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【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】



1 名前:名無し三等兵 [2009/03/21(土) 06:34:55 ID:Mw6fCZR/]
前スレが大分前に落ちたみたいなので立てました。
近代以前に対外戦争の経験が殆ど無い日本にとっては
間違いなく中世において最大の国難であった2度にわたる元寇。
幸いにも2度とも撃退することに成功し、属国化を免れましたが
その要因としては様々なものが挙げられます。
ここは元寇について主に元軍、鎌倉幕府軍双方の
装備、戦術、兵站などについて語るスレです。


関連スレ
【モンゴル】元寇4【高麗】
academy6.2ch.net/test/read.html/history/1220964839/l100
モンゴル帝国に支配されなかった地域
academy6.2ch.net/test/read.html/whis/1232680543/l100



401 名前:名無し三等兵 [2009/05/15(金) 00:51:36 ID:BkL8Yeu9]
平和船が帝国水軍を只で使うてのもなぁ。
日頃の二枚舌も極まれりだけど。

402 名前:名無し三等兵 [2009/05/15(金) 01:27:18 ID:Zq6OA9MS]
>>397
その程度で威嚇と感じる人間が会社勤めしてたら
鎌倉幕府のゴロツキ共と同じように儀礼も何もないヤンキーみたいな行動とるんだろうなw

まあ意図的にトンチンカンな事書いて話をうやむやにしたいだけだろうが

403 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 04:21:44 ID:???]
>>394
>天より全世界の支配権を任された我らが天罰的にお前達を
滅ぼすぞ的な内容で、この頃は交戦的姿勢があからさまだった。

なるほど、確かに日本への牒状と似て好戦的だ。
日本のも天より全世界の支配権を云々で始まり、攻めるのは好まないんだがな的な好戦的な内容だ。
日本のもだがこれは読んで貰えない。読んでないから当然返事はだせないだろうね。

しかしながら、西洋や西アジアへの牒状と対応はあくまで参考な。
日本が判断の材料にできるのは日本が知りうる範囲の事柄なんだから、
西洋などので日本の対応を評価したり、日本がこうしとけばよかったってのはSF仮想戦記だよ。

それに元の牒状を比べるのは、あくまで侵略を繰り返し版図を広げた元にしては好戦的か友好的かどうかの評価であって、
外交の常識として評価したいなら他国の外交と比較しなければならない。
さもなければ一部の史料で我田引水な論法で放言する輩となるだろう。

404 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 04:35:49 ID:???]
ここまでいまだ
一度目と二度目の国書なし

405 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 05:20:16 ID:???]
「脅しには屈しませんよw」という鎌倉武士かっこよす

406 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 11:52:49 ID:???]
つまり鎌倉幕府は遺憾の意を表明すべきだったってこと?

407 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 12:50:04 ID:???]
つまり明にやったように「来るなら来いヘタレ」と返信してやればよかったってことね

日本からの返信に顔真っ赤になるも、日本へ攻撃できなかった明↓
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」

408 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 13:23:08 ID:???]
また酷使様のオナニーが始まったか。

409 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 13:42:34 ID:???]
>>403
読んでもいないのに「好戦的な奉書なので読まなかった」意味不明過ぎだw

それにこの奉書を見て好戦的な内容だと思うのは、それこそ中身も読まずに即断したか白痴のどちらか



410 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 13:45:18 ID:???]
>>369
なんで変なとこで改行してんの?

411 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 14:06:45 ID:???]
200 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 17:57:52 ID:???
国書の内容
天の恵みを受けたモンゴルの皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけどおまえんとこみたいな小国はさ国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
そういえばさ俺が即位してすぐお隣の朝鮮と講和したらさ
あいつら超しっぽふってきたぞw
おまえらも当然おれの子分になるよな?
俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつきてねーけど
きっとおまえら世の中の変化を知らないだけだよな?
しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw
じゃあな!


201 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw



そもそも>>200の国書って最初のじゃん
しょっぱなから無知さらしてまんがな

412 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 14:20:19 ID:???]
>>400
忠烈王が人質の身分から解放されたかったから


413 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 17:01:09 ID:???]
三度目の国書マダー?

414 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 17:10:53 ID:???]
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」
    至元三年八月 日


415 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 17:11:45 ID:???]
三度目の国書はー?

416 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 17:38:27 ID:???]
好戦的かどうかというか
では実際の元が日本に対しどう動いたか?

答え
無視されたのでかっとなって殴ったら
逆に殴り返されて逃げた
で、もう一回今度はもっと大勢で殴りに行ったら
今度はあてることもできずに蹴り飛ばされて玄関に立たされた。
ずっと立ってたら大雨になっておぼれた

友好的な国書?だったら無視されただけで攻撃ってどんだけDQNなのよ
しかも最初の国書が届けられた段階(まだ使者が日本にいる段階)で日本の返答を待たずに元は対日に向けた軍備を始めているし
これじゃ最初から属国化する気満々としか言いようがない
どう見ても「笑顔で恫喝」ってやつですね



417 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 18:33:44 ID:???]
そもそも通交が目的なら土産なりなんなり持ってくるもんなんじゃね?

418 名前:名無し三等兵 [2009/05/15(金) 20:36:59 ID:Zq6OA9MS]
>>414
左右が全く対応してないし、何をしたいのか意味が分からない


419 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 20:50:03 ID:???]
見苦しいな。で、三回目の国書はどうなった?



420 名前:名無し三等兵 [2009/05/15(金) 20:53:36 ID:Zq6OA9MS]
>>416
北条一門の対応は、二度友好を求める奉書を受け取りながら一切返答しないという
武士らしい極めて非礼な対応。

それを受け、説明要求のために送られてきた三度目の使者に至っては
殺害するという野蛮人丸出しの対応、もしくは血に飢えた北条一門の形を変えた宣戦布告
戦争に至る原因は0ー10で北条一門にあった、それが真相。

421 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 20:56:32 ID:???]
だからもういいから。詭弁の練習でもしてるのか?

422 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 21:07:05 ID:???]
このスレにいる詭弁野郎みたいなのが教師やってるんだな。
www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/index.html

>10月20日.元・高麗軍は筥崎(はこざき)・赤坂・麁原(そはら)・百道原(ももじばる)・今津あたりに分散して上陸を開始,
>日本側武士団と壮絶(そうぜつ=とてもはげしい)な戦いをくり広げた・・といいたいところですが,
>元・高麗の記録を見ると日本側は一方的に不利だったようです.

それにしても元や高麗のどういった記録に日本側が一方的に不利だったと書かれているんだ?
いまだに日本は一対一でどうこう言ってるし、『蒙古襲来絵詞』を出すわりには
日本側が集団で元軍を追い散らす場面は出していない。


423 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 21:15:16 ID:???]
www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/otayori7.html#kourai
案の定突っ込まれてるが、なぜ「高麗史」よりも「八幡愚童記」が信頼できるのかの理由もなく
「文永の役でメタメタにやられていたのは日本の武士達です」とは恐れ入るな。


424 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 21:55:43 ID:???]
>>409
国書だとわかってのかね?事前に大勢目を通すんですが。
準備した返牒は太政官から蒙古の中書省宛じゃないか
読んでないし、仮に読んでたとしても読んでない体裁をとってる。

425 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 22:18:35 ID:???]
>>410
「平出」(へいしゅつ)と呼ばれる文書で使用される神仏や皇帝以下の皇族・王族などに対する
敬意表現のひとつで、日本でも大宝律令の頃から色々形式が決められていたもの。
「蒙古国牒状」でも敬意表現として「擡頭」と「平出」が行われているけど、それについても
あとで説明しようかと思う。

426 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 22:35:49 ID:???]
>>423
文頭で「大蒙古国皇帝奉書」と書かれているし、東大寺蔵の「蒙古国牒状」やそれを
転載しただろう『八幡愚童訓』の各諸本でも訓点が附されているうえ、当時の日記等でも
国書が鎌倉にまず送られたうえ、京都の朝廷にも転送していたことが記録されているので、
鎌倉幕府は国書の内容を実見、検討し、これを蒙古皇帝からの国書であることと認識したうえで
返牒しないことに決め、朝廷の返牒案もわざわざ止めさせているんだと思う。
(これも蒙古襲来関係の研究でははっきりしているみたいだけど)

「蒙古国牒状」の訳文うp以外でもいろいろ書かねばならんことがどんどん増えてってる気が・・(汗

427 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 23:22:45 ID:???]
いやまあ、無理せず自分のペースでやってくれたらいいよ。気長に待つから。

にしても戦況はさて置き、やあやあ我こそ(ryで儀式的な戦いしてたなんて
馬鹿げた説はどっから出てきたんだろ?そしてなんで国内外問わず
未だに偉い先生ですら信じてる人が多いんだろう?
源平期の時点で一騎打ちなんてレアケースなのが現状だったのに。

428 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 23:23:38 ID:???]
というわけで、>>368-390の訳文。
杉山センセの『モンゴルが世界史を覆す』(日経ビジネス文庫、2006年3月1日、335頁)に
載っている東大寺蔵「蒙古国牒状」の訳文をベースに適宜字句を補いつつこの国書の訳を載せてみる。
やっつけ仕事なので至らぬ部分もあるだろうけど、そこはどうか寛恕願いたい。

=========================
1)  上天(テングリ)にいつくしまれた
2)  大蒙古国(イェケ・モンゴル・ウルス)の皇帝(カアン、つまりクビライのこと)は信書を
3)   日本国王にたてまつる。私がおもうに、古から小国の君は、
4)   領土がたがいに接していても、それまでも講信修睦つまりまことを語り合い、ならい親しみあった
        ものである。まして、
5)  祖宗すなわちチンギス・カン以来の我らの歴代は、天の明らかな命令を受けて、区夏(華夏の区域の
        意味で、 中国全土=天下)を奄有(ことごとく有すること)し、
6)   遐方(はるか遠方)の諸国も、威を畏れ徳に懐くものは数え切れない。私は即位
7)   のはじめ、高麗のつみなき民が長い鋒鏑(いくさ)につかれているので、
8)   すぐに兵をやめて領土を返還し、旄倪(老若)をかえすようにさせた。
9)   高麗の君臣は感戴(恩を感じて尊奉すること)して私のところへやって来た。名義上では


429 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/15(金) 23:25:23 ID:???]
>>428の続き。

10)  君主と臣下だが、歓しみは親子のようである。おしはかるに、
11)  王の君臣も、もはやこのことを知っていることではあろう。高麗は私の
12)  東の藩屏である。日本は高麗と密邇(間近く)し、国をつくって以来、
13)  しばしば中国と通交していた。ところが、私の治世に至ってからは、
14)  一度も友好を通じる使いがない。それでも(私は)
15)  王の国が十分にそのことを知らないのではと恐れている。そこで、特に使いを遣わして信書を
16)  持たせ、私の気持ちを布告させる。どうか、今からのちはたよりを通じ好(よし)みを
17)  結んで、たがいに親しみあおう。そもそも、聖人(天子の雅称)は四海をもって家とする。
18)  たがいの好みが通じあわないことは、一家としてのことわりだろうか。
19)  兵を用いるなどは誰が好むことだろう。
20)  王よ、よくお考えあれ。不宣(不宣白、意を尽くしませんの意味)。
       至元三年 八月 日

=========================




430 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 00:30:57 ID:???]
>>427
おk。適当にそこそこの程合いでやっていこうかと。
> やあやあ我こそ(ry
文永の役の戦況については多くの場合、例の『八幡愚童訓』から引用される傾向にあるんだけど、
恐らく、一騎討ちをしようと名乗りをあげた云々もそこら辺から出て来ているのかも知れない。
菊大路本でも群書類従本でも、文永の役の時の博多での合戦については当然どの諸本にも記載
されているからどれをうpしても良いんだけど、取り敢えず、書き出すのに面倒な漢字が少ない
『八幡ノ蒙古記』からその部分をうpしてみる。

「十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻めかゝる、
 こゝに前小貳入道覺慧孫わつかに十二三なるか、矢合の為とて小鏑を射出したりしに、
 蒙古一度に、とつと笑ひ、大皷をたゝき、とらを打て鬨をつくる事おひたゝし、
 日本の馬とも、これにおとろき、をとり、はねくるふほとに、馬をこそ刷ひしか、
 向はんとする時の、おくれけるうちに、射かけらる、」

前小貳入道覺慧の孫という人物が、矢合戦をするため鏑矢を射ったら、何故か蒙古勢側が大笑いし、
そのまま太鼓を叩くやら銅鑼を打鳴らすやらして、鬨の声を上げながら襲って来たので、日本勢の
軍馬が驚いて暴れだし、逃げ始めた、ということらしい。

上の『八幡愚童訓』の記述は、表現で使われている漢字が諸本で微妙に違う程度で、どの諸本も
ほぼ同一の記述がされている。 名乗り云々の出所は良く分からないが、あるいは江戸時代当たり
言われている可能性もあるかもだけど、あるいは明治からか、戦前、それとも戦後からか。
やはり専門で無いので良く分からない。
> 川添昭二先生の『蒙古襲来研究史論』とかに何かヒントがあるかもしれない。

431 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 01:21:34 ID:???]
>>430
よく解らないのですが『八幡愚童訓』によると
前小貳入道覺慧の孫という人物が一騎打ちを挑もうとしたが名乗りはあげてないということですか?

432 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 01:46:34 ID:???]
この辺りは蒙古襲来時以外の、源平〜鎌倉期の記録も照らし合わせた方が良さそうだな

433 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 03:03:51 ID:???]
>>414
>>428
こうしてならべてみると>>200はほとんど原文ママの翻訳だったんだな



434 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 04:57:45 ID:uRTzMJ6X]
流石は国士様、あまりにも見苦しい足掻き。ではなく抗戦w

435 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 05:12:30 ID:zacNSvyq]
中国共産党や、日本共産党、社民党、民主党、自治労、日教組は「琉球は中国領だ」
という主張するために「百越人(FR-2b民族)が琉球人や日本人の祖先だ。」という
ことを必死になって隠したがっている、というか気ずかせないように隠している。
日教祖、日本共産党、自治労ぐるみで、だ。

なぜなら「百越人」(DNA遺伝子Y染色体FR-2b)は中国では「絶滅」させらているから
である。そのことが日本人に広く知られると、
「なんだ中国人は、最近、尖閣諸島、沖縄も中国領だとか、中国領が奪われたんだ、とかって
被害者意識ばっかで言ってるが、 なんのことはない、そもそも我々の祖先、つまり百越人
である祖先を大陸から追い出して我々の祖先の土地を奪って乗っ取ったくせに、今度は、
我々の祖先(百越人)が亡命して辿りついて苦労して開拓したこの土地まで欲しがるのか?」
という反論されると、国際社会でもグーの音も出ない、反論のしようがないからだ。




436 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 05:28:29 ID:zacNSvyq]
また中国政府は「鳥居」が百越人の文化であることを必死になって隠すために
華南一帯にあった、数年前までなら長江流域、雲南省、湖南省、江西省、広東省など
華南一帯の稲作地帯の農村でごく普通に見られた「鳥居」の原型を壊させている
兆候がある。

また韓国支配層(現在でも隠然として力を持つ韓国の闇の李子朝鮮王朝時代の権力集団のワイ人
(夫餘・高句麗・沃沮・穢の前身)も同じである。
自分たちが李氏朝鮮時代、つまり「両班時代」、「百越人」が苦労して開拓した土地を接収して
増やしたことが明らかになっていくと困るからだ。
朝鮮半島でも百越人が過半数だが、実権は握っていない、少数民族の「ワイ人」支配層は、
必死になって「倭人」と読んで、「倭人」に対する敵愾心で百越の子孫を騙そうとしている。
そうして韓国民衆(過半数が百越人)を騙し続けていないと圧倒的に多い、一般民衆の、
「百越人」に 「ワイ人(本当の朝鮮人)特権階級、人種差別構造」をひっくり返されると
困るからだ。


437 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 10:52:06 ID:???]
ここは日本史板じゃないので、右だの左だの関係ない話は謹んで下さい。

438 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 13:13:37 ID:???]
暴徒鎮圧にはゴム弾や催涙弾が使われるが、殺していい相手でも軍隊はそういう
装備で挑むのかい?相手や目的によって装備を変えるなんて当たり前のこと。
重火器持った軍隊が相手なら、盾なんか持たないよ。無意味なんだから。

439 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 13:15:19 ID:???]
↑誤爆失礼



440 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 13:24:25 ID:???]
>>427
右からすれば「礼儀正しい日本武士」
左からすれば「国際常識も知らない時代遅れでマヌケな日本の支配層」
と言う事になるからじゃね?


「日本勢が一方的に不利」なら蒙古軍はなんで九州一つ落とせなかったのか?
台風のせいだの海があるからなんてのは事前にわかってた事
それを承知で日本に攻めたんならその時点で重大な失敗だろう

日本の武士が弱いか強いかとか言う以前の問題

441 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 13:30:38 ID:???]
勝ちに不思議な勝ちあれど、負けに不思議な負けは無しってか。

442 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 14:31:25 ID:uRTzMJ6X]
日本の軍事力を甘く見たというより、日本人の抗戦能力が思いの外高かったんだろ
他地域の連中と違って裏切り脱走がないだろうし、日頃盗賊海賊を生業にしているから戦慣れしてるし
武具も日本刀が輸出品になるくらいだから白兵戦用の物は良質だったんじゃないか?

領土的魅力に比して軍事力が高かったと

443 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 14:37:00 ID:???]
文永の役の元軍の撤退に関しては、そんなに深く考えなくても
単純に副司令官の劉複亨が重症を負ったからじゃね?威力偵察説は
進軍行程が短く偵察になってないのと、偵察にしては多い3万という
数字、その後、得宗家が大陸出兵計画を企てたり元の外交官を斬ったり
強気になってるしイマイチ説得力がない。それより副司令官が負傷した
ので撤退したの方があり得そう。

444 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 14:53:49 ID:qPY06RPY]
単にたった5千の日本兵にボコボコにされて勝ち目がなかったから撤退しただけ

445 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 15:07:54 ID:???]
五千って数字はどこからだっけ?

446 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 16:52:27 ID:???]
ボコボコって程、一方的ではないだろう。
日本側もかなり被害を出して、一旦水城に引き上げたわけなんだし。
尤も戦略的な意味では、何一つ得るものが無かった元軍の大敗北だが。

>>440
俺もちょっと調べてみようと思うが
当時、日本国内の合戦は夜戦や奇襲から始まってるケースが多かった気がするんだ。
夜討ち朝駆け騙し討ち、何でもアリだった奴らがそんな一騎打ちだなんて
お行儀良いことするんかなあって学校で習った頃から疑問だったんだわ。

447 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 17:02:10 ID:???]
>>443
例の杉山センセが文永の役を「威力偵察」だと言い出したから「威力偵察」の話が出て来たんだけど、
モンゴル帝国の軍で三万前後の規模で(ただし文永の役の軍は中央アジアなどの戦役と違って歩兵の
比重がかなり大きかったような印象あり)拠点攻略や領土征服を含まない掠奪遠征的な軍役は
イラン方面とかの例でも普通にあるので、杉山センセなどが言わんとしていることは、文永の役も
モンゴル帝国の軍が在地の政権の帰順を促すような、その種の広い意味での「物見」的な遠征の
ひとつだったということらしい。(結果的に帰順や返牒などは引き出せなかったが)

勿論、左副元帥の劉複亨が負傷したことで指揮系統の面では少なからぬ動揺はあったことは想像に難くないけど、
あまり「威力偵察」というタームにこだわらず、モンゴル帝国の軍役の傾向として考えれば、自分としては
(歩兵騎兵あわせて)三万前後の軍勢とはいえある程度合戦して戦果の如何を問わず一日で撤退しても特に
驚くべき事例とは思わない。

幾度か太宰府攻略云々もされているけど、文永の役での博多に上陸した軍勢の実数は不明だし、例の杉山センセが
何かのインタビューで「太宰府を陥落させるくらいならもしかしたら出来た規模かも知れないが、領土征服的な
ことは無理だろう」的な発言をしていたと思うが、水城は割と長大な要塞なので、大陸と地続きならまだしも、
海洋を隔てた単発で三万前後の軍勢でこれを攻略するとなると、他の地域での事例から考えると、ちと無茶な作戦だ。

よしんば陥落させても当時のクビライ側は南宋作戦中で、日本遠征が継続的にされるかかなり不透明な状態で、
九州で永続的な領土支配をする準備は出来ていない。杉山センセは「もしかしたら」と言ったが、攻略しても
結局一旦撤退しなければならないので、文永の役の時点で太宰府を陥落させてもあまり意味は無かっただろう。
(攻略→水城周辺を破壊しても、次の遠征の時には修繕されているだろうし)

杉山センセは「威力偵察」とは言ったが、モンゴル帝国の軍役として割とあるこの種の遠征を指して、
軍板的に「威力偵察」と表現し得る物なのか、そこら辺はちと判断がつかない。


448 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 17:03:35 ID:???]
一騎打ちってのは那須与一のエピソードみたいな戦場の華というか、
例外に属するケースなんじゃないのと思うけど。

449 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 20:10:05 ID:???]
>>430
学校教育で名乗りの例に「資時の矢合せ」一騎討ちの例に「季長の先駆け」が使われている。

「矢合戦」じゃなくて「矢合せ」な。戦を始めるにあたり代表が口上を述べ音が鳴る矢を射る。
要するに、汝らに義はない、兵を引かなければ討ち果たすぞみたいなことを宣告すること。



450 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 22:19:51 ID:???]
まあそれは儀礼っつーより政治的なもんだしなあ
そもそも言葉も通じん元や高麗の軍とじゃあ最初からそんな事も出来んだろ

451 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 22:48:53 ID:qPY06RPY]
>>446
妄想乙。
海岸で無理に迎撃した松浦党が百人くらい死んだのが日本側の被害の全て。
伝統的な防衛ドクトリンに乗っ取った福岡平野での決戦では
日本側が完勝している。
水城に撤退したのは日が暮れたから。

452 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:01:46 ID:qPY06RPY]
>>447
あなたの妄想は置いておくとして、
海岸からたった10kmの水城にすら到達できず、
やれ船を焼いて背水の陣をしくとか言い出したり、、
海峡を越えて3万人も連れてくる遠征で、
一日で矢が尽きたとか見え透いた言い訳を弄してる時点で、
ああ、モンゴル軍は惨敗したんだな、と捉えるのは自然だね。

水城を攻略困難と本当に見なしていたなら別の場所に上陸すればいいだけ。
まあ三万人も動員した海越えの遠征で、
たった一日で矢が尽きてしまうおとぼけ軍隊らしいから
その程度の知恵も働かなかっただけかもしれないが。

事実は水城のど真ん前に上陸し、目標すら拝むこともできず惨敗したわけだ。

453 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 23:07:22 ID:???]
なんか酷使様っぽいのが来たな。

454 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:15:08 ID:qPY06RPY]
>>447
>よしんば陥落させても当時のクビライ側は南宋作戦中で、日本遠征が継続的にされるかかなり不透明な状態で、
>九州で永続的な領土支配をする準備は出来ていない。杉山センセは「もしかしたら」と言ったが、攻略しても
>結局一旦撤退しなければならないので、文永の役の時点で太宰府を陥落させてもあまり意味は無かっただろう。

これなんかはいかにも軍ヲタらしい後知恵。
文永の役の時点で太宰府を陥落させても
後から後から重装騎兵が万単位で湧き出てくるという日本の国情を分かってるなら
そもそも文永の役なんてやってねーよwww
弘安まで待つわなww

疑心暗鬼と楽観主義が混在する実際の政治的決断の現場を想像できないから、
こういう後知恵議論がまかりとおるんだよね。
で、実際に決断を要求される場面に立たされると思考停止して
さっぱり役に立たないのがミリヲタ=作戦ヲタ。

455 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 23:16:43 ID:???]
もしや何時ぞやの「鎌倉武士は世界最強」の人か?

456 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:16:54 ID:qPY06RPY]
>>453
リロードして分かったが、
早くも思考停止したミリヲタが登場したなww
酷使厨www

457 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:18:22 ID:qPY06RPY]
>>455
思考停止→議論の飛躍
ミリヲタのパターンどおりwww

458 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 23:19:35 ID:???]
>>457
飛躍も何も、文体も言ってる事も同じだから単に気になってるだけだが。
違うんなら違うって言えばいいじゃん。


459 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:21:45 ID:qPY06RPY]
>>458
反論できないなら反論できないって言えばいいじゃん。
負け惜しみの何とか認定はいりませんwwwキモヲタ君ww



460 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 23:23:19 ID:???]
>>459
なんで敵意をむき出しにしてるのかさっぱり解らんのだが。


461 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:24:56 ID:qPY06RPY]
>>460
はい、反論できない負け犬キモヲタの被害妄想www

462 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/16(土) 23:33:19 ID:???]
略奪だけして帰るってのも地続きの大陸ならともかくわざわざ日本に来て行うやり方とは思えないが…



463 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:33:29 ID:qPY06RPY]
資料に基づき日本の勝利、モンゴルの敗北を結論づけた我が議論に対し、
ミリヲタ側は酷使様認定厨の登場を見ただけでした。
軍ヲタの正体見たり、後知恵日和見主義者。

「私がもっとも嫌うのは、共産主義者と日和見主義者だ」
〜イサー・ハレル

464 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:35:35 ID:qPY06RPY]
そもそも略奪に成功したのが壱岐対馬だけだからな。
トイの入寇みたいな海賊まがいならまだしも、
三万人も動員した正規軍が、あんな寒村の略奪だけで満足するわけねーじゃんww

465 名前:名無し三等兵 [2009/05/16(土) 23:36:55 ID:qPY06RPY]
作戦至上主義者のミリヲタ諸君も、
ちっとはコスト対効果というのを考えましょうね!

せんそうにはおかねがかかるんです!

466 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 00:53:39 ID:???]
国書厨の次は酷使様かよ

467 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:05:42 ID:???]
矢が尽きた→元史日本伝
元と属国と非戦闘員で3万
正規兵1万5千程度で即日矢が尽きる程度の物資保有量から本格侵攻ではなく威力偵察であると断定出来る

468 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:07:14 ID:???]
アンタの言いたい事はわかったからまずはsageてくれ。
バカ同士が煽り合って潰れた日本史板のスレみたいになるのは御免だ。
だからこそ、こっちはsage進行で細々とやってたのに。

469 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:10:00 ID:???]
酷使様の頭の中
エビフライ「1日分の矢弾で海の向こうの国占領してこい」




470 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:18:24 ID:???]
>>430
けっこう解釈間違えてるんだよね、あと誤解させる書き方も。
例えば>>350
「十萬之衆得還者三人耳(十万の衆、還りを得たる者三人のみ)」
全文読めば、残された蒙古人、高麗人、南宋人など10万のことなんだが、
これを全軍の損害と比較して
>誇張が過ぎる表現だというのが大方の見解のようだ。

>>352
>それでも勝ち負け云々以前に「十万のうちの三人」という数字と
「全軍のうちの一、二割(全軍十四万とすれば1万4000〜2万8000)」
じゃあ実数というか現実味の有る数字として大分違う訳だが。

では誤解釈か誤解させてるか。

唯の間違いなら指摘すればいいだけだから構わないが、
意図的に史料を切り抜いたのではとも疑った。

471 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:26:36 ID:???]
>>449
> 「矢合戦」じゃなくて「矢合せ」な。戦を始めるにあたり代表が口上を述べ音が鳴る矢を射る。
> 要するに、汝らに義はない、兵を引かなければ討ち果たすぞみたいなことを宣告すること。
ああ、なるほど。「矢合せ」ってそういうものだったのね(汗
無知で申し訳ない&情報さんくす。
なるほど、竹崎季長が『蒙古襲来絵詞』で散々こだわった「先駆けの功名」とかも「一騎討ち」云々に関わっていると。

モンゴル帝国それ自体とか蒙古軍側の動向ならあれこれ言えるけど、やっぱり付け焼き刃だから鎌倉時代とかの
ことの常識的な情報はかなり抜けがあるなあ自分(汗

472 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 01:29:59 ID:???]
特にあれっと思ったのが
「蒙古国牒状」無礼の定番>>425の敬意対象を1文字上に書いた「擡頭」を
>>392でスルーしたのは意図してではと引っかかった。↓

>具体的に牒状のどういったところが「無礼」とされたのかは、
資料中でははっきり書かれていないことが多いが、
中世史の研究者の人たちは、文末の「兵を用いるに至っては、
夫(そ)れ孰(たれ)か好む所ぞ」
という箇所が当時の人たちにかなり引っ掛かったようで、
そのことから「無礼な書」と看做されたんだろうと見ているようだ。

>ははっきり書かれていない

のは「擡頭」を指すものじゃないのかなとか

すると>>393
>『八幡愚童訓』という書物を介して室町時代には割と知られていたということがなかなか興味深い。

ここは、「蒙古国牒状」が同時期に朝廷外に知られ、
民間人がN速+状態だったらしかったことをスルーする意図があるのかと嫌なことだが深読みしてしまった。

473 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 01:31:51 ID:xyU1A5Lf]
self0507.blog52.fc2.com/blog-entry-956.html

474 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 02:34:47 ID:???]
>>422
>>423
武士の起源が未だに中央の横暴から身を守るための農民の武装化ってなってるな
今じゃ軍事貴族説の方が有力だが

475 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 02:44:07 ID:???]
軍事貴族も何もその先生の中では、桓武平氏や清和源氏はどうなってるんだろ?

476 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 03:38:42 ID:???]
>>467
確かに矢がつきたという記述はあるけど、航海という危険を冒してまで
彼らは何を得れたのかだが。実際ほとんど何も得ることなく、案の定撤退最中に
暴風雨にあって座礁してるし。また、高麗史金方慶伝の忽敦と金方慶のやりとり
と威力偵察説は相反してる。もう一つ考えられるのが、蒙古襲来絵詞を見ても
わかるが、鎌倉武士は重装備で元軍の短弓が武士に対して効果が薄かった可能性もある。
そのため、無駄に矢を射つくしたか、それを見越して退却したのかも。

477 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 04:03:09 ID:+qw9HE3H]
矢弾が尽きたってのは、足痛いとか風邪ひいたとか親戚が亡くなった〜の類なんじゃなかろうか
予想外の戦上手ぶりに面食らって、撤兵しようとしたところへ台風直撃〜みたいな

あと短弓から放たれる矢を身に着ける装備で相当程度防ぐのは、いくら重装備でも無理でしょ

478 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 04:11:47 ID:???]
対馬も壱岐も単に制圧するだけで良かったのに
ハンティングゲームなんかやって無駄弾使うからそんな事になるんだよw

479 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 04:20:13 ID:???]
元軍ったってモンゴル騎兵で構成されてた訳じゃなくて実態は南宋や高麗崩れの歩兵が主体な訳で。
和弓+騎馬でアウトレンジに徹されたらただの的かもねw

それでやられて二回目も装備の改良もなしに送られるのって懲罰部隊以外の何者でも無い気が。
高麗は知らんが南宋なら強力な弩で発射速度を犠牲にして射程を稼ぐ選択肢も有るんじゃない?



480 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 04:33:43 ID:???]
>>462
いや、軍事行動として当然掠奪も含まれるというのであって、掠奪そのものが目的という訳でなく、
「こちらは渡海して侵攻するだけの戦力・実行力があるぞ→だから何かしらメッセージをよこせ!」
という政治的なジェスチャーをもった遠征だったと自分などは踏んでいる。
(これは杉山センセなどもおおよそそのように考えておられるようだけど)

掠奪に関しては、「相手側の領域に侵攻した!」という確実な戦果・実績を残し中央に報じるためにやる、
という意味もあるので、多分、日本遠征は、珍島や耽羅島の三別抄討伐の時のように高麗近海の島嶼を
征するという段階を一段超えるものだったと思う。クビライも「風濤険阻」と言ったように、文永の役は
モンゴル帝国史上初の「外洋遠征」だった訳で、ともかく一度、千単位、万単位の軍勢を、外洋に渡海
させて、上陸させ、軍を展開させるということそれ自体が、文永の役という遠征の大きな価値のひとつ
だったんじゃないかと予想している。勿論、これは飽くまで私見だけど。

万単位の軍勢で水域を渡るという行為は、チンギス・カン時代の中央アジア遠征でシルダリヤ・アムダリヤ
両河の渡河作戦などや、水軍そのものの運用は南宋遠征の襄陽包囲戦あたりで既に見られているけど、
「外洋遠征」で日本・九州のような「大島」に上陸して数千、万単位の軍を派遣するのは、実際初の試みだったし。


481 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 04:56:49 ID:???]
>>480の続き。
> 軍ヲタらしい後知恵。
残念ながら、自分は飽くまでもモンゴル帝国史とか中世史の人間なので軍ヲタとかは到底名乗れるような
立場に無い。自分の意見はモンゴル帝国に関する文献史や研究史の範疇を超えられないし、それ以上は
僭越極まりない。
というか歴史関係ならまだしも、軍事関係の知識はほとんど無いので。

> やれ船を焼いて背水の陣をしくとか言い出したり
いや、そこは読み違ってるよ。その『高麗史』の金方慶伝に出て来る話は、今の遠征軍の状況は春秋戦国時代、
秦の穆公の孟明の「焚船」とか漢の韓信の「背水の陣」みたいな状態だ、ていう故事になぞらえて、今が正念場で
戦闘を継続したい!というのが金方慶の主張の主眼で、実際に船を焼くとかそういう話ではないので・・

(金方慶の「伝」なので当然のことなんだろうけど、「れい声大喝するに、倭辟易して走る」とか、どーにも
 記述のいちいちで金方慶の行動をことさらに持ち上げている感じがありすぎる。
 杉山センセは金方慶伝の金方慶と司令官の忽敦との会話は、当初からの撤退予定を踏まえた上でのやり取り
 だったろう的な意見を『モンゴル帝国の興亡』だったか別の本で述べていたけど、左副元帥の劉復亨は負傷して
 いるから良いとして、同席していたはずの彼にとってほとんど仇敵だった右副元帥の洪茶丘が全然発言していない
 っぽい感じにすごく違和感を覚える。一応博多に来た軍勢には居たはずだが・・)

うーん、何となく流れが今は亡き元寇スレの二の舞いな展開になりかけているような・・(汗

482 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 05:26:50 ID:???]
>>404
クビライからの日本招諭について大まかにまとめると、

クビライからの第一次日本招諭(1266年、正使・兵部侍郎・黒的、副使・礼部侍郎・殷弘)と
その国書と高麗からの国書をもって太宰府へ来た第二次日本招諭(1267年、高麗使臣、起居舎人・潘阜)で
その潘阜が持って来たクビライからの国書の写しが>>368-370

第三次日本招諭は1269年初めに黒的、殷弘らを正使として高麗から知門下省事の申思[イ全]、同侍郎の
陳子厚とふたたび潘阜が対馬まで来たけど、現地の住民と悶着を起こし、そのまま引き返してしまっている。
この時、どういう訳か塔二郎と弥二郎という島民を拉致って、そのまま黒的、殷弘は申思[イ全]や潘阜ら高麗の
使者たちとともに、この二人の俘虜を大都まで連れてきている。

クビライは使者たちと謁見し、申思[イ全]を高麗国王ともども慰労し、この二人の対馬の島民も歓待して
大都の宮殿群を観覧させたそうだ。三度にわたり返牒を得る事に失敗したため、二人を送還して日本招諭の
ために使おうとしたらしい。

第四次日本招諭は同年10月頃に対馬に弥二郎らを伴った使者達が至ったものの、使者達は対馬に留め置かれ
国書はただちに鎌倉へ送られた後、幕府はこれを京都へ転送している。朝議が開かれ、蒙古への通交要求を
拒否することが決し、その旨拒絶する内容の返牒を出すこととなった。この時の文書博士菅原長成の起草に
なる返牒案が伝世しているが、幕府側がこれに待ったを掛け、返牒も不要として返事もせずに使者を追い返す
ようにした。


483 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 06:41:48 ID:???]
>>482
同じ内容を二回送ってきたと言いたいの?

484 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 06:53:20 ID:???]
>482の続き。
第三次・第四次日本招諭の時の国書の内容は現在には伝わっていないが、第四次日本招諭の時にもたらされた
国書は、第一次・第二次が「大蒙古国皇帝」からのものだったのに対してモンゴル帝国の中央官庁でこの時
実質クビライ政権の内政機関だった「中書省」から出されたもので、日本の朝廷側から出そうとしていた
返牒もそれに即して「太政官牒」として作成されたものだった。

こうしてクビライも今度こそはと期待を掛けていたっぽい四回目の日本招諭も不発に終わった訳だが、
実はこの時期、高麗で権臣・林衍による高麗国王元宗の廃位事件が起きており、この事態を収拾するため
のちの忠烈王がクビライに急報して色々と活躍したり、高麗の重臣たちが釈明に大都へ上京したりと
大変なことになった。(元宗はモンゴル皇帝に即位間も無いクビライの肝煎りで高麗国王になった)
そのことも影響してかクビライ側の態度も怪し気な雲行きになっていったりするのだが・・・

第五次日本招諭は1271年、女直人出身の趙良弼がかって出て彼がこの都度の正使になったんだけど、
この頃には元宗廃位事件やその後の三別抄叛乱などの諸々の影響で、第一次日本招諭ではただの絵空事
レベルだった軍事的緊張が、軍艦の建造とか高麗南部への軍事力の投入で、日本遠征が現実に出来る
レベルになってしまっていた。この趙良弼がもたらした国書が『元史』日本伝に載せられているけど、
いつまでも国書を無視して返事を送ってこない日本側の態度が失礼だと非難し、軍事力的な衝突も
現実的になるかも知れないと、ややあからさまでひどく苛立っているような感じの文章になっている。


485 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 07:00:37 ID:???]
>>484の続き。
趙良弼が高麗や太宰府あたりに留まってなんとか日本からの返牒を得ようと艱難辛苦する話があるんだけど、
書くのが面倒な量なので割愛(汗

第六次日本招諭は1272年、五月、高麗の書状官・長鐸が日本人、弥四郎(前述の弥二郎と同一人物の可能性大)と
ともに太宰府へ到着、それに前後して趙良弼も来て返牒をしてくれるよう、太宰府側と再度交渉説得を試み
約一年粘るも結局、翌1273年五月にはクビライのいる燕京(大都の前身)へ戻っている。同年7月13日に趙良弼は
日本へ滞在中に見聞した日本の君臣の爵号、風俗、産物等を記録してクビライに献呈している。
趙良弼もこれ以上の招諭は無効と判断。この時、趙良弼は「日本へ遠征しても産物も乏しいし船で渡るのも
面倒なので遠征とかしない方が良いです」と上奏しているが、結局は入れられなかった。これが決定的だったようだ。

そして、趙良弼が日本から帰還したこの1273年七月、クビライの召集によって高麗軍の主将・金方慶や洪茶丘、
忻都など大都で謁見し、三別抄討伐の功を賞された後、日本遠征が議論され、ついにクビライのもとで日本への
出兵が決まった。この翌年の1274年の八〜九月くらいまでに遠征の準備が完了し旧暦の十月に例の『高麗史』で言う
「蒙漢軍二萬五千、我軍八千、梢工引海水手六千七百、戰艦九百餘艘」が合浦から出発した。

『元史』の世祖本紀か日本伝に日本遠征についてのクビライの聖旨でもあれば、最終的にどういう理由で遠征する
ことを決したのか分かるはずだろうけど、生憎両者にはそこら辺は書かれておらず、『元史』を一通り見たけど
日本遠征の聖旨そのものは見付けられなかった。『高麗史』でも無さそうな雰囲気だが・・


486 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 07:09:13 ID:???]
>>483
ああ、ちょっと説明不足だったかもだけど、
第一次日本招諭の黒的と殷弘の時は、例のクビライが「風濤険阻をもって辞と為すなかれ!」と
釘を指したのにその「風濤険阻」を理由に海も渡らずに引き返して来た回。
今度は高麗がやってくれと命じられて、高麗国王の側近で上記の二人を接待した縁で使者を命じられた
らしい高麗の起居舎人・潘阜が第一次日本招諭の時出された国書を太宰府まで持って来た、ということね。

487 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 07:33:37 ID:???]
>>486
要するにそれがいわゆる一度目の国書ね
>>414でDQN訳されてるやつにして
やたら国士を連発してるやつが>>201で「三度目のやつだ」と言い張っていたアレね

488 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 08:13:27 ID:???]
>>400, >>412
のちの忠烈王が日本遠征に執心したのは、高麗の権臣たちに王位や権力を左右されがちだった
高麗国王位を強固にするため、クビライ宮廷と親善関係を樹立して関係を密にしようという
狙いがあったようだ。

ただ、そのためには服属政権の義務として課されていた皇帝が行う軍旅・外征への兵員派遣義務を
全うする必要があったが、高麗は久しい戦災によって国力が疲弊しているので、遠方の南宋や
その他の地域への遠征は負担が甚だしく耐え切れないので、どうか派遣する場合は日本への遠征に
限定にしていただきたい! ということだったらしい。
日本遠征そのものが目的というよりも、モンゴル皇帝であるクビライ政権傘下の服属諸勢力のうち、
高麗国王位の地位向上のため、外征の義務負担を日本のものへ集中させようという感じだったようだ。

この日本への遠征が実際に云々されるようになったのも第四次日本招諭と1269年の権臣・林衍ら
一党による元宗廃位事件に前後しているようだだけど、さっきから目が痛くて適わないので
忠烈王と日本遠征に関わる件で現在の東洋史研究で言われていることについての話は、またの
機会と言うことで・・

あと、高麗がクビライ以降のモンゴル皇帝の宮廷に出し続けた質子、「トルカウト」とモンゴル帝国の
王族付きの侍衛組織「ケシクテイ」との関係についても色々込み入った事情があるけど、それもまた
別の機会に・・

489 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 08:30:30 ID:???]
>>うーん、何となく流れが今は亡き元寇スレの二の舞いな展開になりかけているような・・(汗
どう見てもID:qPY06RPYは議論をしたいんじゃなくて「論破」したいだけなのは明らかなので相手にしないほうがいいよ。



490 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 11:04:24 ID:???]
上げてる奴は意図的に荒らそうとして煽ってるだけだから無視してヨロシ

491 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 12:11:01 ID:???]
威力偵察が目的なら尚更矢弾が尽きるなんて事態はマヌケ極まりないと思うんだが…

普通戦線を広げ過ぎてとか略奪できなくなって兵糧や矢弾が尽きる事はあっても初めから不足してるとか…



492 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 12:20:56 ID:???]
日「…」
伊「…」

493 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 13:36:43 ID:OLiaSF8G]
ID:qPY06RPYもっとやれ

落し所を探る議論はクソ

494 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 13:59:52 ID:Vc4acfLk]
>>491
1257年にタガチャルが南宋侵攻から撤退した理由について元史には、
「秋の長雨のため」と記されているし、1260年にフレグがシリアから撤退した理由については、
ルイ9世宛ての書簡で「馬匹に与える飼料と牧草が尽きたため」と記されているんだよね。
こういった言い訳は、モンゴル軍が撤退する際のお約束だから、通常なら真に受けたりはしない。

ま、ミリヲタは通常の知能は持ち合わせていないからwww

495 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 14:02:14 ID:Vc4acfLk]
フビライが日本征服の意図を明確にし、高麗に準備の開始を命じたのは1268年。
それから、1274年の文永の役まで、6年もかけて準備した遠征で、
たった一日で撤退することを正当化しうる理由は何も存在しない。


たった一つ、負けたから、というシンプルな真理を除いてはww

496 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 14:36:37 ID:???]
矢が尽きたのは事実だと思うよ

というのも当時の日本武士団の弓矢に対する対応能力はモンゴルが
それまで相手にしてきた国々とは桁違いだったからね

高麗の史書に出てくる前期倭寇との戦い、朝鮮の史書に出てくる日本武士団との戦いを見れば
全身に矢が刺さってハリネズミ状態になんても平然と戦闘を続行する日本武士に対する記録が
幾度も出てくる

日本の甲冑が弓矢に対して極めて高い防御能力を持っているのは言うまでもないし
日本武士団が使う盾は弓矢に対する防御を重視したタイプであることが日本軍が矢戦に強い理由だね

なので元軍としてはいくら矢を飛ばしても反撃が弱まらない日本の軍勢に戸惑ったと思うよ

それと矢が尽きたという記述は重要な意味を持つけど、それは元軍が戦場で矢を回収できなかったという
ことでもあるんだよ

それは戦場で主導権を握ることができなかったことを意味するし
事実、日本側の記録を見たら惨敗して戦場を元軍に明け渡して逃走した風には
見えないんだよね

497 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 14:56:49 ID:???]
ID:Vc4acfLkさんが、軍ヲタの低脳どもを次々と論破していく様は
壮観ですらあるなw

498 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 15:06:43 ID:???]
弓矢がだめなら近接戦闘に持ち込むしかないけど問題は元軍の近接戦闘能力が
日本軍より落ちることだよね

実際、元軍や高麗軍の近接戦闘能力はそんなに高くないから少数の武士を取り囲んで打ち取るならともかく
大規模の武士団に正面から斬り込まれたら敗退するしかなかったんだろう

ちなみにモンゴルはヨーロッパ侵攻でも近接戦闘では騎士団に苦戦している

499 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/17(日) 15:10:34 ID:???]
広い草原で機動戦なら別として、やはり上陸作戦では…



500 名前:名無し三等兵 [2009/05/17(日) 15:21:01 ID:Vc4acfLk]
>>498
蒙古襲来絵詞に正面から切り込むシーンなんてあるか?
矢戦でモンゴル軍をぼこってるシーンばっかじゃん。






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