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【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】



1 名前:名無し三等兵 [2009/03/21(土) 06:34:55 ID:Mw6fCZR/]
前スレが大分前に落ちたみたいなので立てました。
近代以前に対外戦争の経験が殆ど無い日本にとっては
間違いなく中世において最大の国難であった2度にわたる元寇。
幸いにも2度とも撃退することに成功し、属国化を免れましたが
その要因としては様々なものが挙げられます。
ここは元寇について主に元軍、鎌倉幕府軍双方の
装備、戦術、兵站などについて語るスレです。


関連スレ
【モンゴル】元寇4【高麗】
academy6.2ch.net/test/read.html/history/1220964839/l100
モンゴル帝国に支配されなかった地域
academy6.2ch.net/test/read.html/whis/1232680543/l100



608 名前:名無し三等兵 [2009/05/18(月) 22:04:15 ID:kxd8iioX]
>>607
はい、ご苦労さん
即ツッコミいれられなかった時点で
基礎資料すら読んでない証拠www

つか文永の役の総兵員数くらい覚えとけww
その時点で嘘ってのは分かるだろwww

ミリヨタのアホさ加減を示してるだけだなwww

609 名前:名無し三等兵 [2009/05/18(月) 22:11:16 ID:kxd8iioX]
昔の軍板では>>586みたいな低能は「100年ROMれ」
で済まされてたもんだが、
今のミリヲタは酷使様認定しかできないアホばっかだからなww

せいじごっこする暇があったら勉強しなさいwww

610 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/18(月) 23:28:14 ID:???]
>>609
酷使認定してる奴なんてほんの一部だけだろ。
ミリオタで括るなよ。

611 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/18(月) 23:54:52 ID:???]
>>608
> 即ツッコミいれられなかった時点で

あんたみたいに暇じゃないから張り付いてらんないし
馬鹿に即レスしても馬鹿を見るだけだからな

612 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 04:25:35 ID:???]
>>582
今更突っ込みを入れるのもなんだけど、一応は触れておく必要がありそうなので・・
> バリアン氏族
は、「バアリン」(Ba'arin)ね。

1227年にチンギス・カンが逝去した時、モンゴル帝国に属す諸部族の軍は千戸隊単位で
諸部族の首長たちに分封されたが、129個の千戸隊からなる右翼軍、中軍、左翼軍に分けられた
モンゴル帝国軍は、その大部分(101の千戸隊)がトルイのもとに相続された。
> 左翼軍
この時トルイが相続したモンゴル帝国諸軍うち、左翼軍に属すものの構成は以下の62の千戸隊。
(『集史』チンギス・カン紀の諸将表から)

==============================
 「左翼」
ジャライル部族のムカリ国王の3つの千戸隊
ウリヤンカン部族のイェス・ブカ・タイシの千戸隊
ウルウト部族のケイテイ・ノヤン、ブジル・ノヤン兄弟の4つの千戸隊
イキレス部族のブトゥ附馬の3つの千戸隊
トトカリウト・タタル部族のイェケ・クトクト・ノヤンの千戸隊
コンギラト部族のアルチ附馬の5つの千戸隊
マングト部族のクイルダル・セチェンの千戸隊
バアリン部族のナヤア・ノヤンの3つの千戸隊
コンゴタン部族のストゥ・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のジャライルタイ・イェスルの千戸隊
バヤウト部族のオングル・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のウカル・カラジャ、カラチュ兄弟の千戸隊
ウリヤンカン部族のスベエテイ・バアトルの千戸隊
アルラト部族のドゴルク・チェレビの千戸隊
フイン・ウリヤンカン部族のウダジの千戸隊
チンギス・カンの異母弟ベルグテイの千戸隊
コンギラト部族のアシク附馬の4つの千戸隊

613 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 04:30:54 ID:???]
>>612の続き。

バアリン部族のウカル・カラジャ、クドス・カラジャ兄弟の千戸隊
スニト部族のオゲレ・チェレビの千戸隊
スニト部族のテムデル・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のタイスン(ムカリの兄弟)の2つの千戸隊
ジャジラト部族のクシャウル、ジュスク兄弟の3つの千戸隊
マングト部族のモンケ・カラジャのの千戸隊
 (以上はもともとモンゴル高原中部から東部にいたテュルク・モンゴル系の諸部族)

契丹のウヤル元帥の10の千戸隊
女直のトガン元帥の10の千戸隊
==============================

以上がトルイが相続した諸軍だが、チンギスの実弟たちの所領も興安嶺の西麓に分封されて
いたらしいので、その千戸隊も大きく分ければモンゴル帝国の左翼軍を構成していた。
ちなみにこの諸弟たち、ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギンのいわゆる東方三王家の
1227年時の千戸隊の数は以下のようになる。

テムゲ・オッチギン
 ケレングト・オロナル部族の2つの千戸隊
 ベスト部族の1つの千戸隊
 (その他ジャジラト部族などを含む)
ジョチ・カサル
 (各地に散在している者を集めた混成の千戸隊)
カチウン
 (ナイマン部族など潰散した諸部族や、ウリヤンカン部族の混成の3つの千戸隊)

チンギス・カンの異母弟ベルグテイも左翼軍に配属されていたが、王族というよりも臣下の諸将の
ひとりという扱いだったようで、「ベルグテイ・ノヤン」などと呼ばれていて彼のチンギス・カン家に
おける位置付けは興味深い。

614 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 04:39:37 ID:???]
>>613の続き。
>>582はどこからの情報に依っているかは分からないが、いくつか訂正を要する点がある。
> 契丹人16%   バリアン氏族16%  女真人16%
の部分だが、左翼の諸軍でバアリン部族(「バリアン」は明らかに誤記)の軍が、契丹の
10の千戸隊や女直の10の千戸隊に匹敵する規模だったかというと、左翼にあった
バアリン部族の軍は、ナヤア・ノヤンの3つの千戸隊とウカル・カラジャ、クドス・
カラジャ兄弟の千戸隊のあわせて4つの千戸隊だけで、数があわない。

ところが他にバアリン部族の軍は、マングル・トルカンの千戸隊と、コルチ・ノヤンの
10の千戸隊が別にあり、多分、「バリアン氏族16%」はそのことに由来するのだろう。

ただし、このマングル・トルカンとコルチ・ノヤン旗下のそれぞれの千戸隊は、この
チンギス・カンの諸軍のうち、"右翼軍"に属していたため、左翼軍には属さない。
(これらもトルイが相続した)

また、オングト部族長アラクシ・テギト・クリ旗下の4つの千戸隊、およびオイラト部族長
クドカ・ベキ旗下の4つの千戸隊も双方ともに"右翼軍"に属していたため、左翼軍には属さない。
(これらもトルイが相続した)

なので、>>582のように、1227年当時、契丹や女直の軍勢に匹敵する規模のバアリン部族の軍勢が、
左翼軍に居たような書き方は実際には誤りであるし、同様にオングト部族の軍やオイラト部族の軍が
左翼軍に配属されていたような書き方も明らかに誤っている。
(特にオイラト王家はチンギスの進めた政略結婚によってジョチ家やチャガタイ家、オゴデイ家、
トルイ家など、モンゴル高原の中部から西部に所領があったチンギスの諸子の王家と姻族関係を
強固にしていて、クビライとアリクブケの皇位継承戦争にも帝国中央部の一大勢力として関わっていく)

615 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 04:44:13 ID:???]
>>614の続き。
あと、この頃のモンゴル帝国軍は、チンギスの幕下に臣従したり姻族となった部族連合の諸勢力と、
チンギスの軍に敗北して解体・分配された諸部族などが、おのおの序列化されていたりするので、
単純に「異民族混成」という言葉ですませて良いという訳でもない

しかもこれら兵力込みで記録している将軍たちのリストは、『集史』のようなペルシア語文献に
主に記されているが、これらの資料において 基本的にこの頃にモンゴル帝国の戦力として数えて
いるのは「騎馬兵力」であって、歩兵については別途言及しないと記録には出てこないという特徴もある。

ちなみに上記の左翼軍の諸将リストで、最初のムカリ国王は良いとして、四番目のイキレス部族の
ブトゥ附馬はチンギスの長女コアジン・ベキの娘婿であり、五番目のトトカリウト・タタル部族の
イェケ・クトクトはチンギスの第三皇后イェスルンと第五皇后イェスゲンの実の兄弟。六番目に
出て来るコンギラト部族のアルチ附馬はチンギスの第一皇后ボルテの実弟と、モンゴル帝国の
特にチンギスの一門と姻戚関係を結び、中枢を担う所縁の人々が固めている。また、八番目の
バアリン部族のナヤア・ノヤンはムカリ国王と並んでトルイ家旗下の諸軍を統括する左翼軍第二位の
地位にあった譜代家臣きっての将軍で、後のクビライの時代に南宋遠征で活躍するバヤン丞相の
大伯父にあたる人物だったりする。

契丹や女直の軍勢はおのおの10の千戸隊をもつ実数的に大きな勢力だったが、序列的には最外部分に
位置していたようである。(この種の序列は、日本の大名における譜代と外様の関係になぞらえて
説明される場合が多い。モンゴル帝国に投降・臣従した契丹や女直系の軍は、金朝との境域地域に
配属されていたので、位置関係もリストに影響されている可能性もあるとは思うが)

616 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 07:15:00 ID:???]
サヨクも手の込んだ荒らし方をするようになったものだ



617 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 16:17:30 ID:???]
>>610
そもそもこいつ自身が軍ヲタじゃね?
>>513とか>>527とか。

618 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 16:28:04 ID:???]
>>616-617
国士様は自分の誤りを認めたくないのと無知故に
>>612-615のような話題が出るとAgeSage混ぜて全力で荒らしますw

619 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 17:02:39 ID:???]
>>618
616、617もお前も荒してるわけだが。頼むから他のスレに逝ってくれないか?
政治系の掲示板なら国士様だのお前が好きなネタさんざんできるぞ。


620 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 17:05:35 ID:???]
次スレが立つのなら「政治ネタ禁止」とテンプレに入れて欲しいな。
とにかくウザ過ぎる。

621 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 17:22:33 ID:???]
>>612-615
千戸隊は共通した装備、訓練、運用をされていたんでしょうか?
それとも各部族ごとにバラバラだったんですか?

622 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 17:40:57 ID:???]
件の人じゃないけど装備は基本自弁でバラバラ、訓練・運用は統一

623 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/19(火) 23:38:53 ID:???]
万戸隊長って妄想をかき立てられる響きだよね

624 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 00:50:12 ID:???]

上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」
    至元三年八月 日

自演クンがどうしてもお流れにしたがった国書の超意訳(>>200)の補正版
この一度目の国書を三度目と言い張っていたため(>>201
「じゃあ一度目と二度目の国書をだせば?」と突っ込まれると
国士がどうのと意味不明な妄言を繰り返し、あげく「PCが壊れた」と逃亡
しかし、数日も我慢できず再び書き込みPC故障も大ウソであることを露呈

625 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 09:39:37 ID:???]
ここ最近の異常な伸びにはそんな秘密がw

まあ、>>201あたりのカキコは殿堂入りということで
次スレにもテンプレとして貼ってもらおう。

626 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 11:02:44 ID:???]
blog-imgs-17.fc2.com/n/i/k/nikuch/59ema.jpg

書かれたのはいつの時代か知らんが、武装は大鎧とか薙刀で鎌倉期周辺のものだよね。
これは突撃のうちに入らないの?



627 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 12:11:27 ID:???]
>>623
クランたんのお万戸隊長に僕のおちんちんクランクラン

628 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 15:47:17 ID:???]
>>624
左右が全く対応してないぞ、いつもはAgeてる国士様よw
それじゃあ単に妄想文へ尤もらしく国書を添えただけ

629 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:14:22 ID:???]
>>628
一度目と二度目の国書はまだですか?w

630 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:34:15 ID:???]
>>629
まだですか?wじゃなく、>>361>>369の友好的な文が一度目・二度目の国書なw
使者を殺害する蛮行に及んだ三度目が詰問調

631 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:58:13 ID:???]
201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

632 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:26:26 ID:???]
>>631
どうした?見えない強敵と戦ってるのか?w

633 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:32:26 ID:???]
>>201の間違いを取り繕うために>>630の人は必死に頑張ってるんですね。

634 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:37:11 ID:???]
というわけで、超意訳を自称する妄想感想文を垂れ流すのはもう無理だと思うよ>国士様w

635 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:42:01 ID:???]
またはじまったw
>>200>>201はテンプレ

636 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 19:45:01 ID:???]
えっと、使者殺したのは文永の後だから
流れとしては、とりあえず使者を二回送る→文永の役→脅迫の意味も強めて三度目の使者
→「負けてもねーのに降伏するかバカ」で首チョンパって流れだろ?


こうして見れば、鎌倉幕府の対応がDQNだというのなら
別に使者殺したわけでも無く、単に国書スルー(使者自身には穏便にお帰り頂く)
しただけで日本に攻め込んできた元も十分DQNって言えるんじゃないの?



しかし考えれば考えるほど日本なんて攻めるメリットゼロだろ。
別に土地が肥沃なわけじゃない、莫大な資源があるわけじゃない
災害とかで船難破しやすい、上陸難しい、したらしたでアジア最凶の戦闘民族がお出迎え。
フビライの最大目標だった南宋と友好的だったっつっても
日本との交易は、さほど南宋経済でウェイト占めてたわけじゃないし。
高麗の日本攻めるニダ!なんてスルーすりゃ良かったんじゃない?



637 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 20:23:44 ID:???]
超意訳だからあれは一度目じゃない、とか抜かしてるが
お前あれは三度目だといったよな↓


201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw


638 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 22:28:56 ID:???]
>>636
文永の役の前の蒙古からの使者は
国的・潘阜の時に二回
張鐸が一回
趙良弼が二回
計5回きてるかな

639 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 22:29:56 ID:???]
×国的
○黒的

640 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 23:00:31 ID:???]
で、三度目の国書マダー?

641 名前:636 mailto:sage [2009/05/20(水) 23:04:50 ID:???]
>>638
おお、そうだったんか。トン

642 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 01:51:14 ID:8yjdpmm3]
>>641
その程度の事すら知らずに暴れてたのか、通りで話が噛み合わないわけだw
>>637,640
おまえはいつまで見えない敵と戦ってんだよw

643 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 03:57:15 ID:???]
>>636
当時の日本は金銀ざっくざくですお

644 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 04:02:01 ID:???]
>>637
帰ったらのせてやるとも言っていたよねー?(o ´д)(´д`o)ネー

205 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:34:54 ID:???
>>201
じゃあ一度目と二度目を出せば?
どうせ無理だろうけどw

206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
帰ったら載せてやるよ国士さんw

645 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 06:51:01 ID:8yjdpmm3]
>>643
鎌倉時代はまだ砂金が主だから、ざっくざくってほどじゃないんじゃね
>>644
国士様が妄想感想文の左へ勝手に添える漢文、あれのうち1つがそれだよw
帰ってからすぐPC直して載せるつもりが、今の今まで直らず仕舞で
わざわざ無知な基地外のためにPS3でちまちま書き込んでやる義理も無いから連休明け後になったワケ

646 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 08:18:00 ID:???]
>206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
>帰ったら載せてやるよ国士さんw

ひょっとして一度目を出せば納得すると思って>>200と大意が変わらないやつを出し続けているのか?
誰も期待してないのに。


>201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

せっかくだけど、君が期待されているのは>>200が三度目のものだと示すことだよ。



647 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 09:48:02 ID:???]
お前ら釣られんなよ

648 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 13:47:55 ID:???]
結局友好的な内容の国書を提示できなかったage厨哀れw

649 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 14:24:13 ID:???]
>>642
文永の役の前に使者殺したと勘違いしてるお前に言われたくない

650 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 15:51:12 ID:???]
>>200が三度目の国書だと聞いたのですが本当ですか?

651 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 17:13:23 ID:???]
大量の絹や銅銭を明から持ち出し
その報酬として
日本は一つまみの金を出すだけ

当時の大陸との取引はそんな感じ

652 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 17:14:38 ID:???]
>>648
一度目の国書、何をどう読んでも友好的だぞw
妄想感想文は何も訳してない分、当然敵意のある文になってるがw

上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王朕惟自古小國之君
 境土相接尚務講信修睦況我
祖宗受天明命奄有區夏遐方異
 域畏威懐徳者不可悉數朕即
 位之初以高麗无辜之民久瘁
 鋒鏑即令罷兵還其疆城反其
 旄倪高麗君臣感戴來朝義雖
 君臣而歡若父子計
 王之君臣亦已知之高麗朕之
 東藩也日本密邇高麗開國以
 來亦時通中國至於朕躬而無
 一乘之使以通和好尚恐
 王國知之未審故特遣使持書
 布告朕意冀自今以往通問結
 好以相親睦且聖人以四海為
 家不相通好豈一家之理哉至
 用兵夫孰所好
 王其圖之不宣
   至元三年 八月 日

653 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 18:14:27 ID:???]
早く三度目の国書を出してよw

654 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 19:49:45 ID:HZZskSjO]
話の流れが全く読めないんですが。
ミリヨタの発狂が酷すぎてさすがの俺も突っ込めない・・・

とりあえず今回の“酷使様”は誰を指して言ってるの?
俺にはミリヨタの一人相撲にしか見えない。

655 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 19:54:21 ID:???]
ただでさえややこしいのにあんたまでいると収拾がつかなくなるから書き込まんでくれ。
頼むから。

656 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 19:55:25 ID:???]
>>652
そうは言っても南宋がまだ生きてる状態でしょ?
それで「中華皇帝でございます」ってフォーマットで文章出されても、北朝鮮が「朝鮮半島正統政権」を主張してるのと同じレベル。

どっちを取るかは軍板ってより政治版向きのネタなんじゃね?



657 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:15:33 ID:???]
そもそも現代の価値観に強引に当てはめて、鎌倉幕府をDQN扱いすんのなら
単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
攻め込んで来た元のがよっぽどDQNだと言えるだろ。

658 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:39:37 ID:???]
なあそもそも国士さまだか酷使さまだかって勝手に命名してるけど
どういう状態のどんな意見のやつのことそう呼んでるのかさっぱり不明なんだよね

なに?元があっさり潰走したって事実を聞こえないふりできる人間以外は全部国士さまなの?

659 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:52:06 ID:???]
あからさまな酷使は減ったな
昔のスレのひでーこと

660 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 02:32:03 ID:???]
>>658
高麗軍が積極的だったということを否定しない人らしいよー

661 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 02:59:41 ID:???]
そろそろ弘安の役で東路軍と接触するシーズンだな

662 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 03:04:22 ID:???]
>>626
これは入るな


663 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 03:10:45 ID:???]
参考までに某先生のトンデモ論検証スレ。
中世の武士達の戦い方にも触れられてるから話題がてらにどぞー。
academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169129287/
つかこの手の歴史の偉い先生って、どうして言うことが極端な人が多いんだろうか?
古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。

>>659
2ちゃん以外の所で(てか2ちゃんでも)
蒙古襲来→鎌倉武士はフルボッコにされただけで勝っていません
唐入り→戦国オールスターが、平和国家の朝鮮や落日の明にケチョンケチョンにされた惨めな戦いです。
日露戦争→アメリカ様が仲裁に入って終わっただけで、日本は全然勝ってなんかません
という妄言に異議唱えると、酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。

664 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 05:12:35 ID:???]
>>657
> 単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
「考えておきます」とかいう穏当な感じじゃなくて、「絶対返事しないで下さい!無視です、無視!」
という感じで朝廷の返牒案を止めさせたらしい。

どちらかというと朝廷の外交権について幕府側から干渉した形になるんだけど、朝廷側も国書の到来そのものに
おっかなびっくりな感じだったこともあってか(返牒案では割と厳しい文言を使っているようだけど)、幕府側の
意見を入れて返牒出すをのやめちゃったらしい。
以降は太宰府の応対を含めて、幕府側が弘安の役以降も蒙古への対応は全て主導する感じになったようで、
文永の役の時の守備部隊の配備とか弘安の役までの石築地の建設とか輪番制による異国警護番役の設置とか
を通じて、幕府による九州北部の直接統治体制を段階的に進めていたりしているようだ。

ただの「蒙古なんぞガン無視!」とかいうことだけではなくて、幕府権力を日本の国制上でどこまで
伸長させるかという問題も絡んでいたようで、幕府中枢の安達泰盛なんかは幕府側と朝廷側の共同歩調で
蒙古との問題に対処しようとしていたようだけど、朝廷側からの影響を極力排除しようという動きも
幕府側にはあったようだ。そこら辺のせめぎあいもあったようだけど、基本的に幕府側の対応は初めから
国書の無視、臨戦体制への指向が強かったようで、国書に対して非難するとか内容を否むとかいった
もうちょっと広く「外交をする」という感覚が希薄だったと、鎌倉時代とか日本の中世史をやっている
先生方は見ているらしい。
(少なくとも今は亡き網野善彦、村井章介、奥富敬之各氏の近年の著書、近刊の「戦争の日本史シリーズ」の
『蒙古襲来』の著者、新井孝重氏なんかもおおよそそんなことを書いている)

>>653
趙良弼の時の国書ならあるけど、それで良い?

665 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 05:31:24 ID:???]
それにしても昔の教育はひでえな。俺が小中学生の時に習った話と全然違うじゃねえか。
武士はまず名乗りを挙げ、一騎打ちを挑んでいる間に次々と討ち取られ、元軍の
最新鋭兵器てつはうに対して武士は、無力で一方的展開だったが元軍が、夜になって
船で休息しているところを突然台風が起こって元軍は壊滅した。この台風を神風という。
この後、日本は神国思想が広がり、後々の軍国主義につながっていった。元軍が敗退した
背景には朝鮮半島の三別抄の抵抗をはじめ、アジアでの抵抗があった。また、元軍はこれら
征服地の兵から成っており、士気が低かったことも挙げられる。
って感じだった。今思い出すと、本当に教育ってなんなんだろうね。マジで教育不信になりそう。

666 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 07:40:11 ID:???]
>>664
その辺りのいろんないきさつは大河ドラマでやってたなあ。



667 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 09:50:31 ID:???]
>>663
つまり
酷使=反日史観者への蔑称
国士=反日史観者が武士有利派をなじるときの蔑称
ということかいな

668 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:30:00 ID:???]
自分以外はみんな敵にしたい人の定義なんか気にしても仕方ない

669 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:34:25 ID:???]
>>664

>>653じゃないけどプリーズ

670 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:48:26 ID:???]
>>661

5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

671 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 11:19:30 ID:???]
>>663
>古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。
刀は槍より短いから理論上勝つのは無理だよー、なんて考えていたら戦場では生き残れないよな。

672 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 11:48:08 ID:???]
>>663
鈴木ってアマチュアなんだから「偉い先生」でも何でもないだろ。
単に威勢の良いが有名なだけで。

673 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 13:16:36 ID:???]
てか「これが歴史の真実だ!」みたいな感じの本出してる奴は大抵そうだなw
大学なんかの偉い先生はそもそもそんな暇無いしw

674 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 14:01:55 ID:???]
>>663
>酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。
そのくせ奴らの母国の正史である『高麗史』よりも日本の宗教書である『八幡愚童訓』を信頼するワケのわからなさw

675 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 16:26:06 ID:???]
>>633
しかも>>630すら間違っているという自爆の上に自爆を重ねるプレイ

676 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 18:49:32 ID:???]
大分スレが伸びてるけど、>>201がテンプレに貼られるのが早まるだけなのになwww



677 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 19:08:21 ID:???]
一度目の国書にした所で、要するに「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」という催促でしょうが。

勝算の有無に関しては現にお引取り頂いたんで不問としていいと思うし、そうなると南宋が立ってる間に元に付くメリットって見えて来ないんだけど。。


678 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 22:44:37 ID:???]
> 一度目の国書にした所で、要するに
> 「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」
> という催促でしょうが。
>>368-370,>>428-429を読めば分かると思うけど、第一回の国書の場合、文中での国書を発した
主旨について「いままで我々と日本とは信書の往来なども無かったから、今後は互いに通交したい」
という内容に飽くまでなっている。色々言ってはいるが、基本的に「通交したい」という主旨で
締めくくられるようなっている。

「高麗と同じような位置に付け」というが、何時の時点かで高麗とモンゴル帝国との関係は違ってくるし、
国書文中では「高麗は朕の東藩なり。」とあり、「義は 君臣と雖ども、歡は父子の若とし。」とあるように
国書が発した時点で高麗がモンゴル帝国(具体的にはクビライ政権だが)の服属・臣従国家のひとつと
していたことは疑いの余地は無い。

一方、この時の国書、特に東大寺の「蒙古国牒状」にその特徴が良く出ているが、同時に日本については
冒頭で「"奉書"日本國王」とはじまり、末文では「不宣」と締めくくっている。「不宣」とは「不宣白」の
意味。さらに、元朝後期に編纂された文書集『元文類』に日本に発せられた国書について言及があるが、
「不宣白。不臣之也」とある。
そのため、「奉書」にしても「不宣白」にしても、第一回の国書の段階で、クビライ側は日本を高麗のような
「臣」的な立場としている/しようとしている形跡はない。
これらのことから、例の杉山センセがその代表格として有名だが(主に東洋史の先生方だが)モンゴル帝国
時代の命令文書の研究から第一回の国書について言及される場合、日本に臣従を求めるとかあるいは臣下と
みなす文面などでは無い、というのが定まった見解だ。

679 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:04:22 ID:???]
>>669
了解。とりあえず>>482,>>484-485で触れたけど、>>368-370,>>428-429で上げた、
東大寺蔵の至元三年付けのいわゆる「蒙古国牒状」が高麗使臣、起居舎人・潘阜によって
もたらされた三年半後、クビライは第五次となる日本招諭に女直人出身の趙良弼を派遣した。
『元史』日本伝では至元三年八月条に>>368-370,>>428-429とほぼ同じ国書の文を
載せたたあと、至元六年十二月(1269年12月25日〜1270年1月22日)条でこの
趙良弼がもたらした国書の文も載せている。

東大寺の「蒙古国牒状」と違い、至元三年八月条では国書の文はベタ張り状態で、
至元六年十二月条の国書も同じくベタ張り状態だが、こちらもとりあえずその部分を
うpしてみる。

『元史』巻二百八 列伝第九十五 外夷一 日本 至元六年十二月条
「十二月、又命祕書監趙良弼往使。書曰:「蓋聞王者無外、高麗與朕既爲一家、王國實爲鄰境、
 故嘗馳信使修好、爲疆場之吏抑而弗通。所獲二人、敕有司慰撫、俾齎牒以還、遂復寂無所聞。
 繼欲通問、屬高麗權臣林衍構亂、坐是弗果。豈王亦因此輟不遣使、或已遣而中路梗塞、
 皆不可知。不然、日本素號知禮之國、王之君臣寧肯漫爲弗思之事乎。近已滅林衍、
 復舊王位安集其民、特命少中大夫祕書監趙良弼充國信使、持書以往。如即發使與之偕來、
 親仁善鄰、國之美事。其或猶豫以至用兵、夫誰所樂爲也、王其審圖之。」良弼將往、
 乞定與其王相見之儀。廷議與其國上下之分未定、無禮數可言。帝從之。」

ただ、見れば分かる通り、『元史』日本伝のものは、東大寺の「蒙古国牒状」に見られるような、
冒頭の「上天眷命」と 「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した
年月を欠いている。

680 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:07:26 ID:???]
>>679の続き。
某杉山センセは東大寺の「蒙古国牒状」の形式から、冒頭の「上天眷命」と「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、
それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した年月を補って、趙良弼が持って来た国書の状態を復元している。
ただ、「恐らくこんなものだったろう」的なもので、あまり厳密な復元案ではないと一応断わっておられる
ようだが、それも一応うpしてみる。
(『モンゴルが世界史を覆す』日経ビジネス文庫、2006年3月、340頁より。句読点は>>679
 附されているので敢えて省いた)
==============
上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王蓋聞王者無外高麗
 與朕既爲一家王國實爲鄰境
 故嘗馳信使修好爲疆場之吏
 抑而弗通所獲二人敕有司慰
 撫俾齎牒以還遂復寂無所聞
 繼欲通問屬高麗權臣林衍構
 亂坐是弗果豈王亦因此輟不
 遣使或已遣而中路梗塞皆不
 可知不然日本素號知禮之國、
 王之君臣寧肯漫爲弗思之事
 乎近已滅林衍復舊王位安集
 其民特命少中大夫祕書監趙
 良弼充國信使持書以往如即
 發使與之偕來親仁善鄰國之
 美事其或猶豫以至用兵夫誰
 所樂爲也
 王其審圖之不宣
   至元七年十二月 日
==============

681 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:09:24 ID:???]
>>680の続き。
この杉山センセの復元によりつつ、岩波文庫の『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』
で編訳された石原道博先生が書かれた当該部分の書き下し文と現代語訳文を適宜補いつつ
うpしてみる。
・書き下し文
==========================================
(上天よりの命に眷(いつく)しまれたる
(大蒙古國皇帝、
  日本國王を奉る。?)蓋し聞く、王者は外無しと。高麗と朕とは
  既に一家たり。王の國は實に鄰境たり。
  故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために
  抑えられて通ぜず。獲る所の二人、有司に敕して慰撫し、
  牒を齎(もた)せて以て還らしめしも、遂に復た寂として無聞く所なし。
  繼いで通問せんと欲せしも屬(たまたま)高麗の權臣・林衍、亂を構え
  是に坐して果たさず。豈に王も亦た此れに因りて輟(や)めて
  使を遣わさざりしか、或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆
  知るべからず。然らずんば、日本は素より禮を知る國と號す。
  王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。
  近ごろ已に林衍を滅ぼして王位を復舊し、其の民を安集せり。
  特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて
  國信使に充(あ)て、書を持して以て往かしむ。もし即ち
  使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の
  美事ならん。其れ或いは猶豫し、以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が
  樂しんで爲す所ならんや。
  王其れ審らかに之れを圖(はか)れ。(不宣
    至元七年十二月 日)」
==========================================


682 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:10:35 ID:???]
>>681の続き。
・現代語訳文
==========================================
(上天より命を眷(いつく)しまれたる、
  大蒙古國皇帝が書を
  日本國王に奉る。?) けだし聞く、王者は外がない、と。高麗と朕とは
  既に一家である。王の国は実に隣境である。
  故にかつて信使を馳せて好を修めようとしたが、疆場の吏(国境の吏の意味。太宰府の
  役人のこと)のために抑えられて通じなかった。
  獲えた所の二人(塔二郎と弥二郎のこと)は、有司(役人)に敕して慰撫(なぐさめなでる)
  し、牒をもたせて還させたが、ついにまた寂(さびしい、ひっそり)として聞く所がない。
  つづいて通問(おとずれをする、称謝する)しようと欲したが、たまたま高麗の権臣・林衍が、
  乱を構え、これに坐して果たさなかった。なんとも王もまたこれによりて輟(や)めて
  使を遣わさなかったのか、あるいはすでに遣わしたけれども中路において梗塞(ふさぎ
  とざす)したのか、みな知ることができない。そうでないなら、日本は素から礼を知る
  国と号している。
  王の君臣は、なんであれ漫(みだ)りに思わない事をするのであろうか。
  近ごろ、すでに林衍を滅ぼして王位を復旧し、その民を安集(やすんじやわらぐ)した。
  特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて国信使に充(あ)て、書を持って往かせる。もしすぐに
  使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の
  美事であろう。それともあるいは猶予(ぐずぐず)し、そのため兵を用いるに至っては、
  それ誰が楽しんでなす所であろうか。
  王よ、よくこの点を思案されよ。(不宣
    至元七年十二月 日)」
==========================================


683 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:12:13 ID:???]
>>682の続き。
この文のすぐあとに、
「良弼、將(まさ)に往かんとし、其の王と相見の儀を定めんことを乞う。廷議すらく。
 其の國と上下の分未だ定まらず、禮數の言うべきものなしと。帝、之に從う。」
((趙)良弼は、まさに往こうとし、その王と相見の儀を定めることを乞うた。廷議(朝廷で
 論議すること)して、「その国と上下の分がまだ定まっていないし、礼数(身分相等の礼儀、
 待遇)の言うべきものはない」と。帝(クビライ)はこれに従った。)と続く。

○国書の解説
趙良弼派遣に前後する当時のクビライ宮廷と主に高麗での情勢を簡単に述べると、>>484-485でも
触れたが、この国書でも出て来る通り、前年の1269年に高麗では権臣・林衍が高麗国王元宗を廃位
する事件が起きていた。偶々クビライの宮廷から帰国途中の高麗国王の世継ぎ、世子・[言甚](たん、
後の忠烈王)が高麗国境でこのクーデターの噂を聞き付け、クビライのもとへ急使を飛ばして
クビライに詰問の使者と自らに軍の助勢を請うて林衍一派の企てを挫いたが、この事件はその後
林衍一門の一派からやがて例の三別抄の反乱が続くことになる。

・本文の内容
さて、趙良弼の持って来た国書には、林衍のクーデターによって信使の派遣が滞る状態があった
ことを述べ、こちら側の事情によって日本からの返信も届き得なかったのだろうか、という推測を
述べる。

684 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:13:24 ID:???]
>>683の続き。
ただ、続いて、

「或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆知るべからず。然らずんば、
 日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて
 漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。」

とあり、「こちらの事情のため返信出来なかったのか、あるいは途中で道が塞がれたものか、
事情の全ては知る事が出来ない」としながらも、

「日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧んぞ肯えて漫りに思わざるの事を爲さんや。」
(日本は礼を知る国と呼ばれている。日本の君臣はなんであれ心無いことをするものだろうか」)

と、婉曲的ではあるが、日本からの返信が黙殺的な状態を,
「日本は礼を知る国だから、礼儀に反するようなことをする訳がないよね?」と、返信が無い
ということは失礼な事なのだぞと、遠回しにだが、割と強く非難していることが伺える。


685 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:15:18 ID:???]
>>684の続き。
同様に、「故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために抑えられて通ぜず。」とあり、
初回の使者・潘阜が太宰府に留め置かれ、国書を日本の朝廷に手交することを妨害されたとして
ここでも太宰府側の対応を役所名を出さないまでも非難をしている。「疆場の吏」とは疆域、国境の
役人、役所の意味で、要するに太宰府のことを指している。

「もし即ち使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の美事ならん。」
(もしすぐに使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の美事であろう)

返信の使者さえあれば、善隣して、「国の美事」になろうと強調した上で、
「以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が樂しんで爲す所ならんや。」と釘を指している。
さらに「其れ或いは猶豫し、」とあり、猶予、つまりグズグズしてこれ以上の返信の遅滞するなら
兵火を交えるようになってもそれは日本側の所為になろうと、ここでも返信の黙殺を強く非難している。

・趙良弼派遣の時期における高麗周辺の情勢
>>482,>>484-485でも触れたが、最初の潘阜が太宰府に来た至元5年頃は、あまり「変な風になって
交戦状態になったら嫌ですよね〜」的なことを言っていたが、実際に日本への遠征などは、高麗近辺に
海外遠征出来るような状態も準備も無く、あまり現実味のある話ではなかった。

ところが、林衍のクーデターとその後の三別抄の反乱と討伐の過程で、クビライは高麗に課すことに
していた外征義務を実施する方向に転換し、その議論で日本遠征も実際問題として視野に入れるように
なったようだ。林衍のクーデターが一旦鎮圧され、クビライは高麗の重臣たちに事情を釈明するよう
大都に召喚している。この時に高麗の重臣のひとり李蔵用がクビライに謁見して高麗の処遇について
なんとか軍役などの負担を軽減するよう必死に交渉しており、そのなかで遠征が本格化している南宋に
なるかそれとも日本になるかまだ分からないが、ともかく軍艦などの建造や準備をしろと命じている。
この時、はじめて日本への遠征についての話が出て来た。四度に渡る招諭が失敗した末の時期にあたる。

686 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:22:18 ID:???]
>>685の続き。
『高麗史』の李蔵用伝によると、この時、李蔵用は高麗の国土はいまだに疲弊と荒廃から立ち直って
おらず、南宋のような遠方への派兵はどうか勘弁して頂き、命じられるのであれば間近である日本への
遠征の場合に限らせて頂きたいとクビライに懇願し、この交渉の結果、だいたいは日本遠征に
あてられるだろうとしながらも、高麗はともかく軍艦と兵員の準備をはじめることとなった。
(勿論、場合によってはやはり南宋遠征に助勢することになる可能性もこの頃はまだ十分あった。)

趙良弼派遣には、それまでの四回にわたる招諭の失敗に加え、こういった高麗国内のクーデター騒動
から来る情勢の変化が多分、色々と影響していたと思われる。

同じ時期、南宋遠征は前年の1268年に南宋最大の拠点、襄陽・樊城の包囲戦がはじまったが、
中央アジアではクビライがカイドゥなどの帝国西部の諸王族の鎮撫のためチャガタイ家の補佐として
派遣した王族バラクが独断でチャガタイ家の当主位を簒奪し、趙良弼が派遣された1269年には
中央アジアの所領を巡ってカイドゥやジョチ家のモンケ・テムルの軍と交戦するという、予想だに
しない状態に陥っていた。

元宗廃位事件はクビライが中央アジア政策で重大問題を抱えていた時期に起こっており(特にモンゴル
皇帝としての正統性、存立基盤に直結する問題だったため、中央アジア政策は最重要課題であり、
深刻だった)、日本について強硬姿勢をほのめかせるようになったのも、「腹裏」と称されたモンゴル
高原やクビライの本拠地である中都、上都開平府周辺の情勢不安を押さえ込もうと神経を尖らせていた
ことも少なからず影響しているように個人的には感じる。ただ、残念ながら、クビライ政権における
情勢の変化と、日本への招諭・使者の派遣や、その後の日本への遠征軍の派遣についての影響や関連性に
ついての研究・論及はあまり進んでいないため、何とも言い難い。



687 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 07:13:53 ID:???]
まだちょっと早いですが、京都国立博物館でなかなか良さそうな展示会が
これからあるようですので、忘れないうちに貼っておきます。
開期的に夏休みなのですな〜


シルクロード 文字を辿って―ロシア探検隊収集の文物―
2009年7月14日(火曜日)〜9月6日(日曜日)

「サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー東洋写本研究所には、
 ロシア探検隊が敦煌及び中央アジア各地において発見した貴重な文献と
 その断片、合わせて約2万件が所蔵されています。
 悠久のシルクロード周辺で記された典籍類や記録は、時代的にはほぼ4世紀から
 12世紀にわたっており、写本の仏教経典を中心に漢文・西夏語・コータン語・
 トハラ語・ソグド語のものなどもあります。それらの中から選りすぐった
 優品約150件を展示、その大半が日本初公開です。」

会場 京都国立博物館 特別展示館

ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/korekara/index.html
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/silkroad.pdf

688 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 07:15:18 ID:???]
失礼。誤爆しました(汗

689 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:33:12 ID:???]
久々に行ってみるかな。それにしてもkyohakuという略し方はいかがなものか

690 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:50:41 ID:???]
対馬と壱岐の犠牲者に哀悼の意を表します

691 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:53:15 ID:???]
ムクリコクリの子孫は対馬と壱岐に謝罪と補償をすべき

692 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 09:34:32 ID:???]
> ムクリコクリ
民俗学の泰斗・折口信夫は、北九州近辺で子供を躾ける時に見られる、「ムクリコクリの鬼が来る」と
いう脅し文句の「ムクリコクリ」とは、通常「蒙古」「高句麗(高麗)」の訛音とされると言われているけど、
本来は勿怪やもっこ、ナマハゲと同じ種類のもの、常世からあるいは深山やって来て子供を恐れさせる「剥くる」
とか「こくる(こそぎ落とす)」系の化け物が起源じゃないか、というようなことを言ってるようだ。

元々は全然関係ないものが、たまたま音が似通っているから蒙古や高麗に結び付けられているんじゃなかろうか
的なことらしい。
ただ、鎌倉時代末期の法律用語解説書、『沙汰未練書』には「一 蒙古トハ、異国ムクリの事也」とは書いてあるけど。

693 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:01:11 ID:???]
元寇とベトナム戦争における高麗・韓国兵の比較

元寇の際の高麗軍による壱岐対馬の島民大虐殺
・島の男は幼児・赤子に至るまで皆殺しにした上、耳鼻を削いだ。
・女性は強姦され、手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
・高麗軍の将兵が彼女等をレイプしながら博多湾に侵攻した。
・捕虜となった者は、誰一人生きて帰った者は居なかった。

ベトナム戦争の際の韓国兵の大虐殺
・住民たち(大部分が女性と老人, 子供達)を一ケ所に集めた後、又はいくつかのグループに
  まとめて、機関銃を乱射して抹殺した。
・住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やした。
・子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込んだ。
・女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した。
・住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させた。

共通の特徴として
@宗主国の「傭兵」として派遣され、無抵抗の現地住民を徹底かつ残忍に虐殺している。
A老若男女皆殺し、特に幼児や妊婦に至るまで死体損壊を徹底して行っている。
Bその事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
C逆に時間が経つと、自分達が「強制的」に狩り出された、辛い立場の被害者だったと言い出す。

壱岐対馬とベトナムの700(1274-1967)年と3千kmの時空を越え、同様な虐殺が繰り返されたが、
余りの共通点の多さに慄然とする。朝鮮民族の気質は全く変わっていないことが解る。

694 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:03:03 ID:???]
>耳鼻を削いだ。
その割には朝鮮出兵で日本軍の耳そぎを残虐だと非難していますね。

695 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:39:40 ID:???]
> 手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
「強制連行」したのは間違い無いんだけど、「手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に吊るした」
って部分は最近疑義がもたれているらしい。

696 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:40:25 ID:???]
ソースは



697 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:15:05 ID:???]
5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

698 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:41:40 ID:???]
>>694
日本の場合は、単に首だと邪魔になるから、代わりに耳や鼻の数で
戦果報告する習慣があったが、元軍のもそれに近いの?

699 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:42:56 ID:???]
>>696
もともと、文永の役の時に高麗軍だか蒙古軍だかが対馬や壱岐で女子供の手に穴を空けて
それに縄を通して連行した、という話の元ネタは、日蓮が文永の役の二年後というか翌年にあたる
建治元年に出した書簡の一部に出てくるもの。日蓮が身延から佐渡国在住の一谷(いちのさわ)入道
という人物の女房に宛てた書簡(通称「一谷入道御書」)で、日蓮の書簡集である『高祖遺文録』
に収められているそうだ。建治元年(らしい)五月八日の日付を持つもの(一応原本の一部が現存)。

「(前略)日蓮か申事は、愚なる者の申事なれは用ひす、されとも去文永十一年太歳甲戌十月に、
 蒙古國より筑紫によせて有しに、對島の者かためて有しに、總馬尉(宗助国)逃けれは、百姓等は
 男をは或は殺し、或は生取にし、女をは或は取集て、手をとをして船に結付、或は生取にす、一人も
 助かる者なし」

というのがそれ。「手をとをして」という部分は多分、「手のひらあたりに穴を空けて縄を通した」
という意味ではないかと、この書簡が引用される際に一般には言われている。

文永弘安の役前後の状況から日蓮のこの書簡の内容を検討した、という研究は実は今まであまりされて
いなかったようで、最近になって日蓮の書簡研究をやっている若江賢三という人がこの「一谷入道御書」
をはじめ、日蓮が蒙古襲来を言及したいくつかの書簡の系年研究を論文にしている。

「一谷入道御書」には出された月日は書かれているが、年号が附されていないため何時頃出されたかが
問題になっていて、同氏の結論としては様々な事情からこの書簡について伝承で述べられている通り、
建治元年のものと結論している。


700 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:45:11 ID:???]
>>699の続き。
それ以外の問題で、特に文永の役の時の蒙古軍側の蛮行のソースとして引用される同書簡だが、そもそも
捕虜の連行の際に、手に穴を通すなどという著しい外傷は化膿をおこさせ捕虜の生命に損亡させる行為
であり、人的財産である捕虜の連行でそのような事態があり得るのだろうか、という疑問をあげる。
他にも同書簡では対馬守護代の總馬尉(宗助国)が百姓を見捨てて逃亡したと言っているが、
鎌倉時代末期から室町時代にかけての宗氏の資料を見る限り、宗助国は対馬で討ち死にしたことは
どうも動かし難いようなので、日蓮が文永の役の翌々年に聞き知った「總馬尉(宗助国)逃けれは」
というのは誤報だったといえるようだ。

文永の役の翌年、文永12年の段階では、対馬や壱岐、博多が襲撃されたことは知らされていたが、
その内容までは分かっていなかった。ところが、翌々年の建治元年になると、対馬や壱岐での惨状が
色々入って来るようになったものの、かなりの損害を受けたということは確実だが内容はひどく混乱
していたようで、誤情報も入り乱れ仄聞した大仰な内容に動転していのではないかと、氏は推測している。

建治2年になると、実際の被害状況についても情報が整理されはじめたようで、日蓮のその後の書簡でも
対馬の住民が連行されたりしたことを非難する内容が多く見られるが、「手をとをして船に結付」という
ような生々しい情報は全く見られなくなる。対馬や壱岐の惨状を最初に伝えられたときに、未確認情報
ながら聞いた事がショッキングな内容だったためそれを書簡に書いたが、その後の情報では住民が
連行されたという以上の事は確実ではなかったので書かなくなったのではないか、と論じているようだ。
(若江賢三「蒙古襲来の伝聞を巡って--日蓮遺文の系年研究」『人文学論叢』8(2006年)

701 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:52:22 ID:???]
>>700の続き。
確かに、モンゴル帝国の戦役で、(中央アジア遠征など)外征先の住人を捕虜として掠奪・連行し、
奴隷として各種の農工業の人員として各地に投下して使役したという話はあるが、捕虜を縄や首木を
はめて連行したというなら話はあるが、「手をとをして船に結付」みたいな真似をした例は聞いた事が無い。

ちなみに、「手をとをして船に結付」という話は、20世紀編纂された、『元史』の改訂版、『新元史』の
日本伝にも出て来るんだが、編者の柯劭[文+心](かしょうびん)が『高祖遺文録』など日本からの資料から
孫引きしたものらしい。たまにモンゴル時代の史料として『新元史』が引用される場合があるが、
柯劭[文+心](かしょうびん)は記述の典拠を本文中で記していないため、それと分かるもの以外は、どこから
引いて来たのか分からない話が多く、資料としては問題があり過ぎるので、使う時そのまま引用するのはかなり
推奨"さない"もので、、むしろ元ネタになっただろう漢籍やペルシア語やその他の資料を直接当たった方が良い。

(『新元史』は20世紀初頭の編纂物なのでモンゴル帝国時代の「史料」としては使えないうえ、
 初歩的な誤記脱漏など細部の誤りが多くて、中国内外の歴史家やモンゴル史研究者などからも
 えらく批難されて、非常〜〜に人気が悪かった。)


702 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:19:57 ID:???]
そもそも700年前の出来事に「野蛮だ!野蛮だ!」と喚く時点で国書厨や秀吉の朝鮮攻めに謝罪を求める韓国人と同レベル。
それに
>その事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
とあるがベトナム戦争に関しては大統領が謝罪と賠償を行っているので間違い。

703 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:54:20 ID:???]
改行しっかり!

704 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:57:13 ID:???]
ムクリコクリが来ているようだな

705 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 13:17:01 ID:???]
>>702
確かに、いまだに元軍は残虐だの謝罪だの言ってる奴は韓国人と変わらんね

706 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 15:03:29 ID:???]
>>702
それ、後で韓国内の世論から猛反発受けて、取り消したんじゃなかったっけ?



707 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 23:40:57 ID:???]
>>701
モンゴル帝国の戦役で他に糞チョンを動員した例が有ったっけ?

モンゴルの連中が対馬やもっと沖の島を領地に貰って嬉しがるとも思えんから、実態は高麗領に編入だわな。
その時に捨てるほど余ってる自国民を入植させても良い訳で、一番ローコストな輸送法を選択しただけ。
勝てば代わりは幾らでも手に入るし。
(大航海時代以降の大西洋でも、輸送ロスって何?状態な運び方はしてた訳で、それがエスカレートすれば有り得る)

708 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 07:25:04 ID:???]
そもそも人体の構造として掌に体重をささえる強度は無く、言われるような事をすると
肉が破れて落ちていくとか。

709 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 07:30:05 ID:???]
そりゃ牛に鼻輪をしたからって船からぶら下げたりしない、犬に首輪をしたからって以下同文。

710 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 10:33:20 ID:???]
>>708
同じ理由で、かのキリストの磔でも実際には手のひらじゃなくて腕に釘を打ち込んだとか。

711 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 12:51:51 ID:???]
まあ鼻から針金とおしたり食人したりする国で
捕虜の健康状態を気にしてくれるとも思えんけどね





712 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 13:23:17 ID:???]
>>711
そもそも近代になるまでに、捕虜が人道的に扱われること自体稀。

713 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:09:06 ID:???]
牛でも犬でも繋いで置くことは出来るよね。十分「括り付けた」状態でしょ?
何で船からぶら下げる話になっちゃったんだろう。


714 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:16:44 ID:???]
>>713
ワシの言う通りにしないと国が滅びるぞって言ってた電波親父が、人を脅すためにでっち上げたから。

715 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:35:20 ID:???]
>>713
挑発および矢除けって説明してあったな

716 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:38:35 ID:???]
そもそもぶら下げたとかいうことじゃなくて
手の甲を通した捕虜を甲板に一列に立たせてあったとかう説明だったと思ったがどこからぶら下げたことになっちゃったんだ



717 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 15:34:36 ID:???]
>>712
おっと
日本軍の話題はそれまでだ

718 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:05:11 ID:???]
スレチガイだが一応
「日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り日本軍人であることに誇りを持っていた。
支那兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で例えば中共軍の捕虜になると、
四肢を斬り分けられ生きながらに火あぶりにされたり、はりつけにされたりしたのである
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、男根を切り落し胸部を切り開いて石を詰め込み、
首は両耳を穿って紐や針金を通しさながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々それが中共軍の戦争様式であり
日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」
国際法学者ポール・フォーシーユ




719 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:19:48 ID:???]
>>718
フォーシーユが序言を寄せたのは日清戦争に関する著作なのに、なんで「中共軍」が出てくるの?

720 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:35:35 ID:???]
>>718
まあ日本軍は、太平洋戦争までの戦争は基本捕虜に対してかなり人道的だな。第二次世界大戦の捕虜の大量死は
虐待ってより、日本兵自体物資がなくて大量死してるから、捕虜の面倒みる余裕なんてなかったんだろう。
虐待にはかわりないが、同時に自国の兵への虐待でもあるな。

721 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:57:14 ID:???]
>>720
自分の食料を削って捕虜に大根やゴボウを食わせたら
それを理由に有罪にされた奴もいたとか

罪状は「捕虜に木の根を食わせて虐待した」

722 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:08:10 ID:???]
>>721
それはけしからんな、捕虜の癖に感謝が足らん。
酒のツマミに喰われなかった事を感謝して欲しいくらいだが。

723 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:53:05 ID:???]
父島じゃホントに酒の肴にしたけどなw

724 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:54:43 ID:???]
戦前は、フビライ=ハンて意外と人気あったんだな。

全世界英雄番附東洋編(明治42年 アンケート)
 1 豊臣秀吉
 2 チンギスハン
 3 徳川家康
 4 西郷隆盛
 5 北条時宗
 6 始皇帝
 7 諸葛孔明
 8 源頼朝
 9 伊達政宗
10 織田信長
11 源義経
12 毛利元就
13 フビライハン ←ここ

725 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 22:33:33 ID:???]
それ以前に北条時宗が入ってることに感動したよ。
今なら「北条時宗?台風に救われたラッキーボーイだろ?」
って答えるバカが大多数だろうからなあ。

726 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 23:47:07 ID:???]
今なら頼朝が義経の上ってのもないだろうな。



727 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 23:47:15 ID:???]
あれ?どっかの誰かが戦前は、徳川家康と源頼朝は皇国史観によって不当に貶められたとか
言ってなかったっけ?あれ嘘なのか?現代とは比べ物にならないくらい評価高いじゃん。

728 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:17:08 ID:???]
しかし公平な評価をしようと言う動きがちゃんと認められるよね。
いや、半島で同じアンケートをして、自国の英雄が何人出てくるか知らんが秀吉は絶対に無いだろw

729 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:19:26 ID:???]
流石に室町幕府将軍は入ってないなw
にしても、戦国の三傑の評価が今と正反対なのも興味深いな。
今ならゲームとかの影響で織田信長が三人の中で一番上だろうな。
あとは始皇帝も意外だ。昔は始皇帝=悪人って
イメージ持たれてたんかなあぐらいに思ってたから。

730 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:21:55 ID:???]
個人的に一番意外なのは伊達政宗だわ。
てっきり大河ドラマになるまでは、仙台以外じゃどマイナー武将だと思ってた。

731 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:56:14 ID:???]
>>724の西洋版
 1 ナポレオン1世  
 2 アレキサンダー大王  
 3 カエサル  
 4 ピョートル1世  
 5 クロムウェル  
 6 シャルルマーニュ  
 7 ワシントン  
 8 ハンニバル  
 9 フリードリヒ2世  
10 ガンベッタ  

11 リュクルゴス  
12 ネルソン 
13 ビスマルク 
14 リンカーン
15 モルトケ
16 カヴール
17 コンスタンチン 
18 ガリバルディ 
19 アレフレッド大王 
20 レオニダス  

732 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:59:49 ID:???]
スレチだけど、ついでに。全世界英雄番附東洋編(14位〜30位)
14 上杉謙信
15 武田信玄
16 源為朝
17 加藤清正
18 楠木正成
19 北条早雲
20 坂上田村麻呂
21 劉邦
22 上杉景勝
23 平清盛
24 徳川光圀
25 前田利家
26 大石内蔵助
27 源義家
28 黒田長政
29 
30 小早川隆景
31 加藤嘉明
32 蒲生氏郷
33 本多忠勝
34 藤原鎌足
35 項羽
36 石田三成
37 孟嘗君
38 山鹿素行
39 岳飛
40 真田幸村


733 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:00:59 ID:???]
31 加藤嘉明
32 蒲生氏郷
33 本多忠勝
34 藤原鎌足
35 項羽
36 石田三成
37 孟嘗君
38 山鹿素行
39 岳飛
40 真田幸村
41 関羽
42 新田義貞
43 張良
44 佐々成政
45 曹操


734 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:01:15 ID:???]
リュクルゴスなんて今じゃ古代ギリシャヲタくらいしか知らんだろうによくランクインしたな。

735 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:02:31 ID:???]
733はミス
46 吉田松陰
47 李鴻章
48 北条泰時
49 鄭成功
50 井伊直政
51 劉備
52 木村重成
53 佐久間象山
54 明智光秀
55 島津久光
56 高杉晋作
57 足利尊氏
58 坂本龍馬
59 明智秀満
60 畠山重忠
61 文天祥
62 木曽義仲
63 山中鹿之助
64 韓信
65 酒井忠次
66 吉川元春
67 後藤又兵衛
68 由井正雪


736 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:07:17 ID:???]
59 明智秀満?なぜだw



737 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:09:05 ID:???]
新撰組がカスリもしてないのが笑えるw

738 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 01:47:25 ID:???]
スキピオ入ってないんだなあw

739 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 02:19:50 ID:???]
>>737
そりゃあまあ当時は新撰組=テロリストって認識だしw

今じゃ小学校(勿論日本のw)の教科書にすら載ってる李瞬臣がカスリもしてないw
てか水戸黄門とか大石内蔵助はなんか違くね?w

740 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 08:30:20 ID:???]
>>739
イスンシンが教科書に載ってるってマジ?
日教疽まじやばいな

741 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 18:41:19 ID:???]
>>727
まあ、尊氏の不人気ぶりと楠木正成の不相応な順位には皇国史観とやらが現れているかな、ってくらいだな。
しかし、ナショナリズムで埋め尽くされているかと思いきや自分の国を侵略しようとした国の皇帝とその先祖を
英雄に選ぶってのもなかなかすごい人たちだw

742 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 19:02:08 ID:???]
勝者の余裕

743 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 19:13:02 ID:???]
そもそもどんな連中を対象にしたアンケートなのかが解らん。

744 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 21:25:59 ID:???]
>>740
少なくとも俺が小学校の時(1997年頃)は載ってたw
勿論、安重根や柳贋順とかも。あとシャクシャインや佐倉総五郎も。
逆に天智以前の天皇とか北条時宗とか楠木正成とか東郷平八郎とかは全員スルー。
てか授業自体が、歴史の授業という名の人権学習だったなあw



蒙古襲来?勿論、元を挑発してボコられたけど
高麗と台風に助けられた間抜けな鎌倉武士って習いましたよw
まあ当時からツッコミ所満載だと思ってたから
今このスレにいるわけだがw

745 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 01:58:55 ID:???]
鎌倉武士が間抜けなのは確かだろ

746 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 13:46:05 ID:???]
>>745



747 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 14:11:10 ID:???]
>>745
その根拠を二百字以内で述べよ

748 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 14:29:38 ID:???]
間抜けな結果を残したのは明らかに元だけどな。

749 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 15:09:18 ID:???]
やあやあ我こそは、を未だに信じているとしたらそいつが間抜けだな。

750 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 16:07:54 ID:???]
>>748
しなくともいい戦争を招いた時点で幕府も相当な間抜け

751 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 16:12:42 ID:???]
>>750
具体的にどうすれば戦争を回避できたのか、ご高説をうかがいたい。

752 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:08:54 ID:???]
>>750
この間抜けはまたテンプレ貼られたいのw?

753 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:11:54 ID:???]
しなくてもいい虐殺を対馬壱岐でしてしまったばかりに
疲弊して本戦で息切れする元軍高麗軍

754 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:18:00 ID:???]
>>751
常識的なお手紙書けば回避できたのは確実だよ
現に戦争は1度きりで終わって、その後民間レベルの交易が盛んに行われたしな
>>752
また、捏造感想文で自爆するのか。そうかそうか

755 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:31:25 ID:???]
>>754
常識的なお手紙とやらを書いてモンゴルとの戦争を回避できた国が一つでもあるのか?

756 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:32:55 ID:???]
むしろ対日後、元の海運は縮小しちゃったはずでは?



757 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:50:22 ID:???]
>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠はどうしたんだよ?

758 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 17:51:37 ID:???]
>>754
自爆って

文永の役弘安の役の計二回戦ってるのに「現に戦争は一度きりで終わった(キリッ)」とか言っちゃうこと?

759 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 18:01:01 ID:???]
のこのこやってきてみじめに返り討ちにあった元は確かに相当間抜けだわな


760 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 18:01:34 ID:???]
そうか。鎌倉幕府が間抜けならベトナムもマムルークもジャワもみんな間抜けだな。
あいつら、とりあえず文永以前は無事にお帰り頂いた鎌倉幕府より過激な対応してなかったか?
拷問して殺したり屈辱的な入れ墨して送り返したりしてただろ?

761 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 18:03:56 ID:???]
自爆って>>201みたいなカキコのこと?

762 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 18:59:59 ID:???]
お前等いいかげんスルースキルつけろ

763 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 19:07:28 ID:???]
じゃわ話題転換。当時の武士達の戦術について具体的に。

764 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 20:00:51 ID:???]
ttp://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/genpei/bugu/bu_sentou.html>
>この点、太刀の馬上使用は源平時代に増加したらしい。 『平家物語』(巻九)では今井兼平の最後の戦闘がその一例だが、騎射の後に太刀に移行している。
>弓射騎兵にとって、太刀が二次的な武具であることを示している。
>また、『平家物語』では、馬を射られるなどの理由で落馬してはじめて太刀を抜く記述も多い。これを「落馬打物(らくばうちもの)」とよぶこととする。
>落馬打物は太刀の徒歩使用を前提とした行為といえる。

騎射のち馬上打物、ときどき落馬打物。

765 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 20:05:39 ID:???]
blog-imgs-17.fc2.com/n/i/k/nikuch/59ema.jpg
そういう時は弓なんか捨てちゃうようです。

766 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 20:35:56 ID:???]
鈴木先生の嘘つき!



767 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 21:05:40 ID:???]
そりゃあ嘘つきだよ。戦国時代だって宣教師が最後に刀を交えると報告している。

『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
「市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ」

鈴木先生は最後は首取りが行われただけで戦闘ではない、とか逃げるんだろうけどね。

768 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 21:35:49 ID:???]
当時の日本人が刀は役立たずって言ってるのに外国人は高く評価していたってのは面白いな。

769 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/26(火) 21:43:38 ID:???]
本当に役立たずなら戦場から消えるよ。役立たずなものを大将から足軽に至るまで
持たせる費用(それも二振り)なんか浮かせるに越したことはない。

>当時の日本人が刀は役立たずって言ってるのに
一般論として語られていたような言い方だが、誰の発言なんだ?

770 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 01:41:13 ID:???]
よくいわれる槍>刀とか飛び道具マンセーを極論化しちゃったんじゃないか?



771 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 01:51:21 ID:???]
弓や槍は狭いところじゃ使えない、使いにくいし
落馬して初めて太刀を抜く、って事は落馬したときは太刀を使えって言う戦法があるって事でそれは役に立つと言う事じゃないか



772 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 05:48:49 ID:???]
刀が役立たずだったのは確か
それは残された武具の変遷を見てもわかる

戦国時代の中ごろまでヨロイは刀や矢が通らないほどに重厚化され
装着すると身動きできないほどになった
刀は鎌倉時代が頂点で、その後は道具としては技術的にも劣化しつづけた

それを変えたのが皮肉なことに鉄砲の登場だった

身動きできないほど重いヨロイは鉄砲にとっては格好の的となってしまったため
装着することが無意味となり、狙いをかわしやすいように軽量化されることになった
鉄砲は威力はあるが連発ができないため、対抗する側は額が触れるほどの
接近戦に持ち込むようになった

そうした戦法の変化の中から柳生流等の剣法が誕生した
剣法とはヨロイに頼らず太刀のみを駆使して勝つためのものである

773 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 06:49:32 ID:???]
どこのヨーロッパだよw>身動きできない

774 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 08:51:47 ID:???]
>>773
それ、ただの神話だよ。
実際のプレートは身動きできないどころか逆立ちや側転だって出来るくらい自由度が高い。
重量も当世具足と大して変わらない。

775 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 09:07:42 ID:???]
>>772
お前の説じゃ刀の変遷が説明できねーよ。なんで鎌倉よりあとの南北朝時代に
五尺の大太刀が生まれたり、戦国時代に抜き打ちができる打刀を二本差すようになるんだよ?

>そうした戦法の変化の中から柳生流等の剣法が誕生した
>剣法とはヨロイに頼らず太刀のみを駆使して勝つためのものである
柳生流なんて言い方は正しくないし、新陰流にしたって上泉伊勢守が念流、神道流、陰流を
学んで立てた後発の流派。それにこの時代の剣術は鎧兜着用前提の介者剣術。

776 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 10:43:06 ID:???]
むしろ逆立ちや側転ができるぐらいで大喜びなところが動きにくさを物語っているような…

まあそれはどうでもいいけど>>772は0点だ…
ちょとツッコミどころが多すぎて…



777 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 10:45:30 ID:???]
>>776
じゃあ日本の鎧はどれだけ動けたんだ?

778 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 10:56:03 ID:???]
ルイス・フロイス
「武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。

騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。

779 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 11:02:30 ID:???]
>>776
大喜びも何も「身動きできない」と言うのが間違いだと指摘しただけだが。
お前さんの「動きやすい」の基準は一体なんだ?
仮にも鎧なんだから何も着ていない状態と比べて「動きにくい」のは当たり前。
だが出来の悪いファンタジーによくある「殆ど身動きできない」だの「落馬したら起き上がれない」だのと言ったイメージは単なる妄想。
日本の胴丸、当世具足や欧州のホーバーク、プレートアーマー。いずれもその重量は現代の歩兵の装備と大して変わらない。
そもそも身動き出来ない程重い鎧が実戦で使われるわけがない。糞の役にも立たないんだから。
実際欧州には馬上試合に50kg以上の重量の甲冑が使用される事もあったが、実戦で使われた例は皆無。




780 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 11:11:07 ID:???]
何この流れ
自爆くんの話題逸らし?

781 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 11:12:23 ID:???]
フロイスと言えば、鈴木センセはフロイスの「日本人は下馬して戦った」って供述を引用して論拠の一つにしてるらしいけど、フロイスは本当にそんな事を書いたの?
そもそもフロイスは戦闘を実際に観察したの?それとも又聞き?

782 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 12:09:22 ID:???]
>>779
神話だの逆立ちだの、どこが指摘しただけなんだ
今時の歩兵の装備の総重量と比較するのも意味不明

783 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 12:10:09 ID:???]
以前某スレで、散々日本の鎧は紙防御だの何だの言っといて都合がいい時だけ
「重くて身動き取れないから、外国の軍隊の動きに対応できない」って言う子見た事あるw

784 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 12:15:21 ID:???]
>>781
どの道
下馬して戦うことも
騎乗して戦うことも両方あっただけに過ぎないっしょ

785 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 12:45:03 ID:???]
>>781
あれは単に数で劣勢な方が防御が簡単な下馬状態で戦った、と言うのをフロイスが誤解しただけだと言われている。
そもそもフロイスのいた西国は元々下馬して戦う事の方が多かった。

>>782

元々の>>772が「胴丸や腹巻は身動きできないほど重かった」と電波を飛ばしているんだからそれに対する
>どこのヨーロッパだよw>身動きできない
という発言は明らかに「ヨーロッパの鎧は身動きできない程重量がある」という意味だろ?
俺はその都市伝説に対する反証として「重量は日本のものと大して変わらないし、逆立ちは側転が出来るくらいに身軽だ」と言った。
するとお前は「逆立ちや側転ができるぐらいで大喜び」などとわけのわからない事を言い始めたわけだ。

>今時の歩兵の装備の総重量と比較するのも意味不明
現代の歩兵が身動きできない程重い装備を背負っている、などと言い出す奴はいない。
その現代の歩兵とたいして重量が変わらないのなら同じく身動きできない、などと言う事は有り得ないって事だ。
これぐらい理解しろマヌケ。

はっきり言って>>772>>773は対象が違うだけでトンデモ具合は同レベルだ。
日本だろうがヨーロッパだろうが身動き出来ないほどの重量がある鎧は存在しえない。
そんな物を着たって役に立たないんだから。

786 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 13:26:27 ID:???]
いいかげん元寇スレでやる内容じゃないだろ
自重しろ



787 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 14:26:54 ID:???]
>>785
煽りだけのクズがはやくしんでください

788 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 14:29:21 ID:???]
>>785
いいからもう消えろ

789 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:01:01 ID:???]
>>755-756
無知だなあw
フランス、インド、タイ
元の海運は南宋制圧後が最盛期なんだから
当然に、むしろ対日後元の海運は拡大しちゃったのですよ。
>>760
ベトナムもジャワも歴代王朝が朝貢国にしたり南征したりしてるから、日本とは明らかに違うな。
マムルークは最初から征服対象、これまた日本とは明らかに違うな。

790 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:08:11 ID:???]
>>787-788
>>785じゃないが、現代の米兵も同程度の重さじゃん
電波ばかり飛ばすなよw

791 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:11:20 ID:???]
やはり>>785は自爆くんだったか

792 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:18:29 ID:???]
まだ日本とだけは友好的な関係を結びたかったとか思ってるバカがいるようだな

793 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:18:52 ID:???]
自爆くんのやるべきことは>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠を出すことだよ。

794 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:20:35 ID:???]
これは次のテンプレ入りどころか次スレの>>1
ここの>>200->>201を貼るべきだな。

795 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:36:52 ID:???]
>>785
またお前か

796 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 15:55:16 ID:???]
>>789
じゃあ国書スルーしただけで攻めて返り討ちにされたフビライより
「あいつらヤバすぎだから放置。」ってスルーした朱元障のが賢明だったわけか



797 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 16:07:37 ID:???]
おまいら落ち着け。
俺は>>785は正論だと思うぞ。鎧に関しちゃ多少の機能差はあれど
動き回れるという点じゃどっちも一緒だろ。
日本の鎧だって普通にあれ着て泳ぎ回る事だって出来たわけだし

むしろ自爆くんは>>789なわけで。

798 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 16:48:27 ID:???]
>>797
これは恥ずかしい

799 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 16:58:46 ID:???]
>>796
朱元璋は毛沢東並に賢明だろうね、クビライは結局暗殺されたカエサル程度。

800 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:19:39 ID:???]
中国側から見れば日本だって朝貢国の1つだったわけだろ?
だからこそ「政権がウチに変わってから使者をよこさないが云々」とか言ってるんだから
>>792
物凄い特別扱いだなw

801 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:35:34 ID:???]
>>800
朝貢国扱いしてないと、いつになったら理解できるんだろうねえ
散々教育されてるのに。
あと、辛いかもしれんがフランスやインドも友好国という事実を受け入れよう!

802 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:46:14 ID:???]
>インド
ハルジー「あれ?俺モンゴルとガチバトルしたんだけど?」

803 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:48:51 ID:???]
しきりに日本を攻めろと言ってた高麗の立場はどうなる?

804 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:50:56 ID:???]
だから、自爆くんのまずやるべきことは>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠を出すこと。
>>201から逃げるな。

805 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 17:57:05 ID:???]
>>802
あれ?クビライとっくに死んでるんですけど?
そもそもわざと北部と南部を一緒に扱うとかありえないんだけど?
普通に友好、通商を行う関係なんですけど?

806 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 18:22:59 ID:???]
>>805
じゃあインドって言うなよw



807 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 18:25:30 ID:???]
自爆くんまた自爆かよwww

808 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 18:27:16 ID:???]
13C-14Cインドの南部ってどうなってたんだ?

809 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 19:06:56 ID:???]
14C初頭にハルジーさんに征服されたんじゃなかった?
ハルジー朝はすぐ滅んじゃったけど。ただハルジー以前の時代に
モンゴルは北インドには攻め込んでたはずだが、南インドとは友好関係にあったのかね?そういう記録残ってる?




なんにせよ単に鎌倉幕府は非常識ニダ!って火病ってるだけだろ。
国書無視されたんならスルーしてりゃいいのに。

810 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 19:30:28 ID:???]
>>801

>>789で貿易増加を主張してたの君?
理由はともかく二度も逃げ帰っておいて恫喝が成功したなんて言わないよねw

>>789で行われてるのは幕府や朝廷抜きの民間交易。それがお望みなら国書を出したり侵攻する理由が無い。


811 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 20:50:52 ID:???]
>>809
インド方面はオゴデイの時代にカシュミールに2万戸が駐留軍として投下されたけど、
その後は帝国中央の混乱でほぼ放置状態。フレグの遠征の時に一応フレグの旗下に編入
されたはずなんだけど、13世紀後半のジョチ家、カイドゥ一派、フレグ家の紛争で、
ニクーダリーヤーンみたいにこの混乱で逃れて来たモンゴル諸侯がカシュミールにいた
駐留軍の残余部隊に亡命して来たりと、モンゴルの軍としては色々良く分からない立場が続く。

中央アジアの政局が少し落ち着く14世紀前半にはチャガタイ家の当主ドゥアがインドへ
掠奪遠征のため何度か軍を出しているみたいだけど、北インドへはカシュミール周辺にいた
駐留部隊などがインド現地のムスリム政権の領地に掠奪を働くということはあっても、
国書の贈答のようなちゃんとした政治的なアクションをした、という話はあまり聞かれない。

812 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 21:51:36 ID:???]
>>775
ふん、足軽(歩兵)と騎乗の武将が同じヨロイなんて釣りのつもりか?
騎馬の武将は位置が高い上に狙い撃ちされるんだから、重厚なヨロイじゃなきゃ意味ねーよw
しかし馬に乗ると足元が死角になるから、五尺の大太刀なんてものが必要になる
それは日本刀の進化系なんかじゃねえ要するにヤリの代わりだわなw
ヤリそのものだと槍首が掴まれて引きずり落とされてしまうから、
こんなものが必要になるってだけの話ww

柳生ナントカ流でもなんでもいいわ名称はw
しかしやつらの目指した剣法はヨロイを着ないでするものだ
なぜなら鎧兜を着用すると上段が使えないので、著しく不利になるからよw

あと足軽は二本差ししていない

813 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 22:08:01 ID:???]
ここは釣堀なのか?

814 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 22:09:28 ID:???]
>>811
なるほどね。

815 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/27(水) 23:54:32 ID:???]
>>801
実際はともかく、元が日本を朝貢国とみなして無かったらあんな国書は渡してこないだろ…
>>812
それはもう関ヶ原も終わって世の中が太平の世になった時代の事なんだが…


816 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/28(木) 01:47:50 ID:???]
朝貢国と見下げていることに疑う余地はない。
元擁護の理屈は属国の程度の説明でしかない。

示威行動だから1日で帰ったってのも錯覚を狙った説。
示威行動が目的であったとしても目標を海岸線と決め付けられない。
目標=大宰府の制圧も当然否定できない。
また、作戦期間も示威行動=1日、でなければならないはずもない。
示威行動が目的として
目的=示威行動、目標=大宰府、期間=3日〜10日〜17日(天気に依る)もありうる。
示威行動と1日で帰ったことに何ら脈絡はない。



817 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/28(木) 15:45:41 ID:???]
>>809
南インドの諸都市から元代青磁やコンテナ様陶器が発掘されてる。
宋代から盛んに交易が行われていた様子はあるけど、元代では更に出土量が急増
逆に明代の出土品はほとんど無いってくらい極端に少ない。

818 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/29(金) 16:21:28 ID:???]
追加、宋と違いモンゴルは国主体の交易も行っていて
その際に使っていたと思われる(基本国外持ち出し禁止)金銀が
これまたタイやインド南部の各地で発掘されてる。

819 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/29(金) 21:00:42 ID:???]
>>812
さすがにその釣り針はでかすぎて食いつけないってw

820 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/29(金) 21:10:53 ID:???]
やあやあ我こそはと威勢よく突っ込むが、集団戦法に苦戦する武士
www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm

821 名前:名無し三等兵 [2009/05/29(金) 23:11:44 ID:7s6dymCg]
>>809
とまあ、常識的に考えて友好関係にない国の人間が当該国で
官員として交易に携われるはずないよね。

822 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 00:12:38 ID:???]
>>820
不味そうな餌だなおいw

823 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 13:15:33 ID:???]
www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.htm
蒙古兵は集団戦術主体で、一対一で戦おうとしない。卑怯だと思う。

824 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 13:30:11 ID:???]
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q139754348
>ですから「卑怯な行い」をすればその場は勝てても周りを敵に回してしまいますし、部下が離れていく。
>そういうことを避けるために中世の武士は「名誉ある戦い」を好んだのです。

>事実、勝てさえすれば良いという戦ばかりをしていた源九郎判官義経は壇ノ浦の戦いの後、
>兄頼朝、東国武士の支持を失い、結局は逆賊として討たれる事になります。政治的なことが苦手だった性格に加え、
>名誉ある戦勝の無かったことも理由だと思います。

武士は名誉を重んじたんだな。だから、やあやあ我こそはと名乗ったのか。

825 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 17:30:43 ID:???]
名乗ったのは、これは俺の獲物だ無関係な奴は手を出すな、て意味合いもあるがなw

826 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 17:46:01 ID:???]
brian.hoffert.faculty.noctrl.edu/TEACHING/Heiji.Monogatari.jpg
こんな戦いでも悠長にやあやあ我こそは、ですか?



827 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 18:02:04 ID:???]
>>826
よくわからないから 吹き出しつけてくれ

828 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 18:31:17 ID:???]
やばいwwwなんかまたバカが書き込んでるぞwwwwww

829 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 19:19:49 ID:???]
ワーモンゴル軍がきたぞー

土塁を築け〜

ドカーン!うわーっ

ワーワー

ざっぶーん

神風が吹いた〜



これの何が面白い?

830 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 19:34:13 ID:???]
お前のそのバカさ加減が面白いw

831 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/30(土) 20:05:02 ID:???]
お客さんは去ったみたいだな 

832 名前:名無し三等兵 [2009/05/31(日) 01:18:27 ID:g2Oz4g6u]
で、棄民説はどうなった?

833 名前:名無し三等兵 [2009/05/31(日) 08:07:45 ID:JxJd8RrT]
>>831
主にパーンディヤ朝のマーバル、マラバールで盛んに交易が行われていたそうだね

834 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 08:32:34 ID:???]
元軍二度の侵攻とも対馬・壱岐を完全に制圧しておきながら、二度とも恒久占領せず、あっさり退去したのが分からない。
本腰で日本本土侵攻を考えてたなら、中間の島は足掛かりに押さえておきそうに思うのだけど、何か違う考えがあったのだろうか。

835 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 08:36:00 ID:???]
あの島ならいつでも取れるという王者の余裕だろう。


ワーモンゴル軍がきたぞー

やあやあ我こそは

うわーっ!

836 名前:名無し三等兵 [2009/05/31(日) 09:19:18 ID:tOMvBOE/]
やあやあ我こそは!


ズビュ!!


やあやあ我こそは!


ズビュ!!


以外無限ループ。


戦闘ではこのように元軍の圧勝だった。
神風が吹かなければどうなっていたことか・・・。



837 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 10:04:14 ID:???]
>>834
モンゴル帝国の戦法として、外征先の地域の行政的な中心を獲得しない限りは
その地域に駐留するということはしないのがセオリーだったらしい。
そのため、その地域の中心地を討滅するなり降伏させて帰順させるなりしない内は、
掠奪や攻撃をするだけで、そういった作戦が終了したら自分の勢力圏へ撤退するのが
普通だった。

特に中央アジアやイラン、金朝が滅亡するまでの華北周辺がそうだったが、その地域の
行政の中心が陥落するなりしない限りは、攻略が達成するまで複数回掠奪遠征を行う
ものだったようだ。
(そういう意味では、クビライの時代の襄陽・樊城包囲戦のように数年に渡って降伏するまで
 恒久的にひとつの都市や地域を包囲し続けるという作戦は、モンゴル帝国の戦法としては
 非常に珍しい。)

翻って、『元史』なり『高麗史』なりを見る限りは、壱岐や対馬は太宰府を行政の中心とする
地域に属しているように認識していたような書き方をしているので、文永の役の後に壱岐や
対馬からも撤退しているのは、特に不思議なことではないかも知れない。

ただ、『高麗史』では撤退途中で風雨にあって、「會夜大風雨、戰艦觸巖崖多敗、金ヒツ溺死。」
とあるように、かなりの被害が出たらしいので、それで壱岐や対馬を放棄したのかも知れないが、
「どこそこを攻めた、それからどこどこを攻めた」的な書き方をしていはいるが、文永の役の時の
作戦予定については具体的な記述がないので、事前にどこまでやろうとしていたかは良く分からない。
(金ヒツ(きんせん)は高麗軍の司令官・金方慶の息子のひとりで、文永の役の時に元朝・高麗側の
 資料上から遠征軍で死亡したことが確認出来る唯一の人物だったりする)

838 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 10:07:15 ID:???]
つまり
日本側:やあやあ我こそは→屍、の無限ループ
元側:死者一名

という結論が出たな。威力偵察で本当によかったネ。

839 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 10:55:57 ID:???]
やあやあ我こそは…・・・うわああ、大量の毒矢だ!!


やあやあ我こそ……うわああ、鉄砲だ!!


やあやあ我こそは……うわああ、一兆度の火の玉だ!!

840 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 11:07:49 ID:???]
やあやあ我こそは……うわああ、天狗の仕業だ!!

841 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 11:08:20 ID:???]
ガメラでもいたのかよw

842 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 11:11:48 ID:???]
>>837
その包茎の息子は戦死?それとも撤退中の遭難死?

843 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 11:30:43 ID:???]
ほほ、ほ、包茎ちゃうわ!

844 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 11:40:29 ID:???]
やっぱり文字化けしたorz

>>837
文永の役のとき、対馬の守護代・宗資国や壱岐の守護代・平景隆らが率いる守備部隊が全滅したが、
『八幡愚童訓』にしろ『蒙古襲来絵詞』にしろ、「蒙古兵」が武士側の攻撃で射殺されたり討ち取られた
場面は出て来るので、文永の役の時の派遣軍で、戦闘中の損害が0とかいうことは、まずあり得ない。

『高麗史』は文永の役についての記述は金方慶伝が最も記述の分量が多いが、高麗軍の指揮官「金方慶」
の「伝」だけあって、金方慶に縁のある高麗人の将校たちが活躍したことを述べはするが、(『高麗史』の
記述が正しければ)派遣軍の7割以上を占めていただろう「蒙漢軍」の活躍はほとんど記述がない。
一応、右副元帥の洪茶丘の名前は出てくるが、彼らの指揮下で行動したはずの各部隊の指揮官たちの
名前すら殆ど記録がない状態だ。

一応、『高麗史』では「軍の還らざる者、無慮萬三千五百餘人」と書いていて、書かれ方からすると
この「軍の還らざる者」の大半は、撤退中に襲われた風雨の影響が原因しているようだが、この
「萬三千五百餘人」のうち、どのくらいが戦闘中での損耗で、どれくらいが風雨による溺死した者か
判断のしようがない。もっともこの「萬三千五百餘人」という数字自体が『高麗史』の忠烈王世家に
しかでてこないので、他からの検証のしようもなかったりするが。
(これはもう資料的な限界なのでどうしようもない)

>>842
> 會夜大風雨、戰艦觸巖崖多敗、金?溺死
金?(金[イ先]きんせん)が溺死したのは撤退中の夜中の風雨に見舞われた時。文永の役の時、
金方慶の息子たちは金?を含めて何人か従軍していたようだけど、この夜中の風雨で金?が溺死
したことは、『高麗史』の忠烈王世家や、金方慶伝、『高麗史』完成の翌年に編纂された、
『高麗史節要』でも触れられている。

845 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 12:07:18 ID:???]
撤退途中に遭難したわけね。トン

846 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 15:21:39 ID:???]
いつの時代でも中国や朝鮮のデータはいいかげんだからな
特に水増しが多過ぎ



847 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 17:51:37 ID:???]
近代以前の中国大陸の人口推移に関する研究は研究者泣かせw

848 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 19:50:00 ID:???]
何も分からないヨーロッパよりは戸籍があるだけ研究し易いけどな

849 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 21:21:39 ID:???]
まあ日本も明治以前は推測によるもんだしなあ

850 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 21:42:17 ID:???]
愛宕山、祖原山、赤坂あたりの山や丘には築城せんかったん?

851 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 23:34:34 ID:???]
>>481
>杉山センセは金方慶伝の金方慶と司令官の忽敦との会話は、
当初からの撤退予定を踏まえた上でのやり取りだったろう的な意見を
『モンゴル帝国の興亡』だったか別の本で述べていたけど、

根拠は?

852 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 23:42:55 ID:???]
>>657
現代でいうと宛先不明で送り返されたってのが適当だよ。
「国皇さん」ならいますが「国王さん」は居ませんよと。
返牒云々以前に国王扱いの牒は不受理が国是だった。
例外として平清盛が地方長官からの朝貢だからと受理したことがあるが原則不受理。

>攻め込んで来た元のがよっぽどDQNだと言えるだろ。
その通り。元の場合も趙良弼がうやむやにしようと努めた。
武力行使のオプションを持たなければそのまま有耶無耶になるものだし、
通好を求めるなら「日本国皇に敬んで書を奉る」とでも対等の牒を送り直せばよい。

853 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 23:53:15 ID:???]
>>664
これは錯覚させてしまう。
村井先生と杉山先生が幕府陰謀論のようだからかな。
幕府が権力拡大の為、朝廷の元の要求を飲む返牒(割と厳しい文言だが)
を妨害したかのようにと。

>おっかなびっくりな感じだったこともあってか
(返牒案では割と厳しい文言を使っているようだけど)、
幕府側の意見を入れて返牒出すをのやめちゃったらしい。

>厳しい文言を使っているようだけど
「だけど」だから朝廷が臆して返牒を出さなかったと取れるが
1268年正月の1回目、1269年2回目の牒とも臆してというのは全く違い、
返牒拒否を主張した関白近衛基平のように臆したとは全く逆だった。

まず返牒云々以前に、天皇と自認する日本は無礼な牒状を受理しないのが国是だった。

1268年正月1回牒状、国是は不受理。朝廷は数ヶ月かかったが不受理に決定。
国是が牒状不受理だったからで臆したからではない。
また、幕府の助言は原則を守る意だろう。
ついでに、評定での牒状受理の意見さえそれが要求を飲むという見地からとは言い切れない。
なぜか、後に作成された返牒案は要求拒否の内容だったから。

1269年2回牒状、朝廷は中書省宛に元の要求拒否の太政官牒を作成するも幕府が止めた。
また、朝廷外からも返牒の噂に批判が起こった。

854 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/31(日) 23:56:08 ID:???]
1270年正月付の返牒案の一部
(元に敬意をはらいつつ知らないからどうして好悪の便があろうかという意の後)

不顧由緒、欲用凶器。和風再報、疑冰猶厚、
聖人之書釈氏之教、以済生為素懐、以奪命為黒業。
何称帝徳仁義之境、還開民庶殺傷之源乎。
凡自天照皇太神耀天統、至日本今皇帝受日嗣、
聖明所覃、莫不属、左廟右稷之霊、得一無弐之盟。
百王鎮護孔昭、四夷之脩靖無紊、故以皇土永号神国。
非可以知競、非可以力争、雖以一二乞也。思量。

由緒を顧ず、凶器を用いんと欲す。和風再報、疑冰猶厚し、
聖人の書釈氏の教、済生を以て素懐となし、奪命を以て黒業となす。
何ぞ帝徳仁義の境と称し、還て民庶殺傷の源を開かんや。
凡そ天照皇太神天統を耀かしてより、日本今皇帝日嗣を受くるに至るまで、
聖明の覃ぶところ左廟右稷の霊、得一無弐の盟に属せざるなし。
百王の鎮護孔昭(はなはだあきらか)に、四夷の脩靖紊るなし、故に皇土を以て永く神国と号す。
知を以て競ふべきにあらず、力を以て争ふべきにあらず、
一二を以て乞ひ難きなり。思量せよ。

855 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/01(月) 00:17:33 ID:???]
>>236
平戸に土塁つくってるから工兵に農具は必要だよ

856 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:00:28 ID:???]
「至元十一年冬十月、入其国敗之、而官軍不整、又矢尽惟虜掠四境而帰。」
「又矢尽」を予定撤退の根拠としているのは強引すぎて意味不明だよ。
「官軍不整」を無視した切り抜きだし、「官軍不整」も予定通りなのか?
「官軍整、又矢不尽」なら作戦は継続したということで予定でも何でもない。
威力偵察だから1日分の矢しか持って行かなかったとか、
戦闘密度で変わる矢の消費量、日暮れまで続く戦況、戦闘密度を
想定していたとする文献、根拠があるのだろうか。
上の方のレスにあるが矢の回収というのもある。



857 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:36:05 ID:???]
>>481
確かに人物伝は武官の勇猛や文官の交渉巧みを持ち上げてある。
阿塔海伝の弘安の役の十のうち七八という数字の信憑性が落ちるらしい。

だからといってそれだけで戦況まで全否定できるのかね。
金方慶が作戦継続を主張しなかったとは言い得ても
兵を廻すしかない戦況を否定する根拠にはなってない。
金方慶を持ち上げてるからということで史料を全否定できる根拠を杉山先生は示してるのかな?
これも一部を否定しうる材料で全体を否定する、錯覚を狙った説じゃないのかね。

858 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/02(火) 08:36:55 ID:???]
対外戦争で見られる日本史の不思議

日本の敗戦←日本は馬鹿で愚かだった。とやたらと日本を罵倒する

外国の敗戦←やる気がなかった。国内情勢が不安定だった。計画的に敗退した。と珍説をやたらと持ち出して
      外国を弁護する

859 名前:名無し三等兵 [2009/06/02(火) 10:39:24 ID:GJ7K8hnP]
歴史に対しての謙虚さが足りないんだろう


860 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/02(火) 12:44:12 ID:???]
>又矢尽

消えて無くなるわけじゃあるまいし
矢くらい回収しろよ

861 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/02(火) 18:56:43 ID:???]
そもそも、日本側が読む訳でもない文章に「命令どうりの転進」に矢が尽きただのの言い訳を書く必然性は無いと思うんだが。


862 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/03(水) 02:56:43 ID:???]
>>852
> 通好を求めるなら「日本国皇に敬んで書を奉る」とでも対等の牒を送り直せばよい。
「國王」は、例えばモンゴル帝国初期の功臣ムカリがグイ・ワン gui wang 、つまり
「國王」という尊称で呼ばれて、彼以降ムカリ家は「國王」の称号を代々受継いでいった
ように実際にモンゴル帝国で現役で使われていた称号だし(このムカリ国王家の「國王」号は
金朝がチンギスの侵攻によってこれを名目的に抑えるために授受したという、かなり特殊な
事情に依っていて、やや例外的なことだが)、他にも高麗が文永の役の年に(色々働き掛けて)
「附馬高麗國王」位を授封されたし、ミャンマーやベトナムの陳朝のように自治性の高い地域の
君主たちは「國王」の称号を帯びていた。

だから、クビライ側の思惑はどうであれ「國王」という称号は12〜13世紀当時の中国周辺の
漢語の習慣としては使っていて別に不自然では無い称号だ。

しかし、秦漢時代以来、君主の称号として「國皇」なる称号が使用されたとかいう例は、まず
聞いたことが無い。(一応、星の名前では「國皇」という単語が出て来るようだが)

「天皇」は周知の通り中国上代の帝王が呼ばれたもので、いつ頃から日本の君主の称号は
「天皇」と呼んでいることが中国方面でも知られるようになったかは知らないが、少なくとも
元朝末期にトクトらが編纂した『宋史』日本伝などには「神武天皇」から「守平天皇」つまり
円融天皇まで「守平天皇即今王也凡六十四世」とあって、この頃には割と日本の君主の称号や
地理など正確に把握していたことが分かる。



863 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/03(水) 02:57:49 ID:???]
>>862の続き。
日本も含めてだが、当時普通に古典的な漢文の素養のある人物だったら「國皇」などという
耳なれない上、実際に使われてもいない称号を外国への書簡で用いるとかは考え難い。
「皇帝」だったら奈良時代以降でも何度か日本の朝廷でも使われているし、例の太政官牒案でも
天皇の事は「皇帝」と読んでいるので、日本でも「國皇」などという称号は使わないだろう。
もしクビライ側からの書簡で「國王」以外で「皇」の文字のある称号を使うとしてもやはり
「南宋皇帝」とあるように「皇帝」が妥当だろう。
(もっとも『旧唐書』新旧の『五代史』では全然触れていないようだけど、『新唐書』日本伝では
 「神武立、更以『天皇』爲號。」ってあるようだから、全く分からなかった訳ではないだろうけど)

ただ、元朝末期には華北にも華南にも日本の禅僧がかなり往来していたし、中国から来た僧侶が
日本から地元へ戻って来る場合も多かったから情報源は多かっただろうけど、クビライが最初に
国書を出した段階でどこまで日本のことを知っていたかは分からない。趙良弼がクビライの
もとに帰還した時、一年近く太宰府に滞在している間に見聞きした日本の情勢や風俗地理などを
報告書にまとめてクビライに上呈しているが、わざわざ『元史』世祖本紀に、
「具以日本君臣爵號、州郡名數、風俗土宜來上。」と書いているから、多分、この時にようやく
日本の君臣の官職・称号について知る機会が得られ、それ以前はあんまり良く分かっていなかった
のかも知れない。

もっとも、それを事前にわかっていたとしても、金朝や南宋のような「中國」「區夏」(とされた)
の地域の君主でもないのに、外国の君主に「皇帝」という称号を使うかは怪しいだろうけど。

(「區夏」に含まれないベトナムの陳朝はウリヤンカダイの遠征が来るまで本来「皇帝」を名乗って
 いたが、1267年にクビライから「安南國王」に封じられている。ただ、そもそも前代の李朝の時代、
 1174年に南宋から「安南國王」の冊封を受けていて、陳朝でもそれは受継がれていたようで、
 1261年にもウリヤンカダイが撤退した後、南宋に「安南國大王」位の世襲を要請しているので、
 クビライの「安南國王」授封の処置もその慣例の延長とも見なせるかもしれない。)


864 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/03(水) 13:10:37 ID:???]
文永威力偵察説が幅効かせてるんですかね?
数年かけて数万の軍勢で威力偵察っていうのは兵力的に見ても過大だと思うのですが
あと威力偵察って言葉は、いかにもちょっとぶつかってサッと引くみたいなイメージありますが
野外令とか読めば分かりますがそういう緩い攻撃行動じゃないですよ
対馬・壱岐の占領は博多上陸→太宰府占領のための策源地確保であり
その目的を放棄せざるを得ない敗北により両島を放棄全面撤退に至ったと見るのが妥当ではないですか?
弘安の役における元の動員兵力を見ても文永が威力偵察というのは困難だと思います。

865 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/03(水) 15:03:37 ID:???]
あれだけ大掛かりな軍隊を出しておいて負けたら
威力偵察w



866 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/03(水) 18:09:53 ID:???]
個人的には文永の偵察説より弘安の棄民説のが嘘臭いと思う。



867 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 12:44:27 ID:???]
>>860
勝ち戦ならともかく
敗走している状態の元軍に
「戻って矢を拾え」とは残酷な

868 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 14:31:12 ID:???]
というか壱岐や対馬には時間かけておいて、九州では水際でちょこちょこやってあっという間に撤退って何ですか?
それが威力偵察という行動にあてはまるの?

869 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 14:47:31 ID:???]
旧参謀本部の朝鮮の役買ったんだが、
これ誰がどういう経緯で編纂したの?

本の中に全く解説がないってどういうことだよ

870 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 14:48:19 ID:???]
スマンスレ違いwww

871 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 19:55:28 ID:???]
堂々日本史23が蒙古襲来だったので見てきた
河野氏が戦利品として手に入れた弓矢が紹介されてたんだけど
クジラのひげで弓が出来ていて威力が竹の日本のより高いと書いてあったが
そのあたりは教えてくれ
日本のものは強く引くほとで威力は高めれるが引き換えに速射できなくなるってさ

872 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 19:56:50 ID:???]
あと弘安についてだが
幕府は九州の御家人だけでは頼りないということで
関東から精鋭を大量に送り込んでて
実際に活躍したのは関東の連中だとも書いてあった
そこれもどうなん

873 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 20:39:57 ID:???]
弓については上の方で散々話が出てるから自分で見てちょ。
関東武士については知らん

874 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 21:40:05 ID:???]
>>197より

しかし史実では、文永の役において対馬で玉砕した宗助国の軍勢の中に
肥前(佐賀・長崎県)や阿波(徳島県)の御家人がいたことが記録されている。
本土からの増援兵力が僅かながらも差し向けられていた訳である。

また弘安の役では、事前に派遣されていた「武幹の士」が島民と共に粘り強く戦っている。
出身地も広範囲で、陸奥・出羽(東北地方)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、
信濃(長野県)、三河・尾張(愛知県)、遠江(静岡県)、近江(滋賀県)、
丹波(京都府)、備前(岡山県)、筑前(福岡県)、日向(宮崎県)、
肥前(佐賀・長崎県)、豊後(大分県)と、日本全土に及んでいる(『対馬島誌』)。

875 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/04(木) 21:42:19 ID:???]
文永でさえ対馬に他地域の御家人が差し向けられてた
弘安ではもっと規模が大きい
ということは大量に関東勢が送り込まれたのも不思議じゃないかもな

876 名前:名無し三等兵 mailto:. [2009/06/08(月) 23:47:28 ID:???]






もし堀北真希が足利将軍だったら
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/















877 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/09(火) 08:36:56 ID:???]
やあやあ我こそは

…うわーっ!

878 名前:名無し三等兵 [2009/06/09(火) 11:42:27 ID:MtKVF5rj]
またお前か

879 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/09(火) 11:44:22 ID:???]
やあやあ我こそは>>878

…うわーっ!


880 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/09(火) 18:58:12 ID:???]
まだお前か

881 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/09(火) 19:01:11 ID:???]
うわーっ!

882 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/09(火) 20:48:25 ID:???]
やあやあ我こそは…アッー!

883 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 00:40:39 ID:???]
お尻を出した子一等賞♪

884 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 03:05:26 ID:???]
むしろお前か

885 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 08:51:31 ID:???]
このスレも終わりだな。威力偵察・棄民説で結論は出たしもういいだろう。

886 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 13:36:11 ID:???]
本気でそう思うならもっかいスレ読み直せバカ



887 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 15:22:39 ID:???]
やあやアッー!

888 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 16:01:48 ID:???]
よもやお前か

889 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/10(水) 23:32:35 ID:???]
>>834
小勢で駐留すれば殲滅される。
大兵力であっても弘安の役の壱岐と鷹島の掃討戦がある。とうてい維持できんよ。
島占領は兵力分散、兵站浪費、士気消耗、主力を縮小することになり下策。

>>844
>「金方慶」の「伝」だけあって、金方慶に縁のある高麗人の将校たちが活躍したことを

「活躍」では優位に戦ったと錯覚する人がいるかもしれないので

高麗史節要
「殊死して戦う」
【殊死】 (名) スル 死を覚悟して戦うこと。

金方慶伝
「力戦」
【力戦】[名](スル)力いっぱい戦うこと。力闘。「―奮闘」

890 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/11(木) 01:16:17 ID:???]
それぐらいはわかるだろう
戰敗之みたいな勘違いはないよ

891 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/15(月) 18:53:48 ID:???]
棄民説の根拠ってなに?

892 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/15(月) 19:25:51 ID:???]
世界無敵モンゴルがジャップごときに不覚を取るはずがないというのが根拠なんじゃない?www

893 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/15(月) 19:52:01 ID:???]
元寇でググるとちゃんとこのスレが引っ掛かるな
きっと色んな人が読んでいるんだろうなあ

894 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/15(月) 20:01:33 ID:???]
となると元寇といえば日本側は「やあやあ我こそは」で元軍の集団戦法に苦戦云々、と言う人も段々消えていくかな?

逆に棄民説とか威力偵察説とかを仕入れてしたり顔で語ったりしなきゃいいがw

895 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/16(火) 06:02:23 ID:???]
以前、東亜でスレが立った時は「ほぼ何から何までチョン主導でした(キリッ」
ってしたり顔で語る奴が多くて大いに参ったわ

896 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/16(火) 14:30:26 ID:???]
棄民かどうかは兵質だけでなく装備でもわかるんじゃない
既に沈んだ船からは投石器は見つかったようだけど
通常の装備とかどうだったんだろうか



897 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/16(火) 14:35:40 ID:???]
スレ検索したら>>479が弩について触れてるな
弩は持ってきたんだろうか

898 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/16(火) 16:02:48 ID:???]
>>896
兜や弓や鎧なんかが多数奉納されてるにも関わらず
鋤や鍬がちょっと見つかっただけで「殆どは非武装民」
だなんておっしゃる先生もw

899 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/17(水) 10:47:15 ID:???]
『高麗史』などの敵側の史書を無視して、宗教書の『八幡愚童訓』だけで
日本の大敗とする学説が大手を振ってまかり通る世界だからねw

900 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/17(水) 10:47:59 ID:???]
×日本の大敗→○戦闘自体は日本の大敗

901 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/17(水) 12:39:32 ID:???]
で、弩は見つかったのか

902 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/17(水) 12:45:55 ID:???]
kome2-ki2naru.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-83d8.html
>元寇の際、モンゴル兵が用いた弩が博物館に残っていますが、モンゴル軍も主力の騎兵は長弓を使用していました。

どこの博物館だろう?それにモンゴル騎兵が長弓?

903 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/17(水) 13:19:01 ID:???]
nippon.zaidan.info/jigyo/2006/0000050302/jigyo_info.html
F弩(KZK-02-1723))

4.「伊万里湾の海底に歴史を探る〜海に眠る元寇の跡〜」と題し「海の日」講演会を開催した。
(1)時期:2006年7月9日
(2)内容:水中考古学の現状、蒙古襲来(元寇)と鷹島、東アジアにおける水中考古学の成果
(3)場所:松浦市市民文化センター (4)参加者 一般住民約300名

これが果たして元寇のものかどうか?

904 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 00:51:14 ID:???]
>>902
> ヨーロッパに弩を伝えたのもモンゴル軍ですが、

これは怪しい。
第三代モンゴル皇帝のグユクの即位式に列席したローマ教皇使節、プラノ・カルピニのジョヴァンニが
教皇庁に提出した道中での報告書に、モンゴル軍対策として、モンゴル兵はクロスボウの威力を大変に
恐れているので、城塞の警備や歩兵などにクロスボウを積極的かつ大量に運用すべきだとか提言して
いるので、少なくとも13世紀半ばにはヨーロッパではクロスボウは既知のものだったはず。

クロスボウがヨーロッパでも戦場で使われ出すのは、十字軍によってシリア方面から移入されてから
じゃないか的な話は聞くけど、モンゴル時代まで時代が下るとかいうのは聞いたことが・・


905 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 10:07:10 ID:???]
> ヨーロッパに弩を伝えたのもモンゴル軍ですが、

モンゴルとの遭遇以前にヨーロッパでクロスボウの禁止令が出されているのはなぜだ?
十字軍兵士がクロスボウを用いているのはなぜだ?未来人の仕業かな?
謎は尽きないな。

906 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 11:42:38 ID:???]
>では何故使われなくなったかというと、弩 は集団戦闘向きの武器で対戦する兵力が多い程有効な武器ということらしい。
>他にも欠点として 連射が出来ない ということにもあったようだ。
>特に戦国時代の初期では、対戦する兵力が少なく、後期の大人数戦闘が主流の頃には 鉄砲 が伝来し、
>弩 が活躍する状況がなくなっていたということのようだ。

弩が使われなくなった時代なんて戦国よりはるか昔なのにw
こいつらどこまで無知なんだ?www



907 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 11:45:19 ID:???]
>少なくとも13世紀半ばにはヨーロッパではクロスボウは既知のものだったはず。
モンゴルの侵攻以前からあるよ。おそらくイスラム勢力との接触でもたらされたと思われる。

wikipediaより
>1139年に教皇インノケンティウス2世が召集した第2ラテラン公会議で、「キリスト教徒への使用」は
非人道的として禁止する教令が出されるほどにもなった。獅子心王リチャード(1157-1199)が
異教徒以外に対してもクロスボウを積極的に運用した結果

908 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 20:10:30 ID:???]
>モンゴル兵はクロスボウの威力を大変に恐れている

金も宋の弩を一番恐れて最良の兵器だと断言してた
文永だと弘安でも旧金の兵あたりが弩を幾つか持ちこんだかもしれないね
とはいえ日本側の記録には出てこないし絵巻にも出てこないな
戦力を
で、弘安の旧南宋兵が棄民すれすれの弱兵でなく
一級の戦力に該当するなら
ある程度は弩も携帯してきたのではってのが今やってる議論かな

909 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 20:13:18 ID:???]
ちなみに俺は最初から棄民目的というのは言い過ぎで
戦力にならない弱兵も大量に送り込めば
それなりの働きをするのではって期待込みだと思うね
もちろん連中が玉砕してもそれはそれでよしという

910 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 20:33:49 ID:???]
弱兵に平定された三別抄って一体?

911 名前:名無し三等兵 [2009/06/18(木) 21:03:20 ID:zxQTb8uY]
主力は東路軍だとしたらそれはそれで…

912 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 22:06:30 ID:???]
東路軍は文永と同じ
棄民どうたらってのは10万の宋軍限定のことじゃないのか

913 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/18(木) 22:25:01 ID:???]
そうだけど

914 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 00:59:47 ID:???]
クロスボウ持ってきてないから弱兵ってどんだけ暴論だよw

915 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 01:44:42 ID:???]
日露戦争とか第二次大戦中の対英戦とかもそうだけど
なんで日本が勝った戦いについては、あーだこーだ難癖つけるの?

916 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 01:57:26 ID:???]
そうすると安心するんだよ
反対に日本にポジティブな評価をするのは不安
悪い事のように感じる



917 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 10:55:19 ID:???]
弩は防御兵器で攻撃兵器じゃないよ

918 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 13:46:35 ID:???]
宋は個人で携帯して使用も可能な弩を大量に持ってた

>>914
勝つなら持ってくるだろう
宋はもともと弱兵で有名だから装備も粗末なら全く戦力にならない

919 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 17:45:13 ID:???]
とうとう南宋まで弱兵になったか。南宋を陥れるのに時間がかかった元と
その弱兵を主力とする軍隊に敗北したハイドゥってなんなんだ?

920 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 19:23:17 ID:???]
>>914
え〜と、モンゴルの弓は短射程だが速射が売りだった訳でしょ?そして船で来たために基本は歩兵。
で、馬+長射程の和弓でヒットエンドランに徹されたら、ただの的じゃないのか? がスタートだった訳で。

そこで、せめて近代戦での狙撃銃とか対戦車ライフル位の密度で相手の射程を越える武器を用意しておくのは、それ程頭を使うことでもあるまいと。
まして中華残党なら対騎兵戦闘のエキスパートだろうに。

兵力は十分優勢だから、発射速度の遅さは数の暴力で補えるだろうし。
それとも、「武士は皆名乗りを上げてこっちの射程まで突撃してくる」とでも思ってたんかなぁ?

>>919
それと同じ仕事をするだけで橋頭堡で夜を明かせただろうに。

921 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 21:23:32 ID:???]
南宋は100万の常備軍とやらが売りなんで
兵は強弱千差万別でしょう
少数で大勢のモンゴルの騎馬軍を蹴散らす展開が幾度かあっても不思議なわけじゃない

922 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/19(金) 22:28:42 ID:???]
>>908
>旧南宋兵が棄民すれすれの弱兵でなく一級の戦力に該当するなら
ある程度は弩も携帯してきたのではってのが今やってる議論かな

前提から逆だ。議論してんのどんだけ馬鹿なんだよ。
西南の役の警視庁抜刀隊を刀使ってるから弱兵というようなもの。
弓の方が熟練が必要で素人には使えない。
更に弓の発射速度を生かした運用は即ち部隊としての錬度も必要になる。
弓がクロスボウより威力が弱いって1点だけでどんだけ妄想膨らませてんだ。

923 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 00:13:23 ID:???]
つかクロスボウ厨って、日本でクロスボウが廃れた理由を
「使いたかったけど大量生産技術が無かったから、クオリティ低い和弓で我慢したから」
だなんて本気で考えてんの?

924 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 00:15:42 ID:???]
>>915
それでいて、日明戦争やノモンハンみたいな
微妙なのは日本の一方的敗北って決めつけるしな。

925 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 06:17:09 ID:???]
>>922
夜襲が怖いから船で寝る、なんて連中が野戦築城と重火器を用意しないでどうする。
(築城のほうは余分に用意した船そのものを陸に引き上げても良い)

弓の射程で負けてるのはガチにせよ強行偵察にせよ明らかなのに二回目でもそれを生かしていないなら、余程の馬鹿かソ連の懲罰大隊みたいな訳有りかのどちらかだろ。

西南の役でも「刀のみの部隊もある」と「鉄砲抜きで蜂起」では全然馬鹿の度合いが違ってくる。

926 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 06:52:32 ID:???]
懲罰のために七年の猶予を下さるなんて大ハーンはずいぶんと寛大なお方なんだねw



927 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 09:13:50 ID:???]
棄民の次は懲罰かよw
懲罰のための軍に10万の増援を下さるなんて本当に大ハーンは寛大だな。

928 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 09:33:37 ID:???]
じゃあ、モンゴル帝国も三代目になると鈍っちゃったでOK?
実際その後グダグダだし。

あう、今の総理もある意味三代目だな。。。

929 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 09:34:41 ID:???]
鈍ったどころかモンゴル民族悲願の中国征服達成してるだろうが。

930 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 10:00:53 ID:???]
高麗のような属国にもならず、ベトナムのような戦い方をしなくても勝った日本
ありがとう時宗、ありがとう

931 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 10:25:47 ID:???]
カントウセイシンオウセイナリ(敵艦発見)
トキムネ!(魚雷発射!)

大戦末期の米潜が使っていた通信符号(?)

932 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 10:28:48 ID:???]
フビライの時こそがモンゴル帝国の最盛期だよ。
逆に考えるんだ。日本に懲罰する為に
あれだけ大掛かりな軍勢を寄越す事ができるほど
元の国力は凄かったと。そう考えるんだ。

933 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 14:56:41 ID:???]
どうしても元軍が自爆したのであって幕府軍は戦功なしとしたい人がいるようだが
ならうだうだ理屈こねずに神風で元が負けたことにすればいいと思うんだが


934 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 14:58:08 ID:???]
最近は神風説が否定される流れだから必死にこじつけを考えているんだと思われ。

935 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 15:05:26 ID:???]
>>933
文永ではたった1日で撤退して、台風に遭遇してないし
弘安では台風に遭遇するまで2ヶ月も上陸すら出来ず
ワンサイドゲームで武士にボコられたのが明らかになっちゃったからね。

936 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 19:31:06 ID:???]
あれ遭遇してないの



937 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 21:10:44 ID:???]
三角波という特殊な波、とかなんとかの情報があって「元寇 三角波」で検索したらこんな誤植がw

blog.goo.ne.jp/yokukikuyo/c/a2b3d81d6b3d84c2f114f4b418235391
>さらに、経済産業省は日本政策投資銀行と商工組合中央金庫による中小企業への低利融資枠を元寇の10兆円から5兆円に拡大する方針です。

938 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/20(土) 22:23:21 ID:???]
宋の弩ってのはこれだな

www5b.biglobe.ne.jp/~serios/bow.html

神臂弓
1068〜1077年に西夏出身の李宏(李定とも)が開発、宋に献上した弩
一人で操作可能で鉄甲を容易く貫く威力から軍に広く採用された。
味方だけでなく敵からも高い評価を得ており、
金の完顔兀朮に「宋軍の武器で最も恐ろしい」と言わせしめた。

射程もこの一覧の中で一番長いね

939 名前:名無し三等兵 [2009/06/20(土) 22:46:38 ID:uOz68Dgx]
すごく詳しいサイトですね

940 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/21(日) 05:49:23 ID:???]
今の時期はちょうど来襲してるとこ?

941 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/21(日) 19:10:06 ID:???]
東路軍がすでに負け戦ムードになってる頃か

942 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 04:29:31 ID:???]
>>938
なかなか興味深いデータが載ってるけど、アラビア語やペルシア語の読みに誤りが・・

Aqqarとjarkhは良く分からなかった。Aqqarはアッカールとでも読むんだろうか。

Zanburakhは、?????? zanb?rak のことで「ザンブーラク」と読む。
「ザンブール」とはペルシア語で「蜂」のことで、直訳すると「蜂的なもの」。
「ザンブーラク」とはペルシア語で、大体はクロスボウの類いを指した。
(アラビア語や古いペルシア語の資料だったら ?????? zanb?rakhにしてたり、
 ????? zanburakhにして-b?-のところが-bu-と長母音化していない場合もあり得る
 だろうけど)

Takhshは、khを日本語の文でカ行で読むかハ行で読むかの違いだから良いとして、
これもペルシア語でタフシュ ??? takhsh は、「弓矢」の意味。
別名にある「ZafarNama」は「ザファル・ナーマ」だろうが、これは『勝利の書』の
意味で、ここで「別名:」と書かれているのがちと理解出来ないが、普通、
「ザファル・ナーマ」 ??????? ?afar-n?ma(『勝利の書』)と言えばティムール朝の
開祖ティムールの伝記のこと。
ティムールが晩年に書かせたニザームッディーン・シャーミーの『勝利の書』
(1402-1404年作成)と、シャラフッディーン・アリー・ヤズディーによる同名の
『勝利の書』(1425年完成)の二種類がある。

「ザファル」 ??? ?afar はアラビア語で「勝利」のこと。「ナーマ」 ???? n?ma はペルシア語で「書物」。
多分、出典か何かのことだと思うんだが・・・

943 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 04:33:44 ID:???]
アラビア文字とか表示出来ないのかここは・・(汗

944 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 04:37:09 ID:???]
>>941
まだ陸繋島で粘ってるぐらいでは

945 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 05:46:51 ID:???]
なぜこのスレで威力偵察だの棄民説だの出てくるのか今までよく分からなかったが
たまたまwiki見て納得したわw

946 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 06:08:08 ID:???]
>>933
いわゆる「神風」=台風が吹かなかったというのは文永の役の時であって、
弘安の役では東路軍+江南軍が壊滅したのは台風かそれに匹敵する暴風雨だったろう
というのが現在の有力説らしい。
(鎌倉時代中期の公卿、広橋兼仲の日記『勘仲記』に蒙古軍が風雨に見回れた翌日の
 記事に京都でも大風があったと書かれているらしく、九州北部も一週間海が荒れて
 いたそうなので、弘安の役の時には実際に台風っぽいのが来ろうと言われている)

文永の役の時は、撤退中に風雨で艦隊にかなりの損害が出たとは『高麗史』や『高麗史節要』には
出てくるが、日本側の記録でも『八幡愚童訓』では博多での合戦の翌日に、前触れも無く突如海上の
艦隊が姿を消していたという件があり、『勘仲記』も文永十一年十一月六日の条に、(博多での情勢が
この頃に都にも聞かれるようになったということだと思われているが)
「或人云、去比凶賊船數万艘浮海上、而俄逆風吹來、吹歸本國」とあり、また日記現物のその箇所の
裏書きに「逆風事、神明之御加被歟」とあって「逆風は神明の加護か」と蒙古が退いたの確からしいが
かなり伝聞的な内容で撤退した状況については漠然に語っている。『一代要記』など他の同時代の
資料でも蒙古軍撤退の件では風雨があったような書き方はほとんど見られないらしい。
『勘仲記』にしても「逆風」とは言うが『高麗史』にあるような「大風雨」的な艦船が転覆するような
強い風雨のような表現はしていない。

文永の役での博多での合戦は旧暦の十月二十日で、今の暦だと11月25日と11月も末くらいになるため、
時期的に台風の類いがあったとは考えにくい。そのため、現在では文永の役のときに台風の類いが
あったかは否定的。もしかしたら突発的に海が荒れたため、それで「戰艦觸巖崖多敗」のような
状況になったかも知れないが、少なくとも台風とは考えにくい、ということらしい。

スレを読んでいて、文永の役の時の話をしているのか弘安の役の時の話をしているのか、
両者を一緒くたにして話をしているのか、時たま良く分からなくなるんだが・・



947 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 09:05:52 ID:???]
弘安の役で元軍はなぜ台風シーズンまで海上にいたのですか?

948 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 10:59:49 ID:gT/FxWlc]
効率よく棄民するために大ハーンが命じたからです。

949 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 11:08:55 ID:ji1RGuDj]
全員〜船酔いのためダウンそこに長旅の運動不足で
戦えるわけないよな

950 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 11:41:49 ID:2f6eXSeL]
大ハーン様の半島の始末のしかたが甘かったのですな。

後世のチベット並みに手入れなされておれば

951 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 11:48:20 ID:???]
>>945
それこそ20年以上も前からたいていの本でその2つは書かれてる
図書館で元寇関係の本片っ端から見てると出るわ出るわ

952 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 12:32:08 ID:???]
>>951
高麗史の中で背水の陣がどうたらこうたらいうくだりがあるそうだけど
それが事実なら威力偵察ってのはおかしいよねぇ


953 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 12:55:34 ID:/Bi5LuLW]
そもそも何を偵察したのか全く不明。
沿岸をちょろっと荒らしただけで
一日で帰るなんて

敵の本拠地大宰府をおがむことすらできてないし
本土からは動員途中で、地元の兵士数千名足らずとしか戦ってないので
敵の動員能力も全く不明

次の遠征まで間が大分空くしな

954 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 12:58:22 ID:/Bi5LuLW]
文永が本当に計画どおりなら
こんなのに3万もつぎこむのは
経済観念の欠落したただのアホ
3000名もいれば事足りる

955 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 13:02:39 ID://uG75O9]
どうも戦力についてはわからんことが多い
たとえば壱岐に上陸した元の兵は千人とかいう話もある
博多にしても全員が上陸したかはっきりしない

956 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 13:39:06 ID:???]
仮に計画通り威力偵察だとしたら、元軍が日本軍の軍事力を相当高評価したことになる。
14万もの大軍を弘安の役で差し向けたのが何よりの証拠。まあ文永の役で左副元帥の劉複亨
が上陸初日で重症を負ってるほどだから、元軍が文永の役で計画通りことを運んだ
なんてことは普通に考えるとないがな。



957 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 13:41:59 ID:BBqvS6wo]
>>949
渡海して朝鮮瞬殺して明ボッコにした戦国武将達はすごいなあ(棒)

958 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 13:50:39 ID:E25p0wxy]
あれは双方痛み分けっぽい

959 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 14:20:46 ID:???]
まあね。でもほぼ同じ規模の軍勢だったのに
元軍より遥かに大戦果を挙げたのは事実でしょ。

960 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 15:17:41 ID:???]
痛み分けではあるんだが、上陸を成功させた上、築城して長い間大軍で居座ったのは事実。
元軍は拠点を築けてすらいない。

961 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 15:57:27 ID:???]
結局文永と弘安って兵力の逐次投入って考え方で良いんじゃないの
威力偵察とか棄民とか無理矢理こじつけるんじゃなくて
文永の時は南宋が残ってたから兵力的には4万ぐらい
弘安の時は南宋も降伏後だからそこからも動員して14万ぐらい
ただ幕府軍も馬鹿ではないんでその間に防塁築いて待ち受けていたと
文永の時幕府軍を舐めてたのは間違いなさそうだけどそれはそれとして

962 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 18:39:38 ID:???]
逐次=順を追って次々と
八年も時間があいたらもう逐次じゃないじゃん
難しい言葉を濫用しても馬鹿を晒すだけ

963 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 19:43:00 ID:???]
一連の流れがわかり易く書かれてるサイト

blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/59075424.html

文永の日本兵力が5375人ってのは本土防衛戦史元寇が根拠だったようだな
いろいろと想像だけで書かれてるからなあれ

964 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 21:57:31 ID:???]
>>862
「日本国皇…とでも」は「とでも」で適当ですから、
本題は日本が国王宛の牒を受理しないのが国是だったというとこですから。

なるほど、ベトナムの陳朝や日本でも「皇帝」を使ったなど詳しいのですね。
そこで、
なら何故>>664なのか
>「考えておきます」とかいう穏当な感じじゃなくて、
「絶対返事しないで下さい!無視です、無視!」 という感じで朝廷の返牒案を止めさせたらしい。
>ただの「蒙古なんぞガン無視!」とかいうことだけではなくて、
幕府権力を日本の国制上でどこまで伸長させるかという問題も絡んでいたようで

知ってて幕府陰謀論のため伏せたのか?

965 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 22:06:12 ID:???]
>>961
あの程度の規模だと何回波状攻撃仕掛けても一緒な気がする

966 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 22:19:28 ID:???]
>>925
どう戦うべきかではなくどう戦ったかでしょ。
この板で既出だがクロスボウと弓にはそれぞれ長所短所があり、
弓主体の装備からは「弓の長所を使った戦術を考えていたのだろう」と推測できるのだから、
弓主体の装備=負けるのが目的、とはならない。

>西南の役でも「刀のみの部隊もある」と「鉄砲抜きで蜂起」では
弓の方が熟練が必要なので弓装備を「棄民すれすれの弱兵」の根拠にするのは全く見当違いということ。
武器の威力が弱い=弱兵、とはならない。

>野戦築城
平戸に作ってる。それで「農具を持った棄民」から「棄民すれすれの弱兵」にトーンダウンしたんだよ。
海岸に築城して防御兵器で守っても兵糧がなくなるだけで戦役の勝利になんら寄与せず、大宰府を攻めて落とさなきゃ勝ちはない。

>ソ連の懲罰大隊
負ける為の部隊ではなく損害を顧みず勝つ為の駒なんだよ。
元寇でも被支配の兵=負けてもいい、とはならない。



967 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 22:31:11 ID:???]
弓そのものは中国朝鮮では普通に熟練者から底辺の兵まで使う標準的な装備だな
熟練者の武器な日本とは違うだろうな

968 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 22:50:50 ID:???]
>>962
言葉尻しか捉えられない馬鹿だなぁ
程度低すぎるわ

969 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 23:00:28 ID:qI8KhOBR]
>>965
4万も渡海しといて「あの程度」はない。
幾らかかってるんだ?アレ。
14万も動員した二回目に至っては・・・

あれで失敗するんだから20万でも30万でも一緒。
大軍を揚陸できそうな博多正面は完全に固められてるし
志賀島戦に始まる一連の戦いは、場所が小さすぎて
総数がいくら増えようが戦闘に参加できる兵力は変わらない。
船に缶詰になって台風の藻屑になる人間が増えるだけ。
元が日本に比べて相対的に雑魚すぎたということだ。

970 名前:名無し三等兵 [2009/06/22(月) 23:04:48 ID:ZKG2UTX1]
10万のほうは来たと同時に台風でしょ
実質1回も2回も兵力は同じだね

971 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 23:05:07 ID:???]
>>968
モンゴルとコリアの祭りで弓を射ってたが手首返していて素人には無理そうだったが、宋はどうだろうか。
クロスボウと弓を比べどちらが熟練が必要かというと弓でしょう。

972 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 23:25:45 ID:???]
だいたい弓兵の割合は3割とみた

973 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/22(月) 23:49:59 ID:???]
>>890
漢文の読みとは話が違う。
890が解ってないので説明すると
>>844
>『高麗史』は文永の役についての記述は金方慶伝が最も記述の分量が多いが、
高麗軍の指揮官「金方慶」の「伝」だけあって、
金方慶に縁のある高麗人の将校たちが活躍したことを述べはするが

活躍と解釈しているが「力戦する」ならともかく「殊死して戦う」では印象が違う。
例えば金方慶伝に三別抄を破った場面で「殊死して戦う」がある。
「方慶士卒殊死戦矢石倶盡又皆中矢不能起」
「方慶士卒殊死して戦い矢石(しせき)ともに尽き、また皆矢にあたり起きる能わざる」
とそうとうの激戦だ。

金[イ先]が溺れたところは『高麗史』、金方慶伝、『高麗史節要』
を出しているのだから『節用』の「殊死して戦う」を知らないとは思えない。

>金方慶伝が最も記述の分量が多いが…
以下の流れで「方慶伝」にしか記述がないよう錯覚させ、
「力戦」のみ切り抜き活躍と解釈したのではないのか。
「殊死して戦う」は威力偵察説に都合が悪いので伏せようとしたのではないのか?

974 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 08:09:50 ID:???]
>>940

5月21日 元軍対馬襲う
6月06日 元軍博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 元軍海上へ撤退
6月13日 元軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の元軍に追撃
7月02日 元軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

975 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 08:16:54 ID:???]
>>918
>>917

976 名前:名無し三等兵 [2009/06/23(火) 09:32:10 ID:bVhKacyL]
>>974
どう見ても鎌倉武士の圧勝やん。
これがどうして台風のまぐれ勝ちになるの?



977 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 09:57:34 ID:???]
>>976
台風のまぐれ勝ちではさすがに苦しいので、最近では弱兵とか棄民ということになってますwww
結果として日本側より弱かっただけで、別に元軍が弱兵として送ってきたわけではないのですが。

978 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 13:37:28 ID:???]
次スレ

元寇総合スレ
academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1245701930/

次は日本史板でやるのがいいと思う
日本史板が正スレで歴史難民が副スレ

軍事板は基本近代以降なのと人が分散しないよう
これで打ち止めにしよう

979 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 13:39:01 ID:???]
>>977
弱兵とか棄民ってのはそれこそ20年も前からあって
たいていの本に書かれてたりする
最近になって出てきたわけではないよ

980 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 14:02:09 ID:???]
勝因は神風説なんかも含めて戦後になって言われたことだな。

981 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 14:51:01 ID:???]
>>981
確か、GHQ主導でできた歴史教科書「くにのあゆみ」からだったっけ?

982 名前:981 mailto:sage [2009/06/23(火) 14:52:40 ID:???]
981じゃなくて、980へのレス。ミスったorz

983 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 17:48:05 ID:???]
まあ戦後をひっくるめて最近といってもいいかも知れんね
GHQから日教組がある時代とない時代では元寇に関する見方が全然違うわけだし

984 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 19:42:41 ID:???]
棄民はそうでもないが、弱兵というのは30年ぐらい前の書籍でも多かった
モンゴル人が皆無に近く中国人や高麗人ばかりだと、当時の本もそんな認識

朝鮮征伐の秀吉軍と比べると、そんな弱兵にボコにされた武士ってどれほど弱かったんだと呆れたな

985 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/23(火) 20:56:38 ID:???]
>>978
それでいいと思う。
元々このスレは荒れ気味だった日本史板のスレの
避難所みたいな感じだったし

986 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 00:18:13 ID:???]
興味あるやつは勝手に日本史板に行くしな



987 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 00:32:11 ID:???]
戦国板にもある

988 名前:名無し三等兵 mailto:age [2009/06/24(水) 11:16:33 ID:???]
楳図かずお

989 名前:名無し三等兵 [2009/06/24(水) 13:02:42 ID:w/yWUVch]
じゃあ
あとは埋めて日本史板な

990 名前:名無し三等兵 [2009/06/24(水) 13:04:03 ID:w/yWUVch]
産めよ

991 名前:名無し三等兵 [2009/06/24(水) 13:05:20 ID:w/yWUVch]
増やせよ

992 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 13:19:55 ID:???]
992

993 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 13:37:08 ID:???]
高麗兵とモンゴル兵は捕らえ次第打ち首
南宋兵は助けてやっても良い

994 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 19:13:21 ID:???]
さて、積んであった井上靖の「風濤」でも読むか。

995 名前:名無し三等兵 mailto:age [2009/06/24(水) 19:37:59 ID:???]
995

996 名前:名無し三等兵 [2009/06/24(水) 20:00:17 ID:oEC1Kgyx]
うんこ



997 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 22:10:26 ID:???]
ほんのつい最近、クビライ側の国書についての新資料が(再)発見されたらしいんだが、
(この間まで自分も知らなかったけど)分量が多いのでテキストファイルに打ち込むのは
えらく骨が折れるし、最近のスレの雰囲気も微妙で資料の内容も今更な感じもするので、
しばらくこの事は手を付けないで置こうかと思う。(もう1000になっちゃうし)

998 名前:名無し三等兵 [2009/06/24(水) 23:35:16 ID:umvwrnBe]


999 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 23:42:32 ID:???]
次スレ
academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1245701930/

1000 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/06/24(水) 23:44:31 ID:???]
さすが軍板
1000取り合戦なんてしないんだな

1000

1001 名前:1001 [Over 1000 Thread]
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。






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