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正史『三国志』 二十七巻



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
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正史『三国志』 二十六巻
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674 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/03(火) 08:51:06.46 O]
そもそもがタイプミスか、読み方間違ってたのか知らないが、
誤字の話題をここまで引っ張る暇人達が同好の士とは残念だよ。
もっと楽しい話しよう。劉勲についてとかさ。

675 名前:世界@名無史さん [2012/07/03(火) 11:25:36.19 0]
司馬師の男系って結局壊滅?

676 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/03(火) 20:30:44.81 0]
>>674
何かと思えば三日も前に終わった話題じゃねーか。何引っ張ってんの

袁術配下で一番頑張ったのは陳蘭。これは譲れない。

677 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/04(水) 11:45:29.33 O]
雷薄・陳蘭コンビと呉蘭・雷銅コンビって、
セット売りなところが何となく似てる。
字も被ってるし。

678 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/05(木) 00:54:42.06 0]
>>675
男子がいなくて司馬攸が養子に来てるから壊滅以前にもとからないのでは?

679 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/05(木) 23:47:01.10 0]
ありゃりゃ司馬昭のつもりだったのに間違えてた。
ちゃんと確認しないと駄目だな。

680 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/06(金) 11:02:28.85 0]
東晋では司馬昭の子孫で王位についていた者はいないし、生き延びてもいないはず。
東晋成立(318)以前に、311年の王衍敗北、洛陽陥落、苟晞敗北で皇族は軒並み死亡。
312年の時点で生きている子孫は、匈奴(漢)に連行された懐帝(司馬熾)と
懐帝処刑後に皇位を継承する司馬鄴(愍帝)しかいないんじゃないかな。

司馬懿の子孫で東晋まで生き残ったのも
皇位についた司馬睿のほかには司馬亮の子孫だけじゃないかなぁ
司馬八達の子孫はちょろちょろいるけど。


681 名前:世界@名無史さん [2012/07/07(土) 12:34:18.17 0]
>>677

呉蘭・雷銅はどの程度の兵を率いてたのだろ?

全滅しても、後の漢中攻防戦が蜀側の勝利になったこと
考えると、大した兵数じゃなかったのかな?

682 名前:世界@名無史さん [2012/07/07(土) 19:22:34.72 0]
雷銅と雷諸は親戚かな?



683 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 20:09:22.32 0]
清河王司馬遐の、たぶん次男の司馬籥ってどうなったんだろう?
他の兄弟は次々と皇太子になり殺害されてるが、
この人だけは最期か書いてない。
弟が皇太子になる前に死んじゃったのかねえ?

684 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:18:31.24 0]
曹叡の異姓養子疑惑について。
曹叡は母甄氏の家が断絶の危機に瀕した時、タブーである異姓の養子縁組を行わせて甄家を存続させている。
おかげで孫盛にけちょんけちょんに叩かれている。
一方で、曹氏の異姓養子になることを拒否した何晏は曹叡に殺された。
また、父曹真が異姓養子だった曹爽は曹叡に寵愛された。

祖父の曹操は曹操で、求賢令で「卑賎でも不孝でも用いる」と叫んだ。
これは自分が卑賤で不孝な宦官の家の出身であることの裏返しだった。

父の曹丕もまた、できる弟曹植への劣等感から執拗に苛めた。

曹氏は代々コンプレックスの塊。

685 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:25:50.38 0]
当時数少なくなってしまった司馬炎の直系という血筋、冀州の状況を考えると
藩国に赴任していたとは考えにくいから、洛陽に留まっていて、陥落と同時に死亡したか
あるいはその前に病死したかだろうね。

ただ清河王位は二人の弟はどちらも就いてないのが微妙だな。
司馬銓は上庸王から豫章王、皇太子だけど、豫章は懷帝のもとの封国だから
豫章王になった時点で後継者候補。
その弟の司馬端は廣川王で、兄が皇太子になると豫章王に。

司馬籥が早くに亡くなっていればどちらかを清河王にして司馬遐を継がせてたと思うので
洛陽陥落までは司馬籥は生きていたのかなぁ。

686 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:30:38.92 0]
何晏は曹叡に殺された?

687 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:33:34.90 0]
>>686
閑職に追いやられた、に訂正します

688 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 00:24:37.93 0]
>>684
一行目と二行目以降がまったく繋がらないのだが
何がいいたいのだろう。

689 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 08:16:38.56 0]
>>687
その理由は浮ついてて実がない、であって異姓養子ではないぞ
妄想を押し通すのは小説の中だけにしてくれ

690 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 09:30:34.31 0]
晋書読むと正始年間に起用されてる奴も多くて
何晏はちゃんと仕事してるなと思わされる。

691 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/09(月) 23:44:40.47 0]
何晏らは怠慢じゃなくて曹爽派として人事に勤しんでいたわけだからね(これも勝利した司馬氏側からの記述だが)
しかも、曹爽に辟召などされて党与を構成していた朝臣からも結構な数が司馬氏に吸収されて晋臣になっているのだから、
思想や利権と言うよりももっと単純な権力闘争の構図だ。

692 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/10(火) 18:28:42.04 0]
不思議なんだけど、司馬柬を跡継ぎにしようって話はでなかったの?
少なくとも兄と違って標準レベルの人物では有ったらしいのに。



693 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 13:33:04.70 0]
三少帝紀にちょこちょこ忠義の人とかが叙爵されたり、任官されたり
って記事がある。たいした地位じゃなく普通は名の残らない人も。
これってやっぱり人気取りとか?

694 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 17:18:58.57 0]
>>692
皇太子・司馬衷(のちの恵帝)の廃嫡はたびたび持ち上がったけど
その際は当然、同母弟の司馬柬が皇太子となったと思う。
司馬炎が二人の実母である楊氏に司馬衷廃嫡を相談したことがあるけど
その時も当然、代わりに司馬柬を皇太子にするつもりだったろう。
ちなみに楊氏は「嫡子は年長者を選ぶべきで、賢さで選ぶべきではない」と反対。
まぁ司馬衷が継いでも、サポート体制が盤石なら、無理ゲーではなかったと思う。

その司馬柬も司馬炎死亡の1年半後には病死してるから、司馬柬が継いでいたところでなぁ。
タイミングが凄すぎるので、毒殺のような気がしないでもないが。

695 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 21:22:41.46 0]
>>694
意外と暗殺、毒殺の類って成功しない気がする

国は違うけど西洋の王族で毒殺が疑われた人の死体が残ってたので検査したら
急性白血病で突然死のように死んだということがわかったりしてるし

696 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 22:06:30.95 0]
劉弁が死んだのもタイミング悪かっただけなのに噂におひれついただけなんだろうな

697 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:00:12.07 0]
>>695
日本では意外に成功しているけどね、毒殺。
足利義満、恒良親王、足利直義といったぐあいにね。

698 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:08:27.47 0]
現代だったら狙撃すれば一発で殺せそうな気がするんだが違うのかね
要人だったらそもそも狙撃ポイントに着かせてもらえないのか

699 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:28:27.42 0]
劉弁については、李儒絡みで辻褄が合う記述が残っているので信憑性がある。
と言うしかない。

700 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 00:40:37.12 0]
>>697
3例しかないじゃん。伊達政宗も毒で死にかけたが助かってるし。
普通に刀や槍で殺すほうが確実だし、暗殺だと圧倒的にそっちの例が多い。


701 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 00:51:45.55 0]
確実ならいいってものじゃなく、疑わしくても病死に見えてくれないと困る場合もあるから

702 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 01:01:00.36 0]
足利義満は、そういう主張をしている人もいる、というレベルでしかないね。
恒良親王も実際のところは不明だし。太平記では一緒に毒殺されたとなって
いる成良親王が、実際には生きていたということだし。



703 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 01:02:53.21 0]
ローマで言うと2代皇帝ティベリウスの息子ドルススなんかは確実に毒殺だという証拠が後から出てきてる

704 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 19:35:09.14 0]
司馬炎は、粗製濫造って感じだ。
才能じゃなくて生命力が、
自然死以外が多いにしても、
誰一人半世紀の寿命がない。
約半世紀でも恵帝だかでしょ。
あとは30歳程度までか?
孫や曾孫に至っては悲惨の一言だし。

705 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 20:43:56.67 0]
>意外と暗殺、毒殺の類って成功しない気がする

BSフジで再放送中の『三国志』で前回、主命を無視して私怨から関羽を殺した呂蒙を(明示はしていないが)孫権が密殺したという解釈は面白かった


706 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 20:57:59.52 0]
呂蒙は孫権子飼いの兵だから主命を無視することもなければ
孫権も暗殺することもないでしょ
孫権が君主やってられるのって子飼いの軍人たちの影響力のお陰でもあるんだからさ

と、物語に野暮なこといってみる

707 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 21:15:52.37 0]
呂蒙・周泰などは、功績高い諸将や名士・豪族達の間に楔を打って統制できる、孫権の子飼中の子飼だからね

708 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 22:11:43.50 0]
甘寧も地盤がなくて子飼いのはずなのに何故か統制できないという謎

709 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 22:22:32.77 0]
甘寧は本人のケレンミ溢れる性格のせいで統制される側だから

710 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 23:16:41.48 0]
甘寧は無名から孫権に取り立てられたのではなくて、
益州時代からの名声で長年豪族の間を渡ってきて
最終的に呉に腰を落ち着けた人間だからね
子飼とは大分違う。

711 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 10:16:19.94 0]
中国の正史ってものの性質上仕方がないことだってわかっては居るけど、
三国志に司馬懿から司馬炎までの伝がないのは、
歴史書としては、やっぱり欠点だな。
あと、主たる活動時期が呉滅亡までの人とかも。
むろん、陳寿に書けと言うのが無理なのはわかってる。
本来は新王朝の開祖は、前朝の史にも伝があってしかるべき。
と無い物ねだり。
司馬懿の場合は特にそう思う。

712 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 11:07:38.60 0]
陳寿
「私が愛した蜀と、逆賊魏の戦いを書きたいんであって、司馬懿一族が簒奪するのしないのなんてぶっちゃけどうでもいい。
魏蜀が消えてしまって晋と呉の二国志なんてマジ書く気起こらん」



713 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 13:35:27.01 0]
>>711
晋書読めばいいだけだろ
晋書の日本語訳がないことや、現存してる晋書が後代に編纂されたものであることを嘆くのならともかく。

ただひとつ言うと、晋書読んでも司馬懿の人柄ってあんまり見えて来ないんだよな
曹操や劉備や孫権や、あるいは司馬炎とはその辺が違う。

714 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 14:13:18.85 0]
理想を言えば、前朝じゃなく、前々朝の史書を作成する方が冷静に書けそうだ。
まあ、短命王朝の場合はそれでもしがらみが有るけど。
たとえば梁書なんかは、南斉建国前に生まれた人の伝の集合体みたいなもんだし。

715 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 19:22:06.27 0]
>>713
それは漢書での劉邦像に通じるものがあるね。
史記と違って、漢書はいわば国家機関としての皇帝という視点を中心に本紀を書いている。

716 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 19:24:39.37 0]
>>714
後漢書・三国志・晋書の時期はそんな慣例は無いよ。この三つが編まれた時代もバラバラ。
特に前二つが「正史」として認定されたのは、数々の類書の中で最も出来が良いと評価されてほぼ完全な形で後代まで残ったから。


717 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 19:33:51.37 0]
皇帝を追号されている今上の父や伯父を前代の王朝の史書で伝を立てろとか、
今上の事業を論評した「史書」を今上に上梓しろとか
現在統一王朝に仕えている臣下の伝を滅んだ王朝の史書に立てろとか。

おまえの頭の中の陳寿はどんだけ狂人なの?



718 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 19:46:49.96 0]
>>717
漢書に王莽伝があるじゃん。
王莽だって一応皇帝だろ?

719 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 20:40:12.20 0]
王莽は漢に皇帝だと認められてないからことさら「伝」を立てられたんだよ。
陳寿は司馬師・昭に対して同じ扱いをしろと?

720 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/13(金) 23:37:13.46 0]
司馬昭だって晋王どまりじゃん?

721 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 00:04:05.84 0]
>>720

722 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 00:06:03.06 0]
司馬昭は文帝を追号されてるよ
晋では、司馬懿が政権とった時から(司馬芳を退位させた時?)から晋が始まったと考えるべきかどうかって議論があった。



723 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 00:30:46.23 0]
>>722
追号なら、曹操の父親の曹嵩には太皇帝、祖父の曹騰は高皇帝を追号されているが、本紀はないぞ。列伝もないけど。


724 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 00:31:40.08 0]
後漢書に曹騰伝があったような

725 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 00:51:55.23 0]
>>720
魏王の曹操は?

726 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 01:02:06.68 0]
>>723
建国に功績が無い父祖になんで本紀を立てる必要があるの?

727 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 01:05:58.11 0]
>>726
劉邦の父親レベルで功績ないならともかく、曹騰は創業に僅かながら貢献しているからその言い方はどうなんだ?

728 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 01:12:59.58 0]
えっ

729 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 01:26:39.98 0]
>>726
そもそも、なんで功績もないのに追号する必要があるの?
あと司馬懿・師・昭も創業はやってないよね。
曹操みたいに軍閥スタートじゃないし。

730 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 05:22:44.60 0]
>>729
司馬昭は晋王になってる上に、魏のどの王よりも上位の待遇とされた。
司馬懿は九錫の下賜をされたが本人が固辞している。
創業者と言ってよいレベルだろう。

731 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 09:08:19.25 0]
>>729
廟を立てるため。

晋の実質の創業は司馬懿からというのが晋王朝の見解

732 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/14(土) 09:22:59.82 0]
三司馬の「功績」は二つ。魏王朝を実質経営して、天子たりえる「徳」を積み上げたこと。
蜀呉を撃退して統一への道を開いたこと。
王になったばかりでなんの功績も無い司馬炎が禅譲を受ける正統性は、祖父・伯父・父が用意したもの。
特に蜀を撃退・征服した功績は司馬氏のものである、ということは、のちの漢晋交替論でさらに強調される。



733 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 16:34:03.55 O]
司馬懿って本当にキャラが掴めない。
苛烈な性格で、それを隠してて、たまにそれがこぼれたり、
自分の生き方をドヤ顔で子供達に語るあたり、
強いて言えば徳川家康に似た感じ?

734 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 19:29:14.76 0]
別に隠してはいないだろう。
曹操から隠れたり、曹爽相手に仮病を使ったのは単に処世。
最初の約束を反故にして曹爽に罪を被せて殺したのは単にそうしなければ生き残れないから。

735 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 21:01:24.36 0]
>>733
苛烈な性格っつってもそれが表面に現れたのって公孫淵の乱の時とか正始の変くらいだからなー
普段温厚な人なんだけど相手の度が過ぎた振る舞いにはブチ切れるってだけだったんじゃないかと思ってる
兄貴の司馬朗や弟の司馬孚は温厚で人格者なのに司馬懿だけ温厚なのはフリで実際は苛烈ってなんか違和感が


あと曹操に対して仮病使って出仕拒む理由がいまいちわからん
兄貴や弟は普通に仕えてるのになんで司馬懿だけいやいや出仕したんだろ
曹爽相手の「年取ったんで引退する」宣言は半分本気だったと思うんだけどなぁ
曹爽達が暴走する兆しがあったからボケたふりしてカマかけたら案の定…な感じだったんで粛清決意したんじゃないかと


736 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 21:32:12.42 0]
>曹操に対して仮病使って出仕拒む

これは後付けだろうな

超厳格な家父長制の家に生まれた懿が
その家の父がかつて推挙し、なおかつ、長男で兄である朗が仕官してる勢力の長を拒むとか論理的に破綻してる

宦官の孫で簒奪政権の始祖にその才能を見出されたが拒否した、という定型文に近い神格化

737 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 21:48:16.93 0]
別に破綻してない。
司馬家が曹家に恩があるなら応じる義理も生まれるが、事実は逆。
兄が仕えているからといって、家業を放って公務員にならなきゃならない義務も無い。
嫌なら仕えないって選択は世情不安定なら有りふれたもの。

「時流に屈せず」ってのも極めてポピュラーな名士の逸話であって、
創作だとしても神格化なんてほどじゃない。

738 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 21:58:46.76 0]
>>737
魏略の逸話見てると司馬懿が曹操に使えるのが嫌だったっていう話も嘘くさい気はするけどなー

神格化っつーか「元々司馬懿は曹家に対して忠誠心なんて持ってない逆臣ですよ」って言いたいんじゃないか>曹操に出仕拒否
光武帝の司馬懿評とか見てると、正直晋書の記述は司馬懿の人格面はわりとボロクソに貶してる印象が

739 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/23(月) 22:45:01.58 0]
>>736>>738
どっちだよ
議論は先ず両極端同士でやってくれw


740 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 03:03:47.81 0]
>>736
まだ袁紹生きてたから下手に曹操に仕えると危険とか思ってたかもよ
官渡で一敗地に塗れたとは言えまだまだ袁家は強勢だったしな


741 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 07:28:47.94 0]
どっちにしろ「後付け」という見方なわけで
劉巴のケースような信憑性・一貫性がないんだよね

742 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 08:24:55.75 O]
>>741
確かに劉巴は一貫してるw
コミュ障やDQNばっかの劉備、孫権陣営に比べて比較的常識人が多い曹操陣営で
司馬懿はひそかに恐れられた感じかな?



743 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 16:57:09.99 0]
>>734
曹爽を殺したのは俺は言い訳出来ないと思う
あと固辞したとはいえ九錫下賜が行われたというのは、司馬懿の野心を物語っていると思う。
もし野心がないなら、固辞する前に介入して、未然に防いだと思うから。

もっとも、幼帝でなかったら、曹爽の専権がなかったら、
野心など見せずに淡々と仕えたとは思うが。

744 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 18:21:04.15 0]
>>743
九錫下賜されたのって司馬懿じゃなくて司馬昭じゃね?
司馬懿が固辞したのは丞相の位だったような

745 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 19:29:10.20 0]
丞相も九爵も公位も漢の忠臣で微塵も帝位への野望を見せなかった曹操が就いてるから問題ないな

746 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 22:32:56.49 0]
>>741
当時河内の名族の息子でしかなかった一青年が、三度も四度も変転した皇帝の推戴者に召されて仕えるのを拒否することに、
歴史や人生に対する一貫性なんかあると思う時点でおかしい。

司馬懿が一旦は曹操に仕えるのを拒否した。この事実が元になって、「漢への忠誠があったから」「曹操を認めてなかったから」
などと後付された、というならわかるが。

747 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 22:48:23.76 0]
>>744
三少帝紀の注の漢魏春秋によると九錫下賜されて固辞してる。
これが元ネタかも知れんが、晋書の宣帝紀だと249年2月に丞相任命、12月に加九錫。どちらも固辞。
漢魏春秋の作者の孔衍はガチの学者なので、信憑性は高いと思う。

748 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 23:13:36.54 0]
魏略の逸文に曹洪に交際を求められたけどそれを恥じて仮病を使って断った。曹洪はそれを恨んで曹操に告げ口した。
曹操は司馬懿の評判を知っていたので出仕を求めると、司馬懿は喜んで杖を捨てて(仮病のふりを辞めて)出仕した。

っていうのが有るらしいんだけど、これホントだったら曹操への出仕全然嫌がってないよね
似たような話が阮うにもあるから信憑性は微妙かもしれんけど

そういや恩人の息子である司馬懿を曹操が冷遇したって本当なのかなー
基本的に曹操は自分の恩人の子供達はかなり優遇して手厚く保護してる印象があるんだけど

749 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 23:30:54.47 0]
冷遇したってどこネタだったっけ?
少なくとも晋書では、
曹丕の遊び相手>黄門侍郎>議郎>丞相東曹屬>主簿>太子中庶子(四友)
皇帝側近で箔を付けてから丞相側近。曹丕が丞相になると長史。
曹操にとっての要人というよりは、次世代の宿臣を期待された若手エリートコースだね。

750 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/24(火) 23:41:07.32 0]
>>749
晋書によると曹操が狼顧の相とか不吉な夢とかで司馬懿が危険だと思って曹丕に忠告したけど、曹丕は司馬懿と仲が良くてむしろ司馬懿をかばっていた
司馬懿も疑いが解けるように身を謹んだ結果ようやく曹操は疑いを解いたとか
書いてて思ったけど、冷遇というか嫌われていたって感じかな
どうもこの内容が丁沖や鮑信の恩に報いるために息子たちを召し寄せてわりとかわいがってた曹操の姿とギャップを感じる

751 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/25(水) 00:01:36.50 0]
>>750
曹操は嫌った奴を殺したりもしてるから別にギャップは感じないな

752 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/25(水) 02:20:54.68 0]
司馬防は当時の人事担当官だったってだけで、
孝廉出身の郎官を県尉にするのは普通のことであって抜擢とも言えないのだから
恩人と言うには弱い。

曹操は陳寿に「嫌いな相手を許せない人柄で」と明記されるくらい好悪の情が激しかった。
「度量の幅は広いが嫌った相手はとことん駄目」と言うべきか。
まあ司馬懿は許しているんだけど。

そもそも>>750が司馬懿の青年時代で一番後付け臭い逸話じゃないかw
晩年の専横と晋成立の後でなければ価値が無い話だぞ。



753 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/25(水) 10:10:55.14 0]
では朱霊に対しての感情はなんだったのか、という疑問が常に消えない

754 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/26(木) 09:37:56.51 0]
気に食わないことがあったんだろ

755 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/26(木) 19:52:59.05 0]
元は袁紹配下だったから警戒してたとか?

756 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/26(木) 21:41:35.82 0]
張コウに比べればよっぽどマシな移籍経緯だが。

757 名前:世界@名無史さん [2012/07/26(木) 23:12:38.68 0]
魏晋の場合、一字王ってのは特に意味はないの?

758 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/26(木) 23:57:58.77 0]
なにそれ

759 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/26(木) 23:59:45.28 0]
>>757
日本語でおk

760 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/27(金) 05:01:33.21 0]
エスパーすると、
南朝に朝貢した「讃・珍・済・興・武」の倭王じゃまいか

761 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/27(金) 11:37:44.76 0]
>>760
それはたぶん違うだろww
楚王みたいのと豫章王みたいのの差って意味じゃないの?

762 名前:761 mailto:sage [2012/07/27(金) 11:40:26.66 0]
あーごめん補足しとくわ
楚王とか趙王とか斉王とかみたいな国名が一文字なところと
豫章王とか長沙王とか東海王みたいな国名が二文字なところで何か差があるのかってことでしょ?

時代が下ると実際この両者で待遇に差がある時代もあったはず



763 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/27(金) 12:24:55.37 0]
ただの地名でショ?

764 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/27(金) 17:41:00.86 0]
晋の2代目恵帝が即位すると、扶風郡を秦国と改称した上で、
同母弟の南陽王柬を秦王に移封するということはあったけど
これも多分関係ないっぽい。
その後、成都王潁が皇太弟になっても改称しないし、吳王晏の扱いも悪い。

765 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/27(金) 19:54:17.35 0]
自己レスだが、皇太弟になってから改称はありえないか。
ただ、皇太弟になる前に改称はなかった。
皇太弟になりかけた淮南王允も、改称されてないし、
一時政権を掌握した汝南王亮やら長沙王乂その他も、改称はなかった。

766 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/28(土) 13:48:49.69 0]
呉王ってのは考えてみると微妙命名のような。
魏王・漢王・漢中王とかは、やっぱり避けてたのかな?
禅譲直前が、一文字ってのはまあ様式美とかお約束にしても。
って言うか先例主義。

767 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/28(土) 21:24:04.48 0]
呉王が微妙ってイミフ。
魏王・漢王・漢中王が何を避けてたのかさっぱり判らない。
禅譲直前に一文字ってなにそれ?

768 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/28(土) 23:29:12.70 0]
>>767
アホか

本当に判ってないのか判ってて否定してるのか知らんが
判ってないんだとしたら中国史に首突っ込むのやめた方がいいでしょ
ちなみに俺は766じゃないぞ

魏王と漢王は「二王乃後」的な意味合いもあるだろうから避けられたのだろうか

769 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/29(日) 00:10:31.50 0]
ああ、晋代諸王の話の続きしてたのか。そりゃすまんかった。

770 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/29(日) 00:22:29.86 0]
一字二字であることに格差があるというより、元々は
一字の国は普通周代からの古国名で、
二字の国は後代に出来た単なる「地名」だからってことだろう。
侯王としてなら淮南王や長沙王でも構わないが、
独立や禅譲を企図するなら古国の由緒が必要となる。

この由緒の差が、徐々に封爵の格差として制度化されると。

771 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/29(日) 18:14:36.53 0]
独立や禅譲を企図する場合は、由緒以上に藩国の大きさが重要なんじゃない?
それだけ権力を握るようになっていたなら、郡国以上の封土を得るだろうから、
自然と古国由来の王号となる。

同じ王朝の中で帝位を継ぐ場合は、郡国王であっても問題ないと。

司馬懿の息子だと、趙王とか梁王とかいるけど、これはただの郡国王であって、
兄の汝南王、瑯邪王、扶風王、平原王より格上ということではないと。

772 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/29(日) 23:54:59.98 0]
曹操や五胡十六国代の軍閥上がりの場合は、乱世で自分の軍事力を維持するために大きな封地を必要としただろうが、
司馬氏のように宮廷秩序と自分の権勢を一体化させたうえでの禅譲なら外にそんな巨大な封地を得ても使い道が無い。

>同じ王朝の中で帝位を継ぐ場合は、郡国王であっても問題ないと。
そりゃそうだよ。王どころか亭侯から皇帝になったのが漢には普通にいる。
帝位を世襲するのに直前の爵位に由緒など必要としない。



773 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/30(月) 01:11:04.07 0]
でも司馬昭は巨大な封地を得たわけで、
巨大な封地を得た王であるというのは皇帝即位の前段階としては意味あることなんじゃないの?

>帝位を世襲するのに直前の爵位に由緒など必要としない。
もともと「一字王」に意味はあるのかって話だったからさ。
趙王の司馬倫は世襲というか、簒奪して即位したわけだけど
そこに一字王というのが影響あったかというと違う。
でも亭侯だったら無理だろう。

774 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/30(月) 09:18:28.65 0]
漢の場合は世代順とか親疎関係とかの関係?儒教がらみで。
別にその時期に王がいないわけじゃないよね。
なるべく幼少を選びたかったんだろうってのはともかく。

晋はかなり盛大に王号ばらまいたから、
即位できそうな人は大概王だよね。
傍系でしかも兄を差し置いてってのは難易度高くなるし。
その上継承権が上のライバルが多すぎる。






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