- 395 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい mailto:sage [2010/03/06(土) 18:39:29 ID:O+S8uPr00]
- >>393
明治天皇は少年期を尊皇思想と討幕運動が盛り上がった時期であり、受けた教育も天皇親政を前提とした帝王教育だったようだが、 「機務六条」で親政の意思を自ら事実上放棄して、天皇の立憲君主としての立場を受け入れることを表明した。 強いて言えば「教育勅語」か。西欧化の行き過ぎによる伝統文化や倫理観がないがしろにされることに明治天皇が憂慮を示されたので創られた。 だが、内容は、欧米派の井上毅が中心になって起草したもの(井上は原案を宗教色が強すぎるとして潰している)で、当時の世界の常識に沿った 中庸を得たものだった。後に進歩的な部分より復古的な部分が強調されて弊害を生んだが、それは明治天皇や井上の責任ではない。
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