- 941 名前: ◆OiTSonyO1k mailto:S [2009/01/26(月) 05:02:21 ID:t7CsVp9B]
- 私が疑問に思うのは魂(霊体)の存在そのもの、魂の定義があまりにもあいまいである。
今初めて下記の意味を調べた。 幽体離脱は、次ぎのような三つのパターンに分類される。 睡眠中の「夢」の内容。 覚醒時の意識の意外な変化 臨死から蘇生に際しての意識体験 臨死とは現代医学或いは法的な死ではない、脳死をもって死とする。 心臓が二十分以上停止して蘇生した人は多分いないと思う。七,八分なら可能かも。 二十分以上心臓が停止すれば脳が酸素補給出来ないし、七,八分後でも脳に何らかの支障をきたす。 幽体離脱は肉体の知覚と霊体の知覚は物理的世界の認識方法に違いがあるというものだ。 肉体の知覚の場合、物を見るには眼球の中にあるレンズや網膜、音を聞くには鼓膜や耳小骨を使用する。 一方の霊体の知覚は、テレパシーや透視によって、物理的世界を把握しようとするのではないか。 すなわち、霊の目で得た情報を「霊的コード」を通じて脳に送りこむ段階で、ある種の翻訳が行われるのではないか。 体外離脱時の世界と現実世界との相違点は、いわば翻訳ミスである。 上記の説明ではやはり脳で知覚していると云うこと。 霊の目で得た情報を「霊的コード」を通じて脳に送りこむ段階で、ある種の翻訳が行われるのではないか。 やはり説明が曖昧すぎる。 わたしの場合は瞑想することによって一瞬でどこにでもいける、月、冥王星或いは別の銀河etc いわゆる脳内で画像が出てくるわけ。しかしこの画像は現実世界では意味をなさない。 瞑想している位置から日本上空さらに地球全体を俯瞰した経験は数知れない。 だから私の場合は今さら「霊的コード」なんて必要としない。 <ただ幽体離脱をすることで革命的な手掛かりを掴む事はできる。 上記の表現方法が抽象的で曖昧な表現で締めくくって神秘性を持たせることが やはり疑問、これは もう言葉のテクニックでしか有り得ない。
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