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正史『三国志』 二十七巻



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 16:24:33.23 0]
前スレ
正史『三国志』 二十六巻
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127 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 01:58:54.60 0]
>>126
スイスとイスラエルは特殊例。
徴兵制の韓国軍は人口の1%ちょいの60万ですがなにか。

128 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 02:00:16.31 0]
>>123
ここでしているのは人口全体にたいする兵士の割合だからその計算は間違ってないか?
戦国日本の場合だと10%は120万でしょ。まあこれだとあなたの論を補強することになるけど。

関ヶ原は関ヶ原の戦いを単体でみるのではなくて関ヶ原の役全体で見るべきで
その場合関ヶ原だけで東西両軍が20万、その他に東北では上杉、最上、伊達、その他中小大名が在国で合計5万は優に超えそうだし
北陸でも東軍の前田・堀や西軍の青木らで合計数万、中仙道には秀忠の率いる東軍3万〜4万
畿内及びその周辺には大阪城に秀頼直轄の軍や毛利輝元の本隊が計数万、
大津城攻めや田辺城攻め、さらには伊勢方面にそれぞれ1万以上とも言われる西軍がおり、
四国でも毛利がちょっかい出すわ、九州では島津の大部分や加藤が残留した上に黒田如水が1万も引き連れて暴れるわで
関ヶ原にいる各大名の領地に残ってる守備を考えたら五十万は動員されてそう。

ちょっと長く書きすぎたな。
ちなみに100石に対して6人の軍役を課されることはあった(確かそれ以上もあったはず)ので
100石あたりの人口が100人とすると兵士の割合は6%。
普通はもっと人口は少なかっただろうから7%くらいにはなっただろうか。

129 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 02:04:42.23 0]
>>127
人口比じゃなくて、徴兵制度ってものを理解してくれよと言ってるんだよ。
二十歳で徴兵された人間が30年軍隊暮らしの制度だと思ってたのか?

ついでながら漢の徴兵制ってのは家当たり徴兵比率的に旧日本軍越え。
イスラエルやスイスに近い。

130 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 02:22:32.29 0]
>>128
戦国末期は統一されると大量の浪人があぶれた専業兵士の時代だから
徴兵の農民兵の時代より動員限界が格段に低い。彼らは生産しないからね。
それでも数十万を動員できたのだから、当時の日本の生産力は半端じゃないな。

131 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 05:47:02.23 0]
把握できてた人口が90万人というだけ
実際の人口はもっと多い

132 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 07:03:53.49 0]
把握できてた人数以外の人間を徴兵できるわけがないだろw
徴兵できるほど管理がしっかりしてるなら、それは普通に「把握している」と言う

133 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 07:08:49.45 0]
食うために志願兵になったんだよ

134 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 08:03:24.14 0]
>>129
横レスでしかも当時の徴兵制度に詳しくないんだが、
司馬懿が公孫淵討伐の時期に六十歳以上の老兵を退役させてるけど
この人らも臨時で集められたってこと?
なんとなく、長年兵士やっててそろそろ使えないから家に帰してやるか的な意味だと思ってたんだけど。

あと段谷で将のほかにもベテラン兵が多数死んだから蜀の戦力が低下したってのはデマ?

135 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 11:12:10.06 0]
>>134
自分は129じゃないけどそれは予備役じゃないの?



136 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 20:05:31.35 0]
なんか兵戸の場合は、息子とか弟とか代わりいれば、
もっと早く退役したんじゃないかって。
軍の方だって、どうせならよぼよぼの爺より若い方が良いよな。
濱口氏の本だった思うけど、そんなことが書いてあった。
あと個人の考えだけど、あまり高齢なのは後方任務じゃないのかな。
頭数も重要だけど、役に立たないのが前線にいるとかえって危ないような。

137 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 20:34:46.10 0]
>>134
それは遼東の寒さが厳しかったので60歳以上の兵を先に帰還させたって話だね
段谷の敗戦で、将兵の数的損失がどんな影響を残したかって話は無いと思うが。
まあ今の話にはあんまり関係ないか。

なんか通じてないみたいだから説明してしまうが、
徴兵制の有効な点ってのは、国民全体に広く(数年間の)軍事教練を受けさせることで、
豊富な予備兵力を継続維持できることだよ。
彼らは平時は家業に就いていて、段谷とか遼東征伐のような戦役に召集を受けて遠征に出る。
帰還したら軍は解散して家業に戻る。
漢の徴兵軍の主将たる「将軍」が「非常置」だったのはそういうわけ。

戦時が常態となる三国時代では、この徴兵(農民兵)軍に基本に士戸制・世兵制、屯田、部曲民と言った要素が追加され、
徴集に応じる義務を持つ代わりに公田を貸されてそれを耕す身分や、
豪族の土地を耕して糧を得る代わりに私兵ともなる田客が生まれた。私兵は勿論豪族に従って国の征伐にも赴いた。
輪番的に平時の防備に当たる兵士も赴任地で「秋冬習戰陣,春夏修田桑」と耕作して農業生産を確保した。

かくして生産と軍備の両立が図られて、蜀漢の「帯甲10万」とか呉の「兵23万」が実現する。
ちなみに「帯甲」ってのは国力の中の位置づけとして武装兵の保有数を語るときに用いられる言葉であって、
平時から前線や首都に張り付いて防備していたような数ではない。

138 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 20:54:36.84 0]
>>131
それも一つの特色だね。
たとえば祖父母・父母・子で五口の家に、男子二人の徴兵召集が来たら、その年の農業生産は壊滅してしまう。ように見える。
しかし、この家に戸籍に把握されていない10人の部曲民が存在していたら、
家の生産力には殆ど影響を及ぼさないし、租税も完納できるし、市場に出回る穀物量も減らない。ということになる。
大豪族なら国の求めに応じて部曲を率いて従軍することもある。

また、完全に戸籍の捕捉から逃れている家は租税を払うことはないが、少なくとも社会経済を循環させる存在である。

まあ一律こんな徴兵を敷いていたら小農の仮作農・田客化がさらに進行してしまうだろうが、ともあれ、
三国時代の「戸籍人口600万」の外にいた膨大な流民・田客・不服住民というのは、
三国の見かけの国力を超えた大きな軍事力を一助する存在ではあった。
もちろん、100%戸籍化して徴税・徴兵できた方が遥かに強いんだけど。

139 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 20:58:16.46 0]
>>136
ですよね。数も1000人とかでどうもおまけ扱いぽかったみたいだし。
>>137
詳しくどうもです。
忘れてたけど、今の徴兵制でも兵役は数年で家業に戻すもんだった。浅薄。

ただ、いつの時代でどんな題名の詩だったか思い出せないのだが兵士を題材にしたもので、
長年兵役に駆り出され、老いてやっと家に戻されたけど、周りはみんなしんじゃった
みたいな詩を読んだ記憶があって、それがなんとなく気にかかったのだった。
まあ、ちゃんと思い出せない以上どうでもいいのだが。

140 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 21:27:44.39 0]
専業兵士色が強い時代になるとそういうことも出てくる。
専業兵士だから地位が高いとは限らないわけで。

141 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/20(金) 21:28:18.19 0]
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。

142 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 02:59:45.26 0]
>>138
普通の一家が部曲なんて持ってるの?
そいつらは地主で、数も少ないんじゃないか。

143 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 07:24:13.80 0]
まあ一律こんな徴兵を敷いていたら小農の仮作農・田客化がさらに進行してしまうだろうが、ともあれ、
三国時代の「戸籍人口600万」の外にいた膨大な流民・田客・不服住民というのは、
三国の見かけの国力を超えた大きな軍事力を一助する存在ではあった。


144 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 19:40:09.07 0]
実際、曹操はその流民と化した青州黄巾を取り込むことで人的資源を確保してるし
劉備もまた荊州客将時代に足りなかった人的資源を
戦乱を逃れて荊州に逃げて来た流民を戸籍に組み込むことで確保している

初期の混乱期だからこそかもしれないがこの調子で流民を
勝手に私有民にしていった豪族、軍閥は山のようにいるだろうから
国籍以上に人はいただろうな

145 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 20:35:52.61 0]
>>144
>実際、曹操はその流民と化した青州黄巾を取り込むことで人的資源を確保

てか、青州黄巾って本当に狂信的な流民集団なの?
豪族や群雄が部曲率いてたのと何か違うのか。



146 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 21:46:21.48 0]
流民集団ではあった。黄巾の教えをどれほど原理主義的に守っていたかは怪しいけどね。
また、流民の頭目に豪族が選ばれることは当然あっただろう。

部曲・田客というのは、土地の貸与や衣食住・安全の保証、借金等の形で豪族の傘下に入り、自由を拘束された。
黄巾集団は「方」や「渠師」といった独特の単位役職を持ち、独自の祭祀で結束と社会性を維持した。

147 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 04:00:39.83 0]
>>146
しかしそんなこといったら曹操や袁紹だって流民集団ではないのか?
曹操とその部下たちはあっちこっち移動する(在地性がない流民集団)
曹操は自分についてくる民を土地を与える(土地の貸与・衣食住の保証)
曹操は自分についてくる豪族や民を守るため兵を派遣する(安全の保証)
曹操に自分についてくる豪族や民の自由を拘束し、食料徴収したり、兵役の義務を課す(自由を拘束)

148 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 13:26:41.61 0]
戦闘目的の軍集団を流民とは言わない

149 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 13:42:39.99 0]
黄色いスカーフの皆さんは戦闘目的じゃないのかw

150 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 14:10:35.03 0]
三十年戦争でも、荒廃すればするほど働く所を失った連中が傭兵へ

かくして金さえあれば戦力の維持はいたって容易でズルズルと。。。

151 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 14:27:06.10 0]
男女合わせて100万、うち成年男子30万って人口構成の集団を戦闘目的の集団とは言わないね


152 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 07:11:27.08 0]
>>150
偉大な戦略とか華麗な指揮とか勇敢な兵士とかまったく関係なく、
最後に一枚の銀貨を持っているものが勝利する

153 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 07:38:30.25 0]
>>151
ただの群雄だよね

154 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 07:54:45.26 0]
>>152
じゃあ、中国は何で北方民族に負けまくっているの?
匈奴、ウイグル、遼、金、西夏、チンギスハンのモンゴル帝国、
オイラート、タタール・・・・。全部中国より貧乏な国ばかりだよ。

155 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 07:56:57.05 0]
>>154
軍事に金使ってないから



156 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 08:07:35.37 0]
>>154
金だけが相手でも屈辱的な地位に甘んじてたのに、そこにチンギスハン軍団が加わったら負けるに決まってるだろw

157 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 09:51:49.82 0]
数万規模の流民集団なら中世ヨーロッパにも民衆十字軍と言う例がある
女子供を引き連れ、あっちこっちを略奪したり略奪されたり殺したり殺されたり。

158 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 18:50:07.36 0]
>>153
はあ?
家を中核とする社会共同体の緊急避難・保持を目的とする流浪集団ってのが
おまえさんにとっての「群雄」の定義なのか?

159 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 19:40:06.65 0]
>>158
数万の民を引き連れて○○に帰順した、って結構あるじゃんw
劉備も10万の民を引き連れてたしな。
曹操に妨害されなければ。

160 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 20:49:54.52 0]
>>154
金を集中した前漢は勝ってるじゃん

161 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 21:08:32.63 0]
>>159
じゃあなんで、まだ誰にも帰順してない状態の流民集団が「群雄」なんだ?

162 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 21:21:44.30 0]
>>154
それはいくつかの要素が重なって起こっている。
まず一つの誤解を指摘すると、それらの国は経済規模こそ小さいが、交易・遊牧民中心の国家が多いため、
経常利益に換算すれば、遊牧民側が中国の農耕政権に対して優位に立っていてもおかしくはない。

分かりやすい現代の例で例えよう。
先頃プロ野球関連の板で集められた、各親会社の売上高では
日本ハム 1兆323億円
DeNA     1127億円
となっているが、これが経常利益となると
日本ハム  296億円
DeNA    562億円
という、一見おかしなことをやっている。
前者の日ハムは典型的な巨大インフラを持った巨大企業であり、ぶっちゃけインフラや人的資源が莫大で、
多くの地域にインフラや人的資源を確保していること自体が大きな負担となっている。
また、生もののため現物の移動コストが大きいことも、経常利益を圧迫する原因の一つだろう。
後者のDeNAといったインターネット企業は、インフラ保有の必要が少なく、維持コストも移動コストもほぼ必要がない。

今回提示した日ハムとDeNAの例はもっとも違いが顕著な例ではあるものの、
これはそのまま、定住民である漢民族と交易・遊牧民の割合の多い北方民族の構造の違いといって良い。
移動コストはそのまま兵站に置き換える事も出来る。

つまり、純戦争・純経済といった側面で言えば、「地球が小さくなる」近代と違い、
古代〜近世の定住民側は一種の遊兵的な資産を常に必要とする体制のため、遊牧民に対して圧倒的に不利なんだよ。

これは同時に、よく言われる「何故か分裂時代の方が統一時代より対遊牧民で優勢である」ことの理由の一つでもある。
趙の李牧や新末独立軍閥の竇融などの方が漢の李広より楽に匈奴を破れるのは、単純に遊兵が少なく即応性が高く
効率的に国家資産のほとんどを戦争に傾注することが容易のため、対応が遥かに容易だからなんだ。
岳家軍など軍閥が比較的戦果を挙げやすかったのもまた同じ理由だ。

163 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/24(火) 05:47:14.38 0]
>>161
群雄って帰順するのが前提なの?w

164 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/24(火) 08:36:33.24 0]
>>161
黄巾は曹操に帰順したから群雄の資格ありってことでいいすかねw

165 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/24(火) 17:36:19.73 0]
>>164
そうなんじゃないかなw

>>163
もうわけわからんな。言語能力も構想力もない奴の相手をするのは大変だから
頭かち割って直接脳みそ覗けたらどんなにいいかと思う。



166 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/26(木) 10:18:14.57 0]
劉備の優れた点は、女がらみで判断誤ったことがないこと。

167 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/26(木) 13:20:05.03 O]
女がらみで失敗した奴ってだれだ?
曹操ぐらいしか思いつかない。

168 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/26(木) 14:46:22.51 0]
孫権は娘の大虎を制御できずにニ宮の変起こしたし、
孫権の妻同士で血みどろの殺し合いもやってるよ。

169 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/26(木) 19:20:18.60 O]
董卓

170 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/27(金) 03:59:01.22 0]
一瞬童貞にみえた

171 名前:世界@名無史さん [2012/04/27(金) 20:01:26.95 0]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は


NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです


172 名前:世界@名無史さん [2012/04/28(土) 12:27:53.95 0]
劉備は根拠地を持てたのが晩年だからなあ。
古参の婦人も蜀を得る前に死んでるし、孫婦人は呉に帰ってしまった。
まあ、争いようもなかったかもしれない。

173 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/28(土) 20:39:10.58 O]
しかし袁紹にせよ、呂布にせよ、夫人(妾?)の言葉で行動を決めた記録が残ってる。
この時代、家庭によっては意外と女性の発言権が強かったりするのかな?
後漢王朝も歴代皇太后が権力持ってるし・・・

174 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/28(土) 21:15:04.97 0]
どこでも権力者の寵愛getで無双出来ますよ。

一般家庭でも跡継ぎを生んでしまえば、それなりに強くなる。
ってか、女性が本当に口を出せない時期の方が珍しくね?

175 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 12:40:09.88 0]
大抵、妻の方にも一族がいて発言力があるからね
劉備の場合、甘夫人がそういう富貴の出ではなく、
正妻になれなくて劉禅が赤子の頃に死んでいることと、
劉備の生来淡白な人となりが理由になるのだろう。



176 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 14:11:19.78 0]
生来淡白な人間は40年戦い続けて建国とかようやらんわ

177 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 15:44:46.47 0]
劉表の下で、かつての張繍みたいに曹操と戦い続けていた歴戦の武将やで。

178 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 16:19:57.91 0]
それは仕事や自分の野心の話だろ
今は劉備の私生活の話をしてるんだが




179 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 19:58:38.83 0]
>>178
性生活が淡白とか判断する材料皆無だぞ
人生の大半で安定しない生活を送った人は囲える女の数に限りがある

180 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 20:08:06.85 0]
曹操の子供や孫権の子供が生まれた時期を見る限り、子供が増えたのはやはり安定勢力になってからだな。
劉備は蜀ゲットしたときもう初老。
それでも劉禅の弟を何人か作ってるけどさ。

181 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 20:31:40.10 0]
>>179
人柄についての陳寿の記述があるだろ

182 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 21:55:19.42 0]
>>181
それで私生活について淡白だ、なんて記述あったっけ?


183 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 22:06:57.27 0]
劉禅と弟が二人、あと娘が何人かいたらしいので、劉備もやることはやってるのではないか。

184 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 22:41:02.40 0]
>>182
色々遊んだが不品行の類は無く、口数少なく喜怒を表に現さない

185 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 22:44:11.10 0]
あ、「性生活が淡白だ」なんて言ってないからね。
普通に女性関係はあったかもしれない、もしかしたらセックスだけなら強盛だったかもしれないが、これはよくわからない。
ただ、女関係や子供への情を軍閥としての判断に持ち込むような、ある意味で情の深い人間ではなかったことが伺えるってこと。



186 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 06:41:17.91 0]
劉封事件があったじゃん。

187 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 07:48:31.38 0]
単に嫡子>養子ってだけ
仮にも「副軍」の名号まで与えた養子をばっさり切り捨てた逸話だわな

188 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 10:07:12.43 O]
副軍将軍ってそんな格の高い将軍位だったの?No.2的な?
ただの雑号将軍だと思ってた。

189 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 10:22:52.05 0]
そう言えば、五官中郎将も、本来はさほどたいした官じゃないよな。

190 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 10:37:33.34 0]
階級が高い、と権威が高い、は別だけどね。

中郎将は位階は比二千石だが、朝廷の使者として派遣され、上位の将軍や太守、異民族を監督して
征伐の主将となることがあった。
劉封は副軍中郎将として上位である太守の孟達を率いている。

副軍将軍になってからは、魏側の記録では、破れるまで数年の間上庸周辺三郡の主将と認識されていた。
その周辺には少なくとも二人の将軍がいる。
前後左右の四将軍や「軍師」将軍諸葛亮の存在を考えればナンバー2とは言えないだろうが、
「副軍」の名号には「劉備の軍を補佐する将」として遠方駐在の諸将を
劉備に代わって監督する意味合いが込められていたと見られる。

191 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 10:58:26.86 0]
関羽=張飛=馬超>黄忠>劉封>魏延etc

こういうこと?

192 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 10:58:49.02 0]
劉禅の皇太子はどさくさまぎれに殺されたみたいな表現だけど、
大義名分として皇帝擁立計画でもあったのだろうか?
あるいはそれを疑われた?
本人が関知していたかどうかは別として。

193 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 11:04:53.06 0]
>>184-185
当時の価値観だと男子たるもの孕ませるべき、くらいのもんで
むしろ「不品行でない」とするなら普通にお盛んだったってことだけどね

194 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 11:09:41.01 0]
>>183
君主としてはその程度は義務の範疇じゃないのかな?
2,3人スペア作っておくくらいのことまではね。
10人越えると、やっぱり好きだったんだろうな。
ってことになるんだろうけど。

195 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 12:42:03.07 0]
そもそも劉備の正妻や劉禅以前の子は徐州戦や長坂で捕えられて失ったと記録されてるよね



196 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 13:14:30.47 O]
劉禅の字は公嗣だけど、これって「跡継ぎ」の名前っぽい気がする。
いくつ頃から幼名じゃなくて字で呼ばれるようになるのかな?

197 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 13:20:35.28 0]
成人してから

春秋戦国なら20歳
漢代なら13〜16歳

198 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 14:26:12.31 0]
>>193
少しは勉強しろ

倫理全無視でも、妾ですらない女を何人孕ませたからって
家のためになんの役に立つんだか。

199 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 16:02:13.44 0]
>>198
家を繁栄させるために産めや増やせやってことから
孕ませるべき云々になってくのだし何故家にかかわりのない人を孕ませるって話になるんだか

で、劉備が個人的に淡白であったという証拠は相変わらず何一つないどころか
状況証拠的には劉禅の弟もいくらか仕込んでたり全然淡白ではないわな

200 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 16:18:09.64 0]
少なくとも曹操や孫権にkるあべればかなりましでしょ。

201 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 17:45:02.06 0]
>>200
日本語でok?

202 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/01(火) 19:00:50.35 0]
>>199
劉備が妻を政治に容喙させたかどうかとか、個人的な性格の話から、
なんで産めや増やせやって話になるんだろうか。

劉備の性欲や強盛の話なんか問題にしてないよ。
子供何百人作ろうがそれを政治や治家に容喙させるかどうかはとは全く関係ないのに。

203 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 00:31:36.91 0]
>>202
さすがにこども何百人も作ろうと思ったら相当な規模の後宮が必要になるから費用の点から政治に影響が出るけどね(笑)

204 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 00:40:32.64 0]
ふーん(笑)

205 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 01:16:27.52 0]
何百人もいれば、集めて兵隊の頭数にでも。。。

そこらの馬の骨より栄養状態良さそうだし、そこそこ活躍するかもしれんし。




206 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 09:21:37.23 0]
>>205
実際それやったのが蜀滅亡時の綿竹の戦いだな

207 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 23:40:27.51 0]
でも諸葛息子は二回にわたってどもりの軍を撃退してるじゃん。
寄せ集めの軍で。

208 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 01:46:32.25 0]
「でも」ってのが何を受けての「でも」なのか良く分からん

209 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 14:30:38.02 0]
綿竹の戦いは、普通に要害守って粘っていれば、
相手は兵糧不足でアウトだったのでは?


210 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 14:55:02.01 0]
普通に守っていたはずだが負けた。
まあ諸葛亮伝では諸葛瞻自身の部隊が大敗して戦死したため全軍壊走したというようなニュアンスだけど。

211 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 15:25:37.39 0]
早く要害を占拠せよと進言されたのに、
逡巡して負けたのでは?

212 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 20:02:12.81 0]
誰に?

213 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 20:40:48.22 0]
黄権の息子に

214 名前:世界@名無史さん [2012/05/04(金) 05:51:03.47 0]
魏軍も何だかんだ言って、あんま兵糧が無かったのは
事実。兵力にものを言わせ、短期決戦じゃないと撤退の相談
をしなくてはいけなくなる。

215 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 13:05:30.04 0]
蜀まで兵站がっつり維持できるほど魏がマッシブだったら、
孔明も戦下手の烙印を押されとるでしょうな。



216 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 15:10:11.44 0]
諸葛亮なら撃退してたよ
実際1回も蜀には入れなかったからな

217 名前:世界@名無史さん [2012/05/04(金) 16:05:27.81 0]
姜維も撃退寸前だった。

218 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 18:05:13.31 0]
諸葛亮の北伐では度々軍団を分けてるけど、
姜維の北伐は軍団分けてないのはなぜ?

219 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 19:03:09.44 0]
廖化 胡済

220 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 04:46:55.67 0]
別働隊動かさないってこと

221 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 13:52:44.64 0]
廖化 胡済

222 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 17:31:27.38 0]
胡済との連携作戦なんて完全に破綻していただろw


223 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 17:50:46.13 0]
作戦が失敗したから分けたことにならないとはこれいかに

224 名前:世界@名無史さん [2012/05/05(土) 18:41:27.33 0]
蜀は動員できる兵力が少ないから、
別働隊を編成してしまうと本体が弱体になる。
基本的には、相手の分散した守備兵力を兵力集中して
個別撃破する以外に勝機はない。

諸葛亮の第一次北伐では趙雲の囮部隊が編成されたが、
囮部隊自体は弱体であり、関中方面軍の主力を一時的に
牽制する程度の効果しかなかった。

225 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 20:40:46.39 0]
>>223
胡済はいつ出発したのかすらわからないのだがw
遅刻以前に、ちゃんと出撃したのかすら怪しい。



226 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 20:41:41.45 0]
>>224
>関中方面軍の主力を一時的に
>牽制する程度の効果しかなかった。

いや、それが一番重要だろと。主力がやってきたら諸葛亮の作戦は破綻するんだから。

227 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/05(土) 20:47:19.11 0]
諸葛亮なら戦わずして勝つから大丈夫






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