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正史『三国志』 二十七巻



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
前スレ
正史『三国志』 二十六巻
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604 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:17:26.25 0]
>曹丕の実子なのに皇太子になれなかった者は当然不満を持つ

明帝以外は幼すぎて政治ができない。

>本人が不満に思わなくても取り巻きが黙っていない。

司馬氏と曹爽派が激突しただろ。

605 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:18:10.74 0]
曹叡は母の亡き後朝臣との関わりを絶っていたため、高官達は誰もその人柄を知らなかった。
侍中という顧問役の身であった劉曄がやっと即位数日後に拝謁することができたというほど。

宮廷闘争に持ち込まれたら瞬殺。

606 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:21:33.88 0]
>>604
>明帝以外は幼すぎて政治ができない。
漢代四百年に何人幼帝がいたと思ってるんだ。
皇帝は人格がまともでさえあれば年齢は殆ど関係ないよ。

そんな理由で曹氏以外の手に皇帝の座が渡るのを臣下一同黙って見過ごすなんて
光栄三国志よりも酷い世界だな。…あんたの脳内は。

>司馬氏と曹爽派が激突しただろ。
はあ?

607 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:25:42.56 0]
つーか>>604みたいな瑣末事(これが瑣末になるレベルの低さだが)はどうでもいいよ。
>>599に答えて。

608 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:31:42.52 0]
>>605
孫呉最後の皇帝みたいだね

609 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 20:43:38.69 0]
>>608
孫皓は烏程侯でそもそも建業にいなかった。
むしろ人脈の無い皇族だからこそ万ケが目を付けて、
高官の協議で天子として祭り上げるのに都合の良い存在だった。
漢で数の前例がある話。

孫皓の場合はそこから廷臣達の目論見が狂ったが。

610 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 21:21:30.67 0]
>>604
曹丕の子はともかく曹操の子は山のようにいて
しかも壮年で脂が乗り切ってる政務に向いたお年頃
実子でまともなのいないなら兄弟相続でいいだろ

611 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/13(水) 21:54:07.31 0]
>>604
政治ができようができまいが、いやむしろできないほうが取り巻きはそれを補佐する名目で権力にありつける。
仮に幼帝を立てることを皆が恐れていたとしても、出自の怪しい先帝の息子と出自の確かな先帝の弟がいたとしたら
先帝の弟の方を立てる者の一人や二人は絶対に出てくる。
曹操には息子が25人もいて、そのうちのいくらかは既に死んでいたとは言え、壮年や青年の者は何人も残っていた。
能力も血統も問題なく人格以外は完璧な曹丕ですら跡目争いやってるのに
能力は定かでなく血統も怪しい人間がすんなり後継者になれるわけがない。

司馬氏と曹爽が激突したのは曹叡の時代ではない

612 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 01:09:07.81 0]
>>610>>611
明帝よりも戦争がうまい皇族が誰かいるのかね?



613 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 01:20:56.66 0]
>司馬氏と曹爽派が激突しただろ。
>>司馬氏と曹爽が激突したのは曹叡の時代ではない

曹叡政権の末期に、司馬懿を差し置いて曹爽に大将軍をやってたじゃん。
実績もないのに寵愛してるというだけで。
この頃から関係悪かったと思うよ。

614 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 01:27:18.56 0]
>>612-613
ポカーン…

615 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 02:39:19.27 0]
>>612
戦争うまいへたなんて曹叡即位時にはわかんない
曹叡即位時には能力は未知数だった
少なくとも曹丕の実子じゃないのに後継者に成れるほどの能力を示す機会は無かった

>>613
それ末期の話じゃん
>>603で言ってるのは曹叡即位の際の話だから、まるっきり見当違い
曹叡が曹丕の実子か否かについての議論とは全く関係が無い

616 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 05:04:00.99 0]
>>604
>明帝以外は幼すぎて政治ができない。
曹丕は曹霖や曹礼を寵愛していたが、二人が幼かったかどうかは不明。

>>613
>曹叡政権の末期に、司馬懿を差し置いて曹爽に大将軍をやってたじゃん。
曹叡が死ぬ1カ月前くらい。病床についてからだよ。


617 名前:世界@名無史さん [2012/06/14(木) 11:08:08.36 0]

「国の借金」はデマ

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」は1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙され続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国の広報機関であるNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
   
 ---そのニュース 核心は、デマだ       長文失礼いたしました。---


618 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 12:50:36.40 0]
曹宇って結局はどういう存在だったんだろう
賢愚もいまいちわからんし、いつの間にか消えていった印象が…

619 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 18:57:49.47 0]
>>618
司馬氏に下手に逆らわない賢さはあった

620 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 21:26:30.96 0]
>>574-575
呉の能力はあてにならんよ
莚売りの劉備の化けの皮だって剥がせなかったじゃないかwwwww

621 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 21:39:59.28 0]
演義乙。

それと、剥がしたらまずいんだよ。同盟国なんだから。

622 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/15(金) 22:11:06.45 0]
後漢最末期の皇族の王侯ってどんな人がいたんだろう?
全般的にはただの装飾品だろうけどね。
後漢書みればある程度はわかるんだろうけど、
最寄り(事実上利用可能な唯一の)の図書館が丁度一週間ほど休館。
ああ、なんか気になる。



623 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/15(金) 22:37:01.31 0]
ttp://hanji.sinica.edu.tw/

列伝第四、三十二、四十、四十五辺りか。
少なくとも七王家が建安11年に除かれたことが記されている。

面白いのが琅邪王。当時の王の弟だった劉バクが、
東郡太守だった曹操を忠誠だと賞賛したためか、
一端途絶していた王位が建安11年に逆に復活している。
しかし在位11年にして「謀欲過江」に座して誅された。
曹操が魏王になる頃に江東に逃げようとしたんだね。

624 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/15(金) 22:38:33.73 0]
ああ、世襲したのは劉バクではなく、その兄子で前の琅邪王容の子の煕ね

625 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 14:18:23.24 0]
魯って王が見当たらないのに魯相いるよな
張遼とか

626 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 15:59:43.79 0]
張魯が魯粛の養子になったら
魯魯か
やっかいだーやっかいだー

627 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 18:24:14.58 0]
なんだその初代ノルマンディー公みたいな名前は

628 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 20:40:31.83 0]
うむ。

629 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/19(火) 12:21:55.06 O]
>>625
劉永、孫覇

630 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/19(火) 19:32:40.55 0]
後漢には、ってことだろ。張遼は呉にも蜀漢にも仕えてないぞ。

で、継ぐ王がいなくとも国が除かれない限り王国としての体裁は維持される。
國相がほぼ太守と同一の仕事をしつつ、留守を守るだけだからね。
王国の国事儀礼も多少は代行していたのかもしれない。

631 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 18:20:31.18 O]
劉備が平原国相だった時の平原王ってだれだろう?
ていうか国相って王の臣下扱い?それとも中央からの出向官僚?

632 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 18:47:59.21 0]
儀礼は臣下。実態は出向。
平原王はわからない。当時在位者がいたかいないかもわからない。



633 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 22:30:15.81 0]
董卓専横とか関東諸侯の一斉蜂起とか官渡の戦いとか、そういう時期の各地の王様って何してたの?

634 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 22:38:44.11 0]
黄巾の乱で二、三人殺されてた。
まあその程度の力しかなかったのが後漢の諸王。
唯一例外で奮戦したのが陳王寵。

635 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 23:12:17.51 0]
所謂
血族と創業の功臣の「藩屏」は機能しないのは前漢で明白だったからね

後漢は宦官と外戚で揺れ動いて
魏はシステマチックな官僚主義につけこまれて

それらをみた普は前漢に戻る、とw

636 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 23:27:41.85 0]
宋元明清は簒奪防げてるのはどういう理由だろうか

637 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 23:39:07.08 0]
王朝ごとに事情は異なるだろうが、基本的に科挙と宦官。
簒奪できるほどの信望を、臣下の一家が集めることが出来なくなった。

638 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/24(日) 23:40:17.51 0]
>>635
晋を普と書いちゃう人はまず中学社会からやり直して

639 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/25(月) 00:00:07.85 0]
>>637
一代で簒奪しちゃった人も結構いるけどねえ
まあそういう輩は軍人だから軍人の力が弱くなれば簒奪できないのか

640 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 00:13:33.66 O]
>>638
そこを突っ込む( ´∀`) オマエモナー

641 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 00:57:38.74 0]
>>640
えっ

642 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 09:02:21.73 O]
ちょっとした誤字を鬼の首を獲ったかのように指摘し、
責め立てるような輩が同好の士だと思うと悲しい。
もっと楽しい話しようよ。段ワイについてとかさ。



643 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 09:54:18.34 0]
猥談か

644 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 10:23:36.76 0]
打鍵の世界では同音誤字が多いよな、音(読み)を打ち込んで変換するんだから
いわゆる誤変換だが
この場合手書きじゃないんだし、普と晋ではどう読んでも類似がない
誤字を書き込んでしまったというより、そもそも間違った認識をしていたか、
正しい認識はあっても、過去の習慣的な錯誤が不意に出たとしか考えられない
言葉の選び方のわりに残念すぎて、突っ込まれるのも分かる

645 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 10:52:07.56 0]
タイポミスなんてネットじゃ日常茶飯事
なお今使ったタイポは誤字ではない。

646 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 11:03:00.23 0]
シンとフをどうタイプミスすんだという話だろ

647 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 12:25:12.03 0]
某航路でも程普が程晋になったりするんだし寛大な心で許してやろうぜ

648 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 21:03:31.07 0]
>>647
関雲長のことを「せきうんちょう」とルビを振った某航路ですね

649 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/28(木) 21:11:15.31 0]
俺のPCだと普通に「しん」で普が出てくるが?

650 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 08:58:31.29 O]
董卓の軍勢の実質的No.2って牛輔?
その次辺りの地位にいたのだれだろう?
胡シン?段ワイ?


651 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 09:25:51.39 0]
知られるうちで高い地位を獲得したのは胡軫かね。
存命中に牛輔とどちらが格上だったのかとかまではわからん。

652 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 09:32:58.48 0]
趙謙とか?



653 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 10:00:44.31 0]
趙謙やら王允は朝廷の高官であって外様。
「丞相曹操の軍勢のナンバー2はチ慮」とは言わないだろう。

654 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 11:07:41.25 O]
胡軫や楊定は、涼州出身なのに董卓死後に王允に従ってる。
胡軫は陳郡太守の経歴もあるし、孫堅に負けた後は董卓に嫌われたか、漢朝の臣としての色合いが強くなったんじゃないかな?
そうなると女婿であり、中郎将でもある牛輔がNo.2?
段ワイも涼州出身だけど、楊定に嫌われてたし、賈クにも逃げられてるから人望がなかったのかな?
段ワイの事跡みると意外とまともな奴のような気がするが・・

655 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 11:33:42.29 0]
別に胡軫が漢臣よりになったんじゃなくて、
李カクらも胡軫や徐栄みたいに従いたかったけど
許されなかったから賈クの進言で蜂起しただけでしょ。

実質の軍事かどうかわからんが董旻、董承、董越らが有力なんじゃなかったっけ?

656 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 11:56:11.72 0]
チ慮ってやっぱり現代風にいえばイエスマンなのかな?

657 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 14:46:17.04 0]
チ慮もそうだけど、鄭玄門下ってろくな奴がいない気が・・
高官になった奴多いけどね。意図的に貶められてるのか?

>>655
董越も東中郎将だったね。

ところで段ワイらを率いて李カクを滅ぼした裴茂って「謁者僕射」だよね?
この身分って、中郎将達を率いれるものなんだろか?

658 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 16:05:16.67 0]
>>657
えーと劉備とか>鄭玄門下

659 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 16:23:55.94 O]
>>658
そうか、劉備か。
あいつは、偉いよね・・

660 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 19:55:03.60 0]
>>657
謁者僕射が中郎将を率いる権限があったのではなく、この時の裴茂は皇帝の使者として派遣されていて、中郎将たちは皇帝の使者に従ったということだろう
そして謁者僕射は皇帝の使者になることが多い官だったということ

661 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/29(金) 20:50:03.12 O]
>>660
なるほど。
実際軍勢を指揮したわけじゃないんだね。納得。
息子は伝に劉表のところにいたってあるし、
李カク滅ぼした後、許には行かなかったのか。

662 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 13:11:21.90 0]
>>640
> >>638
> そこを突っ込む( ´∀`) オマエモナー

細かいと言われることは百も承知だが、あまりにもひどいだろ。小学生か?

三国志の前に漢字の勉強くらいやっておけよと心配になる。おせっかいだが。



663 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 18:05:18.81 0]
>>649
自分で辞書登録したんじゃないのw

664 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 20:44:15.76 0]
>>657
崔エン・国淵って建安時代屈指の儒者だぞ。それから孫乾

665 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 21:03:05.43 0]
>崔エン・国淵って建安時代屈指の儒者だぞ。それから孫乾

孫乾だけ超小物w

666 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 21:27:18.46 0]
鄭玄は自立してから常時数百人から千人の弟子を取っていて、
孫乾はそのうち歴史に名を残す6、7人のうちの一人なのだが。

667 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 22:51:35.04 0]
>>666
学術的業績は?

668 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 22:53:58.39 0]
王基やチ慮や劉備の学術的業績は?

669 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 23:03:09.13 0]
通なら「晋」より「晉」だよな

670 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/30(土) 23:05:12.90 0]
「ホウ悳」はいつから「ホウ徳」って表記が主流になったんだろう?

671 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/01(日) 00:14:24.56 0]
新字体が普及してから

672 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/01(日) 01:31:07.90 0]
>>669
そういうのは通じゃなくて旧字体厨だろう



673 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/02(月) 23:15:25.30 0]
えっ

674 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/03(火) 08:51:06.46 O]
そもそもがタイプミスか、読み方間違ってたのか知らないが、
誤字の話題をここまで引っ張る暇人達が同好の士とは残念だよ。
もっと楽しい話しよう。劉勲についてとかさ。

675 名前:世界@名無史さん [2012/07/03(火) 11:25:36.19 0]
司馬師の男系って結局壊滅?

676 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/03(火) 20:30:44.81 0]
>>674
何かと思えば三日も前に終わった話題じゃねーか。何引っ張ってんの

袁術配下で一番頑張ったのは陳蘭。これは譲れない。

677 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/04(水) 11:45:29.33 O]
雷薄・陳蘭コンビと呉蘭・雷銅コンビって、
セット売りなところが何となく似てる。
字も被ってるし。

678 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/05(木) 00:54:42.06 0]
>>675
男子がいなくて司馬攸が養子に来てるから壊滅以前にもとからないのでは?

679 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/05(木) 23:47:01.10 0]
ありゃりゃ司馬昭のつもりだったのに間違えてた。
ちゃんと確認しないと駄目だな。

680 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/06(金) 11:02:28.85 0]
東晋では司馬昭の子孫で王位についていた者はいないし、生き延びてもいないはず。
東晋成立(318)以前に、311年の王衍敗北、洛陽陥落、苟晞敗北で皇族は軒並み死亡。
312年の時点で生きている子孫は、匈奴(漢)に連行された懐帝(司馬熾)と
懐帝処刑後に皇位を継承する司馬鄴(愍帝)しかいないんじゃないかな。

司馬懿の子孫で東晋まで生き残ったのも
皇位についた司馬睿のほかには司馬亮の子孫だけじゃないかなぁ
司馬八達の子孫はちょろちょろいるけど。


681 名前:世界@名無史さん [2012/07/07(土) 12:34:18.17 0]
>>677

呉蘭・雷銅はどの程度の兵を率いてたのだろ?

全滅しても、後の漢中攻防戦が蜀側の勝利になったこと
考えると、大した兵数じゃなかったのかな?

682 名前:世界@名無史さん [2012/07/07(土) 19:22:34.72 0]
雷銅と雷諸は親戚かな?



683 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 20:09:22.32 0]
清河王司馬遐の、たぶん次男の司馬籥ってどうなったんだろう?
他の兄弟は次々と皇太子になり殺害されてるが、
この人だけは最期か書いてない。
弟が皇太子になる前に死んじゃったのかねえ?

684 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:18:31.24 0]
曹叡の異姓養子疑惑について。
曹叡は母甄氏の家が断絶の危機に瀕した時、タブーである異姓の養子縁組を行わせて甄家を存続させている。
おかげで孫盛にけちょんけちょんに叩かれている。
一方で、曹氏の異姓養子になることを拒否した何晏は曹叡に殺された。
また、父曹真が異姓養子だった曹爽は曹叡に寵愛された。

祖父の曹操は曹操で、求賢令で「卑賎でも不孝でも用いる」と叫んだ。
これは自分が卑賤で不孝な宦官の家の出身であることの裏返しだった。

父の曹丕もまた、できる弟曹植への劣等感から執拗に苛めた。

曹氏は代々コンプレックスの塊。

685 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:25:50.38 0]
当時数少なくなってしまった司馬炎の直系という血筋、冀州の状況を考えると
藩国に赴任していたとは考えにくいから、洛陽に留まっていて、陥落と同時に死亡したか
あるいはその前に病死したかだろうね。

ただ清河王位は二人の弟はどちらも就いてないのが微妙だな。
司馬銓は上庸王から豫章王、皇太子だけど、豫章は懷帝のもとの封国だから
豫章王になった時点で後継者候補。
その弟の司馬端は廣川王で、兄が皇太子になると豫章王に。

司馬籥が早くに亡くなっていればどちらかを清河王にして司馬遐を継がせてたと思うので
洛陽陥落までは司馬籥は生きていたのかなぁ。

686 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:30:38.92 0]
何晏は曹叡に殺された?

687 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/07(土) 22:33:34.90 0]
>>686
閑職に追いやられた、に訂正します

688 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 00:24:37.93 0]
>>684
一行目と二行目以降がまったく繋がらないのだが
何がいいたいのだろう。

689 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 08:16:38.56 0]
>>687
その理由は浮ついてて実がない、であって異姓養子ではないぞ
妄想を押し通すのは小説の中だけにしてくれ

690 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/08(日) 09:30:34.31 0]
晋書読むと正始年間に起用されてる奴も多くて
何晏はちゃんと仕事してるなと思わされる。

691 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/09(月) 23:44:40.47 0]
何晏らは怠慢じゃなくて曹爽派として人事に勤しんでいたわけだからね(これも勝利した司馬氏側からの記述だが)
しかも、曹爽に辟召などされて党与を構成していた朝臣からも結構な数が司馬氏に吸収されて晋臣になっているのだから、
思想や利権と言うよりももっと単純な権力闘争の構図だ。

692 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/10(火) 18:28:42.04 0]
不思議なんだけど、司馬柬を跡継ぎにしようって話はでなかったの?
少なくとも兄と違って標準レベルの人物では有ったらしいのに。



693 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 13:33:04.70 0]
三少帝紀にちょこちょこ忠義の人とかが叙爵されたり、任官されたり
って記事がある。たいした地位じゃなく普通は名の残らない人も。
これってやっぱり人気取りとか?

694 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 17:18:58.57 0]
>>692
皇太子・司馬衷(のちの恵帝)の廃嫡はたびたび持ち上がったけど
その際は当然、同母弟の司馬柬が皇太子となったと思う。
司馬炎が二人の実母である楊氏に司馬衷廃嫡を相談したことがあるけど
その時も当然、代わりに司馬柬を皇太子にするつもりだったろう。
ちなみに楊氏は「嫡子は年長者を選ぶべきで、賢さで選ぶべきではない」と反対。
まぁ司馬衷が継いでも、サポート体制が盤石なら、無理ゲーではなかったと思う。

その司馬柬も司馬炎死亡の1年半後には病死してるから、司馬柬が継いでいたところでなぁ。
タイミングが凄すぎるので、毒殺のような気がしないでもないが。

695 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 21:22:41.46 0]
>>694
意外と暗殺、毒殺の類って成功しない気がする

国は違うけど西洋の王族で毒殺が疑われた人の死体が残ってたので検査したら
急性白血病で突然死のように死んだということがわかったりしてるし

696 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 22:06:30.95 0]
劉弁が死んだのもタイミング悪かっただけなのに噂におひれついただけなんだろうな

697 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:00:12.07 0]
>>695
日本では意外に成功しているけどね、毒殺。
足利義満、恒良親王、足利直義といったぐあいにね。

698 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:08:27.47 0]
現代だったら狙撃すれば一発で殺せそうな気がするんだが違うのかね
要人だったらそもそも狙撃ポイントに着かせてもらえないのか

699 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/11(水) 23:28:27.42 0]
劉弁については、李儒絡みで辻褄が合う記述が残っているので信憑性がある。
と言うしかない。

700 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 00:40:37.12 0]
>>697
3例しかないじゃん。伊達政宗も毒で死にかけたが助かってるし。
普通に刀や槍で殺すほうが確実だし、暗殺だと圧倒的にそっちの例が多い。


701 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 00:51:45.55 0]
確実ならいいってものじゃなく、疑わしくても病死に見えてくれないと困る場合もあるから

702 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 01:01:00.36 0]
足利義満は、そういう主張をしている人もいる、というレベルでしかないね。
恒良親王も実際のところは不明だし。太平記では一緒に毒殺されたとなって
いる成良親王が、実際には生きていたということだし。



703 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 01:02:53.21 0]
ローマで言うと2代皇帝ティベリウスの息子ドルススなんかは確実に毒殺だという証拠が後から出てきてる

704 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/12(木) 19:35:09.14 0]
司馬炎は、粗製濫造って感じだ。
才能じゃなくて生命力が、
自然死以外が多いにしても、
誰一人半世紀の寿命がない。
約半世紀でも恵帝だかでしょ。
あとは30歳程度までか?
孫や曾孫に至っては悲惨の一言だし。






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