- 959 名前:ピリア [2019/04/27(土) 00:38:39.69 ID:iOzb8zHw.net]
- 宮沢賢治の銀河鉄道の夜に、「ほんとうの幸いってなんだろう」という問い、テーマがある。
引用 「おっかさんは、ぼくを許してくださるだろうか」 「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸せなら、どんなことでもする。 けれども、いったいどんなことが、おっかさんの一番の幸せなのだろう」 引用 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行こう。 僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば 僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」 ジョバンニが云いました。「僕わからない。」 カムパネルラがぼんやり云いました。「僕たちしっかりやろうねえ。」 ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。 ほんとうのさいわい、多分それを自分はインスピレーションと呼ぶ。 最も最も高く、最も最も深く、そうイメージしていくと感じられるなにか。 この有限の世界の外側、あるいはこの有限として振る舞っているすべて。 無限とか、空とか、0とか、愛とか。そんな言葉で呼ばれるもの。 そこに色んな方法で、とにかくアクセスして、すべてを手放し、そして創造する。 その最初の一瞬、そのときだけ訪れているものがほんとうのさいわいだ。 だから、つまり、おっかさんやみんなや愛しい誰かを幸せにしたくて、どんなことでもしてあげたくてもだ。 その人のほんとうの幸いを知ってるのもそれを実行できるのも、その人だけ。その人の内なる神だけなんだな。 人は、人を救わない。力を貸すことはできても、人は一人で勝手に助かる、しかない。 どんなに親が自分の幸いを願ってくれていたとしても、残念ながらそれはクリーニング対象だ。 自分の本当の幸いってのは、自分が内なる神と共に在るその一瞬だけ、感じているものだ。
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