- 1 名前:世界@名無史さん [2012/09/28(金) 18:02:54.92 0]
- 前スレ
正史『三国志』 二十七巻 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332746673/
- 319 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/13(水) 19:53:56.09 0]
- 地理的に要衝だったのか袁紹と曹操の間で争奪戦が激しく行われた
- 320 名前:世界@名無史さん [2013/02/13(水) 21:03:04.75 0]
- >>319
劉備みたいな新人が送り込まれただけだが?
- 321 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/13(水) 21:49:58.43 0]
- >>318
人口とかそういうのを見ろよ >>320 新人じゃない しかも孝廉でも辟招でもない若造のくせに いきなり県尉から経歴が開始しててありえない出世してる
- 322 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/13(水) 22:18:05.97 P]
- 青州は価値ある地域だろ
なにせ曹操が「あの」臧覇を遣わしたくらいだからな
- 323 名前:世界@名無史さん [2013/02/13(水) 23:21:00.73 0]
- 県尉とか官僚としては下の下だろwww
- 324 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/13(水) 23:26:17.59 0]
- >>323
曹操「一理ない」
- 325 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 00:00:40.03 0]
- >>323
どういう根拠でそう考えたの?
- 326 名前:世界@名無史さん [2013/02/14(木) 00:08:59.48 0]
- >>325
県尉経験者で名前が残ってるのは劉備だけ。
- 327 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 00:13:14.98 0]
- 袁紹は長男を袁譚を派遣して曹操から逃げた劉備を収容している
- 328 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 00:36:00.30 0]
- >>326
董君雅は?
- 329 名前:世界@名無史さん [2013/02/14(木) 01:02:03.37 0]
- 英雄記曰 卓父君雅 由微官為潁川綸氏尉
英雄記に曰く、董卓の父である董君雅は、木っ端役人から潁川郡綸氏県の尉となった。 董卓の父親だからわずかでも名前が残っただけ。他の例はまったくなし。 県尉は辛うじて下の中ぐらいの地位だね。
- 330 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 01:39:38.80 0]
- >>326
何でそう思うの?って聞かれたら秩石でええやん 官僚としたら下っ端だけど曹操ですらスタートは洛陽北部尉で似たようなもんなんだけど
- 331 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 11:05:50.57 0]
- >>330
首都の警察署長と田舎の警察署長じゃ違いすぎるだろ。 利権的にも。
- 332 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 11:33:40.59 0]
- >>326
えっ!?
- 333 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 12:27:34.96 0]
- >>332
いまのところ劉備のほかは董卓の親父だけしかでてきてないがw
- 334 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 12:34:54.97 0]
- >>331
え?君の主張はそんな下っ端から劉備が経歴スタートさせたからどうだと言うのだ、ってことじゃないの? 「中央政界の勢族の長男」が「孝廉になり」「郎を経験して」それから着く地位と 同格に近い地位にいきなりその前提のない劉備が着くって異常だと思うんだけど? そして>>320で主張する「新人」では全くない
- 335 名前:世界@名無史さん [2013/02/14(木) 13:39:00.39 0]
- ところで孫堅がなったって言う仮の尉は県尉?
- 336 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 14:43:38.06 0]
- 後に県の丞になってるから、たぶん県尉。
しかし仮の尉ってなんだ?
- 337 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/14(木) 15:16:10.74 0]
- 仮の尉とされたじゃなくて、仮に尉とされたって読むべきなのかな?
- 338 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/15(金) 02:42:48.86 0]
- 本当はその地位にふさわしくない人に任命する際に
「変なことしたらやめてもらうけど任命するよ」ってニュアンスかと思う
- 339 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/15(金) 03:09:43.76 0]
- 尉クラスの任免権持ってるのって誰だっけ?
- 340 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/15(金) 09:46:48.90 0]
- 建前上は命官なので皇帝、守尉(代行)の場合は太守。
けど、通常は県尉の人事までいちいち皇帝が関与しないよな。 特別に関心がある場合以外は、人事案に承認出すだけでしょう。 後漢末期あたりだと、だれが人事案作るんだろう? 守尉も、実質は功曹が決めるときもあるんだろう。 ちなみに守尉→正規の尉と言う昇進人事は通常はあり得ない、 少なくとも通例ではない。(大庭修氏) もっとも後漢末みたいな乱世はまた別だろうけど。
- 341 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 15:35:02.85 0]
- >>307
後漢の青州出身者 (後漢〜三国) 国淵(九卿)、太史慈、華キン(漢尚書令、魏三公)、王修(九卿)、王基、孫乾、孫邵(呉丞相)、滕胤(呉丞相) (後漢のみ) 欧陽氏(欧陽尚書を伝える一門)郎(京房易の大家)鄭玄(中国儒教史上最高クラスの重要人物)、 牟融(司空)、孔融、劉岱、劉ヨウ、劉寵(三公)、劉勲、管寧 あと外戚伏氏の封国は青州にある 大ざっぱにみてこれだけ大物居るのに人材居ないってどういうことよ? まさかネットでよくある、反乱頻発などの乏しい証拠で学術的な定説をひっくり返した気になってる 一部個人サイトの大袈裟な仮説とかを信じてないよな
- 342 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 18:19:06.99 0]
- >>341
でもみんな青州のためには働いてないというw
- 343 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 18:32:34.27 0]
- >>342
劉徹の時代と違って本籍地回避徹底されてるんだから青州に関われる訳ないだろ
- 344 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 18:33:49.89 0]
- >>341
多少見るべきところがあるのは認めるが、悲しい辺境国家の踏ん張りに過ぎないと思う。
- 345 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 18:37:48.71 0]
- >>344
そもそも黄巾の活動が存在すると言う時点で辺境とは言い難いが
- 346 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 18:52:36.70 0]
- 黄巾は冀州や予州、荊北と言った都市部が中心の都市型の反乱だからな
- 347 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/18(月) 21:03:11.10 0]
- いわゆる黄巾の乱と青州黄巾って別物では?
張角が指導した黄巾は、豫州と荊州と冀州が基盤だから、確かに都市部の反乱に近い。
- 348 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/19(火) 00:34:09.25 0]
- 多田狷介先生「黄巾の亂前史」
repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152750/1/jor026_4_544.pdf 福井重雅先生「黄巾の亂と傅統の問題」 repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/153573/1/jor034_1_24.pdf 福井論文は張角の黄巾と青州黄巾とを明確に分けた上で 青州黄巾が後漢に与えたダメージの大きさとか 青州の地域的特色との関係とかを考察してる
- 349 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/19(火) 01:13:16.30 0]
- 303 :世界@名無史さん:2013/02/12(火) 20:56:26.76 0
>>301 青州とか辺境じゃん。 より中原に近い曹操の方がまだまし。 この論がそもそもアレすぎるだろ これをもとに青州がどうこう話してもバカバカしいと思う
- 350 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/19(火) 11:29:43.81 0]
- 確かにw
ド田舎の交州のどっかの太守だろうと正規の太守と 怪しげな経緯で就任した中原の州刺史では 前者の方が格上じゃないの?
- 351 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/19(火) 12:20:02.46 0]
- 怪しいか怪しくないかはともかく、戦乱期の現地推戴の州牧と
太守だと、純粋な漢朝内の格では後者の方が上ではあると思う。 ただし個人的に孔融は蜀での評判も悪かったようだから、 名士内の風評については一時期以降急速に悪化させたのではないかとも思う。 多分禰衡との(従来の儒教的価値観からは外れる)対談が漏れ聞こえ始めるのを皮切りに。
- 352 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/19(火) 12:23:59.07 0]
- × 太守だと
○ 正規任用の北海国相だと あくまでも、中央における形式的な格の問題ね
- 353 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 01:04:33.55 0]
- 諸葛亮の名言として
「立派な人間の友情は温かいからといって花を増やすこともなければ、寒いからといって葉を落とすこともない どんな時でも衰えず、順境と逆境を経験して友情はいよいよ堅固なものになっていく」 というのがコピペされて出回ってる 元ネタは清の張ジュが輯した諸葛亮集に収録された「論交」(i.imgur.com/XNXsOGC.png)らしいけど 他の人たちが輯した、張ジュより信頼できるとされる諸葛亮集にはこの文章は入ってない 確かに太平御覧巻406・人事部47・交友には「要覧曰、諸葛亮曰、〜」となってる(i.imgur.com/THIoClj.png)けど 張ジュ諸葛亮集を底本にした『諸葛亮集箋論』は、芸文類聚巻21・人部5・交友が「諸葛亮曰、〜」としてない (i.imgur.com/uZib92Y.png、「賈覧」になってるけど「要覧」)ことを根拠に 「論交」が諸葛亮作かどうかの判断を留保した上でとりあえず収録したと言ってる(i.imgur.com/bR7HPgB.png) 根拠のわからない三国志絡みの名言の類では、曹操が言ったという 「政治こそ、人間の仕事のうちで、 最高な理想を行いうる大事業だ」とかいうのもあるけど これは手がかりも何もない
- 354 名前:世界@名無史さん [2013/02/21(木) 02:54:12.16 0]
- 諸葛亮はなんで勝ち目がなさそうな北伐を繰り返したんですか?
- 355 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 05:37:25.91 0]
- 勝ち目はあったよ
一回目で成功してれば繰り返す必要も無かったし 諸葛亮の命令に背いて街亭を失った馬謖が悪い
- 356 名前:世界@名無史さん [2013/02/21(木) 06:46:14.30 0]
- 後詰に諸葛亮の本隊がいただろ。
何で援軍を突っ込まなかったの?
- 357 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 13:44:16.89 0]
- >>355
馬謖指揮官に任命してた諸葛さんが(ry
- 358 名前:世界@名無史さん [2013/02/21(木) 20:55:36.60 0]
- 街亭取られたら作戦全部終わりなのに、なんでそこで帰っちゃうんだよ諸葛亮は
取り返しに行けよ
- 359 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 21:12:27.91 0]
- 取られて終わったから帰ったんだろw
- 360 名前:世界@名無史さん [2013/02/21(木) 21:16:59.83 0]
- 張コウが手勢だけで街亭まで出てきてるんだから、むしろ討ち取るチャンスだぞ。
馬謖をエサに敵の大将を釣り上げたのに、なぜそこで決戦を挑まないのか。
- 361 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 22:35:25.89 0]
- twitter.yfrog.com/z/esf2auej
諸葛亮が布陣した本陣から街亭までの距離が遠すぎるという現実
- 362 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 23:20:09.82 0]
- >>360
何のために「先鋒」を送るのかもう少し考えましょーね
- 363 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 23:23:23.93 0]
- >>362
何のために先鋒を送ったのか? 遠すぎる街亭抑えて何の得がある、っていうか戦力的に抑えられるのか。
- 364 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 23:25:33.57 0]
- >>363
わかってないなら批判する資格ないからもう少し考えましょーね
- 365 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 23:40:22.96 0]
- >>364
正史のどこに諸葛亮が街亭を押さえた理由が書いてあるのかw
- 366 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/21(木) 23:50:56.01 0]
- >>365
はぁ? 諸葛亮が街亭に送った理由なんてハナから問題にしてませんが? 本隊と先鋒を別に移動させる理由というのを知らないならおべんきょしましょーね
- 367 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 00:42:37.80 0]
- >>366
俺は最初から街亭を押さえた理由を聞いてるんだが?>>363
- 368 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 01:00:04.71 0]
- >>367
先鋒というものが何で本隊と別個に動くかもう少し考えましょーね 「なぜ先鋒を送ったか」じゃなくて「本隊と先鋒が別に動くのはなぜか」ということだよ?
- 369 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 01:26:53.36 0]
- 第一次北伐の場合は先鋒本隊というよりも
隴西各地の制圧に蜀軍が分散してて 街亭へ向かった部隊は隴西制圧の時間稼ぎ または魏軍反攻の際に隴西各地へ向かった部隊の集結を待つための時間稼ぎでは?
- 370 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 02:58:34.10 0]
- 亮使馬謖督諸軍在前とあるから先鋒にはしたんじゃない?
その企図がどこにあるかは想像するしかないけどさ
- 371 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 03:37:28.90 0]
- しょーねクンは実に馬鹿だなw
- 372 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 09:37:12.73 0]
- 諸葛亮の人物は、おまいらよりは上だから、心配すんな
- 373 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 10:23:19.25 0]
- 「仕掛け爆弾入門」
「みんなで作るIED」 「お得!なんと材料費1万円で1億円の装甲車がぶっ飛ばせます!」
- 374 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/02/22(金) 13:19:13.08 0]
- これいいかもしれないね
tr.im/zw2j ソースはおいておく
- 375 名前:世界@名無史さん [2013/03/02(土) 00:23:21.87 O]
- 保守
- 376 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/02(土) 14:53:14.08 0]
- >>372
釣りか
- 377 名前:世界@名無史さん [2013/03/04(月) 14:18:46.74 0]
- 張飛が殺されたのって別に部下に無理な命令したからじゃないんだね
やはりネットのこんな末端の末端で情報探すよりちゃんと原典にあたるべきだね でも平凡社のしか無いんだよな・・・
- 378 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 15:50:02.66 O]
- 中華書局のがあるだろうが。
白文読めないならちくま学芸文庫から日本語訳が出てるぞ。 張飛が部下を残虐に扱ってたのは事実だし、呉討伐の直前に殺されてるから、 演義のように無茶な命令を出したことが原因となったのは十分に考えられることだと思うが。
- 379 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 16:23:53.51 0]
- 張飛ってちゃっかりしてるよね。
娘を次期皇后にしちゃってるし。
- 380 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 16:49:01.08 0]
- 張飛が殺されたのは部下に無理な命令したから
- 381 名前:世界@名無史さん [2013/03/04(月) 16:50:47.67 0]
- つうか。
呉の工作じゃないのかな?
- 382 名前:世界@名無史さん [2013/03/04(月) 17:03:15.73 0]
- 元々暴力癖があった張飛が、部下に恨まれて殺されただけ
- 383 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 20:51:23.81 0]
- あ
- 384 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 21:02:28.62 0]
- 張飛が生きていたら
黄権の代わりに別働隊を率いることになって黄権は劉備直属になったであろうか?それとも主力を任せられて史実では抜けなった孫桓を撃破することになったであろうか? すくなくとも黄権か張飛のどちらかが劉備の側にいて同じ火計による大敗というのはありえなかっただろうな。 そもそも張飛は長い対峙のあとに張コウの軍が「長く伸びきって連携が疎かになった状態」であることを看破したのか、それともそうなるよう仕向けるようにしたのか、どちらにせよそれを攻撃して破った将帥だから劉備が同じような状況になったら違いなく制止するはず。
- 385 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/04(月) 21:57:06.56 O]
- たらればNo.1は「法正が生きていれば」なんだろうが、
張飛や黄権が劉備の陣立てに意見するのは考えにくいかな。 黄権は実際ケチをつけようとしたけど、支作戦に回されて発言を封じられたし、 張飛はイケイケドンドンだろう(正史厨でも張飛が前線に出ず、参謀の役割を担うのは違和感があるのでは?)。 何より関羽の弔い合戦は心情的に張飛・劉備が担うもので、黄権が何を言ったところで無駄だった。 張飛が例え生きていたとしても曹丕にpgrされる程度の陣立てて敗北は必然かと。
- 386 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/05(火) 09:06:27.54 O]
- 曹丕に馬鹿にされたってのが残念の極みだよね。
戦の実績ほとんどないくせにベテランに向かって何を言ってるのかと。 頭は良かったんだろうけど、皇帝じゃなきゃ諸葛カクみたいな扱いだったんじゃないか曹丕。 いや、大好きなんだけどね。
- 387 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/06(水) 12:19:07.33 0]
- 馬鹿にされることやったんだから仕方ないさ
- 388 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/06(水) 12:40:03.46 0]
- ベテランに向かって何を言ってるのかとって言っても
実際曹丕が正しかったんだし黄権が正しかったんだし
- 389 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/07(木) 10:04:14.57 0]
- 仰る通り
- 390 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/07(木) 10:29:12.56 O]
- スレチだろうけど
ここの人詳しそうだから、あえて 晋メインに扱った本あったらタイトル教えてくれませんか
- 391 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/07(木) 19:19:25.27 0]
- 晋書だね
- 392 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/08(金) 04:42:08.48 0]
- スットコどっこいな馮習張南に任せたのは失敗だが
- 393 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/08(金) 18:51:26.50 0]
- ちょっとこのスレの識者に質問させて下さい。
「曹操が最初は袁紹の部下で、曹操が袁紹を裏切って戦争を仕掛けた」 という説をネット上で目にしたのですが、これは本当なのでしょうか? もし本当なら何で三国志ではそう書かれないのでしょうか? ご教授よろしくお願いします。
- 394 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/08(金) 19:26:05.64 0]
- >>393
某板の某スレの流れか 基地害の妄言だから気にすんな
- 395 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/08(金) 19:46:04.70 0]
- >>394
いえ、個人のblogからです。 よければその某板の某スレをご紹介いただけませんか? 非常に興味のある説なので参考にしたいものですから。
- 396 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 00:19:15.77 O]
- 別にそんなに奇抜な説でもないので、そんなに気にしないでいいよ。
「是非はともかくまあそんな風に解釈するのはわかる」程度のものだから。 「三国志で書かれない」って二次創作のこと?上記の説も正史の解釈だから、そういう意味では「三国志に書いてある」。 二次創作は詳しくないが蒼天航路とかそんな感じじゃなかった?
- 397 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 09:39:50.43 0]
- >>393
マジレスすると、献帝を保護して袁紹との仲は一気に破綻したんだろうな。 袁紹は打倒唐卓軍(=献帝の即位を認めない)の盟主だったし、更に劉虞を 立てようとした(当時部下の曹操が反対して実現せず)わけだから、献帝の 保護が許せなかったんだろう。これを袁紹が裏切りと表現してもおかしくない。 また、名士の意外に多くが袁紹を支持し、袁紹と運命を共にしたことから (その中には、荀ケの弟や郭嘉の兄などもいる)必ずしも袁紹の戦略が間違って いたとは言えない。
- 398 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 11:12:27.07 0]
- だから「部下」という定義が
・体系的な命令系統の有無 ・人事・任命権の実効力 だとしたら 曹操は一度足りとも袁紹の部下になってないって 袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがないし 曹操を自分のシステマティックな命令系統の中に入れることはできてない 精々「格が落ちる盟友」程度 直江兼続は上杉景勝の「部下」だが、徳川家康は織田信長の「部下」じゃない
- 399 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 11:15:37.85 0]
- >>398
訂正 >袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがない 東郡太守の際は影響力を発揮したが、翌年には曹操は自分の力でローカル勢力の支持を得てエン州牧と自称しているから やはり曹操は袁紹の部下ではない
- 400 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 12:03:39.63 0]
- 曹操が袁紹の部下でなく、勝手にエン州を乗っ取ったなら、敵だよ。
自分の息のかかったエン州牧を送りつけて、曹操を追い出さないといけない。 が、そんなことはまったくやっていない。
- 401 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 12:56:10.13 0]
- >>397
劉虞擁立に失敗したのは曹操の反対じゃなくて劉虞本人の拒否が原因だろう
- 402 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 13:39:41.44 0]
- >>399
後漢書で後になって曹操をエン州牧にしたのは俺、と袁紹が上表してるし自称じゃないでしょ。
- 403 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 16:00:14.02 0]
- 部下って言葉の定義次第だけど、
少なくとも格下の同盟者とか、影響下の人物、 まあ簡単に言うと弟分子分であった時期がある、 そこまで否定できないでしょう。 曹操本人の意識はともかく、世間はそう見てる。 袁紹側から見れば裏切りと見えるのは当然。
- 404 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 18:57:53.53 0]
- 393です。
皆様ご返答どうもありがとうございます。 今まで三国志は正史を含めて創作物などもいくつか読んだのですが、 曹操が袁紹の部下だという説を先日初めて目にして驚きのあまり質問させていただきました。 色々な見方があるのだということが良くわかりました。 頂いたレスをもう一度しっかりと調べて自分なりの答えを出して行こうと思います。
- 405 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 21:05:47.93 0]
- >>404
劉備は袁紹の部下だとか、孫堅は袁術の部下だというか 呉は豪族連合政権だとか、諸葛亮は戦が下手だとか 劉備は偽善者だとか、劉備は戦が下手だとか 他にも珍説を唱える人間もいっぱいいるから注意してな
- 406 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 21:23:41.92 0]
- >>405
>劉備は袁紹の部下だとか 官渡の戦い前後に限っては事実。それ以外でいうのは変だが。 >孫堅は袁術の部下だというか え?間違ってる? >呉は豪族連合政権だとか これも一面ではあるだろうね。全部ではないが。 >劉備は戦が下手だとか 講談を読む限りは事実、と言うだろうね。実は意外に多いけどね、劉備の勝ち戦。
- 407 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 21:44:07.47 0]
- >>406
勝ちまくりだろ 印象的な負けがあるからやたら負けてる気になるだけでさ 曹操後半生の黒星の内二つは劉備絡みだし一国の皇帝になるだけのことはあるよ
- 408 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 22:11:23.97 0]
- >>395
これ 劉備 engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1217291356/
- 409 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 22:29:27.65 0]
- 劉備が戦った頃の袁術は、揚州を制圧し終え、孫策や周瑜のような強い武将を従えたスーパー袁術様だ。
赤壁で戦った時期の孫権+αの勢力を持っていたということだ。 劉備が勝てないのも当然だ。
- 410 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/09(土) 23:38:36.37 0]
- >>408
ありがとうざいます。 明日ゆっくり読んでみようと思います。
- 411 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/10(日) 13:51:03.95 0]
- 蜀を好きになり過ぎると
engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1217291356/698 engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1362320237/152 になるのかな? 気をつけないとね
- 412 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/10(日) 22:08:53.83 O]
- はーいっ
- 413 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/10(日) 22:27:26.97 0]
- 三戦のノリをこっちに持ち込まないでくれよ
- 414 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/14(木) 22:54:26.27 0]
- 晋書を見ていたら、蘇峻の父が安楽相って出たけど、
つまりは劉禅一族の領地を治めていた長官ってこと? 妙なご縁だな。
- 415 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/14(木) 23:48:44.59 0]
- 袁譚と袁尚
曹丕と曹植 なんで仲悪いんだろ
- 416 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 00:17:29.93 O]
- 逆に仲の良い兄弟の方が思い付かない。
曹爽兄弟とか仲良さそうな勝手なイメージ。
- 417 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 00:27:35.12 0]
- 名前からして爽やか
- 418 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 00:45:34.35 0]
- 古代中世においては兄弟なんて敵であることの方が多いよね
- 419 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 00:56:27.06 0]
- 権力者の家に生まれた兄弟は取り巻きが仲を悪くさせるからしゃーない
- 420 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 01:10:27.96 0]
- 一触即発の後継ぎ争いを混乱させたまま親父が死んだ割には曹丕は曹植殺さなかったんだから慈悲深いくらいだ
普通なら殺しちゃうとこだよ
- 421 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 01:30:18.27 0]
- 曹丕は献帝も殺さなかったし慈悲深いよ
- 422 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 01:31:16.43 0]
- その慈悲を受けられなかった奴もいるんだよなあ…
- 423 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 01:33:55.18 0]
- ウキンがヘマこかなかったら、魏が関羽をやっつけて荊州ゲット→三国時代終わってただろ
- 424 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 01:38:17.45 0]
- 孫権は藩臣になりますと申し出てきていて、魏が荊州を取れば、もはや残るは劉備だけ。
蜀攻略に全力をかけて三国志終了、統一王朝魏誕生。 曹丕は苦手な戦争もせず、皇帝として優雅に文化政策をやっていただろう。 それをすべてぶち壊しにした張本人
- 425 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 21:39:58.61 0]
- 甄氏殺したから許せん奴
- 426 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/15(金) 22:58:57.34 0]
- 甄氏は殺されてないがな
- 427 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/17(日) 14:09:43.03 0]
- 殺したようなもんだろ
- 428 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/17(日) 17:29:39.54 0]
- >>416
司馬懿の子
- 429 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/17(日) 19:46:43.69 0]
- 師と昭の兄弟も数代後の子孫達があそこまでむごい殺し合いをするとは思わなかっただろうな
- 430 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/17(日) 21:02:03.91 0]
- >>429
数代ってほど遠い未来の話じゃないぞ
- 431 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/17(日) 22:20:27.82 0]
- 八王で最初に消えたのは師昭兄弟の弟だったな
- 432 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 03:23:52.34 0]
- 本来なら司馬家の当主になるはずで実の兄貴より優秀だった攸ちゃんが皇帝になってれば・・・
- 433 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 04:30:36.66 0]
- 陳寿正史じゃないのでスレチかもしれないけれど、質問すいません
weekpedia.myht.org/index.php/%E5%8A%89%E5%82%99 ここに陶謙の長男「陶筰」がいると書かれているけど 商&応以外にも陶謙の子がいたってことですか? ソースの『元本』(元大徳本)っていうのが聞いたことないんですが・・・
- 434 名前:世界@名無史さん [2013/03/18(月) 09:12:12.69 0]
- 曹丕が冷酷とかいってるやつらは、
あのとき荊州を失って孫権を優遇しなきゃいけなくなったことで、 三国鼎立が完全に成立してしまったということをどう考えるのか。 怒るの当然だろ。
- 435 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 13:26:09.05 0]
- 曹丕批判ばっかり目立つけど、于禁への批判がないのはなんか変。
だって、どう考えても于禁が負けたせいで、三国志になってしまったわけで。 曹操だって于禁をばっちり批判してるのにね。 于禁の忠義だの晩節だの、曹丕の非常だの残酷だの、そういう論争で真実が隠されているのではないか。
- 436 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 14:36:52.52 0]
- 陶筰は知らんけど「元本」は元朝の大徳年間のことでは
- 437 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 19:57:43.72 0]
- 司馬光が言うには
責任とらせるならさっさと殺ってしまえば良いのに 許すと見せかけて手の込んだ仕掛けで恥を掻かせるなんていい大人のやることじゃない
- 438 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 20:12:18.93 0]
- 冷酷は違うかもしれないけど、なんか陰湿というか陰険というか。
クルルみたいな。
- 439 名前:世界@名無史さん [2013/03/18(月) 20:30:49.61 0]
- >>438
父親の曹操譲りだろう 謀殺してないだけむしろ慈悲深い
- 440 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 21:12:21.39 0]
- こりゃほぼ謀殺だろ。親父の曹操だったら斬殺だろうが。
- 441 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 21:54:29.86 0]
- 曹丕は冷酷じゃないっていう擁護は他所でも見たことあるがなんでなんだろう
仮に冷酷じゃなくても性格悪いと思うんだけど 流石に慈悲深いとかない
- 442 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 23:15:22.83 0]
- まずどの辺りが性格悪いと思うの?
- 443 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/18(月) 23:47:09.50 0]
- >>441
殺さないと王朝が危ない曹彰でも罪をかぶせずに謎の病死で片づけて彼の名誉を守ったし、後ろだてさえ消せば殺さなくてもどうにかなりそうな曹植は殺さずに済ませた テンパランス戦の承太郎並に慈悲深いよ
- 444 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/19(火) 00:40:17.51 0]
- 殺してたら西晋の八王の乱が魏の時代に起きていた
- 445 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/19(火) 00:59:13.79 0]
- 圧倒的に兵権が足りないので起きません
- 446 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/19(火) 01:11:49.67 0]
- 毌丘倹や諸葛誕のような将軍が皇族を担いで反乱起こして呉や蜀と結んだと仮定
- 447 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/19(火) 01:51:48.98 0]
- >>446
どんな仮定でそんな妄想に至るんだよ 前提が違うだろ 二人とも司馬家との確執で反乱に至ってる ちょっと無理がありすぎる そして魏建国当初の軍権て物凄い勢いで曹氏夏侯氏が握ってるから そう簡単に外様が皇族かついで反乱とか起きんぞ
- 448 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/19(火) 19:36:20.00 0]
- 華佗を殺しちゃってから後悔した曹操の方が、
なぜか陽性な感じがするのが人間の微妙なところ。
- 449 名前:世界@名無史さん [2013/03/19(火) 22:25:31.90 0]
- 于禁は実は後漢支持者で、禅譲を認めない立場だった
しかし、魏に帰ってみれば、曹丕が禅譲によって皇帝になってしまっていた 曹丕に会って、後漢が滅んだ原因が自分の敗北にあると気づき、後悔のあまり病気になり、死んだ だって、于禁が関羽を討てば、孫権が自立することもなく、劉備が残るだけだったから ストレートに後漢が天下統一できたはずだから ひょっとしたら漢臣としての抗議の自決だったのかもしれない だから魏の臣として祭ってもらえなかった
- 450 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 03:00:35.37 0]
- >>433
そのページだと後漢書を根拠にして、陶謙は余姚県の人と記述してるけど 後漢書の注に引く吳書では、陶謙の父は故餘姚長であるから、余姚県出身ではないんじゃないか 三国志でも後漢書でも陶謙は丹陽の人であると記述されており、 三国志集解では、これは丹陽郡丹陽県の人なのであると解説している
- 451 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 03:08:43.27 0]
- >>435
于禁が負けたから三国志になったというのは意味不明 >>443 曹彰の死を暗殺とする根拠はない あと八王の乱をよく知らない人間が多いと思う 八王の乱の前半はただの(?)中央政変の連続なので、これは魏でも呉でも何度も起きたこと 八王の乱の後半みたいなのは、意志薄弱の皇帝がいるのが前提なので 曹丕・曹叡が存命の間は起きない
- 452 名前:世界@名無史さん [2013/03/21(木) 19:54:55.37 0]
- >>451
于禁が勝ってれば、荊州を拠点とした蜀攻略が可能になる。 荊州→益州はかつて光武帝が公孫述を討つときに使ったルートであり、 蜀の天険に突っ込むより簡単に蜀を降せた。 後漢が健在のうちに統一できるのだから、魏国へ禅譲する意味がない。
- 453 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 20:17:14.89 0]
- >>452
ならない。 于禁は水没しただろ?船持ってないんだよ。 樊の曹仁は救出可能だが襄陽は救えない。
- 454 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 20:44:58.01 0]
- >>453
船の準備ぐらいしとけよって話だろ。
- 455 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 20:57:04.47 0]
- >>451
世説新語でははっきり毒殺と書かれてるよ それを信じるかどうかの問題はあるが、根拠はないというのはただの不勉強
- 456 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 22:58:57.59 0]
- 関羽が水軍を引き連れてきているのに、なんで曹操軍は水軍持ってないんだよ
- 457 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 23:05:34.96 0]
- 曹操は赤壁で持ってた艦船を(といっても元は江陵にあった旧劉表のだが)ほぼ全て焼いたor焼かれ、
更には大型船の新造などの余裕はおそらくなかったであろうが、 もともと関羽は襄陽の艦船を掻っ攫って逃げた上に新造の余裕は普通にあった、というか地理的に不可欠であった。 三国時代の「戦闘船の建造」の費用と難易度は十分注目に値する対象だとおもうが、 何故か大抵の人は船くらい直ぐ造れると思ってる節があるんだよなw
- 458 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 23:17:58.00 0]
- >>457
曹操軍に水軍がないはずがないだろ。 濡須口の戦いで、孫権は降伏を申し出るほどの苦戦をしてるんだから。 水軍なかったら孫呉はここまで追い込まれなかったはず。
- 459 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/21(木) 23:22:31.60 0]
- 何処の話してんの?
淮水水系の船の話と、漢水の船の話に何か関連が?
- 460 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 02:28:03.10 0]
- >>459
>淮水水系の船の話と、漢水の船の話に何か関連が? なんで淮水の水軍は用意できたのに、漢水の水軍は再建できなかったのか? 北荊州って経済力に優れたところなのに。 南荊州の関羽ですら水軍を用意してきたのに。
- 461 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 02:38:49.84 0]
- >>460
反乱起きる程に苛斂誅求を極めてたのにその経済力のカタログスペック通りに行くとでも?
- 462 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 03:12:40.24 0]
- >>461
苛斂誅求も淮水方面のほうが激しいじゃん? 袁術がやってきて無茶苦茶やり、 その後は孫策・孫権と不服従勢力との抗争が何年も続き、 次は赤壁。 以降、淮水では曹操と孫権の衝突が繰り返された。 戦闘が続いていた期間が長すぎる。
- 463 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 03:39:37.08 0]
- 荊北水軍の拠点は襄陽と樊城にあったんだろ
樊城の包囲を解けば、その水軍をつかって渡河できるのだし 樊城を解放するのに水軍は必要ではないだろう
- 464 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 03:52:36.65 0]
- >>455
世說新語の曹彰毒殺の話の末尾にはこうある。 太后曰:「汝已殺我任城,不得復殺我東阿。」 曹植が東阿王になったのは曹丕死後だから、与太話だろう
- 465 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 07:41:09.51 0]
- >>462
淮水方面の船って戦艦じゃない。許昌から潁水系の船に兵を乗せてさらに淮水に出たという記述。 これらの川に戦艦はない。というか、長江ほどの水嵩も幅もないので「川で船にのって戦闘する」という概念がない。 そもそも記述が出てきたのは、曹丕が蒋済に船の回送を命じた222〜223年。 おまけに曹魏は濡須口に船で陣取ったという記述はない。というか、この方面は陸戦。
- 466 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/22(金) 18:24:28.92 0]
- >>462
じゃ、どっちも疲弊してたから船建造できるような経済力がない、で終わりだろ 「どっちが疲弊していたか」なんて問題じゃない、どうでもいい 「どこが疲弊していたか」というのが大事
- 467 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/24(日) 10:18:22.32 0]
- 黒海北岸の諸部族をスキタイが隷属させていたなら
ペルシャ軍の侵攻においてスキタイに叛旗を翻し ダレイオスに協力するはずだが傍観する姿勢の部族はいても 積極的にダレイオスに協力する部族は現れなかった。
- 468 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/24(日) 16:09:02.47 O]
- 夷陵の時の五溪蛮の話か?それともただのスレチか?
- 469 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/24(日) 18:25:02.25 0]
- 誤爆でしょ
- 470 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/25(月) 00:39:13.61 0]
- 王チョウ伝を読めば荊北の水軍の実情が分かる
- 471 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/25(月) 18:14:41.58 0]
- 話ぶった切って申し訳ないですが、後漢末の頃に強兵とされたのは
丹陽兵とか涼州兵あたりですか? 三国志に関連する書物持ってないので、良ければ教えて下さい。
- 472 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/25(月) 18:56:30.41 0]
- 呂布や張遼がいた幷州兵も強そう
- 473 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/25(月) 19:55:28.16 0]
- >>471
関連する書物を手に入れてからまた来て下さい
- 474 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/25(月) 22:12:36.46 0]
- >>471
煽りとかでなしに三戦板の方が食いつきいいと思う
- 475 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/03/26(火) 00:11:17.05 0]
- >>474
はい、三戦板に行ってみます
- 476 名前:世界@名無史さん [2013/04/06(土) 00:06:35.39 O]
- 保守
- 477 名前:世界@名無史さん [2013/04/08(月) 14:39:10.92 0]
- あんた等の議論は素晴らしい、恐らく2ちゃんねる内でも飛びぬけた情報量を
このスレは持っている、だがここの議論を世の中に還元する気は無いの? 俺などは正史三国志、魏晋代の詩、詩経を読んで不覚にも素直に泣いてしまったのだが 内容以前に文章が美しすぎて
- 478 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/08(月) 16:08:57.32 0]
- 魏晋代の詩と詩経とでは、えらく時代が離れてるんだが
- 479 名前:世界@名無史さん [2013/04/08(月) 16:22:35.53 0]
- 詩経の時代と魏晋代には連続性がある
青き衿つけたる人よ ひたぶるに慕うはわが心 という曹操の詩の一節は詩経の引用
- 480 名前:世界@名無史さん mailto:エイジ [2013/04/10(水) 12:17:44.40 0]
- ここ急激に過疎ってたんだな、じゃあ魏晋詩が現代文学の誰と比べられるか
ぐらい書けよ、俺はカフカかドフトエフスキーだな 何故なら言ってることが同じ厨二っぽいからw
- 481 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/10(水) 13:25:58.24 0]
- 現代人でも詩経から引用するが
- 482 名前:世界@名無史さん [2013/04/10(水) 19:36:37.03 0]
- じゃあ詩経はいいよ、魏晋詩でも泣いたし、三国志も文章十分美しいし
泣いたといってもやはり厨二臭いがなw
- 483 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/10(水) 19:52:24.91 0]
- 曹操の一族は、みな一流の文人で
名文を残してる
- 484 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/10(水) 19:59:37.50 0]
- 皆、ではない
- 485 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/10(水) 20:04:18.12 0]
- 三人しか知らない
- 486 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/12(金) 23:04:31.11 0]
- テスト
- 487 名前:世界@名無史さん [2013/04/14(日) 17:50:34.86 0]
- >>483
内容には踏み込まないのか
- 488 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/14(日) 19:16:10.50 0]
- てか、一族で3人も出してれば充分。
- 489 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/14(日) 21:12:11.89 0]
- 天津人民美術出版社の「洛神賦図」もってるが長すぎw
- 490 名前:世界@名無史さん [2013/04/15(月) 09:30:15.88 0]
- >>488
人生いくばくぞ、去りし日ははなはだ多し って太宰治かとw 曹ヒ、曹植は女に託して心情を表現してるし、ますます太宰治w
- 491 名前:世界@名無史さん mailto:伝道 [2013/04/15(月) 09:38:58.56 0]
- かんかんとつれなくみさごは河の州に
たおやかのよき乙女こそよき人のよきつれ・・・か なんと軽やかな詩であろうか、この詩風、伝道の書を思わせる
- 492 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/15(月) 16:50:50.66 0]
- 太宰治の批判は、そこまでだ
- 493 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/16(火) 22:29:52.81 0]
- 浮萍偏が好き
- 494 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/19(金) 00:17:11.02 0]
- 孫皓の帰命侯は名号侯だって説もあるようだけど、
それだと随分劉禅より格が落ちるな。 なんでだろう? 県公>開国侯〜男爵>県侯〜亭侯>関内侯>名号侯
- 495 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/19(金) 00:58:49.61 0]
- 暴君として名高い&9割がた統一完了してる状態で最後になってやっと降伏したような奴にそんなに高い地位をやる必要はない
- 496 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/19(金) 07:34:21.69 0]
- 孫皓と司馬炎が絡むエピソードは劉禅より多い
たぶん個人的に司馬炎が優遇していたのだろう
- 497 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/20(土) 09:03:52.78 O]
- >>485
曹操曹丕曹叡で三曹にかぞえられることもある
- 498 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/21(日) 14:25:24.31 0]
- ほぼ同時期に全滅する建安七子の面々
- 499 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/21(日) 16:34:06.98 0]
- だから建安○子と云う
- 500 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/22(月) 22:59:04.12 0]
- 甄氏の裸?を見た劉禎は死ね
- 501 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/27(土) 10:23:58.29 0]
- そういえば曹丕が嫁さんを宴会に出した事件、曹丕自身は曹操に怒られたの?
- 502 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/04/27(土) 19:34:27.27 0]
- それは不明だな
- 503 名前:世界@名無史さん mailto:ホメロス [2013/05/09(木) 09:17:42.42 0]
- >>497-499
詩を残した凄い、だけじゃなくて内容にも踏み込めよ 現代文学との比較とかさ、俺はこの時代の文学は戦前の日本文学と似てて それでいて日本には負けてると思うが >>500 それ陳寿の三国志に載ってんのか正史に載っていなければ語る価値は無いな
- 504 名前:世界@名無史さん mailto:ホメロス [2013/05/09(木) 09:27:59.83 0]
- >>496
孫皓の詩もいいよな 昔は汝と隣為(な)り 今は汝の臣為り 汝に一桮(いっぱい)の酒を上(たてまつ)る 汝の寿を万春ならしめん やはり太宰治的だが
- 505 名前:世界@名無史さん [2013/05/09(木) 19:40:37.68 0]
- 三国志板でやれアホどもが
- 506 名前:世界@名無史さん mailto:アニメ [2013/05/13(月) 13:37:00.85 0]
- 三国に分裂してるほうが中国人にとって一番ちょうどいいと思うのだが
もちろん荊州は蜀政府の領土で
- 507 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/13(月) 16:56:39.21 0]
- >>506
よりポピュリズムに走って三国が競って反日行動するから まとまってた方がありがたい まとまりながら少数民族が独立して分解してく方がいい
- 508 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/13(月) 17:54:15.97 0]
- 例えば台湾は中国の分国だが、
現在は北京政権に対抗するために国策としては親日だろ。 同じように三国に別れてお互いに脅威を感じ合ってたとしたら、 魏は反日でも呉はそれに対抗するため親日とか別れてたんじゃないだろうか。
- 509 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/13(月) 21:40:29.03 0]
- >>508
じゃあもう一方の反日する側はより過激な反日になるってことでもある ってか考えてもみろよ 中国人が三分割されたとしてあいつら核持って睨みあうんだぞ? どうなるかわからんじゃないか キチガイに刃物
- 510 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/15(水) 17:08:24.46 O]
- 最近の政府見てると、外交の大変さと大事さが良くわかる。
三国志世界でも外交の成否で人物が評価されてるしね。 激しくスレチなのは自覚してる。ゴメンね。
- 511 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/15(水) 19:57:08.01 0]
- 孫子も戦争とかなんとかの前に敵を作るな、
と縦横家でもないのに外交の重要性を説いていたぐらいだからな
- 512 名前:世界@名無史さん [2013/05/15(水) 20:05:57.14 0]
- >>511
孫子には兵站の概念がない 孫子の兵糧調達法は「敵から奪え」w
- 513 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/15(水) 21:52:17.71 0]
- >>512
概念あるが 読んだことないの白状しなくていいから
- 514 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/16(木) 19:10:30.17 0]
- >>513
兵士1万人を養うには穀物○○石、輸送に牛車××台が必要という基本的なことが書いてない 人間が食べる量なんて基本的に変わらないのにね
- 515 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/16(木) 22:50:16.96 0]
- 孫子はそういう具体的なデータを挙げて、
具体的な行動について述べている本じゃ全然ないんだが。
- 516 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/16(木) 23:32:40.32 0]
- >>514
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、帶甲十萬 千里饋糧、則内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十萬之師舉矣 はい、兵站の概念 孫子の論旨は兵站は大事だけどそれまじめに全部自分で費用負担すると死ねるから とっとと戦争終わらせるか、継続するにしても極力敵から略奪して自分の財布の負担は小さくしましょうというもの この略奪しろってところだけ読んで孫子は兵站の概念がない!とか言うアホは死んだほうがいいと思うよ?
- 517 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 11:38:06.93 0]
- いや孫氏信者には悪いが、孫氏は非常にミクロなレベルで戦争を語ることで
マクロ的なことに対応してるから結構穴があるんだよね。 兵站もその一つで、孫氏に兵站についてのまともな概念はないよ。 行間まで読まなくても兵站が必要不可欠な状況についての言及はないなんて素人でも分かる。 孫氏は、「古代ローマ軍のような兵站が必要なような戦争はするな」が答えとなってる。 ただこれ自体は、間違いじゃないし、孫氏アンチが言うような孫氏欠陥論の論拠とはならないけどね。 孫氏自体も「兵站作れればいいけど、そんなの無理でしょ?」 「兵站が必要な戦争=長期化=下策」って事で 兵站構築の選択は、まず始めに除外しているだけで兵站自体は軽視はしていない。 ただこれじゃあ必要な場合どうすんの?って話に対応できないし戦う場合選択肢が限られるわけだ。 そもそも同時代に、ノスタルジックを完備することで、戦争を勝っていた同等の文化レベルの国があるわけだから 強力な兵站を構築することで、勝利を得られるのも一つの答えで、状況によっては孫氏が放棄した選択肢も大正解なわけ。 なんでニワカ的な孫氏信者が否定する兵站重視の戦い方も全く間違っていないってこと。
- 518 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 12:42:07.18 0]
- >>517
ノスタルジック?懐かしさで戦争に勝つの? 輸送の事言いたいならロジスティックとかだろ あと孫子信者とか意味わからんこと言われても困惑するんだが 孫子読んでない奴が難癖付けてるけどその難癖が間違ってるって指摘してるだけだろ そもそも兵站重視の戦い方が間違ってると主張してる現代人はここにはおらん 正史三国志には輸送と輸送路の確保について結構記載があるしこのスレにいるような連中は 皆大事だってわかってるよ 言葉も知らないようだし、誰も主張してない事まで勘違いするってのは知能が疑われるから 素直に一回退散して本を読んだりして勉強し直すことをおすすめするよ
- 519 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 13:10:47.51 0]
- 是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡(軍争篇)
だから軍は輸送がなければすぐに負ける 食料がなければすぐに負ける、軍資金がなければすぐに負ける 凡火攻有五、一曰火人、二曰火積、三曰火輜、四曰火庫、五曰火隊(火攻篇) およそ火攻には五種類があって、一が兵の焼き討ち、二が屋外物資の焼き討ち、 三が輸送物資の焼き討ち、四が屋内の焼き討ち、五が輸送部隊の焼き討ち このように物資や兵站の重要性を説きつつ 相手の兵站を破壊しろと説いており孫子には兵站の概念がしっかりあるよ
- 520 名前:世界@名無史さん [2013/05/17(金) 19:32:33.02 0]
- ノスタルジックわろた
- 521 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 20:19:52.12 O]
- 一番兵站に熱心だったのは曹操だな
曹操の計算だと送った量の5%くらいしかたどり着かないのが兵站の現実らしいけど そのせいかあれこれ工夫してたな
- 522 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 20:43:49.53 0]
- >>519
>是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡(軍争篇) >だから軍は輸送がなければすぐに負ける >食料がなければすぐに負ける、軍資金がなければすぐに負ける 食料を確保して輸送して配分するために何が必要か、どうやれば効率的に輸送できるのかとか、具体的なことは教えてくれない。 一般論過ぎる。 孫子を真に受けたバカエリートがそのまま軍を指揮するから、中国の戦はみんな餓えまくりなんだよ。 貨殖伝でも読んだほうがまし。
- 523 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 20:49:47.37 0]
- >>522
当たり前じゃん 孫子ってそういう現場の仕事を指南する書物じゃないんだから 万能の書物だと思ってるならそいつが低脳過ぎる
- 524 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 20:53:36.52 0]
- >>523
戦争でもっとも重要な兵站に関する記述が一番いい加減とか、孫子は戦争をなんだと思ってるんだ?w 謀略考える前にやることあるだろ。
- 525 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 21:19:54.49 0]
- >>524
戦争で最も重要なのは兵站じゃなくて外交 そこんところ勘違いしてるから話にならんのだな
- 526 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 21:44:18.91 O]
- >>521
確かに任峻とか夏侯淵とか、兵站任務の記録が残ってるな。 劉備のところは諸葛亮がいるし。 孫家はどうだったんだろう?
- 527 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 22:22:17.13 0]
- >>526
物資横流しで儲けてる奴がいたりしてどうも適当な印象受けるけど 横流しできるだけ物資をしっかり集積して分配してるので起こる現象かもしれん その場合はやっぱり結構兵站しっかりやってたんだろうなぁ
- 528 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 23:33:31.38 0]
- 戦争で兵站が最も重要で、それがなきゃ絶対に死ぬなら
どうして洋の東西を問わず、実際に補給が自前で賄えるようになったのは WW1ぐらいからなんだ? それ以前は兵站が完全に出来ないから戦争を自分からは起こさなかったのか? 違うだろ。 補給はある程度で、後は略奪で賄えるから 補給が完璧に出来なくても戦争起こしていたんだ。 現地調達の略奪が基本の時代でも そっちの方が効率がいいし楽だからそうしていただけで 兵站の概念はある程度が略奪の時代からでも存在していたんだよ。
- 529 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/17(金) 23:57:11.07 0]
- そもそも戦争の主たる目的自体が略奪という場合がけっこう多いわけで、
すると、この場合はいかに効率よく略奪し続けるのかということ自体が 戦略ということになるのではないか。
- 530 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 00:21:45.70 0]
- >>525
外交力がなくても兵站が続く限り戦えるが、 食料がなければ外交官も餓えて死ぬわw
- 531 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 00:30:40.27 0]
- >>530
戦ってどうするの? 戦争ってのは目的があってその目的を果たすためにするものなのに 最終的に外交で終わらせなきゃどうしようもないじゃん
- 532 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 00:41:34.51 0]
- 戦争のために戦争を続けるって話だな
普通戦争なんて特に開始前は戦略目標を果たすことを考えて起こすのに 外交官とかある程度の特権階級も飢えて死ぬレベルだと 北朝鮮以上の劣悪な食糧事情ってことで、 歴史的なウクライナのホロモドール以上に酷いんだが
- 533 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 02:57:11.76 0]
- >>531
弱小国の天才外交官が舌一枚で情勢をひっくり返した例はあまりにも少ないが、 補給の潤沢な国が戦争で勝った例はごまんとあるだろうw
- 534 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 07:34:00.60 0]
- >>533
は? 潤沢な物資の国が戦争で勝った時に外交してないというのであればそれでいいけどね してるから
- 535 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/18(土) 10:46:04.32 0]
- ていうかスレ違いなんで
三国志に関係ない話が続くならよそでやれ
- 536 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/19(日) 19:01:24.79 0]
- 質問スレにも書いたのですが三国志時代の教育水準は宋代にも匹敵すると
おもうのですがどうでしょうか
- 537 名前:世界@名無史さん [2013/05/19(日) 19:44:14.85 0]
- いくら孫子が「食料は敵から奪え」といったって、もう三国志の時代には適応してない。
なんで曹操があれだけ必死こいて軍屯やったのかと。 まあ敵の食料を焼くのはよくやってたけどな。
- 538 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/20(月) 06:35:32.19 0]
- 五胡以降はまた略奪の時代に戻ったけどね
- 539 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/20(月) 20:22:05.18 0]
- 出土した呉の戸籍が有るらしいけど、
それには爵(民爵)とかって記載されたの?
- 540 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/22(水) 10:22:33.15 0]
- >>537
やはりそれこそ教育水準の高さを表明してますよね それだけ三国志時代のモラルが高かったと 五胡以降は本当に清まで略奪ばかりですからね
- 541 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/22(水) 12:14:24.95 0]
- >>540
モラルの問題じゃないよ 三国時代は生産力が低下してて略奪で補給なんて真似出来るほど民力が高くなかった
- 542 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/22(水) 12:49:49.11 0]
- そこまで生産力が落ちていた時代とは思えませんが
民力が低いならあれほど文化が栄えた理由がわからない 衣食足りて文化も栄えるものではありませんか? 貧しかったのはむしろその後の時代でしょう なぜ貧しかったかといえばイデオロギーの調節が下手だったため
- 543 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/22(水) 13:00:37.18 0]
- 三国志時代の文化ですが、中国には史上6度の文化変革が起こったのですが
その内二度、この時代に起こっているのです、建安期と太康期 この時代の文化水準はもっと高く評価されてもいいのではないですか
- 544 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/22(水) 13:26:33.94 0]
- この時代をよく調べると後世に与えた影響は想像以上に大きい
仏教の導入期でもある、曹植が仏教を中国的に解釈することに 異議を唱えているし、この時代はそこまで仏教理解が進んでいた
- 545 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/22(水) 18:26:57.63 0]
- >>542
あんたが思うのは自由だけど農村の逃散や大量の疎開、移民は三国時代初期の特徴 こんな状態でまともな民力が残ってると思い込んでもしょうがないだろ 文化が繁栄は為政者の趣味、それから正統性の弱い簒奪王朝が文化で権威を勝ち得ようとしてるだけだ
- 546 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/22(水) 23:24:13.43 O]
- そもそも同じ地域で連続して戦う場合や、
自分の領土を横断する時の解決にはならないからね 徴発に時間を食えば迅速な移動も出来ないし、飢饉もある
- 547 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 02:07:46.96 0]
- 孫子が「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従わないことがある」といったのは、シビリアンコントロール軽視ではないか。
軍隊が暴走したら誰にも止められなくなる。
- 548 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 03:01:21.65 O]
- それは真面目に言ってるのか?
- 549 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/23(木) 07:48:29.98 0]
- >>545
移民は中国史全体の特徴でしょう 三国時代がほかの時代と比較して多かったとは思えない 権威づけのためだけに文化が栄えるのだとすれば五胡の時代に文化が栄えなかった 理由がわからない、やはり三国時代は特別な時代なのでは
- 550 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 12:55:57.00 0]
- >>549
五胡は別民族の歴史だろ 南部に割拠した漢民族王朝は相変わらずだし ただそれ以前の文化が集積されていた北部が占領され 動乱の中でそれ以前の時代の文献や石碑など多数が失われ 途絶とまではいかないけど大きな断絶のような時代 三国時代を特別に思いたい気持ちはわかるが、別にそうでもない 「中華」の崩壊直前の時代だから崩壊後と比べると何となく特別に思えるだけ
- 551 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/23(木) 13:19:47.25 0]
- 別民族ならばなおのこと権威付けが必要では?
そして中華が崩壊して現代ですら回復してるとはいいがたいでしょう? ということはやはり三国志時代が文化の最盛期では?
- 552 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 14:35:17.62 0]
- 多分に文化のうち詩文や変革ってのばかりに注目しすぎ
確かに後漢末〜晋初は詩文の変革期の一つだし清談の流行期であって 文化面で着目されるべき重要な時代の一つだけどね さらなる洗練や発展・継承も文化の要なんだし そういうところは社会の繁栄・豊かさがモノを言う 唐・宋の詩文の充実とか、宋や明・清の大衆まで巻き込んでいく文化とか これらも同じく「あれほど栄えた文化」なんだぜ 文化が権威付け〜は言われたことに返してるだけだろうけど、 五胡諸国はどれも短命で安定していないので上流層でさえ文化どころじゃない それと胡人たちが最終的には漢文化の継承者になっていくので 彼ら自身の文化が見えにくくなっていったというのもあるだろうね (仏教とかは元々は彼ら寄りの文化だね) 安定を勝ち取った後の北魏の文化人は漢文化の復興に力を入れている 梁の武帝なんかは胡族と軽視していた北魏に文化的に肩を並べられたことに 愕然としてたりもする
- 553 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/23(木) 17:58:22.70 0]
- 晋代には女性さえ詩を作ったのですよ
五胡以降文化の質という面においては繊細さが足りず、デカダンだ 五胡以降は中世の暗黒時代と見るべきで今なお中国はその情態から 抜け出ていないとも言えるし、やはり中華の文化の最盛期は西晋代と呼べるのでは 何よりここのスレの盛り上がりがこの時代の文化程度の高さを表明している
- 554 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 20:31:10.24 0]
- >>553
文化の最盛期? じゃあ今だわ インターネットに触れる人口だけで数億いる今の中国ほど 文化が栄えてる時代って他にないよ?
- 555 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/23(木) 21:28:31.57 0]
- 要約すると
ボクちんの大嫌いなシナチクどもは罵倒したいけど、 ボクちんの大ちゅきなサンゴクムソウとソウテンコウロは手放ちたくないモン! そうだ三国志より後は別のモノってことにすればいいんだ! そうすればボクちん矛盾しないモン ということだな、きっと
- 556 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/24(金) 04:16:52.60 0]
- >>554
そのインターネット文化の中からなにか生まれてるのですか 日本でさえその知的水準は原始人のレベルに下がっているというのに >>555 私に対していっているのだとするとそれは見当違いです 私は五胡以降の中国史を否定する気はありませんよ むしろ肯定するために特別視しようとしているのです
- 557 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/24(金) 04:22:57.46 0]
- 五胡以降の歴史については少々違った見方が必要でしょう
たとえば民族移動後のヨーロッパが聖書の世界の中に閉じ込められたように 中国も仏典の世界に閉じ込められたのでしょう ゆえに仏典越しに中国をみていくことが重要でしょう
- 558 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/24(金) 19:58:58.68 0]
- >>556
よくわからなくなってきたから君の言う「文化の水準」の定義を教えてくれ 何がどうなると文化の水準が高くて、どうなると低いんだ?
- 559 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 08:53:44.55 0]
- そもそも文化に高低なんてあるのか?
文明ならある程度は比較できるかもしれないが。 それもパッチワーク的発達だったりするし。 仮に文化に高低があったとしても、それは客観的に比較できるものなのか? 同系統なら洗練されているとか、改良されてる程度は言えるかもしれないけど。
- 560 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 10:47:33.76 0]
- そもそもこの人(ageてごねてる人)、
文化と言うべきものの一部分だけしか文化と認めようとしないし、 良し悪しも根拠が薄弱な主観でしかないしなー 最初が「三国時代の教育水準は宋と同レベル」だったのに いつのまにか「三国時代は中国史上最高の文化水準を持ってた」になってるし 「ここのスレの盛り上がりがこの時代の文化程度の高さを表明している」とか もうアホかと
- 561 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/25(土) 11:13:07.70 0]
- 文明程度でいっても三国時代は清代と比較できるよ
文化水準の高さは民衆レベルでの教育水準の高さ、とそれに伴うエリート層の 知的水準の高さ、武人が史上に残る程の詩を残した時代はこの時代以外ない また略奪も少ない、それだけ民衆レベルでモラルが高かった、教育が充実していた ことを表している、文化の高低についてはあんたがたは曹操はマンセーしても セキロクやフケンを讃えることはしない、それがなぜか考えてみろ
- 562 名前:世界@名無史さん mailto:age [2013/05/25(土) 11:21:50.22 0]
- >「ここのスレの盛り上がりがこの時代の文化程度の高さを表明している」
それだけ資料が豊富で上質、つまりそれを残したこの時代の 文化水準が高かったということだ >いつのまにか「三国時代は中国史上最高の文化水準を持ってた」になってるし 後漢代が宋代と匹敵する文化程度だ、そしてそれを平和裏に継承した魏晋はさらに高次だろうということだ
- 563 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 11:27:03.15 0]
- ロクに賛同者もない三国時代の文化最高レベル説を延々と語るアホってキモいな
- 564 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 11:42:43.18 0]
- まあこんなところでいくら進歩的な意見を述べたところで意味は無いと自分でも思うが
三国志の解説本といったところで劉備叩きの曹操マンセーに終わる 大学教授様の意見よりかはましだと思っているが ここには大学行ってるやつはいないのか?大学で普段何やってるんだ
- 565 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 11:50:08.91 0]
- >そしてそれを平和裏に継承した魏晋はさらに高次だろうということだ
そうですよね。司馬家なんて学者の家柄だし、少なくとも西晋代には教養のないような 皇族なんて一人もいませんでしたよね 後の時代は寂しすぎる
- 566 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 12:42:00.61 0]
- 五胡の動乱が起こらなければどれほどの芸術作品が残ったことだろう
それを考えるとあまりに惜しい
- 567 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 14:43:05.36 0]
- >>566
基本的に蛮族は文化水準が低いからね。中国を襲ってきたのはトルコ人、 ハンガリー人、フィンランド人、チベット人が主だが、ハンガリー人が文明化した のは奥州に定着した1000年近く後の事だし、トルコ人も小アジアに定着するまで 文化水準は低かった。フィンランド人は今でも蛮族そのものだし、チベット人も 最後まで文化水準は高くはならなかった。
- 568 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 15:26:53.81 0]
- わけがわからない
- 569 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 15:32:54.92 0]
- >>568
わけがわかったらびょういんにいかないといけなくなります><
- 570 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 22:08:44.48 0]
- 三国志って意外と魅力ないな
やっぱり陰湿な宮廷闘争もののほうがいい
- 571 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 22:47:07.79 0]
- 二宮の変とかまさに宮廷闘争じゃん。
- 572 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 23:28:36.60 0]
- >>570
魏の末期とか呉の中期以降とか宮廷闘争満載じゃん 演義であんま描かれてないけどさ
- 573 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/25(土) 23:44:23.21 O]
- 黄巾の乱から董卓までの流れとか
一般ウケしないからはしょられてるだけで、かなり面白い宮廷劇を繰り広げられてるよ まあ魏末は司馬一族が強すぎる割りに政敵が弱すぎて逆に魅力が薄いかもしれないが
- 574 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/26(日) 12:22:41.49 0]
- >>567
争いなどすべてイデオロギーによるものだ その中では蛮族も文明人も末端概念に過ぎない 胡人たちの失敗は仏教を活かせなかったことだろう
- 575 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/27(月) 13:29:13.78 0]
- 演義を読んだ人は劉備を善玉、曹操を悪玉(ただし魅力のある)として
見るはずだ、だがその基準のまま正史を読むと拍子抜けするだろう なぜなら正史にはどれが善で悪かの区別がないからである さらに演義は劉備等蜀勢を主人公としているが、正史にはその主人公がいないのである 正史はいわば遠近法における消失点がないのである、中心が無いのである
- 576 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/27(月) 14:10:55.30 0]
- 伝毎に分かれているのに面喰ってそれどころじゃないと思う
- 577 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/27(月) 22:09:51.84 0]
- 蜀が史官を置かなかったってのはなんでだろうなあ。もったいない。
生き残りは大勢いただろうし、成都も焼き討ちされたわけじゃないから 記録は残ってると思うのだが。
- 578 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/27(月) 23:50:24.29 0]
- >>577
置いてるから瑞兆とかちゃんと記録されてるだろ
- 579 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/28(火) 02:00:56.95 0]
- 陳寿みたいのがいた蜀に史官がいなかったと思うとは凄いヤツだな
- 580 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/28(火) 20:45:52.03 0]
- おいおい、田中芳樹先生の「白日、斜めなり」を読んでないのかよ。
ちゃんと夏侯覇が「成都へ来て驚いたのは史官を置いていないことであった」 と書いてある。例として趙雲に次ぐといわれた陳到の資料がほとんどないために 伝も立てられていないことを指摘してるよ。 蜀書の伝がやたらと短いのも傍証になるんじゃないかな?
- 581 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/28(火) 21:02:01.02 0]
- なんだギャグか
- 582 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/28(火) 21:44:03.18 0]
- >>580
ならん 一時どうも史官廃したようではあるが天文も史官の仕事だから 瑞兆が記録されてる時点で史官存在してなかったとしても相応の仕事する何者かは存在してる
- 583 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 08:48:25.24 0]
- 趙雲すら別伝以外はお寒いだろ。
まともな分量があるのは劉備、諸葛亮、関羽、馬超ぐらいで、張飛あたりから分量すっかすかだよ。
- 584 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 08:59:24.10 0]
- 三国で最弱にして最も短命に終わった国の人物たちにそんな分量割いてられるかって話だな
- 585 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 16:20:26.44 0]
- 正史には主人公なんかいないよ
- 586 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 16:56:09.80 0]
- だから劉備という主人公になってしまった人にのしかかるのはもうやめてほしい
正史だけを読め、裴松之の註も飛ばせ、純粋な部分だけで話をしろ
- 587 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 20:15:53.42 O]
- はいはい正史正史
大学生だか知らんが若いって良いなあ まあここは正史スレだから仕方ないか
- 588 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 22:29:36.33 0]
- 正史正史いってないで彼女作って精子だせ
そして子供が生まれたら劉備のように投げ捨てろ
- 589 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/29(水) 23:42:16.40 0]
- 劉邦「なんだ、同姓の後世人が俺の伝説をパクってやがんのか!
- 590 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/30(木) 10:06:55.91 0]
- 正史を読めば善悪など無いという次元にあるのがわかるだろ
そろそろ文学として正史を読むやつはいないのか
- 591 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/30(木) 12:18:22.47 O]
- 自分で実践してサイトなりブログなりやればいいのに
- 592 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/30(木) 18:17:16.71 0]
- ここが諸悪の中心なんだからここでレスしてったほうが改善につながるだろ
もっと言えば研究者が変わってもらわねば困るのだが どうやら三国志研究史家もここみてるみたいだし
- 593 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/30(木) 19:34:39.44 0]
- こんな過疎スレをみてどうする
- 594 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/30(木) 22:01:04.43 0]
- 曹植の子の曹志、父の曹植は最終的に陳王3500戸だったようだ。
曹志が継承し、済北王に移封、何度か加増されて990戸とあるが、 むしろ減ってるんだけど。 4990戸とか、前が抜けてるんじゃないのか? あるいは9900戸の間違いとか。
- 595 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 03:52:36.47 0]
- >>594
同じ事を集解でも指摘してて脱字あるって書いてあるな
- 596 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 08:08:07.88 0]
- 聞きたいんだけど劉備が悪で曹操が善であることの論理的根拠って何?
>>594 晋書のことまで取り扱う必要はない
- 597 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 08:09:00.72 0]
- 科学的根拠でもいいよ
- 598 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 08:15:25.64 0]
- >>593
二十八巻までつづいてるスレを過疎スレとか
- 599 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 10:36:34.24 0]
- 体制派が善で、反体制派はテロリスト論なら曹操は善になるかも
統一されるべき本来の国家は魏で、蜀漢とか呉は地方反乱勢力とするなら まあ反体制派はテロリストとまで思ってるかどうかはわからんけど、 統一されるべき本来の国家は魏 っていうのは無意識のうちに思ってるんじゃないかな
- 600 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 12:33:58.60 O]
- >>594
魏と晋で戸のカウント方法どうなっているんだろうな。字が抜けたというのが、一番考えられる原因だろうが >>598 十分過疎地だよ なぜ正史だけを扱えというのか? ・スレ違い →「正史」の定義は? →三国志正史と晋書の比較検討はスレ違いなのか? ・史実考証上で正史がもっとも史実に近いから →本人の残した手紙や漢詩を無視する理由は? →文学や漢詩分析なら、別にサイトなり作ってやれ あれは解釈次第でどうとでもなるので、一人で眺めて楽しむのが一番だ
- 601 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 15:01:54.38 O]
- 曹叡って自分の母親を謀殺されてあんなに哀しんでたのに
自分も毛皇后を殺しちゃったね
- 602 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/05/31(金) 20:37:00.90 0]
- >>601
妻を殺して初めてパパの気持ちが分かったのかもしれない。
- 603 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/01(土) 19:03:19.36 0]
- >>600
だらだら並べてるけど結局反論になってないよ、 ここ以外で最大のスレはローマの11なんだから28も続いてるここは十分過密地帯だ ここは陳寿の書いた正史三国志のスレなんだからそれだけを扱うのは当然だろ 晋の話したけりゃ晋書のスレたてろよ 文学に関しちゃお前らがあまりにマンセーするんで、じゃあ内容はどうかって所に踏み込んだんだが ちっとも触れないってことは大したものじゃない、あえて言うなら中二臭い内容だって分かってんだろw こんな内容なら書いて無いも同じだな、つまり文化的功績でいうなら蜀が一番だ
- 604 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/01(土) 19:07:00.17 0]
- >>599
まず定義が不明確すぎる、どちらが体制派か反体制派かがわからんのだが 劉備が悪にされねばならぬ理由はないな、曹操が善である理由も それにこっちは科学的に絶対な根拠を教えろといっているんだ 体制なんて用語は全然科学的じゃないな
- 605 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/01(土) 19:42:53.17 0]
- > 聞きたいんだけど劉備が悪で曹操が善であること
そもそも誰が言ってんの?何の評価?善悪だとかどの記述を元にしてるの?
- 606 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/01(土) 19:45:53.43 0]
- >>596
>>>594 >晋書のことまで取り扱う必要はない 三国志本文の話、それも子孫関係の後日談でもなくて、魏代の話なんだけど。 確かに曹志の伝は晋書にあるが、それで三国志には出てないって誤解してるのか? 短絡的に返さずにもう少し調べてから書いた方が良いと思うよ。 それ以前にあんたの三国時代は、前後の時代と一切関係ない孤立した存在なの? なんでそこまで頑ななのかよくわからない。
- 607 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/01(土) 23:00:29.83 0]
- 体制派・反体制派ってそんな非科学的な言葉か?
善とか悪とかそれこそとる人によって変わる判断に 絶対に科学的な根拠とかあるわけねえだろ 善悪に分類される他の歴史の人間とか勢力だして 説明してみろよ
- 608 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/02(日) 01:27:43.84 0]
- これってもしかして単に演義から入ったばかりの子が背伸びしに来て荒れてるだけなんじゃないかしら
- 609 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/02(日) 08:12:04.75 O]
- >>608
同意
- 610 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/02(日) 10:18:37.72 0]
- そういうの増えたよな……最近の蜀下げ傾向もどうかと思うが。
善だの悪だのは儒教の講釈ぐらいで終わらせておけと。歴史ってのはそんな 簡単に割り切れるようなものじゃない。 諸葛亮と劉備の関係だってある種の緊張感をはらんだ物だと指摘されてるしね。
- 611 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/02(日) 19:02:17.93 O]
- 司馬防は何を考えて曹操を北部尉に推挙したのか
- 612 名前:世界@名無史さん [2013/06/02(日) 19:06:08.61 0]
- >>611
当時の普通の配属先の一つとして配属しただけだろう 洛陽なんだから有力者の子弟であることへの配慮も十分だ
- 613 名前:世界@名無史さん [2013/06/02(日) 19:50:54.53 0]
- 後漢末は超中央集権時代だから、地方でそれなりの地位につくより、北部尉でも中央の役職の方がいいだろ。
結果論だが、地方勤務だと黄巾賊の蜂起に巻き込まれてすぐ死んでたかもしれない。 太守クラスですらかなり殺されてたから。 劉備も安熹県の尉や下密県の丞の地位を捨てて、中央に戻ってる。 彼らが中央志向を失うのは、董卓の乱のせい。
- 614 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 01:31:34.83 0]
- 董卓は西涼の辺境で力を蓄え機会を伺っていたし
孫堅も長沙で流賊を討伐しつつ勢力を築いた。
- 615 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 02:14:24.88 0]
- 董卓が力を蓄えたのは西涼でなくて河東でしょ
- 616 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 02:56:36.36 0]
- 董卓のキャリアの大半は并州でのものだし涼州出身とか言うけど
根拠地はむしろ并州じゃねーかって感じなんだよな
- 617 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 07:35:58.89 0]
- 董卓は涼州の軍閥で刺史は別に居たんだよね。演義では涼州刺史になってるけど。
配下には異民族傭兵も多かっただろうから涼州で力を蓄えたといってもいいのでは。
- 618 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 09:47:27.66 0]
- 涼州の豪族出身ではあるけど
涼州にいた頃は軍閥と呼べるほどのものではないでしょ 配下に異民族傭兵が多かったかもしれんが それをもって涼州で力を蓄えたという根拠も解らない 并州(=河東)は匈奴もたくさん住んでいたし 長城のすぐ南だから鮮卑族もいただろうから 涼州と変わらず異民族兵を簡単に雇える土地だったわけなんだけど
- 619 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 11:57:47.04 0]
- 何であんなに南下に失敗し続けたのか。
曹丕は運が無さすぎだが、 曹操の時期は曹丕の時期以上に乱世で疲弊しすぎてたのが原因なのはわかるが それにしてもあの勢いが止まったのが不思議。 結局曹操が躓いて曹丕が早死して、 国力がまともにチャージされるまで統一はお預けになってしまった。
- 620 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 12:43:13.19 0]
- 善だの悪だので割り切ることが非科学的だということはこっちも重々承知してるよ
だが先に劉備は偽善者だといって暴れまわったのはそっちのほうだろ 過去スレで見たがゲームの三国志のシナリオに、超三国志があるだけで暴れまわってたバカ曹操患者を 俺は見たことがある、それくらい真っ当な三国志ファンは善悪で分けられてることに迷惑していたんだ で、改めて聞くが劉備が偽善者と呼ばれなばならない科学的根拠はなんだ?
- 621 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 12:53:04.01 0]
- >>619
曹丕だけでなく曹操もあれが限界だからしょうがない 戦術の基本が長江を渡れるように構築されてない
- 622 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 14:04:05.73 0]
- 曹操が淮南の徙民やっちゃったのがまずかったんじゃないかな。
あれのおかげで淮水以南は合肥のほか兵無しって状態になっちゃった。
- 623 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 20:48:02.31 0]
- 徙民政策って曹操以前にあったっけ?
- 624 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 20:58:13.22 0]
- 後漢からの継続した政策ですが何か?
- 625 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/04(火) 22:21:23.23 0]
- 郭嘉の爵ってなに?
没後に800戸加増されて、1000戸になったとか、 貞侯と贈り名されたとかは有るけど、封名がよくわからない。
- 626 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/05(水) 01:37:12.25 0]
- >>624
誰がやってたの?
- 627 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/05(水) 02:05:40.16 0]
- >>626
誰がって程特筆すべきことじゃなくて必要があれば誰でもやってる 光武帝を初めとして、とりあえず住民とか支配下の人間移動させといた方がいいと思ったらとりあえず徙民してるし
- 628 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/06(木) 20:08:06.45 0]
- 宋建、平漢王とか名乗って百官を置き、30年以上も割拠。
名分から言ったら真っ先に討伐すべきじゃないのか? ねえ、曹操さん。
- 629 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/06(木) 22:23:53.48 0]
- 曹操が小男で見栄えがしなかったって出典はどこだっけ? どこかで読んだ記憶が。
あと、蛮族の使者がやってきたんでイケメンを身代わりにおいて自分は隣に居たら 使者「曹操の隣に居た小男はただものではないぞ」とか言ったという話。
- 630 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/06(木) 23:30:07.42 0]
- >>629
世説新語
- 631 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/07(金) 17:16:20.68 0]
- >>620
無視ってことは返す言葉も無いってことか(笑) というわけはお前たちは劉備が偽善者で無いことを認めるんだな では、これからはくれぐれもそういった発言は控えてもらおうか 曹操患者さん(笑)
- 632 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/07(金) 18:20:00.64 0]
- 三国時代の兵士の一般的な武装を教えてください
- 633 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/07(金) 18:39:19.69 0]
- 一般的な兵士ってのは何を想定してるの?
- 634 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/07(金) 23:26:05.71 0]
- >>630
どもです。あれって高いし上中下巻だからまだ読んでないんだよなー。
- 635 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 18:33:22.50 0]
- >>631
そもそも三国志の世界には演義にしても正史にしても絶対善、絶対悪というのが無い 極力避けられているのだ、それこそが三国志を魅力的にしている要素だといえよう 中国人は東洋人である、東洋人は善悪の境界を曖昧にする種族だ だから三国志にも絶対善、悪は無いのだ
- 636 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 18:47:04.84 0]
- 更に正史三国志を読むともっと驚くべき感想を抱く
正史には絶対善、悪を想定しながら、そのような愚かな思想を抱く勢力と 戦おうとする姿勢を読み解くことができるのだ だから俺は正史に次元を超えた美しさを感じたのだ、正史は善悪の彼岸に立っているのだ、 そういう美しさが正史の美しさ凄さなのだ、この時代の文章、詩を読んでも それがある、信者達の醜さで大分減点されてしまうが曹操の詩にも 絶対善、絶対悪を決めようとする輩と戦おうとする姿勢がある 信者があれなので本心かはどうかは不明であるが
- 637 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 18:56:03.99 0]
- 主人公である劉備に魅力が無いという奴らがいるが、それに私は甚だ疑問を抱いていた
そもそも主人公にそれほど魅力はいらない、魅力あふれる存在にされるのは敵方になるほうが多い ウルトラマンなどがそうである、敵役である怪獣や宇宙人に同情が集まったりするものだ ガンダムもジオンのほうが人気があったりする、こういう風に敵役に魅力があるほうが 名作とされることが多い、三国演義もその典型ではないだろうか
- 638 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 20:10:49.70 0]
- >>632
i.imgur.com/5IfE5L8.jpg 70〜100cmの刀 木製の盾 刀鞘
- 639 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 22:37:25.44 0]
- 突然三鮮の落書きみたいなレベルに一気に落ちたな。どうしたの?
- 640 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/08(土) 23:37:56.58 O]
- 三ですら相手して貰えない子が、自作自演を交えてまで背伸ばしに来てるぽい
コテつけるか黙ってくれてくれれば嬉しいがな >>634 原文でよけりゃ台湾の中央研究院のサイトで見られたはず 質を選ばなければ、国会図書館など国内サイトでもあるかも
- 641 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/10(月) 23:26:04.32 0]
- そういえばこの時代はまだ銅器?鉄の剣とかは無かったのかな。
- 642 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/11(火) 00:33:45.79 0]
- 移行期とされてるけど武器はもう鉄がメイン
- 643 名前:世界@名無史さん [2013/06/14(金) 20:47:00.93 0]
- 正史劉備解説
www.nicovideo.jp/watch/sm13179330 このスレ的にはこれも含めて正しいの? この中では「劉備は大儒の盧植に学び、 曹操と一緒に兵を集めて反董卓軍を立ち上げた」言ってる。
- 644 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/14(金) 21:29:05.02 0]
- いうまでもなく
劉備は大儒の盧植に学び○ 曹操と一緒に兵を集めて反董卓軍を立ち上げた×
- 645 名前:世界@名無史さん [2013/06/14(金) 21:48:58.13 0]
- 英雄記にかいてあるじゃんw
英雄記に云う:霊帝の末年、備嘗て京師に在り、後曹公に與して倶に沛国に還り、募召して衆を合す。 霊帝の崩ずるに会いて、天下大乱、備また軍を起こし董卓を討つに従う。
- 646 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/14(金) 22:09:30.69 0]
- 英雄記のその記述を信じる人って超少数派の変わりものだと思うの。
- 647 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/14(金) 23:18:00.75 0]
- >>646
面白すぎて信じにくいけど否定する根拠が明確にないのがな この時期の劉備は何やってたかわからんので史家が創作し放題 英雄記が本当に王粲編纂なら事実の可能性があると思う 曹操直接の関係者だし曹操への取材も、曹操からのチェックもあるだろうからな でも英雄記が本当に王粲編纂であるという事実がないのでそこが苦しい 伝王粲編纂でしかないんだよなぁ 劉備は袁紹に徐州手土産に頭下げる以前は公孫サンの元で戦っているし それ以前も朝廷側として反乱軍である袁紹、曹操らとは敵対してる筈だから 反乱軍として曹操と一緒に兵を集めて朝廷に弓を引くってのはすっごく考えにくいとは思うんだが
- 648 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/14(金) 23:22:34.73 0]
- 英雄記は面白すぎてなあ。
ところで、義兄弟の契りを交わす場合にどっちが兄になるかは年齢が基準? 立場や官職は関係ない?
- 649 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/14(金) 23:29:54.23 0]
- >>648
親子兄弟って官職じゃなくて年齢じゃね?と思うのだが
- 650 名前:世界@名無史さん [2013/06/15(土) 01:24:04.91 0]
- その時期の劉備の経歴が他史料だと不明になってる
英雄記を否定するのは文献史料の異同という面からは結構難しいよ あんだけ細かいことに一々文句言ってくる集解ですら英雄記の記述に関しては文句無し 逆にこの記述は何時頃の話であるかという事を武帝紀と合わせて曹操が都落ちの時の事だと補強する方向
- 651 名前:世界@名無史さん [2013/06/15(土) 04:52:40.03 0]
- 曹操が後に劉備を左大臣に引き立ててやったりしてるのをみても、このときコネができたんじゃない?
英雄記で一緒に募兵にいったとき仲良くなった。 ところで >霊帝の末年、備嘗て京師に在り なんで劉備は都にいたの?
- 652 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 05:00:07.04 O]
- 何進幕府の人材集めに連動したか
連動したように創作したんじゃね
- 653 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 05:55:44.60 0]
- 先主伝本文でも何進が募兵の為に派遣した都尉毌丘毅に随行していたと書いてるから、
募兵活動に従事する前は洛陽にいた可能性はありそう。
- 654 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 06:05:56.04 0]
- 猟官運動だろ
- 655 名前:世界@名無史さん [2013/06/15(土) 07:25:13.26 0]
- >先主伝本文でも何進が募兵の為に派遣した都尉カン丘毅に随行していたと書いてる
騎都尉の曹操が無名の劉備と同僚のはずがない。 曹操と同格の都尉カン丘毅の部下として同行しただけだろう。 だが劉備万歳の先主伝では、さも曹操と劉備が同格であるかのように粉飾した。
- 656 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 07:51:59.35 0]
- >>655
劉備は無名ではないぞ 安熹尉を経験してしかも自分から官を捨ててさっさと去ってるというところだけ強調されて 現代人からするとあまり地位があるように見えないけど 能力が認められて職を得るけど自分に相応しくないのですぐやめてもっと上のオファー待ちってのは 後漢での出世方法の一つだ それで劉備の場合辞めた後もまた別のところで名前と顔売って次第に出世している 下密丞、高唐尉、高唐令と着実に出世してる
- 657 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 08:03:21.11 0]
- >>655
劉備が曹操と並んで募兵したように書いてるのは英雄記でしょ。 先主伝の方は曹操との関係に触れてない。
- 658 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 08:32:53.27 0]
- 先主伝だと、黄巾の乱での劉備の上司は雛靖。このときの功績で安熹県尉。でも督郵をぶんなぐって逃亡。
官吏を殺しかけて逃亡なんてことしたら、フツーお尋ね者だろ。 なぜ出世できたのか。
- 659 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 08:34:51.36 0]
- >能力が認められて職を得るけど自分に相応しくないのですぐやめてもっと上のオファー待ちってのは
>後漢での出世方法の一つだ 郡の督郵ぶんなぐって逃げたのに、「もっと上のオファー」なんてくるわけないだろw そんな出世方法はない。
- 660 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 09:26:41.67 0]
- >>658
平時なら100%お尋ね者だが、まだ乱世の認識まではないにしても、 混乱期だからねそのくらいの方が元気有ってよろしい。 毒を制すには毒をもって、ってやつなんでしょう。 元末だけど、方国珍なんか起こすたびに出世。これも最初は県尉でしょ。
- 661 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 09:30:48.07 0]
- 張温に逆らいまくっても出世できた陶謙や黄巾戦で功績がなくても
涼州戦でまた起用された董卓など、戦争ができるやつは何度でも チャンス与えられている。
- 662 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 09:44:01.97 0]
- 仮に曹操と一緒にいたとしても
居候のゴロツキみたいなもんだったんじゃね?
- 663 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 10:17:42.81 0]
- 曹操と一緒で新進気鋭の若手として見られてたんじゃないかな?
曹操だって洛陽北部尉やどっかの県令の時も相当な真似してる。 歴史には残ってないけど、劉備は大侠客として有名だったかもしれないし。
- 664 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 10:21:55.73 0]
- 多少素行が悪かろうが、人格がひね曲がってようが、
とにかく戦争に強いやつが必要とされる時代。 白い猫だろうが黒い猫だろうが、ネズミを捕る猫がよい猫だ。
- 665 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 10:48:37.33 0]
- ただその後劉備は公孫賛陣営に行って袁紹傘下の曹操と戦うに至る
経過がよくわからない。河北出身の劉備がどうして同窓の公孫賛か冀州 に割拠した袁紹のところに行かず洛陽で曹操なのか。何進が宦官討伐 のために辟召した連中の属官だった形跡もない、それまでの経歴から見て 官界に志がないわけでもないのに。
- 666 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 14:50:27.38 O]
- 時系列ぐちゃぐちゃ過ぎるだろ
- 667 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:21:08.75 0]
- >>637
ようやく正史三国志をすべて借りられた、やっと患者どもを論破出来そうだ 裴松之の註はすべて無視する方針で大体読んだ そしてまず一つ目髀肉の嘆は註にしか載ってない、劉備への非難はこれで一つ消えるw
- 668 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:26:36.68 0]
- 二つ目諸葛亮に国を奪ってもよいとの言は、諸葛亮伝にあったが群臣の前とは
書いてない、劉備が予防の為に言ったわけではない 呉の動向は正史を読んでも分かりにくい、確かに何度も合肥を巡って争うが常に負けてる、実に情けない 孫堅の廟号は武烈帝だ、二文字だな
- 669 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:31:36.21 0]
- ざっと読んでみた感じだと正史は実に淡々としている、しすぎている
故に誰にも感情移入出来ない、もし残されたものが正史だけだったら 曹操派劉備派の醜い争いは無かっただろう あと劉備が偽善者であることの科学的根拠を早くおね
- 670 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:38:05.99 0]
- 劉備は負け続きだったといわれるが、劉備伝にはそんな重苦しさは無い
乱世を軽快に渡り歩いてる感じ、武帝紀、呉主伝 先主伝をざっと読んだが 一番ノリが軽いのは劉備だ、もしついていくとしたら劉備だな
- 671 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:54:59.89 0]
- 付録の月報に面白い話が載っていた、旧制高校の教師をしていた解説者が
生徒に今何を習ってるかを聞いた、生徒は「漢文です」「何の漢文か」 「諸葛孔明の出師の表です」少し知識はあった解説者は 「あれは名文である、あれを読んで泣かざる者は人にあらず」といったところ 生徒は「漢文の授業では今どきこれを読んで泣くものは阿呆である」と返したそうだ 戦前の昔からこれほどまでに蜀憎悪の歴史があったのだなw とすると曹操の評価はつい最近まで低く蒼天が出てやっと再評価されたとの 患者の言はどこから出てくるんだ?
- 672 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 17:55:27.00 0]
- >>670
最後までついていければ蜀の重鎮だが、9割がたその前に脱落する。
- 673 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 20:49:43.29 0]
- どうでもいいけど偽善者って言葉の意味わかって言ってるの?
- 674 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 21:05:25.74 O]
- なんだかんだ言って皇帝まで自称しちゃって
よく臣下がついていったな 日本には後漢皇帝の末裔を自称する輩が住み着いてたようだけど 蜀に皇族は集まら無かったんだろうか
- 675 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 22:14:31.43 0]
- 自己満足のオナニーは三線かVPでやってこい
世界史板でやるな。ガチで迷惑
- 676 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/15(土) 23:43:05.09 0]
- 劉埼が病死したり劉璋が乗っ取られたり劉封が死罪になったり
- 677 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 04:43:36.61 O]
- 劉封は寇氏だろ
- 678 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 08:03:56.95 0]
- >>669
正史が淡々としすぎて「事実を隠蔽している」云々で裴註が付いたんじゃなかったっけ?
- 679 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 10:26:21.56 0]
- 劉禅の蜀など懐かしくない発言は註にしかないじゃん
よってボツだなこれも、巫に頼ったとも書いてない、これもボツ そして相変わらず泥臭さが他と比べてない、住むとしたらやはり蜀
- 680 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 10:33:02.25 0]
- 何の話してるか分からん
三戦に「住むならやっぱ蜀だよな」ってスレ立ててそこでやれ
- 681 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 10:40:18.80 0]
- 正史三国志呉主伝を読んだら神々を祀ったと何度も出てくるが
どんな、何の神々なんだ?この時代道教はまだ普及してないだろ >>680 魏に囚われても涙ひとつ流さずここが楽しいといったというのは 裴松之の註にしか載ってない、つまり捏造の可能性が高いってことだよ
- 682 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 11:15:55.48 0]
- 正史を読んで来たって姿勢はいいが、いろいろと理解していないな
- 683 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 11:43:35.93 0]
- >>681
正史自体も陳寿による捏造が入っている疑惑があるで
- 684 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 13:11:26.36 0]
- 自分は相互に矛盾があるか、発掘などで何かの証拠で否定されない限りは、
基本的に記録が残っていることは信じる派だな。 情報量は多い方が良いって考え。 注記は一切信じないって言う考え方も個人の自由だから否定はしないけど、 話がかみ合わないと思われるのでそう言う人と議論する気はない。
- 685 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 13:13:21.06 0]
- 神様=道教って言う発想なの?
- 686 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 13:24:20.28 0]
- 伍子胥とか項羽とか道教以前に祭られてるしな
- 687 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 20:14:49.93 0]
- 伍子胥は明らかに「祟らないで!」という恐怖から祭られたんだろw
- 688 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/16(日) 20:47:37.44 0]
- 三帝じゃないの?
- 689 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/17(月) 12:18:37.80 0]
- 陳寿の記述が捏造としたってそれと比較できる資料が無い
ほとんど100年後とかの資料ばかり、裴松之の註の信憑性は低い 曹操が関羽の侵攻にびびって遷都しようとしたことは本当 張飛が死んだのは無茶な命令をしたせいではない
- 690 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/18(火) 06:52:43.55 O]
- 詩経楚辞や当時の発掘品等々を無視して神って何だとか言い出す奴だぞ
というか自演ならともかく、いい加減相手するなよ
- 691 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/19(水) 15:58:03.99 0]
- 実際中国って何度もいわれるが神話が無いじゃん
伏羲、女カも実は統治者、人間だし 詩経楚辞を読んだって神観わかんないよ
- 692 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/19(水) 16:25:50.80 0]
- 漱石の起源になった石に枕し流れに漱ぐって
蜀の彭ヨウ伝が元だったのか
- 693 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/19(水) 18:00:27.75 0]
- 石で漱いで、流れを枕す
じゃなかったっけ 間違って言ったのをこじつけて正当化したやつだろ
- 694 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/19(水) 18:43:41.39 O]
- >>691-693
一人で何レスしてんだよ
- 695 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2013/06/20(木) 18:04:33.60 0]
- 曹操の詩が初出みたいよ。秋胡行。
我居崑崙山,所謂者真人。 我居崑崙山,所謂者真人。 道深有可得。 名山歷觀,遨游八極,枕石漱流飲泉。 沈吟不決,遂上升天。 歌以言志,我居崑崙山。
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