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【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】



1 名前:名無し三等兵 [2009/03/21(土) 06:34:55 ID:Mw6fCZR/]
前スレが大分前に落ちたみたいなので立てました。
近代以前に対外戦争の経験が殆ど無い日本にとっては
間違いなく中世において最大の国難であった2度にわたる元寇。
幸いにも2度とも撃退することに成功し、属国化を免れましたが
その要因としては様々なものが挙げられます。
ここは元寇について主に元軍、鎌倉幕府軍双方の
装備、戦術、兵站などについて語るスレです。


関連スレ
【モンゴル】元寇4【高麗】
academy6.2ch.net/test/read.html/history/1220964839/l100
モンゴル帝国に支配されなかった地域
academy6.2ch.net/test/read.html/whis/1232680543/l100



138 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/19(日) 21:49:29 ID:???]
>>136
金建国以前から女真の数はタかが知れてるので
満州から北京あたりの北方中国人だろうな
高麗人も従来言われてた高麗軍のみでないなら万は超えるだろう

139 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/19(日) 21:57:21 ID:???]
吉川弘文館から「戦争の日本史」シリーズ7
新井孝重の蒙古襲来が面白い

勘仲記(書いたの公家だからどこまで信用できるかわからんが)
によれば姿を消したのは27日であり1日でケリがついたのではないという
自論を展開してた

140 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/19(日) 22:04:08 ID:???]
まあそれはいいとして重要なのは
「1日でケリがついたなら沖の船から3万を越す大軍が1日で上陸できるわけない」
と書いてあってなるほどと思ったわけだ >>129-132

沖の船から何度も小舟で往復して兵を上陸させるって確かに途方にくれる話だ

で、あと思い付いたのが元軍が船に戻ったのもこれが原因かと
兵と少量の物資ぐらいしか沖上げできないとなると
陣地も構築でなきない状態で夜襲を警戒するより沖に戻るのはありかと
浜の兵力が数千の兵力ならおかしい話ではない

141 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/19(日) 22:07:34 ID:???]
この本は日本側の弓が相変わらず射程が半分もないとか書いてあったが
いろいろ注目すべき点とか見つかったよ
他に一つあげると
威力偵察説は間違いで単に幕府を交渉の場に引きずり出すだけだった説で
このほうがあっさりした戦闘も納得がいくな

142 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/20(月) 09:12:38 ID:???]
>>141
文永の役後、元の使者はことごとく殺されてるし、交渉の場に引きずり出せてないだろ。

143 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/20(月) 09:56:09 ID:???]
まあその説を仮に支持するとすれば
交渉の場に引きずりだすはずがぼろ負けして失敗したってことだろ

やつらの頭の中にある日本への介入目的の中に日本に不均衡貿易を迫る腹づもりが含まれていたであろうことは確か
というよりそもそも元は日本に「俺に挨拶しにこい、俺が上だと認めろ」という国書を送ってきている


それを交渉とかきれいな言葉で飾るにせよストレートに侵略というにせよね


144 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/20(月) 15:20:36 ID:???]
まったく交渉に応じないから
とりあえず脅すかってつもりの派遣じゃないのかな
だからあっさり1日で帰ったと
もとより征服でもなければ威力偵察でもないと

万の軍勢見れば態度が変わると甘く見ていたんだろう

145 名前:名無し三等兵 [2009/04/20(月) 19:41:02 ID:KFAk5pZw]
>>132
自分が見た初心者向けの本でも
兵力分散に触れてた
対馬や壱岐で惜しげもなく矢を消費し
島内で何日も山狩りした結果
博多での戦闘を1日で切り上げた
なんて見解もあって
初心者向けにしては目の付け所が上手いとオモタわ

146 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/20(月) 20:36:58 ID:???]
こうやってみると益々何がしたかったのかサッパリわからんなw



147 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/20(月) 20:54:12 ID:???]
>>145
それあるかもな。対馬と壱岐で張り切りすぎて、本土での戦いで息が続かなかった
っていうのはあり得そう。

148 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/21(火) 02:35:41 ID:???]
日本側から出兵した白村江や朝鮮出兵の例を見れば分かるとおり、手を出したほうが苦労する条件下だからな。
蒙古の意図がどこにあったにせよ、失敗は宿命だろ。

149 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/21(火) 07:56:03 ID:???]
>>147
向こうは日本の地理を、あんま正確に把握してなかったみたいだし、その線もアリかも。

150 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/21(火) 10:49:25 ID:???]
その線で行くと元は我々の想像する以上に頭の悪い国だったことになってしまうな

151 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/21(火) 14:19:39 ID:???]
なんだかんだ言っても中世なんだしそんなもんじゃね?

152 名前:名無し三等兵 [2009/04/21(火) 19:12:20 ID:3PjceMMb]
って事は、マルコポーロが聞いて帰ったガセネタ信じてた可能性もあるのかw


153 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 03:53:07 ID:???]
がセネタ?
少なくとも中世日本は有数の金産出国、銀産出国だぜ?

154 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 05:30:37 ID:???]
>>145
『八幡ノ蒙古記』の対馬、壱岐での戦闘の経過だと、船団から一千人だか数百人ほど上陸して、
対馬や壱岐の守備部隊は蒙古側の兵をいくらか討ち取ったりしたものの、結局奮戦空しく全滅した、
的なことが書かれてあるみたい。
この書き方を信じるなら、派遣軍の戦力全部を使って攻め落としたわけではなく、全体の戦力を
ある程度温存しつつ前衛部分で攻め落とさせていた的な拠点攻略の常道に沿った作戦で戦ってた
ような雰囲気だけど・・
やはり初めから博多上陸からそんな長居するつもりの装備じゃなかったんじゃないかと思える。

>>150
『東方見聞録』あたりのマルコ・ポーロの記述は、当時の南宋とか華北(あるいはクビライの宮廷?)
での伝聞によると、クビライのジパングへの軍派遣の有り様はこうだった的な感じなので、日本への
派遣自体には情報提供も含めてマルコ・ポーロは関わってないと思う。

明代に編纂されたらしい、『元高麗紀事』って資料によると耽羅島で捕虜になった連中から、太宰府を
攻めるには二、三万の兵力が必要だとか言ったため、日本へ派兵するときにはこの規模が採用された的な
記事があるんだとか。
これも含めて、『高麗史』や『元史』の日本遠征に関わる記事では、クビライ政権での日本遠征についての
方針決定には高麗政府や范文虎みたいなクビライ側に下った南宋系の官僚とか、日本に「そこそこ」近い筋
からの情報や提言に依拠している部分があるから、日本と殆どかかわりが無いいわゆる「色目人」が意見する
余地はまず無かったと思う。(蒲寿庚みたいな海洋部門に大きく関わってる連中とか、日本遠征のために
兵力を供出しなければならない地方の官僚とかだったら当然違うだろうけど)


155 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 05:43:43 ID:???]
>>145
文永の役後の元朝から何度も使者を送っては処刑されるって情勢は、
「軍を送りつけたんだからこちらはいつでも領土征服出来る準備がある。ともかく何かしら返事くらいしろ!」
という元朝側の態度(本当は南宋を征服しないと軍の派遣は継続出来ない)に対して、
「使者も斬ってるんだから交渉決裂だろ、察しろ!」という無言のやりとりだった感じがする。
日本には大陸的な交渉のアプローチが全然通用していなかったような、意思疎通のギャップみたいなものを感じる。


156 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 05:44:28 ID:???]
>>155の続き。

>>149
明代とか李氏朝鮮で作られた混一疆理歴代国都之図やその系統の地図を見ると、中国本土や朝鮮半島のすぐ
隣国なのに、日本の地理がちゃんと描かれている物は以外と少ない。(ひどいのだとサツマイモみたいな島が
3つ並んで、そこに武蔵とか近江とかの国名の書かれた枠がめちゃくちゃに配置されていたりする)
元朝後期に編纂された『宋史』あたりの日本伝だと、陸奥国から日向国とか日本の領内にある地域名の情報自体は
知られていたようだけど、具体的な位置関係は良く分かっていなかったんじゃないかと思わせる部分もある。

中〜大規模な遠征を行うなかで具体的な地理情報は現地で徐々に資料を接収していけば、決定的な情報不足を補える
んではないか、という思惑もあったんじゃないだろうか。

チンギスの時代のホラズム遠征とか西アジア遠征では、ホラズム周辺出身の官僚たちが既にモンゴル宮廷で
働いていたし、当時は中央アジアからモロッコのあたりまでを扱ったアラビア語やペルシア語で書かれた
地理書や地図が結構で回っていたし(あまり正確ではなかったけどインドネシア方面の地理も知られていた)、
中国も宋代に華北から江南全域をカバーする地図や地理書が、製作されていて、ことおおよその地理情報に
関しては殆どの場合、実はモンゴル帝国側は事前に大規模な遠征先での地理情報には困らない環境にあった。
(バトゥの欧州遠征の場合はそこら辺は謎。ウィーン郊外で撃破されたモンゴル軍の小部隊にイングランド人の
 使者が混じっていて、バトゥの遠征には彼の情報が役立ったとかいう話があるそうだけど)

ただ、日本遠征の場合、金朝や南宋で行基図みたいな地図が大陸にどれだけ知られていたかは分からないから、
恐らく日本についての具体的な地理情報は1から収集しなければならなかったのかも。




157 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 09:29:37 ID:???]
>>156
日本の地理情報を得るためにしては、明らかに進軍行程が短すぎる。
わずか博多までの進軍じゃあ、日本の地理なんて全くわからない。
日本の地理を知ろうと考えていたならば最低でも、水城や大宰府まで
の行程は抑えておくべきだったんじゃないかな。それに間者で知れた
可能性もないことはないが、そもそもそんなことするぐらいなら軍なんて
派遣する必要もないしな。

158 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 13:43:17 ID:???]
大軍を使ってのデモンストレーションでしょう
対馬や壱岐や鷹島への上陸が何故必要だったかとかも考えてみるとさ

159 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 20:35:53 ID:???]
で、結局何がしたかったんあいつら?

160 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 20:45:06 ID:???]
あまりにも元軍が文永の役で得たものが少ない(むしろマイナスに働いてる)ところを見ると、普通に元軍が敗北したんじゃないか。
文永の役後、鎌倉幕府が大陸攻めを計画したり、元が文永の役の3倍以上の14万もの大軍団を派遣したところを見ると、鎌倉武士が文永の役で敗北した
にしては不自然すぎる。

161 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 22:29:07 ID:???]
>>160
まあ、そうだろうね。
文永の役について言うと、むしろ早い段階で退却を決断した元軍の判断を褒めるべきだ。
万単位の軍を一夜にして撤退させるのは容易なことではない。
仮に元軍が進撃を続けて、水城の守りを突破し大宰府を占領することが出来たとしても、
鎌倉からやってくる日本軍主力と決戦し勝利するのは無理だ。
結局あの時点で退却するのが一番傷が浅いし、「日本軍10万と戦いこれを破った」といった
大本営発表をすることも出来る。

162 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/22(水) 23:22:51 ID:???]
少し上のネタだが、上陸がそれほど多数でないなら撤退も簡単では
夜になってからの撤退だよね
朝よりも沖の大船と陸を往復する小船は多少難儀するだろうし

あともうひとつのネタの既に矢を消費したってのも影響してそう

163 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/23(木) 13:29:09 ID:???]
>>161
そもそもあの時点で博多周辺の武士は1万程度しかいないのに
10万ってのは…モンゴルちゃんもよくまあ大ぼらふいたもんだよね

164 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/23(木) 14:17:39 ID:???]
中国ってのはそういう文化だ。
まして島国でまったく実情がわからないんじゃね。

165 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/23(木) 19:17:46 ID:???]
>>163
そもそも当時の鎌倉幕府に十万も兵力動員する力あったんかと。

166 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/23(木) 21:40:04 ID:???]
>>165
鎌倉時代の日本の人口は約1000万だから兵力は結構あっただろう。
問題は兵站だな。



167 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/24(金) 11:40:05 ID:???]
>>165
食いもんの心配を無視すれば20万ぐらいはいけるんだそうな
そのために四年も前から北条ちゃん政敵潰しにがんばってたやん

>>166
武士じゃないけど防塁の建築スピードから見てもとりあえず「男ならだれでもいい」っていう
条件下なら相当な動員をかけれるみたいだな

168 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/24(金) 11:53:06 ID:???]
>>165
弘安の時は関東から10万の軍勢が派遣された筈。
現地に到着する前に決着がついたけど。

169 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/24(金) 19:33:04 ID:???]
Wikipediaに威力偵察説が書かれてるが、偵察ですらない単なる示威行為だと書いたほうがいいな

170 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/24(金) 19:51:30 ID:???]
威力偵察いいたいだけちゃうんか説

171 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/24(金) 23:18:58 ID:???]
威力偵察→相手の実力を探るどころか、完全にこちらの手の内晒しちゃいました。
示威行為→調子こいて対馬や博多で虐殺したら、相手はビビるどころか完全にマジ切れしちゃいました。


矢数の件にしてもそうだが、変な理由つけるより
普通に大宰府攻略して足場固めしようとしたんだけど
武士に阻止されちゃいましたーの方がまだ元の面目が立ちそうだがな。

172 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/25(土) 01:03:52 ID:???]
元がどの程度本気だったかがわからんよな
示威行為が一番自然に思える

173 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/25(土) 01:53:03 ID:???]
>>171
結局どの説とっても元軍の思い通りにはならなかったんだな。

174 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/25(土) 03:07:52 ID:???]
示威行為だからって手を抜くようでは所詮何にもならんわなw
事実なら元はますますダメ軍隊に格下げだな

普通に戦って普通に負けたってのが実は一番元にとっては都合がいい
まあここで元擁護してる連中はほぼ100%モンゴルにはこれっぽちも思い入れがない
単に武士の足引っ張りたいだけの人だから元軍がいくらしょぼい評価になっても構わないんだろう

175 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/25(土) 04:13:29 ID:???]
示威説は昔からあるしネットでも見るけど、今後はわけのわからん威力偵察よりこっちが主流になるだろう

176 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/25(土) 04:45:14 ID:???]
示威行為だからって本気じゃないっていう論調はおかしい
本気でやらなきゃ示威にならねえっつうの



177 名前:名無し三等兵 [2009/04/26(日) 09:56:33 ID:lF2ldN45]
和弓は、動物の腱を使った合成弓であるモンゴル短弓より威力も射程も劣る。

178 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 11:11:45 ID:???]
でも実際は和弓にかなわず敗走しているけどねw

179 名前:名無し三等兵 [2009/04/26(日) 11:15:37 ID:Dps5b5yN]
武器がよくても運用が下手じゃ意味ないけどね
-----------------------------------------------------------------

record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

-----------------------------------------------------------------

和弓圧勝だなこりゃ




180 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 12:31:47 ID:???]
>>177
威力も射程も遥かに上となると、単純に考えると
2〜3人張りが普通だったの和弓より張力が遥かに上と言うわけだが
そんな張力に耐えられるような材料が中世にあったの?
まさか現在の競技用アーチェリーと弓道を比較してるんじゃないだろうな?

181 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 13:26:51 ID:???]
鎌倉時代後期になると和弓も高級品は鹿を使った合成弓つくったり
竹をカーボン加工(驚)したりしてたんだよな

182 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 14:27:28 ID:???]
>>177
モンゴル人が指揮官ぐらいしかいない状態でそれを出しても意味が無い
高麗の弓と比べろよ

183 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 15:29:16 ID:???]
高麗から派遣された兵はともかく、蒙漢軍はちゃんと
モンゴルの正規軍の装備してたんじゃないの?


余談だが英語のウィキだと、朝鮮弓はトルコ弓並みの性能に捏造されてるw

184 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 17:10:55 ID:???]
wikiもブログと変わらんな

185 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 17:15:35 ID:???]
で、実際の朝鮮弓ってどうなの?
酷使様やサヨによる物じゃないちゃんとした評価が知りたいんだけど。

186 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 18:29:54 ID:???]
大陸式の合成弓で、それなりに優秀だったとか。それ以外はわからん。
てか朝鮮半島って、両斑の事もあるのか知らんが
兵制とか装備に関する記録が殆ど残ってないからわからんのよ。



187 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 19:45:57 ID:???]
江戸時代
ちっこい弓で「あたーりー」とかやらせる娯楽施設があったが
あのおもちゃの弓よりはつよいんじゃね


188 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 20:19:07 ID:???]
短弓のいいところは連射できることだな

189 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 21:22:15 ID:???]
>>183
『蒙古襲来絵詞』に描かれている蒙古兵は弓は大陸のそれっぽい感じなんだが、
どれも矢筒の形式が当時のテュルク・モンゴル系の遊牧民のそれとは全然違うので、
テュルク・モンゴル系のそれそっくりそのままという訳では無いように思う。

朝鮮というか当時は高麗だが、文永の役の時に日本へ派遣された部隊は、当時の高麗領の
北方に展開していた、旧金朝に仕えていた契丹人や女直人、漢人などに、モンゴル系の
投下集団が加わった種々の屯田軍が母体だったので(特に女直人が言及されている)、
むしろ、遼朝や金朝での(主に歩兵の)弓矢の形式やデータなんかを比較材料にした方が
良いんじゃないだろうか。

あと、一応オゴデイの時代に高麗に侵攻したモンゴル軍の司令官はサルタイという人物だった
んだけど、この人物、高麗の首都開京や漢陽山城を劫略した後、南に隣接する処仁城という
場所を包囲中、ちょっと油断した隙に城中に立て篭っていた坊さんのひとりに射殺されている。
(このあとモンゴル軍は高麗からすぐさま撤退し、この坊さんは高麗から恩賞を受け、還俗して
「金允侯」という名乗りを許されて江華島の高麗政府に登用されたらしい)


190 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 21:28:57 ID:???]
>>189の続き。

弓矢について『蒙古襲来絵詞』や『八幡愚童訓』でも両書に共通しているのは「矢さきを、そろへて
雨のことくに、いけるに」とあるように蒙古側の射撃の量が多い点なので、違いはそこら辺にあるのでは
ないか。「蒙古か矢、みしかしといへとも」ともあって大陸の弓矢は日本のものよりも短かったことは
当時も目を惹いたようだけど、>>187の人も言うようにより連射し易かったとかはありそう。

また、『八幡愚童訓』では例の劉復亨を射倒した少弐景資らの話や、敗色が濃くなり赤坂から
なんとか逃げた山田家の若者五人は蒙古側の騎馬三人から追撃されたものの、これを迎え撃って蒙古二人を
射殺したという話もある。

しかし同時に「楯、鉾、長柄、物の具の、あき間をさして、はつさす」ともあり、『蒙古襲来絵詞』でも
『八幡愚童訓』でも蒙古軍側も武士側も弓矢による攻撃に効果があったことは書かれているので、それほど
命中するかどうか顕著な差が両者にあったようには思えない。

当時の日本の弓矢と大陸の弓矢との優劣を云々するのは個人的にそんなには興味を惹かないけど、
最近の日本史の研究者の人たちの著書で、良く日本の弓は大陸のそれよりも性能的に劣っていた、
という主張は割合見るものの、いまひとつその論拠は曖昧な感じで、当時の大陸の軍事関係の
資料やデータに基づいているとかでもなくて、漠然とした印象だけで言っているような危うさが
あって、そこら辺は凄く気になる。(文永の役の時の司令官は『高麗史』とかで確認すれば「忽敦」
だったのははっきり書かれているなのに、「忻都」と良く間違える場合も多い)

191 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 21:40:17 ID:???]
>>189の補足。
サルタイの射殺以外にも、都市や城塞の包囲中にモンゴルの王侯が包囲されている城中から
放たれた矢が命中して戦死したって話は割と多くて、他にもチンギス・カンの中央アジア遠征中、
バーミヤーンの包囲中にチャガタイの長男モエトゥゲンも城中からの流れ矢に当たって戦死して
いるし、バトゥのルーシ遠征に参加したチンギスの第2皇后クランの長男だったコルゲンも
コロムナという都市を包囲中に同じく城中の敵からの矢に当たって戦死している。

当時の高麗とモンゴル側の弓矢にどれだけ性能差があったかは知らないけれど、その人の腕にも
よるのだろうが、包囲している敵の主将を射殺するだけの性能はあったようだ。

192 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 21:49:54 ID:???]
元軍は兵士一人が携帯する矢の数が武士のそれより多そう。
短い矢を遠くに放つアウトレンジ戦法で、命中率と威力の低さを数で補ったような
感じ。面目標に対する制圧射撃。
武士は果敢に接近して点目標に対し装甲貫徹力の高い正確な狙撃を行った感じ。

193 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/26(日) 23:16:40 ID:???]
へえ。モンゴルの将軍を射殺した高麗の坊さんの話は初めて知ったわ。

そういや、武士達はてつはう以外には毒矢に驚いたようだけど
元軍のは矢が軽い分飛距離は伸びるが、威力が低くなるので
それを補う為に毒を塗ってたというわけかな。

194 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 01:23:07 ID:???]
毒矢は標準装備ではなく一部の装備の筈だよ
おそらく漢人部隊や高麗人部隊の一部だろうね

昔から大陸や朝鮮半島の戦争では良く使われてて
その威力も評価されていたが、生産能力の限界と維持管理の大変さから
一部での使用に留まっていた

文禄・慶長の役での朝鮮側記録にも日本軍相手に毒矢は大変効果的だが
生産と管理が難しくて少数の運用に留まっているという記録がある

195 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 01:45:39 ID:???]
盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 3
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1218900522/

747 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/26(日) 00:45:19 ID:k+TTJD8b
>>743
>和弓が優秀過ぎて出番無し。
和弓が短弓や弩より優秀なんて事実はないよ。
英軍のロングボウの例は無関係。

元寇や朝鮮征伐の歴史を振り返るまでもなく、

日本がオリンピックに出場し始めた頃、
和弓の達人チームがアーチェリー競技に出て
ビリになった事実は有名だよ。


196 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 07:17:56 ID:???]
>>194
じゃあチンギスが毒矢で死にかけたけど、ジェルメが吸い出したって話は創作?



197 名前:鎌倉幕府は反省しる! mailto:sage [2009/04/27(月) 13:31:11 ID:???]
tafu.iza.ne.jp/blog/entry/744565/
>● また『元寇』自体の教え方にも問題がある。元の侵略は鎌倉幕府側に責任がある…という馬鹿げた論説が罷り通っているのだ。

198 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 17:42:29 ID:???]
どう贔屓目に見ても得宗家の責任だろww

丁重な文面を携えて送られてきた外交使節をガン無視
丁重な文面を携えて送られてきた外交使節をガン無視
三度も派遣されてきた外交使節を殺害
10:0で特宗家の過失

199 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 17:45:05 ID:???]
弁護はしない

200 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 17:57:52 ID:???]
国書の内容
天の恵みを受けたモンゴルの皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけどおまえんとこみたいな小国はさ国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
そういえばさ俺が即位してすぐお隣の朝鮮と講和したらさ
あいつら超しっぽふってきたぞw
おまえらも当然おれの子分になるよな?
俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつきてねーけど
きっとおまえら世の中の変化を知らないだけだよな?
しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw
じゃあな!

201 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???]
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

202 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 19:20:05 ID:???]
>>197
なんか軍事板とは水と油のウヨサイトだな
まあ面白い事も書いてあるけど

以下転載

しかし史実では、文永の役において対馬で玉砕した宗助国の軍勢の中に
肥前(佐賀・長崎県)や阿波(徳島県)の御家人がいたことが記録されている。
本土からの増援兵力が僅かながらも差し向けられていた訳である。

また弘安の役では、事前に派遣されていた「武幹の士」が島民と共に粘り強く戦っている。
出身地も広範囲で、陸奥・出羽(東北地方)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、
信濃(長野県)、三河・尾張(愛知県)、遠江(静岡県)、近江(滋賀県)、
丹波(京都府)、備前(岡山県)、筑前(福岡県)、日向(宮崎県)、
肥前(佐賀・長崎県)、豊後(大分県)と、日本全土に及んでいる(『対馬島誌』)。

203 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/27(月) 21:17:04 ID:???]
で、当時モンゴルと友好な通商関係だった国ってあんの?

204 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 09:18:49 ID:???]
>>198
で、それのどこが過失なんだ?過失ってのは不注意な過ちってことだろ。
その外交姿勢でなんか失ったか?

205 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 14:34:54 ID:???]
>>201
じゃあ一度目と二度目を出せば?
どうせ無理だろうけどw


206 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???]
>>205
帰ったら載せてやるよ国士さんw



207 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 15:32:30 ID:???]
>>206

「友好的な国書」楽しみにしてるよ

208 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 15:36:44 ID:???]
>>203
それも興味あるね
まさか高麗とか言い始めたらちょっとおもしろいw

209 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 15:40:09 ID:???]
>>198
そもそも国書を無視されたから侵略していいとか
DQNすぎるにもほどがある
そんな国だからシカトされたんだろう


210 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 19:51:03 ID:???]
元と高麗の関係はアメリカと日本の関係だよ ようするに893と搾取される市民という関係。

211 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 21:51:16 ID:???]
>>208
強いて言えばチベットか?
でもあそこも従属関係だしなあ。高麗に至っては完全に属国だろ。

212 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/28(火) 23:46:17 ID:???]
そもそもモンゴルと隣接していた国で属国か、敵対していなかった国なんてあったっけ?

213 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/29(水) 00:39:04 ID:???]
高麗は元宗と忠烈王がクビライとの関係を緊密に持つ事でモンケ時代までの叛逆政権から
真っ当な服属政権として地位の向上に務め、成宗テムルの時代には高麗附馬国王家として
元朝では、チンギス・カン家最大の姻族だったコンギラト部族首長家であるアルチ・ノヤン家に
近い地位にまで躍進している。

>>200では訳していないみたいだけど、例の国書では自分と高麗は君臣の関係だけど、その実、
親子のようだと述べている。モンゴル帝国に仕える服属政権としての義務はあれこれ要求しては
いるけど、クビライは基本的に元宗や忠烈王の高麗国王位それ自体は安堵出来るよう色々と配慮は
していて、例えば、元宗が権臣林衍に廃位された時はそのままにしないで元宗の復位を強力に後押ししたし、
忠烈王から公主降嫁の要請も初めかなりは渋ったようだけど条件付きでちゃんと許可していて、
本当は服属政権の義務として南宋遠征に兵馬を大量に供出しなくちゃならなかったけど、重臣李蔵用が
クビライと直接交渉して日本への派遣時のみ兵力を出す、ということになったが基本的にこの時の
取り決めはその後も守られ、ナヤンやカダアンの叛乱には対抗せねばならなかったけど、高麗軍は
南宋などへは派遣されずに済んでいる。クビライの言う「親子」(保護⇔被保護)としての筋道は
外交的文言だけで無く、なおざりにしないよう配慮はちゃんとしていた。

でも、これはモンゴル皇帝家に「臣属する政権」としての地位だったりクビライからの配慮だから、
「友好的」というのとは次元が違う。



214 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/29(水) 00:41:25 ID:???]
>>213の続き。
ミカエル八世のビザンツ帝国はイルハン朝とは「友好的」だったかも。
ただ、庶腹の皇女をフレグ、アバカに嫁がせてイルハン朝と同盟したせいもあって、当時フレグ家と
交戦状態にあったジョチ・ウルスとブルガリアの連合軍に攻め込まれている。ジョチ・ウルスの西部
右翼諸軍の総帥だったノガイにも皇女を嫁し、ジョチ家に貢物を献ずる事で安全保障を得たけど、
これはジョチ家の外圧に屈服せざるを得なかったので、ジョチ家とは「友好的」とかではない。

それでも、イルハン朝はアナトリア一帯に設けたルーム州の行政範囲はルーム・セルジューク朝の
支配領域にとどまっていて、イルハン朝で書かれた資料を見る限るでは、ビザンツ帝国には特に
臣従させていた訳でもなく内政に干渉していたようでもないのうえ、敵対もしていないので、まあ
「友好的」と言えなくもないと思う。
そもそも近現代以前で隣国と「友好的」だった地域というのも例が多いようには思えないが・・

> 真っ当な服属政権として地位の向上に務め
「」入れるのを忘れたけど、モンゴル帝国の服属政権として「真っ当な」って意味ね。

215 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/29(水) 03:38:59 ID:???]
>>196
いや、あれはチンギス(当時はテムジン)が宿敵タイチウト部族を撃ち破ったコイテンの戦いの時、
流れ矢が頸動脈を傷つけてなかなか血が止まらなかったみたいだけど、「塞がった血」をジェルメが
日暮れから夜半にかけて付きっきりで吸い出し続けて、ようやく夜中に傷が固まってテムジンも
意識を取り戻した、という話しなので、矢傷で死にかけはしたけど毒矢という訳ではないようだ。

(『元朝秘史』巻四の末尾あたりに載る話し。意識を取り戻したテムジンが喉の乾きを訴え、
 ジェルメは夜中残敵の徘徊する戦場跡を忍んで乳酪を探し、無事に戻って衰弱したテムジンに
 水で薄めたヨーグルトを飲ませて介抱するという手柄話がこのあと続く)

216 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/29(水) 12:56:26 ID:???]
しかし>>200の意訳やったやつは天才だなw



217 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 02:16:41 ID:???]
>>206はまだ家に着かないのか

218 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 12:21:56 ID:???]
>>215
ありがとう。何時もながらあんたのレスはためになるわ。
今までずっと毒矢と勘違いしてたわ。

>>217
あまり追求してやるなw

219 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 14:11:40 ID:???]
>>200はずいぶん前にも見かけたコピペなんだぜ?
まあ内容としては元の意図を充分言い表してると思うけど

220 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 16:37:16 ID:???]
mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com/log/2ch/history/academy6.2ch.net/history/kako/1193/11933/1193354622.dat
このスレの>>94が初出かな。それにしても上手すぎる。

221 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 17:09:00 ID:???]
>>218
家のPCが直らないだけだks

国書の内容
天の恵みを受けた(枕詞)モンゴル国皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
>おまえんとこみたいな小国はさ
一言一句も「小国」扱いする字句なし

ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
お隣の朝鮮も俺が即位してすぐ講和して、いまはあいつらと友好関係にある。
>あいつら超しっぽふってきたぞw
3つめの件に従属的関係の文言はなし

おまえらも当然おれ仲良くするよな?
>おまえらも当然おれの子分になるよな?
通商の要求のみでその他の要求は一切なし

俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつ来なくなったけど
きっとおまえら情勢の変化を知らないだけだよな?
というわけで俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw   じゃあな!
>俺も軍事力はつかいたくねーからよw   じゃあな!
中華皇帝が文末に使う定型文な

222 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 17:50:31 ID:???]
大してかわんないじゃんw
てかその文言でも「友好の為の手紙」ってのはかなり無理あんじゃね?

223 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:21:49 ID:???]
どう考えても友好の手紙だろw

求めてるのは通商関係だけで、朝貢も何も要求してないうえ
日本が何の挨拶もしないから、元側が送ってきただけ
文面見ても格下扱いや脅しの文句は入ってない。
これに対して完全無視とか、いまやったら野蛮国認定確実w

224 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:25:07 ID:???]
休日を満喫してるねえ

225 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:34:40 ID:???]
>>223
お前本当に日本人?

226 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:41:05 ID:???]
>>223
無視したら、攻めてくるとかwいまやったら野蛮国認定確実だろwwww




227 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:41:54 ID:???]
>>223
>>226
現在の価値観で野蛮云々言う事に一体何の意味があるのか教えてくれ。

228 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:49:47 ID:???]
>>223
>>中華皇帝が文末に使う定型文な
で、中華皇帝が周辺国家に対して対等の関係を求めた例はあるのか?

229 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 18:55:51 ID:???]
>>226
慣例に則った文書で通商を要求
        ↓
完全黙殺のうえ門前払い
        ↓
再度、同様の文書で通商を要求
        ↓
完全黙殺のうえ門前払い
        ↓
2度の行為に対する説明及び通商要求
        ↓
来ていた外交官をいきなりぶち殺す
        ↓
       開 戦
野蛮人認定されるのは確実に得宗家w

>>228
漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係、中華側が物資供給してるけど。
あと、明代は朝貢国扱いだけど、この時は対等関係でのな通商要求

もう返答できないけど、潰走認定すんなよw

230 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 19:03:15 ID:???]
>漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係
そりゃあガチやったらかなわない相手だものw

231 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 19:14:20 ID:???]
>>漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係、中華側が物資供給してるけど。
あと、明代は朝貢国扱いだけど、この時は対等関係でのな通商要求

いやいや、俺が言ったのは戦争で不利になって和睦したり同盟したりとか苦し紛れの対等な関係
じゃなくて中華帝国となんの脈絡のない国に対して対等な関係を求めたことはあるのかと聞いて
るんだが。

232 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 19:40:26 ID:???]
>>229
はいアウト。使者殺したのは文永の役の後ですから。
あとホラズムも高麗もマムルークもベトナムもジャワも
みーんな使者殺したり拷問したりしてますが彼らは野蛮人じゃないんですか?

233 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 19:40:46 ID:???]
>>229
日本人拉致って帰るような使節団信用できるわけないだろwどんな友好関係だよw

234 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 20:09:41 ID:???]
蒙古の国書を当時の日本が脅しと受け取ったのは事実。
そりゃ金を滅ぼし高麗を属国にし南宋を侵略中の国から国書が来ればそう思う
のも無理はない。

ただ蒙古が脅しをかけるときはあんなもんじゃなくて
「必ず兵馬を送って攻め滅ぼしてやるから城濠を修理して待ってろ」
みたいなことを言うから彼らなりに言葉を選んだのも確かだ。

235 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 20:17:15 ID:???]
>有力なものとしては、南宋を降した後に旧南宋軍を日本攻撃にあたらせ、消耗させるためと言うものがある。
旧南宋軍は被征服者のため元への忠誠心も全く無く、さらに元々南宋は金で兵士を募集する募兵という形をとっており、
数は多いが所詮は寄せ集めであり、士気・忠誠心も低く、
戦闘能力も高くなかった。また軍を解散させると職を失った大量の兵士達が社会不安の要因となってしまう。

ウィキペディアにあったが、殺りたい相手は容赦なく殺るモンゴル人がこんな回りくどい手段を取るとは思えん。

236 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 21:07:17 ID:???]
つかわざわざ「棄民」するためのコストが高すぎて無理あるよな。
むしろ農具持ってたのは、長期戦を見込んでの事でしょ



237 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 21:14:27 ID:???]
水も食料もあっという間に底を着くのに
泥縄の農業でどうにかなるとも思えないが

238 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2009/04/30(木) 21:16:43 ID:???]
単純に征服後のことを考えて持ってきたのではないの?屯田兵的に軍を置くつもりだったのでは?






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