- 403 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい mailto:sage [2010/03/07(日) 02:21:03 ID:oZ4ZaQHc0]
- さらに、民主主義が機能するには、国民と政治風土の成熟が不可欠であるという認識が、当時の世界的常識だった。19世紀後半において
憲政がまともに機能している国は少なく、オスマン・トルコでは1876年にミドハト憲法が公布されたが、1878年に露土戦争に負けて 憲法が停止されてしまった。ロシアも日露戦争後の1906年に憲法である国家基本法が成立したが、うまく機能しなかった。 ドイツのウィルヘルム1世やビスマルクは、伊藤博文に性急な憲政主義の導入を止めるよう忠告したし、前アメリカ大統領グラントも 明治天皇に憲政導入に当たって拙速はしないようアドバイスした。 大政奉還から大正期にかけての憲政・民主化の進展はかなり急激なもので明治政府が慎重に進めようとしたのは当然のことであって 不当に邪魔をしたというのではない。むしろ急ぎすぎたというのが歴史の後知恵による正当な評価かもしれない。 このように世界史的視野でみれば、旧憲法は、存在そのものが先進的であり、民主主義を保障はしてないが可能にするもので 現実に大正から昭和初期においては、今日的基準でみても民主主義が実践されていたというべきだ。たった数年でも実践されていたからこそ、 「ポツダム宣言」に、「日本における民主主義的傾向の復活」という言葉が入ったのだ(十條)。 大日本帝国憲法は革新的なものであり、日本の憲政は、極めて短期間に確立したものである。それを正しく評価せず、日本は新憲法の 成立とともに突如として民主主義国家になったとして明治政府を幕藩体制とあまり変わらないレベルであるかのように評価する雁屋は、 世界史的視点を全く欠いていると言わざるをえない。
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