- 150 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/11/13(火) 11:32:29.77 0]
- 該当の州内部の名士衆とつながりなしに
外部勢力が純粋に軍事力のみで 一州を制圧・実行支配するということが事実上不可能な時期だ もうちょっと後の曹操と袁紹でさえ、複数の州の統治ができるようになっても 完全に掌握できていたのはそのうちの一部 袁術は大勢力にみえても、その実行支配力は傘下にある「個の人」に依存するんだよね 袁術の力の根源は地方自治体の任命権・人事権であって中央集権的な軍事力ではない だから袁術は献帝の権威を徹底的に否定しようとした 節を奪ったのも単なる幼稚性の悪意ではない 献帝の権威の正統性が広がり始めた(関東諸侯の間で回復しはじめた)のと淮南での袁術勢力の分解はほぼ反比例している
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