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【イスラム哲学】井筒俊彦を読む



1 名前:考える名無しさん [2017/05/24(水) 21:31:52.49 0.net]
井筒俊彦(1914-1993)スレ

635 名前:考える名無しさん [2019/03/19(火) 22:33:34.90 0.net]
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない

軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない

そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる

それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな

現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ

636 名前:考える名無しさん [2019/03/20(水) 00:13:11.80 0.net]
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。

637 名前:考える名無しさん [2019/03/20(水) 00:16:18.13 0.net]
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。

638 名前:考える名無しさん [2019/03/20(水) 08:22:32.79 0.net]
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う

問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること

読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって

639 名前:考える名無しさん [2019/03/20(水) 13:39:12.94 0.net]
>>638
接合部とか抽象的で分かりにくいな。
もっとも君がよくわかってないんだろうが!

640 名前:考える名無しさん [2019/03/20(水) 15:41:43.97 0.net]
>>639
昔のことで手元にないからすまんな

641 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/03/21(木) 22:41:56.69 0.net]
怖い怖いwww

642 名前:考える名無しさん [2019/04/01(月) 17:58:37.97 0.net]
井筒の本が次々と岩波文庫で出てるけど、どんな感じのことが書いてあるの?

643 名前:考える名無しさん [2019/04/01(月) 18:39:14.61 0.net]
井筒俊彦の「意味の深みへ」、アマゾンランキング1600位とかなり売れてるじゃん。

「コスモスとアンチコスモス」も四月に岩波文庫で出るらしいね。



644 名前:考える名無しさん [2019/04/02(火) 02:03:24.46 0.net]
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf

“親愛なる井筒教授。

 私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
 問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)

 なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)

 けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
 おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
 そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”

※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった

645 名前:考える名無しさん [2019/04/02(火) 02:03:54.67 0.net]
“井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
 ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)

 アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
 イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。

 イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
 「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。

 その「神」は一なる神――一神教すべての根幹となる唯一無二の神――を可能にする「無」の神、
 より正確には、「無」にして無限の神であった。”

― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』

646 名前:オーバーテクナナシー mailto:age [2019/04/03(水) 03:53:01.15 0.net]
☆イスラムは科学を滅ぼす?・未来予測
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1345329336/

647 名前:考える名無しさん [2019/04/06(土) 20:41:39.70 0.net]
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。

648 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/04/07(日) 02:07:51.30 0.net]
若松英輔の妄想世界ビジネス炸裂

649 名前:考える名無しさん [2019/04/07(日) 10:47:38.56 0.net]
>>648
若松英輔の場合山崎弁栄の作った光明会上首で東大教授だった河波昌の影響が強い。

650 名前:考える名無しさん [2019/04/10(水) 00:08:44.05 0.net]
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。

一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。

フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。

651 名前:考える名無しさん [2019/04/19(金) 17:51:07.46 0.net]
井筒俊彦の「神秘哲学」、一行目がすごいというから読んでみたが、確かにすごいなあ。
640ページもあるから、後まわしにするかもしれないけど、
絶対に読むぜえ。

652 名前:考える名無しさん [2019/04/19(金) 17:59:42.68 0.net]
井筒俊彦「神秘哲学」は、一行目からこんなんだぜ。超面白そう。

山深きアジアの蛮神ディオニソスの狂乱が、
あたかも何者の権能を以てしても阻止しがたき悪疫の伝播するごとく、
村から村へ、都市から都市へ飛び火して、すなわちのうちに全ヘラスの美しき天地を
血腥き霊気に充たして行ったのは、人も知る如く西暦紀元前六世紀のことであった。

653 名前:考える名無しさん [2019/05/09(木) 16:20:12.76 0.net]
井筒俊彦「神秘哲学」を読み始めたぜ。

井筒俊彦の短い記事が後半にまとまっているみたいで、楽しみだ。



654 名前:考える名無しさん [2019/05/10(金) 15:46:07.51 0.net]
井筒俊彦「神秘哲学」96ページ

すごいいいわあ。
井筒俊彦がいうには、哲学者は生きて帰って来るものだと。
生きて帰ってこなければならないと。
井筒俊彦は、宇宙の究極的救済を目標とするのが神秘主義であり、
哲学者はその目標に気づくまで探索して、その後、さらに生きて帰って来なければならないという。

655 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/05/10(金) 16:19:13.51 0.net]
>>566
国家レベルで派遣したなら可能だろ

656 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/05/10(金) 16:24:24.26 0.net]
>>582
イスラエルを呪うよう要請された預言者バラム
ヨブ記のヨブはウツのアラム人かエドム人

657 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/05/10(金) 17:32:38.15 0.net]
>>615
哲学者の意図はガザーリー説じゃなくてイブン・スィーナー説な
イブン・スィーナーが仕えたアラッダウラへの知識の書をアラビア語に抄訳翻訳したもの

658 名前:考える名無しさん [2019/05/12(日) 12:29:34.87 0.net]
  19、神秘主義に寄せて

 中江兆民の著作に「三酔人経論問答」という本がある。明治の哲学書で広く読まれたものである。
 それは、古代中世の征服者を良しとする豪傑君と、啓蒙の思想家である紳士君の意見の対立を扱った哲学書である。
 紳士君がいくらギリシャ哲学を根拠に理想主義を唱えても、そんなものは、豪傑君の暴力主義に殴り倒されてしまうと書かれている。
 紳士君と豪傑君の思想には、それぞれ、現実を反映したものがあり、
両者の良いところを抽出する現実主義によって政治は動くとして終わる。
 これは、百年前の明治の思想であり、現代だとさらにちがうと思われる。
 しかし、紳士君の理想主義とはどんなものなのか。それは、
井筒俊彦の「神秘哲学」という書にある記述が最も典型であると思われる。
理想主義者の井筒俊彦は1949年の書で何をいったか、それは以下のようなことである。
 哲学者は、生きて帰って来なければならない。
 井筒俊彦によると、神秘主義とは、宇宙の究極的救済を目的とするものである。
哲学者は、哲学の散策の中でそれを発見して、さらに、生きて帰って来なければならない。
 哲学の神秘主義とは、それが宇宙の究極的救済を目指すことを発見することである。
 井筒俊彦はいう。「人が神に成り、神であること」が神秘主義であるが、神に成るとは、力強い力を得ることではなく、
人間の身に許された限り、宇宙を救済することである。
世界を救済する理想によって神に似ることが、神秘主義哲学である。
 これが、暴力主義に対しての、理想主義である。

659 名前:考える名無しさん [2019/05/12(日) 12:29:57.55 0.net]
 暴力主義で最強を目指すという哲学者もいるかもしれない。
 机上の空論と呼ばれても、理想主義を追求する哲学者もいるかもしれない。
 しかし、ぼくは、哲学者すべてが宇宙的救済を目的とすることには、不安を感じる。
哲学の目的は、もっと多様であるべきだ。そして、志だけを高く掲げるのではなく、
目的の実現のために策を練らなければならない。
 ぼくは、暴力主義でも、理想主義でもない、第三の道、現実主義を訴えたい。
 科学によって、事実の確認をくり返して積み重ねる現実主義こそ、現代における哲学だと思う。
 哲学を読んで感動したというだけではダメなのだ。あくまでも、物質的な実利を得るために作戦を練らねばならない。
 明治の哲学者である大西祝はいった。「天地の間のすべてを物質的に解釈すべきである」と。
 理想主義も良い。だが、物質的な探究の積み重ねが、暴力主義の豪傑君にも、理想主義の紳士君にも、おそらくは勝つであろう。

660 名前:考える名無しさん [2019/05/12(日) 18:59:51.06 0.net]
>>659
なんかズレてるな!

661 名前:考える名無しさん [2019/05/12(日) 19:10:08.12 0.net]
>>659
中江兆民の時代は日本が欧米に植民地化される危機が生々しく実感としてあった帝国主義全盛期。
だから兆民の答えは時宜を得たものだった。
世界の文明で最も現実主義的だったのは中国。
その功利主義的で現実主義的な態度は現代にも受け継がれる。
西洋に中国が負けたのは西洋には1+1=2に何故なるのかという問いに一生を棒にふった人間がいたのに現実主義的な中国にはそれがいなかった為。
井筒俊彦の仕事は敢えて例えるならその1+1=2に何故なるのかという仕事で別に百年や二百年現実応用出来なくても良い類いの仕事に相当する。

662 名前:考える名無しさん [2019/05/21(火) 17:27:02.32 0.net]
「みんな、救ってみせる。誰一人、見捨てやしないさ」
というのは、ストルガツキー兄弟の1972年出版の「ストーカー」のセリフだが、

同じようなことを、1949年の井筒俊彦が「神秘哲学」で述べているなあと思った。

663 名前:考える名無しさん [2019/07/01(月) 18:25:11.96 0.net]
引用しかない糞雑魚



664 名前:考える名無しさん [2019/07/02(火) 00:00:43.99 0.net]
>>652
序文を読むとこれが単なる文学的修飾でなく、バリバリ体験派の人の実際的感覚だということがわかる。
それも、神秘体験の内でも禅とか密教とかのソフィスティケートされたものだけでなく、
シャーマンのトランスや火山性ガスの吸引によるアポロンの神託など原始的で荒々しい神秘体験も哲学に必須の基盤として高く評価している。
現代ならジョン・リリーやスタニスラフ・グロフ らのLSDなど薬物によるサイケデリック神秘体験研究も高く評価したかもしれない。

665 名前:考える名無しさん [2019/07/02(火) 20:25:01.88 0.net]
「東洋哲学の構造」読んでる。
これはある意味「意識と本質」の入門書かも知れない。
重なる部分が非常に多い。

666 名前: mailto:sage [2019/07/02(火) 21:23:32.83 0.net]
スーフィズムとマーフィーズム

667 名前:考える名無しさん [2019/07/16(火) 20:30:32.57 0.net]
こいつがすごいんじゃなくて、イスラムの哲学者や詩人がすごいだけでは?

668 名前:阿吽 [2019/07/27(土) 13:10:53.98 0.net]
『意識と本質』を読んでいるが、著者はイスラムは勿論、プラトン、釈迦からシャンカラ、竜樹を経由して
サルトル、メルロポンティまで論じられる鋭い知性に裏打ちされた該博な教養の持主ですね。
ある意味では非常に「日本的な」知性と言える。なのに、余り日本では評価が高くない気もしますね。
一般的には岩波文庫の『コーラン』の訳者程度の認識だが、東洋古典と西洋古典哲学のどちらにも親しみを持ち得る、日本の読書人層には究極の「まとめサイト」みたいな本だよな。

669 名前:考える名無しさん [2019/08/13(火) 01:16:38.24 0.net]
ようは唯識最強!って感じだけど
理理無礙だけはよくわからん

670 名前:107 mailto:sage [2019/08/13(火) 20:33:21.83 0.net]
こいつは正剛のパワーアップ版だろ

何でもかんでも結びつけているだけ

671 名前:考える名無しさん [2019/08/14(水) 22:19:21.16 0.net]
>>670
具体的に整合性の取れない何でもかんでも結びつけて矛盾が生じてる部分はどこ?

672 名前:107 mailto:sage [2019/08/15(木) 08:12:16.69 0.net]
矛盾というか浅い
甘い
哲学的にどうでもいいからデリダとか持ち上げられる
馬鹿にしているから
井筒の評価の高さはそれが全て

673 名前:考える名無しさん [2019/08/15(木) 12:43:05.20 0.net]
>>672
じゃあ誰の哲学が深い?



674 名前:考える名無しさん [2019/08/16(金) 00:24:56.56 0.net]
中沢新一「創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』」

中沢は、井筒のやってきたことが西欧哲学の脱構築にあたるとしながら、
その井筒哲学を更に脱構築しようとするのが中沢という構図。

675 名前:考える名無しさん [2019/08/16(金) 00:26:11.39 0.net]
>>121
> ・アフリカ(的段階)

『言語と呪術』がこれに該当するか。

676 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/08/16(金) 19:54:11.30 0.net]
>>667
そう
その人たちが超凄いから紹介した人も凄いといわれる段階にいられる

677 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/08/16(金) 20:06:12.63 0.net]
>>671
イブン・アラビーの
アハド−アハディーヤ−ワーヒディーヤ

を老荘の
無極−太極

に安易に当てはめてるように思えるな
無極と太極の関係についても儒教内で色々あるのに全く違う文化圏のイブン・アラビーを持ち出して当てはめるのは無理がある

678 名前:考える名無しさん [2019/08/19(月) 20:24:54.92 0.net]
周敦頤の「無極而太極」については陸象山の解釈と朱子の解釈しか知らないが他に色々あるのか?
中国哲学の主流になった朱子の解釈に井筒俊彦はよっているはず。
ノーベル物理学賞受賞者の量子力学者ハイゼンベルグが自分の思想と同じだと感動してハイゼンベルグ家の家紋に採用した太極図も多分朱子解釈のものじゃなかった?

679 名前:学術 [2019/08/19(月) 20:27:15.35 0.net]
家具なんか健常型じゃないの欲しいよなあ。インテリアも。

680 名前:学術 [2019/08/19(月) 20:27:57.28 0.net]
無敗オーラの床。家の庭園大事さ。

681 名前:学術 [2019/08/19(月) 20:28:41.36 0.net]
過程が長いから中退はしなかったがな。奇形児で。

682 名前:学術 [2019/08/19(月) 20:29:17.72 0.net]
無でも無の文字に何かたまってない?表彰から立体文字。

683 名前:狂神学術 [2019/08/19(月) 20:30:30.14 0.net]
無でも無の文字に何かたまってない?表象から立体文字。無も酷使したり現実逃避の方便にはよくない。



684 名前:学術 [2019/08/19(月) 20:31:15.68 0.net]
サッカートータルフットボールなんて昔すぎ。

685 名前:考える名無しさん [2019/09/17(火) 10:57:22.83 0.net]
おはよう

686 名前:考える名無しさん [2019/09/25(水) 14:30:26.10 0.net]
ハーマンと井筒俊彦は共通したものがあったと記憶してるがマルクス ガブリエルとは共通するものがあるのだろうか?

687 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/09/25(水) 17:53:16.52 0.net]
サッカーのゲームの作り方と建築設計は似ていると思うよ

688 名前:考える名無しさん [2019/09/26(木) 21:52:32.65 0.net]
 
          .| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
 失 や 精   |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
 せ る 神  |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
 ろ か 安  |,. '"    /      `ヽ、::::::::::〉
    ら 定  | / /  i ハ ヽ 、   ヽ::/
.      剤  ノ/  /.ゝ!、ハ i  ! ,!ィ! ハ  !ハ
ヽ       i ハ   ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! /   i
 `''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ     ト__,.リ レ'  /
     ほ  〈ヽ、  ! "        "/! rイ
   学 れ  ヽ. ヽ.ヽ、   r─ 、  ,.イノ ノ
   術       〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
          ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
        __ rイ、__、___   iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
      と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
      ,. '", θ:..`ヽ、!,イ .   十::::::::::!、_r:、_rン
     /./7 ,.  .  !ン `   - ''^:::::::-イ、   ヽ.
     `´ / /7 ハ !ヘ       十::::::::iィ´   ノ
 

689 名前:考える名無しさん [2019/09/28(土) 00:48:01.09 0.net]
井筒についても触れられている

マルクス・ガブリエル『グローバル哲学?』
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18668.pdf
西洋哲学、東洋哲学、英語圏の分析哲学、グローバル哲学

690 名前:考える名無しさん [2019/09/28(土) 00:49:52.99 0.net]
>>686
それぞれに「場」を扱っているとか。

ガブリエルは「意味の場の存在論」、
井筒は「禅的意識のフィールド構造」。

井筒のは、「無心」の境地に立った人が開示する禅的意識の記号過程。
意識と存在リアリティのフィールド構造。

読むことができるのは以下。

・「禅的意識のフィールド構造」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
・『禅仏教の哲学に向けて』 (2014)

691 名前:考える名無しさん [2019/09/28(土) 00:51:55.10 0.net]
“フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された
 話ないしパロールの基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。
 というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからだ。

 実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、
 そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。”

― 井筒俊彦 『禅仏教の哲学に向けて』 (2014) 3章

692 名前:考える名無しさん [2019/09/28(土) 00:54:12.74 0.net]
『Towards a Philosophy of Zen Buddhism』(1977)
は英語でも美文だった。

ロラン・バルトやデリダと同じ用語を用い、言語哲学として語られる
ポスト構造主義的禅哲学。

禅哲学としても、最も先鋭的な本。

693 名前:考える名無しさん [2019/09/28(土) 01:04:54.60 0.net]
>>691
“普通の言語学では意味というものを、
 辞書に載っているような、社会的慣習としてシステム化されている次元、
 つまりコトバの表層にのみ限って見て行こうとするし、またその方が容易なのである。
 これに対して、先生は、人間のコトバというものは本質上、そのような表層だけでなく、
 その奥に底知れない深層をもっていること、そしてまさに意味に関してこそ、
 この深層の領域を問題にすべきであることを主張された。”

― 牧野信也 「師としての井筒俊彦先生」 『井筒俊彦著作集4 意味の構造』



694 名前:考える名無しさん [2019/10/03(木) 12:14:22.10 0.net]
アラーのなすことは全て正しい。アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

695 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/03(木) 21:04:07.80 0.net]
アッラーallahな
アラーalaじゃ全然意味が違う
俄かかな

696 名前:考える名無しさん [2019/10/04(金) 17:14:01.96 0.net]
預言者ムハンマド「カーバ神殿を手に入れようか?手に入れるまいか?」

イエス・キリストの霊「カーバ神殿は、誰のものですか?」

預言者ムハンマド「先の預言者イーサー、カーバ神殿はアラーのものです。」

イエス・キリストの霊「アラーのものは、アラーに返しなさい。」

697 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 18:08:50.32 0.net]
意識と本質にアル・ガザーリとイブン・ルシュドを論じたところがある
ガザーリは事物以上の本質は認めない
ルシュドの方は事物以上の本質があるとする
これは世界は無始なのか神による創造なのか、アリストテレスに依拠する哲学と神による創造を肯定する哲学批判者の争いだが
同時に全ては物か、物以上の本質を認めるかの思想対決がある
意識と本質

意識にとって本質は存在するのか否か
個々の存在感、経験を越えた「本質」超越は存在するのか

である存在本質存在本質
がある存在事実存在実存

それは三人称客観の本質とはちがう一人称主観のこの世界の事実性を認めるか認めないかの問題

698 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 19:42:29.92 0.net]
本質存在とか実存とか言ってもおどろおどろしいものじゃない
あなたは人間である
これは内的規定
さらに動物である
理性的存在である
日本人である

内的規定、本質存在をしきつめればあなたになるか
ハイデガーは存在者をつきつめても存在という事実性につきあたらない、存在論的差異と大騒ぎしたのは有名

三人称客観と主観の事実性はおなじか

ガザーリとルシュドの対立も本質を認めるルシュドらと神以外認めないガザーリの本質に関する対立がある

699 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 19:50:23.25 0.net]
井筒俊彦の立場は三人称と一人称の対立を越えましょう
カザーリやルシュドみたいなイスラム哲学の対立の底を主客未分、言語によるソシュール的な分節化の前に立とう
イスラム哲学を禅仏教で止揚する

700 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 19:57:31.85 0.net]
三人称と一人称は違うのか

あなたはある料理を知ることができる
その材料、そのレシピ、調理法を知ることができる
客観的に
その料理を食べる
その味、クオリアを食べたことのない人間に説明できるか

三人称客観では説明できない一人称主観の領域は実在する

701 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 20:01:37.24 0.net]
統合失調症の文章って長いだけで本当に内容ないんだな

702 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 20:30:00.20 0.net]
いや、主著の意識と本質の「本質」とは何か
何が問題なのか噛み砕いて説明しているんだが
これでピンとこないならあんた見込みないよ

703 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 20:40:33.04 0.net]
三人称客観で全てが理解できるなら何も問題はないだろ
物を集めて線形に理解が成立するか否か
そうじゃないから哲学は対立が生ずる
ルシュドとガザーリ
哲学における根本的な対立があるから井筒もそれを取り上げる
で解決のパターンは三人称で全て解決派閥
一人称絶対派閥
井筒は三人称と一人称の対立を止揚する派閥
禅仏教持ち出し主客未分に立つのもそういうこと
井筒解釈としてはごく普通の当たり前
ここまで噛み砕かないから何か勿体づけたわけのわからない解釈かはびこる

井筒解釈としては捻りも糞もない構造的にどうやってもこうなる必然



704 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:01:49.97 0.net]
噛み砕いて説明w
能力もないくせに説明も糞もないだろ

705 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:14:52.94 0.net]
>>704
ガザーリとルシュドの違いも
本質存在と事実存在
物理主義とクオリアの問題もわからないの?
馬鹿なの?死ぬの?

706 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:19:20.21 0.net]
ちゃんと哲学者の自己矛盾やクオリアに関する論争くらいは理解してからこいよ
井筒はそういうものを踏まえて、あるいは予測して書いてんだから
それがわからないなら井筒は理解できないし、ここに書いた当たり前の事も意味不明だよな
要するに馬鹿は死ね

707 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:20:33.13 0.net]
704みたいな馬鹿には説明も何も無意味だよな
馬鹿は死ね

708 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:21:11.42 0.net]
自分は分かってるつもりだけのタイプだな
それが通じなければ罵倒

709 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:23:10.71 0.net]
>馬鹿は死ね

自分の言うこと受け入れな死んで欲しい幼稚園児レベルだな

710 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:45:43.94 0.net]
いやさ、食について三人称でレシピやなんか知っても味は説明できないよね
あんだすたん?

711 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:48:53.21 0.net]
>>710
それが馬鹿は死ねとか言うのとどういう関係があるの?

712 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:54:23.13 0.net]
>>710
君がイラついて馬鹿は死ねと願望を述べることと客観的三人称と同列だと思ってるんw

713 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 21:55:13.97 0.net]
三人称で説明できること記述できることとクオリアにはギャップがある
世界は本質、内的規定で、であるとして説明できることと
一人称として「がある」で説明できることはギャップがある

同じことをカントは観念上の貨幣は内的規定は同じだ
しかし、観念上の貨幣は使えない
事実存在と本質存在は違うと説明した

しかし、この説明は問題があって貨幣は実体的である必要はない
紙幣でも通帳上でも電子通貨でも信用あればいいし、実体的価値はいらない



714 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 22:00:06.98 0.net]
ルシュドは三人称の本質、内的規定が在るとした
ガザーリはない、全ての物と物は関係ないとした
神が関係づけるから物は意味がある
一人称でしか神とは関係ない
ルシュドは認めない
世界の事実の裏には必ず本質が内的規定がある

これがイスラム哲学の本質問題

715 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 22:04:52.52 0.net]
で、三人称と一人称の対立の前
ソシュールの分節化の前がある
ここでソシュールや禅が要請される

イスラムの翻訳者が仏教やソシュールらデリダを持ち出す理由

三人称と一人称
クオリアとかの基本がわからないと何故禅や脱構築が井筒に出てくるかわかるわけがない

716 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/04(金) 22:26:13.44 0.net]
井筒がなんでガザーリ持ち出してんのか
イスラム哲学論じてんのか考えたことないの?

ただなんとなく格好良いから?

717 名前:考える名無しさん [2019/10/05(土) 13:05:13.04 0.net]
何が正しいか、どうすればよいのか、それがわからなかった。今はわかる。全て正しく、どうしても正しいということが。

アラーは偉大なり!

718 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/05(土) 19:02:17.60 0.net]
ガザーリの偶然性の哲学とアヴェロイエスの因果律の実在性
井筒によればイスラムの原子論は、普遍的「本質」の実在性を認めるかどうかでこれは井筒は言ってないが
「である」内在規定の三人称だけで行くか「がある」現実存在をそれに還元できない存在論的差異を認めるかどうかに帰着する

因果律の実在を認めると神の絶対性が疎外される
因果の中では因果が絶対で神の介入は許さず神は絶対ではない
イスラムの原子論者はこう考えた
井筒「全存在界は互いに鋭い断絶によって分離された無数の個体の一大集積として表象される」

個体、無数のばらばらな個体や経験に、その個々を越えて繋がる関係が本質があるのか

本質があるのか

哲学の根本問題

719 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/05(土) 19:24:39.97 0.net]
ルシュドは、ガザーリに対抗した
ガザーリの因果律否定は本質批判であり理性的動物の人間の非人間化に他ならないと井筒はルシュドの見解をまとめる

アリストテレスは世界には始まりはない
・ガザーリには神による創造を否定し許しがたい
・ルシュドは無からの創造は認めない
創造は潜性態にある有が現勢態にある有になること
可能性が現実になることでしかない
本質が存在する

本質論者にすれば現実は本質が現実化したものでしかない

720 名前:考える名無しさん [2019/10/05(土) 20:25:25.00 0.net]
人間の諸行為は、アラーに対して為されるものである。

アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

721 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/05(土) 20:35:54.41 0.net]
馬鹿しかいないスレになっちゃったな

722 名前:考える名無しさん [2019/10/05(土) 22:06:35.11 0.net]
我らの上に平安あれ。神のご加護を!

アッラー・アクバル!神は偉大なり。

723 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/05(土) 23:57:55.56 0.net]
では、絶対的一神教でない仏教、就中、不立文字の禅ではどうなるのか
道元の正法眼蔵を解説して言う
物を認識するとは何か
今、意識に山水が映る
しかし、それは山水なのか
網膜に映る光の像は山なのか、山として同一性を持つのか

ガザーリの言うとおり物には因果はない
ばらばらで、本質がないなら山が山であり水が水である根拠はどこにもない

今、眼前にする山水は経験的世界で見る山水とは同じであって同じでない。眼前の山水は一定の存在的位置を占めて全体を露見する働きを示す
眼前の山水は山と川に分節されていながら山であること川であることから超出して「本質」に束縛されずに自由自在に働いている

仏教には、事物の背後の神はいない
では山が山であることはどこから来るか
それは意識が、仮構するものだ
意識が、仮構しなければ分節は存在しない
「一」性に返る



724 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/06(日) 07:45:26.46 0.net]
で、難しく考えることない

存在は事象内容で、説明できる述語ではない

人間が何であるか
動物である
言葉を話せる
理性的動物である

こういった事象内容で存在者は説明できるが、存在、可能性が現実になること、「存在」することは説明できない
存在者と存在することは違う
ハイデガー=カントの存在論的差異

そして、それは三人称の客観だけで存在者だけで現実を説明しつくせるという立場と、いや、そうじゃないという論争に行き着く
ガザーリとルシュドの論争もそうだし、仏教や普遍論争もクオリアに関する論争もそれに行き着く

725 名前:考える名無しさん [2019/10/06(日) 14:13:15.79 0.net]
>>724
あなたの論理だと井筒俊彦と心の哲学が何かつながりそうだが不勉強でそこらが良く分からない。

もう少しそこらを論じてくれませんか?

726 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/06(日) 18:33:14.19 0.net]
猫は猫であって、その物ずばりで理解できる
そういう素朴実在論は哲学的には論外で相手にする必要はない
ある瞬間の網膜に映る光の映像としての「猫」が、次の瞬間の「猫」と同一である根拠はないから
太陽かもしれない、水たまりかも、車かもしれない
猫でなければならない本質とは何かで答えに窮する

三人称客観実在論でアリストテレス式に万人にとって、共通の理解の得られる本質はあるんだと天下り式に絶対万人に妥当する本質は実在すると説くか
そういう物を拒否して一人称のその人その人にしか真理はないとするか
一人称真理は万人には妥当しないは良さそうだが、真理は本質は存在しないで(少なくとも私と他者に共通な真理は存在しない)ニヒリズム、相対主義は避けられない

三人称客観の全体主義か一人称本質否定のアナーキズムニヒリズムになるか
この二つに帰着する

727 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/06(日) 18:37:32.66 0.net]
井筒俊彦自体は三人称も一人称も拒否して言語分節以前の立場を守ろうとした
その立場では本質が個人的なものか三人称客観的なものかの争いは生じない

728 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/06(日) 20:38:47.48 0.net]
ある時点の猫、それも意識に上った映像
テセウスの舟じゃないが毛が抜けて別な物質組成になった物の何が同一で何が同一じゃないか
素朴実在論や経験論ではどれが本質として同じ物にくくれるか、他ではないのか、
猫→猫
猫→水たまり
どちらも原子の構成が違う点は変わらない
どれを優先するか根拠はどこにあるか

可能性→現実性
質料因→形相因
作用因→目的因

物を越えた本質を前提にすれば悩まないが逆に言うとそういう誰にとっても妥当する三人称客観が個人や経験を越えて存在しない限り成立しない

アリストテレスやルシュドは三人称万人に妥当する客観性があって目的論に従う
と本質を前提に客観的真理を押し付ける

それを拒否すれば、ばらばらな原子的個人の相対性、ニヒリズムに陥る
ガザーリの原子論とかクオリアにはその問題がつきまとう

729 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/10/06(日) 21:00:24.07 0.net]
ガザーリはニヒリストではなく、すべてを神に委ねよの神秘主義者だが、実存主義でも神を前提にするキェルケゴールや無神論の実存主義があるようなもの
クオリアが大騒ぎになるのも、三人称客観の本質を押し付けるのか、一人称主観のバラバラニヒリズムかと互いに譲れないから
事物の底に本質を認めるか主観=意識の相対性に留まるか

だから井筒俊彦の著作は意識と本質

730 名前:考える名無しさん [2019/10/08(火) 04:53:07.18 0.net]
イランの女子陸上の放送
tps://video.twimg.com/ext_tw_video/1179118252108271623/pu/vid/956x714/wliRorr3y0d7sfu0.mp4

731 名前:考える名無しさん [2019/10/21(月) 22:58:50.48 0.net]
>>729
チャーマーズみたいな井筒俊彦論だな。

732 名前:考える名無しさん [2019/11/02(土) 13:21:28.91 0.net]
意識と本質は難解すぎて挫折したけど、神秘哲学は結構読みやすいな

733 名前:考える名無しさん [2019/11/08(金) 22:05:14 ID:0.net]
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

2019年11月8日(金) 午後11時00分(50分)
2019年11月11日(月) 午後7時00分(50分)



734 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/11/16(土) 15:06:35 ID:0.net]
BS1スペシャルを観て井筒俊彦先生に感銘を受けました。

初心者が井筒俊彦先生の思想を学ぶには、どの書籍からがいいでしょうか?

上に『神秘哲学』『意識と本質』『コーランを読む』などの書名があがっていますが、迷っています。

735 名前:考える名無しさん [2019/11/17(日) 02:10:36.58 0.net]
井筒の著書はどれも専門性が高いので、
>>4>>410のような解説本やオムニバスから入ると、読みやすくて自分に合ったものが見つけやすいと思う。

その他、イスラム初心者の人には『イスラーム文化―その根底にあるもの』。

736 名前:考える名無しさん [2019/11/17(日) 07:55:47 ID:0.net]
>>733
NHKオンデマンド/BS1スペシャル
「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019102918SC000/?capid=nte001

言語学者、哲学者、思想家として世界に名を響かせた井筒俊彦(1914〜1993)。
子供のころ父から禅を学び、その後イスラム哲学に傾倒したが、西洋とイスラム世界の衝突を目の当たりにし、その解決の糸口として東洋哲学を確立した。
「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒の思想は、不寛容と憎悪が増す今、再び注目を集めている。イラン出身の女優サヘル・ローズが、井筒ゆかりの土地や人を訪ね、独自の世界観を体感する。

737 名前:考える名無しさん [2019/11/17(日) 07:57:09 ID:0.net]
(1)マンデルブロ集合
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%90%88&ei=UTF-8&fr=mozff

(2)ペルシャ絨毯
https://cdnw.elicdn.com/Blog/wp-content/uploads/2018/01/1-3.jpg
https://image.rakuten.co.jp/jahan/cabinet/05669065/imgrc0071618757.jpg
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https://static.minne.com/productimages/75877254/large/ebc57f8fbee60cc0e748132ea77906f248535c9c.jpeg?1563720202
https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/131128_perucia-tabriz-e1547182722156.jpg
https://www.speed-kaitori.jp/wp-content/uploads/persian3.png
https://image.rakuten.co.jp/marukura/cabinet/items_int_carpet_mat/persian/062093_016_01.jpg
https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/An_Iranian_Persian_carpet_exhibition-e1547520203278.jpg

738 名前:考える名無しさん [2019/11/17(日) 07:58:32 ID:0.net]
“アッラーは天と地の光り。
 この光りをものの譬えで説こうなら、まず御堂の壁龕(へきがん)に置いた燈明(とうみょう)か。
 燈明は玻璃(はり)に包まれ、玻璃はきらめく星とまごうばかり。

 その火を点すはいとも目出度い橄欖樹(かんらんじゅ)で、
 これは東国の産でもなく、西国の産でもなく(つまり、この世のものならぬ聖樹ということ)、
 その油は火に触れずとも自らにして燃え出さんばかり。

 (火をつければ)光りの上に光りを加えて照りまさる。
 アッラーは御心のままに人々をその光りのところまで導き給う。”

― コーラン 「24 光り」 35


壁龕=西洋建築で、彫像などを置くため壁面に設けられたくぼみ
燈明=神仏に供える灯火
玻璃=ガラス
橄欖樹=オリーブ

739 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/11/17(日) 14:01:46 ID:0.net]
井筒訳コーランを読み始めました

740 名前:考える名無しさん [2019/11/17(日) 16:50:58.88 0.net]
>>739
井筒信者のオレだけど井筒のコーランはオレは読みにくいと思う。

いろんな訳があるけどコーランは中公の世界の名著版が初心者には理解しやすいと思う。
確認してないが中公クラシックスで出てるんじゃないかな?

741 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/11/18(月) 16:20:23.04 0.net]
ムスリムのあいだで翻訳されたものはコーランとは認められない!

742 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/11/18(月) 17:01:11 ID:0.net]
>>741
じゃあ、誰が翻訳したらいいの?

743 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/11/23(土) 06:30:18 ID:0.net]
習近平「ウイグル人に情け容赦は無用」、中国政府の内部リークで新事実明らかに 米報道

イスラム教徒のウイグル人にとっては、この世は地獄だろう。
毎日のように、家族が殺され、妻や娘はレイプされる。

将来、日本が中国に侵略されたら、同じような弾圧を受ける。
https://www.afpbb.com/articles/-/3255199



744 名前:考える名無しさん [2019/12/18(水) 14:29:04.65 0.net]
「スーフィズムと老荘思想」読んでる。
待望した井筒俊彦の英文主著だ。
第一部のイブン・アラビー読んでるが難解だ。

745 名前:考える名無しさん [2019/12/21(土) 02:45:53.89 0.net]
井筒の「英文著作翻訳コレクション>>3」も一通り読むと、
井筒哲学の理解がガラッと変わってくる。
日本語では開陳してこなかった決定的な考察が多い。

特に重要なのは『スーフィズムと老荘思想』。
『意識と本質』から入って『スーフィズムと老荘思想』へと抜け出るように読む。

>>645に関する話もこの本。

746 名前:考える名無しさん [2019/12/21(土) 10:20:58.00 0.net]
>>745若松英輔が井筒俊彦が山崎弁栄と出会ってたら井筒はイスラムに行かなかったろうと評価した山崎弁栄は「超在一神的汎在神教」を唱えたが井筒の内在する神と共通するものがあるのだろうか?

747 名前:考える名無しさん [2019/12/21(土) 10:26:41.81 0.net]
全てうまくいく。なぜなら、それが神(アッラー)の御心であるからだ。インシャッラー(神の御心のままに)。

748 名前:考える名無しさん [2019/12/21(土) 15:24:41.66 0.net]
これまで通りこれからも全てうまくいく。インシャッラー(神の御心のままに)

749 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/21(土) 15:44:08.61 0.net]
中国共産党によるウイグル族(イスラム教徒)への宗教弾圧や大量殺戮も、アッラーの御心なのかな?

750 名前:考える名無しさん [2019/12/22(日) 21:43:11.61 0.net]
「インシャッラー(神の御心のままに)」に近いのはメイヤスーの「偶然性」の哲学

751 名前:考える名無しさん [2019/12/22(日) 21:44:30.71 0.net]
その心は原子論的非理由律

752 名前:考える名無しさん [2019/12/29(日) 12:21:43.81 0.net]
過去に全き帰依者(ムスリム)であったとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
未来に全き帰依者になるとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。

753 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/30(月) 15:59:08 ID:0.net]
禅の不立文字
ヘーゲルは今ここは絶対的な事実と見えて貧しい物に過ぎないと言った
林の中で今、目の前にある木の知覚、これこそ、この感性的確信こそが真実、真理に見えるがちょっと右を向けば別な木が絶対的なこのものになってしまう
夜中に今は夜だと感覚的確信をどんなに強固に得たとしてもその確信をノートに書き付ける、「今は夜である」と
しかし、時間が立ち昼間みたらそれは間抜けだ

イブン・ルシュドは世界は永遠で始まりも終わりもないし、その個々の物や自然法則は永遠だとして、アリストテレスを支持した
ガザーリは世界は神の創造物であり時間的始まり(天地創造)も終わり(最後の審判)もある
神も立ち入れない絶対的な法則はない
全てはバラバラで原子論的にある
因果法則はヒュームのいう通りにない
神の創造によって神が意味付けたもの以外には

それ以外には真理も絶対的な法則もない
これがガザーリも棹さしたイスラムスーフィズム



754 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/30(月) 17:23:21 ID:0.net]
仏教では禅定を重んじる、戒定慧が根本
戒は心や体や生活を乱す物を慎重に排除する、禅寺での厳しい修行とかイメージすればわかる
残りは心を定め知恵、般若で解脱する
大乗佛教では止観と言う、心を定め(止)周りを観察し(観)解脱する、上座部佛教では同じことをサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と言う
サマタを訳したものが止でありヴィパッサナーを訳したものが観であり、合わせて止観、同じこと
ミャンマーの上座部の偉いお坊さんがいて、上座部の中でも、世界的にも評価されているそのお坊さんが若い頃に修行した
師匠について本格的な座禅を勉強する、その人は頭の良い人でいろいろ仏教の教義を勉強し高いレベルで理解できる人だった、また、小説を書くことが好きだった、本も沢山持っていた
師匠は言った、今まで知ってたことは全て忘れなさい、本は修行場に持ち込むのは許しません、修行場の外に置いておき、期間中は持ち込んだり読んだりすることのないように、ただ座りなさい
悩みができたら相談に乗ります、何でも話なさい、修行法や心の不安などや人生の悩みでも何でも、本を読んだり研究するのは修行が終わった後にいくらでもできます、この修行場で修行している間は全て忘れなさい、ただ座りなさい
座り始めると様々な雑念が頭に入ってくる、頭からわいてくる、次々と想念が渦巻く、小説を構想する
人間は心を落ち着かせる定めるとかなかなかできない
いろいろな雑念から逃れられないが心はだんだん、そういうものに惑わされること自体が馬鹿らしくなる
修行を続ける、座り続けると徐々に落ち着いていく
呼吸を観ている、吸ってる息、吐いている息、それは誰が行っているのか
最初は私や何らかの体がやっているかに見える
また、この息自体が同じものだと、しかし、どの吸う息、吐く息も同じではない、違うが続いている
私もいない
全宇宙が繋がっていて、それが呼吸させていて、そこには意志や主観は必要ない
世界は繋がって分節されず分節する必要がなくただそこにある、これが気付き(念)である
サティと言われ、大乗では念と言われるが、世界の相互関連、相互作用に気づくことだね
固定した客観的な物は存在しない
それを認識する分節化する主体も主観も存在しない

755 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/30(月) 17:43:32 ID:0.net]
気づきはマインドフルネスと訳され大騒ぎになっているものだ
釈迦はあまり気付きの気もちよさに神秘主義に取り込まれるな、三昧に囚われるな、縁起の法を分析せよと言ったがまずは、世界の未分化な相互作用相互移入連続性に気づかないと
ヴィパッサナーだけでいいか、サマタが必要か論争はあったりするが
「どうでもよい」
また、細かくマニュアル化されている上座部か、大乗かとか論争あるが
「どうでもよい」
中身はどうでもよく、捨てないといけない、マニュアルが邪魔になる

ヘーゲルの弁証法も気づいた後の関係主義的縁起の法だ
仏教、実在論否定、無我論
ヘーゲル、唯物論否定、カント式主観主義哲学否定
両者とも三人称否定、一人称否定、関係主義的な共同主観論
唯物論ではなく視点から見た認識が全てだが個人的な囚われた我を否定する
細かい主観や物はいらない、囚われるな、間違っている、分節できない現実が根底にあり、主観主義や客観主義、一人称や三人称は間違いだ

井筒の「スーフィズムと老荘思想」はじめ言っていること
ルシュド=アリストテレスの三人称客観実在論の否定
一人称主観主義、バラバラの原子論のアナーキズム、ニヒリズム否定

禅の不立文字
老荘の万物斉同
仏教の念、サティ
イスラム、スーフィズムは同じ地点だ
以上、井筒思想の概観にして全てな

756 名前:考える名無しさん [2019/12/31(火) 00:39:54 ID:0.net]
筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」

中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
    どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
    イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
    やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」

― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987)

757 名前:考える名無しさん [2019/12/31(火) 00:40:34 ID:0.net]
「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。

samten.seesaa.net/article/434150824.html
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」

『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。

758 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/31(火) 04:20:57.95 0.net]
イスラム教も瞑想修行をして解脱をする教えなのですか?

759 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/31(火) 07:06:59.89 0.net]
法華経無内容論というのがある
法華経はこのお経は凄いとコマーシャルは凄いが、何がどう凄いか中身はないと言うのだ、教理が無いと言うのだ
宣伝文、効能書きでどんや効能があるか、それはずらずら書いてあるが肝心の薬が入っていない
ミャンマーの高僧の修行時代と同じ、只管打坐、ただ座れを全ての合言葉にした日本の僧侶に道元がいる
道元は若い頃に宋に渡った
その時の有名な話が二つある
・留学先の年取った坊さんが暑い日に必死に食材の準備の為に汗をだらだら流しながら働いている
そんな仕事はもうあなたほどの人はやらないでいいではないですか、教理問答や勉強してた方がいいではないですか
これが修行だ
せめて今日みたいな日は若い僧侶に任して休んでたらいいではないですか
彼は私ではない
・日本が還る前後に別の老僧が見送りに来てくれた、今日はこのまま、泊まっていったらいいのではないですか、かわりの人はいるでしよう
いや、それは私の仕事であり私の修行だ
それを私以外がやっても意味はない

その道元が最後にひたすら帰依し唱え辞世に残したのは法華経

760 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/31(火) 07:32:52 ID:0.net]
道元が宋に渡った時に師匠に質問して、その問答を書き起こした 道元宝慶記
問答の一つに人は仏性があって救われるはずたが、なら修行したり戒を守る必要はないのではないということになるがそれはおかしいのではないか
プラトンの知者のパラドックスを彷彿させる
知らない人間は知るべきことや知る方法がわからないなら知ることが、できない
知っている人間は既に知っているからわざわざ苦労して知る必要はない
禅の有名な公案に犬には仏性があるか問われて無!と答えたというものがある
犬にしろ、人間にしろ、仏性があるからと安易に思って修行しなければ救われない

しかし、安易にそう答えたら
・儒教や道教は間違っていますが正しいこともあります、仏教はそれを取り込むべきでしょうか、取り込まないべきでしょうか
・普通の仏教と禅宗、どちらが正しいのか、どっちも正しいのなら何故禅宗の修行するのかいらないのではないな
普通の仏教が正しくないなら排斥しないといけないのではないか
・臨済禅はじめ師匠が弟子を殴り恫喝するがそれは正しいのか正しくないのか
宝慶記に書かれている問答の一部だが果てしない問題に巻き込まれる

761 名前:考える名無しさん mailto:sage [2019/12/31(火) 07:45:24 ID:0.net]
法華経には確かに中身はない
般若経典や、華厳経みたいな空に関する教理や、諸法実相に関する説明がない
哲学がない、哲学を放棄している
仏の妙なる境地は説明ができないと説明している、説明を放棄している
これが法華経

だからいい
気づける
言葉や煩瑣な教理はいらない
邪魔になる
仏の境地は言葉では説明できないということを説明できている
体感できる
だからこそ道元は法華経に深く帰依した

気づいてしまえば何でもないが気づかなければどうしようもないし、それに気づかせることもできない
道元のパラドックスも知者のパラドックスもこういう説明できないという説明しかない

井筒俊彦の言語分節化以前の境地もそういうことだ
祖師達磨は、何故中国にインドから来たのか
答えられるかバカヤロー
それが禅の答えであり、説明できないものは説明する必要はないというのが正しい説明だ

762 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/01(水) 21:26:09.69 0.net]
言語分節化が三人称、一人称の分割を促し、客観主義と主観主義を生み、それぞれの要素還元主義を作り出す
物から直線的に単純に答えが出る物理主義
閉じた主観から一元的に答えが出る観念論
しかし、一つの実験からも様々の理論解釈が成立し、閉じた主観の独我論は他者の理解で困難が生ずる
ヘーゲルや仏教は唯物論及び私の実在論を否定する
井筒の出発点も仏教や老荘、イスラム神秘主義には、実在論を否定し言語分節化を越える
終着点もそこ

763 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/01(水) 22:07:57.37 0.net]
日常的には我々は物が固定的に実在したり、私が強固に実在すると考える
しかし、仏教にしろ神秘主義にしろ、修行すればはじめはそれらに拘束された日常の意識だが、
それを抜け出せる、それらがどうでも良くなる瞬間、物の分節が、私の存在が消える、
主客の分裂が消える神秘体験があるし、それなしにはそれらの思想は意味をなさない

井筒思想はそれに還元される



764 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/02(木) 11:20:40 ID:0.net]
イスラム教も仏教みたいな瞑想や座禅を行うの?

765 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:08:32.47 0.net]
>>758>>764
解脱ではないが、よく比較されるのが>>463>>338の「アナ・ル・ハック」。

身体的な瞑想として有名なのは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊。
https://www.youtube.com/watch?v=v5XlOHCFjEY&feature=youtu.be&t=1080
宇宙の運行を表す回転によって、神との一体化(神の中への消滅)を図るという。

その他にはズィクルという唱念や観想もあって、
ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧のこと。

766 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:09:19.67 0.net]
>>765
このメヴレヴィー教団を開基したのが、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。
イブン・アラビーと並ぶイスラム神秘主義(スーフィズム)の重要人物。

『ルーミー語録』は井筒が手掛けているが、
ペルシア語のコーランとも呼ばれる『精神的マスナヴィー』は断片的にしか翻訳されていない。

767 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:09:49.26 0.net]
> ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる

768 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:11:17.32 0.net]
レファレンス協同データベース
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀の詩人)の詩集が見たい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000076694

769 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:13:24.45 0.net]
ルーミーは、こういう「1/fゆらぎ」CDまで買って聴いた。

朗読CD【ただひとつの息吹】より「沈黙の満月」
https://www.youtube.com/watch?v=N7_T1geb8v0

770 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:14:12.00 0.net]
>>769の説明にある映画『アースピルグリム』の監督・主演がエハン・デラヴィ>>327なのか。
狭い世界だ。

771 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:14:45.17 0.net]
隣人みなスーフィー

772 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:17:14.89 0.net]
『精神的マスナヴィー』の英訳はR・A・ニコルソン>>463

The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 1, 3, 5, Persian Text (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 2, 4, 6, English Translation (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 7 and 8, Commentary 2 vol set

Jalalu'ddin Rumi (Author); Reynold A. Nicholson (Author)
Published by : Gibb Memorial Trust

773 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:18:07.13 0.net]
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.151299



774 名前:考える名無しさん [2020/01/02(木) 16:20:04 ID:0.net]
英語で読むか

775 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/02(木) 21:37:05.24 0.net]
コーランはアラビア語しか認められてないぞ、ハゲ

776 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/02(木) 22:33:38 ID:0.net]
>>765
>>766
ありがとうございます。
イスラム教にも似たようなものがあるということは、イスラム教のゴールも仏教のゴール(涅槃して転生しないこと)と同じなのでしょうか?

777 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/01/02(木) 22:35:16 ID:0.net]
キリスト教は、仏教の梵天などの最高位の神を父なる神と同じような気がしてます。

778 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:52:01 ID:0.net]
>>776
> 神を信じる。預言者を信じる。来世を信じる。イスラムの教えは、基本的にこの三つです。
>
> 神とはアラー。預言者とはムハンマドという神のメッセージを伝えた人。
> そして来世は、イスラム信仰の根幹をなすものです。
> イスラム教には仏教的な信仰と違い、輪廻はありません。
> 一回限りの生を生き、死ぬと最後の審判の日に復活して生き返り、
> 来世である天国か地獄に行くのです。来世は永遠に続きます。

779 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:55:07 ID:0.net]
>>777
セム系一神教の神は外在的。
インドを中心とした東洋の神(スピノザの汎神論も)は内在的。

780 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:57:11 ID:0.net]
整理するとこうなる。

[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論)
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )

対称性/非対称性というのは中沢の対称性人類学。
その他は、以下の井上の論文を読んでもらうといい。
このスレではよく西洋と東洋を行き来するから。

781 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:58:04 ID:0.net]
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』

井上克人 (2009)

I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」

井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。

ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。

782 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:58:22 ID:0.net]
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。

783 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 02:58:41 ID:0.net]
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想

さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。

ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在−神−論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在−神−論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。

heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf



784 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 03:01:19 ID:0.net]
>>765のズィクルを中心にみると、
正教のヘシュカズム>>355とイスラムと真言密教>>360が比較できる。

785 名前:考える名無しさん [2020/01/04(土) 03:56:42 ID:0.net]
>>778
イスラムでもドゥルーズ派やアラウィ派には輪廻がある。

786 名前:学術 [2020/01/04(土) 18:33:11 ID:0.net]
客観は世界の方で、主観は先祖の方だ。過去に汚染される危険思考。

787 名前:学術 [2020/01/04(土) 18:36:26 ID:0.net]
両方とも過去で人間を汚す。

788 名前:学術 [2020/01/04(土) 18:36:57 ID:0.net]
主観が未来 客観が過去に属さないといけない。

789 名前:考える名無しさん [2020/01/07(火) 23:26:15 ID:0.net]
“ホメイニーが当時のソビエト連邦の書記長ゴルバチョフに、イスラーム世界を理解するためには、
 イブン・アラビーやイブン・スィーナーの思想を理解することが重要だという旨の書簡を送ったという一事に端的に現れている。
 ホメイニーの中では、その革命とイブン・アラビーの思想は通底するものがあったのである。
 彼らにおいては、イブン・アラビーの思想と、社会変革実践活動は深く結びついていたと考えなければならない。”

― 『イブン・アラビー学派文献目録』 「序論」 東長靖、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター (2010)

790 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 01:27:26.09 0.net]
映画『シャルギー(東洋人)』が観れなかった人には、この本がある程度代わりになる。
著者は、映画の中で井筒の紹介の中心的役割を担っていたイラン人研究者。


“以前、私はテヘラン国際ブックフェアに行き、テヘラン大学出版社の展示室にあった諸々の本を見ていた。
 いきなり、ハーメネイー師がブックフェアにいらっしゃり、視察していることに気付いた。
 ハーメネイー師がテヘラン大学出版社の展示室に至った時、
 井筒が書き、テヘラン大学出版社によって出版された『ザブザワーリーのヒクマ(叡智)の基礎』を彼は見た。
 そして、彼は私に、なぜ井筒氏はイランに戻らないのかと尋ねた。(メヘディー・モハッゲグとの対談より)” 8章

“井筒とナスルは日本と東アジア研究所の設立のために、2,000冊から3,000冊の本を日本から購入し、哲学アカデミーの図書館へと納入させた。” 11章

― 『井筒俊彦の比較哲学:神的なものと社会的なものの争い』 バフマン・ザキプール、知泉書館 (2019)

791 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 01:27:59.78 0.net]
>>790
ハーメネイー師はホメイニー師の後を継いだ現イランの最高指導者。

このナスルという人物は、マギル大学で一緒だった井筒をイラン王立哲学アカデミーへ誘った。
更に、哲学アカデミーでは井筒に東洋思想をやることを勧め、その結果の一つが『老子道徳経』の英訳。

792 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 01:28:40.68 0.net]
S.H.ナスル 『イスラームの哲学者たち』 黒田寿郎、柏木英彦 訳、岩波書店 (1975)

これも良書。

793 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 01:29:42.89 0.net]
“井筒の東洋哲学は哲学の中心を欧州からアジアへ移すのに貢献するでしょう” ロバート・ウィスノスキー (カナダ イスラム学者)

“我々イラン人は日本人以上に井筒を高く評価しています” バフマン・ザキプール (イラン 哲学者)

“井筒の東洋哲学は、根底でいろんな宗教のおおもとのところで鳴り響いている和音みたいなものを取り出そうとした。
 その響きには、構造、論理、論理を超えた何かがある。
 世界中に分かれてお互いに対立し合う宗教も、おおもとまでたどっていくとあらゆる宗教が行き来できる。
 イスラム教も仏教もいろんな宗教が自由に行き来できる領域を探ろうとした。” 中沢新一

― BS1スペシャル 「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 20191108



794 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 01:31:01.87 0.net]
>>793
『シャルギー(東洋人)』の中では、井筒がムスリムでないことにも言及されていた。
その一歩引いた視点からの考察が、イスラム世界でも高い評価を得ているとのこと。
そのことを踏まえた上で、このザキプールの評はパンチがある。

井筒が何をやったのかという説明としては、この中沢の評が一番的確。

795 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 03:23:26.21 0.net]
『シャルギー(東洋人)』はイラン制作の2時間10分の映画だから、半分ぐらい寝るだろうと思っていたが、とんでもない。

100名以上の知識人によって、井筒の生涯と思想のディテール、イラン人から見た大東亜共栄圏の検証、昨今の国際政治の状況までもが、
神学と言語意味論(セマンティクス)と分析哲学を織り交ぜて語られる。

井筒のテクストと同じぐらい高度で緻密な内容を、毎秒字幕で読まされるわけだから、
メモを取る暇もないどころか、まばたきもしないようにして観なければならなかった。

796 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 03:26:34.41 0.net]
井筒自身は政治を語らない人だったが、出演していた日本人研究者の一人は、
「井筒が政治について言及していてくれていたら、後の人はもっと楽になった」ということを言っていた。

それはそうだろう。哲学の世界で、前人未到の領域へ到達した人だから。

797 名前:考える名無しさん [2020/01/08(水) 05:49:48.26 0.net]
>前人未到の領域へ到達した人
理解できる前人未到=超人
理解できない前人未到=キチガイ
だが超人は、キチガイを自分より遥か上の存在と見ている、おまえらが無能なだけ。

798 名前:考える名無しさん [2020/01/09(木) 01:37:34 ID:0.net]
>>797
日本語でおk

799 名前:考える名無しさん [2020/01/09(木) 02:05:53 ID:0.net]
イブン・アラビー(1165-1240)はムウタズィラ派やアシュアリー派といった思弁神学を批判し、神の名で呼ばれる以前の絶対無分節的無と、そこからの神の自己顕現(タッジャーリ)を策定した。

「思弁は諸存在物と結びついている」ため、その関係を断ち切り、思弁の垢から心を浄めるべく、タッジャーリを観照する場として「心」の機能を重視した。

参考:
相樂悠太 「理性と「理性の限界の向こう」:『マッカ開扉』にみるイブン・アラビーによる他説との知的対話」 『宗教研究 第93巻 396』 日本宗教学会(2019.12)

800 名前:考える名無しさん [2020/01/09(木) 02:07:08 ID:0.net]
カントの理性批判とメイヤスーの切断論を合わせたようなことをやっている

801 名前:考える名無しさん [2020/01/24(金) 15:34:52 ID:0.net]
幸運の恩恵を受けた者が、幸運の恩恵を受けられなかった者をどうバカにすることができよう。

アラー・アクバル!(神は偉大なり)

802 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:02:03 ID:0.net]
「老子」各種翻訳

・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文

803 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:02:19 ID:0.net]
「荘子」各種翻訳

・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文

・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3

・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文

・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文

・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文



804 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:03:34 ID:0.net]
老荘的な語法は、絶対無、分節化/無分節化論、存在の解体構築論など、
井筒哲学の骨格ともいうべき大きなウェイトを占めているので、早めにやっておくのがいい。

805 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:04:10 ID:0.net]
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。


“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”

― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

806 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:04:30 ID:0.net]
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)


“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

807 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:05:17 ID:0.net]
「無無無」が定立される箇所。


“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”
“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)


荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。

解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)

808 名前:考える名無しさん [2020/01/29(水) 02:59:02 ID:0.net]
>>173などは特に老荘的な表現。


・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。

809 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 01:51:09 ID:0.net]
>>173
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。

810 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 06:02:22 ID:0.net]
かす(微/幽)かで分かりにくい違いを見事に捌いて見せるからこそ玄人なのでわ?

811 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 06:39:29 ID:0.net]
603 :考える名無しさん:2016/01/24(日) 09:45:22.05 0
>>594
構造主義に関連して日本では、一時、ソスュールの「言語には差異しかない」
という発言を引用することが流行ったが、これはとても誤解を招きやすい表現
であり、記号論を理解する妨げにもなっていると思う。記号論としてより妥当
な表現をするなら、「弁別作用の働かない言葉は、物事を区別するのに役立た
ない」というべきだろう。そして、物事を区別するのに役立たない言葉は、
使われなくなるか、「役に立たないことが有用である」限りで使われるのである。
したがって、言葉は、弁別作用を獲得すること/失うことによって絶えず変化しているのである。その変化しつづける弁別作用を、やはり変化しつづけている自らの言葉を用いながら捉えることが、解釈の営みであり、記号論のプロセスなのである。

812 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 08:36:45.74 0.net]
>>808は幽玄の玄

813 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 08:44:05 ID:0.net]
能の翁=神

金春禅竹『明宿集』における翁論(翁wikiより)

> 抑翁ノ妙体 根源ヲ尋ネタテマツレバ 天地開闢ノ初メヨリ出現シマシマシテ [中略] 垂跡ヲ知レバ 歴々分明ニマシマス
>
> (そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたものだということがわかる。 [中略] こういう神としての示現(垂迹)を知れば、ますますいろいろなことがわかってくる。)



814 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 08:45:02 ID:0.net]
>>806
>次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。

畛 ピンインzhěn ((文語文[昔の書き言葉])) (田の)畔道.

これを同じ発音の表現と比べて見るとすぐに分かるが、
「畛 ピンインzhěn」が表しているのは、「目が詰まっていること」
だから、境界として高く盛られた土が固められている様子を表して
いるのだろう。

缜(稹)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) 細かい,緻密である.
鬒(黰)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) (頭髪が)濃くて黒い.

815 名前:考える名無しさん [2020/02/07(金) 08:53:24 ID:0.net]
さらに、この発音は、「真実」の「真」にも近い
真 ピンインzhēn

すると、「真実」の「真」は、「中実である」こと、すなわち、
「中身が詰まっている」ことを表していたのだろうと推測できる。

816 名前:考える名無しさん [2020/02/13(木) 17:13:06 ID:0.net]
>>808
老荘に限らず中国思想だろうな
玄は「黒」「闇」などの意味を持つ
五行思想では「水」行が五方では「北」、五色では「黒」または「玄」となる
北方を守護する神を玄武という

817 名前:考える名無しさん [2020/02/13(木) 18:05:10 ID:0.net]
「北(きた)」は、日本語では、「きたな(穢/汚)し」の「きた」でもある。
この場合、「〜なし」が表現しているのは、程度の甚だしさであり、
「きた」は、英語で表現するなら"darkness"を表している。

818 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 00:53:30 ID:0.net]
>>814-817
お子様ランチのハンバーグではなく、つけあわせのコーンとパセリの批評かな?

819 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 01:00:50 ID:0.net]
「ぼくが知ってる漢字の話」?

820 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 09:08:23 ID:0.net]
>>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
https://cjjc.weblio.jp/content/qì

821 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 09:15:39 ID:0.net]
「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。

822 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 09:17:49 ID:0.net]
ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。

823 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/14(金) 16:55:33 ID:0.net]
https://cjjc.weblio.jp/content/?漆漆的
?漆漆
状態詞

日本語訳真っ暗
対訳の関係部分同義関係
?漆漆の概念の説明
日本語での説明 真っ暗[マックラ]
まったく暗く,何も見えないこと



824 名前:考える名無しさん [2020/02/14(金) 21:49:53 ID:0.net]
>>820-822
邪魔だから語源板でやってこい

825 名前:考える名無しさん [2020/02/18(火) 16:10:56 ID:0.net]
>>820で言っているキの音は「団音」、
>>821で言っている漆の字はシツの音で語頭は「尖音」、tsiツィのような音
中国語で両者の区別がなくなりどちらもqiチになったのは新しく、
ここ数百年の変化だ(尖団の合流と言う)
古代においては別の音として区別されていたので、qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ

826 名前:考える名無しさん [2020/02/18(火) 16:29:03 ID:0.net]
>古代においては別の音として区別されていたので、
>qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ

『古代の日本語』が音韻変化に基づいて中国語から派生したと想定
するのなら、そのように「明確な誤りを指摘する」ことができるの
でしょう。ところが、現代の日本語を見れば、日本語は、英語の
表現を大々的に流用している。ところで、英語において、"l"と
"r"の発音、「b」と「v」の発音の区別は、はっきりしているが、
日本語において流用される場合、その区別は消失してしまう。

ここで私は、私が単にふと思いついた連想による推測が正しいと
主張しているわけではない。そうではなく、古代において中国語
で区別されていたという事実は、連想によって可能性を探る妨げ
にはまったくならないことを指摘しているまでです。

特に、「時系列」に囚われる考え方は、それ自体が罠に陥る
可能性が高い。というのも、それは、「系統論」的な考え方
を暗黙の規範として前提としているからだ。

827 名前:考える名無しさん [2020/02/18(火) 16:41:21 ID:0.net]
「歴史的な中国語の変化」の研究が規範として存在し、それに照らして
見ると、「中国語から日本語が派生したとは考えられない」というのは
確かでしょう。中国語と日本語の間にもしそのような派生関係を裏付ける
音韻的な関係が存在するのなら、そのような関係はとっくに実証されて
いたはずだ。しかし、私が主張しているのは、そのようなことではない。
私は、日本語が中国語から派生したと言っているのではなく、日本語が
中国語の表現を「流用」することによって、つまり、中国語の規範を
離れて勝手な体系を作り上げることによって成立したと言っている。
その場合、流用された中国語の表現は、規範に則って中国語に合わせる
ように修正力が働くものではなく、もともとの発音がその時代の
権威ある中国語の規範を外れていたとしても、それを使う人々の間で
通用するように使われることによって規範化したことになる。

828 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/18(火) 16:47:24 ID:0.net]
現代の日本語の表現において英語に由来する「外来語」の表現は極めて多いが、
その発音において英語としての弁別性が無視されているだけでなく、英語の発音
の規範どおりにそれが発音されても、英語を母語とする人々にはまったく意味を
成さない「和製英語」も数多く含まれている。

829 名前:考える名無しさん [2020/02/18(火) 16:57:32 ID:0.net]
>tsiツィのような音中国語で両者の区別がなくなり
>どちらもqiチになったのは新しく

例えば、時代的変化、地域差を無視したとても大雑把な見方から、
スペイン語とポルトガル語を比べてみても、いずれの言語に
おいても"l"と"r"の区別は消失していないが、対応する言葉で
"l"と"r"が入れ替わっているものがある。時代的な変化を
研究することは、それ自体で重要でしょう。しかし、そのような
入れ替わりが生じたり、その発音が、それを母語としない人々
によって使われたときに区別が消失してしまうことがある
ことは、それ自体が「流用」について「可能性を探る」場合の
重要な手がかりとなる。

830 名前:考える名無しさん [2020/02/18(火) 17:07:22 ID:0.net]
最初から留保をつけているとおり、
>私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からない

しかし、それが「き(=dark)た(=side)」を表している可能性は
十分にあるだろうと思っている。ただし、「きた」が「暗さ」を
表すように用いられている表現は、「きた・なし」の他には
簡単に例が見当たらない。そこで、この「き」という発音の
用法にはどのような由来が考えられるのか、その可能性をオープンに
探っている。

831 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/18(火) 18:21:22 ID:0.net]
「気(qi/チ)」の発音と「漆(tsi/ツィ)」の発音が一緒に
日本語に取り込まれて「き」の発音において混同されて
用いられるようになったという証拠はどこにもない。
したがって、「きた(北)」の「き」が「漆(tsi/ツィ)」
に由来する可能性があるのではないかというのは、連想
によって根拠のない憶測を述べているに過ぎない。

ところで、日本語では、外来語であっても「チ」と「ツィ」
の発音を区別しない。だから、「ツィゴイネルワイゼン」
と書いても、「チゴイネルワイゼン」と発音されるし、
ギリシャ首相を務めた「アレクシス・ツィプラス」の場合
などは、どうせ日本語では発音が区別されないので、新聞
でも「チプラス」と表記していた。

「気(qi/チ)」と「漆(tsi/ツィ)」が同時に日本語に取り込ま
れたのであれば、「気(qi/チ)」は、「き」と発音される
ようになったのだから、「漆(tsi/ツィ)」も同じく「き」と
発音された可能性は排除できないだろうと思う。ただし、
繰り返すが、私は、実際にそうであったと主張しているわけで
はない。

832 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 01:37:43 ID:0.net]
>>826-831
井筒の本は読んだことがあるのか?
井筒がどこでそんな語源や音韻の話をしている?

833 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/19(水) 13:16:44 ID:0.net]
井筒の本は、「意識と本質」とか、全集の一部とかを読んだことがある。
井筒訳のコーランと解説本の「コーランを読む」も読んだことがある。
でも、内容はあまり覚えていないな。



834 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 13:26:41.01 0.net]
>>826-831
中国語から現代日本語への「音の流用」などと言う現象は実際には起こっていない
それは言葉の歴史に反する
あなたの脳内でただ連想が起こったと言うだけ
系統の異なる言語の間の話だから、系統論が関係ないのは当たり前だ

835 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 13:42:22 ID:0.net]
>>831
違う違う、全然違う
「気」は唐代の中古漢語音でキ、日本漢字音でもキ、
「漆」は中古音でツィッtsit、日本漢字音でシツ、
古代日本語のサ行は破擦音だったので、これは唐代の音をかなり忠実に写している
「漆」の音は中国北方では宋〜元頃に後部の詰まる音(入声韻尾)を失いツィtsiとなる
中国北方で「気」キと「漆」ツィが共にチという音になり、区別がなくなったのは、
17世紀頃だろうと言われている。これが尖団の合流。
「気」をキと読む日本語の方が古い中国語の音を保存しているのだ
「気」をチと呼ぶようになった北方中国語の方が、新しく起こった音変化を反映しているのであり、
逆ではない

836 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 14:16:56 ID:0.net]
>中国語から現代日本語への「音の流用」

わざとだろうけど、私は「音の流用」なんてことは
どこにも書いてませんよ。

837 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 14:52:43 ID:0.net]
>>835
中国語は、権威のある言葉として日本に入ってきたのだから、
中国語から直接に取り入れられたことが明らかである表現について、
その中国語と日本における漢語の対応関係があるのは当然のことでしょう。
それについて、中国語の系統学的な研究は重要であるし、
その知見に基づいた見解を明示的に書き込んでくれることは歓迎します。

私は、別に自分の連想によるちょっとした思い付きが間違っていない
などとは思っていないのです。ただし、中国大陸から入ってきた言葉
の日本語形成における利用の可能性を探る際に、中国語の系統学的な
研究は、探求の道を塞ぐ妨げとして用いられるべきではない。
というのは、古代において大陸から入ってきた「中国語」は、
現代に系統学的な研究において対象とされる「中国語」よりも
はるかに多様であったと考えられるからです。大陸からの言葉の
表現の流用として広く通用するようになっても、それが中国
大陸において中国語として通用しないなら、それが、大陸から
の言葉の流用であったことは忘れられ、権威のある「中国語」
として用いられる漢語との対比において、日本の現地の言葉
となる。そのような流用が生じることは、人々の接触において
自然なことであり、それについて、系統学的な研究は、あまりにも
盲目なのです。

838 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/19(水) 15:12:25 ID:0.net]
発音の変化の系統学的な研究は、発音の変化をあたかも物理学的な
変化であるかのように扱いがちだが、発音は、表現のために用いら
れるので、どのように発音が変更されるかは、表現の意図と結び
ついている。

例えば、英語でもポルトガル語でも"l"によって表記される発音
が、日本語に移せば「ウ」または「オ」で表記される場合が
多くある。一時流行った、「アンビリバボー」というのが
一例である。もともとは、日本語において「アンビリーバブル」
と発音されるものとされていたが、語末の「ル」の発音が
英語を母語とする米国人の発音とかけ離れており、より
近い発音に聞こえるようにそのように変更されたのだろう。
では、日本語において、「ウ」または「オ」の発音は、"l"が
「ル」で表記される場合のような「ル」の発音に変化しうる
だろうか。そのように問うなら、普通は否定的な答えが
返ってくるだろう。

839 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/19(水) 15:26:21 ID:0.net]
最近テレビで流れている不動産仲介会社のCMで、ブタのぬいぐるみが、
「エイブル」という社名を「エイブー」と発音し、それを女性が
「エイブル」と「きちんと発音する」ように訂正する内容のものがある。
これは、「アンビリバボー」をはじめ、英語から取り入れられた
外来語において「〜ブル」という発音は誤りで、「〜ブー」または
「〜ボー」と発音するのが「正しい」とする風潮に抵抗するものだろう。

人は通用する規範が与えられると、それに過剰適応することがしばしば
あり、「エイブル」という固有の社名でも「エイボー」または「エイブー」
の方が正しいはずだと感じてしまう。だが、企業にとっては、自社の
社名は固有の名称なのだから、日本国内で営業している以上、英語として
の発音の一般的な正しさに適応しようとする必要などないのである。
だから、「エイブー」は誤った発音であり、「エイブル」が正しい
ことになる。ところで、逆に日本語は日本語としてきちんと発音しま
しょうという風潮になれば、「〜ブー」または「〜ボー」は、
「〜ブル」だったのではないかという類推が働いて、もともと、
「〜ブー」または「〜ボー」であったものが、「〜ブル」に訂正
されるという過剰適応が行われるようなことも、言葉の使用の変化
においては、常に生じる可能性があるのである。

840 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 17:08:04 ID:0.net]
>>837
意味不明。あなたはせいぜいここ数百年の間に起こった音変化を連想の素材にしているだけ
それを古代の多様な中国語と考えるのは事実に反する
事実を思考の妨げと考えるのなら、古代だのより古いだの言わなければいい
時系列に沿った事実の探求には、それなりの先人の科学的思考の蓄積があるのです
連想に基づいたポエムを書きちらしたいだけなら、科学と衝突するような言葉を使わなければいい

841 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/02/19(水) 18:52:16.44 0.net]
>時系列に沿った事実の探求には

それは、残された資料に見られる事実を推測により時系列で
互いに関係づけたものであって、それとは別の関係を排除する
ために利用できるようなものではないでしょう

842 名前:考える名無しさん [2020/02/19(水) 23:15:16.73 0.net]
>>833
読んでいる内に入らない

843 名前:考える名無しさん [2020/02/20(木) 01:14:50.40 0.net]
>>775のデブは、ルーミーを開いたこともないし、
学術に至っては、何を批判したらいいのか検討もつかない



844 名前:考える名無しさん [2020/02/24(月) 09:55:18.96 0.net]
人はよく「ま(目)ちが(違)ふ」から、手で触って「た(手)しかめ」ようとする。

845 名前:考える名無しさん [2020/02/24(月) 10:06:59 ID:0.net]
「うたが(疑)ふ」という表現は、「うた+か(交)ふ」と分解して解釈する
ことができ、岩波古語辞典においてもそのように説明されている。
この「うた」が、「うた(歌)」や「うたた(転)」と共通していることも
岩波古語辞典で指摘されるとおりだろう。だが、そのことから、
「うたがひ」が「自分の気持ちをまっするに表現する意」を表して
いるとする同辞典の解釈は完全に誤っている。というのも、
既に別の機会に指摘したとおり、「うた(歌)」や「うたた(転)」の
「うた」自体が「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)」として
さらに分解されるからである。

846 名前:考える名無しさん [2020/02/24(月) 10:12:17 ID:0.net]
「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)+か(交)ひ」は全体として、
フランス語で表現するなら、試行錯誤としての《tâtonnement》
を表している。実際、「うたがふ」という動詞の意味は、
フランス語の再帰表現、"se tâter"にほぼそのまま対応する
だけでなく、発音のイメージにも共通性を見ることができる。
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/se_tâter/76821
se tâter
Être indécis, s'interroger sur la conduite à tenir.

847 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:35:47 ID:0.net]
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。


“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
 今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”

― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)

848 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:36:09 ID:0.net]
今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはそのヒントがあるように思える。

井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。

このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。

849 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:36:34 ID:0.net]
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。

850 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:37:51 ID:0.net]
ルーミー語録

・『ルーミー語録 (イスラーム古典叢書)』 井筒俊彦、岩波書店 (1978) 訳と解説
・『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』 中央公論社 (1993) 訳と解説
・『井筒俊彦全集 5』 慶應義塾大学出版会 (2014) 解説のみ

851 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:39:14 ID:0.net]
この中では、ルーミー自身がハッラージュの「アナ・ル・ハック」(我こそは神)>>463>>338
の解説をしているのだが、その真相というのがすごい。

一般的な一神教には二神は存在しないにしても、まだ神とそれ以外のもの(世界と人)が存在する。
スーフィズムの立場からすれば、これではまだ生ぬるいらしく、
神と我の対立状態すらも撤去して、神の絶対的な一者性を完成させるだという。謙虚さの極致として。

852 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:51:50 ID:0.net]
地球人の視点を持てば、木は命の源だ。クルアーンにもイチジクが出て来る。
不老長寿の実だそうだ。エデンの園で二人があそこを隠したのもイチジクの葉だ。
仏が悟りを開いたインド菩提樹も、クワ科イチジク属だ。
だから実はイチジクも剪定しないと、巨大な高木になる。
世界に広めよう、イチジクの実だ。

853 名前:考える名無しさん [2020/03/06(金) 23:59:33 ID:0.net]
ちなみにイチジクの敵はカミキリムシだ。カミキリムシを寄せ付けない、コンパニオンプランツはビワだ。ビワの木は日本の木刀になる。世界にイチジクの実を広めたら、日本のビワの木の話も加えたい。そんなクルアーンが本当は必要なのだ。



854 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:29:11 ID:0.net]
>>852-853
邪魔

855 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:33:47 ID:0.net]
>>851
そうすると、この瞬間、外在的超越から内在的超越になるのかもしれない。

856 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:36:05 ID:0.net]
他には、イブン・アラビーも内在的超越。存在一性論。


“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”

― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 4章1部 (2019)

857 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:36:30 ID:0.net]
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム

【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)

・イブン・アラビー(1165-1240)

858 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:37:20 ID:0.net]
すぐに良い例が見つからないのだが、外在的超越の神のイメージというのは、こういうもの。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外)


“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
 これって、エイリアンみたいだと思う。
 だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”

― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011)

859 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:37:26 ID:0.net]
>>851 神は母なる地球だ。地球の映像を見た事の無いボケの話は読まぬ様に気を付けたい。

860 名前:考える名無しさん [2020/03/07(土) 00:38:07 ID:0.net]
>>858
それに対して、内在的超越は汎神論のイメージに近くなる。

861 名前:考える名無しさん [2020/03/09(月) 02:46:14 ID:0.net]
>>857を拡張

内在的超越から汎神論への影響

【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム

【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」

スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」

ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」

862 名前:考える名無しさん [2020/03/09(月) 03:21:01 ID:0.net]
内在 

② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)


外在 

[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)

863 名前:考える名無しさん [2020/03/10(火) 01:45:41 ID:0.net]
キリスト教の場合は複雑で、聖書の神は外在的だが、イエスの受肉は、内在へ向かって降りてきている。



864 名前:考える名無しさん [2020/03/11(水) 16:56:31 ID:0.net]
>>845-846
>Mais ce qu'il avait de bizarre, c'est que, de temps en temps,
il tâtonnait, se reprenait comme s'il eût manqué, et se dépitait
de n'a- voir plus la mème peine dans les doigts.<
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.49

865 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/03/11(水) 16:57:59 ID:0.net]
誤:n'a- voir
正:n'avoir

866 名前:考える名無しさん [2020/03/11(水) 17:53:28.76 0.net]
遠くの雷はズドーンと落ちる感じがするが、近くの雷はドカンと落ちる
感じがする。英語の"thunder"とドイツ語の"Donner"の発音の違いには、
そのようなイメージの違いが反映されているだろうか。

ところで、フランス語で驚かすを意味する"étonner"も本来は、雷が
落ちる音と結び付いていたとのことである。その場合の雷の音は、
日本語の「ドーン」に相当するようなものだろうか。次のような
表現は、「壁ドン」(ネットよく見かける表現だだが、今回、検索して
みるまで、私はその用法を知らなかった)を連想させる。

>[...] au lieu qu'un financier fait retentir son appartement
et étonne toute sa rue.
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.37

この"étonner"の用法については、注に次のように記載されている。
>Le terme a encore le sens fort de《frapper comme un coup
de tonnerre》.<

867 名前:考える名無しさん [2020/03/11(水) 17:56:05.52 0.net]
ちなみに、日本語の古語では、現代の日本語の「ドカン」、「ドスン」、
「ドドーン」のような表現の「ド」に相当するのは、「ののしる」や
「の(宣)る」という表現に見られる「の」によって表記される発音である。

868 名前:考える名無しさん [2020/03/11(水) 17:59:24.60 0.net]
https://www.etymonline.com/search?q=thunder
thunder (n.)
mid-13c., from Old English þunor "thunder, thunderclap; the god Thor,
" from Proto-Germanic *thunraz (source also of Old Norse þorr, Old Frisian
thuner, Middle Dutch donre, Dutch donder, Old High German donar,
German Donner "thunder"), from PIE *(s)tene- "to resound, thunder"
(source also of Sanskrit tanayitnuh "thundering," Persian tundar
"thunder," Latin tonare "to thunder"). Swedish tordön is literally
"Thor's din." The unetymological -d- also is found in Dutch and
Icelandic versions of the word (compare sound (n.1)). Thunder-stick,
imagined word used by primitive peoples for "gun," attested from 1904.

869 名前:考える名無しさん [2020/03/12(木) 00:30:34.90 0.net]
千葉の『デッドライン』は現代の『ルーミー語録』といってもいい。

ルーミーの「ファナー(自我消融)」に対し、
千葉の場合は「偶然性」や「絶滅」がその自己解体や無化に相当する。
そうして経た実在体験を結晶化させたルーミーのテキストは「根源的形象世界」のものと呼ばれる。

870 名前:考える名無しさん [2020/03/12(木) 00:30:50.73 0.net]
『デッドライン』の読みどころ

千葉雅也@masayachiba

外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日

哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日

871 名前:考える名無しさん [2020/03/12(木) 00:31:20.24 0.net]
【形象】けいしょう

  かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。

872 名前:考える名無しさん [2020/03/12(木) 00:34:07.75 0.net]
『思想としての言語』 中島隆博、岩波書店 (2017)

小説にも出てくる千葉の先生で中国学の中島隆博が、この中で
重要な井筒論を書いていたいたりもする。

873 名前:考える名無しさん [2020/03/15(日) 08:59:36 ID:0.net]
>Old High German donar, German Donner "thunder")

現代の日本語でも、叱るために大声で「どなり」つけることを
「雷を落とす」と表現するのだから、この例では、日本語とドイツ語は
発音においても、それが想起するイメージにおいてもとてもよく似ている。



874 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/03/15(日) 14:08:42 ID:0.net]
ちばまさや?おはなしにならない

875 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:16:11.96 0.net]
>>861の補足

・新プラトン主義(プロティノスの流出論)
・東方キリスト教


・スーフィズム


汎神論
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
・ゲーテ(1749-1832)ハーフェズの影響
・シェリング(1775-1854)

876 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:16:55.11 0.net]
>>858>>856

創世神話の外在と内在

[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神

“1:1 初めに、神は天地を創造された。
 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
 1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
 1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
 1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”

― 旧約 「創世記」 1:1-5、16

“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
 天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
 この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
 次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
 葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
 ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”

― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977)

877 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:17:26.49 0.net]
このスレで特に関心を集めたのが>>645だったが、
井筒自身はそれほど頻繁には「外在/内在」という語を使っていない。

東西の神学のこうした整理は、大川の時代には既に確立されていて、
井筒にとっては自明のことだったのかもしれない。

井筒がよく使う「絶対一者からの自己展開」という表現は、内在型神学の特徴であり、
イブン・アラビーの先には、プロティノスの流出論にまで遡る。

878 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:17:53.08 0.net]
>>876
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)

“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
 古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
 天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
 そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”

― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き)

879 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:19:27.36 0.net]
この本には、井筒の話もよく出てくる。


臼杵陽 『大川周明』 青土社 (2010) p8

“竹内好「イスラム研究だけをとってみても、大川〔周明〕の業績は無視できないはずです。
 かれの『回教概論』は、純粋の学術論文であって、日本のイスラム研究の最高水準だと思います。
 日本帝国主義のアジア侵略と直接には何の関係もありません。」”

880 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:20:52.21 0.net]
大橋良介 『京都学派と日本海軍:新史料「大島メモ」をめぐって』 PHP新書 (2001)

侵略戦争的性格が決定的で、反省されなければならないのは、この「大島メモ」周辺。

881 名前:考える名無しさん [2020/03/20(金) 00:49:01 ID:0.net]
井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」より

<司馬>

大川周明というのは日本的右翼というよりも、
十九世紀のドイツ・ローマン派の日本的なあらわれの人だったのかもしれませんね。
サンスクリット語を勉強するうちに英国支配のインドに同化してゆく。イスラームも学んだそうですね。

<井筒>

そうです。大川周明が私に近づいてきて、私自身も彼に興味をもったのは、
彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもったひとだったからなんです。
知り合いになった頃、これからの日本はイスラームをやらなきゃ話にならない、
その便宜をはかるために自分はなんでもすると、私にはいっていました。
それで、オランダから『イスラミカ』という大業書と『アラビカ』という大業書、
つまりアラビア語基礎テクスト全部とイスラーム研究の手に入る限りの文献は全部集めて、
それをものすごいお金で買ったんです。それを東亜経済調査局の図書館に入れておいた。
ところが、誰も使う人がいないし、アラビア語のテクストを整理する人がいない。
私に「やってくれないか」というありがたい話で、アラビア語の本なんてあの頃は買えませんから、
倉庫に入り込んで毎日のように「整理」と称して、自分で読んでいたんです。

882 名前:考える名無しさん [2020/03/21(土) 22:11:42.99 0.net]
>>876>>878
古事記の更に先
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1433071319/479-480

日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』

・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳

中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。

・『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)

883 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/03/21(土) 23:34:45 ID:0.net]
大川周明?wwwきもちわりいの読むな老害。



884 名前:考える名無しさん [2020/03/22(日) 23:31:04 ID:0.net]
丸山眞男「大川周明は右翼の中でも最も西洋的教養の濃い、いわばバタ臭い方なのです」

885 名前:考える名無しさん [2020/03/22(日) 23:41:21 ID:0.net]
工藤は>>882の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。

886 名前:考える名無しさん [2020/03/23(月) 00:53:15 ID:0.net]
馬鹿程
格付けがすき

887 名前:考える名無しさん [2020/05/11(月) 00:21:13.21 0.net]
>>820-822,826-831,845-846
二つの言語の間に見られるとんでもない発音の似寄りを持ってきて
それを自分の居場所にする人というのは、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの本にも出てくる。
いつの時代にもいるんだよ。

888 名前:考える名無しさん [2020/06/13(土) 18:14:26 ID:0.net]
> 630 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/06/12(金) 00:16:44.20 0
> >>582
> 出たなピンイン太郎


カール・マルクス32
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1584534246/630-

889 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 00:33:27 ID:0.net]
>いつの時代にもいるんだよ。

どこでもいつでもいるのなら、それが人の常になるということでわ

890 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 00:43:18 ID:0.net]
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 密教の根本教義の一。阿字は宇宙の根源であり、本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ。この真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。 → 阿字

891 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 00:47:21 ID:0.net]
あまてらす

892 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 01:20:58.83 0.net]
大辞林 第三版の解説
梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える

893 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 02:31:59 ID:0.net]
>>889
・最低限の知識を持つまでにも至らない奴
・輪廻から抜け出すことが出来ない奴
という話



894 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/06/14(日) 06:41:19.04 0.net]
そういう人々がその都度、どのようにか意志の疎通を図っているということだろう

895 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 15:40:01.00 0.net]
>>894
油を売っている暇があったら、先に読むべきものを読め

896 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 17:41:10 ID:0.net]
どうでもいい。自分の心配でもしていろ。

897 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/06/14(日) 20:19:00 ID:0.net]
読むべきものといえば、ようやくドン・キホーテを読み終わった。
といっても、前編の"El Ingenioso Hidalgo"の方だけだが。
いい加減な読み方をしても、それなりに大変なので、後編の
"Caballero"の方を読むのはまだ先のことになりそうだ。
値段が高いのでまだ入手してないし。それにどうせなら、
英訳を先に読んで理解をより深めてから、後編にとりかかった
方が賢明だろう。

898 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/06/14(日) 20:37:44.75 0.net]
"Independently published"とかいう、文字データを印刷して製本した
だけのよく分からない形式の本は、入手しやすいけど、好きではないな。
本という感じすらしない。

899 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 23:41:48.77 0.net]
>>897
哲学が何をするものなのか知らないんだろ

900 名前:考える名無しさん [2020/06/14(日) 23:49:42 ID:0.net]
車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。

Cambridgeの辞書では「誰かがすでに生み出した何かを自分で生み出そうとして時間を無駄にすること」といった解説を掲載している。

再発明を行ってしまう理由としては、「既存のものの存在を知らない」
「既存のものがあることを知っていたはずなのに、つい思い出しそこなった」
「既存のものを一応探したが、見つけそこなった」
「既存のものが意図的に隠されていた(時間を無駄遣いするように罠をかけられていた)」
「既存のものの意味を誤解している」などということがある。

901 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 01:17:30 ID:0.net]
車輪を自分で組んでみれば、車輪は一度発明されれば済むような単純なもの
ではないことがよく分かりますよ。路面は単に与えられているものではない
し、路面の起伏によってどのように車輪に加わる力を支え、振動を吸収しな
ければならないかが問題になり、路面の摩擦とそれに対する耐久性、
耐久性と振動吸収性能や滑りにくさの両立も図らなければならず、
車輪を駆動するためにどのように力を加えなければならないか、どのように
力を加えることが効率的であるかも考える必要がある。

902 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/06/15(月) 01:25:39 ID:0.net]
路面が大きな石ころだらけの場合、車輪を使うことが効率的でないことも
多く、それでも車輪を使うとすれば、キャタピラとして構成する必要も
でてくる。キャタピラを構成することが可能になるには、その用法に
耐える強度の素材を開発することが要件となる。また、雪面や凍った
川や湖の上でも車輪は滑ってしまって役に立たないでしょう。

903 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 01:29:42 ID:0.net]
>>901-902
「既存のものの意味を誤解している」
車輪の話なら車輪板でやってこい



904 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 01:33:40 ID:0.net]
人の意図は既存のものではありませんよ?

905 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 01:36:07 ID:0.net]
人が車輪を使っていることは、車輪が発明されている/発明されていない
というような単純な問題ではないのです。

906 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 01:38:35 ID:0.net]
>>904-905
哲学的素養がまるでない

907 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 07:36:17.12 0.net]
車輪の利用というのは、統治の問題なのですよ?
交通網を整備することが可能であるのか、道を整備するための労力は
どうするのか、その方が効率的なのか、それによって生じる防御の
の脆弱性はどうするのか、そういう問題です。

908 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 08:52:23.41 0.net]
>>907
車輪と道といったら、老子とハイデガーだよ。
そのどちらも知らないだろ。



ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言

“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
 だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉

 有るものは、有用性を生ぜしめる。
 有らざるものが、有を許し与えるのだ。”

― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48

909 名前:考える名無しさん [2020/06/15(月) 08:53:15.89 0.net]
マクガフィン=張り子の虎

910 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/06/15(月) 08:59:14.99 0.net]
>>908
ハイデガーも、老子を読んだんだろ

欧米のインテリは、孔孟には無関心だが、老子が大好きだからな

911 名前:考える名無しさん [2020/06/16(火) 00:50:34.40 0.net]
>>904-905>>907
哲学のての字も分からない奴の回答だ

912 名前:考える名無しさん [2020/06/16(火) 00:56:37.16 0.net]
その上、頭も悪過ぎる

913 名前:考える名無しさん [2020/06/25(木) 01:48:37 ID:0.net]
>>850
“一なるものの意識が(略)この上なく美しく崇高な意識として
 あらわれるすがたを見たいのなら、イスラム教に目をむけねばならない。
 たとえば、すぐれたペルシャ文学ジャラール・ウッ・ディン・ルーミー”

― ヘーゲル 『精神哲学(哲学の集大成・要綱 第3部)』 長谷川宏 訳、作品社 (2006)



914 名前:考える名無しさん [2020/07/23(木) 13:15:10.42 0.net]
ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」関連

訳本
『存在の一義性:ヨーロッパ中世の形而上学』 ドゥンス・スコトゥス 著、八木雄二 訳註、知泉書館 (2019)
『存在の一義性:ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』 ドゥンス・スコトゥス 著、花井一典、山内志朗 訳、哲学書房 (1989)

解説
『存在の一義性を求めて:ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』 山内志朗 著、岩波書店 (2011)
『ドゥンス・スコトゥス:魅惑の中世』 野中幹隆 編、哲学書房 (1988)

915 名前:考える名無しさん [2020/07/23(木) 13:15:36.88 0.net]
山内はスコトゥス理解のために、アラビア語とイスラム哲学もやったと言っている

916 名前:考える名無しさん [2020/07/24(金) 20:13:26 ID:0.net]
無駄

それを学んであの程度のことしかいえないんだから。

時間の無駄。

917 名前:考える名無しさん [2020/07/24(金) 21:54:52 ID:0.net]
スコトゥスの「このもの性 haecceitas」を、ドゥルーズやメイヤスーを経由して、ポスト井筒的な存在-神-論にまで昇華させているのが千葉。


“世界とは、異なる此性をもつ複数の無の邂逅である。異質なる複数的な無の寄せ集めである”

― 千葉雅也 「此性をもつ無:メイヤスーから九鬼周造へ」 『現代思想 2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造―偶然・いき・時間』

918 名前:考える名無しさん [2020/07/24(金) 22:05:45 ID:0.net]
いまどき、これせいとかww

あほか。

ほんまあたまわるいな。

そんな雑誌買う層がそもそもあほやけど。

919 名前:考える名無しさん [2020/07/24(金) 22:33:29.88 0.net]
>>918
では、代わりになるものを挙げてみろ

920 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/24(金) 23:22:11 ID:0.net]
メイヤスーを経由してる場合かよ。なんにも新しくない。

921 名前:考える名無しさん [2020/07/24(金) 23:31:59 ID:0.net]
>>920
では、代わりになるものを挙げてみろ

922 名前:考える名無しさん [2020/07/25(土) 13:35:06 ID:0.net]
井筒俊彦=アンビエント系音楽みたいな。
マッシヴさが殆ど無いというかw
安藤礼二が好きなんだろ。

923 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/25(土) 13:48:25 ID:0.net]
植西あきらのほうがいいな。何十倍も売れてるし。



924 名前:考える名無しさん [2020/07/25(土) 19:36:38 ID:0.net]
キッズたちは曼荼羅交響曲でも聴いてなさい

925 名前:考える名無しさん [2020/09/08(火) 23:48:48 ID:0.net]
よくある説明としては、
現代が扱っている問題系も起源を辿ると、
少なくとも西洋思想史の中世ぐらいまで遡る。

中世のスコラ学の人たちは、イスラムをやっていた。
というのも、イスラムの人たちは、当時の西洋人も忘れていた
アリストテレスを読んでいたからで、
西洋がイスラムを介してアリストテレスを再導入して起こったのが、
ルネサンス(文芸復興)であるし、この辺で、自然と古代ギリシャなどもやるようになる。

926 名前:考える名無しさん [2020/09/08(火) 23:49:08 ID:0.net]
キリスト教思想史の中で見ると…

平凡社

中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学 ←←← この辺の話
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史

927 名前:考える名無しさん [2020/11/10(火) 02:50:11.36 0.net]
『ゲンロン11』 (2020/9/23)

ゲンロンセミナー
「井筒俊彦を読みなおす――新しい東洋哲学のために」 安藤礼二+中島隆博

928 名前:考える名無しさん [2020/11/10(火) 03:10:22.99 0.net]
Plastic Love
https://www.youtube.com/watch?v=c0tXxNsXWDg

Blinding Lights
https://www.youtube.com/watch?v=E22RKYWzZG4
https://tangodiario.com.ar/wp-content/uploads/2020/01/the-weeknd.jpg

929 名前:考える名無しさん [2020/11/10(火) 03:11:07.41 0.net]
このマッシヴさ

930 名前:考える名無しさん [2020/11/10(火) 22:12:12.54 0.net]
>>928
https://www.youtube.com/watch?v=4NRXx6U8ABQ&t=28s

931 名前:考える名無しさん [2020/12/20(日) 23:58:31.13 0.net]
Sébastien Léger at the Great Pyramids
https://www.youtube.com/watch?v=SD6GDiyHmbE

932 名前:考える名無しさん [2020/12/21(月) 00:01:12.52 0.net]
『井筒俊彦ざんまい』 若松英輔、慶應義塾大学出版会 (2019)

若松英輔   知られざる井筒俊彦
井筒俊彦年譜

 I――原点と回想
白井浩司  時代への批判者
柏木英彦  遠い日の井筒先生
松原秀一  つかずはなれず四十年
牧野信也  師としての井筒俊彦先生
丸山圭三郎  〈読む〉ということ
河合隼雄  井筒俊彦先生の思い出
安岡章太郎  あの頃の井筒先生
日野啓三  言い難く豊かな砂漠の人
佐伯彰一  求む、井筒俊彦伝――ポリグロットの素顔
瀬戸内寂聴  豪華な学者夫妻
立花 隆  職業選択を誤らなかった話
伊東俊太郎  井筒俊彦先生のこと

 II――東西の出会い
福永光司  井筒俊彦先生とわたくし
高木、元  乾坤は經籍の箱
長尾雅人  井筒さんの『起信論』哲学
森本公誠  井筒先生を東大寺にお迎えして
門脇佳吉  井筒先生の風貌と思想の源泉
蜷」睦男  井筒氏の思い出
ナスロッラー・プールジャヴァーディー  井筒先生との最後の会見(1)(2)
ヘルマン・ランドルト  井筒俊彦を回想して
サイイド・ホセイン・ナスル  井筒俊彦の思い出
ナダール・アルダラン  ことばに尽くせぬ思い出

933 名前:考える名無しさん [2020/12/21(月) 00:01:43.48 0.net]
関根正雄  井筒俊彦氏のこと
今道友信  少年時からの展景の中で
松本耿郎  井筒先生と『アラビア思想史』
江藤 淳  井筒先生の言語学概論
中村廣治郎  コーランと翻訳
山折哲雄  井筒訳『コーラン』の文体
黒田壽郎  井筒先生のアラブ・イスラーム研究
丸山圭三郎  井筒哲学における東西の出会い
安藤礼二  ディオニュソス的人間の肖像
合庭 惇  『イスラーム思想史の頃』ほか(全3編)

 III――追  悼
司馬遼太郎  アラベスク――井筒俊彦氏を悼む
丸山圭三郎  追悼 井筒俊彦先生 
遠藤周作  井筒俊彦先生を悼む
牧野信也  井筒俊彦先生の死を悼む

 IV――継  承
池田晶子  『意識と本質』を読む
中沢新一  歴史とトランス――井筒俊彦先生のしぐさの記憶
河合隼雄  井筒哲学と心理療法
松永有慶  井筒マンダラ学の炯眼 
安藤礼二  新たな時代の「東方」の哲学
澤井義次  エラノス会議と井筒哲学
互 盛央  井筒俊彦と丸山圭三郎――出会い、交錯した二人は、どこに向かったか



934 名前:考える名無しさん [2020/12/21(月) 00:15:29.77 0.net]
井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」

― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」

935 名前:考える名無しさん [2020/12/21(月) 00:20:04.22 0.net]
『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店

百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。

https://i.imgur.com/W9dU6hE.png

https://i.imgur.com/qMTQvKq.png

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e0/3ce3c037d9c29a6376d9eee7d6a82edb.png

哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。

936 名前:考える名無しさん [2020/12/22(火) 22:53:33.06 0.net]
有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。

迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。

937 名前:考える名無しさん mailto:sage [2021/02/24(水) 19:35:17.80 0.net]
飯山陽がボロクソに言ってるのがちょっとなあ
そりゃイスラム研究者とイスラム哲学を叩き台にした言語哲学者じゃ土俵が違うだろ

938 名前:考える名無しさん [2021/02/25(木) 02:05:44.58 0.net]
中身が分かっているようには思えない。

井筒が取り扱った話題は、確かに、密教や神秘主義と呼ばれるものだけど、
そうしたものを、今日の哲学用語を使って、
何語を話す人にも分かる言語や意識の営みとして解明してみせたわけだ。

海外の学者も言っているように、井筒のやっていることは分析哲学だよ。

939 名前:考える名無しさん [2021/02/25(木) 23:14:41.50 0.net]
>>938
こういうのね
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1197042724366536705
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1192626323031613441
(deleted an unsolicited ad)

940 名前:考える名無しさん [2021/02/25(木) 23:21:09.30 0.net]
酷いレベルだな

941 名前:考える名無しさん mailto:sage [2021/02/26(金) 07:57:28.82 0.net]
とんでもないクソスレになってるw

942 名前:考える名無しさん [2021/04/14(水) 21:12:46.37 0.net]
『ペルシア帝国』 青木健、講談社現代新書 (2020)

943 名前:考える名無しさん [2021/04/14(水) 21:13:28.09 0.net]
マニ『シャープラカーン』の一節

“神の使者は、いつの時代にも、絶えることなく叡智と御業をもたらした。
その到来は、あるときはインドでブッダの姿となり、またあるときは、
ペルシャでゾロアスターの姿となり、西方ではイエスの姿となって顕現した。
神の啓示は、今やこの預言の中で、本当の神からバベルの国に遣わされた使者である私、マニの姿下された”

― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010) p24



944 名前: [2021/04/14(水) 21:28:40.89 0.net]
松尾残党、

945 名前: [2021/04/14(水) 21:29:01.10 0.net]
松尾残党、ここまで来て

946 名前: [2021/04/14(水) 21:32:29.61 0.net]
市川さん

947 名前:考える名無しさん [2021/04/15(木) 08:59:19.77 0.net]
【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6−23−19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)

492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110

盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。

948 名前:考える名無しさん [2021/05/20(木) 06:44:36.71 0.net]
このお方こそは、巨匠と呼ぶに値する

949 名前:考える名無しさん [2021/06/23(水) 00:09:49.20 0.net]
『原典完訳 アヴェスタ:ゾロアスター教の聖典』 野田恵剛 訳、国書刊行会 (2020)

この"国書刊行会"というのは、あの"国書刊行会"!

950 名前:考える名無しさん [2021/06/23(水) 00:10:26.18 0.net]
>>943>>949
青木健 『ペルシア帝国』 講談社現代新書 (2020)
青木健 『古代オリエントの宗教』 講談社現代新書 (2012)
青木健 『マニ教』 講談社選書メチエ (2010)
青木健 『アーリア人』 講談社選書メチエ (2009)
青木健 『ゾロアスター教』 講談社選書メチエ (2008)

951 名前:考える名無しさん [2021/06/23(水) 00:15:37.40 0.net]
青木健は元々はイスラム神秘主義の専門家らしいね。
その周縁的な仕事ばかりをやっているように見えたけど、
実はそれはあることの裏返しなのだという。
『ペルシア帝国』で触れられていた。

952 名前:考える名無しさん mailto:age [2021/07/09(金) 12:51:54.51 0.net]
@身体への自分の同一化をすてる
A精神への自分の同一化をすてる
B魂への自分の同一化をすてる

953 名前:考える名無しさん [2021/08/04(水) 09:41:11.57 0.net]
中世イスラム哲学こそ、哲学の最盛期



954 名前:考える名無しさん [2021/08/04(水) 09:41:32.61 0.net]
ヨーロッパの哲学は受け売り

955 名前:考える名無しさん [2021/11/26(金) 21:03:49.41 0.net]
age

956 名前:考える名無しさん [2022/03/24(木) 14:09:39.32 0.net]
この人てまだ生きてんのん?

957 名前:考える名無しさん [2022/03/24(木) 20:24:50.36 0.net]
じゃーーーっっぷ

958 名前:考える名無しさん [2022/04/17(日) 06:41:16.01 0.net]
井筒がイスラームにカミカゼ教えたようなところがあるような

959 名前:考える名無しさん [2022/04/17(日) 06:42:13.27 0.net]
あいつエラノスとか神秘主義好きだし、すぐに分かるような感じではないかもだけど

960 名前:考える名無しさん [2022/04/17(日) 06:46:14.96 0.net]
井筒、かなり詳しいし、ゲームとかに教えてた気もするんだ
全然位相(ジャンル)が違うから、それに隠れて

961 名前:考える名無しさん [2022/04/17(日) 06:48:16.30 0.net]
エラノス会議のユングとか、読んだ感じがマンガに近いよね

962 名前:考える名無しさん [2022/05/17(火) 12:09:53.56 0.net]
あと、FFのプログラマのナーシャ・ジベリとか
イラン出身だっけ?

963 名前:考える名無しさん [2022/11/22(火) 22:32:33.21 0.net]
犬猫とか動物は言葉がなくても餌とか寝床とかの本質を捉えて生活しているけどこの辺はこの本の話と矛盾しないんですか?
ど素人の思いつきですが。。








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