- 1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
- 前スレ
正史『三国志』 二十六巻 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325418244/
- 359 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/25(金) 23:48:02.59 0]
- 報復じゃないよ。所定の戦略。
以前の和睦が形だけで、呂蒙が荊州を狙っていることを関羽も百も承知だったからこそ、 初めは南郡に防備を置いていたし、兵糧強奪のような無碍な行為も出来た。 で、史実の荊州奪取は孫権にとって最上かつ最後のタイミングだった。 劉備が漢中-襄陽の漢水ラインを固めてしまえば、 次は益荊の戦力を集中して荊州南部と交州の奪取に振り向ける番。 孫権の地勢ではこれを効果的に防御できず、揚州一州になるのは時間の問題。 北・西に敵を迎えた揚州は江水の険を発揮できず、魏蜀いずれかへの従属か滅亡かを選択することになる。 史書は「二国志」として書かれることになっただろう。
- 360 名前:世界@名無史さん [2012/05/26(土) 06:33:27.38 0]
- 劉備側の失策は西陵に拠点がなかったこと。
- 361 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 06:37:09.73 0]
- 西陵を取り返しに行く戦いなのに、西陵がないのがダメってw
- 362 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 07:28:52.38 0]
- 荊州失陥のときの話じゃね?
あったんだけどね。孟達がいた。しかし北上していて不在だった。
- 363 名前:世界@名無史さん [2012/05/26(土) 11:35:49.94 0]
- 江陵と永安との間が長すぎたのは確かでは?
三峡の出口付近の拠点が手薄だったのは致命的。
- 364 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 13:18:25.18 0]
- >>356
インペリウムの確立とそれに抵抗する豪族という図式で見れば 晩年の暴力的な状態も行き過ぎではあっても意味はないものではないように見えるしな 虞翻を処刑しようとする孫権が孔融を処刑する曹操に自分を例えるのも 朝廷内で権力の一極化を邪魔するものを処刑して権力を掌握する過程にあったので 酒を飲みすぎてついポロッと本音が出てしまったのかもしれない
- 365 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 18:08:14.28 0]
- >>363
人の話聞けよ
- 366 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 18:14:01.12 0]
- 晩年孫権の失敗は、寵愛を孫覇に置いていたのに孫和を廃せなかったこと。
或いは、そこまで出来なかった所が孫権の権力集中の限界だったのかもしれないが。
- 367 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:17:29.98 0]
- てか、二宮の変って後継者を選ぶ主導権は明らかに孫権にあるのに、なんで豪族のほうが強いとか孫権が豪族に悩まされたとか言われてるの?
豪族連中をあっさり粛清しているのに。
- 368 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:27:24.60 0]
- 皇帝なのに自分の好む後継者を結局選べなかったから
- 369 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:49:32.00 0]
- >>368
本当か? 豪族の意見が影響したとは思えないが。 孫権が後継者選定にあたって皇帝権力をもてあそんでるようにしか見えない。
- 370 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:54:17.57 0]
- 「もてあそんでる」って正しい意味で言ってるか?
孫権をただの愚帝という評価でいいのかな?
- 371 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:57:36.12 0]
- >>370
孫権が暗愚かどうかは知らんが、「豪族が皇帝より強かった」というのは間違いだと思うぞ。 だいたい、後継争いで有意の人材を失うのはどこも似たようなものだろう。
- 372 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 23:58:42.60 0]
- その日本語は正しく使えているのか?
と聞いているのだが。 それに応えてくれなくちゃレスしようが無い。
- 373 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 00:45:45.64 0]
- >>367
皇帝孫権の方が強い、でも豪族の意見は無視できない 皇帝と言ったって完全な絶対権力者じゃない
- 374 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 07:41:24.45 0]
- 孫権の晩年は暴君レベルで暗愚だろ。
劉禅よりも酷い。劉禅は死刑を乱発したり、 功臣を憤死させたりはしなかった。劉禅が 本当におかしくなったのは、滅亡の数年前 くらいから。そこに遠征による疲弊と段谷の 大敗という外的要因が重なり滅亡になった。 呉が孫権の代で滅亡しなかったのは、運が良かった のと、蜀より国力に余裕があったから。
- 375 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 08:19:15.59 0]
- >>369-370に答えてから語れよ
- 376 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 08:28:25.24 0]
- ニ宮の変は
喧嘩両成敗で両派粛清→孫権が孫亮を選定 で終わったわけだが、もし豪族が強かったらこんな処分できないだろ。 豪族をすべて敵に回して圧倒したのは、孫権。
- 377 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 08:32:38.21 0]
- 圧倒してたのにわざわざ寵愛した孫覇を殺した孫権は権力を「もてあそんだ」愚帝という結論か。
日本語勉強してこいよ本当に。
- 378 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 08:36:30.92 0]
- >>377
豪族より強い=賢明な皇帝 ではないw 内ゲバにだけ強くて、戦争も内政もダメダメなやつっているじゃん。
- 379 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 08:38:15.57 0]
- はいはい。お疲れさまでした。
ちくま版呉志を購入してから来てくださいね
- 380 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 09:37:09.90 O]
- 三国志とはいったいなんだったのか…
- 381 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 10:53:34.60 0]
- 孫覇は特に英邁だったということもないし、
孫覇を推す豪族もいたりして、豪族の勢力を抑圧する効果も 微妙だった。しかも、最後には孫覇を自害させている。 目的も効果も意味不明で、しかも国内を疲弊と人心を混乱させた だけ。晩年の孫権は愚かで残虐なのは愚帝といってよい。
- 382 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 11:12:29.75 0]
- 愚帝かどうかと、強力な皇帝だったかどうかという今の話題とは関係ないんだがねえ。
おまえはいつも馬鹿ばっかり言ってるな。 三国志に加えて中学生向け国語辞典も購入リストに加えておけよ。
- 383 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:09:50.16 0]
- >>379
ニ宮の変は豪族の力が強いために起こったのであり、 皇帝権力の弱体な孫権は泣く泣く息子二人を処断せざるを得なかった、 孫権は暗愚ではなかった・・・ なんてちくまのどこに書いてあるんだよw
- 384 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:23:32.57 0]
- >>383
そんなこと誰が主張したんだよ。脳内で勝手に作ってんじゃねえ。 「強さと暗愚は関係ない」が、「強くないから暗愚ではない」に変換されるなんてどういう論理脳してるんだ。 本物の餓鬼か?
- 385 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:25:38.53 0]
- ちくまの訳しか読めないんだから察してあげるべき
- 386 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:29:48.93 0]
- 「孫権は強い皇帝だった」
「なんで?」 「愚策を取りながら臣下を誅殺できたから」 「孫権は愚帝だった」 「なんで?」 「強いのに目的も効果も意味不明な愚かな行動してるから」 循環論法でググレカス
- 387 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:35:15.78 0]
- >>384
ていうか、お前には孫権が暗愚だとダメな理由でもあるのか? 戦争に強くても内には暴君なんて例はいくらでもあるだろうに。
- 388 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:36:05.42 0]
- 後継者選びにかこつけて有意の人材粛清しまくるようなやつのどこが暗愚ではないというのだ?
- 389 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:38:23.26 0]
- >>387
つくづく馬鹿だな。 孫権は(他人から見れば)愚かな行動をたくさん残しているだろう。 それを議論したくても、>>383みたいな論理性の欠片も無い馬鹿が 「強かったので愚かだった」とか馬鹿な事言い出してるから、 議論にも入れないのが今の状況なんだよ。なんとかしろ。
- 390 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 12:47:12.73 0]
- >>369以降、孫権や孫覇について実際的な議論が展開されていたと
思っていたとしたら、世界史板に書き込むのはもうやめてくれよ
- 391 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 13:21:13.35 0]
- 後継者争いを起こさせ、家臣を殺戮する時点で
暗愚以外のなにものでもないだが・・・・・・・・・
- 392 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 18:21:40.77 0]
- 暗愚というか暴君
- 393 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 18:43:00.54 0]
- >>386
自分が、「循環論法」の意味を先に確認すべきだな。 少なくとも、そこで書いている事柄は「循環論法」にはあたらないよ。
- 394 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 19:11:00.79 0]
- 「孫権は強い皇帝だった」
「その根拠は?」 「愚帝なのに臣下を誅殺できたから」 「孫権は愚帝だったって根拠は?」 「強い皇帝なのに目的も効果も意味不明な愚かな行動してるから」 「孫権は強い皇帝だったって根拠は?」 「愚帝なのに臣下を誅殺できたから」
- 395 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 19:28:12.01 0]
- 孫権はそもそも皇后も自由に選べなかった状況だった
- 396 名前:世界@名無史さん [2012/05/27(日) 19:33:01.40 0]
- 君主権を強化したいという考えはわかるが、
後継者争いで家臣団を分裂させ、不当な殺戮を加えたのは 君主権強化には寄与しなかった。しかも、後継者に据えた 幼君は後の混乱の原因にもなった。 強さより愚かさが目立ったという結論以外に何かあるか?
- 397 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 19:48:38.11 0]
- 結論に文句を言ってるんじゃない。
それを主張している人間の日本語能力と論理能力に問題があるから 採用も議論も出来ないと言ってるだけだ。 これだけ言って解らないってのは本当に14,5歳以下なんだろうな…
- 398 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 21:02:41.13 0]
- 呉は三国一長生きした
孫権が暗君や暴君だったら直ぐ壊滅したでしょうね 劉禅なんて、諸葛亮の為の蜀だったし姜維の為の蜀だったし
- 399 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 21:22:13.44 0]
- 二宮の変で、孫権は孫和派、孫覇派で分かれた豪族の意思を無視って、孫亮に後継者を決定した。
もし豪族が強ければ、孫和派か孫覇派のどちらかの勢力が台頭したはず。
- 400 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 21:23:08.50 0]
- >>394
軍事外交に優れていても、別の面で暗愚ということは十分にありえるのだよw
- 401 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 21:33:33.45 0]
- >>399
孫和派は陸遜をはじめ劣勢の間に勢力を殺がれ、 孫覇派は孫覇派とともに一網打尽になった。 台頭したのは比較的中立だった豪族の諸葛恪。 この潰しても潰してもキリが無い抗争を帝権有利に持っていくには、それ以後も時間がかかった。 その点では孫峻・孫リンも帝権強化の功労者。 そして成長した孫休が孫リンを殺して呉の皇帝集権は頂点を迎え、孫皓に継がれる。
- 402 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 22:51:02.01 0]
- 曹操は何度も反乱を起こされているが、孫権は一度も反乱を起こされていない。
治安維持の才能は孫権の方が上。
- 403 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/27(日) 23:22:26.91 0]
- >>397
一番 > 日本語能力と論理能力に問題がある のはお前自身だろうが。
- 404 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 00:27:57.62 0]
- >>401
>孫和派は陸遜をはじめ劣勢の間に勢力を殺がれ、 >孫覇派は孫覇派とともに一網打尽になった。 陸遜を憤死させたのは孫権本人だろう。 豪族たちの力を削ぎ、そして一網打尽にする力を持っていたという事実こそ、孫権の皇帝権が極めて強力だったということを示してはいないか。
- 405 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 03:54:59.43 0]
- 孫権は呉郡出身の勢力を削ぎたかったという説
- 406 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 12:54:38.28 0]
- 「豪族」の使い方が乱暴だと思う。
そもそも呉では「豪族」なんぞ力を持っていない。 力を持っていたとしたら、それは「功臣」だろう。 しかし、その功臣ですら皇帝の前には力及ばず。 孫権は名君だったが、晩年は迷走し、二宮の変と遼東との同盟という二つの失敗を犯した。 >>401 >そして成長した孫休が孫リンを殺して呉の皇帝集権は頂点を迎え、孫皓に継がれる。 孫休や孫皓が孫権時代より強い皇帝権を持っていたとは思わないな
- 407 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 13:19:20.70 0]
- 二宮の変を他の皇帝でたとえてみよう。
例えば曹魏なら、司馬懿と曹爽が衝突したとき、 曹芳が強力に主導権を発揮して司馬懿も曹爽もやっつけてしまうようなもの。 こう考えると孫権の権力の強さが分かるはず。
- 408 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 17:55:28.99 0]
- >>407
司馬懿は皇太后を掌握していた 皇太后は前皇帝由来で皇帝に近い権力が振るえる 曹爽は皇帝は握っていたが実際の軍事力を伴ってなかったので投降した どちらも皇帝の権力の元で動いてる 皇帝の意向無視して私闘してた呉と比較すると 皇帝の命令無しには動けない前者の方が皇帝権力が強いことがわかる
- 409 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 18:34:43.90 0]
- >>404
孫覇派の首領というのは孫権自身なのだが。 中核の愛息を含めて自分の派閥の首脳をなで斬りにして 抗争を手打ちにしなければならなかった首領のどこが強力なのか? 勘違いしているようだけど、二宮の変というのは皇帝対豪族の抗争ではないよ? 皇帝の意思を盾にする派閥と、法を盾にする派閥との抗争だ。 「法を盾にする者達」の抵抗によって、皇帝が結局意思を通せなかった。それが結末。 孫権以降の皇帝権の進展は、以後権臣と呼ばれたり派閥抗争した者達の所属を追いかけるとわかる。
- 410 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 18:55:18.86 0]
- >>409
>孫覇派の首領というのは孫権自身 ちくまにも書いてないことをまた得意そうにw
- 411 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 19:58:28.60 0]
- 皇太子でもない皇子が皇帝に寵愛されと繰り返し記述され
京師に宮を構えて皇太子と同格の待遇を受け 廃太子の議論が交わされた際に廃立に抗議した者だけが 皇帝に罪に問われるという状況を理解できないならもう話す言葉も無い。
- 412 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 23:36:03.66 0]
- >>409
>孫覇派の首領というのは孫権自身なのだが。 二宮の変で良識ある臣下が問題視したのは、魯王が太子並みの厚遇を受けたこと。 魯王は魯王であって、太子ではない。 孫権が孫覇を太子に据えればまた別の展開があった。 孫権は孫覇を寵愛しても太子とはしなかった。 >孫権以降の皇帝権の進展は、以後権臣と呼ばれたり派閥抗争した者達の所属を追いかけるとわかる。 具体的に書かないと何が言いたいのか分からんな。 進展したと言いたいのだろうか。 孫休なんか、張布に気兼ねしてるけどな。
- 413 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/28(月) 23:57:55.20 0]
- >>412
>魯王は魯王であって、太子ではない。 漢三国の王朝がなぜ皇太子以外を諸王に封じるのか、述べてくれ。 それを知った上で >孫覇を寵愛しても太子とはしなかった。(つまりその意思もなかった?) なんて寝言をもう一度いえるのか。
- 414 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:01:15.85 0]
- 続き
もし俺が宮廷人だったら、どんなに野心がなくとも政争を避けて保身に奔走するか、 子弟を用いてどちらかの派閥に取り入るかの選択を強いられるだろう。 ってくらいの大事件なんだけね、魯王の宮が宮廷内に建つというのは。
- 415 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:06:51.23 0]
- 孫呉での諸王の扱いが漢魏と同じとも限らない
諸王はどう扱えばいいのか?みたいなのに詳しい人たちはみんな曹魏の方にいるわけで。 孫権が皇帝になったころには、孫呉の宮廷じゃすでに在りし日の漢の朝廷の姿を知らない世代がほとんどだろう。
- 416 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:09:18.92 0]
- 当時の文献の万分の一も知らない現代の歴史学者でさえ諸王の意義を知っているのに
中原から逃れてきたり揚州で代々家学を伝えてきた学者名士が律法を立てた呉が 同じ理屈を知らないってなんなんだよ。
- 417 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:11:17.88 0]
- >>415
つか、答えないってことはその「諸王の意義」を知らずに二宮の変を語ってるんだな、あんたは。
- 418 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:14:46.00 0]
- >>416
細かいノウハウは伝わってないとか、伝承されるうちに歪んで別物になってるとか、あると思うけど。 董卓のせいで漢の朝廷が消えてから、三国の朝廷ができるまでの空白期間はかなり長いだろう。 あと孫呉は政争で失脚なんてザラだし。
- 419 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:19:29.73 0]
- アホか!
いい加減にしろよ。ノウハウなんて細かいこと言ってるんじゃねーよ。 中華帝政の世襲に当たって十指に入るくらいの超基本原則のことを言ってるんだよ今は。 調べもせずにその場しのぎの屁理屈で誤魔化しやがって 無知はまだ勉強の余地があるが低脳には心底救いがないってのはこのことだな。
- 420 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:23:31.49 0]
- >>419
>中華帝政の世襲に当たって十指に入るくらいの超基本原則のことを言ってるんだよ今は。 三国時代当時の人間にとっては前漢しか例がないだろがバーカw 後漢書の成立がいつだと思ってるんだ?
- 421 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:27:09.66 0]
- 両漢20数人の皇帝が代々踏襲し、たまにわがまま言って家臣に理屈を諭され、
憲法があったら明記されるくらいの大原則なんだがね…
- 422 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:30:23.80 0]
- 横レスなんだが、諸王ってもしもの時(皇帝、皇太子が死ぬか、国がヤバイとき)に
助けてくれることを期待されたスペア的なものだと思ってたんだけど違うの?
- 423 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:39:06.24 0]
- >>417
>つか、答えないってことはその「諸王の意義」を知らずに二宮の変を語ってるんだな、あんたは。 俺は>>412だが>>415じゃない。寝言はお前だろ。 言ってることも話を逸らしてるだけではないのか? 孫権は孫覇派なら孫覇を太子にすれば良かった。それ以上でもそれ以下でもない。
- 424 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:39:46.15 0]
- >>420
後漢書の先行史料になる八家後漢書の一冊なら 孫権の外戚の一人が書いてるぞ 今正史になってるもの以外にも大量の後漢関連の史料は当時存在してるぞ
- 425 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:40:26.12 0]
- >>423
でもそうするには反対者の力が強かった 孫権は絶対的な君主ではなかった
- 426 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:40:36.99 0]
- >後漢書の成立がいつだと思ってるんだ?
もしかして、范曄後漢書のことか?w 後漢の歴史や慣わしを知識人が学ぶのに、なんで范曄を待たねばらないんだ? 東観記は? 漢官儀は? 百虎通は? もはや名も知れないその数百倍の類書はどこいった?
- 427 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:42:58.36 0]
- >>423
何人いようが関係ない。 知識が足りないなら自分で調べるか、教えてくださいと頼むか、どっちかを実行してから話を続けてくれ。
- 428 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:50:49.28 0]
- >>422
それもある。 特に皇太子不在の場合に王が呼ばれるのはしばしば実行された。 ただ藩屏たる期待、というのは、漢・魏と王国の軍事力が削減されまくって用を為さなくなった。 これも諸王が余計な競争力を持たないための措置の一つ。 晋で強力に復活するけど。
- 429 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:52:04.94 0]
- >>425
違う。孫権自身の考えだよ。孫和伝にそう書いてある。 そもそもそうでなきゃ孫和を立太子しない。 >>427 >何人いようが関係ない。 違う人間のレスなのに勘違いして揶揄した挙句、「寝言」どうちゃらとケンカ腰のお前は 自分の卑しさを見つめた方が良いと思うよ。 そもそも、主張したいことがあるなら自分で論ずればいい。 >>413の書き方では>>412への反論にはならない。つまりお前は反論出来ていないということだよ。
- 430 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:54:13.22 0]
- >>428
>晋で強力に復活するけど。 復活しないよ。 晋では、都督クラスの官位を得ない王などカスだよ。
- 431 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 00:58:41.81 0]
- >>429
そりゃ反論して無いからな。二宮の変を考えるための基礎知識があるのか確認しただけだ。 知識も無く、身につける意思も見せない相手に反論したくないんだよ。 無知を盾にゴネ続けられてそのまま自然消滅って展開が目に見えてる。
- 432 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:01:42.91 0]
- >>431
無知って、三国志もまともに読めないお前のことだろ? なぜ孫権が寵愛する孫覇を太子としなかったか、三国志を読んでよく考えるといいよ。
- 433 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:06:26.15 0]
- 孫和は立太子された後に孫権の不興を買った。
寵愛は孫覇に移り、既成事実と人脈を持たせて廃太子への工作が始まった。 が、廃太子の議論で太子派に強硬に阻まれ、陸遜などを死に追いやったものの 廃立は成立せず抗争は長引き、最終的に痛みわけの形で手打ちにされる。 という順番。
- 434 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:07:57.46 0]
- >>426
>東観記は? 漢官儀は? 百虎通は? もはや名も知れないその数百倍の類書はどこいった? それらの書籍はきちんと孫呉にまで持ち込まれ、ちゃんと講義されていたのかねーw 曹魏と孫呉を比べたら、孫呉は基盤となる知識人層が貧弱なんだよ。 実際、孫呉で曹魏のより優れた書籍は生まれていない。
- 435 名前:世界@名無史さん [2012/05/29(火) 01:08:48.43 0]
- どうでもいいが
人肉食を嫌悪したのは曹操と司馬一族 マメ知識な
- 436 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:09:41.14 0]
- >>434
くそ、本当に頭痛がしてきた
- 437 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:11:50.82 0]
- 孫呉の文化教養程度は、晋に投降した陸氏などの待遇からわかる
- 438 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:11:56.61 0]
- >>433
>既成事実と人脈を持たせて廃太子への工作が始まった。 これの主語は? まさか孫権が工作したとは思ってないよな?
- 439 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:12:52.24 0]
- >>434
孫呉では書かれた八家後漢書と同レベルの後漢の史書が曹魏では生まれてないのです 悲しいことなのです
- 440 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:13:31.34 0]
- てか国家としてはともかく、豪族連中は普通に手紙のやり取りしてるしなぁ
- 441 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:15:45.20 0]
- 色々吹き込んだのは魯班や孫弘、孫覇の支持・取り巻きたちだろうが、
魯王宮の件など、最終決定権は当然孫権にある。 結局は「孫覇を寵愛していた」という感情が事態を進展させたことになる。
- 442 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:17:11.63 0]
- 事態進展してないんじゃないの?
引っ張って引っ張って、結局は孫亮を太子にするわけだし
- 443 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:18:17.32 0]
- 話は>>433の二行目だぞ。
魯王が立てられて人が集まり抗争が激化するまでのことを言っている。
- 444 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:20:33.43 0]
- 取り巻きが色々吹きこむというが、取り巻きが出来たのは魯王宮のあとからだぞ。
孫権がなにか工作したという事実はない。
- 445 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:20:51.27 0]
- >>439
まあ皮肉を言ってやるなよw 後漢末に既に東観記が成立していて、これが後漢史のスタンダードだったわけだから。
- 446 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:25:07.68 0]
- >>444
孫権の取り巻きのことだよ。寵愛する心理を利用して歓心を得ようとするような。 孫権がしたのは工作なんかじゃなくて、公的な措置。孫覇を孫和と同等に扱うなど。
- 447 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:31:54.77 0]
- >>446
結論出てるんじゃないの? 孫権は工作などする必要がないわな。強権もった皇帝なんだから。 本人自身の考えで孫和を立太子し、それを継続したんだよ。それは三国志に書いてある。
- 448 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:34:02.41 0]
- >>447
孫和伝とは正反対の意見だがどこに書いてあるの?
- 449 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:35:33.19 0]
- >>447
ではなぜ魯王を立てて皇太子の地位を危うくし、 宮廷分裂を招いた末に太子を廃したのか。
- 450 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:41:30.11 0]
- 董卓の人肉嗜好も創作らしいし正史にも出てこないんだよね
曹操の人肉否定嫌いは有名
- 451 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:48:43.23 0]
- うーむ…
「孫権は強い皇帝だった」って主張が三日もこじれると 「孫権は自分の考えで孫和を立太子し、それを継続した」までいっちゃうのか。 人間ってこわいね。
- 452 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 01:51:11.32 0]
- >>448
>孫和伝とは正反対の意見だが 正反対だという、その孫和伝の記述を引いてみてくれないかね? 見当たらないので。 >>449 そりゃ耄碌してたから、としか思えないな。 もし孫権が本当に孫和を廃立したかったのなら、廃立のタイミングはもっと早い段階である。 >>451 >權沈吟者歷年、後遂幽閉和。 こうハッキリ書いてある。
- 453 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 02:21:07.80 0]
- 人気のあった孫登の遺言から孫和が太子になったんでないの?
孫登って孫権の集権化邪魔してるし勘ぐっちゃうよね 孫登って太子のくせに君臣の序列を薄めて 皇族を豪族のワンオブゼムに貶めようとするお馬鹿ちゃんだし そんなもんの推薦による孫和が集権体制を試みる孫権と指向が合致するわけないんでない?
- 454 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 03:45:07.58 0]
- 話逸れるけど孫休じゃなくて孫亮が立てられた理由って書いてあったっけ?
- 455 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 07:39:30.04 0]
- >>452
wwww おまえ自分の理解が及ばないものを耄碌とか暗愚のような非論理のせいにしてるだけじゃねーかw 仮に孫権が耄碌していたとしても、それに乗じた側近が都合のいいように 政策を動かしていればそれは何らかの政治的意図の含んだ行動になるし、 現に晩年の孫権の行動はあらかた政治力学で説明できるんだよ。
- 456 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 08:10:31.80 0]
- >>439
孫呉の文化人はどのぐらい優れているの?と曹魏や西晋の高官のような事を言ってみる。
- 457 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 08:11:34.88 0]
- >>436
曹操気取り乙
- 458 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 10:51:40.08 0]
- >>456
陸兄弟はハイレヴェルじゃね? 曹操についての論文は面白かった
- 459 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/29(火) 12:47:54.23 0]
- 二宮の変の時、魯王の傅役の是儀がこれを明快に批判している。
その論法から見ても中原の文化学問のレベルと変わらないだろう。 東晋が興った時、朝廷の儀式を整えたのには、 中原から逃れてきた識者と並んで、江南の人士の貢献がある。 おそらく一番貢献したのは賀循。 でもそもそも呉の文化レベルと孫権の失策は関係ない話。 >>413がアホなミスリードをしただけ。 >>455 なんの反論にもなってないな
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