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2 名前:彿(ほうふつ)とさせ、つぶさに観察する来館者や、立ち止まって瞑目(めいもく)するお年寄りの姿も。

 展示機の制式名称は「零式艦上戦闘機52型甲」。昭和19(1944)年に名古屋市の三菱重工大江工場で生産され、最大時速565キロ、航続距離3000キロを超える優れた運動性能と耐久力で知られる。硬度と軽さを兼ね備えた「超々ジュラルミン」により高強度化、軽量化を追求した機体で、空気抵抗を軽減するために、頭の平らな鋲(びょう)を打ち込み内側から留めた「沈頭(ちんとう)鋲」は航空界で先駆けの技術として注目された。

 ミクロネシア連邦ヤップ島で昭和58(1983)年に見つかったゼロ戦の残骸の部品を使うなどして約2年かけて復元し、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室に保存していた機体を借り受け展示した。

 国内でゼロ戦の実機を常時公開しているのは、国立科学博物館(東京都)や呉市海事歴史科学館大和ミュージアム(広島県呉市)など9カ所(計9機)。愛知県はゼロ戦を開発した三菱重工の研究拠点があり、群馬県大泉町などともに第二次大戦前後の一大生産地だったが、史料室での見学は予約が必要で開館時間も限定されていた。

 今回は暫定公開とはいえ、「生まれ故郷」での初めての展示となった。展示は多くの戦闘機マニアも引きつけ、大阪市の30歳代の男性会社員は「ぜひ、見たかったので会社を休んできた」と話していた。

公開に議論沸騰

 しかし、ゼロ戦の展示は順調に進んだわけではなかった。博物館の計画は平成27年5月に県が発表。館内の完成予想図のイメージパースに展示機としてゼロ戦が描かれたことで、県議会では一部議員から「多くの若者が命を落としたゼロ戦の展示は戦争美化につながる」と反対の声が上がった。

 地元の前豊山町長も「若い子にそういうものを見せて、興味を持たせたくない。戦争反対です」と抵抗感をあらわにし、ゼロ戦展示は議論の焦点となった。こうした経緯もあり、県は28年12月議会に提出した予算案にYS11など民間機の展示は盛り込んだものの、ゼロ戦は見送った。

 しかし、ゼロ戦は県内が当時の一大生産拠点で、世界最高水準を誇った機体でもあり、次代の航空産業の振興を考える航空博物館の展示に「ゼロ戦は欠かせない」という県民の声もあった。

 このため県は展示を再検討。三菱重工史料室が29年5月から改装のため休館となったことで「移転展示」するという形とし、YS11などの正式展示とは別にコーナーを設けて暫定的に展示することとした。県担当者は「(ゼロ戦展示は)どうしてもということではないが、地元ゆかりの航空機を考えたときに避ける理由もない」と説明する。

 来館者の見方はどうか。翼の「沈頭鋲」などを注意深く見つめていた、旅客機のオプションパーツ設計士という名古屋市守山区の男性(80)は「初めて見た。想像より大きい。技術的に素晴らしく、当時、これだけの知識と技術があったのは驚く」といい、「戦争云々ではない」と付け加えた。名古屋市千種区から来た大学4年の男子学生(21)は「子供の頃、広島市で原爆ドームを見て戦争を知った。ゼロ戦をみることによって歴史を学ぶということもある」と話した。

続きは>>2
mailto:【愛知】ゼロ戦展示で論議「戦争美化になる」「史実を隠すな」 愛知県が“苦肉”の暫定展示★3 []
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