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正史『三国志』 二十七巻



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
前スレ
正史『三国志』 二十六巻
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501 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 18:53:20.79 0]
両家とも魏の外戚家として影響力を維持していただろうからね

502 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 19:56:31.19 0]
関係ないけど、曹操の親兄弟ってなんであんなに影が薄いの?

503 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 19:57:26.89 0]
軍閥に入らなかったからだろ

504 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:22:36.16 0]
>>501
甄氏は賜死して以降政権から排除されただろうし
郭氏はそもそもそういう影響力ないから曹丕に好まれたんだろ?
外戚として影響力なんて保持できるか?

505 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:30:27.76 0]
>>500
甄悳(旧:郭悳)とか甄黄や甄毅とかね、昇進し重宝されました。

506 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:32:57.76 0]
>>502
たぶん殺されたから
徐州に避難してるのに曹操徐州と敵対してるからね仕方ないね

507 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:37:45.69 0]
>>504
賜死ではない。両者とも殺害は非公式な説。
両者の親族は引き続き厚遇された。

>>506
曹嵩がいたのは陶謙の勢力外だぞ

508 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:44:34.85 0]
>>507
あれ?
曹叡の母の甄氏の話だよね?
違ってたらすまん

509 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:48:53.53 0]
>>508
ああ、ごめん。こちらの勘違いだった。
甄氏は自殺されている。ただ曹叡に名誉回復されて親族は高位に就いている。



510 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:54:01.42 0]
>>509
爵位はともかく官位は高位には就いてなかったはずじゃ
曹丕が生前に定めた法律で皇太后と関係者の政治参加を禁止してるよね?

511 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:57:38.17 0]
射声校尉散騎常時とか越騎校尉とか

512 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 23:07:59.87 0]
>>504
曹丕の嫁じゃなくて曹叡の嫁の方の郭氏。

513 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 23:28:17.27 0]
まあ漢で栄華を誇った外戚のような勢威があったら抗争してどちらかが倒れていただろうけどね。
厚遇しても問題ない程度の外戚だから司馬氏も厚遇できたと言える。



514 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:12:23.42 0]
>>513
そもそもそんな外戚がいたら司馬氏が権勢握れない

515 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:17:30.84 0]
それ以前に司馬氏は内戚の曹氏と抗争してこれを倒して権勢を握ったんだからね

516 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:50:49.79 0]
だからね、って言われても

517 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 02:21:57.89 0]
えーとね。
後期前漢や中期後漢で権勢を握ろうとしたら先に陣取ってる外戚に勝たねばならなかったように、
曹叡後の魏で権勢を握ろうとした司馬氏は先に陣取っていた内戚の曹氏に勝たねばならなかった。

もし魏が、漢並に外戚を尊重する体制だったら、司馬氏は内戚ではなく外戚に対して勝利を収めねばならなかったし、
晋が成立するならそのような歴史を辿ることになる。

史実はそうではなかったため、司馬氏は魏の外戚をそれなりに厚遇する余裕を持つことが出来た。
ってな話。

518 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 03:02:46.36 0]
でも魏の内戚も全体的に見ればそんなに実力があったわけではないよね
曹爽自体は確かに力は持っていたわけだけど

519 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 03:16:42.71 0]
あれは内戚曹爽が力を持ってたんじゃなくて
功臣曹真の子、曹爽が政争を繰り広げて力を握ったからね



520 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 04:25:43.97 0]
>>519
それなら権勢を誇った外戚の殆どが、
「外戚が力を持っていたんじゃなくて皇太后(稀に皇后)の親族が政争を繰り広げて以下略」
になる。
皇太后の死や皇后の入れ替わりで力の源泉が殺がれると即失脚のケースが多い分、
曹爽の方が遥かに自分の力で立っていたと言える。

521 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 04:30:07.91 0]
それから、外戚にしろ内戚にしろ、畸形的に力を持つのは、
皇帝集権体制下で幼年の皇帝が立つなどして、帝権の補佐が必要になったとき。
魏の歴史からして対象になるのは曹爽一人になるのは必然。

522 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 12:45:58.69 0]
>>520
ほら、自分でも分かってるじゃない
曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって

523 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 14:07:41.59 0]
魏が外戚を尊重していないとは言っても、文帝と明帝以降じゃ少し違うし
曹芳は母無し子だからなぁ
皇后の父の張緝が政変に絡んでくることからも分かるように
曹芳に母親がいたら、その一族と司馬氏は対決していたと思うね

524 名前:世界@名無史さん [2012/06/08(金) 19:03:25.52 0]
何故、楊義は自分が諸葛亮の後継者になれると思ったのだろうか?

諸葛亮死後の事は楊義はハブられて既に決められていた。何故本人は
気づかなかったのだろうか?

525 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 21:31:40.31 0]
ハブられてたから気づかなかったんでないの?

526 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 21:38:50.14 0]
>>522
……?
それがどう>>514に帰結するの?

司馬氏が魏で権力を握るとしたら
魏的内戚相手でも漢的外戚相手でもやることは変わらない。
力の源泉が同じだから。って話を俺はした。
だから>>514の主張は意味がないってことだよ。
博打とはいえ史実で成功してるんだから。

527 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 22:16:00.01 0]
あー、ごめん。なんか読み違えてたな。逆を言ってるのか。

>曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって
違う。
曹真は良将で功臣だが、曹操に重用され曹丕を宿衛を統括する中軍大将軍を経て大司馬まで昇ったのは、そもそも血縁だから。
曹爽が武衛将軍を経て後事を託されたのも、曹真の息子、つまり血縁だから。
これがなければ曹爽は魏のトップの位置で権力争いするスタートラインにも立てなかった。

念のため言っておくが、これは外戚や内戚の不名誉を示す物ではない。
是以先帝建列將之官,近戚主内,異姓距外,故姦軌不得萌動而破滅,誠萬世之長冊也。
帝権維持のために理論化された立派な政策。

528 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 22:16:49.38 0]
で、曹爽が本当に漢の一般的な外戚より「強い」とするなら、やはり>>514には繋がらなくなるのだが。

529 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 00:20:23.57 0]
>>527
曹真は魏略では秦氏で後に曹姓を貰って曹真になったと書いてあるね
同族を名乗ることは認められてても実際どこまで皇族に連なる人間として扱われてたんだろ



530 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:28:19.52 0]
でも曹操とその子孫を除けば曹氏と言っても男系でつながってないからね

531 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:33:56.89 0]
そういやそうだね

魏における諸曹氏の扱いと夏侯氏の扱いどうなってんだろ

532 名前:530 mailto:sage [2012/06/09(土) 01:46:44.64 0]
あーそういえば一応曹操って弟いたっけ
まあ事績乏しいから無視でいいよね

ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?
宦官故に同姓の親族から相手にされなかったから?
それとも夏侯氏と特別な関係にあったから?

533 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:49:50.56 0]
まず曹魏には晋の司馬孚や後漢劉伯升の子二人のような存在が無いので、
皇帝・封王になれるのは曹操の直系子孫だけ。これは血筋の繋がりが必須。

それ以外、この時代は養子の効力が非常に大きいので、
皆やや遠縁ではあるが、普通に宗室の扱いになる。
司馬望のような「皇帝筋ではない諸王クラスの実力者」がいない分、
朝廷の高官としてちょうどいい面子だったんじゃないかね。
呉の孫静等の子孫も同じくらいの位置だね。

534 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 14:24:28.89 0]
>>532
>ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?

異姓の養子というのはデマなんじゃないかなぁ
陳琳の檄文でも「異姓養子だ!」と弾劾されてはいない。
曹嵩がもともと夏侯氏ならば、曹操の娘が夏侯氏に嫁ぐのは同姓婚となり、大スキャンダル。
陳矯はもともと劉氏の出身なのに劉氏の娘を娶り、弾劾された。
晋の劉頌はその陳矯の娘を娶り、やはり弾劾された。

あと、曹爽(曹真)が秦氏出身というのもちょっとウソくさい。
親父が曹操のために死んだのなら、
ちゃんと秦氏を継がせるんじゃなかろうか。
それに、養子があり得るにしても、誰の養子になったのか。
改姓だけというのはかなり珍しいと思う。

535 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 14:44:50.79 0]
>>534
陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから異姓養子であることも含まれるんだろうけど

536 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 15:31:28.03 0]
>>535
>陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食でも同姓ならタブーではないだろう

>乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから
同族の貧しい家の子を買ったのかも知れない

537 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 19:24:06.76 0]
それこそ姓すらわからないような境遇だったとか?

538 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 19:30:32.04 0]
>>534
秦真は曹邵の養子になってから邵が死んだので曹操に引き取られて曹邵の跡を継いだ。
これはおかしくないよ。

異姓養子のタブーって時代ごとに違うと思うのだが後漢末はこれが緩かったってだけでないの。


539 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 20:35:43.18 0]
曹邵の養子になったという記述はないよ

魏略曰:真本姓秦,養曹氏。或云其父伯南 夙與太祖善。
興平末,袁術部黨與太祖攻劫,太祖出,為寇所追,走入秦氏, 伯南開門受之。
寇問太祖所在,答云:「我是也。」遂害之。由此太祖思其功,故變其姓。

曹氏に養われた、というのは、本伝の記述と合わせて考えれば、曹操に養われたということだろう。
父親の伯南(曹邵?秦邵?)が実父じゃないという推察は難しいんじゃないか?



540 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 20:38:01.09 0]
>>539
そのようだ。すまん

541 名前:世界@名無史さん [2012/06/10(日) 08:18:16.23 O]
曹操の子や族子達は皆、字に「子」が付いてるけど、これって一族で示し合わせて付けたのかな?
それとも一族の偉い人とかが決めたの?


542 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/10(日) 08:40:28.09 0]
排行のお約束

543 名前:世界@名無史さん [2012/06/10(日) 12:19:54.46 O]
>>542
なるほど、勉強になりました。

544 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/10(日) 14:07:20.57 0]
興平末に曹操が袁術に追われて秦伯南の家に逃げ込むって、
ちょっと筋が通らない気がするな

545 名前:世界@名無史さん [2012/06/11(月) 18:52:25.93 O]
ガイシュツなのだろうけど、高島俊男氏が指摘してるように、曹叡のお父ちゃんて誰なの?
まさか袁煕ってことはないと思うけど、
考えるヒントとして皆さまの意見を拝聴したい

546 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/11(月) 18:54:26.19 O]
sage忘れました
すみません

547 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/11(月) 20:11:36.22 0]
袁煕じゃないなら曹丕でいいんじゃないの?
袁煕は幽州に赴任、甄氏はギョウに残ってる。
曹叡が袁煕の子なら異姓養子が皇帝を継いだことになり
司馬氏あたりで喧伝してもよいはずだけど、それもない

548 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/11(月) 20:48:50.14 0]
曹叡の生年は206年説が普通だが、享年の記述をそのまま計算すると204年になる。
これはギョウ陥落の年。であるからには曹丕が甄氏に仕込めたはずがない。
というのが袁煕父親説の薄弱な根拠。

しかし、ギョウ陥落は八月。曹叡が12月末日に生まれたとしても最大五ヶ月しかない。
妊娠が診断されていなかったはずがないし、
大事な軍閥の後取り息子が嫁を娶って五ヶ月未満で生まれた子供を
何の疑問も無く子にするなんて、曹操とその周辺が見逃すはずが無い。
侯、王に封じて帝位を継がせるなんてことが(曹丕の好悪の感情以外)波風無く進んだ史実にも反している。
さらに後、魏の醜聞として野史の噂話レベルにもならなかった理由が説明できない。

20世紀になって初めて出てきた、残念ながら珍説なんだよね。
唱えたのが三国志集解の編者らしいのでめんどくさいんだけど。

549 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 01:18:09.83 0]
享年が間違ってる可能性なんていくらでもある以上、
父子関係は明確な言及が無い限り信じるべきだね



550 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 01:31:11.08 0]
享年三十"六"の一文字だけを無条件に信じて、
他の色々の辻褄を「史実を隠す陳寿の曲筆」と全て捨ててしまわないと
成立しないのがこの説のネックなんだよな


551 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 01:57:27.63 0]
曹叡が甄氏の連れ子であることは、公然の秘密ですらない誰でも知ってる事実だから、同時代の人間は誰も改めて責めなかっただけ。
そもそも、曹丕には曹叡よりも年長で若死にした長男、曹協がいた。
なぜ年長かと言うと、曹協の息子の曹尋が235年に早くも後を継いでいるから。
つまり、曹協は少なくとも子作りできる年齢までは生きていたことになる。
仮に曹尋が16歳で親の後を継いだとすると、219年生まれ。
また、親の曹協が16歳で仕込んだとすれば曹協は203年生まれになり、曹叡より前に生まれていた長男である可能性が非常に高くなる。
長男である曹協が生前に爵位をもらえなかったのも、彼が文帝即位前に死んでいるからだと考えると辻褄が合う。

552 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:07:05.39 0]
誰もが知っていた不実の子、しかも皇后ですらなかった賜死の子が
皇帝になろうとしているのに、曹丕の死の間際に宮廷闘争が起きなかったなんてのはナイわ。可能性ゼロ。
王どころか侯にもなれんよ。

553 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:07:13.13 0]
>>548
>曹操とその周辺が見逃すはずが無い。

曹叡が生まれた時点で曹叡が後継ぎになると決まっていたわけではないだろう。
曹丕は三男だったし、曹植もいたし、曹沖が後継ぎ候補だった。
たくさんいる後継ぎ候補の中の一人の子供を、当時の曹操がそんなに気にする必要があるのか。

554 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:11:59.06 0]
んで、曹叡が長男であったという記述はない。
しかも曹丕が即位した前後から既に甄氏との仲は冷却していた。
だからこそ曹叡は不遇の時代を長く送った。
(にも関わらず最終的には曹丕の心変わりで即位できた)

曹叡が長男でなかったことは、彼が曹丕の実の息子であったことを補強する材料だよ。
この境遇で実子でさえなかったら、甄氏が死を賜ったときに良くて追放されて終わり。

555 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:12:29.81 0]
>>553
 >>552>>554

556 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:16:20.48 0]
武徳侯になるのが15歳でこれが延康元年の出来事だからやっぱり206年生まれだよなぁ

曹叡の景初元年に改元のみならず改暦まで行われてるが
もしかするとこの辺りで少し年齢計算がずれてて36歳というのも嘘ではなかったが
西暦で考えると206年というのも事実、という考え方は面白いな

557 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:17:53.44 0]
>>556
年齢は干支で数えるから改元ではずれない。
まあ四と六の誤写だね。

558 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:18:33.86 0]
>>554
元々甄氏が正妻だった時期もないしね
一時曹丕の気紛れで寵愛を受けてた側室でしょ

559 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:25:02.58 0]
>>558
そうだね。
曹叡の即位後に皇后を追贈されているから歴史上では甄后と呼ばれて、
陳寿も多少筆を潤して、あたかも曹叡が当初からの正当な曹丕の跡取りだったように書いている。
実際はそうではなく、複数いる兄弟の一人に過ぎなかったのだろう(しかも後にかなり不利な地位に落とされる)。

この潤筆の理由を取り違えて、「曹叡は袁煕の子」派は惑わされているんだな。



560 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:32:06.51 0]
曹叡は字からして「元仲」。
伯・仲・叔・季の兄弟命名規則から言って、次男かつ養子。
他に正当な後継者である兄がいた。
それが曹協。
だから曹叡を養子にした時点では問題なかった。
魏の後継者から限りなく遠い存在に過ぎなかったのだから。

561 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:35:27.33 0]
そもそも後継ぎ候補の皇太子を封建しない。
曹叡は王侯になった時点で後継争いレースから脱落。

562 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:42:04.89 0]
曹叡は異姓養子のタブーに抵抗がない人物で、皇后郭氏の従弟を甄氏の養子にさせてる。
異姓養子ってだけでも大問題なのに、他の家にまでやらせるとかもはやキチガイ。
彼の出生が影響していたのではないか。

563 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 02:54:33.82 0]
>>560
元って養子って意味なのか?
出典どこだよ
「元嫡」なんて言葉も知らないんだろうな

あとその字パターンって大概一文字目が順番を表す文字で
二文字目に順番を表す仲が来てる時点でその「規則」とやらがどれだけ信用できるの?

字義としたら「元」は物事の根源、根本、頂点、人の頭部のこと、「仲」は物事の内側、二番目、弟
「元」は頂点、「仲」は二番目、二代目皇帝って意味じゃないかね
もっともこんな字を付けられるようになるのは曹叡が即位後ということになるだろうけど
それでも根拠ない養子を意味する名前ってよりはマシだと自負してる

564 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 03:21:02.01 0]
二字目が「仲」といえば糜竺-子仲、張緝-敬仲がいるが二男かはわからない。

565 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 03:26:18.65 0]
>>564
糜竺の場合、弟の糜芳が子方で法則無関係の命名であることがわかるな

566 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 04:54:59.66 0]
曹操すら妾の連れ子の何晏に「曹氏にならない?」と誘って断られたらおとなしく引き下がってるのに
曹叡は平気の平左で異姓養子のタブーを犯させるとか、
何考えてるのか分からん。

567 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 05:01:17.19 0]
>>563
曹真の長男の曹爽は字が「昭伯」だぜ?
後につくこともありだろ。

568 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 06:26:19.60 0]
「伯」の場合ははこのくらいかな?
長男はどれくらいだろ?
荀寓景伯、邵悌元伯、陳泰玄伯、婁圭子伯、伊籍機伯、王昌公伯、王雄元伯、向雄茂伯

569 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 06:32:49.42 0]
陸遜の甥の陸喜は字が文仲で二男のようだ
兄弟の字が分からんのでなんとも言えん



570 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 07:27:17.75 0]
で、「曹叡は養子派」の人はその根拠をまだ何一つ出していないのだが。

571 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 13:09:12.02 0]
二文字目に伯仲叔季が来てる奴いても兄弟で字が判明してる奴いないから
兄弟の法則に則ってるか判明しないな

572 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 16:27:54.99 0]
晋の趙胤(字は伯舒)は趙龔の弟。ただし趙龔の字は不明。

もっとも、曹叡が長男でなかったからといって、養子であったとする根拠とするには弱いと思うが。
その理由はいろいろあるが、>>554の言うように、
甄氏が殺された時点で帝位は継げないだろう。
殺されてなくても養子なら継げないと思うが。

573 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 19:55:03.48 0]
本当のことなんて誰にもわからないけど、
決定的証拠がない以上、
赤の他人を後継者にした動機に対する合理的説明がない限り、
あえて非実子説に組みする理由は無いなあ。
年齢だけなら誤記なんていくらでもあるしね。
司馬氏や陳寿に隠さなければならない理由も特に有るとは思えないし。


574 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 22:23:01.61 0]
西晋にとって魏の第四代にして最後の皇帝の曹奐は曹宇の子だから曹叡がどうであれ致命傷にはならないもんな。
漢魏晋革命の体面として曹叡を立てたのだとしても、
風聞としてさえ在野の史家の注意を引かず、裴松之の捕捉に掛からなかったのはかなり不自然。
孫呉派や漢魏交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

司馬睿の父が牛氏だったというヨタが唐代まで伝わったことと比べて考えると、
魏晋南北朝代の歴史家は曹叡の出自を疑いもしなかったことになる。

575 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 22:24:04.85 0]
×孫呉派や漢魏交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

間違えた

○孫呉派や漢晋交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

576 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 23:43:50.42 0]
>>574
異姓養子は孫権の親族も劉備もやってるからブーメランになるからなあ
晋の重臣にもいるし

577 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/12(火) 23:53:59.23 0]
異姓養子を認めることと後継者にするのは別の話

劉備は劉封ではなく実子の劉禅を後継者としたのであり、
曹丕にも実子が他にいたので曹叡が異姓養子ならば実子を後継者にするまで。

異姓養子なんかに跡継がせようとしたら、実子がおらずとも弟や甥あたりが騒ぎ出しそうなもんなのに
実子がいる状況でそれを差し置いて異姓養子を立てたら相当な紛糾を生じるのは必定。
記録スカスカの蜀書じゃあるまいし、魏書に皇族内でのなんらかの騒動の形跡を見つける事はできるのか?

578 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 00:29:10.76 0]
養子跡継ぎが認められるのは精々徹侯までだぞ
漢から禅譲された天子は代々少なくとも始祖皇帝の血を引いていなければ
国家の祭祀が根底から覆る。

579 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 00:56:50.78 0]
>>578
まあ魏の元帝は初代皇帝の子孫ではないんですけどね



580 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:00:58.82 0]
>>577
でももし劉禅が生まれなかったら、劉備の後継者は異姓養子の劉封で確定じゃん?
劉備はたまたま運が良かっただけ。

581 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:12:39.56 0]
>>579
だからわざわざ始祖皇帝というめんどくさい言葉を使ったんだよね。
最初に皇帝を名乗った「初代」ではなく追号で遡って「祖」を決める
魏は太祖武皇帝曹操を始祖として、その子孫を帝位を襲う権利を持つ皇室と定めた
だから帝紀第一は曹操から始まってるだろ。漢なら劉邦。

異姓養子の話題には全く関係ない話なので程ほどにな。

582 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:15:57.49 0]
>>580
劉封は異姓じゃないよ。
別に群雄の後継者が養子であって悪いはずもない。

ただ、劉備は"運良く"、のちに漢中王、漢皇帝まで登ったから
実子がいなければ少し困ったことになっただろう。
その時は漢室の血を引く者を養子にとるか、
劉封の血筋をそのようにでっち上げればよい。

583 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:23:38.63 0]
>>580
> でももし劉禅が生まれなかったら、劉備の後継者は異姓養子の劉封で確定じゃん?

んなわけねーだろ
漢中王になって以降の劉備にとっては後継者が劉邦の男系子孫(少なくとも劉備自身のように建前上は)であることは
絶対だっただろうから異姓養子に後を継がせるわけがない

劉禅が生まれなければ劉永か劉理が王世子・皇太子になるだけ
劉永も劉理も生まれなければ劉循でも養子にしとけばいい

584 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:27:37.29 0]
>>581
曹叡は曹騰、曹嵩までさかのぼって高皇帝、太皇帝と追号しているのだが。
そもそも、太祖の曹操も後漢の臣として死んでるから、曹操を武皇帝と追号したのは息子の曹丕。
曹騰は宦官なので、二代皇帝の曹嵩は異姓養子になる。
曹魏というのは異姓養子でも認める特殊な家風があったのではないか?

585 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:27:59.28 0]
>>581
まあそれは承知の上で書いた
でも一つ言わせてもらうと諡号の「祖」を遡ると曹騰にまで至らないか?
魏の場合曹騰にはもちろん子供がいないし曹嵩の子も曹操以外残っていないみたいだからいいのだけれど

586 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:29:56.05 0]
>>582
劉封の父は寇氏だよ。

587 名前:579=585 mailto:sage [2012/06/13(水) 01:31:38.92 0]
>>584
かぶった

しかし皇帝の地位を異姓養子で継承することはありえない
長い中国の歴史の中でも後周で一例あるだけではないか?
いい加減諦めろ

588 名前:587 mailto:sage [2012/06/13(水) 01:32:33.04 0]
あー違ったわ
五代十国ではいくつか異姓養子の例があったわ

589 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 01:37:51.25 0]
>>585
子孫が皇帝を継ぐ権利を持つ帝室の祖を誰にするかは王朝によって協議されて決まる。
追号などで固定された規則はない。
魏は曹操に定められたってだけ。



590 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 02:20:15.47 0]
>>589
宋朝帝室の祖は趙弘殷なの?
こいつクッソマイナーな人物で王朝創業にタッチしてないんだけど

591 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 03:18:30.20 0]
宋の場合、趙匡胤が急死して弟の趙匡義が即位してるから
父親を祖にしないと弟の即位の正統性が保てないってことなんかな

592 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 05:15:53.86 0]
>>589
>魏は曹操に定められたってだけ

誰が定めたの?
明帝の決定だって有効でしょ。

593 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 08:51:06.83 0]
孫権だか孫策だかの命令で異姓養子にさせられたが、しつこく「元の姓に戻してください!」と要求してついに成功した孫呉の武将がいたな。
異姓養子はやっぱり当時はタブーなんだろ。

594 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 08:55:38.71 O]
>>593
朱然だっけ?

595 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 09:16:01.72 0]
朱然と朱績が二代に渡って「姓を施に戻して!」と要求して、朱績の代にやっと叶ったらしい。
どんだけ朱姓が嫌なんだよと。

596 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 10:44:42.74 0]
で、話戻すけど曹叡は曹丕の実子ってことでよろしいですね?

597 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 11:07:19.48 0]
204年生まれなのに?

598 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 11:10:32.80 0]
陳の2代目は初代の甥。
その前の梁は最初の後継者候補が甥、後実子が出来て外される。
ともに一代で築いた国で、初代の父親は曹操らと同じ立場ではない。
まあ、梁の方は前朝の遠縁の親類で建国の功臣ではあるけど。
「南斉書」を編纂したのが梁でなければ、「南斉書」に伝が立ちそうな人。
陳の方は息子が出世しなければ、ただの無名の下級役人。
実子がなければ、甥ってのは自然でしょう。
後趙は、養子の継承があるけど、あれは実力だし。
前趙も遠縁の相続だけど、あれも実力。
ともに後継者として認められていたわけじゃない。
しかも当時としては異民族系だし。
異姓相続は相当不自然なんだよね。
その不自然なことをやれば、当然抵抗が大きくなる。
それをあえてやるからには、相当な理由がないと。
例えば、自己の血筋に対する強烈なコンプレックスか憎悪。
あるいは実子との深刻な対立関係。
そう言うことがあってこそ、非実子説が議論の対象となる。
なにもなければ、議論以前の問題でしょ。

599 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 19:07:00.97 0]
>>597
>>556

問1
両者とも陳寿の記述であり信憑性は同等。
一方を無条件で採用し、他方を完全に棄却する根拠は未だ示されていない。

論じてみて?


問2
この矛盾する記述を公正に扱うには、この記述を双方とも一旦思考から除外したのち、
曹叡の生まれ育ちの経緯を整理して彼が当時置かれた立場を再構築するしかない。

やってみて?



600 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 19:46:55.00 0]
当時でも妊娠期間なんて何ヶ月なのか解ってたんだから
曹丕は自分の子じゃなかったら気づく。
?って確か半年くらい包囲されてたんだろ?
この間袁煕は?に入って甄氏と交わることは不可能で、
そうすると曹叡が袁煕の子として生まれるためには
?が陥落してから遅くとも3〜4ヶ月以内に生まれないといけない。
曹丕が甄氏と交われるのは当然?陥落以後なので、曹丕が曹叡を自分の子だと考える余地はない。






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