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【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】



1 名前:名無し三等兵 [2009/03/21(土) 06:34:55 ID:Mw6fCZR/]
前スレが大分前に落ちたみたいなので立てました。
近代以前に対外戦争の経験が殆ど無い日本にとっては
間違いなく中世において最大の国難であった2度にわたる元寇。
幸いにも2度とも撃退することに成功し、属国化を免れましたが
その要因としては様々なものが挙げられます。
ここは元寇について主に元軍、鎌倉幕府軍双方の
装備、戦術、兵站などについて語るスレです。


関連スレ
【モンゴル】元寇4【高麗】
academy6.2ch.net/test/read.html/history/1220964839/l100
モンゴル帝国に支配されなかった地域
academy6.2ch.net/test/read.html/whis/1232680543/l100



628 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 15:47:17 ID:???]
>>624
左右が全く対応してないぞ、いつもはAgeてる国士様よw
それじゃあ単に妄想文へ尤もらしく国書を添えただけ

629 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:14:22 ID:???]
>>628
一度目と二度目の国書はまだですか?w

630 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:34:15 ID:???]
>>629
まだですか?wじゃなく、>>361>>369の友好的な文が一度目・二度目の国書なw
使者を殺害する蛮行に及んだ三度目が詰問調

631 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 16:58:13 ID:???]
201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

632 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:26:26 ID:???]
>>631
どうした?見えない強敵と戦ってるのか?w

633 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:32:26 ID:???]
>>201の間違いを取り繕うために>>630の人は必死に頑張ってるんですね。

634 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:37:11 ID:???]
というわけで、超意訳を自称する妄想感想文を垂れ流すのはもう無理だと思うよ>国士様w

635 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 17:42:01 ID:???]
またはじまったw
>>200>>201はテンプレ

636 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 19:45:01 ID:???]
えっと、使者殺したのは文永の後だから
流れとしては、とりあえず使者を二回送る→文永の役→脅迫の意味も強めて三度目の使者
→「負けてもねーのに降伏するかバカ」で首チョンパって流れだろ?


こうして見れば、鎌倉幕府の対応がDQNだというのなら
別に使者殺したわけでも無く、単に国書スルー(使者自身には穏便にお帰り頂く)
しただけで日本に攻め込んできた元も十分DQNって言えるんじゃないの?



しかし考えれば考えるほど日本なんて攻めるメリットゼロだろ。
別に土地が肥沃なわけじゃない、莫大な資源があるわけじゃない
災害とかで船難破しやすい、上陸難しい、したらしたでアジア最凶の戦闘民族がお出迎え。
フビライの最大目標だった南宋と友好的だったっつっても
日本との交易は、さほど南宋経済でウェイト占めてたわけじゃないし。
高麗の日本攻めるニダ!なんてスルーすりゃ良かったんじゃない?



637 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 20:23:44 ID:???]
超意訳だからあれは一度目じゃない、とか抜かしてるが
お前あれは三度目だといったよな↓


201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw


638 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 22:28:56 ID:???]
>>636
文永の役の前の蒙古からの使者は
国的・潘阜の時に二回
張鐸が一回
趙良弼が二回
計5回きてるかな

639 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 22:29:56 ID:???]
×国的
○黒的

640 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/20(水) 23:00:31 ID:???]
で、三度目の国書マダー?

641 名前:636 mailto:sage [2009/05/20(水) 23:04:50 ID:???]
>>638
おお、そうだったんか。トン

642 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 01:51:14 ID:8yjdpmm3]
>>641
その程度の事すら知らずに暴れてたのか、通りで話が噛み合わないわけだw
>>637,640
おまえはいつまで見えない敵と戦ってんだよw

643 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 03:57:15 ID:???]
>>636
当時の日本は金銀ざっくざくですお

644 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 04:02:01 ID:???]
>>637
帰ったらのせてやるとも言っていたよねー?(o ´д)(´д`o)ネー

205 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:34:54 ID:???
>>201
じゃあ一度目と二度目を出せば?
どうせ無理だろうけどw

206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
帰ったら載せてやるよ国士さんw

645 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 06:51:01 ID:8yjdpmm3]
>>643
鎌倉時代はまだ砂金が主だから、ざっくざくってほどじゃないんじゃね
>>644
国士様が妄想感想文の左へ勝手に添える漢文、あれのうち1つがそれだよw
帰ってからすぐPC直して載せるつもりが、今の今まで直らず仕舞で
わざわざ無知な基地外のためにPS3でちまちま書き込んでやる義理も無いから連休明け後になったワケ

646 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 08:18:00 ID:???]
>206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
>帰ったら載せてやるよ国士さんw

ひょっとして一度目を出せば納得すると思って>>200と大意が変わらないやつを出し続けているのか?
誰も期待してないのに。


>201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

せっかくだけど、君が期待されているのは>>200が三度目のものだと示すことだよ。



647 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 09:48:02 ID:???]
お前ら釣られんなよ

648 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 13:47:55 ID:???]
結局友好的な内容の国書を提示できなかったage厨哀れw

649 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 14:24:13 ID:???]
>>642
文永の役の前に使者殺したと勘違いしてるお前に言われたくない

650 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 15:51:12 ID:???]
>>200が三度目の国書だと聞いたのですが本当ですか?

651 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 17:13:23 ID:???]
大量の絹や銅銭を明から持ち出し
その報酬として
日本は一つまみの金を出すだけ

当時の大陸との取引はそんな感じ

652 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 17:14:38 ID:???]
>>648
一度目の国書、何をどう読んでも友好的だぞw
妄想感想文は何も訳してない分、当然敵意のある文になってるがw

上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王朕惟自古小國之君
 境土相接尚務講信修睦況我
祖宗受天明命奄有區夏遐方異
 域畏威懐徳者不可悉數朕即
 位之初以高麗无辜之民久瘁
 鋒鏑即令罷兵還其疆城反其
 旄倪高麗君臣感戴來朝義雖
 君臣而歡若父子計
 王之君臣亦已知之高麗朕之
 東藩也日本密邇高麗開國以
 來亦時通中國至於朕躬而無
 一乘之使以通和好尚恐
 王國知之未審故特遣使持書
 布告朕意冀自今以往通問結
 好以相親睦且聖人以四海為
 家不相通好豈一家之理哉至
 用兵夫孰所好
 王其圖之不宣
   至元三年 八月 日

653 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 18:14:27 ID:???]
早く三度目の国書を出してよw

654 名前:名無し三等兵 [2009/05/21(木) 19:49:45 ID:HZZskSjO]
話の流れが全く読めないんですが。
ミリヨタの発狂が酷すぎてさすがの俺も突っ込めない・・・

とりあえず今回の“酷使様”は誰を指して言ってるの?
俺にはミリヨタの一人相撲にしか見えない。

655 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 19:54:21 ID:???]
ただでさえややこしいのにあんたまでいると収拾がつかなくなるから書き込まんでくれ。
頼むから。

656 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/21(木) 19:55:25 ID:???]
>>652
そうは言っても南宋がまだ生きてる状態でしょ?
それで「中華皇帝でございます」ってフォーマットで文章出されても、北朝鮮が「朝鮮半島正統政権」を主張してるのと同じレベル。

どっちを取るかは軍板ってより政治版向きのネタなんじゃね?



657 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:15:33 ID:???]
そもそも現代の価値観に強引に当てはめて、鎌倉幕府をDQN扱いすんのなら
単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
攻め込んで来た元のがよっぽどDQNだと言えるだろ。

658 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:39:37 ID:???]
なあそもそも国士さまだか酷使さまだかって勝手に命名してるけど
どういう状態のどんな意見のやつのことそう呼んでるのかさっぱり不明なんだよね

なに?元があっさり潰走したって事実を聞こえないふりできる人間以外は全部国士さまなの?

659 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 01:52:06 ID:???]
あからさまな酷使は減ったな
昔のスレのひでーこと

660 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 02:32:03 ID:???]
>>658
高麗軍が積極的だったということを否定しない人らしいよー

661 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 02:59:41 ID:???]
そろそろ弘安の役で東路軍と接触するシーズンだな

662 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 03:04:22 ID:???]
>>626
これは入るな


663 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 03:10:45 ID:???]
参考までに某先生のトンデモ論検証スレ。
中世の武士達の戦い方にも触れられてるから話題がてらにどぞー。
academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169129287/
つかこの手の歴史の偉い先生って、どうして言うことが極端な人が多いんだろうか?
古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。

>>659
2ちゃん以外の所で(てか2ちゃんでも)
蒙古襲来→鎌倉武士はフルボッコにされただけで勝っていません
唐入り→戦国オールスターが、平和国家の朝鮮や落日の明にケチョンケチョンにされた惨めな戦いです。
日露戦争→アメリカ様が仲裁に入って終わっただけで、日本は全然勝ってなんかません
という妄言に異議唱えると、酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。

664 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 05:12:35 ID:???]
>>657
> 単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
「考えておきます」とかいう穏当な感じじゃなくて、「絶対返事しないで下さい!無視です、無視!」
という感じで朝廷の返牒案を止めさせたらしい。

どちらかというと朝廷の外交権について幕府側から干渉した形になるんだけど、朝廷側も国書の到来そのものに
おっかなびっくりな感じだったこともあってか(返牒案では割と厳しい文言を使っているようだけど)、幕府側の
意見を入れて返牒出すをのやめちゃったらしい。
以降は太宰府の応対を含めて、幕府側が弘安の役以降も蒙古への対応は全て主導する感じになったようで、
文永の役の時の守備部隊の配備とか弘安の役までの石築地の建設とか輪番制による異国警護番役の設置とか
を通じて、幕府による九州北部の直接統治体制を段階的に進めていたりしているようだ。

ただの「蒙古なんぞガン無視!」とかいうことだけではなくて、幕府権力を日本の国制上でどこまで
伸長させるかという問題も絡んでいたようで、幕府中枢の安達泰盛なんかは幕府側と朝廷側の共同歩調で
蒙古との問題に対処しようとしていたようだけど、朝廷側からの影響を極力排除しようという動きも
幕府側にはあったようだ。そこら辺のせめぎあいもあったようだけど、基本的に幕府側の対応は初めから
国書の無視、臨戦体制への指向が強かったようで、国書に対して非難するとか内容を否むとかいった
もうちょっと広く「外交をする」という感覚が希薄だったと、鎌倉時代とか日本の中世史をやっている
先生方は見ているらしい。
(少なくとも今は亡き網野善彦、村井章介、奥富敬之各氏の近年の著書、近刊の「戦争の日本史シリーズ」の
『蒙古襲来』の著者、新井孝重氏なんかもおおよそそんなことを書いている)

>>653
趙良弼の時の国書ならあるけど、それで良い?

665 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 05:31:24 ID:???]
それにしても昔の教育はひでえな。俺が小中学生の時に習った話と全然違うじゃねえか。
武士はまず名乗りを挙げ、一騎打ちを挑んでいる間に次々と討ち取られ、元軍の
最新鋭兵器てつはうに対して武士は、無力で一方的展開だったが元軍が、夜になって
船で休息しているところを突然台風が起こって元軍は壊滅した。この台風を神風という。
この後、日本は神国思想が広がり、後々の軍国主義につながっていった。元軍が敗退した
背景には朝鮮半島の三別抄の抵抗をはじめ、アジアでの抵抗があった。また、元軍はこれら
征服地の兵から成っており、士気が低かったことも挙げられる。
って感じだった。今思い出すと、本当に教育ってなんなんだろうね。マジで教育不信になりそう。

666 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 07:40:11 ID:???]
>>664
その辺りのいろんないきさつは大河ドラマでやってたなあ。



667 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 09:50:31 ID:???]
>>663
つまり
酷使=反日史観者への蔑称
国士=反日史観者が武士有利派をなじるときの蔑称
ということかいな

668 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:30:00 ID:???]
自分以外はみんな敵にしたい人の定義なんか気にしても仕方ない

669 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:34:25 ID:???]
>>664

>>653じゃないけどプリーズ

670 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 10:48:26 ID:???]
>>661

5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

671 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 11:19:30 ID:???]
>>663
>古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。
刀は槍より短いから理論上勝つのは無理だよー、なんて考えていたら戦場では生き残れないよな。

672 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 11:48:08 ID:???]
>>663
鈴木ってアマチュアなんだから「偉い先生」でも何でもないだろ。
単に威勢の良いが有名なだけで。

673 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 13:16:36 ID:???]
てか「これが歴史の真実だ!」みたいな感じの本出してる奴は大抵そうだなw
大学なんかの偉い先生はそもそもそんな暇無いしw

674 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 14:01:55 ID:???]
>>663
>酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。
そのくせ奴らの母国の正史である『高麗史』よりも日本の宗教書である『八幡愚童訓』を信頼するワケのわからなさw

675 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 16:26:06 ID:???]
>>633
しかも>>630すら間違っているという自爆の上に自爆を重ねるプレイ

676 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 18:49:32 ID:???]
大分スレが伸びてるけど、>>201がテンプレに貼られるのが早まるだけなのになwww



677 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 19:08:21 ID:???]
一度目の国書にした所で、要するに「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」という催促でしょうが。

勝算の有無に関しては現にお引取り頂いたんで不問としていいと思うし、そうなると南宋が立ってる間に元に付くメリットって見えて来ないんだけど。。


678 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 22:44:37 ID:???]
> 一度目の国書にした所で、要するに
> 「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」
> という催促でしょうが。
>>368-370,>>428-429を読めば分かると思うけど、第一回の国書の場合、文中での国書を発した
主旨について「いままで我々と日本とは信書の往来なども無かったから、今後は互いに通交したい」
という内容に飽くまでなっている。色々言ってはいるが、基本的に「通交したい」という主旨で
締めくくられるようなっている。

「高麗と同じような位置に付け」というが、何時の時点かで高麗とモンゴル帝国との関係は違ってくるし、
国書文中では「高麗は朕の東藩なり。」とあり、「義は 君臣と雖ども、歡は父子の若とし。」とあるように
国書が発した時点で高麗がモンゴル帝国(具体的にはクビライ政権だが)の服属・臣従国家のひとつと
していたことは疑いの余地は無い。

一方、この時の国書、特に東大寺の「蒙古国牒状」にその特徴が良く出ているが、同時に日本については
冒頭で「"奉書"日本國王」とはじまり、末文では「不宣」と締めくくっている。「不宣」とは「不宣白」の
意味。さらに、元朝後期に編纂された文書集『元文類』に日本に発せられた国書について言及があるが、
「不宣白。不臣之也」とある。
そのため、「奉書」にしても「不宣白」にしても、第一回の国書の段階で、クビライ側は日本を高麗のような
「臣」的な立場としている/しようとしている形跡はない。
これらのことから、例の杉山センセがその代表格として有名だが(主に東洋史の先生方だが)モンゴル帝国
時代の命令文書の研究から第一回の国書について言及される場合、日本に臣従を求めるとかあるいは臣下と
みなす文面などでは無い、というのが定まった見解だ。

679 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:04:22 ID:???]
>>669
了解。とりあえず>>482,>>484-485で触れたけど、>>368-370,>>428-429で上げた、
東大寺蔵の至元三年付けのいわゆる「蒙古国牒状」が高麗使臣、起居舎人・潘阜によって
もたらされた三年半後、クビライは第五次となる日本招諭に女直人出身の趙良弼を派遣した。
『元史』日本伝では至元三年八月条に>>368-370,>>428-429とほぼ同じ国書の文を
載せたたあと、至元六年十二月(1269年12月25日〜1270年1月22日)条でこの
趙良弼がもたらした国書の文も載せている。

東大寺の「蒙古国牒状」と違い、至元三年八月条では国書の文はベタ張り状態で、
至元六年十二月条の国書も同じくベタ張り状態だが、こちらもとりあえずその部分を
うpしてみる。

『元史』巻二百八 列伝第九十五 外夷一 日本 至元六年十二月条
「十二月、又命祕書監趙良弼往使。書曰:「蓋聞王者無外、高麗與朕既爲一家、王國實爲鄰境、
 故嘗馳信使修好、爲疆場之吏抑而弗通。所獲二人、敕有司慰撫、俾齎牒以還、遂復寂無所聞。
 繼欲通問、屬高麗權臣林衍構亂、坐是弗果。豈王亦因此輟不遣使、或已遣而中路梗塞、
 皆不可知。不然、日本素號知禮之國、王之君臣寧肯漫爲弗思之事乎。近已滅林衍、
 復舊王位安集其民、特命少中大夫祕書監趙良弼充國信使、持書以往。如即發使與之偕來、
 親仁善鄰、國之美事。其或猶豫以至用兵、夫誰所樂爲也、王其審圖之。」良弼將往、
 乞定與其王相見之儀。廷議與其國上下之分未定、無禮數可言。帝從之。」

ただ、見れば分かる通り、『元史』日本伝のものは、東大寺の「蒙古国牒状」に見られるような、
冒頭の「上天眷命」と 「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した
年月を欠いている。

680 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:07:26 ID:???]
>>679の続き。
某杉山センセは東大寺の「蒙古国牒状」の形式から、冒頭の「上天眷命」と「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、
それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した年月を補って、趙良弼が持って来た国書の状態を復元している。
ただ、「恐らくこんなものだったろう」的なもので、あまり厳密な復元案ではないと一応断わっておられる
ようだが、それも一応うpしてみる。
(『モンゴルが世界史を覆す』日経ビジネス文庫、2006年3月、340頁より。句読点は>>679
 附されているので敢えて省いた)
==============
上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王蓋聞王者無外高麗
 與朕既爲一家王國實爲鄰境
 故嘗馳信使修好爲疆場之吏
 抑而弗通所獲二人敕有司慰
 撫俾齎牒以還遂復寂無所聞
 繼欲通問屬高麗權臣林衍構
 亂坐是弗果豈王亦因此輟不
 遣使或已遣而中路梗塞皆不
 可知不然日本素號知禮之國、
 王之君臣寧肯漫爲弗思之事
 乎近已滅林衍復舊王位安集
 其民特命少中大夫祕書監趙
 良弼充國信使持書以往如即
 發使與之偕來親仁善鄰國之
 美事其或猶豫以至用兵夫誰
 所樂爲也
 王其審圖之不宣
   至元七年十二月 日
==============

681 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:09:24 ID:???]
>>680の続き。
この杉山センセの復元によりつつ、岩波文庫の『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』
で編訳された石原道博先生が書かれた当該部分の書き下し文と現代語訳文を適宜補いつつ
うpしてみる。
・書き下し文
==========================================
(上天よりの命に眷(いつく)しまれたる
(大蒙古國皇帝、
  日本國王を奉る。?)蓋し聞く、王者は外無しと。高麗と朕とは
  既に一家たり。王の國は實に鄰境たり。
  故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために
  抑えられて通ぜず。獲る所の二人、有司に敕して慰撫し、
  牒を齎(もた)せて以て還らしめしも、遂に復た寂として無聞く所なし。
  繼いで通問せんと欲せしも屬(たまたま)高麗の權臣・林衍、亂を構え
  是に坐して果たさず。豈に王も亦た此れに因りて輟(や)めて
  使を遣わさざりしか、或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆
  知るべからず。然らずんば、日本は素より禮を知る國と號す。
  王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。
  近ごろ已に林衍を滅ぼして王位を復舊し、其の民を安集せり。
  特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて
  國信使に充(あ)て、書を持して以て往かしむ。もし即ち
  使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の
  美事ならん。其れ或いは猶豫し、以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が
  樂しんで爲す所ならんや。
  王其れ審らかに之れを圖(はか)れ。(不宣
    至元七年十二月 日)」
==========================================


682 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/22(金) 23:10:35 ID:???]
>>681の続き。
・現代語訳文
==========================================
(上天より命を眷(いつく)しまれたる、
  大蒙古國皇帝が書を
  日本國王に奉る。?) けだし聞く、王者は外がない、と。高麗と朕とは
  既に一家である。王の国は実に隣境である。
  故にかつて信使を馳せて好を修めようとしたが、疆場の吏(国境の吏の意味。太宰府の
  役人のこと)のために抑えられて通じなかった。
  獲えた所の二人(塔二郎と弥二郎のこと)は、有司(役人)に敕して慰撫(なぐさめなでる)
  し、牒をもたせて還させたが、ついにまた寂(さびしい、ひっそり)として聞く所がない。
  つづいて通問(おとずれをする、称謝する)しようと欲したが、たまたま高麗の権臣・林衍が、
  乱を構え、これに坐して果たさなかった。なんとも王もまたこれによりて輟(や)めて
  使を遣わさなかったのか、あるいはすでに遣わしたけれども中路において梗塞(ふさぎ
  とざす)したのか、みな知ることができない。そうでないなら、日本は素から礼を知る
  国と号している。
  王の君臣は、なんであれ漫(みだ)りに思わない事をするのであろうか。
  近ごろ、すでに林衍を滅ぼして王位を復旧し、その民を安集(やすんじやわらぐ)した。
  特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて国信使に充(あ)て、書を持って往かせる。もしすぐに
  使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の
  美事であろう。それともあるいは猶予(ぐずぐず)し、そのため兵を用いるに至っては、
  それ誰が楽しんでなす所であろうか。
  王よ、よくこの点を思案されよ。(不宣
    至元七年十二月 日)」
==========================================


683 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:12:13 ID:???]
>>682の続き。
この文のすぐあとに、
「良弼、將(まさ)に往かんとし、其の王と相見の儀を定めんことを乞う。廷議すらく。
 其の國と上下の分未だ定まらず、禮數の言うべきものなしと。帝、之に從う。」
((趙)良弼は、まさに往こうとし、その王と相見の儀を定めることを乞うた。廷議(朝廷で
 論議すること)して、「その国と上下の分がまだ定まっていないし、礼数(身分相等の礼儀、
 待遇)の言うべきものはない」と。帝(クビライ)はこれに従った。)と続く。

○国書の解説
趙良弼派遣に前後する当時のクビライ宮廷と主に高麗での情勢を簡単に述べると、>>484-485でも
触れたが、この国書でも出て来る通り、前年の1269年に高麗では権臣・林衍が高麗国王元宗を廃位
する事件が起きていた。偶々クビライの宮廷から帰国途中の高麗国王の世継ぎ、世子・[言甚](たん、
後の忠烈王)が高麗国境でこのクーデターの噂を聞き付け、クビライのもとへ急使を飛ばして
クビライに詰問の使者と自らに軍の助勢を請うて林衍一派の企てを挫いたが、この事件はその後
林衍一門の一派からやがて例の三別抄の反乱が続くことになる。

・本文の内容
さて、趙良弼の持って来た国書には、林衍のクーデターによって信使の派遣が滞る状態があった
ことを述べ、こちら側の事情によって日本からの返信も届き得なかったのだろうか、という推測を
述べる。

684 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:13:24 ID:???]
>>683の続き。
ただ、続いて、

「或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆知るべからず。然らずんば、
 日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて
 漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。」

とあり、「こちらの事情のため返信出来なかったのか、あるいは途中で道が塞がれたものか、
事情の全ては知る事が出来ない」としながらも、

「日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧んぞ肯えて漫りに思わざるの事を爲さんや。」
(日本は礼を知る国と呼ばれている。日本の君臣はなんであれ心無いことをするものだろうか」)

と、婉曲的ではあるが、日本からの返信が黙殺的な状態を,
「日本は礼を知る国だから、礼儀に反するようなことをする訳がないよね?」と、返信が無い
ということは失礼な事なのだぞと、遠回しにだが、割と強く非難していることが伺える。


685 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:15:18 ID:???]
>>684の続き。
同様に、「故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために抑えられて通ぜず。」とあり、
初回の使者・潘阜が太宰府に留め置かれ、国書を日本の朝廷に手交することを妨害されたとして
ここでも太宰府側の対応を役所名を出さないまでも非難をしている。「疆場の吏」とは疆域、国境の
役人、役所の意味で、要するに太宰府のことを指している。

「もし即ち使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の美事ならん。」
(もしすぐに使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の美事であろう)

返信の使者さえあれば、善隣して、「国の美事」になろうと強調した上で、
「以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が樂しんで爲す所ならんや。」と釘を指している。
さらに「其れ或いは猶豫し、」とあり、猶予、つまりグズグズしてこれ以上の返信の遅滞するなら
兵火を交えるようになってもそれは日本側の所為になろうと、ここでも返信の黙殺を強く非難している。

・趙良弼派遣の時期における高麗周辺の情勢
>>482,>>484-485でも触れたが、最初の潘阜が太宰府に来た至元5年頃は、あまり「変な風になって
交戦状態になったら嫌ですよね〜」的なことを言っていたが、実際に日本への遠征などは、高麗近辺に
海外遠征出来るような状態も準備も無く、あまり現実味のある話ではなかった。

ところが、林衍のクーデターとその後の三別抄の反乱と討伐の過程で、クビライは高麗に課すことに
していた外征義務を実施する方向に転換し、その議論で日本遠征も実際問題として視野に入れるように
なったようだ。林衍のクーデターが一旦鎮圧され、クビライは高麗の重臣たちに事情を釈明するよう
大都に召喚している。この時に高麗の重臣のひとり李蔵用がクビライに謁見して高麗の処遇について
なんとか軍役などの負担を軽減するよう必死に交渉しており、そのなかで遠征が本格化している南宋に
なるかそれとも日本になるかまだ分からないが、ともかく軍艦などの建造や準備をしろと命じている。
この時、はじめて日本への遠征についての話が出て来た。四度に渡る招諭が失敗した末の時期にあたる。

686 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 00:22:18 ID:???]
>>685の続き。
『高麗史』の李蔵用伝によると、この時、李蔵用は高麗の国土はいまだに疲弊と荒廃から立ち直って
おらず、南宋のような遠方への派兵はどうか勘弁して頂き、命じられるのであれば間近である日本への
遠征の場合に限らせて頂きたいとクビライに懇願し、この交渉の結果、だいたいは日本遠征に
あてられるだろうとしながらも、高麗はともかく軍艦と兵員の準備をはじめることとなった。
(勿論、場合によってはやはり南宋遠征に助勢することになる可能性もこの頃はまだ十分あった。)

趙良弼派遣には、それまでの四回にわたる招諭の失敗に加え、こういった高麗国内のクーデター騒動
から来る情勢の変化が多分、色々と影響していたと思われる。

同じ時期、南宋遠征は前年の1268年に南宋最大の拠点、襄陽・樊城の包囲戦がはじまったが、
中央アジアではクビライがカイドゥなどの帝国西部の諸王族の鎮撫のためチャガタイ家の補佐として
派遣した王族バラクが独断でチャガタイ家の当主位を簒奪し、趙良弼が派遣された1269年には
中央アジアの所領を巡ってカイドゥやジョチ家のモンケ・テムルの軍と交戦するという、予想だに
しない状態に陥っていた。

元宗廃位事件はクビライが中央アジア政策で重大問題を抱えていた時期に起こっており(特にモンゴル
皇帝としての正統性、存立基盤に直結する問題だったため、中央アジア政策は最重要課題であり、
深刻だった)、日本について強硬姿勢をほのめかせるようになったのも、「腹裏」と称されたモンゴル
高原やクビライの本拠地である中都、上都開平府周辺の情勢不安を押さえ込もうと神経を尖らせていた
ことも少なからず影響しているように個人的には感じる。ただ、残念ながら、クビライ政権における
情勢の変化と、日本への招諭・使者の派遣や、その後の日本への遠征軍の派遣についての影響や関連性に
ついての研究・論及はあまり進んでいないため、何とも言い難い。



687 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 07:13:53 ID:???]
まだちょっと早いですが、京都国立博物館でなかなか良さそうな展示会が
これからあるようですので、忘れないうちに貼っておきます。
開期的に夏休みなのですな〜


シルクロード 文字を辿って―ロシア探検隊収集の文物―
2009年7月14日(火曜日)〜9月6日(日曜日)

「サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー東洋写本研究所には、
 ロシア探検隊が敦煌及び中央アジア各地において発見した貴重な文献と
 その断片、合わせて約2万件が所蔵されています。
 悠久のシルクロード周辺で記された典籍類や記録は、時代的にはほぼ4世紀から
 12世紀にわたっており、写本の仏教経典を中心に漢文・西夏語・コータン語・
 トハラ語・ソグド語のものなどもあります。それらの中から選りすぐった
 優品約150件を展示、その大半が日本初公開です。」

会場 京都国立博物館 特別展示館

ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/korekara/index.html
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/silkroad.pdf

688 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 07:15:18 ID:???]
失礼。誤爆しました(汗

689 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:33:12 ID:???]
久々に行ってみるかな。それにしてもkyohakuという略し方はいかがなものか

690 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:50:41 ID:???]
対馬と壱岐の犠牲者に哀悼の意を表します

691 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 08:53:15 ID:???]
ムクリコクリの子孫は対馬と壱岐に謝罪と補償をすべき

692 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 09:34:32 ID:???]
> ムクリコクリ
民俗学の泰斗・折口信夫は、北九州近辺で子供を躾ける時に見られる、「ムクリコクリの鬼が来る」と
いう脅し文句の「ムクリコクリ」とは、通常「蒙古」「高句麗(高麗)」の訛音とされると言われているけど、
本来は勿怪やもっこ、ナマハゲと同じ種類のもの、常世からあるいは深山やって来て子供を恐れさせる「剥くる」
とか「こくる(こそぎ落とす)」系の化け物が起源じゃないか、というようなことを言ってるようだ。

元々は全然関係ないものが、たまたま音が似通っているから蒙古や高麗に結び付けられているんじゃなかろうか
的なことらしい。
ただ、鎌倉時代末期の法律用語解説書、『沙汰未練書』には「一 蒙古トハ、異国ムクリの事也」とは書いてあるけど。

693 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:01:11 ID:???]
元寇とベトナム戦争における高麗・韓国兵の比較

元寇の際の高麗軍による壱岐対馬の島民大虐殺
・島の男は幼児・赤子に至るまで皆殺しにした上、耳鼻を削いだ。
・女性は強姦され、手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
・高麗軍の将兵が彼女等をレイプしながら博多湾に侵攻した。
・捕虜となった者は、誰一人生きて帰った者は居なかった。

ベトナム戦争の際の韓国兵の大虐殺
・住民たち(大部分が女性と老人, 子供達)を一ケ所に集めた後、又はいくつかのグループに
  まとめて、機関銃を乱射して抹殺した。
・住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やした。
・子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込んだ。
・女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した。
・住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させた。

共通の特徴として
@宗主国の「傭兵」として派遣され、無抵抗の現地住民を徹底かつ残忍に虐殺している。
A老若男女皆殺し、特に幼児や妊婦に至るまで死体損壊を徹底して行っている。
Bその事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
C逆に時間が経つと、自分達が「強制的」に狩り出された、辛い立場の被害者だったと言い出す。

壱岐対馬とベトナムの700(1274-1967)年と3千kmの時空を越え、同様な虐殺が繰り返されたが、
余りの共通点の多さに慄然とする。朝鮮民族の気質は全く変わっていないことが解る。

694 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:03:03 ID:???]
>耳鼻を削いだ。
その割には朝鮮出兵で日本軍の耳そぎを残虐だと非難していますね。

695 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:39:40 ID:???]
> 手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
「強制連行」したのは間違い無いんだけど、「手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に吊るした」
って部分は最近疑義がもたれているらしい。

696 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 10:40:25 ID:???]
ソースは



697 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:15:05 ID:???]
5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

698 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:41:40 ID:???]
>>694
日本の場合は、単に首だと邪魔になるから、代わりに耳や鼻の数で
戦果報告する習慣があったが、元軍のもそれに近いの?

699 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:42:56 ID:???]
>>696
もともと、文永の役の時に高麗軍だか蒙古軍だかが対馬や壱岐で女子供の手に穴を空けて
それに縄を通して連行した、という話の元ネタは、日蓮が文永の役の二年後というか翌年にあたる
建治元年に出した書簡の一部に出てくるもの。日蓮が身延から佐渡国在住の一谷(いちのさわ)入道
という人物の女房に宛てた書簡(通称「一谷入道御書」)で、日蓮の書簡集である『高祖遺文録』
に収められているそうだ。建治元年(らしい)五月八日の日付を持つもの(一応原本の一部が現存)。

「(前略)日蓮か申事は、愚なる者の申事なれは用ひす、されとも去文永十一年太歳甲戌十月に、
 蒙古國より筑紫によせて有しに、對島の者かためて有しに、總馬尉(宗助国)逃けれは、百姓等は
 男をは或は殺し、或は生取にし、女をは或は取集て、手をとをして船に結付、或は生取にす、一人も
 助かる者なし」

というのがそれ。「手をとをして」という部分は多分、「手のひらあたりに穴を空けて縄を通した」
という意味ではないかと、この書簡が引用される際に一般には言われている。

文永弘安の役前後の状況から日蓮のこの書簡の内容を検討した、という研究は実は今まであまりされて
いなかったようで、最近になって日蓮の書簡研究をやっている若江賢三という人がこの「一谷入道御書」
をはじめ、日蓮が蒙古襲来を言及したいくつかの書簡の系年研究を論文にしている。

「一谷入道御書」には出された月日は書かれているが、年号が附されていないため何時頃出されたかが
問題になっていて、同氏の結論としては様々な事情からこの書簡について伝承で述べられている通り、
建治元年のものと結論している。


700 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:45:11 ID:???]
>>699の続き。
それ以外の問題で、特に文永の役の時の蒙古軍側の蛮行のソースとして引用される同書簡だが、そもそも
捕虜の連行の際に、手に穴を通すなどという著しい外傷は化膿をおこさせ捕虜の生命に損亡させる行為
であり、人的財産である捕虜の連行でそのような事態があり得るのだろうか、という疑問をあげる。
他にも同書簡では対馬守護代の總馬尉(宗助国)が百姓を見捨てて逃亡したと言っているが、
鎌倉時代末期から室町時代にかけての宗氏の資料を見る限り、宗助国は対馬で討ち死にしたことは
どうも動かし難いようなので、日蓮が文永の役の翌々年に聞き知った「總馬尉(宗助国)逃けれは」
というのは誤報だったといえるようだ。

文永の役の翌年、文永12年の段階では、対馬や壱岐、博多が襲撃されたことは知らされていたが、
その内容までは分かっていなかった。ところが、翌々年の建治元年になると、対馬や壱岐での惨状が
色々入って来るようになったものの、かなりの損害を受けたということは確実だが内容はひどく混乱
していたようで、誤情報も入り乱れ仄聞した大仰な内容に動転していのではないかと、氏は推測している。

建治2年になると、実際の被害状況についても情報が整理されはじめたようで、日蓮のその後の書簡でも
対馬の住民が連行されたりしたことを非難する内容が多く見られるが、「手をとをして船に結付」という
ような生々しい情報は全く見られなくなる。対馬や壱岐の惨状を最初に伝えられたときに、未確認情報
ながら聞いた事がショッキングな内容だったためそれを書簡に書いたが、その後の情報では住民が
連行されたという以上の事は確実ではなかったので書かなくなったのではないか、と論じているようだ。
(若江賢三「蒙古襲来の伝聞を巡って--日蓮遺文の系年研究」『人文学論叢』8(2006年)

701 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 11:52:22 ID:???]
>>700の続き。
確かに、モンゴル帝国の戦役で、(中央アジア遠征など)外征先の住人を捕虜として掠奪・連行し、
奴隷として各種の農工業の人員として各地に投下して使役したという話はあるが、捕虜を縄や首木を
はめて連行したというなら話はあるが、「手をとをして船に結付」みたいな真似をした例は聞いた事が無い。

ちなみに、「手をとをして船に結付」という話は、20世紀編纂された、『元史』の改訂版、『新元史』の
日本伝にも出て来るんだが、編者の柯劭[文+心](かしょうびん)が『高祖遺文録』など日本からの資料から
孫引きしたものらしい。たまにモンゴル時代の史料として『新元史』が引用される場合があるが、
柯劭[文+心](かしょうびん)は記述の典拠を本文中で記していないため、それと分かるもの以外は、どこから
引いて来たのか分からない話が多く、資料としては問題があり過ぎるので、使う時そのまま引用するのはかなり
推奨"さない"もので、、むしろ元ネタになっただろう漢籍やペルシア語やその他の資料を直接当たった方が良い。

(『新元史』は20世紀初頭の編纂物なのでモンゴル帝国時代の「史料」としては使えないうえ、
 初歩的な誤記脱漏など細部の誤りが多くて、中国内外の歴史家やモンゴル史研究者などからも
 えらく批難されて、非常〜〜に人気が悪かった。)


702 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:19:57 ID:???]
そもそも700年前の出来事に「野蛮だ!野蛮だ!」と喚く時点で国書厨や秀吉の朝鮮攻めに謝罪を求める韓国人と同レベル。
それに
>その事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
とあるがベトナム戦争に関しては大統領が謝罪と賠償を行っているので間違い。

703 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:54:20 ID:???]
改行しっかり!

704 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 12:57:13 ID:???]
ムクリコクリが来ているようだな

705 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 13:17:01 ID:???]
>>702
確かに、いまだに元軍は残虐だの謝罪だの言ってる奴は韓国人と変わらんね

706 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 15:03:29 ID:???]
>>702
それ、後で韓国内の世論から猛反発受けて、取り消したんじゃなかったっけ?



707 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/23(土) 23:40:57 ID:???]
>>701
モンゴル帝国の戦役で他に糞チョンを動員した例が有ったっけ?

モンゴルの連中が対馬やもっと沖の島を領地に貰って嬉しがるとも思えんから、実態は高麗領に編入だわな。
その時に捨てるほど余ってる自国民を入植させても良い訳で、一番ローコストな輸送法を選択しただけ。
勝てば代わりは幾らでも手に入るし。
(大航海時代以降の大西洋でも、輸送ロスって何?状態な運び方はしてた訳で、それがエスカレートすれば有り得る)

708 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 07:25:04 ID:???]
そもそも人体の構造として掌に体重をささえる強度は無く、言われるような事をすると
肉が破れて落ちていくとか。

709 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 07:30:05 ID:???]
そりゃ牛に鼻輪をしたからって船からぶら下げたりしない、犬に首輪をしたからって以下同文。

710 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 10:33:20 ID:???]
>>708
同じ理由で、かのキリストの磔でも実際には手のひらじゃなくて腕に釘を打ち込んだとか。

711 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 12:51:51 ID:???]
まあ鼻から針金とおしたり食人したりする国で
捕虜の健康状態を気にしてくれるとも思えんけどね





712 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 13:23:17 ID:???]
>>711
そもそも近代になるまでに、捕虜が人道的に扱われること自体稀。

713 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:09:06 ID:???]
牛でも犬でも繋いで置くことは出来るよね。十分「括り付けた」状態でしょ?
何で船からぶら下げる話になっちゃったんだろう。


714 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:16:44 ID:???]
>>713
ワシの言う通りにしないと国が滅びるぞって言ってた電波親父が、人を脅すためにでっち上げたから。

715 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:35:20 ID:???]
>>713
挑発および矢除けって説明してあったな

716 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 14:38:35 ID:???]
そもそもぶら下げたとかいうことじゃなくて
手の甲を通した捕虜を甲板に一列に立たせてあったとかう説明だったと思ったがどこからぶら下げたことになっちゃったんだ



717 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 15:34:36 ID:???]
>>712
おっと
日本軍の話題はそれまでだ

718 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:05:11 ID:???]
スレチガイだが一応
「日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り日本軍人であることに誇りを持っていた。
支那兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で例えば中共軍の捕虜になると、
四肢を斬り分けられ生きながらに火あぶりにされたり、はりつけにされたりしたのである
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、男根を切り落し胸部を切り開いて石を詰め込み、
首は両耳を穿って紐や針金を通しさながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々それが中共軍の戦争様式であり
日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」
国際法学者ポール・フォーシーユ




719 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:19:48 ID:???]
>>718
フォーシーユが序言を寄せたのは日清戦争に関する著作なのに、なんで「中共軍」が出てくるの?

720 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:35:35 ID:???]
>>718
まあ日本軍は、太平洋戦争までの戦争は基本捕虜に対してかなり人道的だな。第二次世界大戦の捕虜の大量死は
虐待ってより、日本兵自体物資がなくて大量死してるから、捕虜の面倒みる余裕なんてなかったんだろう。
虐待にはかわりないが、同時に自国の兵への虐待でもあるな。

721 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 18:57:14 ID:???]
>>720
自分の食料を削って捕虜に大根やゴボウを食わせたら
それを理由に有罪にされた奴もいたとか

罪状は「捕虜に木の根を食わせて虐待した」

722 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:08:10 ID:???]
>>721
それはけしからんな、捕虜の癖に感謝が足らん。
酒のツマミに喰われなかった事を感謝して欲しいくらいだが。

723 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:53:05 ID:???]
父島じゃホントに酒の肴にしたけどなw

724 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 19:54:43 ID:???]
戦前は、フビライ=ハンて意外と人気あったんだな。

全世界英雄番附東洋編(明治42年 アンケート)
 1 豊臣秀吉
 2 チンギスハン
 3 徳川家康
 4 西郷隆盛
 5 北条時宗
 6 始皇帝
 7 諸葛孔明
 8 源頼朝
 9 伊達政宗
10 織田信長
11 源義経
12 毛利元就
13 フビライハン ←ここ

725 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 22:33:33 ID:???]
それ以前に北条時宗が入ってることに感動したよ。
今なら「北条時宗?台風に救われたラッキーボーイだろ?」
って答えるバカが大多数だろうからなあ。

726 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 23:47:07 ID:???]
今なら頼朝が義経の上ってのもないだろうな。



727 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/24(日) 23:47:15 ID:???]
あれ?どっかの誰かが戦前は、徳川家康と源頼朝は皇国史観によって不当に貶められたとか
言ってなかったっけ?あれ嘘なのか?現代とは比べ物にならないくらい評価高いじゃん。

728 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/05/25(月) 00:17:08 ID:???]
しかし公平な評価をしようと言う動きがちゃんと認められるよね。
いや、半島で同じアンケートをして、自国の英雄が何人出てくるか知らんが秀吉は絶対に無いだろw






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