったような気になるけど、実際には
「わけが分からないものはわけが分からない」というトートロジーになってるだけ。
出土遺物だけからわかることは案外少ないのであって、文書史料は無論民族誌や民間伝承なども
広く渉猟してはじめて用途や意義が判明することも多いのだ、というのがその考古学者の論旨だった。

241 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 11:43:41.82 .net]
多賀城(8世紀〜11世紀)復元図
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/92c0df51bbe034f877aff5d53fe160bc860072cc.89.2.9.2.jpeg
防御施設というより政庁の面が大きいな
大陸風で、弥生時代の環濠集落とは断絶している
継続発展であればさらに古い時代の防御施設をうかがい知るよすがにもなろうものだが‥

242 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 11:57:50.55 .net]
堀が内側ってのは確かに不可解だけど、弥生時代に「戦争」とも呼び得るような武力紛争が発生、激化したことは、考古学的知見からも支持されてるんでしょ?それともそれすら再検討されてるの?

243 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 12:03:14.13 .net]
あと、飛鳥時代以前には防塞を必要とするような武力衝突は無かったんだろうか?
古墳の副葬品に武具や甲冑、武人像なんかが頻出するところを見ても、大王や豪族が武器や軍隊を重視していたことは疑う余地は少ないように感じるが・・・

244 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 12:22:53.17 .net]
>>242
1世紀とか2世紀の弥生時代には、生活に不便な山上に住む高地性集落の遺跡が見受けられるが、何らか防御を考えての事だろうと推測されている

245 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 12:27:11.72 .net]
弥生時代は環濠も出てくるし、柵もある
→ 米をめぐる紛争の時代だったのだ
‥こういうあまりに分りやすい考えは再検討されてるようね

246 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 17:57:34.44 .net]
弥生人骨に縄文ではほとんどみられない他殺体が数多いという考古学的知見から、
米を巡るかどうかはともかく、紛争の時代であったことに変わりはなかろう。

247 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 18:23:14.49 .net]
そういや胆沢城には土塁の内外両方に堀があったんだってね。

本場の中国の城塞で、壁の内側に堀を設けた例がないとすれば、
弥生的習慣の残存と解しうるかも。

248 名前:日本@名無史さん [2017/08/08(火) 20:10:33.86 .net]
猪やオオカミ避けだろ

249 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 20:25:22.88 .net]
>>248
土塁の内側に堀つくるとイノシシ避けになるん?

どういう理屈かよくわからない。



250 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 22:10:15.67 .net]
>>242
それでいい。ちょっと前から暴れている子は、誰かに自分の主張を聞いてもらうという経験がほとんどない可哀相な子。
まともな学力のある子なら突飛な主張をする際は客観的な事実が必要なことぐらいわきまえているが、
この子はそういう経験がないから、オコチャマが考えたボクのニホンシー的な書き様になる。
もう一つ指摘できるのは、基本的な平時の防御施設と戦時の防御施設が両立するという当たり前の事実が理解できない。
平時の指摘には戦時にはー、戦時の指摘には平時にはー、だ・か・らお前の言ってることは的外れ。ボクちゃんが正しいと言い放つ。
壕のある古墳を知らないのか、知っていても技術が独占されていただの当人にしか通用しない理屈で否定するだろうし、
礎石は、適当な石ころを置いてあるだけだ程度にしか思っていない。素人。

群馬の三ツ寺遺跡を反証として認めないなら、○○氏が「○○」にて特異だとしているとしなければならないし、
ボクちゃんの言っていることは○○氏が「○○」で検証し、この論文は△△氏や××氏が引用し一定の支持がある。
こう書いて初めて他者は真剣に読むべきレスだと向き合ってくれる。

逆に言えば、ここで暴れている低学歴のボクちゃんが、乏しい知見に反することを誰かが突然熱弁しはじめたとする。
そいつは、俺の言っていることは大勢がそう考えている(はず)、お前の言っていることは間違っている、俺は認めない。
こんな事しか言えない相手の言っていることを黙って聞けるのかというはなし。

251 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 22:19:17.30 .net]
それ全部、お前に当てはまることだが
気に食わないんならお前が思う思わないじゃなくて具体的な根拠となるものを挙げて反論しろ

>基本的な平時の防御施設と戦時の防御施設が両立するという当たり前の事実が理解できない。
だから何?堀の外側のほうが地勢高くなってるの?

>礎石は、適当な石ころを置いてあるだけだ程度にしか思っていない。素人。
そんなこと書いてないんだが、

>壕のある古墳を知らないのか、知っていても技術が独占されていただの当人にしか通用しない理屈で否定するだろうし、
そんなことも書いてないんだが
何で古墳には濠巡らしてんのに館には濠回らしてのは何故かという話

252 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 22:21:58.17 .net]
つうかお前、大分前から大勢に突っ込まれまくってるけど皆内心お前のことウザいって感じてること気付いている?
興奮してまくし立ててるだけでお前だけ何の知見も示せてないんだが
それが出来ないなら消えてくれる?場の雰囲気悪くなるから

253 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/08(火) 22:44:56.39 .net]
まず、第一柵を回らしている=防御用とはかぎらない
例えば沖縄のグスクはほとんどは居住性をもたないただの祭礼空間である
チャシにもチャランケや儀式用に作られたものが多い

第二、戦闘や戦争の有無と城塞のあるなしは関係ない
例えばミノア文明は戦士もいて戦争もあったがどの「宮殿」も基本的には防壁を持たない無防備な構造になっている

第三、日本書紀を見ると大和王権内どうしの争いでは稲を積み立てて障壁として戦っていて恒久的な要塞を築いてる様子がない
またほとんどの豪族居館は防御遺構を持たない王権の中枢である飛鳥京ですらそうである

反論ある人は具体例あげてどうぞ

254 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 03:03:47.48 .net]
傍観してたクチだが、数少ない例外事例を並べたところで意味はないし、
中央集権国家で、日頃から私兵を養い邸宅を要塞化すりゃ、叛意ありと
見なされて即処断されるだろ。

255 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 05:11:13.84 .net]
>>250
だれもネトウヨとか一言も言ってないのに「ネトウヨガー」って連呼してた人かな?
とりあえず、「オコチャマが考えたボクのニホンシー的な書き様になる」「低学歴のボクちゃん」
みたいな下品なだけの煽りはやめなさいよ。それができないなら書き込まなくていいよ。
少なくとも君に「それでいい」とか上から目線全開で褒められてもうれしくもない。

>>253
1はわかる。3もある程度はわかる(史書にないことをもって存在しなかったことの証明とするのは
弱いと思う)。2はやっぱり>>254も言ってるような例外事例じゃないかね。ミノア文化の場合は、
強力な海軍力があったので城壁が必要なかった、という説明も多い。

あと、豪族居館のほとんどから防御遺構が検出されない、というのは具体例なり引用なりほしいところ。
ざっとググって見た限りでは、各地の豪族居館とされる遺跡からは環濠や木柵の遺構が検出されて
いる事例が多いみたいだけど。

>>254
古墳時代のヤマト王権ってそこまで中央集権国家だったのかね?

256 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 10:58:04.90 .net]
>>254
中央集権国家といってしまうと語弊はあったかもしれんけど、ヤマト王権においては
大伴(親衛軍)・物部(国軍)という軍事を管掌する軍事豪族が存在したからね。

257 名前:256 mailto:sage [2017/08/09(水) 10:59:21.23 .net]
おっと ×>>254 ○>>255

258 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 14:45:49.09 .net]
>数少ない例外事例を並べたところで意味はない

つーかさ、「倭国大乱」なんかどうなんのよ?

戦争中は堀を廻らし塀を建て、戦乱が収束すると一切の痕跡を掻き消したの?
なんか前提が無茶苦茶な気がする。
俺は戦国時代しか興味ないし、他は教科書程度のことしか知らんけど。

259 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 18:47:46.74 .net]
>>255
>>186で予告してあるが、
日本人に「記紀は出鱈目なことも書いてるよね」と言っても、「いや知ってるし、だから何?」で終わるのに、
『三国史記』を否定的に扱うと必ず愛国戦士が登場するのは2chの御約束。

で、共通しているのは、国士様はストーカー気質。何日・何週間たっても粘着する。
悪いw君のことは俺忘れてたわw
まともなスレの流れが君の朝鮮語りから、あれはじめて、この流れならどんな妄想を書いても大丈夫と、変な奴を呼び込んだ自覚ある?
勿論ないよね…

それはそうと、このスレには「有史」という言葉すら知らないのに、自分を学力で見下すのは許さないと息巻いている子がいる。
どんだけプライドが高いのやらorz



260 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 19:35:34.09 .net]
いや、もう来なくていいから、お前マジで死ねや・・

261 名前:日本@名無史さん [2017/08/09(水) 21:36:53.84 .net]
閑話休題
「塀の内側に壕があっても、防御性集落」とする方々は…
古代豪族居館が、環壕集落の外側に存在する事例について、どのような解釈なのだろうか?

262 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 21:43:16.58 .net]
で、倭国大乱は最新の主流な学説とやらではなかったことになってるの?
それとも大規模な戦乱が長期に亘っても、平和を愛する諸国民で構成された当時の倭民は
誰一人として防御施設をつくらなかったの?
最新で主流とされる研究結果を知りたい

263 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 21:53:54.59 .net]
>>261
豪族居館の成立時には、環濠集落は解体してるんじゃね

264 名前:日本@名無史さん [2017/08/09(水) 22:33:01.36 .net]
弥生時代の殺傷人骨の研究によれば、弥生時代前半は短剣による背後からの殺傷や弓矢による側部・背後からの殺傷が多い
数人単位の戦闘かと思える
また矢合戦や儀礼的殺人の可能性もある
これに対し、弥生時代後半では、鉄剣・鉄刀などの・鋭利な殺傷痕跡が矢傷と重なって見られるものがあり、まず矢を射て、剣でとどめをさすといった戦闘が考えらる
以上から、弥生前期では小規模な奇襲・襲撃・裏切り、また儀礼的な争いが中心であり、弥生後半には激しい集団戦の比重が高まったと考えられる
‥ということだって
‥野戦で雌雄を決してたんじゃね
知らんけど

265 名前:日本@名無史さん [2017/08/09(水) 22:47:58.66 .net]
(追補)
弥生後半には一遺跡から大量の殺傷人骨が出てくることが増えてくるともある
集落が責められたのだろうけど、弥生遺跡で濠や柵のあるものは少ないと言うんだから、防御施設関係なしで戦争をやることが多かったんだろう

266 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 22:54:35.56 .net]
>>253
www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4864/cool/kitayatu/kitaya.htm
>調査で、このうち西側の低地が、人工の堀で、しかも古墳時代のものであること
>が確かめられた。さらに巨大な「台形の山は、上面に盛土がなされ、また周囲に
>石積みがめぐる可能性が強くなった。同種の遺跡は、現在のところ、古墳時代
>豪族居館として著名な三ツ寺T遺跡以外に無い。

正確に言うと堀を巡らし葺石で覆った高台を持つ居館は他にも数か所見つかっていて
いずれも北関東に集中していてるだが蝦夷と隣接していたためだろう

それ以外は政庁とみられる建物の南と西に濠を儲けた極楽寺ヒビキ遺跡、ほか特定の建物の周りだけ幅数メートル程度の溝を儲けた
例が北九州で数か所確認できるのみ
大和王権の中枢とみられる郷遺跡群や脇坂遺跡ですら全体を防御するすような堀は見つかってない

267 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 22:59:11.81 .net]
>>262
何度も書くが戦争のあるなしと防御性遺構のあるなしは関係ないんだよ
書紀見ると稲を積みたて陣地作って戦ってるしそれだと痕跡も何も残らないだろ
そもそも恒久的な建物をつくる発想がなかったんじゃないの
王宮ですら大王の代替わりごとに変わってるし

268 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 23:12:03.78 .net]
豪族も代替わりごとに集落を換えていた可能性があると?

269 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 23:33:13.01 .net]
大和王権の軍制の話が出てるのでついでに書いとくが、王権時代には国軍というものがなくその基盤は
国造が隷属民から募った私兵でこれを律令制研究では便宜的に国造軍と言う(岸俊男「防人考」)

後に朝鮮半島の軍事行政制度である「評」が導入されて初めて国軍といえる評制軍が造られる(末松保和「朝鮮の軍事組織について」)
評制は難波朝時代(孝徳天皇)に立てられたという記録から(皇太神宮儀式帳、常陸国風土記)せいぜい遡っても7世紀半ばを下らない

>>268
集落まで変えたなんて書いてないが
掘っ立て柱の耐用年数はせいぜい10年もって30年なんだから当然、頻繁に建て替える必要がある
ずっと使い続ける前提なら瓦葺なり礎石使うなりするだろ



270 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 23:35:40.99 .net]
キリスト教が広がっていくさい、従来地元で信仰されていた宗教施設を潰した地に教会を建てたように
征服者が旧来の施設を占有していくのだから旧い施設の跡地が残らないのに不思議はない


遺構が見つからないから存在しないというのは、五世紀以前にこの国では文字が誰にも読めなかったというのと同じ位
頭が悪い発想

>>267
>何度も書くが
いや、もう書かなくていいから、いっそのことコテ付けてくれないか、NGワードに設定して読めないようにするから

271 名前:日本@名無史さん [2017/08/09(水) 23:43:22.06 .net]
塀の内側に掘りがあるのは泥棒返し。
盗んだ物を外に運び出しにくくしてるんだわ

272 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/09(水) 23:48:25.02 .net]
徹底的に破壊されたテノチティトランですら遺構が見つかってるのにそれは無理があるべ
破壊されたなら破壊されたで絶対に痕跡が残る

それすらも残らないように巧妙に隠蔽されたというのならもう何でもありだ
何でもあったことに出来る

273 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/10(木) 00:07:29.17 .net]
たしかに何でもありだな
壇の越遺跡で板塀がみつかったとメディアが大騒ぎしていたが
見つかりにくいものが見つかったから大騒ぎになったのか
このスレで一人が(未だにソースをださない)最新の知見とやらによるところの
存在しないものが見つかったから大騒ぎになるのか

結論ありきで都合の良い材料だけを引っ張てくる
最初から理解する気もないのに何とかの一つ覚えのように「塀の内側に堀ガー」を繰り返す
話者の立ち位置でどうとでもなるはなしだよな

親切な俺様的には先に言っといてやるが(君頭悪いし)、壇の越遺跡は飛鳥時代以前じゃないだろという突っ込みでドヤ顔はやめてね
時代が降っても見つかったということで大騒ぎになったのだから、それより数百年前の遺構に痕跡を求めるのはどうなのよっていうこと

それはそうと本当にださないな君、最新の知見とやらのソース

274 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/10(木) 00:17:18.28 .net]
檀君朝鮮も本当にあったし、中国から漢字が伝わる以前から日本には神代文字があったんだよ。
当時の物のが見つからないのは征服者が破壊したから。
あったと思いたい人がいるんだから、それを無下に否定することはないよ。
この話題はこれで終わり。いいね?

275 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/10(木) 00:24:21.17 .net]
274は187と同じ臭いがする
本人は上手いこと言ったつもりなんだろうが…

276 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/10(木) 01:07:14.98 .net]

   ̄ヽ、   _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     `'ー '´.   ┌─┐
      ○   |●|
       O.  └―┤
           ___|_
         /_愛●国\    と、思うネトウヨであった。
        /   u \,三._ノ\
      / u ノ( ( 。 )三( ゚ )\
      |    ⌒ ⌒(__人__)⌒ |
      \    u  |++++|  /
      /      ⌒⌒  \

277 名前:日本@名無史さん [2017/08/10(木) 07:29:12.59 .net]
>>274
見つからないけどあったのを知ってる、
あったと思いたい気持を否定しないでくれ、
プギャー

278 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/10(木) 10:17:42.26 .net]
彦根市、スマホ片手に歩きながら城下町を巡り
www.chunichi.co.jp/article/shiga/20170810/CK2017081002000011.html
歴史を勉強できるアプリ 「彦根ほんもの歴史なぞとき」配信

279 名前:日本@名無史さん [2017/08/16(水) 14:45:42.34 .net]
マジで質問するのだが、何の痕跡も残せないほど徹底的に破壊することは
可能かな?
まあ遺跡に限らずに、役所の機密書類の改ざんや破棄にしても、
噂の真相によると、役所の文書管理のシステム構造上からして、
改ざんや破棄をすると何らかの痕跡が残るとは言っていたけどな。



280 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/16(水) 15:02:30.81 .net]
上から違うモノをのせちゃえば、それを壊さないと下はわからないからな
石山本願寺→豊臣大坂城→徳川大坂城
今の大阪城を壊さないと石山本願寺の遺構はわからんだろ
住宅になって旧場内は、住宅を壊さないと確認できないだろ
徳川以外の二条城や大津城の遺構もおそらくあるだろう

281 名前:日本@名無史さん [2017/08/16(水) 15:55:36.89 .net]
徹底的に破壊しても痕跡は残るとか残らないとか言っているが、痕跡が残っていても、あるいは全く破壊とかしてなくても、未発見の遺跡なんて幾らでもある理窟だわな
発見できてないのに、ある筈だとか何故言うのかわからない
有る筈だとか言ってるのは文献が残っているって事なのか
そこらへんを整理して書いてくれなくちゃ意味不明だ
雑誌ムーにでも書いとけばいいような話に聞こえる

282 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/16(水) 17:50:57.00 .net]
前近代のテクノロジーではいくらテッテ的に破壊しても、痕跡を残さないというのは無理だよ。
かなり粘着質な徹底性とハイレベルな土木能力を持っていたローマ人が破壊したカルタゴだって、遺物や遺構は出てくるんだし。

283 名前:日本@名無史さん [2017/08/16(水) 20:09:05.82 .net]
まず地層が変わってくる

284 名前:日本@名無史さん [2017/08/17(木) 07:57:54.02 .net]
ただなぁ
今治城の天守閣の例はどうなんだろうか?
今治城の復元天守を立てるとき、いろいろ調査をしたそうだけど、
あの場所に天守閣がった痕跡が見当たらなかったと報告されているのだけどな。
とは言っても、文献上はあの場所に天守閣があったのは確実されているし、
天守閣を移築して、代わりに入った久松松平の殿様はあの場所に天守閣が
あったのだよと言わんばかりに、模造施設を作っていたのだからな。

285 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/17(木) 16:03:32.23 .net]
沼田城はなぜ破却されたのだろう

せっかく外様を改易してやったのだから、関東の北の抑えとして譜代の臣に与えれば良さそうなものを

286 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/17(木) 18:32:40.34 .net]
確実視できる史料なんて何もないだろ
後代の年代記から8年ほどあったとか言ってる人がいるだけ
実際は天守創る用の部材を譲ったとかそんなんだろう

287 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/17(木) 18:49:08.69 .net]
大和朝廷時代に城郭があったかどうかという話だけど
隋書倭国伝に「無城郭」って明記されてるからやっぱりなかったんじゃない

288 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/17(木) 19:15:54.30 .net]
その城郭ってのは城砦ではなく、大陸式の都邑を囲む城壁という意味に解されてるな。

289 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/17(木) 23:08:05.41 .net]
城郭、ってのは都市という意味もある
文脈的に考えてこっちのこと言ってるっぽい

「その国、居するに城郭無し。木を以て柵と為し、草を以て屋と為すのみ。」



290 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/18(金) 03:24:21.93 .net]
その文脈では、(土石の代わりに)草木を使ってるというんだから、
あきらかに"都市"という意味とは違うだろw

291 名前:日本@名無史さん [2017/08/18(金) 19:09:38.41 .net]
>>284
篠山城や津城の事を考えると二の丸・本丸の接するところではなく
南隅櫓の位置に天守を構えたと思うんだ。
また亀山や上野は「本丸」中心部に天守を構えたところを見ると
今の神社のあるとこで、駿府城の天守曲輪と同じ発想じゃないかと
思う。

292 名前:日本@名無史さん [2017/08/19(土) 08:49:16.56 .net]
>>291
海城という構造からしても、あのあたりに高層建築物があった方が
使い勝手が良いからな。
実際今治城の復元天守でも、今でも灯台の代用品になるくらい海から見たら
目立つしな。
海城は、城そのものに高層建築物を作っていないにしても、たいていは
周辺部の山に見張り台を設けているからな。
現在の今治城の前にあった、国分城でも実質的な海城だったしな。
藤堂高虎は琵琶湖の湖賊のこともよく知っていたはずだから、あの場所に城を作るなら
何らかの見張り台的な高層建築物を置いたに違いないと思うのだ。

293 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/19(土) 18:33:21.98 .net]
思う思わない何て何の根拠にもならないし、それが根拠になるなら何でもあったことにできる

発掘して改修の跡が見つかてないんだったら最初からなかったんじゃないの
大体、たかが灯台用のために維持する手間も費用も掛かる天守なんか作るかね?
どうしても必要なのならば二条城みたいに火の見櫓建てればいいだけの話

294 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/19(土) 20:26:25.57 .net]
今治城に関して
御殿は二ノ丸みたいだが、本丸は捨て曲輪?

295 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/21(月) 18:57:01.51 .net]
豊臣方が京都で放火画策 大坂夏の陣前にオランダ人書簡
www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20170821000078
放火しか考えていない豊臣秀頼方の悪党が京に多くいる

大坂夏の陣直前の洛中の状況を克明に記した記述が、当時、
京都にいたオランダ東インド会社商務員の書簡で確認された。
フレデリック・クレインス准教授が和訳した。二条室町の商人宅に
滞在中だった商務員が書いており、「町衆に近い目線で記した貴重な資料」という。

296 名前:日本@名無史さん [2017/08/22(火) 19:14:00.21 .net]
>>293
中心は神社になっていて発掘自体が今は無理

297 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/22(火) 19:20:46.21 .net]
西南戦争で熊本城の木造部分を焼いたのは、籠城側、というのって未だに一つの説扱い?
平時の木造増設部分なんか攻め手に燃やされたら視界が塞がれるし籠城側の士気も落ちる。
背水の陣みたいなもので予め焼いておくというのは合理的だと思うが、、、

そういえば、女首相が閣議で「この部屋に男は自分一人なのか!」で始まった某紛争。
自国の軍艦が沈められてから、軍艦の可燃性の塗料を戦場で落としたり木製品を海中投棄したりしてたよなw

放火や戦火で燃えるという発想は平時じゃタブーなんだろうか。

298 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/22(火) 19:50:56.86 .net]
>>297
木造とはいえ漆喰で塗られた瓦葺の建物を火矢かなんかで遠距離から
放火するのはいうほど簡単ではなかったんじゃない? 大阪城とかも
炎上するのは落城寸前、というか落城時だよね。

英軍艦に関して言えば、英海軍は戦闘能力より居住性を重視する伝統が
あるらしい。極北から熱帯まで全世界に展開しつつ兵員の健康と志気を
維持するためにはある程度しかたないのかも。日本海軍の巡洋艦を見て
「初めて本物の軍艦を見た。我々がこれまで見てたのはホテルだった。」とか
褒め殺した、なんて話もあるし。

299 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/22(火) 20:22:49.50 .net]
いや…最後のは英人風の嫌味だし…
日米開戦前に米から贈られた大量の駆逐艦もケチつけてるから、連中。

まぁ熊本城の木造部分が燃えるか燃えないかは、その時点でのメンテ次第だわな
万全の戦時対策がしてあったのか、金がないから半世紀以上ほったからしだったか
堀に面していない建造物まで耐火構造なのか

あと、十年位前に熊本城で写真撮ってたら、城ボランティアっぽいお爺さんに話し掛けられて
俺の履いてる靴の話からカメラの機材の話になって、最後に本命らしい西南戦争での話がはじまったが
大砲の射程から陣地まで、言うことがコロコロ変わるのはまいったw
ただの歴史好きだったかも



300 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/08/22(火) 22:11:30.76 .net]
つうかさぁ木材でもゲームじゃあるまいしそんな簡単に焼け落ちないでしょ

近代でもアメリカの入植者の都市とか Baturin要塞といったコサックの砦は
城壁まで木で作られてるけど、そんな簡単に焼き払えるものなら最初から作られなかっただろ






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