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正史『三国志』 二十七巻



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
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正史『三国志』 二十六巻
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444 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:20:33.43 0]
取り巻きが色々吹きこむというが、取り巻きが出来たのは魯王宮のあとからだぞ。
孫権がなにか工作したという事実はない。

445 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:20:51.27 0]
>>439
まあ皮肉を言ってやるなよw
後漢末に既に東観記が成立していて、これが後漢史のスタンダードだったわけだから。

446 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:25:07.68 0]
>>444
孫権の取り巻きのことだよ。寵愛する心理を利用して歓心を得ようとするような。
孫権がしたのは工作なんかじゃなくて、公的な措置。孫覇を孫和と同等に扱うなど。

447 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:31:54.77 0]
>>446
結論出てるんじゃないの?
孫権は工作などする必要がないわな。強権もった皇帝なんだから。
本人自身の考えで孫和を立太子し、それを継続したんだよ。それは三国志に書いてある。

448 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:34:02.41 0]
>>447
孫和伝とは正反対の意見だがどこに書いてあるの?

449 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:35:33.19 0]
>>447
ではなぜ魯王を立てて皇太子の地位を危うくし、
宮廷分裂を招いた末に太子を廃したのか。

450 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:41:30.11 0]
董卓の人肉嗜好も創作らしいし正史にも出てこないんだよね
曹操の人肉否定嫌いは有名

451 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:48:43.23 0]
うーむ…
「孫権は強い皇帝だった」って主張が三日もこじれると
「孫権は自分の考えで孫和を立太子し、それを継続した」までいっちゃうのか。
人間ってこわいね。

452 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:51:11.32 0]
>>448
>孫和伝とは正反対の意見だが
正反対だという、その孫和伝の記述を引いてみてくれないかね?
見当たらないので。

>>449
そりゃ耄碌してたから、としか思えないな。
もし孫権が本当に孫和を廃立したかったのなら、廃立のタイミングはもっと早い段階である。

>>451
>權沈吟者歷年、後遂幽閉和。
こうハッキリ書いてある。




453 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 02:21:07.80 0]
人気のあった孫登の遺言から孫和が太子になったんでないの?
孫登って孫権の集権化邪魔してるし勘ぐっちゃうよね
孫登って太子のくせに君臣の序列を薄めて
皇族を豪族のワンオブゼムに貶めようとするお馬鹿ちゃんだし
そんなもんの推薦による孫和が集権体制を試みる孫権と指向が合致するわけないんでない?

454 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 03:45:07.58 0]
話逸れるけど孫休じゃなくて孫亮が立てられた理由って書いてあったっけ?

455 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 07:39:30.04 0]
>>452
wwww
おまえ自分の理解が及ばないものを耄碌とか暗愚のような非論理のせいにしてるだけじゃねーかw
仮に孫権が耄碌していたとしても、それに乗じた側近が都合のいいように
政策を動かしていればそれは何らかの政治的意図の含んだ行動になるし、
現に晩年の孫権の行動はあらかた政治力学で説明できるんだよ。

456 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 08:10:31.80 0]
>>439
孫呉の文化人はどのぐらい優れているの?と曹魏や西晋の高官のような事を言ってみる。

457 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 08:11:34.88 0]
>>436
曹操気取り乙

458 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 10:51:40.08 0]
>>456
陸兄弟はハイレヴェルじゃね?
曹操についての論文は面白かった

459 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 12:47:54.23 0]
二宮の変の時、魯王の傅役の是儀がこれを明快に批判している。
その論法から見ても中原の文化学問のレベルと変わらないだろう。
東晋が興った時、朝廷の儀式を整えたのには、
中原から逃れてきた識者と並んで、江南の人士の貢献がある。
おそらく一番貢献したのは賀循。

でもそもそも呉の文化レベルと孫権の失策は関係ない話。
>>413がアホなミスリードをしただけ。

>>455
なんの反論にもなってないな

460 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 13:17:31.28 0]
>>459
とりあえずネット上には素晴らしい先行の論があるのでこの反論から始めるといいんでないですか?

ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20070903/
むじんさんのサイト宣伝する気はないのだがリンクが綺麗にまとまってるのでここから

461 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 13:27:51.70 0]
>>460
以前読んだことあるが、それは論としてボロボロだと思ったな。
それとなんで俺が反論しなきゃならんのだろう。

unkar.org/r/warhis/1255413144
過去に三戦板で批判されてるよ。


462 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 17:28:36.97 0]
孫休が孫権の後継者から省かれた理由ってなに?
孫亮より年上でしょ。



463 名前:世界@名無史さん [2012/05/29(火) 17:53:35.84 0]

そもそも、「孫和派」言うけど、これって変なんだよ。すでに太子なんだから。
群臣が太子に取り入っても、太子を守っても、何の問題もない。
逆に、太子を蔑ろにして諸王を支持する奴が出てくる状況が狂ってるわけで。
「孫和派vs孫覇派」というフレームで眺めてる限り、それこそ「お話にならない。」

464 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 18:04:07.60 0]
>>463
その取り入りを孫権は問題視したんだろ
そして自分で立てた皇太子の権威を殺ぐように魯王を寵愛して意図的に問題を起してる
それから両派閥が形成されるのだからそのフレームで眺めないとむしろお話にならない

465 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 18:09:27.39 0]
>その取り入りを孫権は問題視したんだろ

なんなんだよこの妄想w

466 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 18:27:35.31 0]
わざわざ自分で宮廷の序列破壊しておいてさらに廃太子からの追放コンボなんて
よっぽど孫権の不興買わないと起こりえないと思うんだが

467 名前:世界@名無史さん [2012/05/29(火) 18:43:10.37 P]
>>387
暗愚と思うかどうかは人それぞれ違うだろ。公式があるわけじゃない。

468 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 19:35:57.82 0]
孫休は熱心に文学を奨励したというが業績が残っていないのが残念。


469 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 19:38:52.66 0]
造語という立派な業績が…
流行らなかったけど

470 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 20:23:54.88 0]
>>462
朱拠が岳父だったからじゃないかな。
孫和を弁護した罪で朱拠を粛清した以上、その娘婿の孫休を立てるわけにはいかなかったんでしょ。

471 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 20:32:11.75 0]
だったら孫和じゃなくて娘婿の孫休押せばいいやんw
外戚になって権力振るえるぞ。

472 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 22:16:13.35 0]
それは露骨すぎるし孫和と孫覇が揃ってる時点で孫休を推せるほど孫休は有力候補じゃない



473 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/01(金) 19:01:02.10 0]
孫皓伝注の『晋紀』で、紀陟が魏へ遣わされて宴会になった時に
司馬昭が「あれは安楽公であっちは匈奴単于だ」っていった時の単于って呼廚泉のことかな?
劉猛なわけないよね

474 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/01(金) 20:57:33.79 0]
呼廚泉ってそんなに長生きなんだろうか、と思ってウィキ見たら
277年に西晋に来朝したとある。
でも三国志、晋書、資治通鑑をザックリ調べた限りでは、ソースらしきものを見つけられなかった。
出典はどこにあるんだろう。

475 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/01(金) 21:34:31.19 0]
当の劉猛が、匈奴伝では反乱時既に単于になってるんだよな。
南匈奴帥って記述の方が多いけど。

司馬炎の即位式に参列云々は、武帝紀に
「百僚在位及匈奴南單于四夷會者數萬人〜」とあるが、
呼廚泉の名は無いし、そもそも年代的には
この時既に代替わりしていると見るのが普通だろう。

476 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/02(土) 10:22:19.21 0]
司馬芝って司馬鈞以降(子か孫のあたり)くらいに晋の司馬氏と別れた家系かな?

477 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/02(土) 21:54:05.82 0]
司馬氏ほどの大族になるとわからんね
県のあちこちに「殷王を祖とする司馬氏」がいただろうから

478 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 08:58:15.92 0]
そう言えば司馬懿の従兄弟とかって見ないような気が。
劉裕の場合は男系の従兄弟は居なかったみたいだけど、
同姓だけど母系の従兄弟とか、二股従兄弟とか、姻族、
継母の親族まで登用してるのに、男系の従兄弟や又従兄弟の形跡がない。
しかし、司馬氏の場合は、従兄弟や、又従兄弟くらい居たんだろうけど、
兄弟が多くて親類とかはどうでも良かったのかねえ?
まあ居なかった可能性もあるけど。

479 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 14:25:42.72 0]
そりゃ劉裕と司馬懿じゃ立場が違う。
司馬昭の従兄弟はたくさん出てくる。

480 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 15:35:21.16 0]
司馬の八達には子供が少なかったのか

481 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 17:41:46.05 0]
董襲すごい

482 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 20:59:18.12 0]
劉備はモテなかったな



483 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 21:01:58.21 0]
モテモテですよ

484 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 23:07:48.09 0]
司馬懿の従兄弟・族兄弟世代は魏王朝の史書に残らない程度の高官に幾らでもいたんだろうが、
司馬懿が権力を握ったときは既に老齢で、権力を分担するような年代ではない(同世代司馬孚がいれば十分)。

晋王朝の王になった血筋は司馬懿の兄弟・子息世代以下だからやはり従兄弟では晋書にも名が残らない。

485 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 23:58:26.57 0]
「ここ危ないから逃げよう」
長老たち「えーでもー」
「じゃあ俺達だけで逃げるわ」

そして残ったほうは戦乱に巻き込まれて半分が死んじゃった・・・
みたいな話があったよね

486 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/05(火) 00:06:08.39 0]
司馬懿みると諸葛亮は何かが足りない

487 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/05(火) 01:20:54.08 0]
寿命だな

488 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/05(火) 02:11:39.69 0]
国内での野心

>>485
この時代では荀ケ
いつでもありそうなネタだけど

489 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/05(火) 14:06:37.97 O]
>486
優秀な息子たち

490 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/05(火) 20:53:20.70 0]
どっちも孤児を託された臣で尚且つ気を許せないライバル(李厳・曹爽)がいたのは一緒なんだよな

491 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 10:37:22.38 0]
卑弥呼の魏への朝貢の記録が景初2年からなのは、公孫淵が滅んだから?
それまで帯方郡などの支配はどうなっていたんだろ?

492 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 18:55:56.21 0]
>>491
遼東以東どころか青州の一部さえ公孫淵の支配が及んでいたんだから、帯方郡はもちろん公孫淵のものよ



493 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 20:31:21.64 0]
司馬懿は「公孫氏を下すまで一年」つってるけど、蜀は滅亡まで半年だったよねw
司馬懿って意外と戦下手じゃね

494 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 20:37:42.91 0]
↑アホがなんか言ってるぞw

495 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 21:28:40.37 0]
その司馬懿だけど、後漢の少帝懿と名前かぶってんだよね。
礼に厳しいはずの司馬防の子のはずなのに避諱はどこいったんだ。
それとも王扱いならセーフなのか?

496 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 22:17:35.85 0]
セーフ。
というか歴代皇帝も全てが避諱の対象になるわけじゃないし、漢はまだそれが緩い時代。
だいたい始祖その後の重要な何代かと直近数代。


497 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 22:25:23.95 0]
さっき調べたら、劉協の子も劉懿みたいだしそんなもんか。
でも王允の兄の王宏は絶対アウトだと思った。
霊帝即位後の改名の話もないしなぁ

498 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/06(水) 23:23:07.36 0]
曹叡もそうだけど、司馬懿というか司馬師と司馬昭は意外と
甄氏の家系がお好きなようですね

499 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 01:36:22.00 0]
でも曹叡の子を皇帝にしないw

500 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 12:39:33.05 0]
甄氏というか、郭氏から甄氏に養子にいった甄コのことでしょ?
郭皇后に取り入る必要性があった。
養子じゃない甄溫も任用されているが。

魏の高官だから、穏健に禅譲を進める立場としては、ないがしろには出来ない。


501 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 18:53:20.79 0]
両家とも魏の外戚家として影響力を維持していただろうからね

502 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 19:56:31.19 0]
関係ないけど、曹操の親兄弟ってなんであんなに影が薄いの?



503 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 19:57:26.89 0]
軍閥に入らなかったからだろ

504 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:22:36.16 0]
>>501
甄氏は賜死して以降政権から排除されただろうし
郭氏はそもそもそういう影響力ないから曹丕に好まれたんだろ?
外戚として影響力なんて保持できるか?

505 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:30:27.76 0]
>>500
甄悳(旧:郭悳)とか甄黄や甄毅とかね、昇進し重宝されました。

506 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:32:57.76 0]
>>502
たぶん殺されたから
徐州に避難してるのに曹操徐州と敵対してるからね仕方ないね

507 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:37:45.69 0]
>>504
賜死ではない。両者とも殺害は非公式な説。
両者の親族は引き続き厚遇された。

>>506
曹嵩がいたのは陶謙の勢力外だぞ

508 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:44:34.85 0]
>>507
あれ?
曹叡の母の甄氏の話だよね?
違ってたらすまん

509 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:48:53.53 0]
>>508
ああ、ごめん。こちらの勘違いだった。
甄氏は自殺されている。ただ曹叡に名誉回復されて親族は高位に就いている。

510 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:54:01.42 0]
>>509
爵位はともかく官位は高位には就いてなかったはずじゃ
曹丕が生前に定めた法律で皇太后と関係者の政治参加を禁止してるよね?

511 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 20:57:38.17 0]
射声校尉散騎常時とか越騎校尉とか

512 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 23:07:59.87 0]
>>504
曹丕の嫁じゃなくて曹叡の嫁の方の郭氏。



513 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 23:28:17.27 0]
まあ漢で栄華を誇った外戚のような勢威があったら抗争してどちらかが倒れていただろうけどね。
厚遇しても問題ない程度の外戚だから司馬氏も厚遇できたと言える。



514 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:12:23.42 0]
>>513
そもそもそんな外戚がいたら司馬氏が権勢握れない

515 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:17:30.84 0]
それ以前に司馬氏は内戚の曹氏と抗争してこれを倒して権勢を握ったんだからね

516 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 00:50:49.79 0]
だからね、って言われても

517 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 02:21:57.89 0]
えーとね。
後期前漢や中期後漢で権勢を握ろうとしたら先に陣取ってる外戚に勝たねばならなかったように、
曹叡後の魏で権勢を握ろうとした司馬氏は先に陣取っていた内戚の曹氏に勝たねばならなかった。

もし魏が、漢並に外戚を尊重する体制だったら、司馬氏は内戚ではなく外戚に対して勝利を収めねばならなかったし、
晋が成立するならそのような歴史を辿ることになる。

史実はそうではなかったため、司馬氏は魏の外戚をそれなりに厚遇する余裕を持つことが出来た。
ってな話。

518 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 03:02:46.36 0]
でも魏の内戚も全体的に見ればそんなに実力があったわけではないよね
曹爽自体は確かに力は持っていたわけだけど

519 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 03:16:42.71 0]
あれは内戚曹爽が力を持ってたんじゃなくて
功臣曹真の子、曹爽が政争を繰り広げて力を握ったからね

520 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 04:25:43.97 0]
>>519
それなら権勢を誇った外戚の殆どが、
「外戚が力を持っていたんじゃなくて皇太后(稀に皇后)の親族が政争を繰り広げて以下略」
になる。
皇太后の死や皇后の入れ替わりで力の源泉が殺がれると即失脚のケースが多い分、
曹爽の方が遥かに自分の力で立っていたと言える。

521 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 04:30:07.91 0]
それから、外戚にしろ内戚にしろ、畸形的に力を持つのは、
皇帝集権体制下で幼年の皇帝が立つなどして、帝権の補佐が必要になったとき。
魏の歴史からして対象になるのは曹爽一人になるのは必然。

522 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 12:45:58.69 0]
>>520
ほら、自分でも分かってるじゃない
曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって



523 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 14:07:41.59 0]
魏が外戚を尊重していないとは言っても、文帝と明帝以降じゃ少し違うし
曹芳は母無し子だからなぁ
皇后の父の張緝が政変に絡んでくることからも分かるように
曹芳に母親がいたら、その一族と司馬氏は対決していたと思うね

524 名前:世界@名無史さん [2012/06/08(金) 19:03:25.52 0]
何故、楊義は自分が諸葛亮の後継者になれると思ったのだろうか?

諸葛亮死後の事は楊義はハブられて既に決められていた。何故本人は
気づかなかったのだろうか?

525 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 21:31:40.31 0]
ハブられてたから気づかなかったんでないの?

526 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 21:38:50.14 0]
>>522
……?
それがどう>>514に帰結するの?

司馬氏が魏で権力を握るとしたら
魏的内戚相手でも漢的外戚相手でもやることは変わらない。
力の源泉が同じだから。って話を俺はした。
だから>>514の主張は意味がないってことだよ。
博打とはいえ史実で成功してるんだから。

527 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 22:16:00.01 0]
あー、ごめん。なんか読み違えてたな。逆を言ってるのか。

>曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって
違う。
曹真は良将で功臣だが、曹操に重用され曹丕を宿衛を統括する中軍大将軍を経て大司馬まで昇ったのは、そもそも血縁だから。
曹爽が武衛将軍を経て後事を託されたのも、曹真の息子、つまり血縁だから。
これがなければ曹爽は魏のトップの位置で権力争いするスタートラインにも立てなかった。

念のため言っておくが、これは外戚や内戚の不名誉を示す物ではない。
是以先帝建列將之官,近戚主内,異姓距外,故姦軌不得萌動而破滅,誠萬世之長冊也。
帝権維持のために理論化された立派な政策。

528 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/08(金) 22:16:49.38 0]
で、曹爽が本当に漢の一般的な外戚より「強い」とするなら、やはり>>514には繋がらなくなるのだが。

529 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 00:20:23.57 0]
>>527
曹真は魏略では秦氏で後に曹姓を貰って曹真になったと書いてあるね
同族を名乗ることは認められてても実際どこまで皇族に連なる人間として扱われてたんだろ

530 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:28:19.52 0]
でも曹操とその子孫を除けば曹氏と言っても男系でつながってないからね

531 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:33:56.89 0]
そういやそうだね

魏における諸曹氏の扱いと夏侯氏の扱いどうなってんだろ

532 名前:530 mailto:sage [2012/06/09(土) 01:46:44.64 0]
あーそういえば一応曹操って弟いたっけ
まあ事績乏しいから無視でいいよね

ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?
宦官故に同姓の親族から相手にされなかったから?
それとも夏侯氏と特別な関係にあったから?



533 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 01:49:50.56 0]
まず曹魏には晋の司馬孚や後漢劉伯升の子二人のような存在が無いので、
皇帝・封王になれるのは曹操の直系子孫だけ。これは血筋の繋がりが必須。

それ以外、この時代は養子の効力が非常に大きいので、
皆やや遠縁ではあるが、普通に宗室の扱いになる。
司馬望のような「皇帝筋ではない諸王クラスの実力者」がいない分、
朝廷の高官としてちょうどいい面子だったんじゃないかね。
呉の孫静等の子孫も同じくらいの位置だね。

534 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 14:24:28.89 0]
>>532
>ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?

異姓の養子というのはデマなんじゃないかなぁ
陳琳の檄文でも「異姓養子だ!」と弾劾されてはいない。
曹嵩がもともと夏侯氏ならば、曹操の娘が夏侯氏に嫁ぐのは同姓婚となり、大スキャンダル。
陳矯はもともと劉氏の出身なのに劉氏の娘を娶り、弾劾された。
晋の劉頌はその陳矯の娘を娶り、やはり弾劾された。

あと、曹爽(曹真)が秦氏出身というのもちょっとウソくさい。
親父が曹操のために死んだのなら、
ちゃんと秦氏を継がせるんじゃなかろうか。
それに、養子があり得るにしても、誰の養子になったのか。
改姓だけというのはかなり珍しいと思う。

535 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 14:44:50.79 0]
>>534
陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから異姓養子であることも含まれるんだろうけど

536 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 15:31:28.03 0]
>>535
>陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食でも同姓ならタブーではないだろう

>乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから
同族の貧しい家の子を買ったのかも知れない

537 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 19:24:06.76 0]
それこそ姓すらわからないような境遇だったとか?

538 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 19:30:32.04 0]
>>534
秦真は曹邵の養子になってから邵が死んだので曹操に引き取られて曹邵の跡を継いだ。
これはおかしくないよ。

異姓養子のタブーって時代ごとに違うと思うのだが後漢末はこれが緩かったってだけでないの。


539 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 20:35:43.18 0]
曹邵の養子になったという記述はないよ

魏略曰:真本姓秦,養曹氏。或云其父伯南 夙與太祖善。
興平末,袁術部黨與太祖攻劫,太祖出,為寇所追,走入秦氏, 伯南開門受之。
寇問太祖所在,答云:「我是也。」遂害之。由此太祖思其功,故變其姓。

曹氏に養われた、というのは、本伝の記述と合わせて考えれば、曹操に養われたということだろう。
父親の伯南(曹邵?秦邵?)が実父じゃないという推察は難しいんじゃないか?

540 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/09(土) 20:38:01.09 0]
>>539
そのようだ。すまん

541 名前:世界@名無史さん [2012/06/10(日) 08:18:16.23 O]
曹操の子や族子達は皆、字に「子」が付いてるけど、これって一族で示し合わせて付けたのかな?
それとも一族の偉い人とかが決めたの?


542 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/10(日) 08:40:28.09 0]
排行のお約束



543 名前:世界@名無史さん [2012/06/10(日) 12:19:54.46 O]
>>542
なるほど、勉強になりました。

544 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/10(日) 14:07:20.57 0]
興平末に曹操が袁術に追われて秦伯南の家に逃げ込むって、
ちょっと筋が通らない気がするな






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