- 1 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/18(木) 07:03:02 ID:n9bD81s7]
- 仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。 主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。 皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。 初心者にはやさしく接してあげてください。 良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。 明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。 無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。 *「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。 尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。
- 253 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 07:30:00 ID:m88L/O1g]
- >>242セブン氏
>アホですか。歌舞伎を横(≒舞台袖)から見るのが仏教ですよ。 紙の表が色で、裏が空の、貴殿の書込みからは少し進歩したようだが・・・ やはり譬えが悪い。 空とは側面から観るのではない。 観点そのものがないということだよ。 つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。 これが空性。 これは妄想ではない。 >机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。>>220 「妄想」について、少し勉強するように。 カァ〜〜〜ツ!!!
- 254 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 08:02:59 ID:kLXFVGL6]
- >>253
>空とは側面から観るのではない。 >観点そのものがないということだよ。 >つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。 >これが空性。 零点。やり直し。
- 255 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 18:22:28 ID:Z4T5QsSY]
-
世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 究極の真理(勝義諦)に到達しないならば、ニルヴァーナ(涅槃)を体得(証得)することはできない。
- 256 名前:1/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:31:01 ID:vEdVWnTJ]
- >>251
都合の悪い部分はいつもスルーだなw >>207では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw ほっとこうかと思ったが、初学者が覗いてるんで一言二言入れとく。 *(見返してみたら、mは連声でのアヌスヴァーラのようなんで脳内処理宜しく。) >「色(性)」と「是空」とが同格などと考えているのなら ワシの書き方が曖昧だったせいもあるが「中性・主格・単数」と「中性・主格・単数」が併記され、 慣例として前の語が主語、後ろの語が述語として読むからだよ。 同格と言ったのは、どちらも「主格(Nominative)」という意味だ。 勿論、後ろの語を主語として読み(訳し)前の語を述語として読む(訳す)こともあり得る。 (ここら辺は翻訳の際のテクニック、修辞法の範疇だが・・・) また、前後の(或いは複数の)語の「どれか一つがメインの主語で他は形容詞として読む(訳す)」 ということもある。またそれは主格のみに限らない。(パーリの例ですまんがw) 「namo tassa bhagavato arahato sammA-sambuddhassa」も、namo以外は為格(Dative)の併記だ。 namo(礼拝・帰敬・帰依→礼する・帰依する)が述語扱いであり動詞として扱う。(名詞として訳しても構わない)。 この意味での同格だよ。 語学的に誤りだぁ? 笑わせんなw *ちなみに、「色不異空、空不異色」は「rUpAn na pRthak zUnyatA , zUnyatAyA na pRthak rUpam」 だが、語形変化を追いきれず、一句目rUpAm,-nが強語幹なのかAcc.pl.なのか、 二句目zUnyatAyAがどの形なのか解らんので、保留。 (Sktは複雑で嫌いだ・・w) (意味としては「前者は後者と別のものではない」となる筈だが・・。 ※御隠居が歓喜しそうだなwww >>193を百億回読み直しとけw) ※また、ここでも>>184-185(或いは>>224)の視線が重要となる。
- 257 名前:2a/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:33:29 ID:vEdVWnTJ]
- >>251
>「性」付けたのは・・・云々 アホですかw 翻訳元で既に区別されてるんだよ。で、「色性(rUpa-tA)」などと言われていない。 この差異(→「色(五蘊)」を「性質」としていない!)は重要だよw 「色(rUpa)」はあくまでも「色(rUpa)」だ。 そして、単に「zUnya」でなく「zUnyatA」である意味も・・・。 異訳に「性」が付いてるのは、「同格の併記だから、後者が性(質)を指すので“合わせて”「性」を付したものと推測される。 その意味では【これら異訳(「色性是空、空性是色」「色空、空性見色」)は該当箇所を君の言うように読んだ】ということになる。 (※敦煌出土の異本は一段目が「rUpaM 【 zUnyaM 】 , zUnyatA eva rUpaM」らしいw この辺も触れられてるかも。) (※玄奘の意図がどこにあったかは、縁起馬鹿が@Wikiに挙げてくれたURLの論文で触れられてるかもしれない。 一段目の曖昧さ・ブレ故に削ったのかもしれん。) (※つか、(専門的である必要はないけど)、心経云々するなら、せめて岩波文庫くらい目を通しとけよ・・・ orz ) 君は異訳の一つ(普遍智蔵般若波羅蜜多心経/法月訳)を支持するわけだな。 もう一方(智慧輪訳)はどう位置付けるんだい? 更には玄奘が削った意図は? ま、「性」の付加同様、どうせ「全部同じことを言っている。3段だろうが1段だろうが一緒」と言いそうだが・・・w *雑記: 羅什訳、良さそうだね。施護訳も詳細だな。(大正蔵経の心経7種:TextNo.250〜257)
- 258 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 18:33:30 ID:dDiPefB9]
- >>255
>世俗の表現(言語習慣) 「原文」には、そのような「限定された表現」がありますか。原文を挙げて ください。 平川彰氏の訳文では、「世俗的なことにもとづかなくては」となっており、 「言語習慣」に限定されてはいません。
- 259 名前:2b/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:37:19 ID:vEdVWnTJ]
- 話がズレた。(或る意味ROM者の為の)本題。
陸上競技で「走り」という言い方をすることがある。野球やゴルフで「スイング」と言う時がある。 今、「動き」を例にすることになるが、後者を『バットを振ること』と言い換えて拾ってみる。 ある引退選手が会見でこう発言したとする。 「【(私にとって)】《バットを振ること》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。 また或る選手は言った。 「【(私にとって)】《キャッチャーミットへ投げ込むこと》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。 これも、「即」で接続することが可能な事例だ。これが「動き」でなくとも「性質」「所有要素」であっても同じだ。 単純接続が無意味なことが解っていただけるだろうか・・。 手順を踏んで初めてイコールだということが解っていただけるだろうか・・。 参:>>193 ※また、だから、五蘊一括だけでなく、五蘊一々が個別に述べられる。そして再び「一切空」へと繋がってゆく。
- 260 名前:3/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:39:47 ID:vEdVWnTJ]
- >>253
その方向性で言うなら、或いはそのように文中の要素を即物的に捉えるなら、 「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。) (以前の《一枚の紙》の時もそうだ。頓珍漢な評をしおって・・・。 てめぇこそ「喝!」だw) ブラウン管の三色融合、モニターのドットや電光掲示板の点滅、ムクドリや鯵の群れ、 或いは量子論の視線を持ってくる者もいるだろう。 だが、それら全て、何を用い、どのように譬えても、 そこで説明の為に必要な《「最小単位としての」「(個物の)実在・存在」を拾い上げる》なら、 「空(空性)」の解説とならない。それらを超えた、もう一つ先のことだから・・。 だから、譬喩表現に於いては「捨象という作業、前提、約束」が必須なんだよ。 それは、「空(空性)」に限らず、何を譬えるにしても一緒だ。 上記のような譬えをした時、 やれ「鯵は云々」「ブラウン管という“場”が云々」「ドットが云々」「個々の電灯が云々」「原子・粒子が云々」 などと言い出したら、そこで話は終りだ。(別スレだったか、以前の蝋燭の譬えも同じだ。) 「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。 >>御隠居 (※>>255は、狙って待ってたかのようなレスだなw 原文は知らんw)
- 261 名前:4/4 mailto:sage [2010/03/23(火) 18:40:53 ID:vEdVWnTJ]
- >>249>>253
御隠居も机も、喩え話への無理解には驚愕するばかりだ・・・w (反論・横槍の為に敢えて「拾い上げてる」ということなのかもしれないが・・・。) 本来なら「捨象する要素」だが、100歩譲って拾い上げて言えば、 「歌舞伎を正面から見る」ということは「世俗の愉しみに(欲望に)耽溺する」ということだ。 そしてそれを、「出家し、違う視線で見る」ということが「舞台袖から見る」ということとしてもいい。 で、御隠居は、前者を至上の、絶対的価値とし、後者を間違った姿勢として完全に切り捨てるので、 「決して交わらない平行線」だと評した。(だから縁起馬鹿はスルーの態度を固めたのだろうw) Snダニヤの章(の読み方)も全く同じだ。 また、その本来捨象すべき要素を拾い上げて、机的に(決して>>253ではないぞw)言えば、 「正面から見ながら、〈見ている景色が板に描かれたものである〉ことに気付く、知る、頷く」 のが仏教的姿勢だよ。 気付く為の手段(360度廻って見るとか横へ回って見るとか)はさておき・・。 ※(ぐるっと周回してみるのが漸、正面から見据えたままが頓と言ってもいいかもしれんが・・・w 或いは横から見るのが論や註釈或いは経中の詳説、正面からのみ見るのが禅、 という言い方も出来るか・・w が、いずれにしろ譬え話の域を逸脱している。) 単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、 ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www
- 262 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 18:44:34 ID:/m1cfZaN]
- >>218
>修行しない者は 輪廻の輪を 断ち切る事は 出来ない のである! 読みにくいレスですw どうせ誰かさんの自演でしょw では、何千年も経ったのですから、その<修行の成果>とやらを 万人に分かるように証明して下さい。証明出来ないことなら誰でも 言いたい放題です。悪く言うと<詐欺>と同じ手口w 死人に誰もお目にかかったことが無いのと同じく輪廻の輪を断ち切った人 にも誰も今までお目にかかったことがありません。 オウムのアサハラが最終解脱したと自己申告で喚いてましたが・・w その結果は万人にもよ〜く分かりました(笑
- 263 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 18:47:14 ID:vEdVWnTJ]
- しまった・・・orz
>>256後者「中性・主格・単数」の“中性”は“女性”(女性名詞)の間違い。 推敲したつもりだったが、コピペしたままだった・・・。 Sktできる人は、他にも添削宜しく・・・。 申し訳ない・・・orz
- 264 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 19:07:45 ID:m88L/O1g]
- >>260
>「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。) 釈尊の出家当時というのは、バラモン教の影響で瞑想に耽っていたんだろう? ところがそういった経験においての究極的に逝くつくと、事物においては断定することは不可能だ。 ということに気づいてくる。 これが中道となる訳だけど、 言語化不能ってのは、言語は断定するからだよ。 これを暗黙の了承においての・・・・ >「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。 ここ↑に繋がる。 しかし第一義は「断定不可」だよ。それを世俗言語慣習に従ったとしても 「断定不可」は全く変わらない。 これを理論体系付けたのが龍樹でして、 中論は一貫して断定的なものは記してない。 無記は断定できない象徴となっておりますが、それをもっと突っ込むと、 そもそも主客とは何ぞや?ってことになり、 その主客対立における、妄想とか輪廻転生とか、そういった類が想起する訳はない。
- 265 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 19:21:16 ID:td5ED2vN]
- >>246
>あなたは、生命捨てて、仏典読めますか。宗教やれますか。 釈尊も例外ではありませんね。 >>249 >「欲望マンセー」などというが、「欲望」は、すべての人間に通用する 「法」である。「自分の解脱」のために、生活を離れた修行に現を抜かす 君たちの姿こそ、「欲望の塊」ではないのかね。 さ〜すが〜!!頭脳明晰〜!!(・∀・)ノ 立場が違っても国が違っても、誰もが生きていることは例外無く ■ <生命からの意図!> (・∀・)ノ 文句のつけようがありませ〜ん!!万〜全で〜す!! ■「色即是空、空即是色」■ ↑ も凜として美しい響きで感じいいねン〜(・∀・)ノ
- 266 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/23(火) 19:23:11 ID:m88L/O1g]
- >>261
>単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、 >ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www いやいや、私は「貴殿は進歩した」と褒めておるんですけどw 紙の表裏よりは、譬えとしたらイイですよ。 貴殿のスタンスは分かってますから(笑 つまり、「仏教は世俗諦で語ちる」ってことなんでしょ? 貴殿の文章は興味深く読ませさて頂いております。
- 267 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 19:26:28 ID:Z4T5QsSY]
- >>258
>原文を挙げてください。 あのな、龍樹の中論24-10からの引用だとは書いていない。 俺の文言だ。 中論24-10が俺の文言に似ているだけであって、とくに2行目は龍樹の文言にはない。 こーゆーのって増広ってゆー奴もいるが、そーではない。 だから>>255そのものが原文だ。 「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、 当然だろう。
- 268 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:27:28 ID:DJ+X/w/2]
- >>256
>>>207では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw 詳細な論考多謝だが、私は専ら「『中国語』としての訳文」の話をしている。 パーリやサンスクリットは「死語」であり、「死語」をいくらやっても、現実 生活にはクソの役にもたたないw。死語を教えて飯を食ってる人もいるけどねw。 なお、古代においては現代のような語彙論も文法論も全くなかったのだから、 それらの点からいくら突っ込んでもあまり意味はないのではないか。あくまで、 現代人としての論理で、意味を合理的に推測する以外には方法はない。辞書も 文法書も無かった当時の翻訳者にとって酷ですよ。彼等の翻訳は「間違いだらけ」 だったと考えていてよい。現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者から みると、無数の間違いが見出されるのだから。 「即物的」と言われるが、少なくとも人類は、即物的であったからこそ、現在まで 生存していることを、片時も忘れてはならない。人間の心身は、生存に不必要な ものは、知覚しない、思考しないようにプログラムされているのです。ありと あらゆるものを知覚できたり、思考できたりすると、人間は間違いなく狂い死に しますよw。歌舞伎を横から見る者も出てくるw。 たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的。話者が、自分でも、ストレート に話せるほどには自分の思考対象を理解してはいない、まとめ得てはいないから、 たとえ話をするのです。聖書の多数のたとえ話が、その好例。従って、あらゆる 突込みが可能になり、解釈についての混乱を招くのです。
- 269 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:41:58 ID:h5dHbi69]
- こんなパーニニも知らない、ドキュンと話しても無駄だって。
- 270 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 20:51:50 ID:NT+Zckvg]
- >>267
>「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、 >当然だろう。 竜樹ともあろう者が、そんな「当然のこと」をわざわざ言う訳がない。 あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。 あなたの「究極の真理(勝義諦)」なるものは、一体どうやって「検証」したのかね。 「検証」できないものは、「真理」とは言わない。単なる「妄想」に過ぎない。
- 271 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:19:19 ID:vEdVWnTJ]
- >>268
自分がどれだけおかしなことを言ってるか判らんらしいなw 1 2 3 インド 中国 日本 ○ → □ → □ 「もともとは○ですよ」という話だよ。 君は○の心経を無視して□の心経を支持するわけだ。 (それは、『〈(君の好きなw)日本の〉心経でもないんだけどね・・w) だが、□は○をベースにしてるわけさ。だから、違いがあるなら、「そこで改変・変化があった」ということだ。 □と共通の視線■を前提にし、絶対視するなら、そりゃ「□は素晴らしい!」となるだろうよw そしてさらに、あろうことか、■が原初(1)だとまで言いかねない勢い。 (他の事は、そう言っているよな?w 自分の勝手な妄想を竜樹起源だと・・・w) だから、色も形も違うぞと言っている。仮に大きな・重大な改変・変化があったにせよ、それを1へ持ってくるな。 「変化の後の□を(■と共通する故に評価する」と普通に宣言すれば済むことだ。 最初は1・2・3通しての心経の話だったよな?君は、「2から」の話に限定はしていなかったよな? 区別してなかったよな? だから、「1の段階はこうですよ」「色は白ですよ」と提示した。 で、1としての○が提示されたら、今度は2からの話だと?(色は黒だと?) 笑わせんなw >私は専ら「『中国語』としての【訳文】」の話をしている だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と? もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww それを、≪自分勝手な妄想で読む≫と批判されてるんだよ。 しかも、解釈すら自己流となれば、「妄想」と言わずに何と形容ができようか・・・。
- 272 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:20:24 ID:vEdVWnTJ]
- >>268
さらには、 >彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい と来たもんだw ハア?(゚д゚)? 「彼等」って誰よ?www 今回のケースでは漢訳者しかいないわけだが・・。 「《君が支持する漢訳心経》が間違いだらけ」ってこと?w (とんでもない自爆だなw) まさか、いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね? まさか、まさか、Skt本を翻訳と称してるんじゃないだろうな・・? まさかね・・。いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね? >「即物的」と言われるが・・・・・・云々 あのな・・・(^^; そういうことじゃなくて、長部第2沙門果経に、こういう譬えがある。 「マンゴーについて問われながら、ラブジャについて説明したり、〜〜」と。 今風に言えば「リンゴについて問われながら、バナナについて説明したり、〜〜」という感じだ。 この時の譬えの意味は『《問われたこととは別のこと》を説明して、結局《問いには答えていない》』 ということだ。(誰かさんが思い浮かばないか?www) ここで、『同じ植物だ』とか、『リンゴというのはコレコレこのようなもので、 バナナとはこのようなものだから譬えにならない』と言うよなものだ。 ここでは『違う植物である』という点だけが譬えとして利用されてるんだよ。 それを「リンゴは云々、バナナは云々」という態度を「即物的(読み)」と評したんだよ。 解る? 君の>>249はこの典型なんだよ。 最後の段一行目の指摘だけが、原理的にはその通りなわけさ。 これに関しては何も言わんよw (ただ、同時代人として、常識と一般教養ある成人男子として、【これまでの対話の流れに】あずかる者として、 共有できる枠組みと要素の選択だと思ったんだがね・・。 甘かったようだ・・・w)
- 273 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:22:36 ID:vEdVWnTJ]
- >>266
あのな・・・(^^; 一枚の紙の譬えを出した時の文脈(スレの流れ)を憶えてるか? 《肉体(或いは現に存在する自己)の尊重》という絡みじゃなかったか? だから、あの場面ではあの譬えでいいんだよ。 で、今回はその側面がないんで「書割」でいいんだよ。 (ついでに言えば歌舞伎でなくても書割でなくてもいいw) 君も御隠居と同じく、 >たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的 だから、 譬え話は無意味という考えかい? それとも、捨象すべき要素は「捨象してください」、 使用すべき要素は「捨象しないでください」「この点を使用してください」と断り書きしろと? それじゃ譬えとする意味が無いwww そのまま冗長に述べ連ねるのと変わりない。 解る?
- 274 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 22:59:12 ID:Z4T5QsSY]
- >>270
>あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。 矛盾と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。 >一体どうやって「検証」したのかね。 時空際断において何をせよというのかな? 這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw
- 275 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/23(火) 23:16:16 ID:vEdVWnTJ]
- もう一言添えておこう。
心経で述べられているのは「色即是空、空即是色」だけじゃない。 「受想行識亦復如是」とあるように、 「受即是空、空即是受」「想即是空、空即是想」「行即是空、空即是行」「識即是空、空即是識」、 すなわち『五蘊即是空、空即是五蘊』だよ。
- 276 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/23(火) 23:58:56 ID:z1LioXE2]
- >>274
>時空際断において何をせよというのかな? >這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw ゴキブリだって、食べ物の場所をその五感でちゃんと検証しているぞ。 検証もしないで「究極の真理(勝義諦)」などと意味不明な妄言を吐く君らは、 ゴキブリ以下w。ゴキブリに生き方を学べ。
- 277 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 00:13:01 ID:E332scS5]
- >>271
>だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と? >もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww 一生懸命言ってくれてることはよく分るが、何かが抜けてはいないか。 大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈 できれば、それでよいのでは。それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性が あるのかね。その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。
- 278 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 08:07:01 ID:kOlrgwh3]
- >>267 ゴキブリ隠居
>意味不明な妄言 意味不明と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。 存在に捉われている愚かなおまえには、龍樹をも誤読する。 時空際断においては本質なるものがありえないゆえに、 検証自体がありえないのだ。 『しかるに、“如来は存在する”という深い執着に捉われている人(ゴキブリ隠居おまえだ)は、 ニルヴァーナに入った(入滅した)如来については“如来は存在しない”と考えて妄想する。』(中論22-13) 『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、 あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は正立しないのである。』(同22-14) 『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。 如来は本質をもたない(無自性の)ものである。 この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16) 真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実のブッダ>にほかならない。 世界は本質をもたない。 ゆえに言語論理(名称と形態)によってサンスカーラ「世界」をつくるのである。 ゴキブリ隠居は愚か過ぎる。
- 279 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 08:10:27 ID:kOlrgwh3]
- 訂正
・× 存在に捉われている愚かなおまえには 〇 存在に捉われている愚かなおまえは ・× 思考は正立しないのである。』(同22-14) 〇 思考は成立しないのである。』(同22-14)
- 280 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 08:13:15 ID:kOlrgwh3]
- 訂正 またゴメン
× 本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16) 〇 本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16)
- 281 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 08:39:10 ID:f5Ud/kFF]
- わろた。そんなヤツ相手にすんな。
- 282 名前:195 [2010/03/24(水) 09:02:11 ID:cVcbcZhl]
- >>252
了解しました。 『阿毘達磨論の研究』から読んでみようと思います。 紹介してくださったサイトを見ながら1.2回生でしっかりサンスクリットを勉強していこうと思います。 いろいろご教授していだだきまして、本当にありがとうございました。
- 283 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 10:45:36 ID:4SH9dfgh]
- >>277
自分の言っている無茶苦茶さに気付けないようなんで、解り易くしてやるよw > 大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、 →自分が引用し、参照し、参考にしている漢訳仏典が「間違いだらけ」なら、 →次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない場合がある》ので、 《それは参考にならない。間違っている》。 →次の項を参考にすれば、《「間違っている」とは「自分の考えに合致しないこと」》。 > 「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈できれば、それでよいのでは。 →その文章が《論理的・合理的に解釈可能ならば》【それでよい】。 (*【それでよい】とはどういうことか? おそらく《自分の考えに合致する》ということと推測しておく。) →《「論理的・合理的に解釈可能である」ということは、「自分の考えに合致する」ということ》。 > それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性があるのかね。 →原典、つまり最初の内容・意図がどのようなものであるかは関係が無い。 →次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。 →上の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。 > その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。 →原典の内容は《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。 →二つ目の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。 《【それでよい】というのが、どういうことなのか》が鍵となるわけだが、 よーするに、この4行は、≪まず、絶対的基準として「自分の考え」があり≫、 ≪「自分の考えに合致するもの」は正しく≫≪「自分の考えに合致するもの」が仏教である≫という主旨だ。 まず、自分の考えありき。それに合わせて取捨選択をする。歴史的伝承や註釈・検証・研究なぞ無視。 これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいやら・・・w 都合の悪い部分はいつも通りスルーだし・・・w
- 284 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 11:02:52 ID:4SH9dfgh]
- ついでに触れとくか・・。
>>268 >彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい。 >現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者からみると、 >無数の間違いが見出されるのだから。 これを、漢訳仏典に対しても言われていることと解釈するなら、 (それは、自分が依拠する「色即是空、空即是色」にも当てはまるわけだがw)、 ≪【自分の考えに合致する形で】論理的合理的に解釈できるものだけを採用する≫ ということだ。 原典だとか翻訳(漢訳)だとか解説だとかは無関係。 それはつまり、 ≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。 ≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが仏教である≫。 ということだ。 これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいのやら・・・w
- 285 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 11:24:30 ID:f5Ud/kFF]
- >>283
長い! 要する妄想があって、それに合うネタを述べてるだけ。 その妄想に合わなくなってくると、誤訳だの古代人の妄想だとのという。 誤訳だの古代人の妄想だと思うならネタにすんな。 でも、妄想語っても誰も相手にしないから、 権威あるネタを求める。そのネタも誤解と指摘される。 屁理屈捏ねる。 こんなヤツ、相手にするだけ無駄。 「現代人の論理」じゃなくて「おれちゃんの論理」に合えは、それでいいだけだろう。 「おれちゃんの論理」がただの支離滅裂な妄想に他なら成らないことが、 多くの人に指摘されてるわけだ。 これは仏教の是非とかそんなもんでなく、言葉を使用する最低のルールとか、 倫理、モラルを逸脱してるってこと。
- 286 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 11:32:01 ID:4SH9dfgh]
- >>285
評するだけじゃなく、彼の実際の発言・文言から炙り出してみようと思ったからさ。 現に返答の数や量、触れる部分は激減しているw (ゲームで敵キャラのHPを削ってるような感じだw) さて、どこまで取り繕い続けられるか楽しみだ。
- 287 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:06:12 ID:qozN1b6Q]
- >>284
>≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。 それは釈迦のこと。彼は「正しい」という言葉を8回も続けて使ったがw、その 「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。 君たちは、歌舞伎は横から見ても、開祖や経典は真正面からだけしか見ること が出来ない。開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね。 君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違も ないことに気付け。すべての宗教における「開祖、教祖、経典マンセー」は 全く同じ。恐らく、オウムと同様、絶対に気付けないだろう。それが宗教によ る「マインドコントロール」というものだ。これは、「具象を離れた根拠皆無 な精神性」、換言すれば「狂気」の植え付けから生じている。すべての宗教に 通じる最大の「病理」である。
- 288 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:25:39 ID:u9bk087e]
- >>278
>真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実の >ブッダ>にほかならない。 それがまさに「入滅後の如来の存在を信じる」という妄想。「本質」と「本性」 とは、どう違うのか。それを「経験する」とは、どういうことか。すべてが、 妄想の典型ではないか。
- 289 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 13:26:22 ID:4SH9dfgh]
- >>287
>それは釈迦のこと いやいやw 他人のことをどうこう言う前に、自分の姿を見つめてみることも大切だと思うよ。 仮に、お釈迦さんがそうだったとしても、 (そんなことないのは、ちょっと仏典読めば解ることだが、読んでないなら仕方ないか・・w) 『自分はどうなんですか?』 これには一度も言及してませんね?w >その「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。 いやいやいやw 仏典のそこかしこに散らばってるじゃないですかw ≪「お釈迦さんが示した根拠」と「貴方が依拠する根拠及び貴方のスタンス」とが、交わらない平行線なだけ≫ だと何度も言ってるじゃないですかw つまり、「貴方の主張は仏教ではない」ということです。 仏典を引用するのはやめたらどうですか?勿論、龍樹もですw まるで、 ≪仏典から神智学に合致する部分だけを拾い上げ、神智学に合致する部分だけを仏教だと宣言した≫ 誰かさんそっくりですなw ≪仏典から俺様に合致する部分だけを拾い上げ、俺様に合致する部分だけを仏教だとする≫、 そっくりですね・・。 >君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違もないことに気付け いやいやいやいやw 君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw >開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね 原典批判的研究という言葉を知りませんでしたか?w で、反論の言葉が枯渇すると、最後は「病理認定」、とw おそまつだな・・w
- 290 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:37:13 ID:e6+adCk8]
- >>289
君のその書き込み自体で、「マインドコントロール」の実態が完全に記述 されている。「釈迦」を「麻原」と変えても、全く同じ。 「批判的研究」というが、「釈迦自身」はいささかでも批判できていない。 それでは「批判的」とはいえないよw。
- 291 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 13:44:46 ID:f5Ud/kFF]
- >>286
無駄、無駄。痒いものは放っとけば、その内治まる。
- 292 名前:278 1/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:21:35 ID:kOlrgwh3]
- >>288 ゴキブリ隠居
>すべてが、妄想の典型ではないか。 *世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。(>>255) *『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、 あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は成立しないのである。』(同22-14) 『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。 如来は本質をもたない(無自性の)ものである。 この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16) 言語論理(世俗諦:分別知)を尊重しつつも、位相が異なる非言語論理(勝義諦:無分別智)を 直覚できないゴキブリ隠居の分別執着主義は醜く愚かである。
- 293 名前:278 2/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:24:15 ID:kOlrgwh3]
- >>288 ゴキブリ隠居
なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか? たんなるトラの威を借りる権威主義であって、当て馬にしか過ぎないのだろう。 論理破綻のゴキブリ隠居はつぎのトラの皮を捜すことになるだろうw 『二つの真理(二諦)にもとずいて、もろもろのブッダの法(教え)は説示された。 (その二つの真理とは)世俗の(煩悩に)覆われた立場での世間(で)の理解としての真理(世俗諦)と、 究極の立場からみられた最高に意義あるものとしての真理(勝義諦)である。』(中論24-8) 『この二つの真理(二諦)の区別を知らない人々(ゴキブリ隠居おまえもだ)は、 ブッダのおそえにおける深遠な真理を知ることがない。』(同24-9) 『ここにおいて、われわれは答えていう。 −汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、空そのもの、空を説く効用、および空の意義を知らない。 故に汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、このような無益な論争をするのである。』(同24-7) これが龍樹のゴキブリ隠居への批判解答だ。
- 294 名前:278 2/2 mailto:sage [2010/03/24(水) 14:27:45 ID:kOlrgwh3]
- 訂正
× ブッダのおそえにおける深遠な真理 〇 ブッダの教えにおける深遠な真理
- 295 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 15:50:23 ID:UuukStV+]
- >>293
>なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか? 釈迦とは異なり、竜樹には論理矛盾が見当たらない。竜樹は、口が上手いからw、 釈迦にゴマすってるが、批判すべきところは、的確に批判している。 釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、 無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。
- 296 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 19:22:35 ID:+Bs1VS8R]
- >>289
>君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw 生命は、考察・検討・崇拝の対象になるようなチンケなものではない。 生命は、人間が対象化できない唯一の存在。考察・検討・崇拝も、生命の機能に過ぎない のだから、それらの行為主体と対象とが同一では、ナンセンスであり、行為は初めから 成立しない。 生命とは、ただ、「今ここにある」だけ。宗教を含む、人間のすべての営みの根源である。
- 297 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 21:03:02 ID:Ek5okofZ]
- 生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。
あくまで「君の生命教」つまり隠居教をさして言っている。 ……そんなことはわかっていてとりあえずからかっているだけなのだろうが不毛だ。 それこそ人生の貴重な時間をもっと有意義な方向に使うべきだと思う。 こんなことを「いくらやっても、現実生活にはクソの役にもたたないw。」
- 298 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:08:25 ID:PP0EPYFl]
- しかし、中論屁理屈好き君たちは病気だなあw
質問箱スレの意義よりも遠いw なんちゅうか。理屈の正当性ゲームだなあw まあ、普通、まともな大乗仏教徒なら、実用性を加味できるはずだが、 まったく実用性ゼロw まあ中観派及び大品般若経の実用的解説できる奴はこのスレにはいなさそうだw また南方仏教を実用的に解説できるのはなさそうだしw 次元が低いw まあ隠居のたまにマグレに閃く書き込みは妥当性ある時があるから、たまらんわw しかし大品般若経の実用的解説をやる場合、シンドイわあw 曹洞宗の方が気楽やわ。 もし、まじめに中観派を実用的解説するなら、臨済宗張りのスリルがあるわあw 臨済宗の方が身についている方だから楽だけどなw
- 299 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:12:32 ID:4SH9dfgh]
- >>290
いやいやいやいやw 『自分の姿はどうですか?』と聞いてるんですが・・w また、(縁起馬鹿はこの方向を嫌がるがw)、 ・人間としての釈尊像の考察も為されてますが?(貴方の評価した奈良さんもその一人だがw) ・幼少年期・青年期の苦悩が、(教えに)影響を与えている、とも言われますが? ・入滅後の一比丘の発言が事実に基づいているなら、 厳しい(≒口やかましい)叱責も多かった、と推測されますが? ・求道の者には厳しかったにしても、正当な批判・指摘にはきちんと対処する、 【世間の常識を尊重する姿勢】も見られますが? ・変化球のような答えも多かったろうと推測されますが?(最後にはちゃんとミットに収まりますけどねw) また、少なくとも私は、 ・お釈迦さんには、青年時代、鬱の傾向があったろうと推測しますが? ・三世に跨る輪廻は、生物学的側面と整合性が弱い、と考えてますが? ・舎利弗や阿難の方が、より柔軟な説法をしていただろう、 お釈迦さんは、どちらかといえば頑固で厳格なほうだったろう、と推測してますが? *(どちらが良いかは別にして。) ・現存仏典は、原初のおしえそのものではない、と考えてますが? ・原初の教えは(≒お釈迦さんのスタンスは)ヒンドゥ文化の影響を色濃く受けている、と考えてますが? ・教えの多くは、当時の価値観に準拠していると考えてますが? ・出家遊行生活は、当時の文化・社会が許容していたから成立した、と考えてますが? ・積極的に勧誘し、コミュニティの確立を図った、と考えてますが? ・コミュニティの維持・存続、及び社会的評価の為のイメージ戦略として 有力者への教化に積極的だった(≒計算高いw)、と考えてますが?
- 300 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 22:12:44 ID:ZYHrqw/e]
- >>297
>生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。 宗教は、皆、そう思っている。生命に最大の価値を認める宗教は「皆無」で ある。すべての宗教は、生命以外の「架空の観念」に最大の価値を認める。 だから、宗教には、人間同士の殺し合いと争いが絶えないのである。内紛が 最も多いのも、宗教団体である。 宗教以外の人間の営みは、すべて、究極的には、「生命の維持」の方向に向け られている。宗教だけは、「人間」の営みとして、異常極まりない倒錯と病理 である。すべての創唱宗教が、開祖の精神障害の感染の結果だからである。
- 301 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:12:47 ID:PP0EPYFl]
- 隠居の生命教を正当性理屈で相手するからショーモナイ訳だ、
まあ、このスレの中論屁理屈好き君達は、実用性の次元がナイからw 実用性のナイ隠居の生命教の勝る事がないw しかし、中観派及び大品般若経の実用的解説をやること思ったら、 華厳経で実用的解説をやることは楽だなあw 妄念読解文献君とかネタでやりやすいw
- 302 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:13:30 ID:4SH9dfgh]
- 少なくとも、
貴方が指摘する青年シッダッタの精神面に於いては、私は同意してますが?w また、 五蘊に依存して45年間法を説いてきた、と考えてますが? 現に存する五蘊を無視してはいなかったと考えますが? 現に存する五蘊の維持を疎かにしてはいなかったと考えますが? 五蘊に依存するからこそ、学びがあり涅槃があると考えていますが? 世俗に根ざして法を説いてきたと考えていますが? 貴方の言う「生命」が、「現に存する五蘊及びその活動」であるなら、大きく同意してますが、何か?w >>296
- 303 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:14:30 ID:4SH9dfgh]
- >>290
よーするに、お釈迦さんにも色々長所短所・個性はあるが、 バランスの取れた、社会に益する存在、世間から評価される存在であったことが、 【総合的に】見て取れるから評価してるんだよ。 上記の中にもあるようなマイナス要素に関しても、それを補正する在り様が45年の間にあるし、説かれている、 と見て取れるから評価してるんだよ。 盲信だあ?w ちゃんちゃらおかしいw 君の主張や考察なんぞより、遥かに綿密な研究・考察&自身の頷きの末の話だw >「釈迦」を「麻原」と変えても、全く同じ 麻原はその殆ど(長所や益する所)が皆無だから、寧ろ短所や有害性が顕著だから、 【素直に】仏典を読んだ者だけでなく、一般所識、一般道徳・倫理をわきまえる者にとっては「大違い」だと判る。 ちなみに、君が考える共通点を箇条書きしてみたら? で、【「君自身の姿」はどうなんだい?】 君こそ、麻原そっくりになってきてないか? 鏡見て確認してみたほうがいいぞw 自分に対する批判的研究はしたのかい?www 君こそ、自分自身すら見えていない盲目なんじゃないかね? つか、マジで返って来る言葉が減ってきたぞw 無視してる部分は、「同意」か「反論できない点」、 つまり的を射ていた、ということで良いのかな?www
- 304 名前:ご隠居妄想指摘w [2010/03/24(水) 22:15:19 ID:PP0EPYFl]
- たとえば、パソコンは電気で動くから、パソコンは電気の原理そのものなのか?
人間は生命で生存しているなら、人間は生命原理ならば。 隠居説の異常性。 ご隠居は妄想で、いつも、「生命の維持」の方向とか思考しながら仕事や生活しているんだろうなw 南方仏教でも大乗でも実用性次元で相手すれば簡単なんだけどねw
- 305 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:16:47 ID:4SH9dfgh]
- >>295
ほうw >批判すべきところは、的確に批判している では、≪その『竜樹が批判した点』を挙げ、それを《竜樹は》《どのように》批判したのか≫ 解り易く、一般人の、通常人の、現代人の言葉で説明していただけますか?w ついでに、貴方の考える『竜樹以前の』(=釈尊に連なる系譜の)教えの 欠点、及び矛盾点を箇条書き列挙していただけますか?w ほうw >釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、 >無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。 つまり、≪竜樹によって明確にされたが、その原型は釈尊にあった≫ ということをお認めになるので?w 竜樹の方が「言語中心」で、釈尊の説き方の方が「より世俗的(→実情・日常・現象界に即している)」 という考え方もありますが?w >>284で指摘する通り、やっぱり「原型無視」ですか?w 《貴方が依拠する「竜樹の発言」》も、翻訳の間違いだらけかもしれませんよ?www
- 306 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:19:37 ID:PP0EPYFl]
- >>303
具体的修道論次元で判り易く相手した方がいいぞ。
- 307 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:19:58 ID:4SH9dfgh]
- >>291
治まったら、また最初から始まるよ?w もし可能なら、外科手術しちまった方がいい場合もあるw って、それも無駄かもしれんけどね・・・。 あと、今の連投は、(お蔵入りにしようかとも思ったがw)、 精霊大王への牽制も兼ねてねw
- 308 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:22:45 ID:PP0EPYFl]
- ははは、妄念読解文献君も相手するだけ無駄とか書き込みながら、
実のところ隠居を煽っているからなあw 文献読んで難しい性格になるらしいぞw
- 309 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:26:18 ID:PP0EPYFl]
- 隠居へ相手が、正当な認識論でやるから無駄なんだわw
実用性の方向でやればもっと追い詰められるはずなのだが・・ 隠居生命教は脳の情報処理不要論だからね、 南方仏教ですら、脳の情報処理の心理作用を丁寧に分類しているはずだが・・ それを展開しないセンスが理解できないねw
- 310 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/24(水) 22:29:57 ID:Mpb1os1o]
- >>305
釈迦の誤りを、洗脳患者にいくら説いても、認められる訳がなかろう。 すぐに「原型は釈尊にあった」などと、釈迦の個人崇拝に寄りかかろうと するのが、洗脳患者の特徴である。 竜樹は、あくまで、釈迦の「空」の一言に「ヒント」を得ただけ。中論の思想は、 釈迦とは全くの別物。 竜樹を個人崇拝しているのではないから、翻訳にいくら誤りがあっても関係 ない。あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。
- 311 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:30:22 ID:PP0EPYFl]
- 正当な認識論でやらず、 実用性の方向で追い詰めれば、
隠居の逃げ言葉、宗教は♪ はできないさw 正当な認識論でやるから、 お前らは宗教を妄信して正当性を叫んでいるだけ、と言い逃れできる。 逃げ道を残すセンスが・・・・
- 312 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:31:19 ID:PP0EPYFl]
- ほらねw
正当性でやるから、 310の隠居の逃げ言葉で終わるw
- 313 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 22:44:37 ID:Ek5okofZ]
- >>300
二行目以下には触れようとしないのか。 セブンさんの、隠居がやってるのって宝珠スタイルと変りなくね? という指摘もスルーしてたし、正面切っての応答なんて正直期待してなかったが ここまで見事にやられると、ね。 >>310 >釈迦の誤りを、洗脳患者にいくら説いても、認められる訳がなかろう。 龍樹の主張をどこをさして「批判した」とするのか説明してよ、と言われてるだけだべ? どうせ無駄だし説明する気にはなれねー、と言うならスレを去ればいいんじゃないかな。 ここで啓蒙するため、とか言い出しそうだが、やるならせめて論者としてきちんと議論上の マナー・流儀は守ってくれよ、というのが住人の総意だと思うが? >竜樹を個人崇拝しているのではないから、 と >翻訳にいくら誤りがあっても関係ない。 の、どこがどうつながるのか、サッパリわからん……。 個人崇拝してない、は理由にならないよな?
- 314 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:49:03 ID:PP0EPYFl]
- ほら、もし大乗仏教となら、
戯論はやめた方がいいぞw 君の持っている仏教的実用的世界で対応した方がいい、 質問しても屁理屈回答で、かまってくれる喜びを隠居に餌やっているだけだぞ、 仏教の実用的視点でやらないと・・
- 315 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 22:51:14 ID:PP0EPYFl]
- ある意味、妄念読解文献君の「相手するな」の煽りの意見は妥当性あるぞw
仏教の実用的視点で相手できないならスルーすべきだね。
- 316 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 23:00:41 ID:4SH9dfgh]
- しつこいなw
>>315 【だったら】【てめぇが】【その方法で】やれよ。 俺は、端っからその方向をとるつもりないから。 指図される謂れはないし、 【てめぇが】【ROMってて】【もどかしく感じる】なら、【他人にやらせようとせず】【てめぇ自身で】やれw
- 317 名前:血祭り魔王 [2010/03/24(水) 23:08:16 ID:PP0EPYFl]
- 隠居と同じ荒しだぞw
>無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。 *「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。 尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。 とりあえずスレ主の意向を大事にしようw
- 318 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/24(水) 23:14:47 ID:4SH9dfgh]
- >>317
アホ丸出しだなwww てめぇのような「野次のみ」も同じだよw (俺は少なくとも、ROM者の参考や知識の一端になるような言葉(や内容)を同時に選んでるつもりだぜ?w) それに、このスレ何年続いてると思ってんだ? 「こういう継続の仕方」をしている「この手のスレ」で《スレ主》云々言い出すとは・・w 馬鹿ですか?
- 319 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 23:39:50 ID:kOlrgwh3]
- >>310
>あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。 ところが、龍樹はゴキブリ隠居を完全否定している⇒>>292>>293 答えてください。 >>295 >釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、 >無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。 ブッダ在世中においても、確認できるだけで少なくとも数百人にのぼる 阿羅漢がでていますが、なにか? これでも>無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。のですか? 初転法輪時のコンダンニャをはじめとする五比丘たちの悟りは無意味なのですか? テーラーガーターやテーリーガーターは無意味ですか? 答えてください。
- 320 名前:278 mailto:sage [2010/03/24(水) 23:50:49 ID:kOlrgwh3]
- >>314
>仏教の実用的視点 ブッダの本懐は直接的には明智に達することによる 苦しみの超克という『実用的視点』にある。 >>319で答えておいた。
- 321 名前:278 mailto:sage [2010/03/25(木) 00:03:42 ID:+GMcusSd]
- >>310 ゴキブリ隠居
>「究極の真理(勝義諦)」などと意味不明(>>276) 龍樹中論のいわば骨格部分を直覚できずにいるゴキブリ隠居が 龍樹を解ったつもりでいることそのものがマンガだよw m9(^Д^)プギャー !!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!! どアッフォ! はよ、答えさらせ!!
- 322 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 00:09:50 ID:rMDz+vlM]
- しばらくロム専に徹していたが、なんと言うか、流れは変わらんなあ。
「隠居の妄想に対して、」→「誤りの指摘」→「隠居理解できず」 の繰り返し。 俺は仏教も含めて、宗教全般に対しての批判も当然、あってよいものと 思うが、その批判が単なる隠居の妄想による錯覚であり、その指摘に対する 隠居の反論も、毎度おなじみの浅薄な思い込み論だけってのが、いかんと 思うのだが。 なんと言うか、もっとまともな仏教に対する批判者が登場してくれると 仏教の抱える問題点などが、浮き彫りとなり、仏教自信にとっても 有益な議論が展開できると思うのだが。(ここは質問箱だなんて突っ込みは するなよ)
- 323 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 00:17:46 ID:rMDz+vlM]
- >>299 >>302 >>303 のセブンのスタンスのまとめは、おもしろかった。
縁起一代は、絶対に賛同しないだろうけど。(笑)
- 324 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 03:21:42 ID:BQ+4FVul]
- >>323
セブン氏の仏典についての学識は大いに尊敬するが、彼の小乗仏教及び釈迦個人に対する思い入れは 特に深いように思われる。自分でも、大乗や中論については価値を認めないと言っている。 彼の師は、テーラーワダの信者または少なくともその研究者だったようだが、その師の影響が大きい のではないか。 中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。この相対性は、釈迦を 絶対的存在とする小乗仏教を初め、いかなる宗教の思想とも相容れない。その意味で、中論は、 宗教というより、むしろ、反宗教、すべての宗教を破壊する思想と言える。
- 325 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 04:12:48 ID:pJp7QXnR]
- >>322
>なんと言うか、もっとまともな仏教に対する批判者が登場してくれると >仏教の抱える問題点などが、浮き彫りとなり、仏教自信にとっても >有益な議論が展開できると思うのだが。(ここは質問箱だなんて突っ込みは >するなよ) 君が「宗教側の誤りや盲信」という言葉を口に出来ない事実が、君の盲信者としての正体 を暴露している。「まともな佛教に対する批判」「佛教の抱える問題点」もへちまもある まい。それをいくら指摘されても、受け入れて、改めることが出来るのかね。絶対に不可能 だろう。 宗教信者の、会ったこともない開祖に対する愛着と執着は、思想的というより、もやは生理的 である。開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない。 自分の肉親を批判された場合は、当然のことだが。やはり、精神医学の対象としての異常心理と いうほかはない。
- 326 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 04:23:40 ID:T+gurArb]
- >>325の訂正
×宗教側の誤りや盲信 ○宗教側の誤りや妄想
- 327 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 09:16:15 ID:IgzZrsqU]
- >君の盲信者としての正体を暴露している。「
>>299を見る限り、正当に評価しようとしているように見えるが。 ヒンドゥの影響を受けてる、弟子の方が柔軟だったかも、と書いていても盲信てどういうことよ。 それとも何だ?なんか事績をとりあげて下衆の勘繰りでもすりゃあよかったのか。 >。「まともな佛教に対する批判」「佛教の抱える問題点」もへちまもある >まい。それをいくら指摘されても、受け入れて、改めることが出来るのかね。絶対に不可能 >だろう。 無駄だと思うならこのスレから消えればいいだろ(>>313)。 >開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない。 イラついているのは隠居の行動パターンに対してだ。 相手の意見からとったりつけたりして歪曲・誇張し、そうした誤りを指摘されても 受け入れずに繰り返し、言い訳もする。 こんな人間が相手をイラつかせずにいられると思うか?
- 328 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 10:30:45 ID:IgzZrsqU]
- どうせ上半分だけに通り一遍な反応して、下半分の「お前に問題はないのか」という問いはスルーするんだろう。
心底、うんざりだ。
- 329 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 11:04:16 ID:hPi5UHE6]
- >>328
>心底、うんざりだ。 痒みは掻くほど痒いって
- 330 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 11:45:39 ID:rMDz+vlM]
- >>327
え〜と、俺は >>322 なんだが、>>299 のセブンとは別人。 そして、隠居が俺に対して >>325 で馬鹿いってるレスから引用してるが それは、セブンに対してではなく、俺に対してだと思う。 (隠居が俺をセブンと勘違いしてるのかも知れんが。) まあ、>>299 の内容は、ほぼ同意なので、どっちでもいいんだが。 それでは >>325 >君が「宗教側の誤りや盲信」という言葉を口に出来ない事実が、君の盲信者としての正体 を暴露している。 何をもってそう判断してるのかは知らんが、俺は今まで、散々、輪廻業法について仏教を 批判してきたのだがね。 >開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない 俺は仏教徒でもキリスト教徒でもないので、釈迦を批判されようがイエスを 批判されようが何とも思わないがな。 いいか?隠居。 俺はね、お前のように 『何でもかんでも、ひっくるめて全ての宗教を完全否定するような短絡思考 に与しないの。これは前にも言ったな? 宗教は全て撲滅対象であるなどと 言うトンでも見解には賛成しないだけ。』 お前のように『自己の判断が絶対であり、批判派認めない。』という姿勢こそ 精神病治療の対象だ、アホ。 お前はね『生命教』というカルト宗教の教祖になってしまい、その教祖である 自分自身を批判できないわけ。 わかるか? (自分自身を)妄信しちゃってるんだよ、お前は。
- 331 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 12:49:24 ID:+GMcusSd]
- >>324
>中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。 『存在』の語は仏教に相応しくない。 『相対性』 存在を素朴実在としての相対性は仏教に相応しくない。 結局、ゴキブリ隠居は素朴実在論、単純唯物論、断滅論で 龍樹を御都合主義歪曲しているに過ぎず、これが大乗仏教だとは ほんと、このスレのお笑いタレントだよなw m9(^Д^)プギャー !!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!! どアッフォ! はよ、答えさらせ!!
- 332 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 12:58:28 ID:+GMcusSd]
- >>324 ゴキブリ隠居
『ここにおいて、われわれは答えていう。 −汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、空そのもの、空を説く効用、および空の意義を知らない。 故に汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、このような無益な論争をするのである。』(中論24-7)
- 333 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 13:28:03 ID:pP7lObWO]
- >>330
私が>>325で宗教者について指摘したのと同じ反応だな。 開祖、教祖、教義、教典を絶対視し、人間(生命)を軽視・否定するすべての 宗教の間に、「原理的」には、どんな相違があるのか、分析・指摘できるか。 人間が、人間の生命に最大の価値を認めることにどんな問題がるのかについても 指摘されたし。 輪廻転生は、勿論、佛教におけるマイナス要素だが、それと同様の、いやそれ 以上のマイナス要素は、佛教にも、他のすべての宗教にも存在する。何故それら は批判できないのかね。 君は、自分の宗教を明らかにしていないが、一神教系のカルトだと推測する。 少なくとも、大乗仏教ではないはずだ。
- 334 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/25(木) 13:36:00 ID:D7ccuX2v]
- >>324
>中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。 相対性とは違う。 山下清画伯は、光景を一瞬見ただけで、瞬時に記憶として残るらしい。 (これは100人に1人とかの特殊能力のことだけど) 私は、こういう人間を見たことがある。 学校の受験合格発表において、瞬時(約2秒くらいか?)において 欠番を見事に見つけてしまったりする。 (つまり、モノゴトを点ではなく、面で捉える) これは先天的な能力なんだけど、 (現時点では、この能力は障害として考えられている) 中論の捉え方というのは、つまり面なんだよ。 これをもっと具体的にしたのが正法眼蔵であって、 際断してるけど、瞬時においては面が現出する。ってことなんだな。 つまり三時は一瞬においてある。ってことだよ。 (これはつまり相対ではない) アインシュタインは、点はなく全てが動態である。というのが相対性理論の原点になってる。 動態であるが故に時制が付帯してくる。というのが理論の発見に繋がる。 つまり、相対ってのは古いんだよw 今はそんな時代じゃない。
- 335 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 15:55:42 ID:Adnoo9WX]
- >>324
> 釈迦個人に対する思い入れは 過去仏が何人いようと、釈尊が「今の世に」「知らしめた」という点で始原・起点としない仏教はありませんが?w 敬意を払わない、帰依しない仏教はありませんが? (もしあれば、「それは仏教でない」ってだけだが・・w) > 大乗や中論については価値を認めないと言っている ハァ?(゚д゚)? 中論については、「自分の中でのランクが一位でない」ってだけで、大いに評価しとるぞw 大乗も、歴史的地域的側面に於いて、大いに評価できると思ってるぞw また、釈尊に繋がる「核(コア)」をきちんと継承してると思ってるぞw > 中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。 > この相対性は、釈迦を絶対的存在とする小乗仏教を初め、いかなる宗教の思想とも相容れない。 いやいやいやいやw (その表現の是非はともかくw)、中論は(龍樹は)「縁起」に於ける《釈尊の正統後継者》と言われてるんだが・・w > 彼の師は、テーラーワダの信者または少なくともその研究者だったようだが、 > その師の影響が大きいのではないか。 ttp://www.kagakuji.org/index.html りっぱな曹洞宗僧侶(日本大乗の徒)だよw *(私は単に授業を受けてただけだw) って、ページがだいぶ進化してるな・・。 (翻訳が)一段落着いた(?)んで、それを踏まえた上での具体的活動が本格化したって感じなのかな?
- 336 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 16:00:15 ID:Adnoo9WX]
- >>310
> すぐに「原型は釈尊にあった」などと、釈迦の個人崇拝に寄りかかろうとするのが いやいやw 吟味された上で、『現在の型(或いは《貴方が依拠する考え方・型》)は原型と同じですよ?』 と指摘されてるんでしょ。w 「個人崇拝」でなく「原型の把握」ですよ。【その上での】始祖への敬意でしょ?w 違うというなら、貴方によって違いが明確にされるべきかと思いますが? > 竜樹は、あくまで、釈迦の「空」の一言に「ヒント」を得ただけ。中論の思想は釈迦とは全くの別物。 いやいやいやw (多くの文例で以って)同じだと指摘されてるんでしょw 違うというなら、貴方によって違いが明確にされるべきかと思いますが? > 竜樹を個人崇拝しているのではないから、翻訳にいくら誤りがあっても関係ない。 いやいやいやいやw 【翻訳に誤りがあったなら】、【何によって】正誤が判断されてるんですか? 【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】ということは、 【勝手に読んでいる】、【翻訳文に依拠していない】、ということですよ? 勝手な妄想であることをお認めになるんですね?www > あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。 いやいやいやいやいやw 翻訳には誤りが多いと言ったのは貴方ですよ?w 貴方が依拠している部分は、誤った翻訳部分かもしれませんよ?w 【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】と言ったのは貴方ですよ?w この台詞は、【翻訳文に基づかない】ということと同義ですよ? どっちなんですか?w 翻訳に基づいてるんですか?基づいてないんですか?
- 337 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 16:13:15 ID:rMDz+vlM]
- >>333
>君は、自分の宗教を明らかにしていないが、一神教系のカルトだと推測する。 少なくとも、大乗仏教ではないはずだ。 お前は真正の馬鹿ですか? って、言うより記憶力というものがあるのか? 俺は今まで、輪廻スレ、アートマンスレ、そして、この質問箱でも、繰り返し 「無宗教者」だと言ってきたがな。だから、如何なる、開祖、教義、経典とも 関係なし。 おまえ自身が、ちょっと前に俺のこと「唯物論者」とか 言ってたのもう忘れたのか? 認知症かい? >人間が、人間の生命に最大の価値を認めることにどんな問題がるのかについても 指摘されたし。 誰も「生命が大切ではない」なんてことは言ってないの。 ただ、お前は「生命が大切」から、いきなり「宗教は撲滅すべき」と 論理を飛躍させるんだよ。 その偏見に満ちた独善主義が「カルト」と 変わらないと言ってることも、お前の知能では理解できないのだろう? いいか? 少なくとも、ここ日本では、大多数のものが積極的に特定の 宗教と関わりをもってはいない。しかし、だからといって「宗教は撲滅 するべきものだ」などと言ってるものもほとんどいない。(お前くらい だろう?) つまり、ほとんどの日本人は「自分は積極的に宗教と 関わりをもとうとは思わないが、それを完全否定して撲滅すべきとも 考えない。」 これがお前が言う「平均的大多数の見解」なんだよ。 お前だけが、その「平均的見解」から有意に偏移しているトンでもさんなの。 お前の言葉でいえば、「精神病治療対象者」なわけ。 わかった? はよ、病院行け。
- 338 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 16:29:38 ID:3W4FJv7+]
- 今更だけど、この流れスレチじゃね?
別スレ立てるなり移動するなりしたほうがいんでない?
- 339 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 16:48:23 ID:hPi5UHE6]
- >>338
そんな真っ当な誘導で生命教と机がいなくなるらなら、こんなことになってないってw
- 340 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 17:17:47 ID:FYIzitz8]
- 初詣に神社に参拝し家族の健康・平安をお願いしたが
2月に病気になり入院した。 考えれば当たり前のこと・気休めでしかないことが分かる。 しかし、年々この風習は安易に繰り返され問題にもされない
- 341 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 18:21:09 ID:SvkxPsm2]
- >>334
>相対性とは違う。 中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。 「面」というのは、「時間概念を排除した一瞬における現象の把握」という点で 理解できるが、すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、 「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。 >つまり、相対ってのは古いんだよw >今はそんな時代じゃない。 「相対」でなければ、「絶対」ということになりますね。その「絶対」は、 宗教などではなく、「全人類に共通する普遍」でなければならない。答えは 自ずから明らかでしょう。 >>335 >りっぱな曹洞宗僧侶(日本大乗の徒)だよw へぇー、片山先生は、曹洞宗の住職さんだったのですかw。それにしては、原始仏教や テラワダ関係の著書や訳書ばかりですね。やっぱりちょっとオカシイw。道元に関する 著書があれば教えてください。 それと、竜樹の「相互依存性・関係性」や、大乗起信論の「真如としての衆生心」の 概念は、釈迦の「名前」だけは借りていても、釈迦の思想の「原型」は止めない、 全く別の思想のように思えます。私が、「コペルニクス的転回」と称する所以です。 それとも、釈迦の「原型」には、前者の思想の萌芽がどこかに見出せますか。
- 342 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/25(木) 19:05:42 ID:D7ccuX2v]
- >>341
>中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて >います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。 面というのは、つまり対立しない。 簡単にいうと溶暗していることであって、これを仏教では「如」として代々伝えていた。 これを論理的には不可と思われていたが、龍樹の独特の論法において解き明かされることになる。 この「相対性(相待性)」というのが、つまり論理になる。 (これを世俗言語慣習における勝義諦の説明の意) つまり相対性というのは、あくまでも論理的解釈に過ぎんのですよ。 (これは間違いではないが、あくまでも仮説です) >すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、 >「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。 いやいや、相対ではなく一瞬にして過去の記憶が連結する。 (これがオバケだったり、妄想だったり、過去生だったり、輪廻転生に連結する) これを道元は「連続性」などと眼蔵には記してあって、 前後栽断するが、この連続性は現存する。 (これを縁起の現観とも言ったりする) この正体は「五蘊作用」です。 この世のあらゆるものは五蘊作用であります。 五蘊は「色」でありますが(現象ですから)、五蘊皆空であり、 これが色即是空の意です。
- 343 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/25(木) 19:21:37 ID:D7ccuX2v]
- >>341
>「相対」でなければ、「絶対」ということになりますね。その「絶対」は、 >宗教などではなく、 だから、対立しないなら「相対」も「絶対」もない。 対立しない。というのは対象とはならない。ってことですから。 >「全人類に共通する普遍」でなければならない。答えは >自ずから明らかでしょう。 この脈絡でいうと、「普遍」も論理矛盾になってしまう。 何が、何において普遍なのか? 対立しようがない。 中論・八不は、この論理における帰結でありますね。
- 344 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 19:42:47 ID:lugfgHBW]
- >>342
少なくとも、般若心経の「訳文」では、「色」と「空」とは同じ比重・等価 です。どちらが優先するとも言っていない(色不異空・空不異色)。「無」も また「無」です。 このあたりはどう解釈されますか。 私は、このことが、「唯一の実証的宗教」としてニーチェが絶賛する大乗仏教 の真髄だと思うのですが。 すべての人間が、その生命の証として有する「五蘊」を、「排除すべき異物」 としたら、それこそ二項対立的であり、「実証的宗教」などではなく、「妄想 的宗教」になってしまいます。
- 345 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 20:09:16 ID:0K8cdLCw]
- >>343
>この脈絡でいうと、「普遍」も論理矛盾になってしまう。 >何が、何において普遍なのか? >対立しようがない。 と考えているにも、師の「生物的生命」ですw。 私は、中論の思想は、むしろ「実在」の透徹した観察と洞察から得られた ものだと思いますよ。「頭の中」だけで得られたものではない。「去る」と いう現実的動作、「去らない」という現実的状態を踏まえた上での思考です。 「自己の観念」だけなら、それは「自己のもの」に過ぎないから、「空」でも なんでもありません。むしろ「空」の対極です。 「空」とは、つまり、一切考えないで、生命の指示のみに従い「行動せよ」 ということです。師が、座禅を終えて、無我の境でスポーツカーを乗り回して 居る状態が「空」なのですw。 ところで、師は、座禅の間は、何を考えているのですか。生きている限り、 何らかの思考は入るものですよね。例えば、姿勢を崩してはいけない、とか。 それとも、スポーツカーのことですかw。
- 346 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 21:12:34 ID:Adnoo9WX]
- >>341
行事案内のとこ開いたか?w 本を出せばいいってもんじゃない。 “りっぱな”という形容をしたのは、日々の行持を押さえているからだよ。 (これが、「曹洞宗僧侶としてありながら、【日本の寺としての行事・行持を軽んじて】、パーリ仏教を喧伝している」 ということならば、是非はともかく、大きな批判の声があっていいだろう。だが、違うのさw) 彼は、学生時代から続けていて、積み重ねがあって、自分にはその引き出しがあるから、 それを著しているだけだ。【他にそれをしている人がいないから】だ。 【それが、そのような縁をもった自分の仕事】だと考えるからだろう。 当然、道元についても一通り押さえてある筈だ。頷き、肯っているだろう。(折に触れ言及・引用も多い。) だが、道元研究・評は、それをしている人に任せればいい。世に、道元関係の本なぞ腐るほどあるw 【全員が本を出す必要はない】w 君は、学んだ事柄全てについて本を出せるのかい?w (他人を責める前に、君も生命について本を出したらどうだ?w) 去年の夏には「法華経(普門品)」の講義をしているようだぞwww >前者の思想の萌芽がどこかに見出せますか 検索しきれないほど、URLが貼り切れないほど、いろんな人により何度となく提示されてきたじゃないw (つか、【全てそうだ】と言っていい。そうでないものを探す方が難しいw) 君はそれに対し、 ≪【原型は病理】という一言で切って捨てるか、中論(竜樹)の文言を【異なって解釈】して≫きたんじゃないw だから、解釈でない、形、文言の上での違いを示してください、と言っている。 違う違うと言うばかりで、【何が違うのか】【(具体的文言として)どう違うのか】については沈黙のまま。 できないんでしょ?w で、質問返しですかw 屑ですな・・w 正直に認めたらどうですか?「私が間違ってました」と。「龍樹は釈尊の系譜でした」、とwww しかし、相変わらずアホ丸出しだなw >>344 冗談は>>336に反応してからにしてくださいなwwwww
- 347 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 21:24:28 ID:u1zmT/h3]
- >>345
>「空」とは、つまり、一切考えないで、生命の指示のみに従い「行動せよ」 ということです。 すご〜い!!さすがご隠居氏!! ヽ(^。^)ノ
- 348 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 21:27:18 ID:hPi5UHE6]
- >>347
こいつが他人なら、ほんと理解不可能(O_O)
- 349 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/25(木) 21:45:47 ID:Adnoo9WX]
- もしこれが昆布なら、
《「褒め殺し」として御隠居をネタにしながら(≒暗にからかいながら)、主目的としての仏教側への煽り》 という構図になるんだがな・・w 彼は、こういう“捻った遊び方”が好きだったからw
- 350 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/25(木) 22:05:58 ID:hPi5UHE6]
- >>349
子供ばっかだなw
- 351 名前:神も仏も名無しさん [2010/03/26(金) 03:40:17 ID:zZir24Au]
- >>320
>ブッダの本懐は直接的には明智に達することによる >苦しみの超克という『実用的視点』にある。 釈迦の言う「苦」とは、彼の鬱病の症状としての実存苦であり、彼の無明に 起因する。健常者であれば、苦は人生に付き物であることを悟っているから、 それを生の一部として受け入れ、他者への想いや学問・芸術などによって昇華 し、むしろ社会への貢献の原動力とする。 小乗仏教は、健常者に苦の観念を植え付けることにより、入信の手段とする。 これは、キリスト教の罪概念の植え付けによる布教と同じく、極めて悪質な 宗教勧誘手段である。この点で、小乗仏教は、キリスト教との高い類似性と 親和性を有する超カルトである。苦は、意識すればするほど深まる。これが 小乗仏教の狙いなのである。 オウムも、この苦の観念の植え付けが原因となって発生した。 大乗仏教では、苦は、もはやあまり問題にはしていない。
- 352 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [2010/03/26(金) 10:24:52 ID:pbLLAtda]
- >>344
>少なくとも、般若心経の「訳文」では、「色」と「空」とは同じ比重・等価 >です。どちらが優先するとも言っていない 色と空については、いろんなアプローチが可です。 【色】 論理というのは、それを成立させる為の前程となる基準というものを、 相互にコンセンサスとしてあるから成り立つものであって、 これは生得的にあるものではない。ってのを先ず了承してもらわなければならない。 基準というのは、あるものと、あるものを、対立させる(相対性)から成り立つ。 【空】 カラスがカァ〜と鳴いて、それをキャッチした人間は、 カラス対人間という、論理の前程が成り立つけど、 果たしてそうなのか? 輪廻転生を学習して、それを真に受けた人間が、 輪廻転生対人間という、論理の前程が成り立つけど、 果たしてそうなのか? いんや、そうじゃない。そもそもこの論理前程がオカシイんじゃないの? ってのが空です。 で、そもそも何処がオカシイのか? これがいわゆる「気づき」というもんですね。
- 353 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2010/03/26(金) 10:33:42 ID:7r2Nx/HJ]
- >>351 ゴキブリ隠居
*貪欲(欲、むさぼり)と瞋恚(憎しみ)と愚痴(愚かな迷い)は<思い>から生ずる、と説かれている。 なぜなら、それらは浄と不浄と顚倒(誤解)に縁起するからである。(中論23-1) *(およそ)浄と不浄と顚倒(誤解)に縁起するそれらのもの(貪瞋痴、欲憎迷)は、 それ自体(自性)としては存在しない。 それ故に、もろもろの煩悩は、真実からすれば、存在しない。(同23-2) *苦に依存しないでは不苦は存在しない。 (しかも)それ(不苦)に縁って苦(がある、)とわれわれは説く。 故に、苦そのものも存在しない。(同23-10改) *不苦に縁らないでは苦は存在しない。 (しかも)それ(苦)に縁って不苦(がある、)とわれわれは説く。 故に、不苦そのものも存在しない。(同23-11改) 苦集滅道⇒無苦集滅道 苦を滅するには苦と一体となって、苦そのものを生きるしかない。 さすれば苦は不苦となる。 自受用三昧。
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