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正史『三国志』 二十八巻



1 名前:世界@名無史さん [2012/09/28(金) 18:02:54.92 0]
前スレ
正史『三国志』 二十七巻
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101 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/04(日) 18:22:54.22 0]
>>99
>当時は中央より揚州や益州の方が安定していたから、

年がら年中反乱祭りの揚州が「安定していた」とかありえんし・・・。
一度後漢の年表見ればいい。
数年単位で乱が起こりまくってるから。

102 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/04(日) 19:17:53.83 0]
>>101
益州とか酷いよな
200年代入ってからも反乱連発で赤壁前に劉璋の腹心まで裏切って反乱しとるし

103 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/04(日) 20:27:41.41 0]
年表見ると、後漢中後期の飢饉・流民増加は青州辺りから始まって徐々に周辺に拡散してるんだよね。
中原人もその流れに沿って避難した。逆は起きていない。
魏・呉・蜀の本拠がそこにあるのは偶然じゃないんよ。

104 名前:世界@名無史さん [2012/11/05(月) 15:53:07.77 0]
塩婆のローマ人の物語を見ても分かるとおり
古代人は搾取しまくりのクズ人間が多い。キケロも億単位で財産を持ってたが
それでもつつましいといわれてたくらいだし
姦雄の親父も十億金で官位を買ったとかいうしそしてその親父が清廉だって
いう位なんだから中国古代も相当腐ってたんだろうな
そんな連中ばかりの時代の名士なんてのも相当怪しそうだな
搾取の仕方が上手い奴ほど名士と言われるんだろうな
>>100
なぜいまだに患者は被害者ぶりたがるんだろう
阿Qの人も矛盾論の人も皆患者なのに。もう100年経つのに
現在の三国志論も患者の論であふれかえってるのに
自分を特別だと思いたいのかな

105 名前:世界@名無史さん mailto:ゲルマン [2012/11/05(月) 17:07:44.42 0]
この時代の文学について触れないのは
それがあまりにも仏教文化の注釈的だからだろう
仏教文化からもっとも遠かったのが出師の表ぐらいなんだから
まさしく蜀漢は中華文明の正統後継者だったのだな

ローマ史においてのキリスト者のように魏や呉を非難して
ほしいものだが塩婆は魏や呉派なんだろうなw

106 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/05(月) 17:38:05.82 0]
>>103
青州よりも揚州のほうがひどいぞ。

107 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/05(月) 18:01:48.70 0]
距離的に考えて、仏教に一番近いのは蜀のはずなんだが

108 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/05(月) 20:23:40.14 0]
>>107
距離的にはそうだが、蜀は南部が不安定でインド方向と上手く南と連携できないからなぁ

109 名前:世界@名無史さん mailto:宗教 [2012/11/06(火) 07:38:05.44 0]
三星堆文化を見るとインドの影響は昔は相当だったらしいが三国時代になると大分薄まる。
蜀が仏教文化の中心になっていれば、天下も取れたと思うしなぜ積極的に
導入しなかったかは疑問だ(劉備孔明の平和主義と仏教は融和しやすいだろうに)

上にも書いたが宗教と密接な関わりを持ったのは姦雄と孫権だ
支謙に頼んでまで経典を翻訳させたのは孫権で、
黄巾兵(仏教の影響のもとに成立した)と親密だったのは姦雄だ

文学への影響については仏教に深い関心を示していたのは曹痴で詩にも色濃い
姦雄の人生いくばくぞやなんてのは、無常観を表してるといえよう



110 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 07:50:45.17 0]
劉備孔明の平和主義って具体的に何の事?

111 名前:世界@名無史さん mailto:3 [2012/11/06(火) 12:04:41.59 0]
ま、少なくとも民を大量虐殺しなかったし
内治においても善政を布いた

112 名前:世界@名無史さん mailto:3 [2012/11/06(火) 12:13:45.02 0]
漢後期からシナの文化の内容が変わっていく
生への苦しみをうたう詩が増えてきた。特に今まで抑圧されていた
民が苦しみをうたう詩が増えた。まるでなにかよりすがれるものが出来たかのように
何に希望を託していたのかは興味があるが、それ以後の例えば建安の詩など
民の苦しみの発露をパクッただけのものだ。
権力者への不満の詩だったのに、権力者側に盗まれ、権力者の自己顕示のために使われたのだ

113 名前:世界@名無史さん mailto:3 [2012/11/06(火) 12:23:08.89 0]
シナのいつものパターンだが高度な文化に触れても
その真髄を見極めることが出来ず、実用品としてしか使うことが出来ない
科学文明もそうだったし、仏教もそうだ
魏晋のときの衒学者達も仏教を、自分達の偽善性を擁護してくれるものだけだとみて
礼儀など無視してもいいのだと勘違いし、周囲の諸民族の反感を買い
結局ボコボコにされることになる

114 名前:世界@名無史さん mailto:3 [2012/11/06(火) 12:27:02.75 0]
ところでお前ら、あと1週間ほどで聖書を基にしたあの某超有名アニメの
映画が始まり、日本がいや特にネット上でその話題で持ちきりになるけど
お前らはそんなときでも黴臭い姦雄をマンセーしてんの?w

115 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 14:36:37.65 O]
なんか変な人に居座られたね。
角田一家の人?
当分ROMるから早く巣に帰って。

116 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 15:06:25.28 0]
>>107
魏晋の時代の仏僧って西域や中央アジア出身者ばかりだし、蜀が一番近いってことはない

>>101
青徐出身者が多く江南に避難しているのは事実
>>102
そうは言っても三輔や南陽から益州への疎開者は多い

117 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 17:36:36.58 0]
>青徐出身者が多く江南に避難しているのは事実

避難って言うか、大半は袁術にひっついてきた連中だろ。

118 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 18:51:32.71 0]
アニオタの荒らしキンモー><

119 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 20:45:43.78 0]
久々に伸びてると思ったらみんなして荒らしにかまってるとか…



120 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/06(火) 23:34:03.33 0]
>>117
そんなことないよ
淮南じゃなくて江南/江東に避難されたと記述されてる連中は袁術関係ない
青州出身者は劉ヨウ関係者が多いだろうけど

121 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/07(水) 01:55:31.39 0]
>>120
それ諸葛兄だけじゃん。
二張は孫家がまだ袁術配下だった頃の就職だし。

122 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/07(水) 14:46:17.44 0]
>>115
三戦板でも素っ頓狂なこと書いているから
誰も相手にしていないけどwwwwwwwwww

123 名前:世界@名無史さん mailto:フン [2012/11/08(木) 12:57:10.72 0]
建安の詩などどうせ民の文化、仏教文化のパクリなのであろうし、そう価値も見出せないが
もしこういう理由ならばそこそこの評価を下してやれなくもない詩がある。短歌行だ
これの制作年代は不明で、演義では赤壁のときに詠まれたものとなっている
だがこの詩はあるものへの弔いの詩ではないだろうか、あるものとは関羽である

人生幾何ぞ たとえば朝露の如し 去る日苦だ多し (ふむ、無常観)で、次だ

青青たる子が衿 悠悠たる我が心 ただ君の為の故に 沈吟して今に至る

ここでいう子だとか君だとかは関羽のことを詠っているのではないか
荊州での戦の後、関羽の首が送り届けられ、そのときに酒を片手にこの詩を詠んだ
だとするならば一代の英雄に対してのレクイエムとしてならばまあ上出来だろう

124 名前:世界@名無史さん mailto:フン [2012/11/08(木) 13:12:05.59 0]
俺はまず漢詩、漢文の愚痴っぽい調子、ストレートでない表現が嫌いで
ましてやこの姦雄の詩なぞもよりひねくれていて真意が分かりにくい

だが関羽との交流はやはり良い、演義では関羽の顔が見開いて恐怖させたり
亡霊にになって苦しませたりするが、それはむしろ関羽の品位をさげている

そんな悪霊みたいな奴では無いだろう。姦雄も関羽だけには敬意を持って接したと思うし
関羽もまた敬意をもった、関羽の死を目にして人の世の儚さを感じそしてこの詩が生まれた
弔うといってもやはりひけらかしの面もあるが、関羽は目をつむって黙ってそれを聞いたろうな

125 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/08(木) 22:56:37.31 0]
>>121
諸葛兄以外にも袁術に関係ない青徐出身者は
魯粛、太史慈、徐盛、歩?がいる

126 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 03:28:49.30 0]
魯粛・・・元袁術の部下で県長をやってた。袁術死後に混乱する揚州を見限って北に帰ろうとするが、周瑜の斡旋で孫策の元にいっただけ。
太史慈・・・「こいつをつかったら許劭殿に馬鹿にされるよ」と劉ヨウに言われる軽い扱い。孔融の評価も役に立たず。ただの軍人。
徐盛・・・こいつもただの部隊長。
歩シツ・・・諸葛瑾、厳シュンと友達だが、最初に官についたとき仕えた相手が不明。袁術の可能性あり。

127 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 04:14:56.15 0]
北来名士たちは、孫策には出仕しないで、孫権には出仕したものたちが多いが、この空白は一体何?

128 名前:世界@名無史さん mailto:116 [2012/11/09(金) 07:18:49.47 0]
>>116
中国は世界の文学、思想の翻訳のほとんどが遅れていて
日本に頼りっぱなしなのだが仏教経典だけは中国が先だ、が、
訳経したのはほとんどイラン人やインド人や西域人
でやはり中国人は文化の移入というものが苦手なようだ

129 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 11:38:02.16 O]
>>127
孫策嫌われてたんじゃない?無茶するし。
でも孫策→孫権への権力移譲がスムーズに行ってるから、名士層から支持はある程度はあったのか?



130 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 14:43:37.10 0]
周瑜(魯粛)→呂蒙→陸遜
の黄金リレー

131 名前:世界@名無史さん mailto:122 [2012/11/09(金) 19:32:33.54 0]
>>122
何の関係も無いただの通りすがりだけど
多分その人のレベルに住人がついてこれないだけでは?

結局三国志語ってる奴ってせいぜい正史の後追いだけでなんの独創性も
ないもんね。それが学者レベルでもそうなんだから困る
正史の後追いどころか劉備の欠点あげつらって姦賊マンセーしてるだけだもんね

なんの進展もない。ネットより遅れてる学会なんて無いけど、中国古典文学の世界だけは
ネットの方が進んでることを認めざるをえないな。権威に対して常に反抗する
WEB住民にとっては普通だったらざまあwなんだろうけど
患者にとってはアダなんじゃないの?なんといっても三国志関係の学者どもが
全員馬鹿でしかも自分達と同じ患者ときてるんだからwwwwwwwww

132 名前:世界@名無史さん mailto:122 [2012/11/09(金) 19:38:24.42 0]
まあ、僕も>>128さんみたいに仏教に、注目するなりしてこの時代の研究を
少しでも進め、この時代そのものについても、この時代の研究についても
創造性を強めたいと思ってるどちらかといえば
蜀びいき(けっして病気になるほどではございません)の
通りすがりがお送りしました〜 ペコリ

133 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 19:52:40.80 O]
あのな・・・
世の中、思い通りにならないこともあるんだと受け止められるくらいには大人になろうや

134 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 20:05:07.99 O]
すごいニューカマーが出てきたものだ・・・
ここは2chだぞ。
三国志が好きで、三戦板より落ち着いて正史の話がしたいからここにいるだけだぞ。
あなたのような意見、立ち位置も、決して否定はしないが、板にとっては正直異物だ。
とにかく、自分の感性を他人に押し付けるのはやめてくれ。
皆で議論できるような話題の提供なら大歓迎だが。
以上、皆さん長文申し訳ない。

135 名前:世界@名無史さん [2012/11/09(金) 21:19:26.55 0]
market-uploader.x0.com/neo/src/1352300355348.jpg

136 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 22:33:18.66 0]
↑こうやって、
マンガ家はマンガ登場人物のデッサンをおこすのかぁ

137 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 23:12:28.41 0]
>>135
このスレで一番興味深いレスだ

138 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/09(金) 23:45:42.44 0]
>>135
ワロス

139 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 06:57:02.90 O]
>>135
自作自演で自画自賛しているバカより全然おもろいわー



140 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 08:52:18.14 0]
>>129
全然スムーズじゃねぇ

というか孫権は親族内で出血こそ見ないもののずーっと主導権争いを静かな形でやっとるよ

141 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 10:39:17.23 0]
馬玩w

142 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 11:34:57.47 O]
>>128>>132
自演乙〜〜〜

143 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 15:50:04.28 0]
>>121
いや、「袁術にひっついてきた」というのを否定してる
あの時点で袁術は江南を抑えていない
淮南をスルーして江南に避難した連中はいる
二張しかり
>>127
単に時差的なものが一番大きいと思う
孫策に出仕せず、孫権に出仕した連中は二グループに分けられるだろう
ひとつは孫策時代は年齢的に若かったというだけの連中
もうひとつは劉ヨウの遺臣団だが、これも時間が経てば仕えたと思う
孫策の末期は西に東に軍事行動が忙しかったのも関係あるかも知れない

144 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/10(土) 19:33:41.57 0]
>>143
張紘の場合、袁術に好意的だった可能性すらある。
張紘を孝廉に挙げた趙cが、サク融に殺害されているから。
サク融は袁術の敵だった。

145 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/11(日) 11:03:06.54 O]
袁術はあれだけの名声と勢力があったのに、どうして徐州方面は影響下に置けなかったんだろ?

146 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/11(日) 12:05:36.52 0]
名声と勢力がどんな性質のものだったか考えればわかるんじゃね?

147 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/11(日) 12:26:03.28 0]
陶謙がいたから?

148 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/12(月) 17:57:14.93 0]
>>145
袁術助けたら袁紹と曹操に睨まれちゃうだろ。

149 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 08:41:02.03 O]
>>145
劉備が強かったからってのが意外と妥当な理由だったり。

陶謙時代→連携。後に仲たがい。
劉備時代→交戦状態
呂布時代→友好?袁術側が没落

徐州を影響下に置くには劉備時代だが、戦争で優勢で、劉備を徐州から追い出すことができても、戦略的には成功しているとはいえない。



150 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 11:32:29.77 0]
該当の州内部の名士衆とつながりなしに
外部勢力が純粋に軍事力のみで
一州を制圧・実行支配するということが事実上不可能な時期だ

もうちょっと後の曹操と袁紹でさえ、複数の州の統治ができるようになっても
完全に掌握できていたのはそのうちの一部

袁術は大勢力にみえても、その実行支配力は傘下にある「個の人」に依存するんだよね
袁術の力の根源は地方自治体の任命権・人事権であって中央集権的な軍事力ではない
だから袁術は献帝の権威を徹底的に否定しようとした
節を奪ったのも単なる幼稚性の悪意ではない
献帝の権威の正統性が広がり始めた(関東諸侯の間で回復しはじめた)のと淮南での袁術勢力の分解はほぼ反比例している

151 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 12:03:43.51 0]
>>150
最後おかしくないか?
袁術はむしろ献帝の権威を利用してたように思うんだが

馬日テイは袁術に協力したとして孔融に批判されたように
曹操と袁紹が献帝を確保する以前は袁術は献帝の権威を自分の権力拡大に利用してたと目されてる

袁術の勢力分解はむしろ自分が保持してたはずの献帝の権威が
曹操と袁紹に確保されてしまったことによるアドバンテージの消失からで
その消失を補うための皇帝即位ではないの?

152 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 13:55:57.20 0]
袁紹が劉虞を奉戴しようとした際は親献帝にみえるが
小康状態の長安政権に対して陶謙や曹操が示した姿勢や行動の記録がない
この時点で何もしないというのは事実上、反献帝だろうな
劉焉・曹操・張楊・陶謙・公孫サンなど時期は違えど何れも親献帝の立場をあらわした


あからさまに黙殺したのは袁紹劉表

それに袁術


初期こそ周囲にたいしては袁術は「親」を演じたかもしれないが、
帝から正規に任官された者とバッティングしても
蹴散らした上にまるでフォローをしない(この点が曹操と決定的に違う)点からして、
「漢の忠臣・名門」から「実力者」というふうにスライドしていったのだと思う

153 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 14:31:03.93 0]
>>152
親献帝に見えるというよりは反袁紹として袁紹が権威ある存在を手に入れることを嫌ったんでは?

154 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 14:35:47.69 0]
あと袁術は黙殺したんじゃなくて李カクとやり取りして色々便宜図って貰ってるよ

当時の李カクは献帝を擁立してる
官爵を与えることと受け入れることで相互に正統性を補完してる
袁術が何もしなかった、というけど袁術は普通に献帝から受け入れてるから
親献帝として曹操が献帝を手に入れるまで動いてるよ

むしろ問題になるのが曹操で袁紹の命令に従ってあちこちの防衛に駆出されてて
何もしとらんどころか嬉々として袁紹に従っとる

155 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 22:33:48.02 0]
そこまで袁紹に従ってるイメージないな
たとえば公孫サンと戦ったのは
東郡所属の発干に進駐されたからなんだろうし

156 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/14(水) 05:38:03.40 0]
袁紹包囲網も袁術派の動員力っていうよりパワーバランスの結果だからな
曹操の立場もまたしかり

例えば欧州戦線でドイツはソ・英・米と戦って負けたが
その実はソ連に対して100個師団300万人以上を投入し
それに比べれば西部戦線や地中海なんか「バカンス」の土地といってもいいくらい力をいれてない

公孫サンは間違いなくドイツに対するソ連であって袁紹包囲網のコアを占めるわけだが
そのソ連の力は対独打倒を最初から叫んでいた英(袁術)の力ではない

ドイツが四方八方から総攻撃を受けたら同盟国のイタリア(曹操)は
当然のようにその一方面くらいは分担しようとするだろう
それをもってしてイタリアはドイツの属国であったかというとそうじゃない

157 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/15(木) 00:11:20.77 0]
>>155-156
いや曹操は青州まで遠征しとるがな
方面持ったってレベルじゃなくて普通に袁紹に率いられてあちこち連れ回されてる

158 名前:世界@名無史さん [2012/11/15(木) 17:44:27.29 0]
実業之日本社:知れば知るほど面白い 「その後」の三国志
www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-45412-2

159 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 00:20:11.75 O]
献帝手に入れるまでは曹操は袁紹隷下の軍閥じゃないの?
大内氏と毛利氏とかモンゴル帝国と漢人4大軍閥とかローマ帝国とヘロデ王とか、そんな感じ。
徐州大虐殺やその発端となった曹嵩SATSUGAIも
袁紹系の曹操と公孫サン系の陶謙との争いだろ?



160 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 08:16:56.45 0]
陶謙は独立独歩系

皇帝僭称の賊と結んだり
予州に食指をのばしたり
朱シュンを後援したり
名士を弾圧したかとおもえば死後悼まれたり

なかなかレベルが高い妖怪の類だな
こいつこそ「若ければ乱世に覇を・・・」みたいな感じだ

161 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 08:20:18.52 0]
>>160
陶謙の薫陶を受けた劉備が堂々登場!
でも呂布のせいですぐ退場!
そして裏切り負け残り疫病神人生へ。

162 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 08:56:38.42 O]
公孫さん配下の劉備が陶謙の救援に行ったのは、自陣営に引き入れようとしてたのか?
でも救援に来た劉備の妖怪っぷりを陶謙が気に入って、妖怪の後継者に。

163 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 09:29:03.85 0]
実際劉備が陶謙勢力を引き継いだ時点で
袁術-公孫サン系から袁紹系に鞍替えしてるからな

しかし陶謙という男は曹操の恥部を隠すために必要以上に悪に書かれたり
劉備の正統性を示すために大人しい無害な老人に書かれたり
孫策とはよろしくなかったけど孫呉陣営の北方名士とはパイプがあったりと
各々が自由にイメージできる素材だなw

164 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 10:02:07.97 O]
軍人として世に出て茂才に推挙されてるし、某KOEIゲームでの能力値ももっと上げて欲しい。
三戦みたいなレスしてごめん。

165 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 10:34:48.52 O]
>>160
今手元に史料がないのでうろおぼえだが、公孫サン伝あたりで厳綱・単経・田楷の3羽烏と並んで出て無かったっけ?
確か徐州に陶謙配置したのは公孫サンだったような…。

166 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 12:20:45.12 0]
劉備が死にそうになって、諸葛亮に「せがれが駄目ならお前取ってかわれや」といったのは、陶謙の影響だろう。

167 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/16(金) 16:13:39.80 0]
>>165
陶謙は厳綱・単経・田楷のような有象無象のローカル人士じゃなくて中央エリート街道の出だ
公孫サンが横に並ぶことはあっても上に立つことはできない

168 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/17(土) 00:52:19.23 0]
陶謙は元幽州太守だっけ

169 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/17(土) 02:38:22.36 O]
>>168
確かそうだったはず。
だけど、細かいけど州なら「刺史」な。



170 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/17(土) 19:34:13.05 0]
>>165
陶謙は東郡の発干に進駐してるけど、発干は黄河北岸。
同姓同名の別人か、他の武将と書き間違えたと見る方が整合性がある

171 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/18(日) 07:30:43.82 0]
>>169
陶謙は泰山太守応劭等と朱儁(シュン)を擁立したから,泰山郡は仲間の圏内。
曹操は東郡太守から兗(エン)州牧になったけど,東平や済北で青州黄巾と戦って降伏させたばかり。
別人や地名誤りの可能性もあるけど,決してできないことはないのでは。

172 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/18(日) 14:53:36.75 0]
陶謙は中牟にいる朱儁に兵士の供与したりしてたしね。
後に任城に侵入したりもしてるし、発干まで進軍できた可能性はある。

173 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/18(日) 20:04:12.58 0]
曹操・袁紹を牽制するなら発干にまで陶謙自ら出張るのは不自然だと思うよ
それこそエン州を南方から圧迫した方が、相手方戦力の分散にもなる
発干まで行くコスト、撃退されて帰還するコスト、どちらも甚大
エン州刺史の単経が平原ではなく発干におり、
代わりに平原にいたのは田階だと考えた方が自然

174 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/19(月) 10:02:03.69 0]
同姓同名の別人の陶謙だった場合は置いとくとして
同一人物で、徐州から発干に出兵したとしても別に公孫サンの部下だから出兵したわけじゃないからな

まぁその後の田楷への援軍要請の成り行きからして陶謙本人だった可能性が大だけど

175 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/21(水) 09:57:12.97 O]
陶謙話おもしろい。
陶商、陶応はその後どうなったんだろね。
徐州で勢力を残した風じゃないし、丹楊は孫家の影響下に入ってるから帰れないよね。

176 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/21(水) 15:08:16.36 0]
帰れないってか、そもそも徐州に来ていたかどうかも分からんよ
孫静や孫策だって孫堅に同行してなかったわけで

177 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/21(水) 17:48:20.82 0]
軍の世襲でも難しい(孫堅)時代に一州まるまるを世襲なんて無理
外界と遮断されてる劉焉がやっとできるくらいで
子が親の権力を受け継ぐという概念が通用するのはもっと時代が下ってから

178 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/22(木) 01:50:37.56 0]
そう考えると劉表って凄いよな

179 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/22(木) 06:34:09.49 0]
だから袁紹が我が子たちに重責を与えるってのはおかしくないんだよね
ボスが生きているうちから政権運営に高いレベルで参与させておくと
死んだあとに遠縁や重臣の台頭を防げるからね

本命が袁尚にしろ袁譚にしろ一人に絞ってしまうと不慮の際に
(大本命の織田信忠死後のように)
残りの織田家に力が無く秀吉に操られてしまう結果をみるに、なんともいえないね・・・



180 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/22(木) 08:50:24.56 O]
>>178
劉表の場合ほとんど「王位継承」だもんね。
>>179
劉キが江夏太守になったのも権力継承の一端?劉ソウは当時、官職持ってたっけ?

181 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/22(木) 20:15:54.52 0]
あまり詳細のわからない倉亭が袁譚の政治生命終らせたのかなと推測してみるテスト

倉亭の戦いは青州方向から攻め込んでいるがこれに負けたので
勢力内での信望失って後継の道が断たれたとか

182 名前:世界@名無史さん [2012/11/23(金) 03:12:42.84 0]
青州って不服従勢力が強くて、袁譚は全土治められてない。
やっと治めていた少しの領土を戦争で荒らされたら再起不能だ罠。

183 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/23(金) 13:00:39.92 0]
しかしこんな馬鹿な商売やって味をしめたら真面目な稼業にはつけないわなw

184 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/25(日) 21:48:32.94 0]
seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211180001/

185 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/27(火) 04:27:12.57 0]
統治しづらい青州をうまく治めたぞという箔をつけて後継者にでもするつもりだったのか

186 名前:世界@名無史さん [2012/11/27(火) 04:39:07.03 0]
後継争いになったら、一番貧弱な袁譚が真っ先に潰されて終わるやん

187 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/27(火) 11:18:30.73 O]
袁紹の勢力圏てどこも不安定では?
冀州は豊かだけど反乱も多いし。幽・并は辺境だから、掌握できてたのは青州と変わらないかそれ以下。

188 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/27(火) 12:37:31.12 0]
まぁ袁紹が冀州を統治したのは10年足らずで
しかも袁紹とは、もともと縁もゆかりもない土地・・・どころか、かなり際どく乗っ取った土地

曹操もそうだし、日本の戦国時代もそうだけど、
土地の実質的な領主である土着の名士人を完全にコントロールできるまでが難しいんだよな
劉表も劉璋も孫策も呂布も陶謙も劉備もみ〜んなそう

189 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/27(火) 19:18:38.79 0]
袁譚は伯父の家を継いでたから後継者権はないのでは?
あと、これって漢晋春秋に書かれてるだけだっけ?



190 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/27(火) 22:39:43.82 0]
>>189
誰の家を継いでようが勢力を引き継いだり同等の官位を引き継いだりすることは出来るだろ
出来ないのは爵位の相続だけ

191 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 03:26:34.20 0]
庶子の袁紹の家をついでも・・・
譚を送り込んで乗っ取った形ではないのか

192 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 06:20:07.05 0]
そんじゃ譚と尚の兄弟は何の地位や権利を争ったの?

193 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 06:22:45.72 0]
後漢だと、父親が有能で地位を持ってても、息子はしょっぱい閑職になることが珍しくない。
孫の代になると名前しか分からないというのも多数。
「親子で相続できない」んじゃない?

194 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 06:36:56.90 0]
三国志君主の資格は「世襲相続権を持つ」だ。
有資格者は曹操、袁紹、劉備、孫権、劉エン、劉表。

195 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 12:23:18.67 O]
前に誰かが言ってたが、勢力の継承ってのは大分時代が進まなければ無理だったんじゃないかと。
だから継承の可否で「資格」を問うのはちょっと違うんじゃないか?
軍勢のみ息子に継がせて、自身は中央政界に行った馬騰は他とは違う戦略を持ってたんじゃないか?

196 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 16:26:49.09 O]
袁煕…

197 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 22:31:48.11 0]
seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211270001/

198 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/28(水) 22:42:34.14 0]
>>194
公孫度……

199 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/29(木) 00:30:04.88 0]
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 23膳目
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200 名前:世界@名無史さん [2012/11/29(木) 00:30:45.49 0]
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